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Chapter12(青い鳥編)
Chapter12-⑩【チョコの奴隷】
しおりを挟む「あなたにこんなことをしていいのは、私だけだよね」
「当然だろ? 君以外に許すはずがない。どうしたの、そんな泣きそうな顔をして。僕はどこにも行かないよ」
聡いレインは何かに気が付いているようだ。心配そうな表情でニコルをじっと見つめている。
何か不安なことでもあるのかいと訊ねる男に、ニコルはこくりと頷いた。
「レインは格好いいから、ライバルの女の子が現れてしまうわ。……たとえば、リザとか」
ニコルの深紅色の目は潤んだままで、おっとりとした可愛らしい顔は悲しみに沈んでいる。俯く彼女の顔を上げさせ、レインは穏やかな声をかけた。
「ねえニコ、鉱山の中でさ。僕を他の女に渡したくないって言ったよね」
「そうね、そんなことを言ったかもしれない。熱で意識が朦朧としてて、あまり覚えてないけど……」
「あの時の君、すごく焦ってたよ。いや、あの時だけじゃない。近頃の君はとても不安定だ、旅に出てからはなおさら……。聞かせて、ニコ。何が君の心をそんなに苛んでいるんだい? そのリザって奴と何かあったの?」
黄と青の目がゆっくり瞬かれる。長くふんわりとした睫毛に囲われたそれは、ランプの灯りを受けて優しく輝いている。慈愛溢れる獣の瞳に導かれ、少女の気がかりが口を衝いて出た。
数ヶ月前から、レインを渡すよう執拗にリザに迫られていること。レインのことを想うのなら、手放すのが正しい選択ではないかと言われたこと。
どうしてもレインを渡したくないというのなら、勝負をしようと持ちかけられたこと。
そしてその勝負の内容は、聖夜に贈り物を届けられたら勝ち、届けられなかったら負けというものであり、もし自分が負けたらレインはリザに連れて行かれてしまうこと……。
ニコルが順を追ってそれらの内容を話すと、レインはがばりと口を開けて大笑いをした。
「あっははははは!! おっかしい、その女も随分と身の程知らずだ! ニコに僕を手懐けられるなら、自分でもできるはずだって言ったの?」
「うん。それに、お金持ちの自分に迎え入れられたら、誰もレインの悪口を言わなくなるとも言ってたわ。ああ、やだ。もし私が聖夜に贈り物を届けられなければ、あなたはリザのお仲間に無理やり攫われてしまうわ!」
「ぷっ。やめてよニコ、僕が素直に攫われるとでも? 人間ごときが何人やって来ようがみんな返り討ちにしてやるさ。それよりも、どうして勝負のことを黙ってたの? もっと早く話してくれたらよかったのに」
ニコルの赤くなった鼻がちょんとつつかれる。くすぐったさにくしゃみをした後、彼女はばつが悪そうに俯いた。
「サンタクロースの仕事は高潔なものよ。子供を笑顔にすることを第一に考えるべきで、そこに私情を挟んではいけないと教わったわ。好きな男のひとを奪われたくないから頑張ろうだなんて、なんだかとっても浅ましいじゃない。だから話すのが憚られたのよ。純粋な気持ちでプレゼントを待っている子供に申し訳ないし、おじいちゃんにも顔向けできないわ」
「ふふ、ニコはひたむきで、真面目で、心優しいね。君のそんなところが大好きだ。僕はこんな素晴らしいサンタクロースに仕えることができて幸せだなあ」
レインはニコルに対する愛おしさに胸が締め付けられるのを感じた。自分を渡したくないがために、分光石を一生懸命探していたのだと思うと可愛すぎる。
遠慮がちに微笑むニコルをぎゅっと抱き締め、レインは彼女には聞こえないくらいの声でぼそぼそと呟いた。
「棒人間どもが何を言おうが興味なかったけど。僕のニコをここまで悩ませ傷つけたなら、それ相応の報いを与えてやらなくちゃいけないね。村に帰ったらまた自主サンタクロースしてやる。全員覚悟しておけよ……」
「ん? 何か言った?」
「ううん、気にしないで。独り言だよ」
自分とニコルの体をブランケットで包み込み、レインはにこりと笑った。獣人の毛で織られたブランケットはもこもことしていて、ふたりをしっかりと温めてくれる。
ニコルとレインは暫くお互いの体温を分け合っていたが、ふとニコルが口を開いた。
「ねえレイン。あなたって私のどんなところが好きなの?」
「全部」
「そっ、即答してくれて嬉しいけど。もっと詳しいことが知りたいわ! ほら、私って小さい頃からドジだったでしょ? そんな私のどこを好きになったのか教えてほしいと思って」
「ふふ、それを教えたら長くなるよ。そうだなあ……まず、君は獣人の成り立ちを知っているかい?」
……かつて、高い高いお山のてっぺんに住んでいたひねくれ者の魔女様がね、聖人を陥れるために作った魔物が僕のような獣人だ。
山のトナカイと人間の死体を、大釜の中でまぜこぜして造った悍ましい存在。それが、僕たち獣人の祖。
サンタクロースがトナカイを率いるように、魔女もまた、造り出した獣人を率いて自分の仕事をした。
魔女の仕事は、人間を不幸にすることだった。
サンタクロースから聖夜の贈り物をひったくり、子供が望むささやかな幸せを穢すこと。それが魔女にとって何よりの楽しみだった。
そんな魔女に造られた獣人の本質は、人間にとって「悪」だ。
魔女が死んでからも、その悪性はそっくりそのまま僕たちに引き継がれている。
獣人は善行が本能的に気に食わない。人間が笑ったり幸せを感じていると、胸を掻き毟りたくなるほどの嫌悪感を覚える。
だから麓に住む聖人たちを誑かし、破滅させることを娯楽にしているんだ。僕たちのせいで人間が泣いたり苦しんだりすると、とっても満たされる。
「幼い頃の僕もそうだった。同族に倣って、のこのこと山に入ってきた可愛い女の子を堕落させてやるつもりだったんだ」
怖ろしい言葉にまったく相応しくない優しい貌で、レインは笑った。
「凶暴で偏執的。僕たちの性質はよく知られているからね、大抵の人間は獣人を見かけるとすぐ逃げるんだ。でも、君は逃げなかった。それどころか、そんなところにいたら寒いと言って、僕を火の傍に連れて行ってくれたね」
それが、僕にとっては信じられないことだった。
まさか獣人のことを知らない人間がいるとは思わなかったんだ。
半人半獣の僕を怖がることなく手を握ってくる。何の警戒心もない行動が理解できなくて、心底不思議で、その能天気さに苛つきさえした。
けれど。
初めて触れた人間の女の子は、柔らかくて温かかった。人間風情にぬいぐるみ扱いされるなんて屈辱の極みなのに、ふにゃふにゃと笑う赤っ鼻の女の子を見たら、それでもいいかと思ってしまった。
抱きつかれると胸が跳ねる。笑顔を見ると顔が熱くなる。手を握られると切なくなるし、首の毛に顔を埋められるとすごく恥ずかしくなる。
どれも未知の感覚だったけど、すぐに解ったんだ。
ああ、僕はきっとニコに心を奪われてしまったんだって。
ユッカ村からやって来たという女の子は、祖父の迎えが来れば僕の前から去ってしまう。そして怖ろしい獣人の話を言い聞かされ、二度と僕の前に姿を現さないだろう。そう考えると物凄く怖くなった。
ニコを手放したくない。
ずっとつきまとっていたい。
そう思った僕は、君の家にお邪魔することにしたんだ。幸い、ニコは考えなしに「いいよ」と言ってくれたから苦労しなかった。
爺さんが僕の扱いに悩むのが面白かった。村の奴らがニコから僕を引き離そうとして悪戦苦闘するのが楽しかった! 脳天気なニコもいずれ、自分が迎えたトナカイが悪しき獣人だと知って後悔するだろう……。
でも、それはどうでもいいことだった。君が泣こうが苦しもうが構わない。何があっても僕は出ていかないし、年頃になったら無理やり番にすればいい。他の男のもとへ行こうとしたら、どこかに閉じ込めてしまえばいいんだ。
この子のすべては自分のもの。
ニコの泣き顔はとっても可愛いだろうから、早く見たいとさえ思ってた。
僕は人間にとって害悪な存在だ。ニコのことを好きだと思いながらも、徹底的に穢すことしか頭になかった。早く僕を嫌がって、その無垢な心を憎しみに染め上げてしまえばいいと考えていた。
「だけどさ。転んで大泣きするニコを見たら、そんな考えはあっという間に吹っ飛んだ。すっごく胸が痛くなったんだ! ニコの泣き顔なんて見たくない。この子にはいつも笑ってほしいと思った」
僕の目的はニコを堕落させることじゃなくて、幸せにすることに変わった。おっちょこちょいの女の子が涙を流さずに済むのなら、いくら世話を焼いたって構わない。穏やかな生活の中で、僕は少しずつ善性を知っていった。
ニコは、僕を嫌いだと言うことは一度もなかった。どこへ行くにも一緒に連れて行ってくれたし、いつも大好きだと言ってくれた。そして君の爺さんも、我儘な獣人をもうひとりの孫として可愛がってくれた。
僕の家族はこのふたり。
爺さんとニコと過ごすうち、僕の居場所はここなんだって心から思えるようになった。僕はニコに仕えるトナカイとして、獣人の力を振るおうと決めたんだ。
「君と過ごした日々は宝物。その中でも、とっても嬉しかった思い出があるんだ。僕がコケモモを摘みに森に入ったら、大雨に見舞われて家に帰れなかった日があったね」
暗い森の中。
ざあざあと降る雨を見つめながら考えていた。
僕は村の奴らからひどく嫌われている。嫉妬深くて面倒な獣人がいなくなって、あのふたりは内心喜んでいるんじゃないかって。もしかしたら、このまま帰ってこなければいいと考えてるんじゃないかって……。
ニコに必要としてもらえない。
それは僕にとって凄まじく怖ろしいことで、想像しただけで涙が出た。
不安が込み上げてきて止まらなかった。ひとり木陰で泣いていた時、草むらを掻き分ける音がした。大雨が降っている夜の森なんて危険そのものなのに、ニコは爺さんと共に僕を探しに来てくれた。
――レイン、一緒に帰ろう。そんなところにいたら寒いよ。
雨に濡れた君の体は冷え切っていて、手足は野ばらの蔓でずたずたに傷付いていた。寒くて痛くて仕方ないだろうに、君は僕を見てほっとした顔で笑ったんだ。
胸が詰まる気がした。
どうして危険を冒してまで迎えに来たんだ、僕なんか放っておけばいいじゃないか。そうしたらもう周りから何も言われないだろって癇癪を起こした僕の手を、ニコは力強く握ってくれた。
――村の人から何を言われても気にしないわ。だって、私はレインがいなければ生きていけないもの。絶対に絶対に放さない!
「……全身が震えるほど嬉しかった。愛する女の子に必要としてもらえるのは、これほど幸せなことなのかと思った。その時からだ。その時、君に対する愛が重く深く、自分でも扱いきれないほど大きなものに変わっていくのを感じた」
寒いからと焚き火の傍に連れて行ってくれた優しさが好きだ。自分をぬいぐるみみたいだと笑う可愛らしい顔が好きだ。
周囲に何を言われても、決して自分を手離さなかったところが好きだ。
「ニコに愛されたい。一方的な欲望をぶつけるんじゃなくて、ニコからも僕に愛情を向けてほしい。君と恋人になりたい。仲睦まじい夫婦になりたい。お互いを必要としあう番になりたい。それ以来、僕はニコの愛を強烈に乞い願う獣になった」
僕は、ニコと根本的に世界の見え方が違う。
例えば君は、分光石をとても綺麗だと言ったね。でも僕は、石を見ても別に綺麗だとは思えない。君がその手に持ってはじめて、分光石が七色に煌めいて見えるんだ。
獣人は本来、雪の白と夜闇の黒しか認識できない生き物だ。魔女にそう造られた僕たちは、世界の色を正しく見ることができない。だから、僕の世界はずっと色褪せていた。
濃淡しか把握できない黒白の世界の中、ニコだけが色鮮やかに輝いていたんだ。
ニコは、僕に世界の美しさを教えてくれた。
太陽も、宝石も、何もかも。ニコルという少女を介して初めて色が付く。
恋の赤、楽しみのオレンジ、安らぎの青に優しさの緑。僕は善良な人間の女の子と暮らすことであらゆる感情を知り、そして、その感情を伝って色彩を認識することができた。
君だけだ、僕に色を見せてくれるのは。他の誰かじゃ駄目なんだ。ニコが傍にいてくれなければ、僕の世界はまた白と黒だけになってしまう。
君を愛するほどに世界は彩られる。
それならば、ニコに愛されたらどんなに美しくなるのだろうか。
愛されたい。
君のことをもっと知りたい。
共に支え合いながら暮らしたい。
愛してほしい。愛してほしい。愛してほしい……。
「好きなんだよ、狂ってしまいそうなほどニコのことが好き。君は僕のすべてだ。ニコに愛してもらえるのなら、何を捧げたって構わない。ずっとそう思い続けていたんだ!」
黄と青の双眼が妖しく煌めく。強烈な視線を向けられ息を呑むニコルを見下ろし、レインは彼女の唇にキスをした。
「子供の頃、いくら間抜けでもさ。普通は成長するにつれて少しずつ良くなっていくものだろ? でも、ニコはいつまでも変わらない。外を歩けば木から雪が落ちてくるし、何かしようとしてもことごとく失敗してしまう。それは、僕のせいなんだよ。僕が君の傍にいるせいなんだ」
「えっ? どういうこと?」
「獣人は聖人と決して相容れない。僕のような存在は、近くにいるだけで人間を呪ってしまう。君が『ドジのニコル』なのは、僕と暮らしているからさ。必要な時に限って街に分光石が置いていなかったのも、きっと呪いに引き摺られたせいだよ」
虹色に輝く石に目を遣り、レインは陰鬱な溜息を吐いた。
「君のせいで僕が悪く言われるだって? 逆だよ、逆。僕の傍にいるから、ニコがいつまでも悪く言われてしまうんだ。村の奴らが言うことは正しい。いくらトナカイの真似事をしようが、獣人は『悪しき魔女の使い』に変わりないんだから」
「…………」
「僕といたら、これからもニコは苦労をするよ。僕だって随分悩んだ、ニコのことを本当に想うのなら手放してあげるべきなんだって! でも、嫌だ。君のことが大好きだから、これからもずっと一緒にいたいんだ」
レインの喉から哀しそうな鳴き声が漏れる。彼の折れた枝角を撫で、ニコルは穏やかに笑った。
「もちろんよ。一緒にいましょう」
「いいの? まあ……駄目だって言われても、君から離れるつもりはこれっぽっちもないんだけど」
「ふふっ、レインならそう言うと思った」
ニコルは分光石を掴み、そっと両手で持ち上げた。こぶし二つ分くらいの大きさの石は、僅かな明かりを貪欲に拾い、オーロラのような輝きを表面に踊らせている。
「見て、レイン。街では絶対に買えない大きさよ。この立派で綺麗な石は、あなたが鉱山まで連れて行ってくれたから手に入れることができたの。獣人さんの呪いは祝福かもしれないわね。こんな素晴らしい分光石を届けたら、子供は大喜びしてくれるわよ!」
「……ニコ」
「途中でどんなことがあっても、レインがいれば最後は絶対に上手くいく。レインとなら、どこまでも行ける気がする。だから、私をずっと放さないで。愛してるわ、レイン」
高めの声で紡がれる言葉がレインの胸を打つ。ふたりはどちらからともなくキスを交わし、微笑みあった。
唇を合わせるだけの拙いキスは、やがて深く、濃厚なものへと変わっていく。レインに唇を舐め回されたニコルは、お返しとばかりに彼をぎゅうと抱き締めた。
「私を食べて、レイン。不安にならないくらいして」
「だっ、だめだよ、ニコ。いったん僕から離れて」
「何で? 私、あなたの角を飲ませてもらったからすっかり元気よ」
「もう……ずっと好きだった女の子を初めて抱くんだよ? せっかく君とするならこんなテントの中じゃなくて、暖かい僕たちの家がいい!」
レインは今すぐニコルを抱いてしまいたいという欲望を必死に抑えつけ、真っ赤な顔で懇願した。
「あのさ、ニコ。僕もプレゼントが欲しいな。この仕事を終わらせたら、頑張ったご褒美が欲しいんだ」
少女の白い手を取り、レインはその甲に鼻先をくっつけた。
「可愛い僕のサンタクロース。ユッカ村に帰ったら、君をくれるかい?」
「ふふ……いいよ。何でもお願い事を聞いてあげるって言ったからね」
まるで王子のような男の振る舞いに、ニコルは幸せの笑みを溢した。彼女の了承を得たレインの顔がぱっと輝く。彼はとても嬉しそうに目を細め「それなら何としても贈り物を届けなくちゃね」と言った。
「ニコ、僕たちだってサンタクロースの仕事を立派にこなすことができるんだって村の奴らに教えてやろう。陽が昇ったらすぐに出発するよ!」
やる気に満ち溢れたレインはニコルに毛布を被せ、明日に備えてすぐ寝るようにと囁いた。
その夜、ふたりはぴったりとくっつき合いながら眠った。男の背に腕を回し、あるいは少女を腕の中に抱き。お互いの胸に強い幸福を感じながら、ニコルとレインは夜明けを待った。
「当然だろ? 君以外に許すはずがない。どうしたの、そんな泣きそうな顔をして。僕はどこにも行かないよ」
聡いレインは何かに気が付いているようだ。心配そうな表情でニコルをじっと見つめている。
何か不安なことでもあるのかいと訊ねる男に、ニコルはこくりと頷いた。
「レインは格好いいから、ライバルの女の子が現れてしまうわ。……たとえば、リザとか」
ニコルの深紅色の目は潤んだままで、おっとりとした可愛らしい顔は悲しみに沈んでいる。俯く彼女の顔を上げさせ、レインは穏やかな声をかけた。
「ねえニコ、鉱山の中でさ。僕を他の女に渡したくないって言ったよね」
「そうね、そんなことを言ったかもしれない。熱で意識が朦朧としてて、あまり覚えてないけど……」
「あの時の君、すごく焦ってたよ。いや、あの時だけじゃない。近頃の君はとても不安定だ、旅に出てからはなおさら……。聞かせて、ニコ。何が君の心をそんなに苛んでいるんだい? そのリザって奴と何かあったの?」
黄と青の目がゆっくり瞬かれる。長くふんわりとした睫毛に囲われたそれは、ランプの灯りを受けて優しく輝いている。慈愛溢れる獣の瞳に導かれ、少女の気がかりが口を衝いて出た。
数ヶ月前から、レインを渡すよう執拗にリザに迫られていること。レインのことを想うのなら、手放すのが正しい選択ではないかと言われたこと。
どうしてもレインを渡したくないというのなら、勝負をしようと持ちかけられたこと。
そしてその勝負の内容は、聖夜に贈り物を届けられたら勝ち、届けられなかったら負けというものであり、もし自分が負けたらレインはリザに連れて行かれてしまうこと……。
ニコルが順を追ってそれらの内容を話すと、レインはがばりと口を開けて大笑いをした。
「あっははははは!! おっかしい、その女も随分と身の程知らずだ! ニコに僕を手懐けられるなら、自分でもできるはずだって言ったの?」
「うん。それに、お金持ちの自分に迎え入れられたら、誰もレインの悪口を言わなくなるとも言ってたわ。ああ、やだ。もし私が聖夜に贈り物を届けられなければ、あなたはリザのお仲間に無理やり攫われてしまうわ!」
「ぷっ。やめてよニコ、僕が素直に攫われるとでも? 人間ごときが何人やって来ようがみんな返り討ちにしてやるさ。それよりも、どうして勝負のことを黙ってたの? もっと早く話してくれたらよかったのに」
ニコルの赤くなった鼻がちょんとつつかれる。くすぐったさにくしゃみをした後、彼女はばつが悪そうに俯いた。
「サンタクロースの仕事は高潔なものよ。子供を笑顔にすることを第一に考えるべきで、そこに私情を挟んではいけないと教わったわ。好きな男のひとを奪われたくないから頑張ろうだなんて、なんだかとっても浅ましいじゃない。だから話すのが憚られたのよ。純粋な気持ちでプレゼントを待っている子供に申し訳ないし、おじいちゃんにも顔向けできないわ」
「ふふ、ニコはひたむきで、真面目で、心優しいね。君のそんなところが大好きだ。僕はこんな素晴らしいサンタクロースに仕えることができて幸せだなあ」
レインはニコルに対する愛おしさに胸が締め付けられるのを感じた。自分を渡したくないがために、分光石を一生懸命探していたのだと思うと可愛すぎる。
遠慮がちに微笑むニコルをぎゅっと抱き締め、レインは彼女には聞こえないくらいの声でぼそぼそと呟いた。
「棒人間どもが何を言おうが興味なかったけど。僕のニコをここまで悩ませ傷つけたなら、それ相応の報いを与えてやらなくちゃいけないね。村に帰ったらまた自主サンタクロースしてやる。全員覚悟しておけよ……」
「ん? 何か言った?」
「ううん、気にしないで。独り言だよ」
自分とニコルの体をブランケットで包み込み、レインはにこりと笑った。獣人の毛で織られたブランケットはもこもことしていて、ふたりをしっかりと温めてくれる。
ニコルとレインは暫くお互いの体温を分け合っていたが、ふとニコルが口を開いた。
「ねえレイン。あなたって私のどんなところが好きなの?」
「全部」
「そっ、即答してくれて嬉しいけど。もっと詳しいことが知りたいわ! ほら、私って小さい頃からドジだったでしょ? そんな私のどこを好きになったのか教えてほしいと思って」
「ふふ、それを教えたら長くなるよ。そうだなあ……まず、君は獣人の成り立ちを知っているかい?」
……かつて、高い高いお山のてっぺんに住んでいたひねくれ者の魔女様がね、聖人を陥れるために作った魔物が僕のような獣人だ。
山のトナカイと人間の死体を、大釜の中でまぜこぜして造った悍ましい存在。それが、僕たち獣人の祖。
サンタクロースがトナカイを率いるように、魔女もまた、造り出した獣人を率いて自分の仕事をした。
魔女の仕事は、人間を不幸にすることだった。
サンタクロースから聖夜の贈り物をひったくり、子供が望むささやかな幸せを穢すこと。それが魔女にとって何よりの楽しみだった。
そんな魔女に造られた獣人の本質は、人間にとって「悪」だ。
魔女が死んでからも、その悪性はそっくりそのまま僕たちに引き継がれている。
獣人は善行が本能的に気に食わない。人間が笑ったり幸せを感じていると、胸を掻き毟りたくなるほどの嫌悪感を覚える。
だから麓に住む聖人たちを誑かし、破滅させることを娯楽にしているんだ。僕たちのせいで人間が泣いたり苦しんだりすると、とっても満たされる。
「幼い頃の僕もそうだった。同族に倣って、のこのこと山に入ってきた可愛い女の子を堕落させてやるつもりだったんだ」
怖ろしい言葉にまったく相応しくない優しい貌で、レインは笑った。
「凶暴で偏執的。僕たちの性質はよく知られているからね、大抵の人間は獣人を見かけるとすぐ逃げるんだ。でも、君は逃げなかった。それどころか、そんなところにいたら寒いと言って、僕を火の傍に連れて行ってくれたね」
それが、僕にとっては信じられないことだった。
まさか獣人のことを知らない人間がいるとは思わなかったんだ。
半人半獣の僕を怖がることなく手を握ってくる。何の警戒心もない行動が理解できなくて、心底不思議で、その能天気さに苛つきさえした。
けれど。
初めて触れた人間の女の子は、柔らかくて温かかった。人間風情にぬいぐるみ扱いされるなんて屈辱の極みなのに、ふにゃふにゃと笑う赤っ鼻の女の子を見たら、それでもいいかと思ってしまった。
抱きつかれると胸が跳ねる。笑顔を見ると顔が熱くなる。手を握られると切なくなるし、首の毛に顔を埋められるとすごく恥ずかしくなる。
どれも未知の感覚だったけど、すぐに解ったんだ。
ああ、僕はきっとニコに心を奪われてしまったんだって。
ユッカ村からやって来たという女の子は、祖父の迎えが来れば僕の前から去ってしまう。そして怖ろしい獣人の話を言い聞かされ、二度と僕の前に姿を現さないだろう。そう考えると物凄く怖くなった。
ニコを手放したくない。
ずっとつきまとっていたい。
そう思った僕は、君の家にお邪魔することにしたんだ。幸い、ニコは考えなしに「いいよ」と言ってくれたから苦労しなかった。
爺さんが僕の扱いに悩むのが面白かった。村の奴らがニコから僕を引き離そうとして悪戦苦闘するのが楽しかった! 脳天気なニコもいずれ、自分が迎えたトナカイが悪しき獣人だと知って後悔するだろう……。
でも、それはどうでもいいことだった。君が泣こうが苦しもうが構わない。何があっても僕は出ていかないし、年頃になったら無理やり番にすればいい。他の男のもとへ行こうとしたら、どこかに閉じ込めてしまえばいいんだ。
この子のすべては自分のもの。
ニコの泣き顔はとっても可愛いだろうから、早く見たいとさえ思ってた。
僕は人間にとって害悪な存在だ。ニコのことを好きだと思いながらも、徹底的に穢すことしか頭になかった。早く僕を嫌がって、その無垢な心を憎しみに染め上げてしまえばいいと考えていた。
「だけどさ。転んで大泣きするニコを見たら、そんな考えはあっという間に吹っ飛んだ。すっごく胸が痛くなったんだ! ニコの泣き顔なんて見たくない。この子にはいつも笑ってほしいと思った」
僕の目的はニコを堕落させることじゃなくて、幸せにすることに変わった。おっちょこちょいの女の子が涙を流さずに済むのなら、いくら世話を焼いたって構わない。穏やかな生活の中で、僕は少しずつ善性を知っていった。
ニコは、僕を嫌いだと言うことは一度もなかった。どこへ行くにも一緒に連れて行ってくれたし、いつも大好きだと言ってくれた。そして君の爺さんも、我儘な獣人をもうひとりの孫として可愛がってくれた。
僕の家族はこのふたり。
爺さんとニコと過ごすうち、僕の居場所はここなんだって心から思えるようになった。僕はニコに仕えるトナカイとして、獣人の力を振るおうと決めたんだ。
「君と過ごした日々は宝物。その中でも、とっても嬉しかった思い出があるんだ。僕がコケモモを摘みに森に入ったら、大雨に見舞われて家に帰れなかった日があったね」
暗い森の中。
ざあざあと降る雨を見つめながら考えていた。
僕は村の奴らからひどく嫌われている。嫉妬深くて面倒な獣人がいなくなって、あのふたりは内心喜んでいるんじゃないかって。もしかしたら、このまま帰ってこなければいいと考えてるんじゃないかって……。
ニコに必要としてもらえない。
それは僕にとって凄まじく怖ろしいことで、想像しただけで涙が出た。
不安が込み上げてきて止まらなかった。ひとり木陰で泣いていた時、草むらを掻き分ける音がした。大雨が降っている夜の森なんて危険そのものなのに、ニコは爺さんと共に僕を探しに来てくれた。
――レイン、一緒に帰ろう。そんなところにいたら寒いよ。
雨に濡れた君の体は冷え切っていて、手足は野ばらの蔓でずたずたに傷付いていた。寒くて痛くて仕方ないだろうに、君は僕を見てほっとした顔で笑ったんだ。
胸が詰まる気がした。
どうして危険を冒してまで迎えに来たんだ、僕なんか放っておけばいいじゃないか。そうしたらもう周りから何も言われないだろって癇癪を起こした僕の手を、ニコは力強く握ってくれた。
――村の人から何を言われても気にしないわ。だって、私はレインがいなければ生きていけないもの。絶対に絶対に放さない!
「……全身が震えるほど嬉しかった。愛する女の子に必要としてもらえるのは、これほど幸せなことなのかと思った。その時からだ。その時、君に対する愛が重く深く、自分でも扱いきれないほど大きなものに変わっていくのを感じた」
寒いからと焚き火の傍に連れて行ってくれた優しさが好きだ。自分をぬいぐるみみたいだと笑う可愛らしい顔が好きだ。
周囲に何を言われても、決して自分を手離さなかったところが好きだ。
「ニコに愛されたい。一方的な欲望をぶつけるんじゃなくて、ニコからも僕に愛情を向けてほしい。君と恋人になりたい。仲睦まじい夫婦になりたい。お互いを必要としあう番になりたい。それ以来、僕はニコの愛を強烈に乞い願う獣になった」
僕は、ニコと根本的に世界の見え方が違う。
例えば君は、分光石をとても綺麗だと言ったね。でも僕は、石を見ても別に綺麗だとは思えない。君がその手に持ってはじめて、分光石が七色に煌めいて見えるんだ。
獣人は本来、雪の白と夜闇の黒しか認識できない生き物だ。魔女にそう造られた僕たちは、世界の色を正しく見ることができない。だから、僕の世界はずっと色褪せていた。
濃淡しか把握できない黒白の世界の中、ニコだけが色鮮やかに輝いていたんだ。
ニコは、僕に世界の美しさを教えてくれた。
太陽も、宝石も、何もかも。ニコルという少女を介して初めて色が付く。
恋の赤、楽しみのオレンジ、安らぎの青に優しさの緑。僕は善良な人間の女の子と暮らすことであらゆる感情を知り、そして、その感情を伝って色彩を認識することができた。
君だけだ、僕に色を見せてくれるのは。他の誰かじゃ駄目なんだ。ニコが傍にいてくれなければ、僕の世界はまた白と黒だけになってしまう。
君を愛するほどに世界は彩られる。
それならば、ニコに愛されたらどんなに美しくなるのだろうか。
愛されたい。
君のことをもっと知りたい。
共に支え合いながら暮らしたい。
愛してほしい。愛してほしい。愛してほしい……。
「好きなんだよ、狂ってしまいそうなほどニコのことが好き。君は僕のすべてだ。ニコに愛してもらえるのなら、何を捧げたって構わない。ずっとそう思い続けていたんだ!」
黄と青の双眼が妖しく煌めく。強烈な視線を向けられ息を呑むニコルを見下ろし、レインは彼女の唇にキスをした。
「子供の頃、いくら間抜けでもさ。普通は成長するにつれて少しずつ良くなっていくものだろ? でも、ニコはいつまでも変わらない。外を歩けば木から雪が落ちてくるし、何かしようとしてもことごとく失敗してしまう。それは、僕のせいなんだよ。僕が君の傍にいるせいなんだ」
「えっ? どういうこと?」
「獣人は聖人と決して相容れない。僕のような存在は、近くにいるだけで人間を呪ってしまう。君が『ドジのニコル』なのは、僕と暮らしているからさ。必要な時に限って街に分光石が置いていなかったのも、きっと呪いに引き摺られたせいだよ」
虹色に輝く石に目を遣り、レインは陰鬱な溜息を吐いた。
「君のせいで僕が悪く言われるだって? 逆だよ、逆。僕の傍にいるから、ニコがいつまでも悪く言われてしまうんだ。村の奴らが言うことは正しい。いくらトナカイの真似事をしようが、獣人は『悪しき魔女の使い』に変わりないんだから」
「…………」
「僕といたら、これからもニコは苦労をするよ。僕だって随分悩んだ、ニコのことを本当に想うのなら手放してあげるべきなんだって! でも、嫌だ。君のことが大好きだから、これからもずっと一緒にいたいんだ」
レインの喉から哀しそうな鳴き声が漏れる。彼の折れた枝角を撫で、ニコルは穏やかに笑った。
「もちろんよ。一緒にいましょう」
「いいの? まあ……駄目だって言われても、君から離れるつもりはこれっぽっちもないんだけど」
「ふふっ、レインならそう言うと思った」
ニコルは分光石を掴み、そっと両手で持ち上げた。こぶし二つ分くらいの大きさの石は、僅かな明かりを貪欲に拾い、オーロラのような輝きを表面に踊らせている。
「見て、レイン。街では絶対に買えない大きさよ。この立派で綺麗な石は、あなたが鉱山まで連れて行ってくれたから手に入れることができたの。獣人さんの呪いは祝福かもしれないわね。こんな素晴らしい分光石を届けたら、子供は大喜びしてくれるわよ!」
「……ニコ」
「途中でどんなことがあっても、レインがいれば最後は絶対に上手くいく。レインとなら、どこまでも行ける気がする。だから、私をずっと放さないで。愛してるわ、レイン」
高めの声で紡がれる言葉がレインの胸を打つ。ふたりはどちらからともなくキスを交わし、微笑みあった。
唇を合わせるだけの拙いキスは、やがて深く、濃厚なものへと変わっていく。レインに唇を舐め回されたニコルは、お返しとばかりに彼をぎゅうと抱き締めた。
「私を食べて、レイン。不安にならないくらいして」
「だっ、だめだよ、ニコ。いったん僕から離れて」
「何で? 私、あなたの角を飲ませてもらったからすっかり元気よ」
「もう……ずっと好きだった女の子を初めて抱くんだよ? せっかく君とするならこんなテントの中じゃなくて、暖かい僕たちの家がいい!」
レインは今すぐニコルを抱いてしまいたいという欲望を必死に抑えつけ、真っ赤な顔で懇願した。
「あのさ、ニコ。僕もプレゼントが欲しいな。この仕事を終わらせたら、頑張ったご褒美が欲しいんだ」
少女の白い手を取り、レインはその甲に鼻先をくっつけた。
「可愛い僕のサンタクロース。ユッカ村に帰ったら、君をくれるかい?」
「ふふ……いいよ。何でもお願い事を聞いてあげるって言ったからね」
まるで王子のような男の振る舞いに、ニコルは幸せの笑みを溢した。彼女の了承を得たレインの顔がぱっと輝く。彼はとても嬉しそうに目を細め「それなら何としても贈り物を届けなくちゃね」と言った。
「ニコ、僕たちだってサンタクロースの仕事を立派にこなすことができるんだって村の奴らに教えてやろう。陽が昇ったらすぐに出発するよ!」
やる気に満ち溢れたレインはニコルに毛布を被せ、明日に備えてすぐ寝るようにと囁いた。
その夜、ふたりはぴったりとくっつき合いながら眠った。男の背に腕を回し、あるいは少女を腕の中に抱き。お互いの胸に強い幸福を感じながら、ニコルとレインは夜明けを待った。
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