空の歌(スカイ・ソング)

碧桜 詞帆

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二章 遠い日の憧憬

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 遥か昔、神話時代と呼ばれたグリームランド創世期。
 飢え渇いた、滅亡寸前の人類の許に天より二人の神が降臨した。
 一人目は魔神クロノア。人間の心の闇を糧とする、無情の半獣神だ。これを機に魔界を繁栄させようと企んだ彼は、人類に人智を超えた力を与えてやると囁いた。
 人類最大の過失は、その真意を理解していなかったことだろう。クロノアはイリシスのように無償で恩恵を与えるわけではない。だが無償だろうと等価交換だろうと、人類はその力を受け取らざるを得なかった。イリシスの与えた太陽の光はあらゆるものを枯渇させてしまったのだ。神の加護は元より人類には過ぎたものだったのだ。止むなく人類はクロノアと契約を結び、悪魔の力を受け取ってしまった。
 そしてその代償に、人類はイリシスからの最たる恩寵である太陽を奪われた。闇の力を帯びてしまった人類に光の加護は届かない。全てを悟った時にはもう全てが手遅れだった。皮肉にも人類はその超人的な力を以って過酷な環境に抗い、闇の時間をひたすら耐え続けることを強いられた。
 しかし、そこでもう一人の神が現れる。
 それが光神イリシス。生きとし生ける全てのものを抱擁する、慈愛の女神である。イリシスは悪魔の誘いに乗ってしまった愚かな人類を救い出すべく、加護を与えてくれた。彼女の加護によって、人々は死の淵から安穏の生活を送るまでに回復し繁栄した。
 その加護こそが、悪魔の力に妨害されることなく再び光源を生み出す手立ての授与。
 すなわち――〝太陽創生魔法〟。
 光神の加護を強く受けた少女を依り代に、有限の太陽を生み出す聖術。悪魔の齎した力を浄化し聖なる力に変換することで〝太陽〟は生まれる。
 それを発動できる者は一回の太陽交代期において世界でたった一人――〝太陽の神子〟だけだ。
 まるで太陽のような金色の髪をもってこの世に生を受けたその候補者達の中から〝太陽創生魔法〟を授受する資格を持つ真の〝太陽の神子〟が選定される。
 太陽神殿は光神が降臨しやすいよう、魔法力の影響を極力遮断し神聖な空間を守るために造られたものだ。出入りを許されているのは聖職者の中でも最高位の指折りのみ。
 光神が降臨する太陽神殿の最上階――天に向かって伸びる巨大な柱の、その遥か上空には球型の城がそびえている。その建物こそが〝黄昏塔こうこんとう〟である。
 ユリエナを乗せた装甲車の集団は現在そこを目指して走行中だ。
「あと三十分程で到着致します」
「わかりました」
 ユリエナが乗っているのは貨客兼用の汎用性が高い装甲中型自動車である。兵士達がよく遠方訓練に行く際に寝床とする車だ。それを囲むようにして装甲小型戦車が前後左右で走行し、守備を固めている。
 中型自動車の内部でも比較的広く、主に仮眠室として利用されている空間に案内されたユリエナはそこで一人大人しく目的地に着くのを待っていた。数時間経過した後、親衛隊隊長が進行状況を知らせに来てくれた。
「それでは失礼します。何かあればすぐにお呼び下さい」
 恭しく一礼し退室しようとする隊長。その背中にユリエナは勇気を出して声をかけた。
「……あ、あの」
「何でしょう?」
「向こうに着いたらその……私を『姫』と呼ぶことを控えていただけませんか?」
「何故、でしょうか?」
 そこに反対意思はないがフォルセス王国第一王女という地位を隠してどうするのか意図が分からずに隊長が問う。当然と言えば当然の反応だ。
 だが理由を求められて少し戸惑う。
「……皆、〝太陽の神子〟候補者という立場に変わりありませんから」
 的確な言葉が見つからなかったが、汲み取ってほしいと拙いながらも答える。
「はあ、分かりました。隊士達にもそのように伝えておきます」
「お願いします」
 腑に落ちないと言いたげな態度ながらもユリエナの意思を尊重してくれる。その点においては感謝だが、理解してもらえなかったことからくる残念な気持ちが強い。
 彼は一礼し今度こそ退室していった。
「………………」
 呼気と共に肩の力が抜けた。『姫』と呼ぶ者達は必ず王族や父上を意識下に置いてユリエナを見る。それが伝わるからこそ、父上や家族、引いては王族の誇り高き歴史に恥じない振る舞いをしなければならないと思う。それを息苦しいと感じることもあるが、父上の娘であることを嫌だと思ったことは一度もない。父に対する底なしの尊敬と感謝があるからこそ、第一王女としての務めを精一杯果たそうと思えるからだ。
 ふと、見送ってくれた城下街の人々を思い出す。友達の友達は自分にとっても友達だとか、息子の友達は息子も同然だとか、そういった認識が城下街にはある。『街の子供はみんな可愛い孫じゃよ』と語ってくれた老人もいた。その孫の中に自分も入っていることがたまらなく嬉しかったことをユリエナは今でも覚えている。
 あの街で過ごした時間を思い返す程に、心が和んでいく。
 それから、城下街の思い出には欠かせない五人の親友達のことも。
 ――ジンレイ、今どうしてるかな。
 せっかく会えたのに、傷口を開くようなことを言って彼を困らせてしまった。思慮に欠けた発言であったことは重々承知していたが、もう帰って来られないかもしれないと思うと訊かずにはいられなかったのだ。
 『どうだろ。まだ、決めてない』。絞り出すように答えてくれた一言一言がまだ頭の中で響いている。出来れば考えたくもなかっただろう。それを強制してしまったことが心苦しい。
 それでも彼は自分のことを気にかけてくれた。心配をかけたくないから挨拶へ行ったのに、これでは本末転倒だ。……なのに、そんな彼らしい言葉に癒されている自分がいるのも確かで。
 ジンレイはいつも、本当に望むものを与えてくれる。それも大半が無意識らしく、お礼を言うと首を傾げられたことも少なくない。それが彼の生まれ持った優しさなのだろう。
 ――アズミとキルヤも何してるんだろ。リンファ、元気だといいな。
 今日は臨時休暇をもらえたらしいのに書庫で勉強すると言っていたアズミ。
 実力は相当なものなのに不満の一つも言わずに助手として今日も健気に働いていたキルヤ。
 いくら話しても話し足りない。それはやはり普段会っていないからか。気が付けば学修院を卒業してから六人で集まったこともなく七年が過ぎた。
 ――しょうがないよね。……みんな忙しいもん。
 友達で、幼馴染みで、大切な親友であることに変わりはない。しかし六人が揃うことにはまた少し違う特別な、何かが完成するような満たされた感覚がある。学修院時代はその幸せな時間に包まれていた。今でもそれを思い出して懐かしく思ってしまう自分は、未練がましい人間なのだろうか。
 みんな大人になっていく。いつまでも子供ではいられない。
 変わらずにはいられない。
 喉の奥に苦い痛みが込み上げて、ユリエナはぎゅっと口を結んだ。
 その時、ドアを叩く音がした。
「……は、はい。どうぞ」
「入るぞ」
 敬語も一礼もなく入って来たのは、最後の幼馴染み。リンファと同じく年長の青年。
「ワモル!」
「こんなに長時間乗るのも初めてだろ。気分はどうだ?」
「大丈夫だよ。私乗り物強いみたい」
 実はそれほど長い時間乗っているという感覚はない。最近ふと考え込んでしまうことが多く、気が付いたら時間が経っている。
「ありがとう、ワモル」
「何がだ?」
「ううん。何でも」
 心配して様子を見に来てくれたこと。親衛隊の一員である彼が待機場所を離れることはあまり許される行為ではない。ただでさえ彼は親衛隊に入隊したばかりで、周囲の目は冷たいものがある。それなのに顔を見せに来てくれたことを、ユリエナは嬉しく思った。
 ――ワモルだって色々大変なのに、それを全然見せないで……。
「外見てみろ」
「外?」
「黄昏塔が見える」
 言われた通り、近くの小窓からその向こうの様子を窺う。貨物の収納や就寝を目的とした構造のため、設けられている窓は小さく開閉も出来ないが、そこから見える僅かな景色の中にもその塔はしっかりと入り込んでいた。
 高空を縦に二分する、終わりと始まり――闇夜と黎明の象徴である黄昏塔。
 由来の『黄昏たそがれ時』とは、世界に光と闇が同時に存在する幽玄の時間を指す。〝太陽の儀式〟が成功すると、天に最も近い塔から漏れる眩い光が闇夜に覆われた世界を照らすそうだ。闇夜も消し去る大きな光明を見た先人が、敬意と祈願を込めて名付けたという。
「あそこで〝太陽の儀式〟が行われるんだね……」
「…………」
 外を見上げながら呟くユリエナの表情はドアの近くにいるワモルからでは分からない。僅かな沈黙が生まれた。元々口数の少ないワモルの場合、無言でいても特に不自然ではないが。ユリエナも特に気にした様子もなく話を続けた。
「ね、そういえば、あそこへはどうやって行けばいいの?」
 指をほぼ垂直に上へ向けて指す『あそこ』とは塔の最上階のことだ。
「最上階に繋がってるのは階段しかないな」
「ええー! じゃあ自分の足であそこまで上るの?」
「そういうことになるな」
「ほぇー……。転送魔法とかケトルに乗っていけたらきっとすぐなのにね」
「あそこでの魔法使用はご法度だぞ」
「えへへ。でもね、ケトルの背中ってふわふわで気持ちいいんだよ」
 なくなるくらい目を細めて笑うユリエナ。やっといつもの調子が戻ってきたようだ。
「また乗りたいな。それでみんなと街を一周したり、遠くへ出掛けたり……」
 しかし、その笑顔もすぐに陰ってしまう。誕生時から背負ってきた宿命にどのような形であれやっと終わりが訪れるのだ。普段の調子でいろという方が無理だろう。
 特に、ユリエナに限っては。
「…………。今度行けばいい」
「……そだね。今度、行こうね」
 ユリエナはまた外を眺める。いや、その瞳に映っているのは景色ではなく思い出や切望なのかもしれない。再び沈黙が生まれたが、今度は第三者が入って来ることで破られた。
「失礼いたします。姫様」
 隊士の一人だった。深々と一礼する。
「何ですか?」
「隊長から、間もなく到着致しますので降車の準備をお願い致します、とのことです」
「わかりました」
「じゃあ、俺戻るな」
 なけなしの荷物一つであるユリエナより、降りる準備をしなくてはならないのはむしろ隊士達の方だ。ワモルも待機場所へ戻った方がいいだろう。
「うん。また後でね」
 ワモルは片手を挙げて応え、知らせにきた隊士よりも先に退室する。
「おい」
 すると、追うように出てきた隊士がワモルの背に声をかけた。何もなければそのまま待機場所へ戻るつもりだったが、引き留められれば無視するわけにもいかない。
「あまり勝手な行動を取るな。隊則に触れても知らんぞ」
 元々国王陛下より単独行動許可が与えられているので今回に関しては咎められる理由などないのだが、反論してこんなところで不毛な諍いを起こしても仕方がない。
「以後気を付ける」
「ふん。幼馴染みだか知らないが、特別だと思うなよ」
 素直に認めたのが逆につまらないようで、男は鼻をならして横を通り過ぎていった。
 幼少の頃から武人として育てられてきたワモルは、武人社会における陰湿ないじめや暴力混じりの指導など慣れたものだ。嫌みを言われた程度では気にもとまらない。しかし今回に限っては投げられた言葉に対してぽつりと言い返した。
 特別扱いされるやつの身にもなってやれよ、と。
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