上 下
1 / 3

1話

しおりを挟む
 君に愛されたくて苦しかった。目が合うとそっぽを向かれて辛かった。
 俺を愛していないなら、愛することが出来ないなら、なぜ俺と生涯を共にすることを誓った?

 きっとどうしようもなかった。

 彼の愛する人を守るためには、俺と結婚するしかなかったんだ。

 その代償が今ここに。
 俺は彼に愛されることは一生ないのに、俺は彼に愛されたくて仕方ないのだ。
 きっとこれは神様が俺に与えた試練。

 試練の中、俺は頑張った。

 少しでも彼に見てもらいたくて、苦手な料理を頑張った。掃除もした。最初は目も当てられないほどの出来だったと思う。それでも彼に褒められたくて、「美味しい」の一言が欲しくて。

 でも彼は1度も言ってはくれなかった。

 どうしても言って欲しくて、「美味しい?」と彼に聞いたことがあった。俺はその瞬間の彼の顔を忘れない。

 今まで見たこともないような顔。冷たい目をして俺を見ていたのだ。眉間にシワがよっていて、彼が不機嫌なのは嫌でも分かった。それ以来、ご飯を一緒に食べても会話をしなくなった。
 そしてその出来事は、忘れたくても忘れられない思い出になった。

 彼と俺に会話らしい会話なんてものは存在しない。「おはよう」も「おやすみ」も「おかえり」も。俺が一方的に彼に言っているだけ。彼から返事が帰ってきたことは1度もない。
 そう、俺は愛する人から「おはよう」すら言って貰えないのだ。




 ねぇ神様。俺さぁ、今まで頑張ったよね?「彼に愛されたい」その一心でよく頑張ったよ。でもさ、でも、もう終わりでいいと思うんだ。

 3日前に街で見かけた彼。俺はスーパーの帰り道だった。彼に作る料理のために買い出しに行っていた。

 彼の隣には、彼の最愛の人と思われる華奢で可愛い女性。ゆるく巻かれたロングヘアがよく似合っていたのを覚えている。
 彼と彼女は笑っていた。腕を組みながら、楽しそうに。

 その時わかってしまった。

 ー俺じゃ彼の笑顔は見れないんだ。

 笑顔だけじゃない。彼から楽しそうな声も、嬉しそうな声も、愛おしそうに名前を呼ぶ声すらも聞くことは出来ないんだ。

 だから俺は限界なのだ。

 この3日間いつも以上に頑張った。料理も彼の好きな物しか出さなかった。掃除をしていく中で、少しずつ自分の私物を減らしていった。彼はきっと気づいてはいないけど。

 俺は、彼のことが好きで好きで、好きで仕方ないのだ。好きすぎて辛いのだ。だからこそ彼から離れなきゃいけない。
 彼のことをこれ以上好きになる前に、彼から離れられなくなる前に彼の元から去ることにした。

 彼が俺と結婚したのは、彼の家の会社が俺の父親の子会社だったからだ。会社のパーティーに来ていた彼に、俺が一目惚れしたのを父親にバレたのだ。そっからトントン拍子に結婚の話は進んで行った。

 〝息子と結婚したら援助をしよう〟

その一言で。

その一言で結婚が決まってしまった。彼に申し訳がなかった。彼には好きな人がいて、その人と付き合っているのに。俺が彼をお金で奪ってしまったんだ。

だから3日前から、離婚してここを出ていこうと思っていた。

心配しなくても、俺と彼が離婚しても彼の家には援助する。今までと一緒。

ただ俺がいないだけ。

きっと彼は喜ぶだろう。家を今まで通り援助して貰える上に、最愛のあの女性と結婚できるのだから。


今までありがとう。彼のそばにいれたことが俺にとっての幸せだ。心からそう思う。


出ていく準備をした俺と彼の家に、俺の私物はもうない。

俺はそっと指に手を当てた。冷たく硬いものを指から外す。彼がつけているとこを見たことはない、お揃いの結婚指輪を離婚届と共にテーブルに置いた。
〝離婚届〟の文字の横に指輪が、置いてあるのがなんとも心苦しい。



「俺も彼女みたいに、彼に愛されたかったなぁ。」



ガランとした部屋を見渡しながら出た言葉は、紛れもなく俺の願いだった。

ただ1つの。ただひとつの俺の願い。
彼には届かない。届いても叶うことはないこの願いは、ガランとした部屋に響いた。

ーさよなら、俺の愛する人。

今までありがとう。そして今までごめんなさい。

彼と一緒に入れた半年間。夜を共にすることは1度もなかったけど、彼と食べるご飯は会話がなくても美味しかった。

「おはよう」も「おやすみ」も「おかえり」も。俺が一方的に彼に言っているだけ。彼から返事が帰ってきたことは1度もない。
でも、それでも、彼に話しかけれるその時間が、俺にとっての唯一の幸せな時間だったんだ。


スゥっと息を吸う。彼との時間。そして息を吐く。彼との思い出。

俺はここに置いていく。

自分の荷物をまとめたバッグとキャリーケースはパンパンだ。きっと疲れるだろうな。
俺は履きなれた靴を履いて外に出た。
鍵を持つ手は震えていて頼りない。

「…」

言葉は出ない。ただ震えるだけのこの時間が永遠に感じる。一息ついて、手を回す。ガチャンと音になった扉は、もう一度回さないと開くことは無い。
そして俺も、閉じた扉の向こうを見ることはもうないだろう。





しおりを挟む
感想 8

あなたにおすすめの小説

諦めようとした話。

みつば
BL
もう限界だった。僕がどうしても君に与えられない幸せに目を背けているのは。 どうか幸せになって 溺愛攻め(微執着)×ネガティブ受け(めんどくさい)

そばにいてほしい。

15
BL
僕の恋人には、幼馴染がいる。 そんな幼馴染が彼はよっぽど大切らしい。 ──だけど、今日だけは僕のそばにいて欲しかった。 幼馴染を優先する攻め×口に出せない受け 安心してください、ハピエンです。

嘘つきの婚約破棄計画

はなげ
BL
好きな人がいるのに受との婚約を命じられた攻(騎士)×攻めにずっと片思いしている受(悪息) 攻が好きな人と結婚できるように婚約破棄しようと奮闘する受の話です。

俺の彼氏は俺の親友の事が好きらしい

15
BL
「だから、もういいよ」 俺とお前の約束。

白い部屋で愛を囁いて

氷魚彰人
BL
幼馴染でありお腹の子の父親であるαの雪路に「赤ちゃんができた」と告げるが、不機嫌に「誰の子だ」と問われ、ショックのあまりもう一人の幼馴染の名前を出し嘘を吐いた葵だったが……。 シリアスな内容です。Hはないのでお求めの方、すみません。 ※某BL小説投稿サイトのオメガバースコンテストにて入賞した作品です。

別に、好きじゃなかった。

15
BL
好きな人が出来た。 そう先程まで恋人だった男に告げられる。 でも、でもさ。 notハピエン 短い話です。 ※pixiv様から転載してます。

別れの夜に

大島Q太
BL
不義理な恋人を待つことに疲れた青年が、その恋人との別れを決意する。しかし、その別れは思わぬ方向へ。

捨てられオメガの幸せは

ホロロン
BL
家族に愛されていると思っていたが実はそうではない事実を知ってもなお家族と仲良くしたいがためにずっと好きだった人と喧嘩別れしてしまった。 幸せになれると思ったのに…番になる前に捨てられて行き場をなくした時に会ったのは、あの大好きな彼だった。

処理中です...