農業女子はじめました

夏木

文字の大きさ
上 下
12 / 30

第12話 弱ったときにはお酒しかない

しおりを挟む
 匠が予約をし、待ち合わせは夜の七時。美奈子はその時間に合わせて、居酒屋までやってきた。お酒を飲むことを前提としているので、晴美に居酒屋まで送ってもらった。
 白を基調とした居酒屋の扉を開けると、「いらっしゃいませーっ!」と元気な声が上がった。


「お一人ですか?」


 黒のポロシャツを着て、腰に赤いエプロンを着けた女性店員に問われる。


「いえ、予約をしていると思うんですけど……」

「ああ! 山崎くんの! ってことはもしかして美奈子?」

「え、そうですけど……?」

「やっぱりー! あれ、もしかして気付いてない感じ?」


 店員は美奈子のことを知っているような様子だったが、美奈子は店員のことはわからず、首をかしげる。


「やだなぁ、私だよ。恵梨香《えりか》だよ。佐藤さとう恵梨香えりか! ずっと一緒だったじゃん!」

「恵梨香……恵梨香っ! え!? 変わったね!」


 少し過去の記憶を遡り、佐藤恵梨香という名前を思いだした。恵梨香は小学校、中学校と同じ学校へ通っていた同級生であった。当時と同じく明るい性格で長く黒い髪と、右目の下にある泣きぼくろが特徴の恵梨香は、美奈子を見ながらニヤニヤとしている。


「美奈子も変わったね! 都会で働いてたんじゃなかった? こう……どこか雰囲気が大人って感じがする!」

「同い年でしょ。そりゃ私も大人だよ、おばさんに突入しそうだし。それよりいいの? お客さんが後ろにいるけど……」


 ぞろぞろと後ろからお客さんがやってきていた。店の入口で立ち止まっているため、後ろがつかえている。


「あ、やばっ。とりあえず案内するねー! こっち、こっち!」


 美奈子は店の奥へと案内される。入口付近の席とは違い、奥は扉付きの個室になっていた。
 一番奥の個室へ入り、奥の席に座る。


「ちょっとお客さんを案内したらまた来るね! 待ってて!」

「うん、わかった」


 恵梨香はすぐに後から来た客の案内へと向かった。
 暇な美奈子は、メニュー表を手に取りページをめくる。
 どれもこれも美味しそうなメニューで、目移りしてしまう。アルコールの種類も豊富にあり、何を飲もうかと悩むことが楽しくなっていた。


「お待たせ~」


 数分後に恵梨香は戻ってきて、美奈子の向かいの席に座った。


「いいの? 仕事は?」


 店員である恵梨香がここでサボっているのは問題ではないかと聞くが、恵梨香はずっとニコニコとしている。


「それな大丈夫なんだなー。ここね、うちのお店なの」

「うちの? って、ええ!?」

「正確に言えば、旦那のお店?」

「結婚したの?」

「そうだよー。佐藤は旧姓で、今は……」


 苗字を言おうとしたとき、個室の扉が開かれた。


「おい、仕事サボってんじゃねぇぞ?」


 入口に立っているのは恵梨香と同じポロシャツとエプロンを身につけた男性。呆れたような顔で恵梨香を見ている。そんな恵梨香は「見つかっちゃった」と言わんばかりの顔をしていた。


「し・ご・と」

「はーい! あ、これが私の旦那さん。早川はやかわ涼太りょうた!」

「旦那のことをこれとか言うな」


 恵梨香は立ち上がり、早川の腕を組む。美奈子は早川の名前に聞き覚えがあった。だが、どんな人だったのかということまではハッキリとは思い出せない。


「あ、覚えてない? サッカー部で問題児だった人。中学校のとき一緒のクラスだったよ? 成人式で再会してから、ポンポンと結婚しちゃったの。で、お店開いたの」

「ああー! 思いだした!」


 学校をよくサボっていた人かと思いだした。もっと不良のようにとがっていた早川が、今ではお店を開いており、ずいぶん大人になったんだなと感じた。


「仕事するぞ。注文入ってるから」

「はいはーい。じゃ、後でご飯でも行こうね、美奈子! 注文はそのタブレットでお願いね」

「うん」


 バイバイと手を振りながら二人は仕事へ戻っていった。
 昔の旧友が成長している。それに対して、自分は成長出来ているのだろうか。大人になって何か変わっただろうか。そう考えてみると図体だけが大きくなり、中身は何も変わっていないと思えてしまった。


「はぁぁ……」


 大きなため息がこぼれる。
 ただ都会への憧れだけで働いた。夢もなく、働いて得られたものは労働に見合っていない賃金しかない。ダラダラと嫌いな仕事をするために生きているだけだった。

 恵梨香には「変わった」と言われたが、それは歳を取ったことによる見た目の変化だけだろう。精神的には何も変わることが出来ていない。そのため周りに置いて行かれてような感じがして、ため息がこぼれたのだ。


「なんか頼も……」


 まだ匠は来ない。
 一人で考えているとどんどんネガティブな思考になってしまう。嫌な思考を変えるためにはお酒しかないと注文した。



「遅くなったな……」


 予約をしていた時間から一時間が過ぎてしまった中、自分の車を急ぎながら走らせた。


「いらっしゃいませー……って、山崎くん! すごく遅いよー!」


 匠は店に入るなり恵梨香に言われて、苦笑いをした。


「道が混んでいたんだ。連絡はしておいたんだけど……」

「大変なのも知ってるけどさー。すっかり待ちくたびれて、美奈子、出来上がってるよ?」


 一時間の遅れは大遅刻である。連絡しといたとはいえ、その後返事は来ていない。連絡自体を見ていない可能性が大きい。
 恵梨香の案内で、店の奥の個室へ向かうとテーブルの上には空になった五つのジョッキ。そして頭皮まで真っ赤にした美奈子がテーブルに伏せていた。


「ごゆっくりー」


 恵梨香は手を振りながらそそくさとその場を離れた。
 匠は小さく「はぁ」と息を吐いてから、美奈子の肩を揺らす。


「おい、起きろ」


 何度か声をかけつつ肩を揺らすと、ゆっくりと美奈子が顔を上げる。


「あ~。たっくんだ~」


 すっかり酔っている美奈子の顔は真っ赤に染まっている。酔っているおかけで、昔の呼び名で呼ばれた。


「ああ、そうだ。遅れて悪かったな」

「ほんとらよ~。待ってたんだからぁ」

「悪かったな」


 匠は美奈子の向かいにやっと腰を下ろす。


「お酒美味しいの~。たっくんもどう?」

「いや、俺は車で来たから。それに元々飲まない……飲めないからな。とりあえず、腹減ってるから何か食べたい」

「私も食べるのら~」

「そうだな。適当に頼んでいいか?」

「いいよ~」


 匠はタブレットで注文を入れていく。
 注文後、わずかな時間で恵梨香が料理を持ってくる。持ってくる度に恵梨香は匠に「頑張れ」と背中を押していた。

 テーブルに並べられる料理は、サラダや唐揚げ刺身などバリエーション豊富。幼なじみであるので、美奈子の好き嫌いを知っている匠が、美奈子の好きなものを選んで頼んだものだった。
 既に酔っている美奈子の分まで、匠が小皿に取り分ける。ずっとお酒しか飲んでいなかった美奈子は、それを受け取り真っ赤な顔で頬張る。


「おいひぃー!」

「そうだな。どれも美味しい」


 真っ赤な顔で美味しそうに食べる美奈子。反対に匠の表情からは、何も読み取ることができない。


「そんなに、ここに来たかったのか?」

「そうだよー。知らない間にオープンしてたから、来たかったの」

「ここが出来たのは最近だからな」

「来たらビックリしたぁ。恵梨香が結婚して、早川くんと一緒に切り盛りしてるんだもん。大人になったよねぇ」

「そうだな」

「それに比べてさぁ……あたしは何も出来てないんだよ。なーんにも夢も目標もないまま、こんな歳になってさぁ。きっとあたしはこのまま独りで死んでいくんだー」


 酔っているせいで美奈子の口から、ボロボロと本音が出る。


「親から結婚とか期待されてもさぁ、なぁーんにもないんだよ。あたしはこのまま生きていても、成長もできない」


 美奈子の話を匠は食べながら黙って聞いている。


「みぃーんな、大人になっているのに、あたしだけ子供のままなんだ。ずーっと親の言うことを聞いて。農業をやってるけど、作業の役に立たないし。あたしがいても意味がないんだ」


 美奈子は箸を置き、テーブルに伏せた。


「初めて農業やる人が、すごい役に立つ人なわけないだろ。俺はお前が随分大人になって、綺麗になったと思うけどな……」


 匠は自分の発言が恥ずかしくなり、顔が熱くなった。慌てて冷たい水をグイッと飲む。落ち着いたところで、美奈子にそれが気付かれていないか様子をうかがう。
 そしてその時に気がついた。


「……って寝てんのかよ」


 スゥスゥと寝息が聞こえたことで、美奈子が眠ってしまったことに気付く。真っ赤になったことは気付かれていない。安心したと同時に、呆れもあった。
 まだまだ注文した料理は残っている。頼んだものを残して帰るのは店に悪いと匠はそれを一人で全部食べた。その間、美奈子が起きることはなかった。


「はいはい、お会計ですねー」


 注文をするときに使うタブレットから、会計ボタンを押すと恵梨香がやって来る。
 酔い潰れて眠った美奈子をみて、恵梨香は「あちゃー」という顔をしている。


「タクシー呼ぶ?」

「いや、いらない。俺、飲んでないから送ってくよ」


 値段を確認し、恵梨香にお金を支払いながら話す匠の顔を見て、恵梨香はニヤッと笑みを浮かべた。


「なんだよ?」

「いやぁー……片思いし続けた美奈子が戻ってきて嬉しいんでしょー?」

「ばっ……! 何のことだし!」

「照れちゃってー。涼太から聞いてるんだよ? 中学のときから好きだったんでしょ? わざわざ高校もレベルを落として同じ所に通ったのに、告白できないままで。今日だってさ、それ、美奈子にプレゼントでしょー?」


 恵梨香は匠の席の隣に置いた紙袋を指さして言う。


「いちいちうるせぇなぁ……そのごちゃごちゃ言う旦那に黙っとけって言っとけよ?」


 匠はお酒を飲んでいないが、耳まで赤くなってしまった。それを隠すように恵梨香にさっさと仕事に行けと、出ていくように手で払う。
 恵梨香が去った後、眠る美奈子を家まで送るため、美奈子の肩をゆすりながら声をかける。


「帰るぞ」

「うーん……いやぁ……」

「嫌じゃねえよ。送ってくから」

「うー……」


 なかなか動こうとしない美奈子の腕を匠の肩へと回し、無理矢理立たせる。


「お、帰るんか? また来いよ!」


 そのままズルズルと引きずるように店の出口へ向かい、歩いているときに店主でもある同級生の早川に声をかけられた。


「お前、余計なことを言ってんじゃねえよ」

「さあて、何のことだか」

「お前が俺のことを知ってるように、俺もお前のこと知ってるんだからな。片思いしてた中学のときの先生に……」

「あーわかった、わかった。もう言わねえよ」

「ならいい」


 店を出ようと早川に背を向けたが、最後に一言背中を押される。


「たまには思い切って行動する方がいいぞ。これ、親友からのアドバイス」

「……頭の片隅に入れとくよ」


 早川とはずっと仲良くしていたため、匠は何でもよく話していた。そんな親友の言葉を受け取り、店を出た。


「頭ぶつけるなよ」

「ふぇぇい」


 匠の車の後部座席に座らせて美奈子の家まで走らせる。


「う……なんか吐きそう」

「ちょっ! 頼むから吐くなよ? あとちょっとだから!」

「気持ち悪い……」


 バックミラーで口元を抑える美奈子の様子を見ながら、急いで車を走らせた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜

きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員 Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。 そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。 初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。 甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。 第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。 ※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり) ※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り 初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。

ウブな政略妻は、ケダモノ御曹司の執愛に堕とされる

Adria
恋愛
旧題:紳士だと思っていた初恋の人は私への恋心を拗らせた執着系ドSなケダモノでした ある日、父から持ちかけられた政略結婚の相手は、学生時代からずっと好きだった初恋の人だった。 でも彼は来る縁談の全てを断っている。初恋を実らせたい私は副社長である彼の秘書として働くことを決めた。けれど、何の進展もない日々が過ぎていく。だが、ある日会社に忘れ物をして、それを取りに会社に戻ったことから私たちの関係は急速に変わっていった。 彼を知れば知るほどに、彼が私への恋心を拗らせていることを知って戸惑う反面嬉しさもあり、私への執着を隠さない彼のペースに翻弄されていく……。

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

わたしは花瓶。呪文のように言い聞かせる。

からした火南
現代文学
◇主体性の剥奪への渇望こそがマゾヒストの本質だとかね……そういう話だよ。 「サキのタトゥー、好き……」 「可愛いでしょ。お気に入りなんだ」  たわれるように舞う二匹のジャコウアゲハ。一目で魅了されてしまった。蝶の羽を描いている繊細なグラデーションに、いつも目を奪われる。 「ワタシもタトゥー入れたいな。サキと同じヤツ」 「やめときな。痛いよ」  そう言った後で、サキは何かに思い至って吹き出した。 「あんた、タトゥーより痛そうなの、いっぱい入れてんじゃん」  この気づかいのなさが好きだ。思わずつられて笑ってしまう。

処理中です...