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潜入

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 アレックスはトイレで手の油を落とすと、水をすくって顔を洗った。冷たい水をかぶれば目が覚めるかと思ってやったが、水は生ぬるかった。

 自分は一体どうすべきなのだろうか。アレックスは答えが出せなかった。トイレに駆け込む際、オーフェンは毛皮に興味を示していた。これは何を意味するのだろうか。フィオナをただの間抜けと思っていたが、それは違うのかもしれない。彼女の言うとおり、オーフェンが陰謀を企てているのか。それならさっさと逃げるべきだ。なんせ命にかかわる。
 しかし、本当にただ興味を示しているだけだったら? オーフェンが俺を支援しようとしているのを断ることになってしまう。それは絶対にダメだ。スターへの道が遠のいてしまう。

「どうすりゃあいいんだ……」

「簡単な話よ。陰謀の証拠を見つけて、私がスクープとして記事にするの」

 アレックスがつぶやくと、背後で何者かが返事をした。振り向くとフィオナがいた。

「おわわっわ、お前、何やってんだよ。ここは男トイレだぞ」

「やあねえ、これから世紀のスニーキング・ミッションをやろうってのに、そんな細かいこと気にしないでよ」

「世紀のスニーキング・ミッションってなんだよ」

「決まってるじゃない。驚くべきことに、この屋敷はオーフェンのものだった。そうとなればこの屋敷を秘密裏に捜索して、陰謀の証拠を探すの。狙い目としては……、そうね、先日の火事で話題になった『花』ね。これを見つければスクープになるわ。さあ、いきましょ」

 フィオナが手を引くと、アレックスはそれを振り払った。

「勝手に屋敷を探りまわって、もし何もなかったらどうする。ただのコソ泥じゃないか。そんなことになったらオーフェンが俺に支援をしてくれなくなる。俺は行かないからな」

「なによ、私一人で行けっての? 途中で見つかったらやられちゃうじゃない。あんたという用心棒が必要なの」

「オカルトのアホに付き合ってられるかよ」

 フィオナは大きくため息をついた。
「アレックス、あんたねえ、いつまで現実から逃げてるのよ。さっき『どうすりゃいいんだ』って難しい顔してたのは何なわけ? あなたも心のどこかで、オーフェンがこのタイミングで現れたのはおかしい、陰謀を企てている、って疑っているんじゃないの?」

「それは……」

「それじゃこうしましょ。私は陰謀の証拠を探す。あなたは私が盗みを働かないよう見張り、そのついでにオーフェンが潔白だという証拠を探す。私たちが見つかったら、あんたは私を捕まえて差し出してもいいし。お互い得るものがある、即席のチームを組みましょ」

「それならまあいいか」

 二人はトイレから出て、捜索を開始する。







 アレックスとフィオナは足音を殺して廊下を進む。この先分かれ道である。

「右異常なし。左はどうだ?」

 アレックスは壁に背中で張り付いて半身になり、廊下の先を覗き見る。先ほどのパーティー会場が見えた。二人がいないことを気にする様子はなく、参加者の男たちは飲み食いや談笑に興じている。スニーキング・ミッションを開始しても問題あるまい。

「左、誰もいません。私が先に行って様子を見てくるわね」

 フィオナは曲がり角から飛び出し、先へ進む。電気がついておらず暗いが、何者の気配もない。物陰に身を隠すと、後方のアレックスへ向かって『ノープロブレムよ、気を付けてこっちに来なさい』と、ハンドサインを送る。

 アレックスは再度パーティー会場の様子を見てから曲がり角を飛び出し、フィオナに合流した。

「なんだか少し楽しいな。スパイってのはこんな気分なんだな」

「なに馬鹿なこと言ってんのよ。遊びじゃないんだから真剣にやりなさいよ」

 フィオナはそう言って、さらに先の様子を探る。とても長い廊下には、赤地に金の刺繍がされたカーペットが敷き詰められている。この廊下はどこまで続いているのだろう。明かりがついていないこともあって、奥が見通せない。しかも左右にはいくつもドアがあり、ところどころに高価そうな壺だの胸像だの騎士が着る甲冑だのが飾ってある。どれも古代ギリシャのものだ。改めて、ここは金持ちの屋敷なのだと感じられる。

 これらの部屋のどれかに証拠があるのね。
 フィオナは息をのむ。ついに政治部へ転職する事ができる。しかし、どの部屋に陰謀の証拠があるのか見当もつかない。
 まさか、これを総当たりしなくちゃならないわけ? とてもじゃないけどそんな時間は――。

「アレックス、隠れて」

 何者かの気配を感じ取り、フィオナはアレックスを甲冑の陰に引っ張ろうとした。しかし筋肉の塊はびくともしない。首に手を回して全体重をかけても、アレックスはフィオナをぶら下げて平然としている。

 なんていう筋肉なのかしら。仕方ないわね。

 フィオナが股間に膝蹴りした。いくら体を鍛えたレスラーでも、これには耐えられぬ。アレックスはうめき声をあげてその場に沈む。それを引きずることで、アレックスはようやく胸像の陰に入った。

「オウ、シット。てめえ、なんてことをしやがる。宇宙最悪の反則だぞ」

「しー、静かに。奥を見て。見張りのついている部屋があるの。あの部屋が当たりに違いないわ」

 言われて、アレックスは胸像の陰から廊下の奥をのぞき込む。闇に目が慣れてくると、確かに男が部屋の前で仁王立ちしている。

「ねえ、あの見張り、何とかしてよ」

 フィオナは仁王立ちする男を指さした。

「何とかってなんだよ。具体的に言え」

「やっつけるに決まってるじゃない。殴るなり首を絞めるなり、方法は任せるわ。あんたプロレスラーなんだからそういうの得意でしょ」

「ふざけんなよ、プロレスをなんだと思ってるんだ。プロレスってのはなあ、見る人を楽しませるエンターテイメントだ。決して暴力じゃないんだぞ」

「むう、それもそうねえ。けど、そこを何とかやってもらえないかしら。今ここであいつをやっつけてくれたら私はすごく楽しい気持ちになるし」

「適当なこと言うなよ。俺はやらないからな。お前こそお得意のオカルトでどうにかすればいいだろ。黒魔術とかがいいと思うぞ。ホレやってみろ、アブラカタブラ~」

 ワハハと笑いながら、アレックスはドアを守る男に手を突き出した。しかし何も起こらない。

「ふざけてる場合じゃないでしょ、そんなことできるわけないじゃない。オカルトはやりたくもない仕事でやってるだけだって何度も言わせないでよ」

 フィオナがアレックスをにらみつけると、背後で足音が鳴った。

「おいお前たち、そこでコソコソと何をやっているんだ? ここらは立ち入り禁止だ」

 背後から声をかけられた。振り返るとドアの前に立ちふさがっていた男がいる。いつの間にか近づいてきていたようだ。言い合いに夢中になっていて気づかなかったのだ。

「トイレを探していたんです」

 フィオナが妙に明るい声を出し、ごまかそうとする。

「おかしいな。トイレはここと反対の場所だと、パーティー会場にしっかり明示してあるはずだ。お前らまさか盗みを――」

「あらやだ、そうだったかしら。でもこのお屋敷って大きいから、こっちの方にもトイレがあるかもしれないじゃない。そこの部屋なんてトイレっぽいし、ちょっと行ってみてもいいかしら」

 フィオナは男の言葉を遮った。疑いのまなざしを向けられていたが、お構いなしに男を押しのけドアノブに手をかける。

「やめろ」

 男は叫んでフィオナの胸ぐらをつかみ、額をぶつけんばかりにしてすごむ。

「お嬢ちゃん、あんたトイレだなんて言ってたが、物陰に隠れていたり、強引に部屋へ入ろうとしたり、行動が怪しいなあ。本当は何をしに来たんだ?」

「私はトイレに行きたいだけ。怪しく見えるのだって我慢の限界が近いからそう見えてるだけよ」

「ふうん、そうかい、それじゃあそっちの兄ちゃんは何をしに来たんだ? まさか連れションってわけじゃないだろう?」

 男はアレックスをにらみつけた。

「何をって、その……」

 アレックスは口ごもった。彼はフィオナと違って、トイレと言い張れるほど入れ込んでいなかった。しかし馬鹿正直に「陰謀の証拠探しです」なんて言えるわけもない。後ろめたさやバカらしさもあるが、よく考えると無断の家探しは犯罪行為だということに気づいた。ますます言えるわけない。

 思わず目をそらしたのだが、これがよくなかった。

「お前らはボスに突き出さなけりゃならんな。後ろを向いて壁に手を付け」

「いやいや、待てって。俺たちは別に怪しいものじゃない」

「コソコソ隠れて、しかも何をしに来たのか言えないくせにか? 無駄口聞いてないで言うとおりにしろ」

 男の疑念は深い。アレックスの腕をつかみ、捻ろうとする。

 アレックスは反射的に腕を振り払った。

「なんだてめえ、抵抗する気か。それなら容赦するなというのが命令だ」

 男の目つきが鋭さを増す。懐に手を入れるとナイフを取り出し、アレックスに迫る。

「おいおい。そんなもの出してどうしようってんだ。危ないからしまえよ。話し合おう」

「うるせえぞ」

 アレックスの言葉を無視し、男がナイフを横なぎに振るう。

 その時、プロレスラーの本能がうなりを上げた。アレックスは横なぎのナイフをかがんでかわすと素早く相手の背後に回り込み、ナイフを持つ腕をつかんだ。それをひねり上げつつ背中に回し、もう片方の腕を相手の首に巻きつけ、男を完全に締め上げた。

「なあ、話を聞いてくれよ。俺たちがここにいたのはただちょっと、ええっとそのぉ……」

「この状況になっても言えないのかよ。やっぱりてめえらおかしいぞ。おおい、誰か来て――」

 男が仲間を呼ぼうとしながら暴れた。

 アレックスはどうしようかと迷っていると、ゴツンという打撃音が鳴り、男の首ががっくりと落ちて全身の力が抜けた。

「騒がれるとだれか来る。こうするしかなかったのよ」

 飾ってある鎧の兜を手に、フィオナが立っている。兜で男の頭を殴って気絶させたようだ。彼女は兜を鎧の場所へ戻すと、目的の部屋のドアを開け、手招きする。

「ほらアレックス、早くしなさいよね」

「早くって、何をだよ」

「この部屋を調べるのよ。その男も引きずってらっしゃい。放っておくと騒ぎになるし」

「何言ってんだよ。こいつの手当てが先だろ」

「人間そう簡単に死にはしないわよ。それに気にならないの? この部屋に何があるのか。こいつがこんなにむきになってたんだから陰謀の証拠に間違いないわよ」

 確かに。フィオナは強引だったとはいえ、男の反応は明らかに過剰だった。なんせナイフで切り付けてきたのである。この部屋に何かありますよ、と言っているようなものだ。ただ、その『何か』がフィオナの求める『陰謀の証拠』とは限らない。フィオナは決めつけているようだが、企業秘密だったり家族の思い出だったりすることは十分にあり得る。パーティーの間それらを守るため、雇い主から厳しく言い含められていても何らおかしくはないのだが……。

「わかった、わかったよ。こいつを運んでその部屋を調べよう」

 アレックスは迷った末に男の脇を抱え、部屋に運び込むことにした。フィオナの『陰謀』という言葉を信じたわけではなかったが、実現しつつあったからだ。オーフェンがパーティーに現れ、しかも毛皮を求めていて、さらに部屋を守る男がナイフまで使った。偶然が重なったというにしてはできすぎている。この行動がバレればオーフェンは自分を支援してくれなくなるだろうが、もはやフィオナは止められそうにない。彼女が暴走しないよう、部屋の調査に同行すべきだ。

 アレックスは日頃教会に行かないが、今日は神に祈った。どうかおかしなものが見つかりませんように。どうかこの行動がオーフェンにバレませんように。どうかフィオナがこれ以上変なことをしませんように。
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