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フランス料理店
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藤堂は自信満々な顔で美里をエスコートした。
ショッピングセンターの駐車場から藤堂の車に乗り込む時に遅番の新井に目撃された。彼はすかさず近寄ってきて、美里達を冷やかすような事をはやし立てた。
「西条さんにうかつな事言うと殺されるぞ」
と藤堂が言い、新井は笑った。
笹本のフランス料理店はこの街のメインストリートにあって、洒落た外観の店だった。大きなビルの一階だったが、ビル自体に笹本ビルと光る銀色のプレートがあったのでかなり儲かっているのだろう。
半地下にある店の駐車場も平日の割にほぼ満車状態だった。
藤堂は黒いスーツ姿だったが、美里はジーンズにTシャツ姿だった。こんな格好で入ってもいいのかしら、ドレスコードがあるんじゃないかしら、自分で望んでないとはいえ小心者の美里はこんな豪華な店に入るのには抵抗がある。どうせならもう少し早く誘ってくれないと。そんな事をぶつぶつ思いながら美里は大きめの木綿のバッグを肩に担いだ。
ガラスの玄関から店内にはいると、いっせいに「いらっしゃいませ」という声がした。
藤堂がすぐに近寄ってきたクーラーバッグをギャルソンに渡した。少し年配のギャルソンは非常に真面目な面持ちでそれを受け取り、
「いらっしゃいませ、藤堂様」と言った。
店内にはクラシックが流れ、なごやかな雰囲気だった。
案内された席に向かい合って座ると藤堂が、
「窓際の年配のカップルが市長夫妻」
と小声で言ったので、美里はさりげなく首を回した。昔の二枚目と昔の美人女優みたいな老カップルだった。二人はにこやかに談笑し、食事中だった。大皿にのったこんがりと焼けた肉をナイフで切り、そして上品な動作でそれを口に入れた。
「おいしいのかしら」
「食べたら分かる」
「いりません」
少し口調を強めて言うと、藤堂は、はははっと笑った。
テーブルに来たギャルソンに藤堂が食事を注文した。先ほどからのどがぐえぐえっとなるので、普通の牛肉でものどを通るかどうかは分からない。
前菜、スープ、魚料理、肉料理と運ばれてきたが、美里は一口も口に出来なかった。
かたくなに拒んだつもりはないが、口に入れてしまえばすぐに吐いてしまうだろうと思った。
フランス料理店へ来て、一口も食べないというのは全く失礼にあたるだろうが無理なものは無理だ。目の前の肉は牛肉であると頭で考えても、体が拒否する。
「すみません」
ナフキンで口元を覆いながら美里は藤堂に謝った。藤堂はもりもりと食事をしていたが、それを見ているだけでおえっとなる。
「これは普通の和牛らしいけど?」
美里は首を振る。その時に市長夫妻の席にデザートが運ばれて来たのが見えた。銀の盆に乗っているのはカクテルグラスだ。中には真っ赤な液体とゼリーのような何かが浮かんでいる。冷蔵庫で見た時はそのゼリーのような物がよく見えなかったのだが、今はそれがよく見える。そいつはぷるんとしたるりかの目玉だった。
市長夫妻を凝視している美里の横へ笹本がやってきた。
「ようこそ」
その声は美里の耳に届いたが、美里の視線は市長夫妻から離れなかった。
「今夜の料理は口に合いませんか?」
と言われ、はっと視線をあげた。
「あ……すみません」
「いや、気にする事はありませんよ。誰しも好みはありますからね。あなたの調達して下さった肉は大好評ですよ。料理のしがいもあった。今夜はね大盤振る舞いでね、街中の顧客に特別に声をかけさせてもらいました」
笹本の声に周囲のテーブルの客がこちらを向いた。市長夫妻もだ。
すぐ隣のカップルの男が、
「藤堂さん、今日も洒落たデザート、おいしいですよ」
と言ってカクテルグラスを持ち上げて見せた。グラスの中にはやはり目玉が浮いている。
「どうも」
と藤堂が言った。
「皆様、喜ばしいこの瞬間をこうして皆様と迎えられたことをうれしく思います。我々は貴重な食材が減っていくのをもう悲しみながら眺めていなくても良いのです! 我々の街に救世主が現れたのですから! 彼女はきっと新鮮な食材を思う存分に調達して下さるでしょう!」
と笹本が全く持って迷惑な宣言をした。美里は藤堂を睨んだが、藤堂は知らん顔だ。笹本の絶叫に対して店中から拍手が起こった。テーブルというテーブルから、店のあちこちに待機しているギャルソンから、厨房の奥から。
一番感激した顔で熱心に手をたたいていたのは、隅っこの方のテーブルにいた交番の警官だった。
その後も美里はまったく食事に手をつけなかったが、それをとがめる人もおらず、美里は水ばかり飲んで過ごした。藤堂の食事が終わると同時に美里達は店を出たが、その時にもまだ市長夫妻も警官もいて、ゆっくりとコーヒーを飲んでいた。
「あの~」
「何?」
再び藤堂の車に乗り込んだ美里は疑問を口にした。
「デザートですけど……お客さんが八組はいましたよね」
「ああ」
と言ってから藤堂がクスクスと笑った。
「本物は市長夫妻」
「ああ、そうですか」
デザートグラスは十六本あった。客が八組だから、それだけの数が必要だ。だが、肝心のるりかの目玉は二個しかないのだ。しかしすべてのグラスに目玉は浮かんでいたように思う。
「後は偽物ですか? それとも……」
「そもそも肉を一体調達しても、たった二個しかついてない目玉は貴重で、いつも笹本さんと争奪戦になる。笹本さんもあれを使った料理を考案してるしね。だから眼球に関しては在庫はほぼない」
「はあ……」
「今夜のメインな客は市長夫妻だから、本物は彼らに。後は牛乳と寒天のゼリー」
「ああ、そうなんですか」
それからしばらく藤堂も美里も黙ったままだったが、マンションへ着いた直後に藤堂が、
「君の食欲の為に言っておくけど、食べたら分かるよ」
と言った。
「え?」
「つまり……牛肉や豚肉じゃないって事が分かるって事さ。その気にならないなら無理に食べる事もない。実際、俺もそんなに好きじゃないしね」
「そうですか」
「次は笹本さんの店以外に誘うよ。もちろん普通の食事でね」
いや、もう結構です。とは思ったが、曖昧に笑っておいた。美里は疲れていた。
この街に引っ越してきたのは間違いだったかもしれない。
その夜はインスタントラーメンを食べた。
ショッピングセンターの駐車場から藤堂の車に乗り込む時に遅番の新井に目撃された。彼はすかさず近寄ってきて、美里達を冷やかすような事をはやし立てた。
「西条さんにうかつな事言うと殺されるぞ」
と藤堂が言い、新井は笑った。
笹本のフランス料理店はこの街のメインストリートにあって、洒落た外観の店だった。大きなビルの一階だったが、ビル自体に笹本ビルと光る銀色のプレートがあったのでかなり儲かっているのだろう。
半地下にある店の駐車場も平日の割にほぼ満車状態だった。
藤堂は黒いスーツ姿だったが、美里はジーンズにTシャツ姿だった。こんな格好で入ってもいいのかしら、ドレスコードがあるんじゃないかしら、自分で望んでないとはいえ小心者の美里はこんな豪華な店に入るのには抵抗がある。どうせならもう少し早く誘ってくれないと。そんな事をぶつぶつ思いながら美里は大きめの木綿のバッグを肩に担いだ。
ガラスの玄関から店内にはいると、いっせいに「いらっしゃいませ」という声がした。
藤堂がすぐに近寄ってきたクーラーバッグをギャルソンに渡した。少し年配のギャルソンは非常に真面目な面持ちでそれを受け取り、
「いらっしゃいませ、藤堂様」と言った。
店内にはクラシックが流れ、なごやかな雰囲気だった。
案内された席に向かい合って座ると藤堂が、
「窓際の年配のカップルが市長夫妻」
と小声で言ったので、美里はさりげなく首を回した。昔の二枚目と昔の美人女優みたいな老カップルだった。二人はにこやかに談笑し、食事中だった。大皿にのったこんがりと焼けた肉をナイフで切り、そして上品な動作でそれを口に入れた。
「おいしいのかしら」
「食べたら分かる」
「いりません」
少し口調を強めて言うと、藤堂は、はははっと笑った。
テーブルに来たギャルソンに藤堂が食事を注文した。先ほどからのどがぐえぐえっとなるので、普通の牛肉でものどを通るかどうかは分からない。
前菜、スープ、魚料理、肉料理と運ばれてきたが、美里は一口も口に出来なかった。
かたくなに拒んだつもりはないが、口に入れてしまえばすぐに吐いてしまうだろうと思った。
フランス料理店へ来て、一口も食べないというのは全く失礼にあたるだろうが無理なものは無理だ。目の前の肉は牛肉であると頭で考えても、体が拒否する。
「すみません」
ナフキンで口元を覆いながら美里は藤堂に謝った。藤堂はもりもりと食事をしていたが、それを見ているだけでおえっとなる。
「これは普通の和牛らしいけど?」
美里は首を振る。その時に市長夫妻の席にデザートが運ばれて来たのが見えた。銀の盆に乗っているのはカクテルグラスだ。中には真っ赤な液体とゼリーのような何かが浮かんでいる。冷蔵庫で見た時はそのゼリーのような物がよく見えなかったのだが、今はそれがよく見える。そいつはぷるんとしたるりかの目玉だった。
市長夫妻を凝視している美里の横へ笹本がやってきた。
「ようこそ」
その声は美里の耳に届いたが、美里の視線は市長夫妻から離れなかった。
「今夜の料理は口に合いませんか?」
と言われ、はっと視線をあげた。
「あ……すみません」
「いや、気にする事はありませんよ。誰しも好みはありますからね。あなたの調達して下さった肉は大好評ですよ。料理のしがいもあった。今夜はね大盤振る舞いでね、街中の顧客に特別に声をかけさせてもらいました」
笹本の声に周囲のテーブルの客がこちらを向いた。市長夫妻もだ。
すぐ隣のカップルの男が、
「藤堂さん、今日も洒落たデザート、おいしいですよ」
と言ってカクテルグラスを持ち上げて見せた。グラスの中にはやはり目玉が浮いている。
「どうも」
と藤堂が言った。
「皆様、喜ばしいこの瞬間をこうして皆様と迎えられたことをうれしく思います。我々は貴重な食材が減っていくのをもう悲しみながら眺めていなくても良いのです! 我々の街に救世主が現れたのですから! 彼女はきっと新鮮な食材を思う存分に調達して下さるでしょう!」
と笹本が全く持って迷惑な宣言をした。美里は藤堂を睨んだが、藤堂は知らん顔だ。笹本の絶叫に対して店中から拍手が起こった。テーブルというテーブルから、店のあちこちに待機しているギャルソンから、厨房の奥から。
一番感激した顔で熱心に手をたたいていたのは、隅っこの方のテーブルにいた交番の警官だった。
その後も美里はまったく食事に手をつけなかったが、それをとがめる人もおらず、美里は水ばかり飲んで過ごした。藤堂の食事が終わると同時に美里達は店を出たが、その時にもまだ市長夫妻も警官もいて、ゆっくりとコーヒーを飲んでいた。
「あの~」
「何?」
再び藤堂の車に乗り込んだ美里は疑問を口にした。
「デザートですけど……お客さんが八組はいましたよね」
「ああ」
と言ってから藤堂がクスクスと笑った。
「本物は市長夫妻」
「ああ、そうですか」
デザートグラスは十六本あった。客が八組だから、それだけの数が必要だ。だが、肝心のるりかの目玉は二個しかないのだ。しかしすべてのグラスに目玉は浮かんでいたように思う。
「後は偽物ですか? それとも……」
「そもそも肉を一体調達しても、たった二個しかついてない目玉は貴重で、いつも笹本さんと争奪戦になる。笹本さんもあれを使った料理を考案してるしね。だから眼球に関しては在庫はほぼない」
「はあ……」
「今夜のメインな客は市長夫妻だから、本物は彼らに。後は牛乳と寒天のゼリー」
「ああ、そうなんですか」
それからしばらく藤堂も美里も黙ったままだったが、マンションへ着いた直後に藤堂が、
「君の食欲の為に言っておくけど、食べたら分かるよ」
と言った。
「え?」
「つまり……牛肉や豚肉じゃないって事が分かるって事さ。その気にならないなら無理に食べる事もない。実際、俺もそんなに好きじゃないしね」
「そうですか」
「次は笹本さんの店以外に誘うよ。もちろん普通の食事でね」
いや、もう結構です。とは思ったが、曖昧に笑っておいた。美里は疲れていた。
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