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白い犬
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布団と食器、カーテンにやかんをそろえるのに一週間かかった。何度もホームセンターへ往復した。中三日は雨だったので、断念。カーテンだけの部屋で三日寝て過ごした。布団を運び込んだ日にはうれしくて一日中寝転んでいた。やかんとカップとコーヒーサーバーを買った日には何杯もコーヒーを飲んで、やはりごろごろして過ごした。小さいテーブルを買って、ようやく床に直接食器を置く生活から脱出すると、人心地がついた。
その間、隣のチワワは朝も夜も関係なく吠え続けていた。
隣の娘は女子大生のようだった。朝は面倒くさそうに大きなバッグを抱えて出かけて行く。犬は廊下につながれている時もあるし、部屋の中で吠えている日もある。廊下でつながれて一日過ごしている時はたいがいドアの前で丸くなっていた。臆病なのだろうか、美里が部屋から出るたびに、小さな体を震わせて尻尾を体の下に挟んで伏せている。
真っ白な毛は綺麗だったし、栄養状態も悪くなかった。たぶん、愛情は十分に注がれているのだろう。ただ、しつけが出来ていないだけだ。美里を見ると、震えながら吠える。目玉が飛び出しそうな顔で必死に吠える。
女子大生の両隣の部屋が空いていた理由が分かった。
あまりに犬がうるさいからだ。だが、ペット可なのでどこにも文句は言えない。女子大生に言っても何の改善にもならないだろう。言葉は通じるけど、話が通じないタイプの人間はどこにでもいる。
ある日、犬の体が首輪から抜けていた。新しい皮の首輪をもらったのだろうが、まだそれほどしなりがなく、ベルトの穴から外れたようだ。そして首からするっと落ちた。だけど、犬は逃げ出していかなかった。やはりその場で尻尾を巻き込んで美里にむかって吠えた。
自分が移動できるという事に気がついてないのだろう。リードでつながれた世界しか知らず、その範囲しか動けないと思い込んでいる。美里はスーパーの袋から買ってきたばかりのかにかまを出して少しちぎって鼻先に差しだして見た。
犬は吠えるのを止めて、ふんふんとカニかまを嗅いだ。そして小さいピンク色の舌で舐めた。小さいのにちゃんと尖った歯でがつがつとカニかまを食べた。
犬に食べさせていけない物なんてのは知らない。美里の犬ではないし、そんな事に興味もない。美里は自分の部屋の鍵を開けた。ドアを開けて美里が中に入ってカニかまの残りを見せると犬がついてきた。体が完全に中に入ってから、美里はドアを閉めた。
カーテンは閉めたままだ。犬は玄関から先の部屋の中へすがずかと入り込んだ。外も中も同じなのだろう。地面も部屋の中もテーブルの上も布団の上も自由気ままにしてきた感じがする。ふんふんと匂いを嗅いで歩く。小さな足でよちよちと歩く。そして美里を見上げて吠えた。カニかまが欲しいのか、もう外へ出たいのかは分からない。
美里は床にレジャーマットを敷いて新聞紙を広げてから白いゴムの手袋をはめた。これは一箱に百枚入っている医療用のゴム手袋だ。その手で犬の背中をなでる。残念ながら毛皮の感触は楽しめないが小さい細い背中が温かかった。
一週間であちこちの薬局で買い集めた体温計からとった水銀の量はそんなに多くはなかったが、小さな犬の声を奪うのには十分だった。体温計の水銀はのどをつぶすというのは本当かという昔からの疑問は本当だった。
犬はシャーシャーというしわがれた声で吠えた。吠えながら涙を流している。大きな目に涙がたまっている事の方が驚いた。小さい体でも本能が残っているのか、美里を敵とみなし、噛みついてきた。牙をむいて、ぐーーーーと唸っている。だがそれも途切れ途切れにしか聞こえない。前足二本をセロテープでぐるぐる巻きにしてみた。すると後ろ足で立ち上がってひょこひょこと歩いた。後ろ足もぐるぐる巻きにしてやった。シャーシャーとうるさいので、口も閉じてやった。犬は横たわって涙を流すだけになった。
失禁したので、新聞紙を変えた。
「毎日うるさく吠えてごめんなさい。もう絶対吠えませんから勘弁してくださいって言いなさい」
と言ってみても犬はただ美里を見上げるだけだった。
その間、隣のチワワは朝も夜も関係なく吠え続けていた。
隣の娘は女子大生のようだった。朝は面倒くさそうに大きなバッグを抱えて出かけて行く。犬は廊下につながれている時もあるし、部屋の中で吠えている日もある。廊下でつながれて一日過ごしている時はたいがいドアの前で丸くなっていた。臆病なのだろうか、美里が部屋から出るたびに、小さな体を震わせて尻尾を体の下に挟んで伏せている。
真っ白な毛は綺麗だったし、栄養状態も悪くなかった。たぶん、愛情は十分に注がれているのだろう。ただ、しつけが出来ていないだけだ。美里を見ると、震えながら吠える。目玉が飛び出しそうな顔で必死に吠える。
女子大生の両隣の部屋が空いていた理由が分かった。
あまりに犬がうるさいからだ。だが、ペット可なのでどこにも文句は言えない。女子大生に言っても何の改善にもならないだろう。言葉は通じるけど、話が通じないタイプの人間はどこにでもいる。
ある日、犬の体が首輪から抜けていた。新しい皮の首輪をもらったのだろうが、まだそれほどしなりがなく、ベルトの穴から外れたようだ。そして首からするっと落ちた。だけど、犬は逃げ出していかなかった。やはりその場で尻尾を巻き込んで美里にむかって吠えた。
自分が移動できるという事に気がついてないのだろう。リードでつながれた世界しか知らず、その範囲しか動けないと思い込んでいる。美里はスーパーの袋から買ってきたばかりのかにかまを出して少しちぎって鼻先に差しだして見た。
犬は吠えるのを止めて、ふんふんとカニかまを嗅いだ。そして小さいピンク色の舌で舐めた。小さいのにちゃんと尖った歯でがつがつとカニかまを食べた。
犬に食べさせていけない物なんてのは知らない。美里の犬ではないし、そんな事に興味もない。美里は自分の部屋の鍵を開けた。ドアを開けて美里が中に入ってカニかまの残りを見せると犬がついてきた。体が完全に中に入ってから、美里はドアを閉めた。
カーテンは閉めたままだ。犬は玄関から先の部屋の中へすがずかと入り込んだ。外も中も同じなのだろう。地面も部屋の中もテーブルの上も布団の上も自由気ままにしてきた感じがする。ふんふんと匂いを嗅いで歩く。小さな足でよちよちと歩く。そして美里を見上げて吠えた。カニかまが欲しいのか、もう外へ出たいのかは分からない。
美里は床にレジャーマットを敷いて新聞紙を広げてから白いゴムの手袋をはめた。これは一箱に百枚入っている医療用のゴム手袋だ。その手で犬の背中をなでる。残念ながら毛皮の感触は楽しめないが小さい細い背中が温かかった。
一週間であちこちの薬局で買い集めた体温計からとった水銀の量はそんなに多くはなかったが、小さな犬の声を奪うのには十分だった。体温計の水銀はのどをつぶすというのは本当かという昔からの疑問は本当だった。
犬はシャーシャーというしわがれた声で吠えた。吠えながら涙を流している。大きな目に涙がたまっている事の方が驚いた。小さい体でも本能が残っているのか、美里を敵とみなし、噛みついてきた。牙をむいて、ぐーーーーと唸っている。だがそれも途切れ途切れにしか聞こえない。前足二本をセロテープでぐるぐる巻きにしてみた。すると後ろ足で立ち上がってひょこひょこと歩いた。後ろ足もぐるぐる巻きにしてやった。シャーシャーとうるさいので、口も閉じてやった。犬は横たわって涙を流すだけになった。
失禁したので、新聞紙を変えた。
「毎日うるさく吠えてごめんなさい。もう絶対吠えませんから勘弁してくださいって言いなさい」
と言ってみても犬はただ美里を見上げるだけだった。
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