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蠢く黒い影
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その時、王弟はキースより五歩も十歩も遅れをとっていた。なにせ今まで一度も戦場に出た事もなく、馬にも満足に乗れない。狡猾な手段で王弟一派を仕切っていたのは、キースだとナスも従者も改めて思い知った。そのキースも彼らを裏切り、恋に狂った。栄誉を失い、人としての道を選んだのははたして彼デニスのような結果をもたらすであろうか。
ダノンは疲れただの、空腹だのと言ってとかく休みたがった。ここでもダノンを戒め、従わせる事ができる者はいなかった。ナスはキースが北へ向かっているのを知っていたので彼女もまた焦っていた。
「いいかげんに腰を上げてくだされ。キースめは我らの先を行っておるのじゃ」
「心配するな。奴らが石を先に手に入れればそれを奪う。探す手間が省けるというもの。せいぜい北妖魔で苦労してもらおう」
王の足元では、やたら視線を気にしていらいらしていたが、外へ出ると開放的になるようだ。
ナスは舌打ちをした。このように人の力をあてにばかりしていては、自ら世を支配するなど出来ようがないではないか。全世界を我がものにし、民からは羨望と尊敬を一身に集める。戦いも収穫もが只一人の為に行われるのである。詩人は王の為に歌を歌い、音楽家は王の為に戯曲を書く。王の名は今までに誰もが成し遂げる事のできなかった功績と共に後世まで伝わるのである。
安易に自分に都合がよいように、扱い易いダノンを選んだのがナスの失敗である。ナスは少し悔やんだ。兵士達はキースを恐れているし、ジユダにはキースの敵になれるほどの人物はいない。このような騒ぎがなければ、本当は平和でのどかな国である。キースのような逸材こそ珍しいのだ。ナスは気がついた。
しかし今更引き返す事も出来ない。ナスはつぶやいて溜め息をついた。
キースは自ら不寝番をかってでた。彼とて疲れてないわけではなかったし、瞼は重く体は鉛を背負っているように言うことをきかない。しかし頭は冴え、奥の方から突き上げる憔悴感がキースをいらだたせた。が、彼は喜んでいた。体中の血が沸き立ち、気分が高揚する。飼い慣らされた獣が血の臭いで目覚めたように、今彼は血に飢えていた。
宮廷の中で窮屈に過ごし、戦場で国の為に戦ったのは見ず知らずの自分のように思っていたのである。いつもキースは罪のない敵が彼に斬り裂かれるのを哀れに思っていた。憎しみがない相手を殺すのは憂鬱な役目であった。それでも彼は十分過ぎる手柄を立ててきた。泣き叫び、死に行く相手の流血はキースの心の傷であった。しかし今は本当に憎しみを抱く相手がある。幼い頃からキースを侮辱し軽蔑してきた相手である。
キースは、以前彼自身が手足のように使ってきたダノンの影に容赦はしなかった。
つかの間の眠りについた仲間を起こさないように、影の気配を感じた途端、キースは林の中へ走り寄った。音もなく影が彼を囲むように付いて走る。キースは腰の愛剣を手に取った。影からは仕掛けない。キースの剣技は充分過ぎるほど知っているからだ。
「どうした。戦いに来たのではないのか。ここでいつまでも睨みあっていても仕方あるまい」
キースはささやき声で言った。
「キース伯爵、今からでも遅くはない。ダノン王弟への忠誠をお守りなさい。山賊の娘にたぶらかされるなど、貴方らしくありませんぞ」
「ははは、せっかくだが俺は宮廷の暮らしに飽きたのだ。たまには山野を走るのもいいものだぞ。帰って王弟に伝えろ。身の程知らずな企みはやめておとなしくジユダで暮らせとな」
影がざわめいた。影にしても信じられないキースの裏切りである。
「何故、そのような者に味方するのです。貴方は今までなに不自由なく暮らしてきたはずです。地位も名誉も財宝をも手にいれたのではないのですか」
「ああ、そうだ。しかし理解しようなどとは思うな。鎖でつながれている事が分からんお前達には所詮何を言っても無駄であろう」
「それならば、ここで死んで戴くしかありません」
「お前達が皆死にたいのなら仕方あるまい。かかってこい。」
一対一では適わぬ事を知っている影達はキースの声が終わると共に一斉に斬りかかった。逸速く出過ぎた影は口から頭蓋骨まで串刺しになり、声を出す間もなく即死であった。 剣は容易には抜けなくなり、すぐさまキースはその死体の手から剣を奪った。二人目は右腕が胴体から落ちて転がり絶命した。落ちた手はそれでも生きているようにキースの足首をつかみ硬直した。キースはその手を踏み潰した。ぐにゃりと不気味な感触がキースの背を走った。三人目は剣を捨て、キースに体当たりをし、二人は縺れあって地に倒れた。 その時、四人目はなにやらぶつぶつと呪文を唱えていた。キースの視界が暗くなり、体は闇へと落ちて行った。
ダノンは疲れただの、空腹だのと言ってとかく休みたがった。ここでもダノンを戒め、従わせる事ができる者はいなかった。ナスはキースが北へ向かっているのを知っていたので彼女もまた焦っていた。
「いいかげんに腰を上げてくだされ。キースめは我らの先を行っておるのじゃ」
「心配するな。奴らが石を先に手に入れればそれを奪う。探す手間が省けるというもの。せいぜい北妖魔で苦労してもらおう」
王の足元では、やたら視線を気にしていらいらしていたが、外へ出ると開放的になるようだ。
ナスは舌打ちをした。このように人の力をあてにばかりしていては、自ら世を支配するなど出来ようがないではないか。全世界を我がものにし、民からは羨望と尊敬を一身に集める。戦いも収穫もが只一人の為に行われるのである。詩人は王の為に歌を歌い、音楽家は王の為に戯曲を書く。王の名は今までに誰もが成し遂げる事のできなかった功績と共に後世まで伝わるのである。
安易に自分に都合がよいように、扱い易いダノンを選んだのがナスの失敗である。ナスは少し悔やんだ。兵士達はキースを恐れているし、ジユダにはキースの敵になれるほどの人物はいない。このような騒ぎがなければ、本当は平和でのどかな国である。キースのような逸材こそ珍しいのだ。ナスは気がついた。
しかし今更引き返す事も出来ない。ナスはつぶやいて溜め息をついた。
キースは自ら不寝番をかってでた。彼とて疲れてないわけではなかったし、瞼は重く体は鉛を背負っているように言うことをきかない。しかし頭は冴え、奥の方から突き上げる憔悴感がキースをいらだたせた。が、彼は喜んでいた。体中の血が沸き立ち、気分が高揚する。飼い慣らされた獣が血の臭いで目覚めたように、今彼は血に飢えていた。
宮廷の中で窮屈に過ごし、戦場で国の為に戦ったのは見ず知らずの自分のように思っていたのである。いつもキースは罪のない敵が彼に斬り裂かれるのを哀れに思っていた。憎しみがない相手を殺すのは憂鬱な役目であった。それでも彼は十分過ぎる手柄を立ててきた。泣き叫び、死に行く相手の流血はキースの心の傷であった。しかし今は本当に憎しみを抱く相手がある。幼い頃からキースを侮辱し軽蔑してきた相手である。
キースは、以前彼自身が手足のように使ってきたダノンの影に容赦はしなかった。
つかの間の眠りについた仲間を起こさないように、影の気配を感じた途端、キースは林の中へ走り寄った。音もなく影が彼を囲むように付いて走る。キースは腰の愛剣を手に取った。影からは仕掛けない。キースの剣技は充分過ぎるほど知っているからだ。
「どうした。戦いに来たのではないのか。ここでいつまでも睨みあっていても仕方あるまい」
キースはささやき声で言った。
「キース伯爵、今からでも遅くはない。ダノン王弟への忠誠をお守りなさい。山賊の娘にたぶらかされるなど、貴方らしくありませんぞ」
「ははは、せっかくだが俺は宮廷の暮らしに飽きたのだ。たまには山野を走るのもいいものだぞ。帰って王弟に伝えろ。身の程知らずな企みはやめておとなしくジユダで暮らせとな」
影がざわめいた。影にしても信じられないキースの裏切りである。
「何故、そのような者に味方するのです。貴方は今までなに不自由なく暮らしてきたはずです。地位も名誉も財宝をも手にいれたのではないのですか」
「ああ、そうだ。しかし理解しようなどとは思うな。鎖でつながれている事が分からんお前達には所詮何を言っても無駄であろう」
「それならば、ここで死んで戴くしかありません」
「お前達が皆死にたいのなら仕方あるまい。かかってこい。」
一対一では適わぬ事を知っている影達はキースの声が終わると共に一斉に斬りかかった。逸速く出過ぎた影は口から頭蓋骨まで串刺しになり、声を出す間もなく即死であった。 剣は容易には抜けなくなり、すぐさまキースはその死体の手から剣を奪った。二人目は右腕が胴体から落ちて転がり絶命した。落ちた手はそれでも生きているようにキースの足首をつかみ硬直した。キースはその手を踏み潰した。ぐにゃりと不気味な感触がキースの背を走った。三人目は剣を捨て、キースに体当たりをし、二人は縺れあって地に倒れた。 その時、四人目はなにやらぶつぶつと呪文を唱えていた。キースの視界が暗くなり、体は闇へと落ちて行った。
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