イージー・ゲン・ライダー

猫又

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鷹山と俺たち

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 龍司が走り出したと同時に世界が揺らめいた。
 陽炎のように空間が歪んで、晴れた奇麗なブルースカイが縦に切り裂かれた。
 瞬きしている間に、俺の前に火の玉カラーのZⅡが現れた。俺は迷う事もなく鷹山のバイクの前に立ちふさがった。鷹山は急ブレーキをかけて、停まった。
 青々とした芝生に黒いタイヤの跡がついている。
「ここはバイクの乗り入れ禁止だぜ。あんた、墓地にもバイク乗り入れてたよな」
「斉藤龍司を逃がしたな」
 と鷹山が言って、フルフェイスのヘルメット越しに黒い双眸がぎろっと俺を睨んだ。
「龍司は、もう悪さはしない!」
 俺は両手を広げたままそう叫んだ。
「本当だ、だから、もう龍司を追わないでくれ! 龍司はユイちゃんの所へ帰った。ユイちゃんは龍司の子供を妊娠してるんだ!」
 これは情へ訴え作戦だった。だが鷹山は、
「子供が出来たからといって真面目になると思うのか? あの龍司が」
 と言った。
「なるさ! 俺達は子供を捨てるようなクズ人間にだけはならない!」
 そう言って俺は精一杯鷹山を睨みつけた。
「だから龍司が今まで多次元で犯した罪を見逃せと言うのか?」
 鷹山の声は冷静でその落ち着いた口調に俺の腕には鳥肌がたった。
 ああ、鷹山には全てばれているんだ。
 龍司が他の母親を殺して回ってるって事が。
 そして俺は言い返す言葉がすぐには思いつかなかった。駄目だと言われればどうしようもない。体をはって鷹山を止められるならそうするが、ユニットで一瞬にして移動してしまう相手にはどう戦えばいい。
「龍司はきっといい父親になる。だから、頼むよ、鷹山さん。せめてもうしばらく様子を見て欲しいんだ。龍司はここへ俺の母親を殺しに来たのかもしれないけど、それも実行はしなかった。龍司はこれから悔い改めるよ」
「……」
 鷹山は黙っていた。
「龍司はこれでようやく母親の呪縛から逃げられた。だからきっとこれからは真面目にうまくやっていけるはずなんだ!」
 その時、鷹山の後ろに乗っていた人物が慣れない動作でバイクの後部シートから下りた。ヘルメットを外すまでもない。バイクには似合わないシックな茶色い背広には見覚えがあった。
「龍司君」
 おっちゃんがヘルメットを外して、重そうにそれを芝生の上に置いた。そして、車椅子に乗った母親を見た。
「智子」
 もちろん母親におっちゃんが分かるはずもない。この女はもう誰の事も分からない。未来永劫、自分の世界の中で生きていくしかないんだ。それがこの女に科せられた罰だ。
 それでもこの女には軽すぎる罰だと思う。母親はいつみても幸せそうに微笑んでいるんだからな。幸せなのか? いつまでたっても自分一人だけが幸せなんだな。
「何だかずいぶんと落ち着いたような顔になったね、智子」
 とおっちゃんが言ってから俺を見た。
「龍司君、どうしても生きている智子に会いたくて、鷹山君に無理を言って連れてきてもらったんだよ」
「そうですか」
「私が覚えてる最後の智子はもうずいぶんと若い時だったからねえ。智子の尻ぬぐいは何度もしたけど、会うのは借金取りばっかりで智子は顔を見せにも来なかったからね」
「老けたばばあになっちまったでしょ」
 と俺が言うと、
「そうだね、でも、笑い顔は小さい頃のままさ」
 とおっちゃんが言った。
 おっちゃんが腰をかがめて母親に話しかけた。
 その後ろで鷹山がヘルメットを脱いだ。今すぐ龍司を追いかけるつもりはなさそうなので、俺は少しほっとした。
 その時、母親の表情が突然に変わった。
「あー」
 と言って両手を挙げたんだ。そんな変化はこの療養所へ来て初めて見る。
 そして本当に嬉しそうに母親が笑った。
 だがその視線は兄であるおっちゃんではなく、鷹山を見ていた。
 鷹山を見て嬉しそうに笑ったのだ。そして、
「やっぱり、君は父親に似ているんだね、龍司君」
 とおっちゃんが鷹山に言ったのだ。
「そうですかね」
 と鷹山はぶっきらぼうに答えた。
「私の世界の龍司君と、ここの世界の龍司君は双子のようにそっくりだ。そして彼らは母親の智子に似ている。だが、君は十も年上だというのを間引いても二人にはあまり似ていない。やはり多次元には父親に似た龍司君も存在するんだね」
「な」
 と俺は言った。なんだって? 鷹山が別の龍司だって?
 鷹山は俺の顔全体に書かれていた疑問にすぐに答えてくれた。
「俺は鷹山龍司、お前とも、逃亡中の龍司とも違う次元から来た龍司だ」
「嘘」
「本当さ。多次元にはいろいろな世界があるって事は知ってるか? 時間の進み方すら違う世界が存在する。俺の世界は今から十年先なのさ」
 そういえば、霧島がまだ子供の世界に三人で行ったっけ。今から十年前の世界。そうだよな、だったら、十年後も二十年後の世界もあり得るわけだ。
「俺は施設から鷹山家に養子に行った子供さ。だから斉藤ではない」
「そう……なのか。でも、あんたも龍司ならどうして龍司を追いかけ回すんだよ!」
「追いかけ回さないと何をしでかすか分からないだろう? 現に龍司は多次元へ転移を繰り返し、次元転移の罪とさらにその先で逃亡幇助の罪を犯している」
「逃亡幇助?」
「お前は龍司が他の次元で母親を殺して逃げていると思っているだろうが、違うんだ。実際、龍司がここへ来たのは、母親を殺したお前を他の次元に逃がしてやるためだったのさ」
「逃がす? 俺を?」
「そうだ、龍司の母親はあの時死んだ。だが他の次元では生き残った母親も多数いたんだ。この……」
 鷹山は俺の母親を見た。
「こんな風に生き残ったのは初めて見たが、大抵が、体に障害が残り、だが口と頭だけは達者で自分をこんな風にした龍司にみっともなくぶら下がる醜悪な母親だ」
「そうか、その龍司達がもう一度母親を殺したんだな」
「そうだ、生き残った母親の大多数が、龍司を恨み、責め、また自分の奴隷にしようとしたのさ。そうする事で安泰な老後を手に入れたんだ」
「龍司はそいつらに同情したんだな。一歩間違えたら同じ境遇だったんだもんな」
「この世界でもお前を逃がしに来たんだろうけど、その必要もなかったわけだ」
 俺は母親を見た。鷹山の方を見てにこにことしている。他の次元の龍司達を考えると、こんな母親でまだましだと思う。
 けど、別の怒りがふつふつと生まれる。可哀想な他の次元の龍司達。
「鷹山君はね、全ての龍司君を救うわけにはいかないけれども、何か力になる事があるだろうとこの仕事に就いたんだよ」
 とおっちゃんが口を挟んだ。
「そうだったのか……」
 俺の心の中はすっかりと晴れた。龍司が他の次元の母親を殺していないってだけで、俺の心はずいぶんと軽くなった。
「お前の気持ちを汲んで、龍司の事はもう少し様子を見てもいい」
 と鷹山が言った。
「え? まじで?」
「ああ、実際、俺はここで龍司を逮捕する権利はない。DMSとはいえ、管轄外だからな。ただ、龍司を牽制に来ていただけだ」
「龍司は鷹山さんが龍司だってことを知ってんの?」
 鷹山はにやっと笑って、
「それは知らないだろうな。教えてやらない」
 と言った。
「そうか、知ったらびっくりするだろうな」
 龍司の仰天した顔を思い浮かべて俺は笑った。
 何故だかその途中で涙が出てきたので慌ててトレーナーで拭いた。
「博士、そろそろ行きましょう」
 と鷹山がおっちゃんに言った。
「そうか、龍司君、智子の事を頼むよ」
 とりあえず「はい」と答えておいた。
「じゃあな、龍司、これからがんばれ」
 と鷹山が言ったので、
「うん、鷹山さんもおっちゃんも元気で」
 と答えた。
 おっちゃんが母親に、
「じゃあな、智子。残りの人生は心安らかに過ごしなさいよ」
 と言うと母親は首をかしげた。そして鷹山も、
「また会えてよかったよ」
 と言った。龍司にしても鷹山にしても、一度は自分が殺して永遠に会えなくなった母親にまた会えたのはよかったらしい。こんなに動けない話せない人間なのに、毒を振りまく他の生き残った母親よりはましなのかもしれない。
 母親は鷹山の方へ動かない手を一生懸命伸ばした。
 鷹山がその手を優しく握ってやると、とても嬉しそうな奇声を発した。
「智子は君たちの父親の事をとても好きだったんだね。もし、君たちの父親が智子を捨てて逃げなかったら、智子も君たちをもっと愛したかもしれない。違う未来もあったかもしれないね」
 とおっちゃんが言った。
 だが、そんな事を言われてもしょうがない。俺達には何の慰めにもならない。鷹山もきっと同じ気持ちだろう。だが、俺達は反論しなかった。
 ただ思ったのは、もしかしたらもっともっと遠くの次元には父親と母親と俺が仲良く暮らしてる世界もあるんじゃないかって事だ。
 龍司が最初に次元を転移したのは、そんな世界を探したかったのかもしれない。そして鷹山龍司がDMSという仕事を選んだのも、いつかそんな幸せな龍司に巡り会う時がくるかもしれないという淡い期待があったのかもしれない、と俺はそんな事を考えた。
 鷹山がヘルメットを被ってZⅡにまたがった。おっちゃんがその後ろに乗り込む。
 俺は鷹山のバイクをじっくりと眺めた。TWの次はこいつだな。
 十年後にはZⅡに乗るぞ。
「おっちゃん、ユイちゃんと子供のことよろしくお願いします」
 と俺が言うと、おっちゃんはうなずき、鷹山が、
「大丈夫だ。俺の女房の名前もユイだからな。きっと二人はうまくいくさ」
 と言った。
「そうか」
「ああ、ついでに子供の性別も知りたいか?」
 それは知りたいような気がしたが、そうすると自分の子供が男か女か分かってしまうって事だ。あれ、つまり、それは俺もいつか恋愛をして結婚をして子供を持つって事か。
 俺の人生の中にそれは予定になかったプロセスだ。
 そいつはちょっと楽しみだな。
「いや、いいっすよ。お楽しみにしとく」
 というと鷹山は思いがけず楽しそうな顔で笑った。
「じゃあな」
「さようなら、龍司君」
 鷹山がバイクのエンジンを始動させた。同時におっちゃんが腕にしたユニットを操作した。俺は車椅子の持ち手を握った。
 また世界が揺らめいて、一台のバイクと二人の人間が切り裂かれた空間に飲み込まれようとした時に鷹山の声が響いてきた。
「龍司、子供の名前だけ教えてやる」
「うわーーー、ちょっと待て! 言うな!」
 と俺は叫んだが、
「漢字で二文字でひかると読む」
 という情報だけはしっかり耳に飛び込んできた。
 鷹山の笑い声とともに、二人の乗ったZⅡの姿は消えていった。
「なんだよ、漢字で二文字でひかる? どんな字だよ! 気になるじゃねえか!」
 だが、性別だけは楽しみにできるな。男でも女でもひかるって名前はいるもんな。
 龍司も鷹山もおっちゃんも誰もいなくなり、残されたのは俺と母親だけ。また元の生活が戻ってくる。だがちょっとばかり楽しみも出来た。
「さあ、風が出て来た。部屋へ戻ろうぜ」
 俺は母親の車椅子を押して歩き出した。
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