イージー・ゲン・ライダー

猫又

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おっちゃん

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 もちろん龍司がおっちゃんに永遠に借り物中のユニットがなければ元の世界に戻れないのは分かっている。残された俺が異次元を転移する方法を考えれば二つある。一つはゾンビ野郎と龍司が呼んでいた鷹山に連絡を取る事だ。DMSならばすぐにでも次元を転移出来るだろう。だが、それは龍司が現行犯で捕まるって事だ。次元の転移だけで十年の禁固刑なんだ。これから龍司がやろうとしている事、もしくは、すでにし終わってるかもしれない行為をDMSに密告するなんて俺には出来ない。それは龍司に対する裏切りだ。俺だけは龍司を裏切ったりしない。
 残るはおっちゃんに頭を下げて次元の転移をさせてもらうしかない。これの成功率がどれくらいなのか分からない。龍司に貸している物以外にもおっちゃんはユニット持っているのだろうか。今はそれに賭けるしかなかった。
 俺はTWにガソリンを満タンにして、ひたすら夜の道をおっちゃんの家まで走った。寒さが身に染みる。こんなに心細い夜は久しぶりだ。負けねえ、負けねえ、と今までどんな時にもつぶやいてきた。俺は一人でも淋しくねえ、負けねえ、世間の奴らなんぞクソばかりだ、そう思ってきた。俺は一人でもやっていける。俺には誰も必要ないし、誰も俺の助けなんかいらない。
 それなのに。
 俺は龍司を止めなければならない。その為に必死でおっちゃんの家まで走って、そして土下座してでも元の世界に戻してもらわなければ。
 そう思いながらTWを走らせていたが、途中から雨になった。最悪だ。ぽつぽつとグローブに、タンクに雨粒が落ちる。やがてライトの光を遮るようにざあざあと振り出しやがった。ついてねえ。剥き出しで走っている俺の顔面に容赦なく雨粒があたる。あたるというか、叩くというか。それでも俺は出来るだけのスピードで夜の道を走った。

 おっちゃんの家についた時にはもう日付が変わる寸前の時間だった。ただでさえおっちゃんの家では俺は嫌われていたから、深夜の訪問も歓迎してくれるわけはなく、おっちゃんの奥さんは酷く不機嫌そうな顔で俺を見た。体はびしょ濡れだし、タイヤが跳ねた泥が顔まで汚していた。
 俺の母親がかけた迷惑をおっちゃんが肩代わりしてくれた時もある。おっちゃんにしたら妹なわけだが、奥さんにしたら迷惑な他人に違いない。母親はもう二度と迷惑をかけたり出来ない体だし、俺だって迷惑をかけるつもりはないが、相手が警戒するのは当然だろう。俺は精一杯低姿勢でおっちゃんにどうしても用があるので会いたい旨を伝えた。もちろん、金を借りるとかそういう用事ではないという事を真っ先に告げた。正直、おっちゃんの奥さんもその子供も俺はたいして好きでも興味もなく、どう思われようが平気だったのだが、龍司の為だけに頭を下げた。
 おっちゃんは不在で研究の為に大学で泊まり込んでいる、と奥さんは嫌々ながらも教えてくれた。大学の場所を聞いて、俺は礼を言っておっちゃんの家を出た。奥さんは俺が外に出た瞬間に大きな声で「二度と来ないで!」と俺に言葉をたたきつけた。
 そんな事に構ってる暇はなく、俺はまた濡れながらバイクを走らせた。
 おっちゃんに会えたのはさらに三時間後だった。大学までは一時間ほどでついたのだが、深夜の広い大学構内のどこにおっちゃんがいるのかが分からない。人に聞こうにも誰もいない。電話番号も知らない。聞いてくればよかったと思ってももうどうしようもない。
 仕方なく明かりのついている部屋を片っ端から訪ねて、二十番目にようやくおっちゃんの研究室に行き当たった。
 ドアをノックするとどうぞという男の声が聞こえた。そっとドアを開いて隙間から覗くと白衣を来た中年男が立っていた。しばらく会ってなかったがすぐにおっちゃんだと分かったので俺は急いで部屋の中に入った。
 おっちゃんは驚いたような顔で俺を見て、
「雨が降ってるとは知らなかったな、龍司君、びしょ濡れじゃないか」
 とどうでもいいことを言った。そして手に持っていた携帯電話の通話を切るような素振りをした。
「すみません、こんな夜中に。でもどうしてもお願いがあって」
 と俺が言うと、おっちゃんは、
「まあ、座りなさい」
 と椅子を勧めてくれた。研究室の中は暖かくて、寒さで震えていた俺の体を温めてくれた。そしておっちゃんはインスタントのコーヒーを入れてくれた。
「一体、どうしたんだね?」
 とおっちゃんが言った。少しばかり警戒したような物の言い方だった。俺が金でも借りにきたと思ってるのかもしれない。
「俺の話を聞いてください。俺はこの世界の斉藤龍司じゃないんです」
 と俺が言うと、おっちゃんの目が少し開いた。
 おっちゃんは俺の母親とは似ていない。目が細くて、鼻も細い。眉毛も唇も細くて、貧相な顔をしている。母親は残念ながら顔だけは奇麗だった。あの女の顔があれほど整っていなかったら、もう少し足が地についた暮らしが出来たかもしれない。ちょっとばかり奇麗なのを鼻にかけて、またそれを持ち上げるくだらない男どもがいるから馬鹿に拍車をかけてしまった。
「龍司君」
 とおっちゃんが言った。俺は次の言葉を遮るように、話を続けた。
「聞いてください。俺は……なんだっけ512世界の方の斉藤龍司で、こっちの513世界の龍司は今、俺の世界に行ってしまって、俺はそれを止めなきゃならないんです」
「それは……本当の話かい? 君はよくそういう話を……」
「本当なんです!」
 そこから俺は早口で龍司との出会いをおっちゃんに語った。重森の事も話したが、ただ美香子さんの事だけは黙っていた。美香子さんの事はそっとしておいてあげたいからだ。赤ん坊と美香子さんを引き離すのは駄目だ。赤ん坊には母親が、優しい母親が必要だからだ。
「それで……龍司君は何故、君の世界に行ってしまったと思うんだね? しなければならない事というのは?」
 おっちゃんは俺の話を聞いてからそう言った。
 俺は龍司の目的をおっちゃんに言うのをためらった。
「俺を自分の世界に戻してもらえませんか? お願いします。俺が龍司を必ずこっちへ戻らせますから」
 俺が頭を下げるとおっちゃんは、
「君は確かに私の知っている龍司君ではなさそうだ。顔も服装も龍司君だが、雰囲気が違う。平行世界で同じような環境にありながらも違うんだねぇ」
 と言った。
「龍司君が頭を下げるところを見た事がないからね。それに龍司君はけんかを売るようにに人の目を見るけど、君は違うね」
「そうですか」
 俺は焦っていたので適当な返事をしたが、おっちゃんはしばらくそんな話を続けた。
「君の生い立ちはどうなのかな。智子は君をちゃんと育てたのかな」
 とおっちゃんが言ったので、
「まさか! どこを探したってあの女がまともな頭で存在している次元なんてみつかりっこないですよ!」
 と俺は吐き出すように言い返した。
「そう思うかね」
「ええ。俺の世界じゃ残念ながらあの女は生きてますけどね」
 と言うと、おっちゃんの目が大きく丸くなった。
「智子が生きてるのかい?」
「ええ、病院に入ったままですけど」
「そうか」
 とおっちゃんは言って、ふうーと深いため息をついた。
「君は智子を殺せなかったんだね。そこが龍司君と違う」
「そうじゃない、そうじゃないです」
 と俺は慌てて言った。
「違う、殺せなかったんじゃない。ただ、あの女の悪運が強かっただけだ。俺と龍司に違いはない。俺はあの女を殺してやった。だから悪夢は終わったんだ」
「しかし龍司君の悪夢は終わっていない」
 俺はおっちゃんを見た。おっちゃんも俺を見た。
「あの、龍司が借りたままっていうユニットは他にもあるんですか」
「ある。でも、その事で私もずいぶんと怒られたからね」
「はあ、そうでしょうね」
「だが、このまま君がこっちの世界にいても仕方がないし、龍司君を説得してくれるのなら戻るのに協力してもいい」
「本当ですか! ありがとうございます」
 おっちゃんは立ち上がり、隣の部屋へ入っていった。出て来た時には手に銀色の箱を持っていた。俺の前でその箱をぱかっと開くと、中には白い腕時計のような物が入っていた。
「正式名称はちゃんとあるのだが我々がユニットと呼んでいる物がこれだ。これは龍司君に渡した物とは違い、一回きりの使い捨てのユニットだ。君が自分の世界へ戻る為だけに使える物だ」
 そう言っておっちゃんは小さくため息をついた。
「龍司にもこれを渡すべきでしたね」
「その通りさ。だが、今更言ってもはじまらない」
「そうですね」
 おっちゃんはユニットを箱から取りだし、銀色の画面を指さした。
「ここに世界ナンバーを入力する、そして、この黄色いボタン、今はロックされてるから、このカバーを外してからこのボタンを押せば、君は転移する。君の身につけている物は全て一緒に転移する」
「バイクも?」
「ああ、君がバイクにまたがったままでそれを実行すればね」
「分かりました、ありがとうございます」
 俺はそのユニットを受け取ってから、腕にはめた。時計のようにバンドになっていた。携帯電話を持つようになって腕時計はしなくなったので、久しぶりに腕に違和感がある。
 俺が部屋から出て行こうとするとおっちゃんが、
「一度しか使えないからね。失敗してもここへは戻れない」
 と念を押すように言ったので俺はうなずいた。
 外へ出ると雨は止んでいた。そんなに長居したつもりはなかったのに、すっかり夜は明けてきている。俺は急いで俺の世界に帰る事にした。
 龍司を止めなければ。
 俺の母親を殺しに行った龍司を。
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