イージー・ゲン・ライダー

猫又

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斉藤龍司512

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 講義を受けに大学までやって来たはいいが、授業は少しも身に入らなかった。気がつけば平行世界ってやつの事を考えていた。物理的な問題はどうでもよく、俺が512の世界と513の世界を認識した瞬間に二つの世界は存在する。実際には何百とある世界のうちの二つかもしれないけど、今のとこは512と513しか俺には存在しない。斉藤512に会ってみたいような気もするが、会わない方がいいという直感がある。会えばろくでもない事になりそうだ。 斉藤512は禁固刑十年を突破する覚悟の奴らしい。俺とは違う。
 気がかりな事があるとどうも調子が悪い。授業も身に入らないし、かといっていつまでもおかしな世界の連中の事を考えていても仕方がない。重森512の逮捕は気の毒だがどうにもしてやれないし、斉藤512の事も考えてもしょうがないしな。
 たいして頭に入らなかった講義が終わり昼飯をどうするか考えて外に出る事にした。オタク野郎、西条の一件から大学の食堂へは足が向かない。西条とは同じ講義を受けているはずだったが、あれから見かけないので俺を避けているのかもしれない。騒ぎを起こしてしまったので食堂へは行きにくい。コンビニで弁当を買って外で食うか、フォミレスへ行くかだ。ファミレスは懐が痛いので、コンビニでパンとコーヒーを買って構内をぶらぶらと歩いていると、突然何かに足を取られてつんのめった。
「うわ」
 転びはしなかったが、二、三歩よろめいた。振り返ると、妙な男が立っていた。
 妙な男としか形容しようがない。にやにやと笑っている。
 どうやらそいつに足をひっかけられたらしい。
 俺は男を見て相手にしないと決めた。どう見てもガラの悪いチンピラにしか見えない。 言葉は通じそうになく、暴力で何事も解決するようなタイプだ。 
「金返せ」
 と男が言った。
「はあ?」
「こいつから盗った金返せって言ってんだ」
 男が指さした背後には西条がいた。何故だか西条は少しばかりきまりが悪そうな顔をしていた。
「斉藤君が悪いんだよ。僕にお金さえ返してくれたらこんな事には」
 と西条が言った。
 どうやら西条はこの男に取り立てを依頼したらしい。
「俺じゃねえんだけど」
 と言ったが、ここで平行世界の話をしても信じてもらえるかどうか。魔法使い女子キャラのTシャツを着ている西条なら興味を持ってもらえるかもしれないが、知性とは縁のなさそうな男には理解不可能だろう。
「じゃあ、誰だって言うんだい」
「俺によく似た誰かさ」
 西条は不安げな顔で男を見た。男は暴力によって得られる楽しみにしか興味がないような顔をしていた。指を鳴らす事が喧嘩に強い証明でもないだろうに、男は自慢そうな顔でぽきぽきと太い関節を鳴らした。
「どうやら痛い目にあいたいらしいな」
 と今時の不良漫画でも使わないようなセリフを恥ずかしげもなく言い、男は一歩俺に迫り寄った。

 男は非常に嬉しそうな顔で俺に近づいて来て大きく腕を振り上げた。
 が次の瞬間、男が背中を押さえて前のめりにうずくまっていた。
「へ」
 その背後にはサングラスをした奴が立っていた。
 唇がにやっとしている。それだけで分かった。奴は斉藤龍司512だ。
 俺が言葉もなく立ち尽くしているうちに、斉藤龍司512はチンピラにひどく汚い言葉をかけ西条共々追い払った。そして、
「よう」
 と俺に言った。
 生まれて初めて自分の顔を見た。自分の背丈と背中と歩く姿を生で見た。
 サングラスを外して俺ににやっと笑いかけた斉藤龍司512はまさしく俺だった。
「案外間抜けな顔だな」
「お前、斉藤512か」
「何だよ、その呼び名、やめてくれよ、不吉な」
「え?」
「そいつはあのうっとうしいゾンビの鷹山らが俺らを犯罪者扱いしてつけた呼び名だ。確かに俺は斉藤だが。512でも513でもねえ。斉藤龍司だ」
「それはそうだけど」
 斉藤512……いや、龍司はひゃっひゃと笑ってから、
「コンビニのパンで昼飯か。しけてんな」
 と言った。
「貧乏だからさ」
「ああ、よーく知ってる」
 龍司がサングラスをして歩き出したので俺はその後をついて歩いた。
「こっちに出稼ぎに来てるんだって?」
「まあ、そんなもんさ」
「捕まったら十年の禁固刑だって聞いたけど?」
「捕まらなかったらいいんだよ。スリと一緒。現行犯逮捕じゃなきゃ駄目なのさ。重森も逃げ切ったからセーフだろ」
「どうして重森は簡単に見つかったんだ?」
「入れ替わったりすっからだよ。決まった場所に出入りすりゃあ、張られるに決まってんだろ」
 さくさくと歩く龍司の後を追いながら、聞きたい事はいろいろあったはずなのに、何も頭に浮かんでこなかった。
 龍司と俺はほぼ同じ体型で背丈だった。龍司はジーパンに長袖のTシャツ、その上に派手なアロハを羽織っていた。指には銀の指輪をして、耳にはピアスが光っていた。
「派手だな」
 と俺が言うと、
「っていうかお前が地味だな」
 と返ってきた。
「あのさ」
「ん?」
「他の世界に行った事もある? 他にもつながってる世界があるんだろう?」
「ある」
「やっぱりそこで俺に会った?」
「いや……死んでた」
「え?」
「死んでた。ろくでなしの母親に殺されてた」
「ああ……そう」
 その可能性は高い。むしろ俺達が生きて成長した事こそが稀なのかもしれない。
「こっちの世界で何やってんの?」
「んー、いろいろ。泥棒とか」
「え! マジで?」
「手っ取り早く稼がなくちゃなんねえんだ」
「バイトとかしに来てるんじゃないの?」
「そんな地味な事やってっから重森は捕まっちまったんだろう」
「で、でも、泥棒って」
 龍司は立ち止まって俺を振り返り、
「心配すんな。捕まるようなドジは踏まねえよ」
 と言った。
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