イージー・ゲン・ライダー

猫又

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重森君

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「僕さぁ、最近おかしな事がよくあるんだよね」
 と言ったのはバイト仲間の重森だった。重森は高校生で夕方の五時からバイトに入るのでよく俺と一緒になる。何て言うか、可愛らしい男子だ。いや、俺にはその気はない。だが、重森は見るからに可愛らしいのだ。乙女系男子のような、なよなよしてるわけではない。話し方も洋服や靴も普通の男子だが、やたらと美少年なのだ。さらさらとした茶髪に整った顔立ち、今時のジャニーズアイドルのようだ。やたらと夕方に女子高生の客が多いのは重森目当てなのだろう。もちろん、俺目当ての客など未だかつて見た事がない。
「おかしな事?」
「うん。楽しみにしていたプリンをすでに食ってたとか」
「何だそれ」
「寝る前に食おうとして冷蔵庫覗いたらプリンがなくてさ、親に聞いたら夕方食べてただろって言われた。夕方はバイトに入ってるって言ってんのに、いいや、食べてるとこ見たって言い張る、うちの親」
「へえ、食ったの忘れたんじゃねえの? バイトも毎日じゃないじゃん」
「そうだけどさ、プリンは絶対に食ってないもん」
 重森はふてくされたように唇を尖らせた。その表情を見て、本のコーナーにたまっている女子がわっと笑った。
「それにさ、貯金が減っててさ、凹んだ」
「貯金?」
「そう、お年玉とか貯めてるじゃん。ここのバイト代も、少しづつだけど」
「へえ、感心」
「それがこの間、通帳記帳したら減ってた。二万くらい」
「親に使われたって事?」
 重森はううんと首を振った。
「僕に無断でそんな事しないとは思うんだけど」
「じゃあ、気のせいだろ。二万くらいの誤差は出るぞ。何に使ったのか分からない金ってある」
「そうかなぁ」
 重森は気の良い優しい若者だ。毎日見ず知らずの女子におっかけられても、手作りの何かをプレゼントされても嫌な顔をしない。バイトとはいえ接客業だから笑顔を絶やさないし、嫌な客も毎日大勢来るのに対応も丁寧だ。俺は常々重森は若いのにできた奴だと思っていた。だがこの話をした数日後から重森は急に人が変わってしまったようになった。
 いつもの風景である、重森のファンの女子達がスイーツ売り場にたまっていた。邪魔なのは確かだが、中には買い物をする子もいるし、毎日うろつくだけのうさんくさいホームレスよりはよほどましなのだ。そういう女子にもいつもの重森なら見て見ぬふりをする。 重森はファンの女の子に声をかけて遊ぶような男ではない。むしろ女子の集団を恐れているようだ。確かに、俺だって怖い。あの女子高生達がいっせいにしゃべり出した時のやかましさは想像を絶する。

 重森はそんな彼女らにいつだって距離を置いていたのだが、今日は格別に機嫌が悪かったのかもしれない。
 商品を品出ししている重森の横をわざとらしく通ったり、横から手を出して重森の触った商品を手にしようとした態度が気に障ったのだろう。
「うるせえ! 買う気がねえなら帰れ!」
 と重森はすぐ横に立っていた女子を睨みつけて怒鳴ったのだ。
 店の中はいっせいにシーンとなった。幸いにもその時店内にいたのはその女子軍団と俺、そして重森だけだった。もし店長がいたら重森は解雇になる恐れもあった。さすがに客を怒鳴りつけるっていうのはまずい。毎日毎日つきまとわれて鬱陶しいっていう気持ちも分かるんだが。重森が怒鳴りつけた女子はもちろん泣き出して、その他の女子も信じられないという顔で重森を見た。さっきまで好きなアイドルを追っかけていた恋する女子の目が今や凶悪な殺人犯人でも見るような目に変わっていた。彼女達は夢にまで見たアイドルから信じられない裏切りを受けたのだ。
「おいおい」
 と俺は仲裁に入った。
「毎日毎日、買い物するわけでもないのに集団でやってきて。迷惑だっつうの。斉藤さんもそう思うでしょ。何なんだよ、お前ら」
 そう言い放って重森は空になったコンテナを持ち上げた。それから店の外に積んであるコンテナ置き場へそれを置いた。外で大きくのびをしてから、また店の中に戻ってきた。女子の集団はそんな重森を怖いものでも見るようにしばらくは見つめていたが、やがて一人が外へ出るとみんなばらばらっと出て行った。
 女子の集団がいなくなると重森はけっけっけと笑ってから、
「あーすっとした。一度言ってやりたかったんだよね」と言った。
「ファンが減るぞ」
「いーっすよ。家まで後つけてくるのもいるし、毎朝待ち伏せてるのいる。学校じゃ、シャーペンや消しゴム盗まれるし、メアドなんて週一で変更しないと、わんさか意味不明のメールがくる。正直、恐怖を感じますよ」
「そ、そいつは壮絶だなぁ」
 人生でただの一度ももてた事のない俺には分からないが、それだけ毎日攻撃されたら嫌になるかもしれない。
「ちゃんと彼女つくればいいのに」
 重森はとんでもないという顔になった。
「そんなことしたら、どんな恐ろしい目にあうか」
「そ、そんなに?」
 重森ははあっと深いため息をついた。
「本当はね、好きな娘いるんだけど、彼女に迷惑がかかるから告白も出来ないっす」
「なるほどな。女子軍団は彼女に対して嫉妬するか。俺みたいな女の子と縁がないのも何だが、重森みたいにあんまり男前も困ったもんだな」
 俺がそう言って笑うと重森は、 
「斉藤さんっていい人ですね」
 と言った。
「いい人か……そうなんだ、いつもいい人で終わるんだ」
 と言うと重森が笑った。そして乱れた本の整頓をし出した重森の後ろ姿を眺めていて気がついた事がある。制服を着ているが、その下のジーパンがやけに高価な品だということだ。それに履いているスニーカーも、よく見れば腕時計もブランド品だ。すげえな。あの時計、何十万もするやつだぞ。バイトの時間は変わらないし、他にもバイトをしている様子はない。高校生のバイトだから、がんばっても月に数万円だろう。携帯の料金も自分払いと言っていたのに、よくそれだけの出費をひねり出せるもんだ。
「何ですか?」
 俺の視線に気がついて、重森が笑顔で言った。
「ずいぶんと金持ってんだな。着てるもんも時計も全部ブランド品じゃないか」
 と俺がそう言うと、重森は何故かはっとしたような顔になった。
「え……ええ、まあ」
「すげえな、その腕時計。時計好きなんだ?」
「ええ」
「ふうん、俺、どんな時計が今いけてるとか全然知らねえ」
「時計とか興味ないんですか」
「うん、金あったらバイクにかけたい方だから」
「ああ、TW」
「うん、やっと買ったものの、どノーマルだしな。金貯めて早くカスタムしたい」
 重森はアイドルみたいな笑顔を俺に向けて、
「スカチューンっすか」
 と言った。
「そう、TWっていやそれしかねえけどな」
「黄色いタンクでスイングアームも同色に塗るとか」
「え、なんで分かるの? 重森もバイク好きだっけ?」
 重森はくすっと笑った。
「いや、俺はそうでもないんすけど。よく知ってる人がそういうの乗ってて」
「え? まじで? この近所にいる? せっかくのバイク誰かと被ったらいやだなぁ」
「いや、近くじゃない」
 と言った重森の顔はいつもの顔と違って見えた。
 
 それからすぐに重森は表のゴミ箱の整理に出て行ったので、俺も仕事に戻った。夕方の忙しい時間は過ぎて、夜は少し暇になるが酔っぱらいやよく理解出来ない人種がやってくるので気を引き締める。毎晩まったく同じ時間にやって来ては雑誌の立ち読みをし、お目当ての雑誌がないとレジに怒鳴り込んでくる奴とか、商品に対して必ずクレームを言う老人。犬の散歩の途中で何匹もカートに乗せたまま入って来る女、何回注意しても平気で犬同伴で入って来るんだ。入っていい犬は盲導犬だけだ! 俺みたいに神経の細かい人間はそれだけでいらいらして、体力も気力も消耗してしまう。バイトなんだからもっと気楽にと言う仲間もいるけど、性分だから仕方がない。
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