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女王降臨
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食堂の中は静まり返っていた。昼食時の一番混雑している時間なのが最悪だった。
相手はメガネの奥の細い眼で俺を睨んでいたが、がくがく震えた様子で立ち上がり、
「訴えてやる」
と小声で言った。
こういう時に友達の少なさが身に染みる。これだけの人間が見ている中で仲裁をしてくれる奴もいなければ、大丈夫かと声をかけてくれる人間もいない。それは相手のオタク野郎も同じ条件のようだった。少しづつざわめきが戻りつつあり食堂内で俺達はお互いを睨んでるしかなかった。
「金なんか借りてねえ」
と俺は言って、散らばった自分の食器を拾い集めた。
せめて堂々とこの場を去って行きたかったが、トレーを持つ手が震えているのが自分で分かる。泥棒と言われた事への怒りがおさまらないのもあったが、人前で誰かを殴ったという自分をもてあましていた。
はっきり言えばショックだった。
自分がどれだけ泥棒と言う言葉に敏感なのか、を今更思い知らされたからだ。
泥棒なんかじゃない。
人の物を盗むような人間になるな、と俺に教えたのは残念ながら母親の生き様だ。
俺の母親はだらしのない人間だったが、見てくれはたいそう奇麗だった。子供の頃、まだ自分が犬か猫のようにしか扱われてないなんて知らなかった子供の頃はそんな母親が好きだった。機嫌のいい時に笑う母親の顔が奇麗だったのは今でも覚えている。だが、機嫌のいい時といえば、誰かから金をせしめた時か、いい金づるを見つけた時くらいだったのだろうと思う。機嫌の悪い時は金欠で借金取りに追われている時か、男を横取りされたどこかの女が怒鳴り込んできた時だった。大抵は金持ちの奥さん風の女だった。弁護士を連れてきた時もある。最終的には金で解決する事なんだが、相手の女は小さい俺を哀れげな目で見た。母親に一矢報いるには、まだガキの俺を哀れむくらいしかなかったのだろう。
「かわいそうに、あなたもあなたの母親みたいなろくでなしに育つんでしょうね」
とよく言われた。
それを側で聞いていた母親はせせら笑い、びくともしなかった。どんな言葉をもってしてもこの母親を傷つけるなんて見事な芸当は出来っこないのだと俺はガキの頃から知っていた。言葉は母親ではなく俺を傷つけた。俺はろくでなしになるんだとずっと思っていた。
俺にはそれはひどく恐ろしい未来だった。
「あんたの母親は泥棒よ! 人の物を盗んで平気なとんでもない人間だわ!」
その上その盗んだ物を返す時にも売りつけるような女だ。男と別れる手切れ金で母親は生きていたんだからな。そして半死半生で施設へ保護されるまでは、母親が見事な手腕で手に入れた金で俺も生かされていたんだ。
だから泥棒って言葉は俺にとっては頭にくる言葉だ。あの母親と同列に置かれたような気がする。それは俺にとって酷く汚らわしい事だった。
俺とメガネの男はにらみ合った。
そこへ、
「本当に斉藤君だったの?」
と女の声がした。俺と奴は同時にその声の方へ顔をむけて同時にその名を呼んだ。
「相原さん」
同じ講座の相原という女子だった。高圧的な態度と恐ろしく美人なので講座内では女王と呼ばれている。
「西条君がお金貸したって人、本当に斉藤君だったの?」
こいつ西条っていうのか。俺はオタク野郎を見た。西条も俺の顔を見上げてから、
「う、うん、確かに、『俺、斉藤だけど』って言ったし」と言った。
「俺、昨日、体調悪くて学校休んでたんだけど」
「そうね、斉藤君が休んでたのは私も知ってるわ。講義に来なかったもの。でもね、私も昼休みに斉藤君によく似た人を食堂で見たわ?」
と相原は言った。だけどそのセリフは疑問系に終わった。
「ええ? でも俺」
「確かによく似てたけど、何ていうのかしら、いつもとは違う感じだった。だって、ほら、斉藤君て地味じゃない? でも、その斉藤君は何だか派手なシャツを着て、シルバーのアクセサリーとかつけて、ね?」
最後の「ね?」は西条に向かって言ったようだった。西条もうなずいた。
「うん、確かに今日の斉藤君はちょっとガラが悪いなと思ったよ。左腕に刺青みたいなのしてたし」
「してねえよ!」
俺は慌てて上着の袖をまくって見せた。
「髪型も違うし、西条君、斉藤君の名前を騙った別人に騙されたんじゃないの?」
「で、でも…顔は斉藤君だったし」
「本当に? 学生証とか見せてもらった?」
「いや、そこまでは…」
相原女王の上段からの口調に、普段女子と話す機会もない西条はだんだんと押され出した。終いには泣きそうな顔になってそして俺を追求することをあきらめた。最初に言っていた通りに西条が証人を連れてくれば事態も変わったかもしれないが、女子に免疫がない上に格別美人で気の強い女王相手にはこれ以上戦えなかったのだろう。すごすごとあきらめて去って行った。
相手はメガネの奥の細い眼で俺を睨んでいたが、がくがく震えた様子で立ち上がり、
「訴えてやる」
と小声で言った。
こういう時に友達の少なさが身に染みる。これだけの人間が見ている中で仲裁をしてくれる奴もいなければ、大丈夫かと声をかけてくれる人間もいない。それは相手のオタク野郎も同じ条件のようだった。少しづつざわめきが戻りつつあり食堂内で俺達はお互いを睨んでるしかなかった。
「金なんか借りてねえ」
と俺は言って、散らばった自分の食器を拾い集めた。
せめて堂々とこの場を去って行きたかったが、トレーを持つ手が震えているのが自分で分かる。泥棒と言われた事への怒りがおさまらないのもあったが、人前で誰かを殴ったという自分をもてあましていた。
はっきり言えばショックだった。
自分がどれだけ泥棒と言う言葉に敏感なのか、を今更思い知らされたからだ。
泥棒なんかじゃない。
人の物を盗むような人間になるな、と俺に教えたのは残念ながら母親の生き様だ。
俺の母親はだらしのない人間だったが、見てくれはたいそう奇麗だった。子供の頃、まだ自分が犬か猫のようにしか扱われてないなんて知らなかった子供の頃はそんな母親が好きだった。機嫌のいい時に笑う母親の顔が奇麗だったのは今でも覚えている。だが、機嫌のいい時といえば、誰かから金をせしめた時か、いい金づるを見つけた時くらいだったのだろうと思う。機嫌の悪い時は金欠で借金取りに追われている時か、男を横取りされたどこかの女が怒鳴り込んできた時だった。大抵は金持ちの奥さん風の女だった。弁護士を連れてきた時もある。最終的には金で解決する事なんだが、相手の女は小さい俺を哀れげな目で見た。母親に一矢報いるには、まだガキの俺を哀れむくらいしかなかったのだろう。
「かわいそうに、あなたもあなたの母親みたいなろくでなしに育つんでしょうね」
とよく言われた。
それを側で聞いていた母親はせせら笑い、びくともしなかった。どんな言葉をもってしてもこの母親を傷つけるなんて見事な芸当は出来っこないのだと俺はガキの頃から知っていた。言葉は母親ではなく俺を傷つけた。俺はろくでなしになるんだとずっと思っていた。
俺にはそれはひどく恐ろしい未来だった。
「あんたの母親は泥棒よ! 人の物を盗んで平気なとんでもない人間だわ!」
その上その盗んだ物を返す時にも売りつけるような女だ。男と別れる手切れ金で母親は生きていたんだからな。そして半死半生で施設へ保護されるまでは、母親が見事な手腕で手に入れた金で俺も生かされていたんだ。
だから泥棒って言葉は俺にとっては頭にくる言葉だ。あの母親と同列に置かれたような気がする。それは俺にとって酷く汚らわしい事だった。
俺とメガネの男はにらみ合った。
そこへ、
「本当に斉藤君だったの?」
と女の声がした。俺と奴は同時にその声の方へ顔をむけて同時にその名を呼んだ。
「相原さん」
同じ講座の相原という女子だった。高圧的な態度と恐ろしく美人なので講座内では女王と呼ばれている。
「西条君がお金貸したって人、本当に斉藤君だったの?」
こいつ西条っていうのか。俺はオタク野郎を見た。西条も俺の顔を見上げてから、
「う、うん、確かに、『俺、斉藤だけど』って言ったし」と言った。
「俺、昨日、体調悪くて学校休んでたんだけど」
「そうね、斉藤君が休んでたのは私も知ってるわ。講義に来なかったもの。でもね、私も昼休みに斉藤君によく似た人を食堂で見たわ?」
と相原は言った。だけどそのセリフは疑問系に終わった。
「ええ? でも俺」
「確かによく似てたけど、何ていうのかしら、いつもとは違う感じだった。だって、ほら、斉藤君て地味じゃない? でも、その斉藤君は何だか派手なシャツを着て、シルバーのアクセサリーとかつけて、ね?」
最後の「ね?」は西条に向かって言ったようだった。西条もうなずいた。
「うん、確かに今日の斉藤君はちょっとガラが悪いなと思ったよ。左腕に刺青みたいなのしてたし」
「してねえよ!」
俺は慌てて上着の袖をまくって見せた。
「髪型も違うし、西条君、斉藤君の名前を騙った別人に騙されたんじゃないの?」
「で、でも…顔は斉藤君だったし」
「本当に? 学生証とか見せてもらった?」
「いや、そこまでは…」
相原女王の上段からの口調に、普段女子と話す機会もない西条はだんだんと押され出した。終いには泣きそうな顔になってそして俺を追求することをあきらめた。最初に言っていた通りに西条が証人を連れてくれば事態も変わったかもしれないが、女子に免疫がない上に格別美人で気の強い女王相手にはこれ以上戦えなかったのだろう。すごすごとあきらめて去って行った。
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