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第二十三話

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 気まずい時間が流れた。
 あたしは何て言っていいか分からなかった。
 だから、思いついた言葉を言ってみる。
 あたしはもう一度椅子に座った。
「確かにあたしはあなたに惹かれてるかもしれないわ。だけど、あたしはあなたみたいな人とおつきあいをする自信がないの。あなたはきっとあたしとは違う世界の人よ」
「俺みたいな人ってどういう意味だ?」
「だから、あなたはお金持ちで上流階級の人だわ。あたしは一般庶民で、普通の人と普通に恋愛をして結婚するの。このままずるずるとあなたとつきあって、あなたがいざ結婚する時につらい思いをするのは嫌なの。シンデレラを夢みるほど、あたしはばかじゃない。あたしの家は代々おめかけさんだけど、あたしは母達のように愛人になんかなりたくないから」
 言ってしまって、自分でも驚いた。
 母達の生き様を真っ向から否定してしまった。 
「すでに別れる時の事まで考えてるとはね」
 皮肉げに湊が言った。
「今でさえそんな話がでてるくらいだから、きっとそう遠くない将来だわ」
「普通の結婚だって? 普通って何だよ。今時、普通に結婚した夫婦でも一分に一組の割合で離婚してるんだぜ? それに比べて、一条寺の女性達は愛情深いと思ってたが、お前だけがそんなにバカだとはな」
「バカって何よ! あたしはね! あたしは……あたしだけを愛してくれる人がいいの。あたしだけを見ていて欲しいの。いつ会えるか分からない男を待つなんてまっぴらよ」
「だから、いつ俺がお前を愛人にするって言った? 俺はお前とちゃんと恋人になりたいから女関係も清算したって言っただろ?」
「だって、結婚するんでしょ? 今じゃなくても、いつかは誰かと結婚するわ。その時に泣くのは嫌だから、最初からおつきあいはしないと言ってるのよ」
 湊はいらいらと、テーブルをどんっとたたいた。
「そんな事は分からないだろ? お前が他の男と先に結婚するかもしれないぜ? そうなりゃ泣くのは俺の方だ。そんな不確かな未来の事で、どうして今言い争う必要がある? 俺は今、お前が欲しいと言ってるんだ!」

 あたしにはもう言うべき言葉が見つからなかった。
 確かにあたしは湊が好きになっていた。
 いつの間にかこの人にこんなに惹かれている。
 だって、こんなに胸が痛い。

 だけど、あたしには何もない。松本の大奥様のような後ろ盾がない。
 この人の為に何もできない。あたしとの恋愛はこの人に何のメリットもない。
 どうしてそういう風にしか考えられないか? 
 それは仕方がない。そんな家庭に育ったから。愛する人の為に何も差し出せない女は愛人にしかなれない。松本のひいじいさんも城内のじいさんも田代の父も、結局は権力のある女から逃げられなかった。誰もが裕福な家柄や権力を捨てられないのだ。
 誰もがただの女には愛人の地位しか与えられなかった。

「お前はきっと俺の事が好きだ」
「随分、自信があるのね」
 湊はあたしの頬を手でなでると、
「だってな、お前、泣きそうな顔してる」
 と言った。
「そんな事はないわよ。ね、もう横になった方がいいんじゃない? また熱が出るわよ。あたし、帰るわ」
 湊はもうあたしを引きとめなかった。
「さようなら」
 と、これが最後の言葉だろう、そう言ったあたしを無言で見送った。
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