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第二十二話

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「誰が好きなのか考えなさいよ、か」
 あたしは加奈子の言葉を反芻した。
 確かに湊はあたしの好みのタイプだ。そんなに悪い人でもない。
 でも、あたしは傷つくのが嫌だった。愛人という立場で、あの勝気な母がつらい思いをしたのを知ってるからだ。結婚相手が決まっている人を愛するのは嫌だった。
 あたしは普通の家庭を築きたかった。普通のお父さんと普通のお母さんがいて、普通の子供達がいる、そんな家庭が欲しかった。
 誰かを傷つけて、自分もが傷ついて、そんな愛ならいらない。
 でも、普通って何だろう。それぞれの人生を歩いてきて、母も祖母も曽祖母も結構幸せそうだ。
 あたしだけが、自分をみつけられないでいる。
 そんな事を考えてるうちにあたしはうたた寝をしてしまったらしい。
 はっと気がついた時には、あたしの肩に湊の上着がかかっており、湊が冷蔵庫から冷たい麦茶を出している所だった。
「わ、寝ちゃった。あら、起きても大丈夫?」
 時計を見ると、2時間が経過していた。まだ雨はふり続いて、外は真っ暗になっていた。
「ああ、だいぶん楽になった」
「そう。よかったわ」
「おかげさまで」
 湊はそう言ってあたしの向かい側に座った。
「でも、どうしてこんなになるまでほっとくのよ。彼女なり美登利さんになり看病に来てもらえばいいじゃないの」
「美登利? 誰だ? それに女とは全部、手を切った」
「ええ? どうして」
「そうしないと、お前会ってくれないだろ?」
「……今はね、へたな冗談聞いてる気分じゃないの」
「本当さ。田代家との縁談もきっぱり断ったし」
「それは……美登利さんとの婚約が決まったからでしょ? おめでとう」
 あたしは彼に何と言ってもらいたいんだろう?
 否定して欲しいのか、それとも……自分でもよく分からない。
「美登利? さっきから何言ってんだ? 誰だよ、美登利って」
 不審げに湊が首をひねった。
「松本美登利さんよ。ほら、静さんの孫娘の。この間、うちのひいおばあちゃんの所に報告に来てた。美登利さん、ずっと湊の事が好きだったんだってさ」
「ああ! あの美登利ちゃんか。結構美人だったよな」
「うん、凄い美人になってたよ。松本の大奥様は湊の事を超気に入ってるし、いいお話じゃないの。湊グループ万々歳よね」
 湊はしばらく黙っていた。そして、
「そうだな。いい話だな。美登利ちゃんと結婚して静さんが後ろ盾についたら、怖い物はないな」
 と言った。
 あたしは胸がキューッと痛くなった。
 まるで心臓にアイスピックか何かを突き刺されたみたいだった。
 仕方がないので、大きく息を吸いこんで吐いた。
「そうね」
 湊は片手でテーブルに頬杖をついていた。
 あたしをじっと見る。
「あたし、帰るわ。お、お大事に」
 とあたしが立ち上がると湊は、
「お前さ」
 と言った。
「何?」
「別にどうとも思わないわけ?」
「何が」
「俺が美登利ちゃんと結婚しても、別に気にもならないわけ?」
「……あなたが誰と結婚しようが、あたしに止める権利なんかないわ」
「お前の為に女とは全部切れたって言ってる俺にそういう事を言うのか?」
「……そんなの」
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