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九章 夢見の魔女リゲル
280.魔女の弟子と連なり始める意志
しおりを挟む世界とは何か、世界に果てはあるのか、そもそも果てとはなんだ 行き止まりか、ならば行き止まりとはなんなのか、考えるとはなんなのか、なんなのかとはなんなのか
考える、暗い石室のような空間の中、尻から伝わる冷たい感触を味わい、いつもの通りワシは考える、考えることだけが無限であるが故にワシは考え続ける
「………………」
ややものぐさに胡座をかいて天を仰ぐ、この世は実に摩訶不思議であると
この世には其処彼処に宿題が山積している、解けばご褒美がもらえる宿題の山、誰かが手をつけた物 誰かが放置したものやそもそも目も向けられてないものと、山ほどだ
中を覗けば難解な数式や哲学的な文章問題がズラズラと、それを面倒と見るか楽しいと見るかは人によって変わるだろう、だが人類にとってそれは等しく神に授けられた課題であるという事に変わりはない
なのにこれはどういう事だろうか、ワシが死してより八千年 今まで一体どれだけの人間が生まれて死してきた?、どれだけの人間がその頭に知識を詰め込まれて生きてきた?、どれだけの人間が生まれたか数えきれないと言うのに 未だワシの目の前には神からの宿題が山積みではないか
あれも解いてない これもやってない、誰も終わらせていない、なんと人類は怠惰なのか なんと人類とは愚かなのか
何のために生まれてきた、何のために死ぬまで生きた、ただ他種族の肉を喰らい糞に変え続ける無意味な時間を数十年も過ごしておきながら何一つとして正解を出さないまま死ぬ人間は、一体何のために生まれてきた?
ただ己の種を継続するためか?、ただ人類と言う種を残し繁栄させ地上の主導権を握り続けるためか?、ならその繁栄の先に何がある 子々孫々と血脈を紡いだ果ての果てに何がある?
ならばワシが代わりに答えよう、そこまで考えている人間はいない そこまで考えて種を残している生命体はいない、自らの数百世代後の後継体が何かを成すことを期待して今性行為に励む存在などいやしない
ワシはそこに絶望する、…なんと欠陥だらけの存在なのだ 生命とは、ただ増え続け 終わりを先延ばしにし、出された課題に背を向けるこんな存在が地上の支配者などと名乗っていること自体に恥辱の極みを禁じ得ない
…そろそろ終わりにするべきである、終わりがないのなら終わりにすべきだ、山積みの宿題を人類に代わりワシが全て片付けてやる、世界と言う名の問題集を解き明かして 神からの花丸を勝ち取ってみせよう
それこそが真理探究、何者かが意図を持って形成した世界と言う名の課題に隠された たった一筋の真理、それを探求することそのものが人類の役目と言うのなら ワシはそれを求めよう
『真理』が『思考』を超越する時、世界の新たなる扉が開く…中心でさえ出せなかった答えにワシが決着をつける、八度も繰り返された闇雲な諍いが如何に無意味で無益であったかを ワシが教えてやろうとも
「シリウス様」
「……ん」
石室の壁が音を反射する、ワシの瞑想を邪魔するとは、されど思考とは川の流れである、思考が思考である時間は限りがある、いずれ海に出るように 思考は海と言う現実に叩き出される定めにあるのだ
「ウルキか…」
「随分、真面目な顔をされているのですね、似合わないですよ」
「似合うとはお前の価値観の中にあるワシにだろう、お前の中にある世界と外の世界に差異があるとするなら、それは…」
「やめてください、ナヴァグラハみたいなことを言うの」
「ナヴァグラハみたいか、そも…奴とワシは似通った存在故通じ合ったのだ、似ていると言うのならそれはそうだろう」
いつものような俗世に合わせた演技が所望と言うのなら、ワシは道化を演じるべきなのだろう、真理とは戯言である ならば真理を口にするワシは、道化に他ならないのだから
「…ヌハハハハハ!、すまんのうウルキ!ちょいとテンションが上がっておったわ、答えを前にしてな」
「と言うことはつまり?」
「リゲルが隠したワシの肉体の一部の在り処がようやく分かった、どこぞのゴミタレが隠し場所を爆破し地中深くに埋めくさりおった所為で探すのに難儀したわ」
魔力を這い回してより二ヶ月強、ワシの本来の肉体の在り処を方々探していたが、まさか爆破された地下奥深くに隠しておったとは驚きだ、リゲルはそんな真似せんから 恐らく八千年の間に誰かが見つけ、その危険性を察知し埋めたのだろう
厄介なことをしてくれた所為で時間がかかった、ただでさえレグルスの肉体で無茶をしているからか、或いは…いや、やめよう そこから先の探求は不要である
「それで、何処に?」
「ここには無い、この街には無い、まさか中央都市とは別の場所に封印しておったとは ワシも予想だにせんかったわ」
「ほう、では今からそこに向かうのですね?」
「いいや向かわん、…ワシはここで待つ、エリス達を」
エリス達の気配が間近に迫っておる、まさか本当に神聖軍の包囲を掻い潜ってここまで来るとは驚きだ、故にワシはここで待つ
神聖軍を蹴散らし、ここまで辿り着いたら ワシが直々にこの手で相手をすると約束したからのう ワシ自身に、なればこそ相手をせねばなるまいよ
「ウルキ、お前ちょっと行って取ってこい」
「えぇ、パシリですかぁ」
「そうじゃ、何のためにお前は今日まで生きた…その意味を与えてやったワシに報いいるは今では無いのか?」
「今の貴方に、逆らうのは賢い選択ではなさそうですね」
「お前はそもそも賢くないじゃろう、早よ行け…それに吹雪の中待たせるのも悪い」
「待たせる?まぁいいでしょう、では 今度は最高のお土産を手にして戻ってきますよ」
戯言を残し 闇へと消える声を受け、浅く笑う…それが出来れば良いがな と
ウルキ、奴ほど愚かな者もおらぬ…あれは人類の愚昧さを煮詰めたような女だ、故に重用する 愚かであるが故に愛する、あれを愛する限り ワシは求道者にして解答者であり続けられる
「さぁ来てみろエリスよ、お前はこの旅路で何を見た どれだけを見た、それをワシに見せてくれ…、或いはワシと同様の求道者たるお前ならば 耳を傾けよう」
エリスを待つ、如何なる稚拙な答えを導き出しているか そもそも答えすら持ち得ていないか、何方でも良い お前がお前のままならばそれでいい
識を持つナヴァグラハがワシと通じ合ったように、お前もまたワシと同じ道を歩めるはずじゃ
完全復活したその時、新たなる羅睺十悪星として受け入れるに足るか、ここで試そう
「ククク…、楽しみじゃのう…楽しみじゃ、やはり 生きている…とは良いものよな、レグルス」
石室の中 胡座を解いて立ち上がる、さて 休憩は終わりじゃ、風雲は急を告げ 世の動乱は加速する、この戦いの結果がどう出たとしても ついた助走は簡単には消えぬ、動き出した物は止められない 全ては終わりに向かっている、どうしようもない終わりに
最早八千年の停滞は崩れ去った、後に待つのはただ一つの終わりのみ、ならば存分奪い合おうではないか…ワシの望む終焉か カノープス達の望む終焉か、それとも 魔女の弟子達が望む終焉か
それを手に取れるのはただ一人のみ、決める権利を持つのは最後まで立っていた者だけじゃからのう
「フフフ さて、…では ワシも動き始めるか」
気配を探れば 既にエリス達はエノシガリオスに辿り着いているようだ、よもや本当にワシを止めるつもりで来ているのだろうか、にしては些か弱過ぎる気もするのう…第二段階に至っているのはエリスとラグナのみ、これでワシと戦うと?
「バカにしおってからに…、ワシが未だ完全な復活を果たしていなければ、勝機もあると思うておるのか」
どうやらカノープス達はワシの恐ろしさを弟子達に伝えていないようだな、八千年前 お前達を苦しめたのはワシの魔術だけか?…違うじゃろう?
「ククク、どぉれ…ここらで一つ 若者達に見せてやるとしようかのう、格と年季の違いとやらを」
未だ世の道理も知らぬ小童共め、面と向かって殴り合うだけが戦いと思うておるな?、甘い甘い…甘過ぎるわ
この世に『戦いの始まり』はない、敵対した時点で戦いとは始まっておる、既に嚆矢が放たれているにも関わらず 未だ構えすら見せない童共に…、どれ一つ見せてやろう
一つの時代を終わらせた原初の魔女の手練手管をな
……………………………………………………………………
「着いた……、ここが エノシガリオス…」
はぁ と着いた白い息に込められた疲労の重さたるや計り知れず、ここに至るまでの苦労の数々を思い起こさせる
「着いたぞ、ラグナ ナリア」
メルクリウスは馬橇の後ろにて体を休めているラグナとナリアの二人に声をかける
…空白平野、巨大な凍結湖の真上をひたすら進む日々を超え、オライオンでの苦難の日々を二ヶ月強超えて、三人は漸く聖都エノシガリオスへと辿り着いたのだ、本来は万感の思いでハイタッチをしたいところだが…
「ここが、エノシガリオス…」
ズュギアの森での戦いで傷ついた体を癒したナリアは徐に馬橇の外に顔を出して 徐々に迫る街の影を見て目を輝かせ 潤ませる、漸く辿り着けたと
「ああ、長い道のりだった」
「本当です…、もう僕ダメかと思いましたよぅ」
「道中襲撃がなかったのが幸いだったな」
ホッと胸をなで下ろすメルクリウスは冷や汗を拭う、今 ナリアもラグナも戦えない、こんな中神聖軍に襲われたどうしようと常々考えていたが、結局空白平野の旅の最中 邪教執行官達が襲いかかってくることはなかった
追撃を諦めたのか まだ山の向こうを探しているのかはわからないが 幸運であった事は言うまでもない
ただひたすら氷の上を進みながら、少なくなっていく食料を目の前にして、常に敵の襲撃に怯える日々が与えるストレスは凄まじいものだ、老けるかと思ったぞ 私は
「おいラグナ、立てるか?」
だが、問題が過ぎ去った訳ではない、まだ私達には解決しなければならない問題がある…、それは
「お おう、着いたか…ありがとう ここまで馬橇を引いてくれ、ごめん…無能で…」
フルフルと体を震わせ生まれたての子鹿のように必死に立ち上がり、はふぅと力無い溜息を吐くラグナを見て、メルクリウスもつられて溜息が出そうになる
萎れた植物のように力なく、髪色は脱色されたかのように白く その顔から伺えるのはいつものような覇気ではなく 陰気だけ、今にも死にそうな状態のラグナを見て メルクリウスは額に手を当てる
執行官達の追撃を逃れるため、ラグナに無理をさせすぎた、そのせいで彼の中に蓄えてあるエネルギーが底を尽きこの有様だ、一応道中三食辛うじて食わせてはやれたその程度ではエネルギーの補填は出来なかったようで 未だこの状態…
まぁ、食ったと言っても本当に餓死しない程度の食料しかなかったから、エネルギー云々言ってる場合ではなかったのだろうが
「大丈夫か?ラグナ」
「大丈夫大丈夫…、あ…」
グラリと揺れた馬橇に足を取られてコテンと倒れるラグナを見て 益々心配になる、これはかなり重症だ…、いつもなら叫び声をあげながら我々の士気を高めてくれるはずのラグナが 揺れ一つに耐えられず倒れるとは
こんな状態では絶対に戦わせられないな
「もうすぐエノシガリオスだ、そこで山ほど食料を買おう、金はあるんだ」
「…そう上手くいくかな、…でも あそこにゃエリス達もいるんだよな」
「ああ、何事もなければ きっと居るはずだ」
ラグナは倒れながら馬橇の外にあるエノシガリオスを見つめ 口にするのは友の名だ
エリス アマルト メグ、ガメデイラ村で別れた彼らがどうなったのか、終ぞ耳にする事はなかったが、彼らなら大丈夫と言い続けてここまできた…
もうオライオンについてから二ヶ月強、もうすぐタイムリミットだ、もうそろそろ辿り着いてないとまずい時間になっている…、だから エリス達ももう着いていると思うが、合流出来ればいいのだが…
「あそこに、シリウスも居るんですよね」
「…ああ、そう信じてここまでやってきた、居てもらわねば困る」
「もうタイムリミット間近だ、間違いだったら…みんなで泣こうや」
いつものラグナなら それでも何か手を考えるだろうに…、これは精神的にもきているな
まぁいい、それもこれも 彼処に辿り着けば解決する、このオライオン最大の都市にして 中央都市、この空白平野にある唯一の建造物達
氷が張り付いた黒い壁達が無造作に乱立する黒白の街その奥に見える凄まじい大きさの白、下部分はよく見る神殿だというのに その上にドカンと一つ城が乗ったような不安定なフォルムをした大神殿を中心とした街
聖都 エノシガリオス、この旅の終着点は もう目の前だ…、世界を賭けた決戦は もう目の前なんだ
ここでしくじったら元も子もない、気合いを入れろよみんな 私も入れるから、そうメルクリウスは強く手綱を握り 聖都へと向かう
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聖都エノシガリオス、それは超巨大な凍結湖である空白平野のど真ん中に存在する神の街、と言ってもこの街自体は氷の上に建っているわけではない
元々白の大地が湖であった頃から、中央に離れ小島のように存在していた陸地があった、エノシガリオスはその真上に建てられているのだ、故に踏みしめれば白雪の下に懐かしき大地の感触を感じる事だろう
しかしなんと言っても、このエノシガリオスという街は何とも不可思議な街だ、この国一番の大きさを持ち 王も教皇もここに住んでいるというのに 立地的に最悪の場所だとは思わないか?、何せ凍っているとはいえ湖のど真ん中にある小島の上だ、吹き抜けるブリザードは街を覆うし 商人もここに来るのに命懸け 、オライオンの東南部は比較的温暖だし アジメク側は雪が溶けるほどに暖かい、中央都市ならばもっと豊かな大地に居を構えれば良いものを…と
それは事実だ、事実多くの人間がそう思っている、メルクウリスやラグナ エリスも何だったらこの街に住んでる人間の中にも そう思ってる人が何人かいるかもしれない
だが、そうではないのだ、立地とか 地理とか そういう理由でここにエノシガリオスがあるわけじゃない
……始まりは遥か昔、一説によると魔女が生まれるよりも更に二千年ほど前、突如として天を割いて現れた救世女神レイシアが顕現したのがこの地と言われており、彼女の出現と同時に荒れ果てた大地は一気に芽吹き その足元から水が吹き出しこの湖が出来たと言われている
そんなレイシアは自らを崇めさせる為の団体をこの世に作り出した、それこそが人類最古にして最初の『教会』 …、後のアストロラーベ星教である
そう、つまりここはアストロラーベ星教発祥の地にしてアストロラーベ星教最大の聖地だったのだ
アストロラーベを前身に持ち リゲル自身もその教徒であったが故に、その流れを組むテシュタル教にとっても非常に重要な土地、今は亡きアストロラーベの聖地の残骸の上に建てられたここは アストロラーベの夢の跡であり 厄災にて命を落とした原始の聖女の墓標であり、リゲルの信仰の証でもあるのだ
そんなエノシガリオスの特徴を挙げるとするなら一つ
漆黒の街に砂糖のような雪がまぶされた街中にドカンと構えられた巨大な白亜の神殿…テシュタル神聖堂、世界一の巨大さを誇ると言われるその大神殿はそこらの王城なんかよりもずっと巨大で荘厳だ、事実この国の王家の住まう城よりも巨大だ
下層部分は信徒に開かれた神殿として機能しており、テシュタル教に伝わる数多くの聖遺物を保管しているとも言われる、中でも目玉なのが 毎日数百人は絶えず部屋を埋めていると言われる大祈祷殿と呼ばれる部屋だ
綺麗なステンドグラスと星神王テシュタルを象った巨像が安置されており、テシュタルに祈りを捧げる信徒なら 一生に一度はここで祈ることを推奨されると言われるほどにテシュタル教にとって重要な場所だ
そして上層はテシュタル神聖軍および教皇直属の存在しか入ることを許されぬ星神城アルゲディルとなっている
そこには常に教皇リゲルが天に向けて祈りを捧げていると言われており、それを守る神将や教皇のサポートをする枢機卿などこの国の要人がオライオンの国政を行っているとされているそうだ、実質的な王城だな
この街にいる限りどこでも見ることが出来るそのテシュタル神聖堂の周囲では、常に信徒達や聖歌隊 聖女が祈りの歌を口ずさんでいるのだ…、異様な街といえば異様な街だが この国らしいとも言える
「…あれがテシュタル神聖堂か」
「大きいですねぇ…」
そんな街中を歩く三人の男女、皆黒いローブを目深く被り 目立たないよう道の端を歩きながら街を探索している、誰かなど言うまでもない メルクリウス達だ
この街は神聖軍の本拠地でもある、故にメルクリウス達はこうして素性がバレないように身格好を隠して街を歩くより他ないのだ、この信徒服だらけの街でローブ姿…目立ってないかと言われれば怪しいがな
「でもあれ、王城じゃないんですよね…」
「事実上の王城さ、この国にも聖王なる王族は存在しているが、その権利は無いに等しい…、世界で一番 身分の低い王だなどと 他国では言われているほどだ」
そう家屋の壁にもたれながらメルクリウスは口にする、ナリアの言う通りあれは王城じゃない…だが、さっきも言ったが事実上の王城だ、国の重要な取り決めは教皇や司祭が行なっているし 国王が本来持つ権限は神官達が分割して所有している、何だったら軍隊もあそこにいるんだ もう王城と言っても差し障りはない
宗教が行政を凌駕した国、それがこの国なのだ、そんな国の王様は他国の地方貴族にも劣る程度の権威しか持ち合わせないのは当然の帰結だ
一応、この街にその聖王の住まいがあるそうだが…、ここからでは見えない、普通は街全体から見通せるほど大きく建てて権威作りをするものだが、その役目を神殿が担っているのだから 見えなくて当然か
「本当に宗教が全てなんですね」
「というより魔女の一存さ、この世界はな」
結局は魔女だ、魔女の価値観で国のあり方は変わる、魔女リゲルがアストロラーベ星教の敬虔な信徒でなけれこの国の様相も違ったろう、故に 魔女によって大国は姿を変える、…それが世界なのだ、そこに反発する者もいるが そういうものなのだから受け入れるしかあるまいよ、足掻いても疲れるだけだ
「さて、世間話はそろそろにして、動き始めるか」
「まずはラグナさんを回復させるためにご飯の用意…ですよね」
「ああ、まずはともあれ ラグナを回復させない限りはなぁ…」
チラリと横を見れば我々の会話に混ざる余力もないのか、杖をつきながらヨロヨロと立つラグナの姿が見える、今のラグナは貧弱極まりない…今ナリアと力比べした 五秒でナリアに負けそうなくらい弱々しい
さっきなんか風に煽られてひゅるひゅる飛んでったからな、これを放置は出来ない…、ここは神聖軍の本拠地 この国のどの場所よりも襲撃に警戒しなければいけない場所だ、そんな場所でいつまでもうちの主戦力をダウンさせてはおけない
エリス達の合流やシリウスが居るであろう『魔女の懺悔室』探しなどやることは盛りだくさんだが、まずはラグナの回復を優先させるべきだ
「ラグナ、大丈夫か?歩けるか?」
「だ 大丈夫、大丈夫だから…置いていかないでくれ」
「置いていかんよ、安心しろ」
これがあのラグナとは思えないな、…精神的にも弱っているようだ
こんな姿をエリスに見せれば 彼の沽券に関わるだろう、早めに回復させたい…、幸いここまで中央都市、食料はたくさん売っており 私の懐には店を一つ買い取ってもあまりある金品がある
これで食料をたくさん買って ラグナに食べさせれば、また彼はいつも勇ましい姿に戻るはずだ
「さて、行こうか… ナリア、ラグナを頼む」
「はい、さぁ行きますよおじいちゃん、孫の僕がついてるから安心ですよ」
「あ…ああ」
どうやら祖父と孫と言う設定で行くらしい、まぁ今のラグナは髪の色素も薄く 弱々しく杖をついているから、おじいちゃんといえばおじいちゃんだな
ナリアにラグナを任せ 私は街中を歩む、なるべく顔を見られないよう、怪しまれないよう歩く、ここは他の街や村と違って人通りも多い、努めて警戒せねば
「…………」
「神よ…神よ…んんっ!、今日はちょっと喉の調子が悪いなあ、今日は歌を歌いに行くのやめようかな」
「ああ!もうこんな時間!、早くしないとフットボールの試合が始まっちゃう!」
「最近の若いのはなっとりませんなぁ、私の若い頃なんかはテシュタル様への信仰を示すために毎日冷水を被って祈っていたと言うのに」
道端の影を辿るように歩きながら 中央を行く信徒達に目を向ければ、雑多な会話や道行く人たちの雪を踏む音が聞こえてくる、しかし 随分平穏な街だな…、いや平和なのは結構なことだが…
(神敵云々は聞かされていないのか?)
ここには軍部の本拠地もある、なら我々の話はいの一番に伝わっていてもいいはずだ、だが それたらもう少しこう…何かしら 緊張感が漂っていてもいいと思うのだが、それとも軍部内だけで情報が完結しているのか?、飽くまで民間人を巻き込むまいとしているとか…か?
ならそれはそれでありがたい、街全体で警戒されたら 流石にすぐに見つかってしまうからな
それに、巡回する兵士の姿もないし…、うーん だがやはり異様だな
「にしても、なんか変な街ですね」
「ん?、ナリアも感じるか?」
「はい、大きな声じゃ言えませんが…、なんか 街人の歩き方や喋り方が気になります」
「どう言う事だそれは…」
どこに注目しているんだナリアは…、彼は彼なりの価値観や観察眼を持つから 何かあるんだろうが…、私には何も感じないしな…
(神聖軍の姿もなく、我らを探す兵士の姿もない…、嫌な考えが拭えないが、今することもできることも一つしかない以上、やるしかないか)
いくら気にしても仕方ない、我らに出来る事はあまりに少ない、いくら警戒しても 警戒することしかできないのが現状だ、なら ヤキモキして動かない方が帰って事は悪く進む
こう言う時は行動、マスターも言っていただろう…常に行動あるのみと
「来い、二人とも あちらに店がある、そこで買えるだけ食料を買おう、ラグナ 食いたいものはあるか?」
「なんでもいいけど…強いて言うならシチューが食べたい」
「む……」
シチューか、それはエリスの得意料理だったな…うむ、確かにこう寒いとエリスのシチューが食べたくなる、野菜をトロトロになるまで煮込んで肉の出汁を聞かせ 黄金の油が浮いた極上のシチュー…、コルスコルピに居た時は冬場によく作ってくれたアレが今は無性に恋しくなる
しかし参ったな、シチューの作り方なんて覚えてないぞ…、確か肉とジャガイモと人参と…あとなんだ?牛乳?分からん、コルスコルピに居た頃はある程度自炊していたが そんなものもう忘れてしまったしな…
ええい、まぁいい それっぽいのを全部買ってぶち込めばそれっぽいのは出来るだろう
「店主よ、今いいかな」
「ん?はいよいらっしゃい、お求めかね?」
「ああ、少し食材を買いたくてね」
「そうですか、どうぞご覧ください」
店先に立ち客を待つ店主に声をかけて軽く手を挙げ挨拶すれば、店主はにこやかに挨拶を返してくれる、こう言うところはなんというかこの国らしいな
何がって、客に対する態度さ、これがデルセクト人なら全力で客に商品を買わせるために思い切りサービスしてくる、言ってみれば貪欲なんだ 我が国の人間はな、だが この国ではそれがない
故にやや面を喰らう程だ、そんなに消極的で大丈夫かとな
「さて、どれを買ったものか」
一応一通り揃ってはいる、肉も 野菜も 魚も、だがどれをどう使ったものか…、中には見たこともない野菜もあるし、ううーん…分からん
「シチューの材料はどれなんだ…」
「シチュー?なんですか?それ」
「え?…」
ハッとする、そうだ この国は料理の文化が殆ど無い、食材を殆どありのままで食べる文化が主流の国…、下手に口にするべきではなかったか…
「い いや、別に…」
「め メルクさん」
ふと、誤魔化そうとした瞬間 ナリアが後ろから私のローブをちょいちょいと引っ張るのだ、今忙しいのだから後にして欲しいんだが…
「メルクさん…!」
というか名前を呼ぶな!いくら警戒されていないからって…!
「神聖軍が…」
「え…!?」
慌てて振り向く、神聖軍…今 神聖軍と言ったのか!?、だがさっきまで姿も形も…
「な…!?」
周囲を見れば ズラリと並ぶ街人達が、こちらを睨んでいる…、違う こいつら街人じゃ無い、だって 今手にかけたボタンの奥から…、見えるんだ 刺繍が
執行官は縛り首に処される髑髏のマーク
見た事はないが死番衆なる組織は槍を突き立てられる髑髏のマーク
そして、奴らの胸元から現れるのは…そのどちらとも違う
神々しい後光を背後に示す勇ましき髑髏のマーク、…恐らく 神聖軍の三大勢力最強と謳われる組織…
「まさか、聖務教団…!」
闘神聖務教団、闘神将ネレイド直属の部隊である聖務教団の別名はオライオン最強の部隊、帝国で言うところの第十師団 アルクカースで言うところの討滅戦士団、その使命は名の通り聖務活動
つまり、神の御名の元行われる活動全てを肯定する存在、…神が復興を命じれば復興を 破壊を命じれば破壊を行う神の下僕
それが今我々の目の前に現れたのだ…、今のこいつらの目的が何か言うまでもないだろう、神が殺せと命じた存在を前にした聖務教団が何をするかなんて 考えるまでもない
「そうか、通行人に化けていたのか…」
「すみません、僕がもっとよく見ていたら…」
いや、ナリアは責められない…ナリアは確かに気に留めていた、それを気にしなかったのは私だ…、私が気がつけなかったから…!
「こんにちわ、神敵の皆さん…よくもノコノコ現れてくれましたね」
サラリと流れるような白髪を揺らして現れる一人のシスターが笑う、一見すればこの国ならどこでも見るような修道女だが…その服の下から覗く聖務教団の制服と 隆々の筋肉が只者ではないことを示している
「既に街人達は屋内に避難している、そこの店主も我々の部下だ、気がつかなかったか?」
そして女に続くように これまた白い髪を露わにして現れる神父…と言うにはあまりに大柄な大男がニタリと笑って信徒服を脱ぎ捨て聖務教団の制服を見せつける、つまり 罠だったと言うことか 全てが…
「君達がこの街に来る事は教皇の神託で理解していた、待ち構えていないわけがないだろう?」
「それも…、そうだな」
「まぁ、ここまで辿り着く事自体が誤算ではあるが、それもここまでだ…我々二人の団長が揃った今 お前達の幸運もここまでだ」
「団長…お前達が?」
聖務教団には二人の団長がいると言う、国内最強の部隊の隊長だ 邪教執行の副官達とは比べものにならない事は容易に想像がつく…、そして それがこの白髪の男女、と言うわけか
「そう、ここは派手に名乗らせていただこう!」
そう言うなり彼らは二人揃って聖務教団の制服さえも脱ぎ去り 動きやすいスウェットスーツに早着替えをして…ってこいつらも脱ぐのか!?、この国の人間に羞恥心はないのか!?
「よく聞けーっ!神敵共ーっ!」
ギィーンと音がする勢いで女の声が響く、見れば手元に小さな棒を握っている…これは、拡声魔術か?、いや なんでそんなもの目の前で使うんだ!?
「私は『氷上に咲く薔薇』!聖務教団 団長アクタイエ!」
どこからか取り出したバラを口に咥え 華麗にポーズを決める女の名をアクタイエ…、スウェットスーツの下から見える筋肉は鋼のように鍛えられておりこの国にいながらやや浅黒く焼けた肌は寒さを感じさせない
「そして!、私が『氷上に咲く薔薇!』聖務教団 団長エウポンペ!」
そしてついで名乗るのはいつのまにか炎を模した絵の書かれたマスクを被上半身裸になったマスクマン、名をエウポンペ…服を脱いだ瞬間筋肉が爆発したのではと錯覚するほどの爆裂剛体を見せつけ 虚空に向かって掴みかかるようなポーズを取り我らを威嚇し吠える…
これが、聖務教団…国内最強の部隊を率いる隊長、というか
「二人とも異名が被っているだろうが!、せめて分けろ!」
「なら『氷上に咲く』アクタイエ!」
「『薔薇』!エウポンペ!」
「二つに分けろとは言ってない!」
「我らオライオンレスリング界のニューホープ!『ネーレイデス』!」
「無視をするな…!」
間抜けだ、なんて間抜けな絵面なんだ、何を私はこんな変な格好をした変なやつらに対して大真面目に怒鳴っているんだ、というか相手をしているだけで疲れてくるぞ
…だが、だが それでもだ、やはりこいつらの纏うオーラは並みのそれではない、今の我らでは余るほどの…!
(まずいぞ…、完全に囲まれている、まさかここまで周到とは!)
右にも左にも聖務教団、逃げ場はない…完全に囲まれている
だが思えば当然のことではある、私も指揮官の座にいれば似たようなことをするだろう、街人に変装し 相手が街中まで進んで逃げ場を自ら絶った後に正体を現し袋叩きにする
極めて合理的な作戦、敵ながら天晴れだ!
「さて?、君達にはこれから死んでもらうが…、何か言い残す事はあるか?」
「くっ…、ナリア ラグナ 後ろに下がっていろ…私がなんとか道を切り開く」
「そ そんな、メルクさん!僕も戦います!」
そうはいうがナリアもラグナも本調子じゃない、今戦えば間違いなく死ぬ…私がやるしかない、だが
「貴方一人で戦うと?、我らを相手に?随分な無茶を言うようだな」
マスクマン エウポンペがやや不機嫌そうに声を低くする、確かに 無茶だ、この数の上に聖務教団の団長達、私一人でナリア達を守りながら道を切り開くのは難しいかもしれない
だが、二人が私を守ってくれたように、私もお前達を守らねばならんのだ、私一人だけ無傷でいることなど許されないのだ!
「無論だ、言っておくが…手加減は出来んぞ、追い詰められた獣の恐ろしさをあまり侮るなよ」
両手に銃を作り出し 構えを取る、本当なら この街に被害など出したくはない、だが 他国を慮り我が盟友を疎かにする程 私は非常な人間ではない、どうしても と言うのなら…だが仕方なかったんだ と口にする覚悟はあるぞ
「上等だ、行くぞエウポンペ!我らが空中殺法を見せてやろう!」
「任せろアクタイエ!」
されどその程度で怯む人間をオライオンでは要職につけては居ないらしい、寧ろ上等と息巻く二人は部下達に先んじて動き始め 私はそれを観察する…、そうだ 観察だ
如何なる勝機も見出さねば勝ちはない、故に観察し 観測し 考えるのだとマスターは私に教えてくれた、だから観察する
見たところ武器を持っている気配はない、二人の筋肉は一般のそれから乖離するほど鍛え上げられていることから ネレイド同様 レスリングなどの武道を主体とした戦いをすると見え…
「行くぞ必殺!」
薔薇の女戦士 アクタイエが強く踏み込む、その一方で大地の雪が起き上がるほどの猛烈な踏み込みは ただの一歩でアクタイエの体をトップスピードまで持って行き…
「『ジェットスラスタードロップ』!」
飛んだ、文字通り 凄まじい速度で体を飛び上げ矢のように体を伸ばし、両足での蹴りを私に向けて放ってくるのだ、叫ぶ技名に加速魔術『ジェットスラスター』を織り交ぜ 全体重を預ける両足での蹴りは 一瞬にして私の目の前に肉薄し…
「くっ…『Alchemic・steel』!」
慌てて右腕を鋼鉄に変換しアクタイエの蹴りを防ぐ、が 伝わってくる振動と衝撃が伝える これを生身で受けていたら骨は折れ 内臓は破裂していたと
「む!?腕が鋼鉄に!?」
「侮るなと言ったはずだ…!」
だがな、生憎と我が身は錬金術により自在に変化が可能なのだ、銃を使わずとも …
「『Alchemic・bomb』ッッ!!」
振り下ろすは文字通りの鉄拳、錬金術にて空気を爆薬に変換し 未だ空中に浮かぶアクタイエの顔を撃ち抜けば、さながら撃鉄に打たれた弾丸の如く爆炎を吹き出し アクタイエの体が地面目掛けて発砲される
「がはぁっ!?」
「アクタイエ!」
「ふんっ!、手加減は出来んとも言ったが?」
「わー!、メルクさん強ーい!」
当たり前だ、私のことをなんだと思っていたんだナリアよ、私とて魔女の弟子…最近は修羅場に身を置くことが少なくなったが、戦いの勘は未だ衰えていないのだ
「ぐっ…、報告では赤い髪の神敵以外危険度は少ないと聞いていたが…」
「まぁ確かにラグナの方が恐ろしいだろうよ、だが…私が弱いと報告した人間が居たとしたら そいつは虚偽報告を行ったことになるだろうな」
爆薬の破裂を目の前で受けてなお立ち上がるアクタイエの耐久力も見事だが、ラグナもナリアも副官を倒しているんだ、私もこのくらいやっておかないとな
まぁ、と言っても…
「仕方ない、エウポンペ!」
「ツープラトンで行くとするか…アクタイエ」
問題は 敵の数が凄まじいことにある、アクタイエ一人なら まだ相手を出来るが…、さて どこまで粘れるかな、私よ!
「行くぞ!」
「いや来るな!」
クルリと態勢を整え エウポンペとアクタイエ 揃っての強襲を仕掛けてくる、猛然と突っ込む筋肉列車目掛け両手の銃を放ち牽制するが、ダメだ 分かる こいつら銃弾の軌道を見切っている
ジグザグと乱れるようなステップで銃撃を回避すると共に肉の壁は屹立する、我が眼前に
「どうした、手加減する必要はないのだぞ?」
「くっ…!」
咄嗟に向けた銃口がアクタイエの平手に弾かれる、しまったと思った時点で私の視点は完全にアクタイエに向けられていることになる、そして 相手の視線や視点をが読めないほどこいつらは弱くない
「我ら二人のコンビネーションは完全完璧!」
「ッ!?」
手を引かれた エウポンペの筋骨隆々の手に掴まれグルリとハンマーでも振り回すが如き勢いで私の体が振るわれたのだ、私だって軍人として体幹を鍛えているはずなのに 地に張った足を雑草でも引っこ抜くかのように振るうエウポンペの怪力に抵抗出来ない…!
「行くぞーっ!アクタイエーっ!」
「任せろーっ!エウポンペーっ!」
振り回し 投げ飛ばす先は待ち構えるアクタイエの目の前、投げ飛ばされつんのめるように走らされる私の体は 風に流れるように動き、それと同時にアクタイエも腕を伸ばし走り出し…
「『ハンマーブレイク・クローズライン』ッ!」
「がはぁっ!?」
伸ばしたアクタイエの腕が私の首に突き刺さる、走る私とは正反対の方向から走り来るアクタイエの全体重と勢いが私の首の一点に衝撃を的確に与えるのだ、その衝撃たるや 私の足が宙に浮き 体が舞い グルリと一周空中を回転してしまうほど
受け身も取れず頭から雪の上に落ち、もがく私を他所に さらに二人は動き出し
「まだまだ行くぞエウポンペ!」
「ああアクタイエ!、俺を使え!」
「応…!」
「な…何を…」
アクタイエが駆け抜ける、走り出し 走り抜け アクタイエの筋肉をハシゴのように使い 空中へと飛び上がるのだ、くるりくるりと戯れのように回転し、太陽を背にすると同時に 膝を突き立て、こちらに向かって落ちて…
ま まずい、頭蓋を砕くつもりだ…!
「『メテオリート・プランチャ』ーッ!!」
突き立てた膝をギロチンのように構え 自由落下で相手の頭蓋を狙うアクタイエとエウポンペのコンビが繰り出す百八の殺人ルチャの奥義が一つ、試合では用いず 実戦にのみ見せるこの一撃はアクタイエの加速魔術により神の振り下ろす槍とも例えられる程の威力を持つ
それが今 メルクリウスの頭上に迫る、首にクローズラインを昏倒した彼女にこれを避けるのは不可能だ、首とはそれだけの急所なのだ、だかを最初にそこを狙ったのだ
アクタイエとエウポンペのコンビネーションは最高ランクに至っている、あれはもう一人の人間と見てもいいほどだ、メルクリウスはそこを見誤ったのだろう
だからこそ、必要なのだ… もう一つの手が
「メルクさん!」
「お前…ッ!?」
突如横から飛び出した影に突き飛ばされ 抱きかかえられたままゴロゴロと雪の上を転がるメルクリウスと共にアクタイエの膝蹴りが大地に突き刺さり 雪の下の石畳を叩き砕く、あれを受けていればメルクリウスの頭蓋は容易く粉末になって中からジャムを溢れさせていたことだろう
つまり、助けられた メルクウリスは今…
「ラグナ!、お前!無理するな!」
「ってて…」
飛び出しのはラグナだ、ロクに力が出ないにもかかわらず 全力で飛び出してメルクリウスを突き飛ばしたのだ、危うく巻き込まれる可能性もあるというのに ラグナは…
「馬鹿言うなよ、仲間助けるために無理してる奴を前に こっちも無理しないで助けに入れるかっての…」
「だがお前…」
今ラグナがメルクリウスを突き飛ばした力は ラグナが今までの旅路の中細々貯蓄していた最後のエネルギーだ、吹き消える蝋燭の最後の煌めきの如き一瞬の力…、それを他でもないメルクリウスを助ける為に使った以上、今の彼の中には もう一抹の力さえ残っていないだろう
「なんだ、助けに入るか?…と言うかお前は誰だ、白髪の神敵の情報などなかったぞ」
完全に燃え尽きて灰となったラグナの髪は完全に白く染まっており、その体からは一切の力を感じない…、これはまずいとメルクウリスが悟る、ラグナの肉体構造はよく分からないが これはまずい
このまま放っておけば、ラグナが死ぬ…、そんな雪よりも冷たい感覚が背を伝う、だが
「俺ぁラグナだ、神の敵じゃねぇテメェらの敵だ、こいつらの仲間だ、それ以上の理由と立場が必要か…?」
それでも立ち上がるラグナは、萎えた体をゆっくりと起こし 膝に手を突いて立ち上がる、エウポンペとアクタイエの二人に真っ赤な視線を向けて 白い髪を揺らして立ち上がるのだ
「やめろ!ラグナ!戦うな!死ぬぞ!」
「…メルクさん、それは無理な相談だよ、俺は誰かを守る為に強くなったんだ…、それを腹に据えて 今日まで鍛えた以上!、例えこの身に力が残っていなくとも それでも立たなきゃいけないんだよ!、でなきゃ俺は…!俺に負けることになる!」
弱い とは何か、ラグナは心の中で自問自答する
力が無く 風に吹かれてよろけるような貧弱さを弱さと呼ぶかといえば、そうではない
軍団を前にして 逃げ続けることが弱さと呼ぶかといえば、そうじゃない
弱さとは 自分に負けることだと彼女が言った、弱さを認めること自体が弱さなのだと、無力でもいい 無様でもいい、でも自分にだけは負けちゃいけないんだ、自分に誓ったことだけは 曲げちゃいけないんだ
あの日 あの雨の中、エリスに怒鳴られたあの言葉とあの顔が 今の俺を作った、俺はもう あの日のように自分を曲げない 自分に負けない、だから 立つんだ!
「俺は負けねぇ!誰にも!自分にも!、だから…」
ただ立ち上がるだけでゼェゼェと息を切らせ 足は震え、自分の体を手で支えていないと倒れそうな程 死に体のラグナは、立ち上がり 目の前の敵を睨みつける…、いや 睨むだけしか出来ない
それはアクタイエもエウポンペも理解している…だが
「うっ…!」
攻め込めない、気圧されている 今にも死にそうなラグナの姿に 今二人は呑まれている、押せば倒れることは目に見えているのに 戦いを挑んで勝てるビジョンがまるで見えない
あまりにも恐ろしい、同じ武の道を行く二人はラグナと言う男の背負う 武の修羅とも呼べる威容にに恐怖した、畏怖した、底を見せた…
「かかって来いや、次ぁ俺が相手になる…」
「これは、これが ネレイド様に手傷を負わせた男の威容…」
「これ程までに弱りながらも、こんなにも大きく見せるとは…!、だがな…!」
それでも奮い立つ理由があるのはラグナだけじゃない、二人だってこの場に覚悟と責任を持って臨んでいるんだ
オライオンの中央都市 聖都エノシガリオス、それはオライオンと言う大国の柱だ、そこに如何なる理由があれど立ち入り 我ら聖務教団を押しのけて好きにさせたとあれば、一体この国は 何を頼りに立てばいい
国民の安堵はどこに行く、オライオンの威信はどうなる、それを守るのが神聖軍 それを支えるのが聖務教団 それを率いるのが己ら団長の責務なのだ
神将ではないが それでも彼らはオライオンの戦士、誇りと信仰心を手に 祖国の為に戦う戦士なのだ、如何に相手が恐ろしくとも、一歩たりとも引いてはいけないのだ
「我等は聖務教団 団長!、それが臆するわけにはいかんのだ!、我らはオライオンの高潔なる戦士達の指標たり得ねばならん!」
「そんな我らが 我らまでもが、お前達の狼藉を見過ごすわけにはいかんのだ!、この街は この国は オライオンの威信は!我らが守る!」
「…くだらねぇ見栄よりそっちのがよっぽど決まってるぜ…、負け…らんねぇな」
「行くぞエウポンペ!」
「ああ!アクタイエ!」
この男は何が何でもここで消さねばならない、何故ここまで弱っているかは知らないがその本来の力を取り戻したその時は、本当にこのエノシガリオスが危機に陥れられる時、故にここで全力で潰す
「死ねぇぇぇぇ!!!」
「神敵ぃぃぃぃい!」
「ッ…来い!」
「来いじゃない!やめろ!ラグナ!」
迫り来る二人の団長、襲い来る猛烈な敵意、止めにかかるメルクさんの言葉、だがもう何もかも遅い…、悪いメルクさん あんたの無茶を見過ごせないばかりに、おんなじような無茶しちまって…だけどやっぱり、俺は俺を曲げられないよ…
「ッッ……!!」
もうロクに力の入らない拳を握り、縺れる足で踏み込んで 迫る敵意を前に覚悟を決めるラグナは、見ていなかった…
アクタイエも
エウポンペも
見ていなかった、それを その場で最初に近くしたのは
メルクリウスであった
「んなっ!?」
未だダメージから復帰し切れず動けない彼女に風が吹き、その肩を引き寄せ 風な更に前へと突き進む
風にコートの端をたなびかせ、見慣れた筈のその背中を見送って、拳を構えて…ラグナの元へ
「必殺!ジェットスラスター…!」
踏み込み 再び人体を破壊する蹴りをラグナに放とうと飛び立つアクタイエ、その速度に反応しきれるだけの体力をラグナは持ち合わせていない
誰もがラグナの死を幻視したろう、メルクと…『彼女』以外
……………………………………瞬間、ラグナの背後が煌めいたのを メルクはその目でしかと捉えていた
「何してくれてんですかぁぁぁっっっ!!」
「ぐぶぁぁっっ!?!?」
その光は真っ直ぐアクタイエの頬を捉え、落雷の如き速度その体を押し返し 烈火の如き勢いでその体を吹き飛ばす、走るのは拳 立ち込める白煙は電撃を纏い、風に揺れる金の髪と漆黒のコートが、ラグナの目の前に突如として現れる
いや、彼を押しのけ 間に入り、アクタイエを殴り飛ばしたのだ、疾風のように素早く電撃のように苛烈に、そして 閃光のように鮮烈に、その場に現れた一陣の風は怒りを拳に込めながら、ラグナを前に背を向ける
「お前は…」
かつて、ラグナはその背とコートを見たことがある
一瞬頭がこう告げる…『魔女レグルスが現れた』と、そして直ぐに心がそう告げる『いや違う、彼女はレグルスではない』と
レグルスに見紛う威風堂々たる立ち姿、風にコートを遊ばせるその悠然たる佇まい、伝説に伝わる魔女レグルスそのものの姿をその身一つで体現する背中を見て、ラグナは思わず
安堵の笑みを浮かべ、そして彼女もまた こちらを振り向く
「大丈夫ですか?、ラグナ…遅くなってすみません」
「いいやエリス、ありがとう…助かった」
レグルスの教えと意志を継ぎし者、孤独の魔女の弟子 エリス 彼女が振り向いて、ラグナの目の前で振り向いて、心配そうに声をかけるんだ
ガメデイラで別れ 今の今までどうしているかも分からず、ただただ再会を信じた最愛の彼女が今 俺の前に颯爽と現れてくれた
「エリスさん!」
「エリス!無事だったか!」
「はい!、ちょっと色々あって遅れましたが、エリスです!メルクさん!ナリアさん!」
涙を浮かべるナリア 声を震わせるメルクさん、みんなみんな 彼女に会いたかったんだ、ようやく会えた…漸く、ああ 惚れ直しそうだぜ、エリス
「エリス…貴様、神敵エリスか!?、まさか神敵が合流を…」
「貴方達ですね、エリスの友達を殺そうとしてたのは…、言い訳は地獄で聞きます、先に行って内容を考えておきなさい!」
まさかの増援、予期せぬ救援、エウポンペ達も察知していなかった神敵エリスの乱入に 周囲の教団達もまた驚愕に慄く、まさか本当にプルトンディースから抜け出していたとは
そんな驚きも無視してエリスは激烈に怒り、拳を鳴らしながら今にもエウポンペに殴りかかろうと雪を踏みしめる、しかし
「あーおいおい!、待てってエリス!まずは体勢立て直すのが先だろ!」
「とりあえず抑えてくださいませエリス様!、怒るのはわかりますが今ここで戦うのは賢くありません!」
「メグ!アマルト!、お前達も…よくぞ無事で…!」
ぬるりと虚空に開いた穴を通って現れるのは エリスと共に監獄に消えたアマルトとメグだ、二人とも無事だ 生きている…良かった、なんて三人揃って安堵していると ワタワタと慌てたメグがこちらを見るなり
「メルクリウス様 再会の喜びは後ほど!、今は離脱でございます!」
「おうナリア!、こっち来い!」
「あわわアマルトさん!、ですがラグナさんが!ラグナさんが動けないんです!」
「ありゃあエリスがなんとかするよ!、な!エリス!」
「はい!、…ラグナ 動けますか?」
心配そうにこちらを覗き込むエリスの顔が聞く、動けるか?だってさ、情けない
惚れた女に助けられて 惚れた女に心配されて、その上肩で担がれて逃げるつもりか?俺は、そんなの許容できるわけがねぇ、情けないところはそれ以上見せられない…、動けよ俺 死んでも動け、これ以上エリスに かっこ悪ぃとこみせんなよ!
「ぐっ!ぅぅぅぅぅうう大丈夫!、動ける!」
「…フフフ、なら行きましょう!皆さん!時界門の中に退避ー!」
「おー!!」
「まずい!逃げるぞ!追え!」
ナリアを抱えて逃げるアマルト、メルクさんを支えて走るメグ、そして エリスと並んで走る俺、もう膝から崩れそうになりながらも せめて格好だけでも立派にとエリスに並んで二人でメグが開けた穴…時界門の中へと転がり込むように逃げ込む
空間を超越し彼方まで一瞬で移動する転移魔術での移動に慌てて対応しようとする聖務教団、だがもう遅い、彼らが動き出した瞬間既に 俺たちは皆揃って時界門の中へ消え、世界はまるで過ちを正すように 空間に開いた穴を瞬く間に塞いでしまい
……エノシガリオスの大通りから、神敵達は 一瞬にして消えた…、またしても 神聖軍は神敵達を取り逃がしてしまったのだ、俺たちはまたしても 首の皮一枚で命を繋いだのだ
…はぁ、本当に良かった、誰も死ななくて、俺はただその事実に安堵しながら…時界門の向こうで、崩れ落ちるように倒れこむのであった
……………………………………………………………………
「なるほどな、そっちも色々あったみたいだなぁ…」
「監獄に入れられた君達に比べれば幾分マシさ、だが アマルト メグ…またこうして君達と会えてよかったよ」
「俺もだよ、メルク ナリア ラグナ…、こうして合流出来たのが夢みたいだ」
「ええ、本当に…、本来ならもう少し劇的な再会にするつもりでしたが、些かそのような時間もなく…」
先程まで 神聖軍に囲まれ絶体絶命にあった魔女の弟子一行達は今、今さっきまでの鉄火場が嘘のような静寂の中 皆が皆椅子やソファに腰をかけてくつろいでいる
暖かな木の床 堅牢な石の壁、そして暖炉に光る灯火と窓の外に映る雪…、小綺麗な室内にてみんな揃って泥のように椅子に座り込む、ここに敵はいない そう思えるだけでこんな小さな部屋でも楽園に感じてしまう
「はぁー、…しかしヒヤヒヤしたぜ…合流出来たと思ったらお前ら神聖軍に囲まれてんだもん」
「すまんな、だが お陰で助かったよ…で、ここはどこなんだ?メグ」
「ここはエノシガリオスの一角にある民家でございます、帝国があちこちに放っている諜報員と連絡を取り、この家を貸していただきました、ここならしばらく見つかることはないでしょう」
「なるほど、…そうか…」
ここは安心できる場所です そうメグさんから聞いたメルクさんはゆっくりと銃を粒子に分解し、背もたれに腰を預ける
…そうだ、エリスとメグさん アマルトさんの三人はつい先程エノシガリオスに到着したのだ、道中ベンテシキュメに襲われ一時は窮地に陥りはしたものの、それを乗り越えて以降神聖軍の襲撃は無かったため スムーズに移動することができた
恐らく神聖軍側も覚悟を決めたんだろう、中央都市にて防衛線を行うための覚悟を、故にエリス達を無視してエノシガリオスへの移動を優先した結果 エリス達の襲撃が疎かになったと考えられる
まぁそこはいい、問題は到着してからだ
まず到着したエリス達はメグさんの案内でこの街中の住宅の一つへ招かれた、中に居た住人に帝国の憲章を見せるなり住人はここを拠点として使うことを快諾してくれたのだ、さっきも言ったがここは各地に潜り込ませている帝国工作員の潜入地だという、言ってみればリーシャさんの同僚だ …他国の中央都市で平然と工作員がそこそこいい家で暮らしていることに些かの恐怖を感じながらもエリス達はラグナ達の合流の為動き出した…
と言ってもすぐに分かったよ、全く人が出歩いていない街中で 人だかりが出来ていたんですから、向かってみれば案の定みんながいた ただ窮地だったので…こちらに転移してきたというわけだ
「ここは変わらずエノシガリオスです、しばらく見つかることはないでしょうが 逆を言えばいつまでもここに居座るわけにはいきません、態勢を整え次第動くべきかと」
「問題ない、と言いたいがさっきも言ったがラグナがな…」
メルクさんがやや不安そうに目を向けるのはラグナの方だ…、正確に言えばナリアさんとラグナの元だ
床に敷かれた布の上に仰向けに横になるラグナとナリアさん、そしてその二人の治療を行っているのは…
「どうですか?アリス イリス」
「問題ありません、この程度ならばポーションと治癒魔術の合わせ技で治療可能です」
メグさんの部下 アリスさんのイリスさんだ、メグさんが倉庫の中からズルリと引き出しここに連れてきた二人のメイドが今 負傷しだ二人の治療を行っている
いつもはメグさんの無限倉庫にて物品の管理整理や補充補填を行なっている二人のメイド、されどメグさん曰く彼女達は帝国メイド達の中でも随一の有能さを誇るらしく、ラグナとナリアさんの治療を命じるなり 二人は倉庫からしこたま帝国製ポーションを持ってきて治療を始めてくれた
しかし、一介のメイドが医学と治癒魔術にも精通しているとは、帝国のメイドは凄いな…
「ただ、こちらのラグナ様の容態がやや理解出来ない部分がありまして…」
「おや?、治療出来ませんか?」
「いえ治療は出来ますが、髪色と内部のエネルギーが回復しません、魔力と体力以外の概念がこの方の中にあるようでして…、目も覚ましません」
「ふむ、これがメルクリウス様の仰られた…エネルギー切れ、という奴ですか」
今のラグナはエリス達のよく知る姿ではない、髪は脱色したように白く染まり垂れ下がり、体の筋肉も萎んでまるで老人みたいだ
メルクさん曰く この国に来て消耗しすぎてこの姿になってしまったようだ、多分アルクトゥルス様の言っていた ラグナの怪力を支えるエネルギーが切れたのだろう、彼は凄まじい怪力を普段の食事から得られるエネルギーで補充しているという話だ
そして、ロクに食事が取れない状況が続いたのと 常に震えてエネルギーを浪費する期間が続いたが為に こうしてエネルギーが底をついてしまったとのこと…、無理をさせてしまったな
「ラグナさんは僕たちを守る為にずっと戦って…、先代神将とかとも戦って…、僕が弱いから」
すると治療を終えて立ち上がったナリアさんはそう語る、最早体に傷ひとつないというのに そう口を開く彼の姿はなんとも痛々しい
「ナリアさん…、違いますよ ラグナはナリアさんが弱いから守ったんじゃありません、彼はただ…こういう人なだけです」
そして、エリスは彼がそういう人間だと分かっていながら 押し付けてしまった、逸る気持ちと焦りを…、彼はそれを全て受け止め遂行する代わりに こんな事に
ラグナの胸に手を当てれば、弱々しくも鼓動が聞こえはするも いつものような流動する力のうねりのようなものは感じられない、こんなになるまで みんなの為に戦って…エリスの約束を守ろうとしてくれたんだな
「…ごめんなさい、ラグナ 無理をさせてしまいました…」
元を正せば彼は巻き込まれただけなのに、エリスは彼に…甘え過ぎたんだ、彼を支えたいと思いながらも エリスは…、なんて無責任な
「…………」
「本当に目覚めねぇな、おい これどうやったら起きるんだ?」
「分からん、だが体内のエネルギーが尽きているということは、何か食えばいいんだろうが、生憎我らに手持ちは無い、おまけに買出しも行けなかったし…何か食べ物があればそれでいいんだが」
食べることができればエネルギーも溜まる、それなら目も覚めるだろう という判断ではあるが…、どうやら既にメルクさん達に手持ちの食料はないようだ
見ればメルクさんもナリアさんも十分な食事が取れていないのか、やや痩せこけているようにも見える、無理をさせたのは ラグナだけでは無いか
…エリスの勝手にみんなを巻き込んでしまった……、せめて なんとかしないと
「ふむ、アリス イリス、何か食料は持っていますか?」
「はい、一応パンを持ってまいりました、一斤」
そういうなりナリアさんの治療を終えたイリスさんが何処からともなくスライスもされていないパンを一斤 塊で取り出すのだ、ありがたいけど…何故パンを丸々…
と その瞬間、眠っていたはずのラグナが 意識のないはずのラグナの手が、一人で動き出し パンを持つイリスさんの手をがっしりと掴みあげるのだ
「ひゃぁっ!?ななな 何ですかこれ!?、なんで寝てるのに動いて…こ 怖いぃ!メイド長助けて!」
「狼狽えなくても大丈夫です、そのパンを渡してください!」
「パンを!?は…はい」
恐る恐るイリスさんがパンをラグナの口元に持っていくと…
「…あー、むしゃ…モグモグ」
「こいつ、寝ながら食ってるぞ…」
「まるで食虫植物のようだ…」
「寝てても食べ物の匂いってわかるんですか…?」
近づけられたイリスさんのパンを寝たまま口を開けモグモグと食い千切って食べ始めるのだ、なんで食欲だ…こんなになるまで困窮していたのか
ドン引きする皆さんを置いて エリスはパンをイリスさんから引き受け、ラグナに食べさせ続ける、パンを近づければ ラグナの口は開き 遠ざければ閉じる…なんか
「可愛い…」
「どういう神経してんだエリス…」
「ラグナ…、しっかり食べてください エリスは貴方に謝りたいんです、これまでのこと 無茶なお願いをしたこと、全部謝りたいんです…だからお願いします、起きてください ラグナ」
お願いします そうラグナに祈りを捧げるように、パンという供物を彼に注ぐ、彼に謝りたい、無理をさせたこと 負担を強いたこと、メグさんに無理をさせたように 彼にもエリスはとんでもない無理を……
「ッ…ラグナ」
「おいエリス!手を引っこめろ!手も食われるぞ!」
パンを食べ終えた瞬間 ラグナの手がエリスの手を握る、今度はエリスの手も食うつもりかもしれないとアマルトさんが青い顔して立ち上がるけど…
「食べませんよ、ラグナのことなんだと思ってるんですか…」
「いや、今のラグナって食欲の権化だし、何食うか分からないし…」
「食わねぇ…アマルト、寝ててもそのくらいの判別はつく」
「っ!、ラグナ!」
「おはよ、エリス」
エリスの手を掴んで 起き上がるラグナの目は既に開かれている、よかった…今の食事で起き上がれるまで回復したんだ…!、よかった…よかった…
強く 強くラグナの手を握れば、彼もまた握り返してくれる…
「ありがとう 、いやぁ まさか気を失うくらい消耗してたとは、あはは」
「あははって…、ラグナ!心配したんだぞ!私を守るためにお前が倒れてどうする!」
「ごめんごめん…、で?何食べさせてくれたんだ?、いや当てる…ブドウ糖とイースト菌の香り…パンかな」
「お前何かもわからず食ってたのかよ…」
「エリスの匂いを感じたから、エリスが俺に変なもの食べさせるわけないからな」
「ラグナ……」
最初に食べさせたの イリスさんなんですけど…まぁいいです、それよりも
「ラグナ!、その…エリス!」
「聞いてたよ、謝りたいって奴だろ?、必要ないよ」
そういうなりラグナはややよろけながり立ち上がり、見回す エリス達五人の姿を、再び集った魔女の弟子達を見て朗らかに笑うと
「結果として、全員生きてまた会えたんだ、それも時間通りに、なら エリスの判断は正しかった」
「でもそれは結果論で…」
「結果は結果さ、それ以外に何で物を語るよ…まぁでも、色々あったみたいだけどさ、互いによ」
近くの机に尻を乗せ、これまでの旅路を振り返るように笑うラグナの言葉には重みがある、既に何があったかはメルクさんから聞いている 彼らもまたエリス達と同様 壮絶な旅路でここまで来たんだ、だが もしエリスがあんなことを言いださなけれもっと安全だったかもしれないんだ…
「悔やむなよ、エリス…俺もたくさん失敗したし お前もたくさん失敗と思えるようなことをしたんだろう、鮮やかな手際じゃなかったろうし 軽やかな足取りではなかったろう、けどさ 生きてるんだよ俺たちは」
「…………」
「生きてるんなら次がある、次があるなら活かせばいい、お前は今までそうやってここまで歩いて来たんだろう、なら今回も同じさ」
…慰められている、慰められてしまっている、けど ラグナの言う通りだ、エリスの旅路は今までそんなに手際よく上手いものだったか?、山ほど失敗した 同じ失敗だって繰り返した、けどその都度エリスは学強くなれたと思っている
今回のこれを失敗と思うなら、それを学び そこから学び…、進むべきなのだ 進むしかないのだ
だってまだ、旅が終わったわけじゃないから 戦いが終わったわけじゃないから
エリスの エリス達ほど旅と戦いはまだまだ続くから、だから…
「…そうですね、エリスは 今回の旅路で沢山のことを学べました、今回のような旅は初めてで こんな戦いも初めてです、仲間とは何か 仲間を思うとは何か、共に歩むとは何か 共に戦うとは何か、仲間の気持ちと 仲間への気持ち…分かってるようで、何もわかってませんでした」
メグさんやラグナだけじゃない、みんながみんな 仲間のために頑張ろうと無理をする、仲間の無理を補おうと自分が無理をする、それはきっと負の連鎖なのかもしれない、今回はなんとかなった次回はなんとかならないかもしれない
だから
「無理とか迷惑とか、エリス やめます…」
「やめる?…」
「はい、エリスは皆さんを信じることにします…今まで以上に、一緒に戦う同志としてではなく、共に歩む仲間として」
一歩踏み込む、みんなとの心の距離を縮めるために、エリスは きっとみんなを信じきれなかったから…、みんなもみんなを信じきれなかったから 無理をし無理を慮った、故に それをやめる
「エリスは…今日から皆さんを信じます、無理をするのではなく支えて 無茶をするのではなく助けて 助けられて、それを共にすることが出来る仲間として 信じます、だから…!」
「皆まで言うなよ、そんな当たり前のことさ~」
「だな、…我等は友だ、そして この旅を経てより一層信頼が高まった、それで良いのさ」
「はい!、僕も…僕でも 皆さんと肩を並べて歩きたいですから」
「エリス様が思うように私達だって同じことを考えてるんですから、今更宣誓なんてしなくても大丈夫ですよ」
「みんな…」
結局、エリス達の絆はこの旅でより深まった エリスがこう思うように、皆もそう思う…なら、それでいいのかな
「そう言うわけさ、次はもっと上手くやれるように みんなで頑張ろー!」
ラグナの掲げた拳に答えてエリス達もまたおー!と拳を掲げて一致団結したところで…
「さて、話も終わったところでなんなんだけどさ、ご飯食べたい」
「ラグナぁ…お前もう少し雰囲気ってやつをだな?」
「いえ、ラグナの言う通りです、ご飯にしましょう みんなで盛大に」
この家にはキッチンもついてるみたいだし、そこを使えば存分に料理出来る筈ですしね、エリスもお腹空いたし メルクさん達も空いただろう、久々に会えたんだ 盛大に食べて飲んで今までの旅路を労う時間くらいは必要だ
「わ 私達も食べるのか!?、ラグナは必要だからいいとして…そんな悠長に食べていて大丈夫か?、いつ神将や神聖軍が現れるかも分からないのに…、それに これから決戦なんだろう?、ならばその準備のために…」
「違いますよメルクさん、戦いの前だからこそ!食べるんです!盛大に!」
「は…はぁ?」
「と言うわけです、メグさ食材の準備って出来ますか?」
「はい、倉庫の中には山程食材を保管してありますので…、神聖軍の皆さんを呼んで三日間ぶっ通しで宴会をしてもへっちゃらですよ」
それはいい、ならば沢山料理が出来そうだ、屋敷に移るならまだし食材を倉庫から移すだけならメグさんの負担も少ないだろうし…
何より、これから世界の行く末を決める戦いがあるんだ、お腹いっぱいにしていかないと…、戦いの前だからこそ 飲んで食べて、明日を生きる覚悟を決めるんだ
「よっし、じゃあ一丁やるか、見たところメルクもナリアもロクなもん食ってなさそうだしな」
「ええ、アリスとイリスにも手伝わせて 作れるだけ作って食べましょう」
「そ…それはありがたいが、いいのだろうか…」
「いいじゃないですかメルクさん、僕 久々にエリスさん達の料理食べたいです!」
「それも…、それもそうだな、うむ!では我等も手伝おう、アマルト 私達にも出来ることはあるか?」
「いいねぇ、じゃあみんなで飯作るかぁ」
腕まくりをして続々とキッチンに向かっていく魔女の弟子達、決戦の前の食事…という意味合いを抜きにしても みんなで一緒にご飯を食べて再会を祝いたいって気持ちもあるのが正直なところだろう
そんなみんなの背を見送り エリスとラグナはリビングに残る…、手伝わないわけじゃないけど、それよりも前に…
「ははは、やっぱみんなで一緒にいる方が賑やかでいいな」
「あの…ラグナ?」
「ん?」
みんなの様子を見て笑うラグナ、いつもみたいに快活だけど いつもよりも力のないその姿、その横顔を見て…温まる胸に 手を置いて彼の名を呼ぶ
エリスが呼べば彼はいつだって顔を向けてくれる
「いえ、…ただ またこうして会えてよかったなって…」
「そうだな、エリス達が監獄に送られた時はどうなることかと思ったけど、いやぁなんとかなってよかったよ」
「すみません、エリスヘマちゃって…」
「俺もしこたましたからいいよ、…でも 無事でよかった、本当に」
そこはきっと まぎれもない本心から出てきたのだろう、彼の真面目な瞳が物語っている、無事でよかった 無事でいてくれてよかった、結局物事はそこに帰結する…
エリスもおんなじ風に思ってますからね、無事でよかったって…
「今度はしっかり守るからさ、だから お前ももう俺から離れないでくれよ」
「ラグナ…」
「じ…じゃあ、そう言うわけで ほらみんなを手伝いに行こう」
やや耳を赤くしながらエリスの手を引く彼に、エリスは着いて行く事しかできない、守られるだけじゃありません!エリスだって守ります!そう心は勇ましく叫んでいるのに、熱くなる顔は今 何かを喋るだけの余裕なんてなかった
うん…会えてよかった、本当に…本当に…
………………………………………………………………
『厨房は戦場である』とはよく言ったものだ、そこが王宮の華麗なキッチンだろうが飯店の油臭い台所だろうが関係ない、料理とは常に時間に縛られる物 故に作れば自然と人の足は早くなる
特に、料理に対して妥協が出来ない人間は特に…
「メルク!、今のそれが終わったらニンニクを牛乳で煮てくれ、それが終わったら鍋に清潔な水を それが終わったらこいつの皮むき頼む」
「まだ仕事があるのか!?、わ…分かった」
メグが借り受けた住居のキッチンにて犇めくように料理をしている魔女の弟子達、その中でも際立って威勢がいいのが彼 アマルトだ、料理初心者のメルクにもまるで遠慮する事なく次から次へとあれをしろこれをしろと指示が飛んできててんてこ舞いだ
とはいえ手伝うと言ったのは自分だし、何よりアマルトは人の数倍多くの仕事を一人で終わらせているのだ 文句も言えまいとメルクリウスは黙々と従う
「ナリア様、こちらの盛り付けをお願いできますでしょうか」
「あ、はい 任せてください、綺麗に盛り付けますね」
そんなアマルトの隣でテキパキと仕事を終わらせていくのは帝国のメイド長メグだ、メイドとして料理もまた一流に極める彼女の手は 楽譜を奏でるが如く速度で一品一品仕上げていく
その隣でメグ指示に従うのは怪我から回復したナリアだ、彼の料理の腕はマイナスである、それを理解しているが故に彼に料理はさせられない、代わりに彼はエトワール人特有の美的センスを持つ…その盛り付けにもまたセンスが光るというわけだ
「アリスでございます、エビの殻剥きはお任せを」
「イリスでございます、魚の鱗取りはお任せを」
半ば強制的にオライオンへ連れて来られることになったアリスとイリスも料理に参加している、このまま無限倉庫の内部に帰ってもいいが 折角だからとメグが料理への参加を命じたのだ
アリスもイリスも無限倉庫内部にてメグがすぐに道具を取り出しやすいよう管理し 困ることがないよう整理し、戦場には姿を見せないが全力でメグさんをサポートしているんだ、二人もまたメグさんと共に戦う仲間なのだから 決戦を前に一緒に食事をするのも良いだろう
そして
「ラグナ、お肉お願いできますか?」
「ああ、任せろ」
そんな戦場の如き慌ただしさで動く厨房の中、ただ二人だけの空間を形成しているのがこちら…、エリスとラグナだ
二人は並んで立って共にお肉の下拵えや味付けなどを行いゆっくりと、されど確実に一品を仕上げていく
「っとと…」
しかし今のラグナはいつものラグナではない、相変わらず力は出ない…故に肉を焼こうと持ったフライパンの重さによろけてしまうのだ
「おっと、大丈夫ですか?ラグナ」
「悪いなぁ、勇ましいこと言ったのに…」
「いいんですよ、一緒に焼きましょう」
「ああ…」
なんてエリスは言いながらラグナの体を支えながら一緒にフライパンを握り 肉を焼いて行く、効率的に考えれば最悪だが、なぜか二人揃って満足そうな空気を醸している…、余程互いに会いたかったのだろう あそこだけ空気がポワポワしてるんだ
「ラブコメの香りだ…」
「そうか?、俺には火にかけた鍋が煮詰まってる匂いに感じるが?」
「あ!すまん!」
「いや別にいいけどさ…、でも あんま冷やかしてやんなよ」
「うう、ああ…」
「フフフ、ラグナの髪の毛本当に真っ白ですね」
「ほんとだよなぁ、俺…師範にどんなふうに改造されてんだろ…、気味悪いったらねぇよ」
「そうですか?、白い髪似合ってますよ?、白い髪と赤い目まるでシリウスやバシレウスみたいです」
「それ褒めてんのか?…」
二人の空間を作るエリスとラグナは気がつかない、二人のその甘ったるい雰囲気が目を引いていることを、まぁ今まで長らく会えていなかったんだ 今くらいは二人きりの時間を作ってやっても良いだろうと悟るアマルトは一人気合いを入れ直す
主力のエリスがラグナのお守りに徹している以上、俺が気合いを入れてその穴を埋めねばなるまい
なぁに、久々に全力で料理すればいいだけだ エリス一人の穴くらい埋められる
(うっし、気合い入れて作るか…!)
そうアマルトがある程度の下拵えを終えて次の作業に取り掛かろうとした瞬間 厨房内にド派手な金属音がグワングワンと鳴り響き…
「ぎゃー!ごめんなさい!油こぼしちゃいましたぁっー!」
うわぁーっ!と頭を抱えるナリアの足元には油を入れていたであろう小さな鍋が床でひっくり返っており 新鮮な油が床にべっとりだ、んん やらかしたなぁナリア
これがタリア姐とか料理ガチ勢が仕切る厨房なら『食材無駄にしてんじゃねぇ!』ってナイフ片手に詰め寄ったろうが…、ただナリア自身も盛大にやらかしたと青い顔して震えているし ここで責めても現場の萎縮を生むだけだ、何 挽回は効く
「そんな慌てるなよナリア、問題ないから…ほれ 深呼吸」
「でも床に油が…これじゃ滑って料理も出来ないですよ!」
「だから問題ないって、ほれ 片栗粉でも上からぶっかけとけ、固まったら纏めて捨てればいいから」
「うう、はい…ありがとうございます」
床にぶちまけられた油に片栗粉をぶちまけ 油を吸わせる、これである程度固まるだろうから 固まったら捨てれば良し、問題ないのさ このくらい
「随分ナリアには優しいんだなアマルト、私のことはこき使うのに」
「怒んなよメルクぅ、俺ぁお前を信頼しているから頼ってるんだって、ほら さっきエリスも言ってたろ?信頼とか信用とかってさ」
「都合のいい事を言うな、…だがお前の指示は的確だ、とっとと料理を仕上げてしまおう、次の瞬間神聖軍が踏み入ってこないとも限らん」
「はーい」
メルクの言う通りだ、みんなに会えた喜びで麻痺しかけているが 状況の切迫具合で言うなら今は最悪のクラスだ、いつここの場所がバレるかわからねぇんだから …でも、今俺達は不必要な事をしている覚えは全くない
どんなに意気込んでも腹の中に何か入れておかないと 力は出ない、こっから踏ん張りどころなんだ…踏ん張って踏ん張って踏ん張って 最後の最後で腹が減って力が出ませんは笑えないからな
だから
「せいぜい美味い飯、作りますかね」
………………………………………………………………………………
「…………ゴクリ」
立ち上る湯気、立ち上がる香り、料理という行程を終え 盛り付けられた皿はみんなまとめてダイニングの大きな丸テーブルの上に運ばれた
既にナイフとフォークとスプーンの三兄弟は雁首揃えている、後はこいつらを使って飯を食らうだけ、その場に至ってエリス達は先ほどの喧騒とは真逆の静寂の中にいた
全員が全員、目の前に並べられた料理の山を前にゴクリと生唾を飲んでいるんだ
並べられたサラダの山、大挙成す肉の大地、パンの丘シチューの池、食べられる世界が机の上に形成されている、オライオンの旅をしてからというもの 見る機会がなかった程に豪華なランチ、特にラグナ達にとっては久しぶりのマトモな食事
「………………」
そんなエリス達が食事に手をつけず見つめるのは、ラグナだ
今のラグナはエネルギーが尽きて いつものパワーを失っている、フライパン一つ持てないまでに弱体化した彼が復活するには 食事が必要だ、それもいつも以上の 凄まじい量の食事が
これで足りるか、時間が許す限り大量に作った…これで彼のパワーは戻るだろうか、いやまぁ単純に量で見るなら更にあと十数人呼んでようやく完食出来るかって量なんですけどね
「…なぁ、食べてもいいか?」
「え?」
ふと、ラグナがやや力なく顔を上げて エリス達に聞く、食べてもいいかと…
なんでそんな聞くのか分からない、そんなもの 答えは決まっている、決まっているんだとエリス達は目を合わせ頷き合い
「ええ、いいですよ」
「そっか…じゃあ、いただきます」
手を合わせる、拳を片手で包む抱拳礼で料理に向かい合うラグナは 徐に手を伸ばす
「…はぐっ」
まず手のを伸ばしたのは肉だ 彼らしいチョイスだ、アマルトさん謹製の赤ワイン滴る分厚いステーキをフォーク一本で突き刺し口に運ぶなり鋭い牙で肉に食らいつく
殆ど力も残ってないだろうに、食べる時はいつもみたいな力強さを感じさせる、あんなに分厚い肉をまるで紙を挟みできるようにブチブチと噛みちぎって行く、一口 二口 三口で殆ど噛まずに丸呑みにするように喉の奥へと通していく
それと同時に空いた片手で掴むのはサラダだ、メグさんのお手製ドレッシングがしこたまかかったサラダを引き寄せ、いつのまにか肉の消えていたフォークを使ってかき込むように食らいつく
「はぐ…はぐっ」
大口を開け ドレッシングがかかったサラダを放り込む、バリバリ シャクシャクといい音を立て消えていくサラダ、牛か馬でも食うような量のサラダを水でも飲むかのように消費していく
「ふぅ…、あー…あぐっ、もぐもぐ」
空になったボウルをさっきまでステーキが乗っていた空皿に重ねると共に別の皿を引き寄せる、サンドイッチが十数個乗った皿を引き寄せ両手を使ってサンドイッチを持ち上げ食べていく
サンドイッチを二つに折って一口サイズにすると同時に口の中に押し込んで飲み込んでいく、パクで一つ消える パクパクリで二つ消える、蟹が泡を食うような速度でサンドイッチが消えていく
「あむっ、あぐっ…」
ボロネーゼのかかったスパゲティをグルリと一巻きにして一口で平らげ 熱々のグラタンを意に介する事なくバクバクと食べ切り、サーモンのソテーをペロリと消し去り、ポテトのフライを流し込むように咀嚼し ムール貝を殻ごと噛み砕き、オムライスを二口で嚥下し、骨つき肉を吸い取るように飲み込んで行く
「すげぇ食いっぷり…」
子豚の丸焼きと格闘するように食べているラグナの姿を見てアマルトさんが思わず口にする、自分で作った料理が凄まじい速度で消えていくのを見て あまりの食べっぷりに呆気を取られる
「まるで飢えた熊でございますね」
ロールキャベツをポイポイと口に放り込む姿を見てメグさんが笑う、もう笑うしかない食べっぷりだ、どんだけ抑圧されてたんだ どんだけ腹が減ってたんだ、どんだけ…食べるんだ
「ん?…」
ふと、エリスは気がつく 窓の外で物音がしてそちらに目を向けると
ドサドサと屋根に乗っていた雪が地面に落ちているのが見える、屋根の端についていた氷柱がポタポタと水滴を垂らしている、…なんだろうか
「ん、なんか…暑くないか?、ナリア 暖房陣は…」
「使ってないです、けど…なんか すごい暑いですね」
暑いんだ、暖炉の目の前にいるかのように暑い 防寒具を着てたら汗塗れになりそうだからとエリス達はいつのまにかモコモコのジャンバーを脱ぎ去る、なんだこの熱気…どこから
いや、まさか
「おいおい、なんかの冗談だろ…こりゃ」
「人間離れしているとは思いましたが、ここまででございますか」
目を向ける先にはいるのは相変わらずラグナだ、食らいつくように料理を食べ切ることに集中しているラグナ、その背から何かが立ち上っている…白い靄のような何かが
あれは水蒸気だ、ラグナがかいた汗が彼の体温に耐えきれず即座に蒸発して湯気になっているんだ、その熱気が部屋にこもり 家の外にある雪まで溶かしているんだ
飯を食べているだけでここまでの熱気を生む人間がいるか?、溶鉱炉か何かかラグナの体は…!
「あぐっ…もぐもぐ、ごくっ…あー…」
食べる食べる 、自らの体に起こっている変化を気にせず彼は食べる、モグモグと頬を膨らませて 喉を流動させて、その都度 彼の体が膨らむ、萎えていた筋肉がモリモリと戻り、灰のような髪色は血が通ったように徐々に赤く染まり、その瞳が…力を備え
「ッ…んっ、ごくっ ごくっ…」
そんな彼が最後に手を取るのは鍋だ、大きな鍋一杯に作られたシチューを持ち上げ 立ち上がり、流し込むよう飲んで行く
それは、渇いた何かを取り戻すように
それは、求める何かを得るように
それは、失われた何かを蘇らせるように、鍋一杯のシチューを飲んで飲んで…いつしか鍋がラグナの上で垂直に立てられ…
「ふぅーーーー…………」
鍋を机の上に置く、空になった鍋を置く、既に周囲には無数の空皿、口から蒸気を吹き出し 瞳を燃やして、ハンカチで口を一つ拭うと…彼は
「美味い!おかわり!」
「ってまだ食うのかよ!」
ニッ と笑う、いつもの髪色で いつもの力強さで、いつものラグナが 漲るような声色で…そう言うのだ、それはつまり
「戻った、ラグナさんが!」
「ラグナ…、ようやく!」
「ああ、心配かけたな!力が漲る…今なら何処まででも戦える気がする、ありがとう!みんな!これなら…」
握る拳の力強さ、燃える炎の気概を込めて、完全復活を果たしたラグナ机に拳を置いて エリス達を見遣る、それは問いかけのように 或いは宣言のようにエリス達の身を引き締めさせて…
「つけられる、神聖軍も神将もぶっ飛ばして シリウスとの決着をな…、やろうぜ みんな!」
遂に来たるオライオンとの 神聖軍との シリウスとの決着の時、エリス達の戦いの準備が今 整った
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