孤独の魔女と独りの少女

徒然ナルモ

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九章 夢見の魔女リゲル

268.魔女の弟子と地獄に垂らされた糸

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エリス達がこのクライムシティに降りてから 日数だけが過ぎていった、エリス達に出来ることはない ただ機を待つだけ、それは檻の中にいた頃と変わりはない 強いて言うなればここでならある程度の自由は効くと言う違いがあるだけ…外に出られないのは同じことだ

そうして一週間と数日が経った、約束の二週間後を目前に控えたエリスは…


「ふんっ!!」

「ぐぎゃぁっ!?!?」

この街の住人達…囚人達がよく屯ろしている酒場のど真ん中で 犯罪者達に囲まれていた、と言ってもそんな険しい話ではない、エリスを囲む囚人達からは敵意は感じない 寧ろ感じるのは

「すげぇ!エリスの姐御!これで二十人抜きだぜ!」

「流石はウチの元チャンプを一方的にボコって闘技場の無敗伝説を終わらせただけはあるってことか!」

エリスの前に倒れる二十人の死屍累々を前に囚人達は色めき立ち、エリスはやや疲れを誤魔化す為パンパンと手を払う、まだ行けるかな?うん行ける

「さぁ、次は誰が相手ですか?、誰でも相手になりますよ」

腕を組みながら椅子代わりの木箱に座り囚人達を挑発するエリスの頭上に立て掛けられた看板をには、『クライムシティアームレスリング大会』の文字

なんでも囚人達が鬱憤晴らしのために開催していると言うアームレスリングの大会があるらしい、腕試しとエリスも参加したのだが これがまぁ圧勝、次から次へと迫る相手を全てなぎ倒し優勝、その後も興奮冷めやらぬ観客を相手に 今しがた二十人目の挑戦者を腕だけでひっくり返し投げ飛ばした所だ

怪力超人ラグナにばかり目を取られていたが、どうやらエリスのパワーも中々捨てたものでないらしい

「よぉ~し!、んじゃあ満を持してあたしが相手しようかねぇ!」

群衆を掻き分け現れるのは元アルカナ幹部の一No.11の地位に立っていた筋肉女 力のテットだ

「おお!、テットさん!あんたなら行けるんじゃねぇか!」

「よっしゃ!、んじゃあ賭けだ!、俺はテットにボトルを一本!」

「俺はエリスの姐御に干し肉を!!」

エリスを前に上着を脱ぐテットを相手に、エリスは腕を伸ばし準備運動に興じる、テットのガタイは凄まじく身長はエリスを遥かに上回る、ウェイトで負けてるな…これをひっくり返すのは難しそうだ

向かい合うエリスとテット達の周りで囚人達がこの街の通貨代わりとなる物品を賭け皿にドサドサと置いて回る、なんとも無法な光景の只中でエリスはゆっくりと樽の上に肘を突き

「かかって来なさい、アルカナの仇 討ちたいでしょう」

「それは持ち出してくるかい、俄然やる気が出てくるねぇ、レーシュやシンでも勝てなかったアンタに勝ったとならば、自慢話にゃ事欠かなそうだ」

ゆっくりとエリスに対面するよう肘をつき、エリスの手を握るテット…、アームレスリングのルールは単純 相手の手を向こう側に押し倒せば良いだけ、純粋な腕力勝その姿勢が互いに整う

「両者用意はいいな?、今回はフェアプレーで頼むよ」

すると審判代わりの髭面の男が 握られた二人の手の上に手をかざし…

「では…レディー…」

開始の合図、その寸前に互いに腕に 力に 全身に力を込め、向かい合う二人の空気がドッと重くなる…

「ファイッッ!!」

「ッッ!!」

「ぐっっ!!」

審判がかざした手を天空に掲げ 試合開始を言い放つその瞬間、エリスとテットの二の腕の筋肉がはち切れんばかりに隆起し、ビキビキと血管が浮き出るほどに 力を込める

「お…おお!」

「互角!すげぇ!」

互角だ、エリス テット この二人の腕は開始地点から微動だにしていない、両者の腕力は完全に拮抗し、押し出すことが出来ていないのだ

それでも そんなもの構うものかとエリスもテットも持てる力全てを使い利き腕に力を込める、体ごと相手をひっくり返してやろうと体重をかけて足を大地に突き刺して、左手で樽を掴みながら 咆哮を噛み潰すように歯を食いしばり 力を込めても

互角…!

「ぐぅっっ!!」

「ぅぅううう!!!」

ここからは持久力勝負だ、こうなるとエリスの不利は揺らがない 何せテットの体は大きいんだ、ただ大きいという事だけで 対人戦では凄まじいアドバンテージを得ることが出来る

まず体重、これが重ければ重いほど一挙手一投足に破壊力が乗る

そして規格、腕が長ければそこに乗せられる筋肉もまた増す 足が長ければそこにつけられる筋肉も増える、どう足掻いてもエリスでは乗せられない量の筋肉を持つテットはそれだけでパワーで上回ることができる

他にある、体が大きければ血も多い となれば運べる酸素量も多く耐久力も持久力もまた多大、心臓も大きいから発揮される瞬間的な爆発力も破格、骨も太いから堅牢極まりない

何より

「ぅがぁあぁああああ!!!」

「おお!テットが押し始めたぞ!」

「くっ…!」

手が大きい、手とは対人戦に於ける最大の剣だ、それがデカければ当然 生み出される力はエリスを大きく上回る、力を加えられる面積が大きいから その分体重が乗る、デカいとはそれだけで武器なのだ…!

持久力でも腕力でも上回る、それはこの場の勝負を決する全てでテットはエリス上回るということ、…だが!!

「っがぁぁあああああ!!!」

「こ、今度はエリスの姐御が押し返してるぞ!?」

「なっ!?」

それは飽くまで肉体面での話!、その大きな体に如何程の覚悟が詰まっている!その大きな瞳が見据える物に如何程の信念がある!

覚悟と信念とは即ち肉体に火をつける燃料だ、どれだけ体が筋肉に覆われていようとも その胸に覚悟も信念もなければ、手足は無用の長物と化す!

この身を滾る勝利への渇望は、時に 肉体の不利さえも凌駕する!

「がぁぁあぁあ!!!」

「お? おお!?」

エリスの足が地面をバキバキと砕き始め、対するテットの足がフワリと宙に浮き…

「ぁぁああああ!どぉぉりゃぁぁあああああ!!!」

「おおぉっっ!?」

反転、テットの体が反転する、足は空を向き 頭は大地を指し示し、腕はぴったりと机上へとくっついて…

「ぉぉおおおおお!?」

「っっしゃぁああああああ!!!」

そのままテットは二転三転と体が回転し、観客の方へと突っ込んでいく…

ひっくり返したのだ、観客の予想を 肉体の不利を テットの体を、この腕一本で、それを証明するように勝利の雄叫びをあげるエリス、それを見た観衆は…

「うぉぉおおおお!!すげぇぇぇ!!」

「マジでやりやがった!テットを腕一本で投げ飛ばしたぞ!」

「だはははは!こりゃ傑作だ!いいもん見れたぜ!」


「見たかお前らぁぁぁあ!!!、最強は誰だぁぁぁぁあああ!!」

「エ!リ!ス!、エ!リ!ス!、エ!リ!ス!」

樽の上に乗って万雷のエリスコールを身に受ける、これが魔女の弟子だ!これが孤独の魔女の弟子だ!これがエリスだ!、文句あるやつはかかってこい!全員ぶちのめして足に敷いてやる!


今 エリスはヘットの立てた脱獄計画の機が熟すその時までこの犯罪の街 クライムシティにて待機することとなっているのだ、外に出られないのは牢獄にいる時と変わらない とはいえここにはある程度の自由がある、故にそれを謳歌しつつ体が鈍らないよう肉体の修行に興じている

時に闘技場で百人抜きをしてみたり、時に大岩を運びながら街を何周もしてみたり、時にこんな風に開催される力自慢の暇潰しに参加してみたり、毎日体を動かしているおかげで肉体が鈍る気配がしない

オマケにそうやって暴れていれば、必然 この街のガラの悪い力自慢達から尊敬を集め、エリスの姐御なんて呼ばれる始末

「エリスの姐御!、よく冷えたグレープエードです!」

「ツマミにポテト揚げてきました!」

「ん…!ご苦労!」

ドカンと樽の上に座りエリスの子分を自称するチンピラ達から献上されるジュースとツマミをかっ食らい失った体力を補充する

しかしこうしていると、なんか…エリス 悪者の大将になったみたいだ、最近威厳も出てきた気がする、いや…うん 威張るのはやめよう、エリスはこういう人になりたいわけじゃないんだ、場の空気に流されるのはやめましょう

「ふぅー…」

「姐御、タオルです」

「ありがとうございます」

タオルを受け取り、汗を拭きながら 己の腕を見る、この数日の肉体トレーニングで多少は筋肉はついたが、ダメだな こんなもん焼け石に水だ

エリスはただ暇潰しにトレーニングしていたわけではない、来たるネレイドとのリベンジマッチに備えてトレーニングしていたんだ…、けど よく分かった…これでネレイドを超えるのは無理だ、多少はマシになるだろうが あの巨人をパワーで上回るのは無理だ

さっきのテット…あの程度と言ってはなんだネレイドと比べたらテットもあの程度になる、それほどにネレイドは圧倒的だ…

テットよりも背が高く 身につけている筋肉量も桁違い、オマケに技術もあり…何より 信念がある、絶対に倒れないという護国の意思

鋼の如き精神を携えた無敵の肉体…アレをさっきみたいにひっくり返すのは、ちょっと工夫が要る

「……何年も鍛えてきた人ですからね、この程度では無理か…」

ネレイドはきっと今も修行をしている、魔女の下で壮絶極まるトレーニングを積んでいる、この方向で追いつくのはちょっと現実的じゃないな

「汗に濡れて 憂いを帯びた姉頃の横顔、カッコいいッス!」

「ん?…あはは、そうですか」

なんて空返事を返しながらも拳を握る…

無理だとしてもトレーニングはやめない、追いつけなくとも置いていかれないよう力をつけるべきだろう、幸いまだ時間はある…

ネレイドはきっと、この旅の終着点でエリスの前に立ち塞がる、その時 絶対に負けない為に…、エリスの敗北は即ち師匠の消失と世界の破滅を意味するのだから

負けられない…!

「おうおう、エリス すっかり一端のワルって顔だなぁ」

「ん?」

汗に濡れた髪をタオルで拭いていると、酒場のスイングドアを開きながら何者かが入ってくる…

金ピカのネックレスを何重に首に巻き、キラキラの宝石がついた指輪を全ての指に嵌め、金縁のサングラスとトラ柄のコートを着込んだガラの悪そうな成金がエリスに近寄り…

「ってアマルトさんですか、なんですかその格好 一瞬誰か分かりませんでしたよ」

「へへへ、カジノで大勝ちよ、金品財宝全部貰っちまった」

にへへと笑いながらサングラスを外せばその下には見知った顔、どうやらここ数日カジノで勝ちまくったらしい…、しかし いくらギャンブルが上手くてもここの連中は平気でイカサマとかしてくるだろうに、よく勝てたな

「そんなに勝ってどうするんですか、それ 外に持っていくんですか?」

「まさか、お前の驚く顔が見たくて仮装しただけさ、で? 何やってんのお前は」

「トレーニングですけど?、次…ネレイドとやっても負けないように」

「うへぇ、真面目ぇ…、あ 俺にもジュースちょーだい」

貴方が不真面目なだけですよ、この二週間は謂わば準備期間、外に出ればまた神将や神聖軍との戦いが待ってるんです、その時不足を取らないよう準備するには ひたすらトレーニングしかない

「俺はもうあの巨人とはやり合いたくねぇよ」

「一発で負けましたもんね」

「お前だって負けたろ!、…俺だって もう負けたくねぇよ」

やや不機嫌そうにレモネードを飲み干しながら、彼は悔しさを吐露する、何事も自信に満ちた彼が…『負けたくない』か、それは『勝てる』と断言出来ない程にネレイドの強さが身に染みているからだろう

それでも、負けを認めるわけにはいかない、彼だって探求の魔女の名を背負っているんだから

「で?、メグは?」

「さぁ?、いつも色んな所で見かけますが…今日は何処にいるのやら」

メグさんはこの街を最も楽しんでいる人間の一人と言えるだろう、ビリヤードをして遊んでいたかと思えば 街を覆う壁を削って地質の調査をしたり、山盛りのケーキを食べて遊んだかと思えば街の作りを確かめてみたり

遊びと仕事を交互に行っているから、何処にいる というのは分からないのだ、今日は遊んでいるのか それとも調査をしているのか、さっぱりだ

「ああ エリスの姐御、メグさんなら其処に居ますよ」

「へ?」

ふと、エリスの子分が指差す先は酒場のカウンターの方だ…、しかしそちらに目を向けても何も居ない、いや よく耳をすませばゴリゴリと何かを削るような音が聞こえて…

「…………メグさん?」

何をしているんですかと伺うようにカウンターの奥を覗き込めば、そこには床に座り込んで 石臼をゴリゴリと回しているメグさんの姿が…いや本当に何してるんですか

「おやエリス様、おはようございます」

「はい おはようございます、で?何してるんで?」

「見て分かりませんか?」

分かる人間の方が少ないと思うが…、彼女が動かす石臼の中を確かめると、何やら赤々とした粉末が作られているのが見える、薬か?…

「今 調味料を作っているのです」

「調味料?、ここには凡ゆる調味料があると聞きましたが…」

「勿論ただの調味料ではありません、私が普段使っているメグ謹製激辛ペッパーでございます、一般には流通していない物ですのでここでは当然手に入りません、昨日まで使っていた分が切れたので こうして補充しているのです」

普段なら私の屋敷から取り出せばそれで済むのですが、ここではそうもいかないのでと指で真っ赤な粉末を掬い こちらに見せてくる…いや見てるだけで水が欲しくなる色合いだ

メグさんは普段あまり主張しないが かなりの激辛好きだと言う、なんでもエリス達に隠れて唐辛子をオヤツにする程度には イカれた舌をしているのだ…そんな彼女を楽しませるような調味料は確かに流通していないだろう、だから 材料だけ貰ってこうやって作っているのかもしれませんね

「調味料か、気になるな 味見してもいいか?」

「おやアマルト様、研究熱心でございますね」

「いや今後お前の好物を作ろうと思ったら、いい参考になると思ってさ」

なんてやり取りを程々に、メグさんはアマルトさんの指先にパラパラと激辛ペッパーを振り掛けると、アマルトさんも迷いなくそれを口に運び…

「げぎゃぁっっ!?」

ひっくり返った、白目を剥きながら舌を出しながら、まるで毒を飲んだネズミみたいにひっくり返りヒクヒクと手足を痙攣させている

か 辛いにも程がありませんか?

「どうですか?アマルト様」

「ぐっ!どうもこうもあるか!神経毒の類いだろこれ!」

「失敬な、ちゃんとした調味料でございます、これをかければあら不思議、どんなものでも激辛に早変わり」

「料理の味ブッ殺してるだけだろうが!、舌死ぬぞ!これ!」

「失敬も失敬でございますね、頭からかけますよ?これ」

「それは俺が死ぬ!」

もう と頬を膨らませながら小さな小袋に激辛パウダーを集めて入れていくメグさんを見ているとやや心配になる、人の好き嫌いに口出しするのは良くないとは思うが それでもあんまり刺激的な物ばかり食べていると体に毒とも言う、まぁ 好きな物を我慢するのもまた毒…と言うのなら 好きな方の毒を飲むのが人というものか

「おほん、それでエリス様 昨日仰られていた脱獄の準備とやらはどの程度まで進んでおりますか?」

「もう済んでますよ、って言っても ヘット曰くやるだけ無駄程度らしいですが」

一応脱獄を明日に控えた身として 何か出来る物はないかとトレーニングがてら使えそうな物品をこの街から掻き集めてきた、ランタンの油や小麦粉を詰めて作った煙幕など 我ながら涙ぐましい努力の結晶だと思う

ただ 武装の類はここには置いていないらしい、ここの連中に武器を持たせたら何をするか分からないとヘットが武器の類は外から持ち込まないらしい、そこから巧みに囚人の目を逸らさせているのが彼の手腕が辣腕たる一端だろうが 武器がないのはやや困りものだ

まぁ、いざとなったら看守から奪えばいいし 何よりエリスには武器の心得がない…必要なのはアマルトさんだけだし、なんなら脱獄の過程で取り戻すから良いのだろう

「ここを出た後の準備は?」

「ヘットから地図を見せてもらいました、方位磁針で方角も記憶しています、外に出た瞬間 メグさんの時界門で防寒具を取り出しながら全力で山を越えます、いけそうですか?メグさん」

「それに関してはお任せを、極地行動特化用の魔装はたんとございますので」

ヘットから受け取った情報によると このプルトンディースの外は常に激しい吹雪が吹き荒れる極地であり 頑健な山に囲まれた地形にあると言う、山には常に硬化した雪が氷のように張り、人間が登れるようには出来ていない、おまけに其処彼処に大型の魔獣が巣を作っているので突破はかなり困難であるらしい

一応看守たちが使う抜け道はあるが、当然そこは使えない、となるとエリスがみんなを抱えて旋風圏跳で駆け上がることになる、些か不安だがヘットから滑り止めのスパイクを貰ったから これで凌げると信じよう

「いよいよ明日脱獄か…、長く足止めを食らったな」

「ええ、ですがここからも辛い道中が続きます…、気を抜かず行きましょう」

「勿論でございます、ラグナ様達はもうエノシガリオスについているでしょうしね」

いやそれは流石に早すぎるだろ…、でもラグナならあり得るかな、彼なら木々をなぎ倒してでも進みそうだし…って、そう言えば彼寒いの苦手だよな 大丈夫かな…

なんてそれぞれ脱獄に想いを馳せていると

「なんだなんだ エリスの姐御、ここ出てくのかよぉ」

「残念だなぁ、こんなに楽しいのに出てく必要あるのか?」

「ここで一生楽しく暮らそうぜ!、ここは楽園さ!」

周囲の囚人達が外に出ないでくれと引き止めてくれる、おかしな話だよな ここの囚人達はむしろ外に出ることを嫌っているんだ、外に出るくらいならここで死にたいってさ…

「外に出たくないんですか?皆さんは」

「当たり前じゃんか、俺達が犯罪に手を染めたのは楽しく生きていたいからさ、そりゃ真っ当に勉強していい職につけてりゃ 真っ当な金で真っ当な酒買って、誰にも憚られる事なく生きていけるんだろうけど…」

「そう言う『真っ当な椅子』ってのは 限りがあんのさ、俺達みたいな椅子取りゲームに負けた奴は 椅子の足にしがみつくかルール違反で退場させられるかのどっちかだけ、…止むに止まれぬ事情だったと言い訳するつもりはないが、居るのさ世の中にはこう言う人間が一定数な」

「そんな俺達でも真っ当に生きられるんだぜ?ここは、外に出てもまた軍に追われて日陰で他人の残り酒を奪う生活に逆戻り!、ならここにいた方がいい、いつか終わる生活だとしてもな」

それは賢明な選択と言えるのか、或いは退廃の諦念なのか、少なくとも真っ当側に身を置くエリスにはきっと理解出来ないのだろう、彼らのやった事は唾棄するべき事 その裏側の事情にまで目を向ける必要はない

だがこうして面を向かって話されると…思うところがないわけでない、彼らがもし 普通に生きていける世の中だったなら…とね、でも きっと言う人に言わせれば『悪人は結局どんな境遇でも悪を成す』と言うのだろうか

「外に出て誰かに迷惑はかけねぇから安心しな」

「まぁ…分かりました、多分ですけど エリス達はもう二度と会わないかもしれませんね、達者で暮らしてください」

「おう!、だはははははは!」

いい人ではないが いい奴らではあった、もう二度と会う事はないし会うべきではない、だから この別れは惜しもうと思う、彼らが悪人だとしてもだ


「馴染んでるな、エリス」

「ん?、ヘット…?」

ふと、気がつくと酒場の入り口でスイングドアを揺らしながら彼が軽く手を挙げている、彼からエリスの方に出向いてくるのは珍しい、いつも屋敷で酒を飲んでるか 何かしらの仕事をしていると言うのに

「どうしたんですか?」

「明日だろ、決行の日は、だから軽く打ち合わせを…と思ってな」 

「なるほど…、分かりました 皆さんも一緒でいいですか?」

「そう言うつもりでここに来た、お前だけに話があるなら 待ってりゃ帰ってくるからな」

そりゃそうだ、と言う事は本当に大切な話なんだろう 

明日は脱獄、一度きりのチャンスだ これを逃せば次に来る脱獄のかなり先になる…タイムリミットに間に合わないくらい先だ、それにまた同じように挽回の機会を貰えるかも分からない

つまり、成功は絶対条件…大前提なんだ、やるしかない

エリスは両頬を軽く叩いて気合を入れる、休憩は終わりだ 動き出すぞ

「それじゃあ生きましょうか、皆さん」

「ええ」

「おう、行こうか 頼むぜヘットさんよ」

「任せなとは言えないな」

ここじゃあなんだから屋敷まで来いと命じられるままにエリス達は皆まとめてヘットの屋敷に向かう、この暗闇の世界ともおさらばする為に まずは計画を練る

…………………………………………………………

「おや、意外と片付いていますね」

ヘットの屋敷に初めて来たメグさんがふと口に出す、外はもう酷い有様な散らかり具合だが、ご存知の通りヘットの屋敷は結構片付いている その事が意外なのだろう

「掃除はご自身で?」

「この街にゃ整理整頓が出来る奴は俺しかいないからな、ああっと!そっちの棚は動かすなよ?俺にしか分からない並びで書類を纏めてんだ」

「これは失敬…」

メグさんが興味深そうにヘットの整頓術を見つめる中、ヘットは普段使わない大部屋をエリス達に開放し、並べられた本棚から数枚の紙を取り出す

「看守達の大まかな動きかや法則についてはこのあいだの飲み会の時に話したな」

「ええ、キチンと記憶していますよ、飲んでたのが貴方だけなのもね」

数日前 エリス達魔女の弟子を酒場に集めたヘットがエリス達にレクチャーしたこの監獄のシステムについてだ

上層の看守と下層…つまり地下の看守の動きは異なると言う、上層はあちこちに見張りを立てて囚人の動きを逐一観察するタイプだが、懲罰房や荷物安置室など独房以外の部屋が集中する地下は毎日決められたルーティンで看守があちこちの部屋を見て回るようだ

つまり、その見張りのルーティンを把握しておけば 監獄地下の移動は基本的には楽勝と言える

「ま!荷物安置室へは直行の道があるから別にいいが 問題は一階の副監獄長 及び監獄長室だ」

当然ながら最も警備が厳しい、というか必然的に厳しくなるのは副監獄長ダンカンと監獄長トリトンが使っている執務室だ、もしばったりこの二人のどちらかと出くわせば…それで脱獄はそのまま失敗になる可能性もある

「その日の二人の動きは把握しているんですよね」

「ダンカンは朝から監獄内の練習場に籠るだろう、昼頃一度仕事を片付けに戻ってくるが 基本的に一日中外出だ、トリトンも今は監獄には居ない 例の遠征に関する仕事を片付けに街に出ている、ごく僅かにだが帰ってくる可能性があるが…まぁこれは運よ、帰ってきてたら運が無かったと諦めな」

そう簡単に諦められるわけがない、トリトンが不在である事を祈るしかあるまい

「んで、その道のりだが…、このスケジュールを暗記して 看守達を避けながら無人の監獄長室を目指して進むだけの簡単な仕事だ、監獄長室は普段鍵をかけてないから入りたい放題だしな、そこに忍び込んで ダンカンの獄長服のポケットから外門の鍵を取り出す それだけでいい」

「間がノープランなのが怖いですね」

「こればっかりはプランを立てても想定通りには行かないだろうしな、下手に固めるより アドリブでやった方がいいだろう」

それはヘットの経験則から来る話か、まぁ こうやって事細かに台本を書いても現実は劇のように想定通りには行かない、なら大雑把に形だけ決めておき 内容はその場の判断に任せた方がいいだろう、どうせ行くのは実力者だけなんだから

「で、行く人間だが…、エリスは除外する お前は俺と安置所だ」

「なんで!」

「目立つからだ」

言い返せない…、エリスなら完璧に仕事をこなせると言い返したいが、現にヘマしてここに落とされている以上何も言えない…

それに、行くなら最適任者がいるのは事実

「メグさん?どうですか」

彼女は一度鍵を盗んだと言う功績がある、忍び込み 取ってくるなら彼女以上の適任は……

「いえ、私はやめた方がいいと思います」

「へ?…」

「私が潜入する場面をティムに見られています、奴が私のどんな情報を監獄側にバラしているか分からない以上、同じ手は通用しないでしょう…勿論ながら敵もその辺は改善しているでしょうしね」

考え過ぎな気もする、監獄側にとってメグさんは今動けない物と思われている、ならメグさんへの警戒は無に等しい…同じ事が出来るだろう、と考えるのは素人的な意見なのだろうか

メグさんは潜入のプロ、そんな彼女が言うのなら やめた方がいいのかもしれない

「ってなると俺か?まぁ任せな、ここまでお膳立てしてもらったんだ、多分行けると思うぜ」

となると行くのはアマルトさんか、彼はあんまり潜入ってイメージはないが それでも器用な男ではある、強かでやる時はやれる男…エリスでも行けるなら 彼なら尚のこと大丈夫だろう、けど

「大丈夫ですか?、アマルトさん」
 
「それは俺じゃ不安って意味か?」

「違いますよ、でも…一応危険な所に赴くわけですし、心配ですよ」

「いじらしいなぁ、でも大丈夫 お前らばっかりに危険な橋は渡らせられないからな」

「ん、行くのはボンボン坊やだな、一応お前には同行者としてガーランドをつけるつもりだ」

ガーランドと言うと…、邪教アストロラーベの頭領だった大司祭か、ヨボヨボでやや頼りないが…

「なぜ彼なんです?」

「あいつはあれで元殺し屋だ、元々血盟供儀信仰ってヤバい派閥に属してた殺し屋でな、人身御供となる生贄の確保に奔走していた過去がある、なら 今回の件にも最適だろ」

「生贄って…ヤバい人じゃないですか ガーランドって」

「俺よりはヤバくないから安心しな」

あんまり安心出来ないが、ヘットが任せる以上エリス達にどうこう出来る問題ではない、アマルトさん一人を向かわせるよりはいいのかな…分からない

「んで、残りの向かう安置所だが ここも決して安全じゃない、彼処には死番がいるからな」

「死番?…」

「魔術を許された看守のエリートさ、有事の時は囚人制圧の主力となり 平時は囚人の拷問を行なってる それこそヤベー奴らだな」

曰く 死番とは『死番衆』と呼ばれる監獄の一大戦力であると言う、その所属は監獄ではなく神聖軍…つまり 神将トリトン直轄の部隊の一つ、見目麗しい宣教師トリトンの裏の顔である地獄の番人としての部下達だ

その実力の高さは折り紙つき、神聖軍内部に於いて『闘神聖務教団』『邪教執行官』に並び称され 神聖軍三大戦力にも数えられる程だとか

「連中は邪教執行官のように狂っても無いし 闘神聖務教団のようにデタラメな強さを持ってるわけでもないが、何よりしつこい…一度食らいついたら死ぬまで追いかけて来やがる、コイツらに見つかるってことはつまり 振り解く事のできない追跡を得ると言うことでもある」

「そんな連中が…安置所に」

「ああ、数人だが 配備されている、戦闘になったらキツイぜ?何せ奴ら 外に居ても強いんだ、魔術が封じられた監獄内じゃまず間違いなく勝ち目がない」

死番衆…、そんな恐ろしい奴らがこの監獄にいたのか、いや 話には聞いていた、魔術が許されたエリートがいると言う話は…ただ、そうか 神将直轄の部隊だったのか、これは面倒そうだ

「奴らは職務に忠実だ、非常事態が起こらない限り安置所を離れない、休憩もそこで取るし なんなら夜も交代で眠りにつく勢いだ」

「そんなに…、じゃあ安置所内を探るのは難しいんじゃ…」

「言ったろ、非常事態ってよ、…奴らがその場を離れる時は一つだけ 脱獄犯を見つけた時だけだ、つまり」

すると、ヘットはゆっくりとその場の椅子に座り…

「俺が囮になる」  

「え…!?」

囮になるというのが、自らが…

ヘットを信頼出来る理由は知っている、だが…そこまでする程なのか、ヘットにとって あれは…

「俺は奴らにとっても憎い相手、オマケにオライオン国内でも特級の重罪人だ、何が何でも逃したくないはずだ」

「でも…そんなことしたら…!」

「俺は捕まってしまうって?、バカにすんなよ 俺はテシュタル教徒じゃねぇ、殉教なんて真っ平だ、ちゃんと切り札は用意してある…騒ぎにならない切り札をな」 

ククク と怪しく笑いながら自らの帽子の鍔を撫でるヘット、まぁ この男は無策で臨むような男じゃないのはよく知っている、何か計画があるから動くんだ 打開出来る手段があるから動くんだ、この男が動くという事は つまりエリス達では無理で ヘットには実現出来る何かがあると言うこと…

「俺が死番衆を引きつけてる間に荷物取って、とっとと外に出ろ、分かったな」

「…………分かりました」

「納得してないな、まさか 俺に仲間意識が湧いたなんて言わねぇな、俺とお前は…」

「道を違えた敵同士、分かってますよ」

「ふっ、ならいい」

エリスの言葉に満足したのか ヘットはやや嬉しそうに立ち上がり机に広げた資料を片付け、コツコツと靴を鳴らしながら窓際に向かう

「なら作戦会議はそんなもんだ、内容はガキにも分かりやすいよう単純にしてやった、後はテメェらで上手くやんな」

「ええ、ありがとうございますヘット…本当に」

「礼はいらねぇ、とっととここから出てってくれるならそれでな、…さて 作戦会議も終わったし、後は明日になるのを待つばかりだが、緊張して寝て過ごすなんて嫌なもんでな、最後に盛大に騒ごうや」

「騒ぐ?」

そう言うなり ヘットは閉じた窓を開け広げる、すると外には大勢の囚人達が何やら固唾を呑む表情で集まっていたのだ、まさか盗み聞きでもしてたのか…?

「おい!、お前ら!盗み聞きなんてしてる暇があったら酒場からありったけの飲み物持ってこい!、クックに鞭打って働かせてしこたま飯持って来させろ!、今日は明日の朝まで飲んで食って騒ぐぞ!」

「おおおお!ボス!流石ですボス!、了解しましたぁー!」

外で待機していた囚人達に向け 口を大に広げて叫ぶように命じる、これから騒ぐから 必要なものを用意しろと、酒 飯 その他なんでもいいから持って来れるだけもってこい、その言葉に従い囚人達は喜び勇んで街中から様々な物品を持ち寄る

ある意味整頓されていたヘットの屋敷に雪崩れ込んでくる囚人達によって、酒は池の如く持ち寄られ肉は林の如く積み重なる、この世の最たる娯楽 食事と飲酒が揃ったこの場で行われるのは当然

「よっしゃー!、朝まで飲むか!テメェら!」

「おーう!」

まさしく酒池肉林の饗宴、恐らくこの騒ぎの主役であるエリス達を差し置いて囚人達は彼方此方で 屋敷の内外問わず酒を片手に料理を地面に置いてやんややんやと大騒ぎを始め 辺りはあっという間に喧騒に包まれた

「なんですかこれ…」

「瞬く間に宴会騒ぎですね、私達をダシに飲みたかっただけでは?」

「だろうな、享楽に生きてんだ 騒ぐ理由が欲しいんだろ、常に」
 
大騒ぎする群衆の中 中心にポツンと残されたエリス達だけが、この馬鹿騒ぎに置いていかれる、明日が脱獄決行の日 とても大切な日だ、とても騒ぐ気にはなれないし 食べ物も飲み物も喉を通る気がしない

すると、群衆を割って現れるのはいつのまにか大きなジョッキに並々と酒を注いだヘットがニタニタと笑みを浮かべてエリス達を見て

「何呆気を取られてんだよ、騒がねぇのか」

「そりゃ呆気も取られますよ、明日は大切な日なんですよね その前にこんな鯨飲馬食に暴飲暴食…、ついていけませんよ」

「ククク、若いな…なら良いこと教えてやる、百戦錬磨のオジさんからの人生のアドバイスだ、よーく聞きな」

するとヘットはその辺の酒樽に腰をかけ、注いだ酒が溢れんばかりの勢いでジョッキを掲げ、叫ぶのだ

「ヤベェ戦いの前だからこそ飲む!負けられないからこそ食う!、明日勝って 明後日笑う為に今を食うのさ!」

「今を…?」

「ああ、食事ってのは 小賢しく解釈するなら 次の瞬間を生きる覚悟を決めるってことさ、次の瞬間を生きる覚悟を決めて 明日も明後日も その次も 次も次も生き続ける、そんな信念がない奴が 目の前の戦いで勝てると思うか?」

「ッ…!?」

「だから今飲め 今食え 今騒げ、またこうして 美味い物を食って楽しく笑って騒げる未来をこの手で作るために!、この酒と肉は 未来への宣戦布告なんだから!」

だはははははは!と大いに笑いながら周りの人間と共に酒を飲み 肉を食う、それはまたいつか こんな風に楽しく騒いでやると言う意気込みを感じさせるような…、そんな活力を感じる

…アルクカースの老兵達も言っていた、今日良いものを食べた奴が明日の戦いに勝てると、それは即ちこう言うことなのかも知れない

戦いの前だからこそ 大いに食べる、負けられないからこそ 大いに笑う、それは次を誰かに約束するように 自分に誓うように、…明日を生きる理由を作るように

「…なるほど」

なんとなく ヘットの言いたいことはわかった、ある意味じゃ この馬鹿騒ぎを正当化する為に適当言っただけなんだろうけど、それでも…そうなんだろう

エリスは勝たなきゃならない、それはただ勝つ為に勝つのではない、明日もその次も 未来を得る為に勝ちたいんだ、ならその未来で何をするか どうしたいかを、はっきりさせておいたほうがいい

「エリスは、…またみんなとこうして美味しいものを食べて、笑っていたいです」

「エリス様…、ええ そうですね」

「そんな明日を作る為に 今ここで大いに食う、馬鹿騒ぎする理由としては悪くないんじゃないのか?」

近くの骨つき肉を手に取る…、そうだ エリスの旅はここじゃ終わらない、みんなと合流しエノシガリオスに辿り着いて、シリウスを倒して 師匠を取り戻して、アジメクに帰って…それで

またみんなと、美味しいもの食べて 笑い合うんだ!

「その為に今!食べましょう!」

ガツガツと肉をかっ食らう、食べたものを全てエネルギーに変えるように、明日を生きる動力にする為に、今を食べて 明日に変えるんだ!

「おいッッ!金髪のガキ!」

「ん…?」

ふと、肉を食べ始め この馬鹿騒ぎに本格参戦した瞬間、同じく人の海を掻き分けてこちらに向かってくる巨漢の姿が見える、ああ あれは山猩々だ、この二週間ほど 闘技場で何度か戦ってその都度ボコボコにして来た彼が必死な形相で現れ

「お前!、明日ここを出るんだってな!、だったら最後に俺と戦え!、やっぱりこのままじゃ追われねぇんだよ俺は!、俺を山賊から喧嘩師に戻した責任 取ってもらうぜ!」

「…山猩々」

なるほど、彼はもはや 山賊ではなく、一人の男として拳を握っているんだろう、その覚悟の重さは 今拳に乗っている、うん…ならエリスも決着をつけよう、エリスにとって原初の戦いに ここで…

「いいですよ、ミンチにしてやります」

「おお!、エリスの姐御と元チャンプの最後の試合か!、いいぞいいぞ!やれやれ!」

囃し立てる言葉に呼応し、エリスもまた骨つき肉を片手に拳を握る…、ぶっ飛ばしてやる

「バカヤロウ!俺の家壊す気かッ!表でやれ表でッ!」


……………………………………………………

ギャーギャーと騒ぐ雑音、髭面のオヤジだのハゲ頭の巨漢だのがいい歳こいてはしゃいでやがる

見つめる先は皆一つ、屋敷の庭先で殴り合うエリスと山猩々だ、…肉を片手で頬張りながら襲いかかるエリスを前に 山猩々は滅多打ち、ありゃあ今回もエリスの勝ちで決まりかなぁ

なんてヘットはジョッキを傾けながら物思いに耽る…

山猩々と出会ったのは偶然だった、こいつは元々同じ独房の奴と喧嘩しては懲罰房に入れられ その都度帰ってきては筋トレを続ける危篤な奴として看守の間でも有名だった

直向きにトレーニングするその姿勢は看守にも認められてたが、山猩々は遂に一度としてスポーツをする事はなく、誰かの輪に混ざることもしなかった…曰く

『俺は喧嘩師だ、もう二度と喧嘩で負けない為に 遊んでる暇はないんだよ』だとさ、ストイック過ぎて逆に笑えるね

まぁ そんな奴と同じ独房に入れられたのがこの俺、国家転覆を企んだ最悪の神敵ヘット様ってわけよ、大方看守の目論見としては山猩々と俺が喧嘩して 俺が再起不能にされるのを望んでたんだろうな…

そんな考えを俺よりも先に見抜いていたのが山猩々だ、アイツは独房に俺が入れられるなり 看守達の目論見を話し、『俺は喧嘩師であって処刑人じゃねぇ、だから奴らに上手く使われるのも真っ平だ、なるべく俺と関わるな』なんて言ってきやがった…、俺より弱いくせしてな?

だから俺は山猩々をこの腕一本で叩きのめして、どっちが上か分からせた……


なんてことはしなかった、代わりにこの冴え渡り知略と何枚もの舌を使い分けて山猩々を論理的に屈服させて…もしてない、何をしたか?、何もしてないのさ

俺は山猩々を前に何もしなかった、考えがあったわけじゃない、ただ何もする気が起きなかった

有り体に言うなら腐ってた、安っぽく言うなら諦めてた、俺は己の力を見限り ひたすら薪を焼べ続けた復讐の炎に餌をやるのをやめていたんだ…

だってなぁ、エリスに負けて 全てを失って、また一からやり直してもまた失敗した、そうこうしてる間に俺ももう四十を超えて 昔のようにやる気満々ってわけにはいかなかったのさ

何をしても、俺には何も変えられない、何も残せない、ならここで朽ちるのも この大男に嬲り殺されるのも一緒だろうと、そう考えてた時だ

ある日、いつまで経っても動かない俺に 山猩々の方から声をかけてきた、奴はあんまり口が上手い方じゃないが…奴の話す内容は、俺の興味を惹きつけるものだった

『ある日であった金髪のガキに叩きのめされ、それ以来復讐を誓ってる』そんな内容だったかな…、でも その言葉を聞いた時思い浮かんだのは俺の前に立ち塞がったあのガキンチョの顔だったのさ

聞いてみりゃ山猩々の言う金髪のガキも俺と同じだってんだからまぁ驚きだよな、俺達はかくも偶然が重なって 同じガキに負けて人生狂わされてここにいるんだ

ただ違う点があるとするなら、山猩々は未だ折れていない その一点に尽きるだろう

また会えるかも分からない、ここを出ない限りエリスが目の前に現れることはない、そんなのバカでも分かるが、山猩々はそれでも鍛え続けた…次いつ会っても負けない為に、独房の中で十年近くも鍛え続けていたんだ

その姿勢を見て俺は思ったね…、バカすぎるってさ、でも…同時に思い出した

エリスと戦った時以来、俺の中に刺さり続けている物を

だからかな、俺は山猩々に恩義を感じてる 一方的にだが…、それでもアイツはまた俺を立たせてくれた、だからこそ その恩は返したい、あの殴り合いがその恩返しになるなら…二人を引き合わせて正解だったと思う

「…………」

シャツの上ボタンを外せば、中から見えるのは大きな火傷の跡だ、こいつはエリスにつけられた傷だ、治すのに難儀したし 跡も残り続けている、こうして撫でればあの時の痛みさえ思い出せる

あの時俺が勝っていたら、どうなっていたのかな…、考えても無駄だが、きっと今とは大きく違った未来が待っていただろう、だけ俺とエリスの関係は大して変わらなかっただろうと言う確信もある

「ボコボコにされてんなぁ、山猩々」

あれだけ鍛えていたと言うのに エリスを前にしたらまるで歯が立たない、そりゃそうだ エリスは山猩々以上にキツくて苦しい戦いの日々を切り抜けてここまでやって来たんだから

エリスが倒したアルカナのメンバーはどいつもこいつも今の俺や山猩々を大きく上回る化け物ばかり、レーシュなんかはどうやって倒したのか聞きたいくらいだよ

でも…エリスならきっと倒すだろうな、何せアイツは…

「あんた、随分エリスを熱っぽい視線で見てんな」

「あ?」

ふと、目を横に向けると エリスの仲間のボンボン坊や…アマルトがこっちを睨んでいた、熱っぽいねぇ、何勘違いしてんだか…

「まさかあんたエリスに惚れてないよな」

「あんな暴走機関車に惚れれる男がいるなら寧ろご覧になりたいね、頭のネジが外れた余程の奇人か、或いは他に女を知らない奴だけだろ」
 
「残念ながら、随分立派なのが惚れてるよ」

「そっちのが驚きだぁな…」

別に俺はエリスのことが好きなわけではない、どちらかと言えば未だ敵視してすらいる、山猩々のように 許されるならリベンジマッチを申し込みたいくらい、俺はエリスを憎んでいる…だけど、残念ながら俺にはその資格が無いんだ

だからこうして見ることしか出来ない、ああして強くなった奴の戦いぶりを見て、夢想することしか出来ない、あり得なかったリベンジマッチを…な

「なぁおいボンボン坊や、俺はこれでもエリスに勝ってんだぜ」

デルセクトで俺とエリスは四度激突した、うち三回は勝てたが…アイツは何度負けても向かってきて、最後の最後 ここぞの言う場面で勝ちやがった

信じられない話だよまったく、なんて自笑するように 誇るように言えば…

「自慢にもならねぇなそりゃ、俺も一回勝ってるもん」

「へ?」

「あ、私もエリス様に一度勝ってますよ 不意打ちでしたが」

「おいおい、アイツ負けすぎだろ…」

聞いた話じゃアイツ、基本的に初戦は負けるらしい、アインにもコフにもレーシュにも一度は負けて撤退していると言う、ここにいるアマルトとメグ相手にも撤退してるし ネレイドにも負けてる、当然俺にもだ

アイツは致命的に初見に弱い、それを差し引いても負けすぎだ…

「けど…」

しかし、アマルトは続ける 暴れ狂うエリスを見つめて、なんとも脱力したため息を吐きながら

「最後は結局勝って丸く収めるんだ、道中何回負けても 最後の最後、絶対に勝たなきゃいけない場面で勝って終わらせる、それがずるいんだよなぁ…」

「ですね、絶対に引けない場面では 本来なら三度は倒れてもおかしく無いほどの傷を負っても絶対に倒れません、持久力や耐久力を超えた何かを発揮して 最終的には勝利を収める、埒外なんですよ 彼女は…」

「…………」

分かる気がするな、俺もその執念を見たから

あの船での決戦で、一度は勝利を確信するほどの一撃を加えたにも関わらずアイツは立ち上がり ロクに動かない手足で勝ちをもぎ取りに来た

…出来るんだよなぁアイツにはそれが、羨ましい限りだ 

「ところでヘット様?、何故貴方はそうまでしてエリス様に全てを捧げてくれるので?」

「捧げるっておい、俺は何も…」

「いいえ、貴方のそれはどんな敬虔な信徒にも勝る信仰です」

「…………」

信仰ね、信仰か…嫌な言葉を使ってくれるよ、神も人も誰も信じてない俺にその言葉を投げかけるなんてな

「別に誰かに話すようなことでも無い、それよりお前らはこの騒動を楽しむつもりで動きな、もしかしたら最後の晩餐になるかもなんだしな」

アマルト達から逃げるように背を向け立ち去る頃、山猩々の人生最後の戦いも決着がついたようだ、いつもの三倍は奮戦したろう いつもの五倍は強かったろう いつもの十倍は粘ったろう、それでも届かなかったようだ なんとも残酷な話だ

それでももし、この世に神がいるなら…あれは山猩々に与えられた救いなのかもしれないな

そして、この出会いこそがヘットの救い……

「ハッ、糞食らえだね…」

湧いてくる感情を酒で奥の奥へと流し込み、ヘットは笑う ただただ笑う、エリスと居ると若返ったような心地になれるな

燃え尽き 朽ち掛けのこの体に、再び悪巧みの炎が燃え上がる

久々にやるか…

…………………………………………………………………………………………

「ふぅー…」

エリスの体内時計が夜明けを知らせる頃、エリス以外の人間は全員地に倒れ伏し ガーガーといびきをかいていた、全員酒を飲んで そのまま床に寝転んで眠った…訳ではなく、全員気絶するまで飲み続けたのだ

まぁ中にはエリスが殴り倒したのもいる、最後にエリスに挑みたいって奴が何人かいたから…山猩々もそのうちの一人だった

「そろそろ動いた方がいいと思うんですけど…、メグさん アマルトさん?」

「はい、アマルト様?アマルト様?朝でございます」

「がー…あ?」

メグさんに揺さぶられ鼻に作っていた鼻提灯をパンっと割って眼を覚ますアマルトさんは、昨日何杯か釣られて飲んだようだ、彼の突っ伏す机の上には空のジョッキがいくつか転がっている

「お目覚めですか?アマルト様」

「ん…おお、悪い 寝すぎた…」

「大丈夫でございます、お酒は残っていますか?」
 
「いや、寝てる間に大分飛んだよ…、そろそろ出るか?」

「そう言いたいところなのですが…」

チラリとメグさんがこちらに目を向ける、ああそうだ そろそろ動いた方がいいのかもしれないが、ヘットが姿を現さない…

まさか酔い潰れているなんて事はあるまい、彼の事だ 時間に遅れるなんてのもあり得ない、なら何故この時間になっても現れないか…

答えと思わしき予測は二つある、一つはここぞと言う場面で裏切られたという事、だが裏切りにしては不可解だ

そしてもう一つは…ヘットだけで行動を開始したかの二択、裏切りよりはあり得そうに話しだ、昨日のヘットは何やら悲壮な覚悟を決めているようにも見えた、まさか命を懸けて…?

「ヘット…一体どこへ」

何やら背筋に冷たいものを感じ、突き動かされるようにエリスは立ち上がり ヘットを探すため動き出し……


「っあああー…、悪い 酔い潰れてた」

「…………」

倒れ伏す男の山の中からヘットが這い出てくる、その満身創痍の姿は 完全に酔い潰れていた、という体裁で…

「何酔い潰れてんですか!大事な日なんですよ!」

「デケェ声出すな…、頭に響く…うう、水水」

「全く、…はい お水です」

「ん…」

近くの水瓶に溜めてあった水をコップに注いで渡す頃、すでにヘットはいつもの背広をピンっと張らせて仕事モードに戻りつつある、顔以外は 顔はひどいよ顔は、死にそうな顔してるもん

そんな顔のまま、エリスの渡した水をゴクリゴクリと喉仏を上下させながら仰ぎ飲み…

「ふぅー、酔い潰れてカラカラになった胃袋に染み渡る オライオンの雪解け水、朝一番に体に響くこの潤いに 目を向け感謝を感じることこそ、出来る大人の朝の過ごし方…」

「二日酔いしてる時点でダメな大人確定ですよ!」

「言うなって、さて!…じゃあそろそろ行きますかね」

なんて、散歩でも行くかのような軽々しいノリで彼は膝を叩いて立ち上がり床に落ちていたトレードマークのテンガロンハットを目深く被って 言うのだ

「脱獄しに」

な? と牙を見せ笑うヘットは 温め続けた脱獄計画を発動させる、その姿はまさしく悪の首魁 魔女大国を二つも転覆の危機に追いやった世紀の極悪人そのものだ

全く、どこまで信じて良いやら…

…………………………………………………………

「付いてきな、こっちだぜ」

それから 酔い潰れた他の囚人達を置いてエリス達は行動を開始する、先導するヘットに続くように エリスとメグさんはクライムシティの大通りを歩く、本当に住人全員で祝っていたのだろう、今この街には誰もいない

「といえかアマルトさんは?」

ついてきているのはエリスとメグさんだけ、アマルトさんの姿はない まぁ昨日の話から察するに、恐らく彼は

「アイツはもう別口で行動開始中だ、既にガーランドと共に監獄長室目指してる、あっちはあっちで危険なんだ、モタモタしてたら可哀想だし とっとと行くぜ」

彼らは二人で監獄長室に忍び込み 最後の関門である監獄の門を開けるための鍵を確保するため移動中だ、エリス達も危険な橋を渡るが 向こうは多分もっと危険だ、既に巡回を始めている看守の目を掻い潜って鍵を盗むんだから…

「しかし、アマルト様 大丈夫でございましょうか」

「言ったろ?そこはアイツの頑張り次第、一応助けになるよう元暗殺者のガーランドだって付けてるって」

「だから不安なのでございます、暗殺者はこの世で最もクレバーな思考の持ち主、危機的状況に陥った時 凄まじい速さで諦める人種なのです」

そう語るのは その道の業界の事をよく知るメグさんだ、暗殺者とは諦めずに邁進するものではなく 一度のトライで無理なら速攻で諦めるタイプの人間が大成するらしい、つまり 元々暗殺者として働き その後大成したガーランドは、彼女が危惧するクレバーなタイプの人間 と言うことになる

「まぁ、そりゃそうだが それでもこの街で一番の適任であることに変わりはない、危機的状況に陥ればそれは諦める諦めないにかかわりなく終わりだ」

「それはそうですが…、いえ ここは貴方を信頼いたします、ヘット様」

「ありがとさん、さて こっちも動き始めるぞ」

そう言うなりヘットがたどり着いたのは、街の端…険しい岩盤の壁だ、道があるようには見えないが

というか

「あの、ヘット?エリス達はどうやって上に行くんですか?、まさか無界を通って?」

だとしたら嫌だな、彼処は怖い…、音も光もない空間とは 心底恐ろしいものなのだと身に沁みた、出来ればもう入りたくはないが…

「通らない、あの暗闇と静寂は心地いいけど 彼処は見かけ以上に広い上に出入り口には看守もいるからな、あそこからの脱獄には向かない、だから」

するとヘットは何もない岩盤を強く、掌で押し込む…それと同時に壁面が光り出し、粒子の如き細かなブロックとなり道を開けるように蠢き穴を開けるのだ

ただの壁面が、ヘットの手に反応して道を作った…壁に穴が開いて向こう側に続く道を作ったんだ…

「これは…」

到底信じられない光景、だがエリスはこれを見たことがある、この衝撃を味わったことがある…これは

「魔力機構?」

帝国が扱う魔力機構技術によく似た技術だ、いや それよりも発達している印象を受ける、どちらかと言うとコルスコルピで見た 対天狼最終防衛機構ヴィスペルティリオに似ている、つまりこれは

「これがなんなのかは分からねぇ、だが 前も言ったろ?数千年前はこの監獄は地底監獄だったってな、つまり この地下空間自体は魔女が生きた太古の時代からある、これは失われた文明の残り香ってことさ」

この監獄は本来地底に迷宮を作るが如く広大に広がる大監獄であったと言う、太古の時代はそうであったと言う

つまり、この地底監獄もまたヴィスペルティリオ同様 遥か古より存在する大遺跡の一つ、と言うことになるのだろう…

八千年級の遺物、それがこのプルトンディースの本来の姿…

「歴史探訪が趣味かい?、だが観光は後にしな 時間がねぇことに変わりはないからな」

「えっと、この事を看守は把握しているんですか?」

「してない、そもそもこの監獄に地下があることさえ把握してないからな、俺もこの仕組みは偶然見つけたようなもんさ、この全体像を解析するのに一年もかけちまった」

「え?解析?」

「俺が日頃から机に向かい合ってるのを、仕事でもしてると勘違いしてたのか?、ずっとこの監獄の仕組みと構造の計算をしてたのさ、いつ使うことになってもいいようにな」

え!?あれこれの解析だったんですか!?全然気がつかなかった…、と言うかこの男 どこまで考えて生きてるんだ?、これを偶然見つけて いつ使ってもいいように解析まで済ませてるなんて…

まだまだやれる、この男は外に出てもまだまだ災禍の種になれる…そんな末恐ろしさを感じながらエリスはヘットに続いてその道を潜ると、壁の向こう側にある空間へとたどり着く

「ここは…」

そこにあったのは…無限の回廊とでも言うべき凄まじい巨大さを持つ断崖であった、一歩踏み出せば 広がるのは奈落の底に続くような 巨大な谷、それは右にも左にも果てがなく闇の彼方まで続いており 当然奈落の底も見えない

ふと上を見上げれば、これまた見えない、なんというか…壁だ、巨大な壁が谷の向こうに見えるんだ、よく見ると壁には這うような階段や檻が覗き見える…

「ここは遥か昔使われていた監獄と俺は推察している、すげぇ規模だよ この世の人間全員収容できるんじゃねぇかって規模だ」

その圧巻の規模にヘットもまたやや声を震わせる、ここを作った人間はイかれているとヘットは言うのだ

恐らく最後に使われたのは数千年前、だというのに檻も階段も朽ちることなく残っている、やはりここはただの遺跡じゃない、八千年前から残っていたヴィスペルティリオもまたその構造が朽ちることなく残っていたことから 推察するに…やはりここは魔女かそれに類する存在によって作られたのだろう

「これ、下の方にも永遠に続いていますね」

「ああ、一回石を下に落としてみたが、音が返ってこなかった…落ちるなよ、助けられねぇからな」

「……これ、よく見ると 下に行けば行くほど檻が強固になってますね」

「あ?ああ、そうだな」

ヘットの忠告も聞かずエリスは目を凝らしながら向こう岸の壁に取り付けられた檻を見る、よく見ると上よりも下の檻の方が頑丈そうにできている、ということは下に行けば行くほど凶悪な存在を収監するってシステムだったのだろう

「これ、一番下には 何が閉じ込められていたんでしょうか」  

ここは地下だ、プルトンディースの地下に存在する懲罰房の中でも最深部に位置する無界よりも更に下に位置するクライムシティ、そこよりも更に底が見えないほどの地下奥深くにまで存在するこの地獄の最下層…

一体何を閉じ込めていたんだろう、一体…何を閉じ込める想定で作られたものなんだろう、それこそ魔女レベルの何かを閉じ込める想定で作られたとしか思えない…

「行ってみたい、見てみたい…」

「やめとけ、帰ってこれないぞ」

「エリス様、興味はあるかもしれませんが 今は時間がありません」

「あ すみません」

ふと呆れるような声音を向けるヘットはすでに、壁をなぞるように上に向かう階段に足を乗せてこちらを待っていた

この監獄のことは気になるけど、今のエリスには全く関係ないことだ、調べるのは残念ながら出来ないだろう…名残惜しいが、今は先に進むとしよう

「待ってください!、と…ころで?この階段 どこに繋がってるんですか?」

ふと、ヘットが上る階段を続くように駆け抜ける…しかし、この階段もまた果てがない、上を見上げればどこまでも続いているように見えるが

「何処にでもだ、少なくとも地下の中ならな」

「何処にでも…、ってことは」

「ああ、安置所にも直通の道がある…言ったろ?安全な道を確保してあるってな」

なるほど、これなら安全に安置所まで直行出来そうだ、今頃アマルトさんたちも同じような道を通って監獄長室を目指してるんだろうな…、まぁ 監獄長室は一階…つまり地下ではない

そこから先は危険な道のりになるが…、無事でいてくださいね アマルトさん

…………………………………………………………

「……………………」

なるべく息を殺して廊下の影に隠れて潜む、耳を澄ませばあちこちから靴が歩く音が聞こえる、そりゃそうか ここは監獄、常に見張りはいる

それに、俺が今いるここは既にプルトンディースの一階…地獄の入り口なんだ、そりゃあ地獄の悪魔もわんさかいるか

「ふぃー…」

遠ざかる足音を前にアマルトはホッと一息ついて 廊下の影から顔を覗かせ周囲を確認する

今、アマルトはエリス達と別れ 一階にある監獄長室に置いてあるであろう鍵を確保するため隠密行動と洒落込んでいるところだ

ヘットの仲間のガーランドに連れられ 壁の向こう側にあった不可思議な地下迷宮を通って地下一階に出たアマルトは其処から最新の注意を払いながら目的地目指して止まることなく進み続けている

あの古めかしい地下迷宮にコルスコルピ人として浪漫を感じたりもしたが立ち止まることなく進んだ、何せ アマルトが今任されている仕事は仲間の退路を確保する重要な仕事だ

エリス達はきっと上手く荷物を確保して出口目かげて走ってくるだろう、その時俺がまだ鍵を確保してません じゃ話にならねぇ、急ぎつつしっかり対応していかないとな

「…しかし、見張りが厳重だな…」

ヘットから事前に看守の動きと人員の配置はある程度聞いてはいたが それでも俺の動きは遅々としたものであった事は言うまでもない、それだけ看守がうじゃうじゃいやがるんだ

くそっ、呪術が使えりゃハエやネズミに化けて一発で突破出来るのに…

「アマルト殿…」

「ん?…ッ!?」

突如暗闇からヌウっと現れた痩せこけた面を前に思わず叫び声あげそうになるが、咄嗟に口元を押さえ事無きを得る

大丈夫…大丈夫、こいつは味方だ…

「もっと愛嬌出して顔を見せろよガーランド」
 
「これは失敬」

ココココと喉元を鳴らして悪う人相の悪い痩せぎすのこの男、こいつが俺の協力者だ

名はガーランド、邪教アスロラーベの元司祭だか司教をやってたっていう男で、元血命供儀信仰派の生贄確保担当…つまり暗殺者だという危ない男だ

「ですがご安心を、近くに敵は居ません、進むなら今のうちでしょう」

「ん…そっか」

「取り敢えずそこの曲がり角を曲がって その後見える柱の影に隠れて様子を見ましょうか」

「分かった」

ガーランドの指示に従いなるべく足音を立てずに迅速に進み、曲がり角の先にある柱の影に隠れ一息つく、見ればガーランドもまるで幽霊のような摺り足でササッと移動し 天井に張り付いて動きを止める…

この男 ガーランドは元々闇の世界を生きていただけあり、その経験は豊富…こいつの助言があったおかげで俺はここまで見つかる事なく上手く看守を避けて進めている

腕がいい、素人目にも分かるほどにガーランドの隠密としての腕は確かなものだ、本人は長いこと司祭をやっていてこういう隠れる仕事は久しぶりらしいが 大したもんだと思うのは事実だが…

(大丈夫か、こいつ…)

それでもアマルトは些かガーランドとの距離を測りかねていた、ガーランドのおかげでここまで進めているのは事実なんだが、それでもこいつがついこの間まで魔女大国と敵対していたのも事実なんだ

こんな状況じゃなけりゃ敵もいいところ、それに対して全幅の信頼はやっぱり置けない、それに…

(あの血命供儀の人間ってだけで、曰く付きじゃんかよ…)

エリスはよく血命供儀の事を知らなかったから あんまり警戒はしてなかったと思う

だが、元暗殺者にして帝国の軍部とも深い繋がりを持つメグやこれでも色々と勉強をしている俺は知っていた、血命供儀信仰派の恐ろしさを…

『血命供儀信仰派』、それは魔女排斥を掲げて居ないだけで 立派に闇の世界寄りの存在だ、教皇もテシュタル教本部もその存在を容認して居ない悪教であり、その協会が見つかる都度軍が派遣され 世に災禍を齎す組織として認知されているヤベェー組織なのさ、一応マレフィカルムに属してないってだけのな

その始まりは今から一千年前、時のアジメクの魔術導皇がテシュタル教の教えに感化され狂信の末にたどり着いたとされる血命供儀信仰派は人間の血…つまり液化した魂でもある魔力純液にこそ神に辿り着く道があると信じ 人の血を絞り取り時に無関係の人間を生贄にし神の顕現を目指した

その過程で魔術導皇が血命供儀を成す為の魔術…

人類史上最悪の魔術と名高い『魂血魔術』なるものまで生み出してしまったからさぁ大変、ここから先は魔女が介入し リゲル様によって血命供儀は潰され スピカ様により時の魔術導皇はその座から叩き落とされ息子に跡を継がせ事無きを得たらしいんだが…

言ってみりゃ魔女が介入しなきゃヤバい魔術を持った魔女が消さなきゃいけないような思想の連中が血命供儀信仰派だ…、そんなのと組んで大丈夫なのか 俺


「如何されましたか?アマルト殿」

「いや…別に」

油断しないようにしよう、こいつも一応元だが血命供儀信仰派…、不意をついたら血を吸われるかもしれない

「それよりもアマルトは殿、監獄長室は目の前ですぞ…、儂が合図すると同時に走ってくだされ」

「分かった…」

「…………」

微かに聞こえる足音、コツコツと響き正確な距離が測れないその音をガーランドは的確に聞き分け…

「今です、5秒以内にあの角を曲がってくだされ、そうすれば扉は目の前でございます」

「応…!」

駆け出す、合図と共に己が出せる全力の速度で廊下を駆け抜ける、迷路のように複雑に入り組んだ監獄内部の中央に存在する監獄長室…そのゴールとも言える扉が曲がり角を曲がると共に見えてきた

よし!、あそこに忍び込んで鍵を頂けばお使い完了!、楽勝だぜ!

「よし…よし!」

廊下を駆け抜け 大きな両開きの扉の黄金のドアノブに手をかけ一気に回して内部に…

「ッッ!?ちょっ…」

入れない、扉が開かない 鍵が閉まってる、鍵が閉まってるぞ!?おい!ここは施錠されてないんじゃないのかよ!?話が違うぜおい!

慌ててドアノブを動かすも、ガチャガチャと音を鳴らすばかりで全く開く気配がない、あの野郎デマ流しやがったか!?

「くっ!」

まずい、看守が戻ってくる気配がする 足音がする、ガーランドの言った五秒以内にというのはこういう意味だろう、だがもう戻る時間もない ど…何処かに隠れて…!

「アマルト殿…!」

「が ガーランド…?」

「退いてくだされ…!」

まるでつむじ風のような速度で廊下の奥から飛んできたガーランドは懐から針金を一本取り出すと共に鍵穴にそれを突っ込み、抉るような動きで鍵穴内部探り…いや速え!?、なんつー手の動き!?めっちゃ速え!?

なんて思う間も無くガチャンと鍵が開く音が…え?、もう解錠したの?

「中へ…!」

「は、はい」

恐ろしい速度でピッキングを完了したガーランドはそのまま扉を開き、俺の腕を掴んで監獄長室へと引き摺り込む、解錠から侵入までの速度が速すぎる…暗殺者ってこういう事も出来ないといけないのかぁ、やっぱ違うよなぁそれで食ってた人ってさぁ

「っとと、にしても…ここが監獄長室か」

政府直轄の巨大な監獄を統治する事を許された監獄長達が普段使っている部屋、さぞ豪奢なのだろうと勘繰って居たが、これが殊の外に質素で真面目なのだ

大量の書類と名簿が置かれた棚と必要最低限の机と椅子、そこに遊びの道具や飲食を行う道具は無く、完全に仕事をするだけの部屋って感じだ、監獄長室って言うより 事務所だな

ダンカンって、見かけによらずかなり真面目なのかもしれない

「アマルト殿、早く鍵を探しますぞ 任務は必ず達成しなくては」

「あ ああ、副監獄長のコートのポッケだったな」

そのコートが何処に掛けられてるか分からないから家探し同然に荒らすことになるが、どうせこのままおさらばするんだ、構わないだろ…

「……………」

探しながら黙々と考える、どうしても気になるのはさっきの鍵が閉まってた件に関する伝達ミス

ヘットは監獄長室は鍵がかかってないと言っていた、なのに実際に辿り着いてみたら鍵がかかってた、これは一体どういう事なんだ?

ヘットが嘘をついた?、嘘をつく理由が思いつかねぇ…

ヘットが間違えた?、その可能性もあるが 鍵の在り方さえ把握してたような男がそんな凡ミスするか?

うーん…なんか、背筋がゾクゾクする 嫌な見落としをしてる気が…

目を伏せ、ヘットの言葉を反芻する

『ああ、警備は厳重だが…その辺はなんとかなる算段だ、ダンカンは普段監獄長室に鍵をかけないしな、ただ問題があるとするなら…お前ら 自分の持ち物も取り戻したいだろ?』

そう言った、確かにそう言った…

『警備は厳重だが…その辺はなんとかなる算段だ、ダンカンは普段監獄長室に鍵をかけないしな』

そう…そう言って

『ダンカンは普段監獄長室に鍵をかけないしな』

ん?…

『ダンカンは普段監獄長室に鍵をかけない』

…ダンカン…『は』?、なら 誰ならかけるんだ…?この監獄長室に鍵を、この監獄長室に鍵をかけることを許されている人間、この部屋の鍵を持つことが許されたダンカン以外の人間…

ま まさか!

「アマルト殿、鍵かがありましたぞ、これで任務を遂行…」

そう ガーランドが戸棚の中で畳まれたコートの中から一本の黄金の鍵を取り出した瞬間

音がする、閉めたはずの扉が開く ゆっくりとした、軋むような音が室内に響き、目が…自然と其方を向く…すると

「っ…お前達は」

監獄長室の扉を開けて こちらを見て 呆気を取られるような顔をして この部屋唯一の出入り口を塞ぐように立つ、メガネの優男

四神将が一人 この監獄の王…守神将トリトンが立って居た

ここに居ない筈の、いや 居ないという祈りとも取れる前提で話が進められて居た男が…そこに居たんだ

トリトンは俺の顔を確認するなり、みるみるうちに鬼のような形相に変わり

「お前は神敵の一人…!、報告ではお前は無界にいる筈だが…?」

「や やっべぇ…」

「ダンカンの練習に合わせて無理に帰ってきてみれば…これか」

ゆっくりと 眼鏡を指で整えながらこちらに歩んでくるトリトンの重圧は 凄まじい物だ、纏う魔力や闘志は とてもじゃないが魔力抜きでなんとかなるレベルじゃない

ま マズいマズいマズいマズい!、どうする!どうすれば!こうなったらガーランドと一緒に戦って少しでも隙を作って、その間に…

「おい!、ガーランド!」

ガーランドもかなりの実力者、俺一人よりは可能性はある筈だと鍵を持つガーランドに声をかければ…

「ん?、誰に声をかけているんだ?、この場にはお前一人しかいないだろう…」

「……へ?」

代わりに返って来たのはトリトンの不思議そうな声、そりゃそうだ さっきまでそこに立ってたガーランドの姿が今 何処にも無いんだから、…何処行った?何処に行ったんだ?何処に行きやがったあいつ!?

首を振り回し右と左と探し回れば…、居た いつのまにかトリトンの背後…つまり監獄長室の扉の向こうに立ち 鍵をこちらに見せながら コクリと頭を下げた

え?…あれ?、これってもしかして

(俺…見捨てられた?)

バタンと閉じる扉の音と共にガーランドの姿は完全に消え、この場に取り残されるは 俺と…トリトンの二人だけで…

「何かは知らんが、何か知っているようだな…神敵」

「うっ…!」

あ あいつ、あいつ!俺見捨てて逃げやがった!?最悪の状況に置いてくなよーーッッ!?!?
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