孤独の魔女と独りの少女

徒然ナルモ

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七章 閃光の魔女プロキオン

189.孤独の魔女と夢への道程

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「えぇっ!?って事はマジでやったのか?、ルナアールの撃退と原典の防衛」

「はい、エリスさんが上手いことやって ルナアールを追っ払ったんです、ルナアールが活動を始めて初めてのことですよ、凄いですよね クンラート団長」

「確かに凄いや…、本当にそんなこと出来るとは」

「いらいや、皆さんの助けがあったからですよ…」

それでもスゲェとクンラートさんが息を巻く、褒められてはいるが エリス的にはあんまり嬉しくないというか、いや褒められたのは嬉しいんですけどね、結果として訪れた状況を考えると喜ぶ気になれないだけだ


ルナアールの予告の夜から一夜明け、エリス達はその日の朝にクンラートさんに報告に向かった、クリストキントのみんなは変わらず劇場の整備をしているようで あちこちで古くなった備品の取り換えや床に釘を打ち直していたり大変そうだ

かく言うクンラートさんもまたねじり鉢巻の大工スタイルで剥がれた壁を修復中だ、そんな仕事の最中 手を止めて報告するのはやや気がひけるが、かといってこの修繕作業が落ち着くのは数週間後、それまで待ってられないからね

「しかし、逃げられちゃったのか」

「はい、ルナアールの奴 思いの外やる奴でして」

「エリスちゃん相当強いんだろ?それでも捕まえられないなんて、凄い奴なんだな ルナアールって」

「そうですね、全くです」

「う うん…そうだね」

「ん?どうしたナリア」

「え?いや なんでもないよ?クンラート団長」

ちなみにルナアールの正体については箝口令が為された、当然だ 国を騒がせる賊の正体がまさかこの国を統べている筈のプロキオン様だ なんで広まってみろ、それだけで大混乱だ、だから ルナアールを正体を知るのはあの場にいた人間だけだ

そうそう、箝口令と言えば ヘレナさんの件、彼女が偽りの魔女の弟子であると言う事についても内緒という事になった、今エトワールはヘレナ様が魔女様のお弟子になられた と言う点である程度の希望を見出している状態にあるのだ

当然だ、ヘレナさんの感じていた不安…魔女も弟子もいないエトワールは他の魔女大国に一段劣る存在なのではないか という劣等感、それを救っているのがヘレナさんが魔女の弟子になった事実なのだ

ヘレナさんが魔女の弟子という事は、王国は魔女様と接触出来ているという事にもなるしね、まぁ 嘘も方便だ

「それよりクンラート団長!、聞いてよ!僕ヘレナ姫からエイト・ソーサラーズ候補選に参加する事が許可されたんだ!」

「何?本当か!よかったじゃないか!、ってか もうそんな時期か…」

そして、今一番の問題がこれだ

ナリアさんのエイト・ソーサラーズ候補選…、五年に一度の周期でソーサラーズは入れ替わる、その時期が今年なのだと言う

ヘレナさんから説明を受けた内容をそのまま言うと

エイト・ソーサラーズ候補選は凡そ二段階の選抜があると言う

まずは候補に入れられた役者達が市場で劇を行う、それを見た観客達 つまりこの国の住人達が投票を行い、その結果 候補の中の上位15名が最終選抜へ進める と言う内容だ

上位15名、参加する女優の数が数千 ともすれば数万人もいることを考えると、あまりに狭き門だ

そして最終選抜はこの国の演劇の権威そして王族達の前で残った15人がその劇団と共に演劇を行い、認められれば晴れてエイト・ソーサラーズだ

これを三ヶ月かけて行う、ナリアさんはその候補の中に名前を入れることを許可された、とはいえエントリー方式なので参加しようと思えば劇団所属なら誰でも参加できる、エリスでも参加できる しないけど

だけどそれでも異例な事であるとされるのは

「男の僕が候補に参加出来るなんて…」

ナリアさんが男である という事、とはいえ彼は女優として引けを取らない美貌と演技力を持つ、不足はないとマリアニールさんも言っていた…、だがそれでも参加に文句をつける奴がいるかもしれないから ヘレナさん直々に参加を許可する形となったのだ

「まぁいいじゃないか、やりたいんだろ?エリス姫」

「はい、…そこは譲れません」

「なら、尻すぼみせず挑むべきだ、全力を出すしかないんだ、何 要はいつも通りここで劇を行えばいいだけだろ?「?

「まぁそうなんですけど…」

「ならいいじゃねぇか、頑張る理由が出来てみんなも励めるだろうしよ」

「ありがとうございます…、エリスさんも ありがとう、お陰でチャンスを掴めた…、僕頑張るよ」

「いえいえどうも」

とは言え、頑張るのはこれから 、五年に一度のチャンスなんだ 必ず物にしたいだろう、ナリアさんは今回を取り逃がしたら終わりってわけじゃないが、多分エリスが手伝えるのは今回の候補選だけだ、五年もこの国にいるつもりはないからね

「それじゃ!、早い所活動できるように 劇場を復活させないとな」

「あとどのくらいで終わりそうですか?」

「んー、このままのペースなら一週間以上はかかるが、何ペースを早りゃ一週間以内には行ける」

そんなに慌てて大丈夫だろうか、いや 今はとにかく時間がない、ヘレナさん曰く候補選自体は一週間後だが、それでも参加する候補者達はすでに参加を表明し 大々的に宣伝して回っているという

動くなら早いほうがいい、タッチの差で上位に入れませんでした ってなったら、ナリアさん以上に劇団のみんなもショックを受けるだろうしない

「じゃあエリスも手伝いますよ」

「そうかい?、それじゃあ…」

「おい、エリス」

「ん?師匠?」

ふと、クンラートさんから仕事を引き受けようとすると、呼び止められる 師匠に、いや師匠とリーシャさんにだ、二人が何やら神妙な面持ちでこちらに来いと手招いている
…なんだろう

「あの、クンラートさん」

「いやいいさ、エリスちゃんもエリスちゃんで忙しいみたいだしな、こっちは俺たちに任せな」

「ありがとうございます」

「おう、ナリアは手伝ってくれるか?」

「はい、なんでも!」

「じゃあ看板の色塗り頼むよ」

恩に着ると頭を下げる、エリスの事情をここまで汲んでくれるとは 本当にありがたい限りだ、彼のこの心遣いに応える為にも ルナアールの件、必ず結果を出さなくては

「師匠、どうしました?何か分かりましたか?」

「ああ、ここじゃなんだ 裏に回るぞ」

師匠の元まで駆ければ裏に回ると言われその通りに劇場の裏 人通りのない裏通りに向かう、ここではない話せない事と言えば 一つしかない

実際、師匠は昨日エリス達と共に帰らず 寝ずに城の中を捜査して回ったらしい、寝ないで大丈夫かと思ったが どうやらこの姿になっても魔女の特性…寝食をせずとも健康を害さないというのは変わらないらしい

まぁそりゃそうか、そこまで機能しなくなってたら 師匠の中にある不老の法も無くなって、今頃師匠は寿命が尽きて死んでるだろうし

「昨日、ヘレナの許しを得て 城の中、プロキオンの書斎や工房を覗かせてもらった」

と 周りに人がいないのを確認して師匠は口を開き始める

「がしかし、分かってはいたが 特にこれといって何かが見つかることはなかった…」

「そうですか…」

プロキオン様は間違いなく正気を失い シリウスの影響を受けている、しかし それが何故怪盗という方向に向かっているか分からないんだ

もし、怪盗をやっている原因が分かれば 現状を打破するきっかけになると思うのだが…、そうか 進展無しか

「前も言ったがプロキオンは怪盗なんて真似…いやそもそも盗みなんてする人間ではないのだ、例えどんな事情があろうとな、それがあそこまで躍起になって怪盗をしているとは考え難い…」

「そんなにですか?」

「ああ、言ってみればアルクトゥルスが戦争しません!と宣言したりフォーマルハウトが節約生活します!って言うくらいならもんだ」

そりゃ相当だ、魔女様の暴走は今まで経験したが…、皆 暴走すると自己に正直になる傾向がある、国を治める立場として抑圧されている自己が露出し結果として国内に混乱を生む…

つまり、どこまで言っても自己という人格は変わらない、プロキオン様が盗みを良しとしないなら 怪盗は絶対にしない、例え正気を失っても…

「それが、自己を捻じ曲げてまで怪盗を…、余程の理由があるのでしょうか」

「もしくは…、我等魔女達にも隠していた プロキオン本人の深層心理が溢れているのかもな」

「それを言ってはキリがないんじゃありませんか?」

「まぁな、だからこそ 何か事情があると信じて、調査を続けようと思う」

そうですね、確かに何も出なかったかもしれません、けどそれはあくまで1日1夜調べて何も出なかっただけ、これからも何も出ない と結論づけるには早過ぎる

「それで、リーシャさんはなんで師匠と一緒にいるんですか?」

「あー、私もいい機会だから なんかいいネタないかなあって、城の中をうろついていて…、勿論 プロキオン様に類するものがないか探してましたよ?、けど こちらも手掛かりなし、まぁ 私はプロキオン様のこと何も知らないので 完璧な調査ができたかは怪しいけれど」

じゃあなんで行ったの…、いやまぁリーシャさんも今新しい台本を書くのに四苦八苦しているようだった、かなりの難産らしく 今だ筆が殆ど進んでいないらしい、ならば 色んなところで色んな刺激を貪るのも悪くはないはずだ

「はぁー、なんか 進展しているようで袋小路に入ったみたいでイライラしますね」

ややイライラしながら貧乏揺すりすると共に懐に手を突っ込み取り出したるは煙草入れ、そこから徐に一本煙草を取り出し マッチで火をつけ…

「って いきなり煙草吸わないでくださいよ」

「あ、ごめん…」

とは言いつつ火は消さないんですね、別にいいですけれど…しかし

「あの、前から思ってたんですけど その葉巻…、カストリアじゃあんまり見ない形ですよね」

「え?、ああこれ? これは葉巻じゃなくて紙巻だよ、紙巻煙草 カストリアにはあんまり流通してないか」

「はい、葉巻と辛うじてパイプがあるくらいです」

葉巻を吸う人間はあまり見たことないが、パイプはある アジメクのナタリアさんがスパスパ吸ってたあれだ、しかし 葉巻ではなく紙巻か、カストリアでは見ないということはこの大陸固有のものか?

「まぁ、紙巻煙草はアガスティヤ帝国くらいしか取り扱ってないからね…すぅー」

「え?、じゃあそれ…」

「うん、アガスティヤの商人から買ったやつ、アガスティヤからの輸出品の中には煙草とかの娯楽品も多くてね、このポルデュークでは比較的流通してるんだよね」

なるほど、アガスティヤが流してるからポルデュークでは一般的なのか、アガスティヤは他の国よりも一段階二段階上の技術力を持つ、それ故に文明的にも進んでるのか…或いは他とは変わった文化体系を持つか、まぁどっちでもいいか

しかし、ふーん…『輸出品』…か


「ん?、どうしたの?」

「え?、ああいえ でもリーシャさん煙草好きですね」

「好きというより、集中出来るから」

それヤバくない?…

「やめたほうがいいですよ、きっと体に悪いですよ」

「そうかな?、体に悪いって話は聞かないけれど」

「おい、そんなどうでもいい話は後でいいだろう、エリス 確かにわたしは手掛かりは何も得られなかったとは言ったが、代わりにこんなものを借りてきたぞ」

そういうなり師匠はバッグの中から一冊の古い本を取り出す…、ってこれなんだ?

「これは?」

「刃煌の剣…、プロキオンが消える前に残したとされる本だ」

「え?プロキオン様が残した本って…、それメチャクチャ貴重なんじゃ…」

「貴重だ、国宝にも認定されている」

そんなものホイホイ借りてこないでくださいよ!、しかもそんな…乱雑にバッグに入れて!怖い エリス怖いよ!

「大丈夫何ですか…、そんなの借りて」

「構わん、もし何かあったらまた同じものをプロキオンに書かせる」

そういう問題じゃないんじゃ…

「というより、それがどうかしたんですか?」

「ん、…わたしはこの本を読んだことがない、しかし『刃煌の剣』という言葉には聞き覚えがあるのだ、が どこで聞いたのか 何なのかそれが思い出せん」

まるで そこだけ記憶が抜き去られているように と言われてそこではたと気がつく、…師匠はルナアールの正体について プロキオン様の魔術陣によって忘れさせられていた、師匠がルナアールの正体に辿り着くのを防ぐために

恐らく師匠の魔術陣には プロキオン様に関する若しくは繋がる記憶が消し去る効果も付随しているかもしれないと推察したが、逆に言えば 確実に忘れていると分かることは ルナアールに繋がる情報である可能性が高いのだ

だって、態々魔術陣を使って 記憶を消しているんだから

「何か、ルナアールに関係があるんでしょうか」

「読んでみんと分からん、故にこれから読むつもりだが…、この分厚さだ些か時間がかかる」

確かに、そこらの辞典よりも遥かに厚く大きい、これを読むとなると 結構な労働だな…

「エリスが読みましょうか?、エリスなら秒で読めますよ」

「プロキオンの事も刃煌の剣の事も知らんお前が読んでも何にもならんだろう」

「確かに…」

「だからこれを読み、何か分かったら伝える、それでいいな?」

いいですとも!、師匠がその本を読み何かを思い出すまで時間がかかるだろうが、次のルナアールの予告までに間に合えばそれでいい、プロキオン様を正気に戻す手立てか或いはプロキオン様の行動の原因が掴めればそれでいいのだ

「…すまんなエリス」

「え?、何がですか?」

なんか急に謝られた、なんだ エリス何かされたか?、謝られるようなことされた覚えがない

「わたしが不甲斐ないばかりに…、お前には負荷をかけてしまっている」

「負荷も何も、へっちゃらですよ」

「見逃されたとは言え お前は敵意を向ける魔女の前に立ったのだぞ?、もしプロキオンが心まで堕ちていたら…、抵抗する間も無く八つ裂きにされていた」

「あー…」

それはそうかも、魔女を相手にする というのはほぼ自殺行為だ、勝つ勝てない以前にそもそも勝負にならない、師匠と模擬戦もするが その時師匠はその場から移動しない 魔術を使わないなどの数多の制限をつけて漸く勝負になっている

エリスだって、次の予告の時 プロキオン様相手にガチで戦闘かまそうなんて考えてない、相手がルナアール状態ならまだ勝ち目はあるが プロキオン様の本性が出たらもうダメ、逃げの一手さえ打てない

そんな相手のところに送り出そうとしている 送り出した師匠の身としては、申し訳ないのかもしれない

「もっとわたしがしっかりしていれば…」

「大丈夫ですよ、エリスだって強くなりました 、それを師匠に見せるいい機会だとエリスは思ってますから」

「お前が強いのは十分分かってるよ…、ありがとう エリス」

「えへへ…、でも 早く元の師匠に戻ってもらって、早くエリスの頭を撫でて欲しいです」

「そうだな、このままじゃ お前の頭一つ、撫でるのに苦労するからな…頭を下げてくれ」

「はい師匠」

ゆっくりと頭を下げれば良し良しと師匠は爪先立ちになりながらエリスの頭を撫でてくれる、手は小さくなったなったが撫で方は変わらないなぁ…

「仲良いですね、お二人とも」

「はい、エリスと師匠は仲良いです」

「我々は師弟だからな」

「へぇー、私も撫でていいですか?」

「ダメです」

「ダメだ」

この頭を撫でていい人間はこの世に師匠だけだ、なんて言っていると…ふと、劇場の方が騒がしいのに気がつき その場の全員動きを止める

「なんだ、妙に騒々しいな」

「ですねぇ、修繕作業とは別の騒がしさっていうか…」

「エリス、見てきますね」

「ん、わたしも付いていこう」

「じゃあ私はこれ吸い終わったら」

煙草を飲むリーシャさんを置いて エリスと師匠は共に劇場の中へと迎えば、すぐに聞こえてくる 怒鳴り声が

「はっ!こんな劇場!直ぐに潰してやるわ!!」

「い いきなり何言って…」

困ったようなクンラートさんの声と 嫌な怒りのこもった声、この声は間違いないマルフレッドのものだ、…って マルフレッド!?何故ここに!

どうしようもないくらいの嫌な予感を感じて慌てて声のする方…、観客席の方へと向かうと

「今までは所詮塵芥の旅劇団と目を零してやっておったが、劇場を起こしワシの利益を奪おういうなら容赦せんという話だ!」

「と言っても、俺たちはただ劇団として活動したいだけで…」

「やかましい!」

でっぷりとした体を観客席に落ち着けガミガミと隣に立つクンラートさんを理不尽に怒鳴りつけるのは 間違いない、イオフィエル大劇団の支配人 マルフレッドだ、その背後には例のアルザス三兄弟も控えている

「何事ですか」

「あ、エリスさん…」

「ナリアさん?」

ふと、観客席に向かおうとすると 物陰に隠れているナリアさんに声をかけられ、凡その状況が理解できる、なるほど そういうことか

「いきなりマルフレッドさんが怒鳴り込んできて、まだ準備中だって他の団員が止めたのに、あの三兄弟が…」

「用件はナリアさんを出せってところですか?」

「うん…、なんかいつも以上に怒ってるっていうか、余裕がないっていうか…」

「分かりました…、エリスに任せてください、師匠 ナリアさんを任せました」

「ん、無礼者にかましてやれ」

ナリアさんを師匠に任せ、軽く腕をくるりと回して観客席へと歩みを入れる、しかし なんというか、ナリアさんを手に入れる為ならもう形振り構わないって感じだな、いや もうそれだけじゃないな

さっき言っていた 利益、それも取り戻したいんだろう、向こうの経営状況なんか知らないが もしかしたら上手くいってないのかもしれない

「失礼、何事ですか?」

「エリスちゃん!、今は来ない方が…」

「あん?、なんだこの女は…」

「マルフレッドさん、こいつがエリスですよ…、ほら クリストキントを躍進させた立役者の」

「こいつが?」

後ろのラック・アルジスがマルフレッドに耳打ちをすれば、訝しむような目でエリスを舐め回すように見てくる、というか一回会ったじゃないですか、もしかして忘れられてる?

まぁいい、クンラートさんの制止も無視してマルフレッドの目の前まで詰め寄り、睨みつけておく、ここはナメられないのが肝要だ

「ふんっ、どんな奴かと思えばまだ子供じゃないか…、ワシに何か言いたいことがあるのか?」

「まだこの劇場はオープン前です、その観客は受け入れていないんです、お引き取りを」

「客ではないわ!馬鹿者が!」

だって観客席に座ってるじゃんよー、しかし横柄な態度だ…

「この王都はワシの縄張りだ、そこに劇場を構えるならワシの許しを得てからというのが決まりだろうに」

「え?、そうなんですか?クンラートさん」

「いや…そんな話は聞いたことないが、それに一応 この劇場を開くとき王城にも許可を取りに行ったが、他に許可を取るべきところがあるなんて言ってなかったけど…」

「ワシは認めぞ!こんな劇場…!、どこまでワシの邪魔をすれば気が済むのか!、いいか?よく聞け!ワシはな 一代にしてエトワールの酒造を牛耳った謂わば商業の王!、このエトワールで商いをする人間は皆ワシの所に挨拶に来る!、来てないのはお前達だけだ!お前達だけ!」

そう言いながらマルフレッドは苛立ちを露わにしながら葉巻に火をつける、いやいやおいおい  劇場内は禁煙だぞ、なんて言える雰囲気じゃないな…

「劇団も謂わば商い、なら商業の王に許しを得てからにするのが道理だろうに、これだから旅劇団上がりは嫌なのだ」

随分な思い上がりだ、商業に王権制度はない それをただ儲けたからって浅ましいにもほどがある、こういうのを成金思想というのだ

「…では、今ここで許しをもらえますか?」

「はぁ?、…なら サトゥルナリアを引き渡せ、そうするならば この劇団がここに劇場を持つことを許可する」

はぁ…、結局それか…、何故ここまでナリアさんに固執する、優秀な役者が欲しいのかと最初は思っていたが、ナリアさんが優秀な役者なのは芸歴が長いからだ 長く舞台に立ったからこその腕だ、イオフィエル大劇団ともあろうものなら そういう役者の一人二人 育成する余裕くらいあろうに

ここまでして手に入れるものとは思えない…

「あの、なんでそんなにナリアさんが欲しいんですか?」

「何故欲しいかだと?、別に サトゥルナリアが欲しいわけではない、これはワシの復讐だ…、復讐!」

「復讐?…」

なんだそりゃ、と眉を潜めるエリスの横で合点の入った男が一人 クンラートさんだ、彼ははたと顔色を変えて身を乗り出すと

「復讐ってまさか!、あんたまだユミルの件を引きずって…!」

「引きずるも何も!、あんなにもワシの尊厳が傷つけられたのは初めてだ!、あの時ワシは心に誓った…必ずやルシエンテスに復讐すると!、それがその息子であれ!変わらん!」

「あれはユミルなりの優しさで…」

「知ったことか!、いいからサトゥルナリアを出さんか!馬鹿者が!」

そうマルフレッドは怒り散らすなり その怒りを込めて目の前の座席を蹴飛ばすのだ、ボロく 劣化した座椅子はその重たい体から繰り出される下手くそなキックで容易くへし折れ…

っておい!、お前 この…今直してる最中でしょうが!

「ちょっと!弁償ですよ!!」

「はんっ!、サトゥルナリアを出さんというなら…おい、やれ!」

マルフレッドが一つ 指を鳴らす、するとその背後に立つ ラック リック ロックのアルザス三兄弟は徐に武器を取り…

「了解、この劇場 ぶっ壊せばいいんですよね」

「なっ!?、や やめてくれ!今みんなで必死に直してるところで…!」

「退きな、怪我するぜ」

「ぐっ!?」

この劇場を壊す と言い出したラックに対して慌ててクンラートさんは止めに入る、しかし 相手はその道のプロ、1人の役者であるクンラートさんでは歯が立たず 押しのけられて尻餅をつき…

「クンラートさん!、大丈夫ですか!」

「いてて、大丈夫だよ…、おい!頼むからやめてくれ!、折角みんなで頑張って手に入れた劇場なんだ!ここを壊されたら…」

「悪く思うなよ、こっちだって仕事なんだ、嫌なら マルフレッドさんのいうことや聞いた方がいいぜ」

マルフレッドさんの言うことを聞く ということはつまり、ナリアさんを差し出す…ということで

「出来るわけないだろ!、アイツは俺の親友の忘れ形見で…俺達の大切な仲間なんだ!、売るような真似 出来るか!」

「そうかい、なら その忘れ形見と一緒に 瓦礫に沈みな…」

「やめろーッッ!」

その瞬間、物陰から飛び出す影がある、一瞬ナリアさんが飛び出してきたかと思い 彼の隠れている場所に目を向けるが、違う… 物陰から飛び出そうとするナリアさんを必死に止める師匠の姿が見える、なら誰だ…誰が飛び出した

「ヴェンデルさん!?」

ヴェンデルさんだ、彼が稽古に使う木剣を片手に飛び出してきたのだ、その勢いのまま彼は剣を握りしめ 鉄剣片手に握りしめるラックへと斬りかかり…

「おっと、腕に覚えありか?」

「ここは俺たちの劇場!俺達の魂の生きる場所なんだ!、そこを壊されてたまるか!」

ヴェンデルさんの剣は早い、最近 エリスとの実戦を交えた剣劇を舞台上で演じ、エリスに勝つ為剣の稽古をしている彼の剣は 最初に比べ幾分も早くなった、しかし相手が悪い

ラックは いやアルザス三兄弟は全員三ツ字冒険者、アルクカースの第一戦士隊に匹敵する ともすれば上回る実力者、戦闘面ではプロ中のプロ、ラックは片手間に軽くヴェンデルさんの剣を鉄剣で受け止めて浅く笑う

「魂の場所ね、流石役者 言い回し一つとっても劇的だ、だけどこれは劇じゃない 、お前は騎士じゃないし強くもない、それに 俺にも勝てない」

「なっ!?」

するりとラックは鉄剣を引き抜くようにヴェンデルさんの剣を受け流し、体勢の崩れたヴェンデルさんの鳩尾に一つ…

「ぐはぁっ!?」

蹴りが飛ぶ、鋭い蹴りだ…、前につんのめるヴェンデルさんでは防御も何も出来ず、その鋭利な蹴りを芯で受け止めてしまい、吹っ飛ばされゴロゴロと床を転がる

「ヴェンデルさん!、ヴェンデルさん!」

「ぐっ…くそっ…くそぉ」

悔しそうに 唇を噛み咳き込むヴェンデルさん、勇気を振り絞っての攻撃だったのだろう、以前 刃物を持っているチンピラ相手に臆していた彼が、鉄剣を持った用心棒相手に必死に食いつきにかかるとは

出来る事じゃない、強くなった…剣の腕じゃない、人として 彼は強くなった…

「舞台の上と現実を一緒にしちゃいけないぜ、お前ら どこまで行っても役者なんだからさ、このアルザス三兄弟には逆らわない事だな」

「はははは、流石兄貴 やっぱ違うなぁ」

「それに引き換え、どいつもこいつも無様だなぁ?」

それをこいつらは、…笑って 傷つけて、マルフレッドも…アルザス三兄弟も…!

怒って 暴れて、いいことはない、けれどさ ここはいいよな…怒っても!暴れても!

「ッッ…!」

「ああん?、なんだ?今度はお前がやるか?、さっきのガキの有様 見てなかったのか?」

エリスが立ち上がれば、バカにするように絡んでくるのはすきっ歯の次男坊 リック・アルザス、その手には仰々しいメイスが握られており、脅すようにほれほれとチラつかせてくる…

がしかし、そんなもん 脅しになるか…

「退いてください、そのすきっ歯全部へし折って二度と固形食を食えない体にしますよ」

「な…小芝居屋が…、調子に乗るんじゃねぇ!」

振るわれる、リックのメイスが 高々と掲げられ エリスの脳天めがけ振り下ろされる、確かこいつらアルクカース出身だったか

なるほど速い、おまけに隙がなく それでいて武器を扱う際の体重移動は完璧だ、そこらのチンピラとはレベルが違う、確かに強い けど…、相手が強い それだけじゃ引く理由にはならないんだよ!!

「ふっ…」

「なっ!?こいつ避け…」

避ける 、まさか相手が自分の攻撃を避けると思ってなかったのか、リックのメイスは盛大に空を切り そのまま一歩 踏み出しながら

「げぶふぁっ!?」

リックの顔に一撃 拳を入れる、すきっ歯のハゲが鼻血をぴゅーと吹きながら仰け反る、そんなに胴体をガラ空きにして大丈夫ですか?

「ごぶはぁっ!?」

その鳩尾に蹴りが突き刺さり 肺の空気を全て外に叩き出せば、仰け反った体はくの字に曲がり 殴りやすいところにリックの頭が来る

「よっと」

「がぼがぁっ!?!?」

肘鉄、その脳天に叩き込む 怒りを込めて、痛みに悶えるリックの体はより一層くの字に曲がる…そこにトドメとばかりに右の拳を

「ゔげぇぇっ!?」

ぶち込む…、まるで玉のようだな ゴロゴロと地面を転がる様は、でも こんなもんで済むと思うなよこの野郎、暴力に訴える奴には容赦しない 悪いがエリスはクンラートさんのように人格者でもナリアさんのように優しくもないんだ

「ぐぶぶ、あ 兄貴ぃ こいつ強いよ!」

「のようだな、リックをここまでぶちのめすとは…ただの小芝居屋じゃあなさそうだ」

お?、今ので気絶しないどころか普通に立ってくるか、流石はアルクカース人 流石は三ツ字冒険者、タフさが違うな…

「おいお前、エリスってったよな…俺達アルザス三兄弟を怒らせて、タダで済むと思うなよ?」

「はぁ?、怒らせて?…先にこっちブチギレさせたのはそっちでしょうが!、タダで済まさないのはこっちのセリフですよ!、全員バキバキにへし砕いて雪の中に捨ててやりますよ!!」

「やってみろよ、俺たちに!」

ラックが剣を構える リックがメイスを構える ロックが鉄爪を構える…、三兄弟は無言でフォーメーションを組みエリスと相対する、これは 素手じゃ相手は厳しそうだな、魔術使ってぶちのめさないと 返り討ちに合うのはこっちか…

だがいい、やるならとことんやってやる…!

「行くぞ!アルザスフォーメーションアルファで仕掛ける!」

「応!」

「来なさい!、全員 明日の朝日が拝めるよう祈りなさい!」

「待って!!」

っっー!今度は誰だ!、いざ アルザス達と激突しようとしたところを止める声が響く、…ん?いやこの声

「マルフレッドさん、こんなところで何してるの?」

「コルネリア!、お前…劇場にいろと命令しただろう!」

コルネリアさんだ、彼女が劇場の入り口 そのヘリに寄りかかり、腕を組んでいる…彼女まで来たのか?

彼女は怒りに荒れ狂うマルフレッドの言葉をクールに受け流すと

「あら、いいの?あの人…来てたけど、今月分の話があるって」

「な なに!?本当か!、早く言わんか!馬鹿者が!、おい!アルザス!なにを遊んでいる!早く帰るぞ!」

「え?でも、この女や劇場は…」

「そんなもの後回しだ!、早く帰らねば…!」

ワタワタと顔を青くするなりマルフレッドは重たい体をドシドシ動かし慌てて劇場を後にする、あの人?今月分?なんの話だ…

「チッ、運が良かったな…ぶっ殺されずに済んで」

「それはこっちのセリフですよ、ほら 見逃してあげますからとっとと尻尾巻いて帰りなさい、ご主人様がお怒りですよ?」

「こいつ…!、まぁいい 行くぞ!アルザス三兄弟!!撤退!」

「応!」

ふんっ、次があるなら逃しませんよ…、まぁ あるでしょうね 次、これでマルフレッドが諦めるとも思えませんし、その時また乱暴な真似するならこっちも超乱暴な真似するだけです

というか…

「あの、コルネリアさん…もしかして 助けてくれたんですか?」

「さぁ、どうかしらね」

態々怒られること覚悟でここまで来てくれた、それってつまりエリス達のことを助けに来てくれだんじゃないのかな、確かに エリスはアルザス達に相手に引けは取らなかった自身はある

だが、この劇場の中で戦えばとてもじゃないが 一週間では修繕が終わらない事態になっていただろう、そういう意味では 戦えば終わりだった、頭が冷えて考えれば エリスはまた怒りに任せて失敗するところだったと言える

学ばないな…エリスも

「まぁ?、恩に感じる必要とかはないわ、貴方には…あるからね、こっちも恩が」

と クールに髪を撫でるその手には金のブレスレットがかけられていて…、ああ やっぱり大切にしてるんだな

「ありがとうございます、コルネリアさん」

「お礼はいいわ、でも マルフレッドは諦めてない、これから大変でしょうけど…頑張りなさいな」

「はい、頑張ります」

「ふふっ、面白い人…」

クルリと踵を返し立ち去るその仕草さえ美しいんだから、凄いよなぁ コルネリアさん、1人のファンとしてキュンとしちゃいますよ…

しかし、大変といえば大変だな…、マルフレッドの言った通り イオフィエル大劇団の本部はここ 王都にある、彼の言う通り縄張りと言ってもいいかもしれない

ああいう我の強い権力者ってのは、敵に回すと面倒だ、陰湿というかなんというか、それでいて和解するのは難しい、大変なのに目をつけられているな クリストキント…いや、ナリアさんも

「さて、大丈夫ですか?、クンラートさん ヴェンデルさん」

「あ ああ、しかしエリスちゃんって話には聞いてたけど、マジで強いんだな…、あれに一歩も引かないなんて」

「くそが…、大丈夫だよ…畜生」

ヴェンデルさんは大丈夫じゃなさそうだな、体よりも心が…、でも あそこで飛び出したのは勇気ある行動と称えられる反面、ちょっと危なかった、ラックがヴェンデルさんを斬り殺そうとすれば出来た事を考えると するべきではない という答えもでる

まぁ、激怒して食ってかかったエリスが言えた事じゃありませんが、それでも 実戦慣れしてるかしてないかでは別だ

「ナリアさんは…」

「っっー!、みんな!…ごめん!」

「ナリアさん…」

物陰から師匠を振り切って出てきたナリアさんの顔は涙でぐしょ濡れだ、…そりゃ 彼を引き渡さなかったから、クンラートさんやヴェンデルさんが傷ついたんだ そりゃそうなるか

「ごめん…ごめん、本当に…僕がいるから、こんな こんなことになって…」

「違いますよ、ナリアさん…」

「違わないよ!、クリストキントがマルフレッドさんに目をつけられたのだって 僕がいるから、…僕がいなかったから、みんなはもっと早く劇場を持てたし…みんな傷つくこともなかったんだ!」

頭を抱え涙に暮れるその姿は、慚愧に塗れ 自己嫌悪と後悔から己の存在さえも否定する、自分がいなければ…か、確かにナリアさんがいなければマルフレッドはクリストキントなんか目もくれなかったし、こうして絡んでくることさえなかっただろう…

でも、違うだろう そうじゃないだろ

「僕が…僕がこんな事態を引き起こして、僕がいなかったら!」

「ナリアッッ!」

「っ…クンラート…団長…」

しかし、そんなナリアさんさえ止める気迫、クンラートさんの怒りの声が響く、仲間の手を借り立ち上がるその悪人ヅラがより一層強く 顰められる

「自分がいなかったりとか…、誰かがいなかったらとか、そんなこと言うな…、俺たちはみんなでここまで来た、誰かが欠けていても こうはならなかった、その事実を 蔑ろにするな」

「団長…」

「お前の直向きに夢を目指す姿に、励まされた奴がいるんだ…、この劇団にだけじゃない、きっと 観客席にもいる、お前がいたから…頑張れた奴がいるんだ、だから 言うな…そんなこと」

「ッ…」

ナリアさんがいなかったら マルフレッドに目はつけられなかった、けど ナリアさんがいるから頑張れた人もいるし ここまで来ることが出来た、彼がいたから エリスは今ここにいることが出来る

存在しなかった未来より 自分がいるからこそ実現した未来を考えるんだ、何 自分に降りかかった艱難なんて、跳ね飛ばしてしまえばいいだけなんだから

「ナリアさん、確かにマルフレッドはナリアさんを求めてここに来ました、しかし そこで暴力的な 横柄な態度をとったのはマルフレッドです、悪いのは奴の悪意です、貴方は悪くない 何も」

「エリスさん…」

「そうだそうだ!、ナリア君は悪くねぇ!」

「あんな嫌な奴になんか負けないで?ナリアちゃん!」

「俺達も絶対負けないからさ!」

「み…みんなも…、僕…僕…」

ほら、みんなもこう言っているんだ、いなかったら なんて悲しいこと言っちゃいけませんよ、ほら ヴェンデルさんも、いつまでも悔しがってないで?

「ありがとう…みんな、ありがとう」

「ふんっ、全く…この体ではあんな華奢な子供1人抑えるのでやっととは、情けない話だ」

「師匠!、ありがとうございます!」

師匠があそこまで頑張ってくれたからこそ、事態はややこしくならずに済んだ、もし 師匠がナリアさんを抑えられなければ マルフレッドやアルザス達はナリアさんを嬉々としてつれ去ったろう

ありがとうありがとう、力が出ないながらに頑張ってくれて、抱きしめちゃう キスもしちゃう、んちゅー

「や やめろエリス」

「んちゅー」

「ええい!、今はくっついてる場合じゃないだろ!、…おい クンラート!、お前 何やらマルフレッドがナリアを狙う理由に心当たりがあるようだったな」

「え?…あ…、ああ」

そういえば何やら言っていたな、ユミルがどうとか 尊厳が傷つけられたとか、マルフレッドにとって ナリアさんを手に入れるのはユミルなる人物への復讐だと言う、その息子も復讐の対象と

つまり、ユミルとは恐らく…都度都度話に聞く ナリアさんの親、ルシエンテス夫妻のことだろうな、そしてクンラートさんはかつて ルシエンテス夫妻と同じ劇団にいたと…

何知っているのか と聞かれたじろぐ彼の頬に冷や汗が伝い、その目がチラリと見るのはナリアさんの顔…、まさか ナリアさんも知らないのか 自分が狙われる理由が

「あ あの、クンラート団長…ユミルって、僕のお父さんですよね」

「ああ、そうだ」

「お父さんが マルフレッドさんに何かしたんですか?」

「…少なくとも、マルフレッドはそう思っている」

「だから僕が クリストキントが、狙われてるんですか?」

「そう…なんだろうな」

「何をしたか、聞いてもいいですか?、僕のお父さんが何をしたか…、知る権利 ありますよね、僕には」

「そう…だな」

クンラートさんは何やら言いづらそうに頬をかく、ユミル ってやはりナリアさんのお父さんなのか

何をしたか 何故マルフレッドがあそこまでナリアさんに固執するか、それを聞きたいと ナリアさんがおずおずとそれでいて確かな心持ちで向き合えば クンラートさんは観念したのか

「ユミルからは…、お前のお父さんからは あんまり自分の話を息子にするなって言われてるんだがな」

「それでも聞きたいですよ、僕の家族のことでこんなことになったのに、僕だけ事情知らないなんて 無責任ですよ、僕は 責任を負いたいです」

「そうだな、お前ならそう言うよな、分かった…」

はぁ、と観客席の座椅子に腰をかけると、クンラートさんは口を開き

「あれは…ユミル・ルシエンテスが俺と一緒の劇団、ミハイル大劇団に所属していた頃さ、俺とユミルはダチでさ…つっても、あっちは天才役者 こっちはいつまで経っても見習いの落ちこぼれで 釣り合いは取れてなかった、けど アイツはいい奴でさ…、俺が失敗した時なんかは優しく慰めて…」

「おいクンラート、話が脱線しているぞ、何もお前とユミルの馴れ初めから話せと言っているわけではない」

「おっと、そうだったな」

師匠…、そんな結論だけ急いでも仕方ないですよ、そんなにイライラしないで?よしよし、と撫でればやめろと手を叩かれる…

「ええと、何処から話したらいいもんか…、そうだな マルフレッドが役者だったのは 知ってるか?」

「え?、いや 知りませんでした…、マルフレッドさんって昔役者だったんですか?」

そりゃエリスも初耳だな、あの人役者だったのか…

「つっても、もう二十年も前だけどな?、…あの頃はあいつも痩せてて 結構美形でさ、手先も器用で口も達者で 舞台袖のナレーションをやらせりゃピカイチだったんだ」

あのビール腹ジジイが昔は美形だったとは、時の流れはなんとも…、しかし当時から口は達者だったのか、確かに以前劇を見に行った際のマルフレッドさんの口上は結構好評だったし、そういう面では才能はあったのだろう

「けど、自尊心が凄まじかった、己は世界一の役者になるべき存在で 他は全て引き立て役って思考しててさ、周りのことなんか目にも入れない事実俺のことなんか覚えてなかったしな、でも そんな奴が唯一 ライバル視してたのが ユミルだ」

「ユミル…僕のお父さん…」

「事あるごとにユミルに突っかかって、演技じゃ歯が立たないと理解してからは舞台上で妨害したり とにかくユミルを邪魔することだけ考えて、そうしてるうちに演技力も落ちて…舞台にすらあげてもらえ無くなって、人の信用も失って…、それでも ユミルはマルフレッドを見捨てなかった」

優しく ただ優しい男がユミルだったとクンラートさんは語る、実際のところは分からないが、古くからクンラートさんに付き従う団員もうんうんと頷いているあたり 本当に優しかったのだろう

誰からも好かれる天才と 誰からも疎まれる男か…、ある意味対比だな

「当時はまだ マルフレッドもユミルの事をライバル視すれど心底嫌ってはなかった、けど それが崩れたのはあの一件からだな…」

「あの一件?」

「マルフレッドは一人の女に恋をしていた、名はスカジ…ナリア、お前のお母さんだ」

ほうほう、若き日のマルフレッドはナリアさんのお母さんに恋をしていた…、ん? 待てよ?スカジはナリアさんの母 それつまり、スカジはルシエンテス夫妻の片割れであり マルフレッドがライバル視するユミルの妻…それって

「でも、スカジはユミルを好いていた…、ここまで言えば分かるよな、マルフレッドは自分の欲した才能も女も周囲の名声も なにもかもユミルに奪われた形になるんだ」

「そんなの言いがかりじゃないですか!、才能はどうしようもないにせよ 女性や名声なんか、自分の行いで失った物でユミルさんを恨むのは筋違いでは?、奪ったなんて言いがかりですよ!」

「そうも言ってられないもんさ、エリスちゃん…、スカジまで奪われたと察したマルフレッドは今まで以上に苛烈にユミルを敵視したんだ、もはや 怨恨と言ってもいい念を込めてユミルを嫌った」

言いがかりだ、奪ったんじゃない ユミルとマルフレッドの行いで周囲がそのように流れただけ、だが 当人からしてみればそうも言ってられないのか、それは当事者しかわからないこと 部外者がここで罵っても意味はないのか…?

「マルフレッドは…、ユミルを本格的に追い出そうとした…、劇団員が集まる場でユミルの悪事や醜態を言いふらしたんだ 当然、どれも真っ赤な嘘さ でも己が弁の立つ男と理解していたからこそ 周囲を味方につけユミルから全てを奪おうとした、…が 上手くいかなった」

当然だ、どれだけ口が上手く 嘘で人を丸め込めても、嘘は嘘 事実には勝てない、ユミルが今まで築いてきた信頼は崩せなかった、例え マルフレッドの持ち得る最高の武器を使ったとしても

「そして逆にマルフレッドが劇団を追い出されそうになったんだ、自分の感情一つで人をそこまで悪く言える外道が口を開いていい舞台なんかここにはない ドブの底で喚いてろ!って ハーメアに反論されてな、昔からあいつ プッツンしやすい奴だったが あの場に限ってはハーメアだけじゃなく 全員が怒っていた」

う、ハーメアも居たのか…いやいるか、ハーメアもまたミハイル劇団に属していたんだから、しかし ハーメアもプッツンしやすい人だったのか、エリスと同じで…

「劇団全員から今までユミルにしてきた嫌がらせと横柄な態度を咎められ、マルフレッドはミハイル大劇団を追い出されそうになったんだ」

追い出すつもりが 逆に追い出されそうになったか、自業自得といえば自業自得、周りに横柄な態度を取っておきながら  いざとなったら周りを頼る、都合のいい話過ぎるのが今も伝わってくる

しかし、もしかして それで追い出されたから恨んでるのか?だとしたら逆恨みもいいところ…

「しかし、マルフレッドは劇団を追い出されなかった」

え?、追い出されなかったの?その流れから?なんで?と口を開く前に クンラートさんは続ける、顔を手で覆いながら…

「ユミルが言い出したんだ、『マルフレッドの気持ちは分かった、僕がいることで彼が怒りに狂うなら、僕はここにいない方がいい』ってさ」

「っ!つ つまり」

「ああ、ユミルはマルフレッドの言葉通りミハイル大劇団を立ち去り 自分で劇団を作ったんだ、独立したのは そういう経緯があってさ」

それはまぁ…、マルフレッドが追い出されるよりも最悪だ、何が最悪って マルフレッドの心境が最悪だろう、何せ 見逃されたことになる、いや違うな もっと悪いのは…

「ユミルが出て行くならと、多くの劇団員がミハイル大劇団を去った、俺やハーメア マリアニール スカジでさえユミルに付き従った、当時ミハイル大劇団を一級の劇団足らしめていた主戦力が纏めて抜けたんだ、その時のミハイル大劇団は冬の時代に入ったとさえ言われている」

「そ それでマルフレッドさんは…」

「ミハイル大劇団に残った、けど そりゃあ地獄だったろうさ、何せマルフレッドが余計な事をしたせいでミハイル大劇団は主戦力を失い一流の劇団の地位から転げ落ちた上に、ユミルや多くの劇団員をその手で追い出したんだ、ミハイルの劇団員全員から疎まれ恨まれ 針の筵だったろうな」

当時のマルフレッドの心境を慮ると、辛かったとは思う、いくら自業自得とは言え ミハイル大劇団全員の反感を買い 剰え自分の劇団の力を大幅に削いだのだ、その上で舞台には出られない …

常に敵意を向けられ続ける環境を マルフレッドは自分で作り出してしまったのだ

「それだろうな、マルフレッドがあそこまで歪んで ナリアを狙うようになったのは、自分を地獄に落とした男と自分を裏切り見捨てた女の子供…、憎くて憎くて仕方ないのさ」

「それは…でも」

「ああ、ユミルはあの時 間違いなく自分がいなくなればいいと考えていた、マルフレッドの才能を認めていたから 自分がいなくなってマルフレッドが立ち直ればミハイルは大丈夫と、本気で信じていた…マルフレッドを あそこまでしたマルフレッドを本気で信じていたんだ、なのに あんな結果になって…」

ユミルは ナリアさん同様 優しい男だった、自分のせいで劇団が混乱するなら自分がいなくなればいい、自分のせいで劇団内に諍いが起こるくらいいっそ…と、さっきのナリアさんと同じ決断をしたんだ

優しいだろう 確かに優しい、だが…それは少し 優しさが悪い方に出た、度を越して優しかったが故に 逆にマルフレッドを傷つけた、その尊厳を 傷つけた

「その地獄に耐えられなくなったマルフレッドは実家の酒造業を継ぎ 今の繁盛ぶりさ、劇団を持っても それを大切にしようとしないのは、奴にとって 劇団そのものも復讐の対象なんだろう」

「じゃあ、ナリアさんを手に入れようとするのは イオフィエル大劇団のためではなく…」

「ああ、己の劇団に入れ 自分が味わった地獄を体験させるつもりだ、劇に出さず 下働きだけして、周囲から敵意を向けられ続ける そんな地獄を…なんの罪もない 息子のナリアに!、それだけは…そんなものは、許容出来ない!」

それが マルフレッドの復讐、マルフレッドの狙い、ナリアさんを狙うのは ただただたんじな怨恨…、ナリアさんを引き渡せば ナリアさんは飼い殺しにされる、ともすれば 己の命を絶つまで

それは許容出来ないな、だってナリアさんは何もしてない、いくら親を恨んでも子まで恨むのは筋違いだ、筋違いもいいところだ

「…これでいいか?、これが全てさ マルフレッドとユミルの因縁の、だからナリア 自分がいなくなったら、なんて言うなよ?それは優しさからかもしれないが、優しいだけであって 誰かへの優しさではない」

「そうですね、…はい 反省します」

その話を聞いたナリアさんはショックを受けて…、いや?違うな?、強い顔をしている 何か意志が定まったような、凄まじい覇気を感じる

「ナリアさん?」

「よくわかりました、マルフレッドさんの考えていることが、そして 僕のすべきことが」

「すべき…こと?」

そう語るナリアさんは徐に舞台へと歩み 壇上へと上がる

「僕は!、演劇が好きです!演技が好きです!舞台が好きです!、ここから見える景色 ここで行う全てが大好きです!」

「ナリア…」

「だから、役者をやってます…それはここにいる劇団員みんなも同じだと思います!、役者は劇が好きだから役者をやっている!、それはきっとかつて 劇団に所属して世界一の役者を目指したマルフレッドさんも 同じだったはずなんです!」

マルフレッドは 実家が酒造業をしているのに、それさえ放り出して劇団に所属していた、それは名声欲に塗れたものだったかもしれない 今はもう歪んでしまったかもしれない

でも、始まりはきっと みんな同じ、行動の原点は 全て『好き』から始まるのだ、好きだから頑張り 好きだから本気になり 好きだから必死になるんだと 彼は雄弁に語る

「マルフレッドも…?、それは…そうかもしれないが、だったらどうするんだ」

「思い出せます、また 好きにさせます 僕の演技で、この クリストキントの舞台で!、演劇とはかくも素晴らしき物だと、彼にまた 思い出させます!、それが 役者の道を生きる者としての責務です!」

胸を叩き吠える、此れこそが我が役目…いや、役者として自分のすべき事なんだと高らかに宣言する

それはつまり、あそこまで歪んで人を傷つけ エリス達を虐げ己を攫おうとしたマルフレッドを、くだらない逆恨みと自業自得で身を落としたあの男を、自分が救うと言っているようなもの

ユミルの優しさがひっくり返ってマルフレッドを傷つけたと聞かされてなお 優しくあるか?、ならいい 今度はユミル以上に優しくなればいい

ひっくり返って傷つけるなら 一周でも二周でも回るほどに優しくなれ、因果をねじ切る程に 優しくあればいい

「簡単な事じゃねぇが、…でも このままじゃアイツは永遠に俺たちを虐げ続ける、役者である俺たちに出来る決着は これしかないな」

「そうですね、クンラートさん エリスはいいとこ思いますよ、マルフレッドに思い知らせてやればいいんです、クリストキントとサトゥルナリアという役者の凄さを」

「そうだな、…よし どの道候補選の為に劇はやらねぇといけないんだ、だったら やるなら最高を目指そう!、マルフレッドも黙らせて!この国の人間全員唸らせる!そんな劇を目指すぞ!」

クンラートさんが拳を掲げれば 団員達も追従して雄叫びをあげる、慄く人間は一人もいない 恐る人間は一人もいない、クリストキントは ナリアさんは進む、己の夢へと向かって

その先に立ち塞がるマルフレッドさえも、弾き飛ばす為に…



こうしてクリストキントの 三ヶ月の戦い、候補選の幕が開く、エリスも頑張りますよ もう恩返しでもなんでもなく、エリスの意思で!
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