孤独の魔女と独りの少女

徒然ナルモ

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七章 閃光の魔女プロキオン

176.孤独の魔女と姫騎士と大怪盗と…

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月下の大怪盗ルナアール、エトワールの中なら場所を問わず月夜に現れ数々の物品を盗み去る謎の存在、盗むのが雑貨店の店頭に並べられている商品くらいなら可愛い物だが 奴はよりによって美術品を盗んでいくのだ

美術を愛する国エトワールとしては断じて許せない行いだ、だが今日この日まで奴がのびのびと盗みを働いているように エトワールは奴を捕まえられていない、それどころから奴の服の切れ端にすら指も届かないのが実態

このままではルナアールにエトワールの美術品は盗まれ尽くしてしまう、それを案じた閃光の魔女の弟子ヘレナは妙案を思い至る

それが、旅で訪れた孤独の魔女レグルスとその弟子を味方として引き入れ 共に警護するというもの、さしものルナアールも魔女相手では成すすべもないだろう

ということでエリスと師匠は今 エトワール今宵の獲物 『エリスの銀飾り』を守るためその所有者レンブラント伯爵邸にてヘレナさんと共に部屋の一室で待機している

「………………」

「………………」

「……ふぅ」

レンブラント伯爵邸の最奥の一室、用意されているのはソファとテーブルそしてその上の紅茶だけ、そんな何もない部屋の中エリスと師匠 そして先ほどであったこの国の魔女の弟子にして姫騎士ヘレナはそれぞれ三方から向かい合うようにソファに座り 卓を囲んでいる

ええと、エリス達今 芸術品の警護をしてる…んだよな

「あの、ヘレナさん?」

「何かな?エリス君、私達は友だ 遠慮なく聞いてくれたまえ」

やたら友達なのを強調してくるな…、いやまぁいいんですけど

「あの、エリス達今ルナアールの狙いの品である『エリスの銀飾り』の警護してるんですよね、その側にいなくていいんですか?」

ルナアールがどのような手口で盗むかは知らない、だが 奴がここに侵入して持ち去るこのくらいは分かる、それを守るなら守るべき物の側にいるべきだろう、なのにこんなところで優雅にお茶なんか飲んでていいのかな

それを口にするとヘレナさんはフッと笑い

「安心してくれ、銀飾りならここにある…ほら」

と言いながらヘレナさんは服の内側から首にかけている首飾りを取り出しエリスに見せる、それは文字通り銀で作られた乙女のペンダントで…、もしかして

「これがエリスの銀飾りですか?」

「ああ、三百年前 とある高名な銀細工師が作ったと言われる傑作、悲恋の嘆き姫エリスに登場するエリス姫そのものをモチーフに作ったと言われる銀細工さ、これ以上の逸品を探そうと思うとフォーマルハウト様の宝物庫を訪れでもしないと見つからないだろう」

なるほど、首飾りだから 変に飾らずヘレナさん自身が身につけているのか、確かにこれならルナアールも簡単には盗み出せない、ましてやヘレナさんの側にエリス達がいるなら尚更だ、考えたな

…しかし

「綺麗な細工ですね」

銀細工をどうやって作るかは知らないが、滑らかな曲線で女性特有の体つきを表したレリーフのようなデザインは見ているだけでうっとりするほど

三百年も前の銀細工なのに 未だ輝きは色褪せていない、恐らくこの銀飾りの持ち主 レンブラントさんは相当これを大切にしているんだろうな

「これはレンブラント伯爵の家に伝わる家宝のようなものでね、彼は何としてもこれを守り抜きたいと言っていた」

「そのレンブラントさんは?」

「今は別室にてパーティを催している、飽くまで警戒はしていないとルナアールに知らしめるための囮だね、謂わば」

存外に計画は練られているようだ、確かにこれだけしっかり計画が練られているならルナアールもおちおち盗み出すことはできないようにも感じる…

でも、多分こうやってしっかり計画しても、今までも盗まれて来たんだろう、エリス達は更にその上でのダメ押しだ、だからこそ エリス達も気を抜くわけにはいくまい

「…しかし、ルナアールは何を考えているのだろう、奴はどういう訳か悲恋の嘆き姫エリスに関する芸術品しか盗まないんだ」

「え?そうなんですか?」

「ああ、価値だけで言えばもっと価値ある宝のような芸術品が他にあっても、それには一切手をつけずエリス姫関連の芸術品しか盗まない…、そこに何か 考えのような物があるような気がするんだが、…未だ判然としないのが現状だ」

エリス姫関連のか、…案外その作品のファンだったりして?いや、そんな簡単なものでもないか、しかし それモチーフの作品があるくらいなんて この国で いや世界で悲恋の嘆き姫エリスは有名なんだな、こんなことならデルセクトにいる時 メルクさんから本を借りて読んでおけばよかった

「そう言えばエリス君、君の名前もエリスだね」

「ああはい、エリスの名付けの親は師匠なので、師匠?確かエリスの名前って」

「ああ、エリス姫から取った」

「ってことは師匠も悲恋の嘆き姫を見たことが?」

「そうだな、舞台は見たことがある」

意外だな、師匠がそう言うのを見るイメージはなかった、読書とかなら或いは とも思うが、舞台を見たのか…意外だ、どうしようもなく意外だ

「…意外か?」

「え?、あ はい」

「まぁ私も舞台を好んで見るわけではないからな、…だがこれは 我が友プロキオンが作った作劇だ、だから どうしても目にしておきたくてな」

「えぇっ!、悲恋の嘆き姫エリスの原作者ってプロキオン様なんですか!」

バッとヘレナさんは首を縦に振り何故か自慢げだ、え?ってことは何?悲恋の嘆き姫エリスって 八千年前からあるんですか?、めちゃくちゃ歴史ある作品じゃないですか

「まぁ、原作者というだけで 後年何度もリメイクされたせいもうプロキオンが作ったという事実さえ掠れてしまっているが、これはプロキオンが事実を元に作ったお話なのだ」

「じゃあ、エリス姫って八千年前実在した人間なんですか?」

「そうだ、…エリス姫もスバル・サクラも実在する…あの悲劇もな、まあ エリス姫には会ったことはないが」

実在するんだ、じゃあプロキオン様はエリス姫達に起こった出来事をそのまま劇にして語り継いでいる ということなのかな、だとしたら…いや別に何もないな、八千年前に実在していようがいまいが今は関係ないや

「…ええと」

会話は途切れてしまった、師匠は優雅にお茶を飲んでるし ヘレナさんは真面目な顔で扉の方を睨んでる、退屈 というわけじゃないけれど今は沈黙が辛い…

「あ あの、ヘレナさん」

「何かな?」

「プロキオンさんってどんな人ですか?」

「え?」

え?ってなに?その突如意外な質問が飛んできたみたいな顔は何?、え?エリス聞いちゃいけないこと聞きました?

「き 気さくでいい人だよ、弟子の私にも優しくて…」

「一年前に弟子入りしたんですよね、どういう魔術を習ったんですか?」

「そ…れは、あんまり 他人に見せるものでもないし」

何やら歯切れが悪い、何かを隠しているのはエリスの目から見ても明白だ、だってあからさまに目を逸らしてるし…

「お前のその喋り方はプロキオンの真似か?」

「え?、あ そうですね、はい」

師匠の言葉にもどこか事務的な受け答えをするし、先ほどまでの何処か芝居かかった言い方も何処へやら、何やら聞かれたくないことを問い詰めてるみたいで罪悪感が湧いてくる

というか、プロキオン様もこういう喋り方なんだ

「フッそうか、プロキオンは魔女でありながら騎士に憧れる女でな、故にこの国においても支配者ではなく総騎士団長の座に収まり 自らは一切執政には関わっていないのだ」

そういえばプロキオン様の肩書きは『総騎士団長』だ、魔女はみんな王の上に立つのにプロキオン様だけ王の下に着く騎士団長をやっている、それはプロキオン様自身が誰かを従えるのではなく 誰かに従っていたいからなんだろうな

「奴は普段から騎士としての自分を演じているからな、芝居臭い物言いを良くするんだ」

ああ、だから姫であるヘレナさんも騎士みたいな喋り方をするんだ

「へえ、そうだったんだ」

そうだったんだってヘレナさん、貴方弟子なのに知らないんですか?と目を向ける

「何?」

「ああ!いえ!、そうだった…んですよ!ええ!今もそうです!」

何だそりゃ…、これはやはり何かあるな…

「それよりなかなか現れませんね!ルナアールのやつ!、早くこないかなぁ!捕まえてやるのに!」

半ば無理やり話題を変えるようにワタワタと扉の方を向くヘレナさん、確かに もう夜も結構深まってきたのに、一向に現れる気配はない

「もしかして エリス達が警備に加わったのを見て逃げ出したとか?」

「いえ、奴は来ます…今まで予告を違えたことはありません、唯の一度も」

「一度も?」

「ええ、一度も…奴にとって予告とは絶対厳守のルールなんです、だから予告の日に現れ予告に書いたものは必ず盗み、予告にないものは絶対に盗まない」

ヘレナさんはどこか確信めいて言う、それは彼女の経験故だろう、今までどれだけ厳重に警備も固めても 奴は来た、そして盗んだ、だから今日も来る 絶対に…と

しかし律儀なやつだ泥棒のくせに、絶対にルールは破らないか…ふむ

そんなヘレナさんの言葉に気圧され 再び場は沈黙に包まれ…、しばらくの時が経つ



そろそろ日にちが変わろうか そんな時、漸く自体は動き出した


チラリ と師匠の目が扉の方を向いた瞬間、ドタドタと廊下の方から足音が聞こえ…、エリス達のいる部屋の扉が開かれる

「魔女様!お弟子様!」

「グンタル!何事だ!」

入ってきたのはグンタルさんだ、あの騎士が兜を外し血相を変えた顔を見せながら扉を開け部屋に突っ込んでくる、その騒ぎに真っ先に反応したヘレナさんは立ち上がり腰の剣に手を当てる

「外で警備をしていたら何やら怪しい人影を見かけまして、もしかしたらルナアールかもしれません、少し確認をしていただきたく」

仕掛けてきたか、人影程度で何を大袈裟なとも思うが 彼らだってプロだ、民間人とそうでない物の区別くらいつく、その上で怪しい人影だと言うのだ ならば、仕掛けてきたと見るべきか

「エリス君」

「はい、今行きます」

「こちらです!案内します」

立ち上がり籠手を嵌める、仕掛けてきたなら 迎え撃つまでだ、怪盗との直接対決に備えてグンタルさんの案内に従おうとした瞬間…

「待て」

と、未だソファに座ったままの師匠がエリスを制止する…師匠?

「どうかしましたか?魔女様」

「おいそこのお前、我々を案内すると言うのなら、まず珍妙な被り物を脱いでからにしろ」

珍妙な被り物を?いやいや兜は脱いでますし、そもそも兜は珍妙じゃ…

「何も被っていませんが?」

「その顔に張り付いているのもか?」

いや、待て 師匠の目を見ろ、あれは…そうか!

(魔視眼!…)

師匠に続いてエリスもまた魔視眼を開眼し、グンタルさんを見るとどうだ?

(グンタルさんの顔に魔力が張り付いている!)

いや、体全体に張り付くように魔力が纏わり付いている、まるで何かを被るように

「グンタル?…いや、お前グンタルじゃないな!」

「…………ククク」

グンタルさん…いや、謎の存在は観念したようにくつくつと肩を揺らして笑うと共に、その顔に手を当てる

「…魔術式『模倣陣』」

そう呟きまるでベールを剥がすように手を動かすと、甲冑の騎士はまるで膜が剥がれるように姿を変えていき、その真の姿を現していく…それは

「流石は魔女レグルス、この程度じゃ欺けないか、しかし…演劇の最中に役者の名を呼ぶのはマナー違反だよ?」

それは、白いタキシードと青い服を着込み腰に細剣を携えた仮面の輩、まるで雪の夜空に溶け込むような気配を携えた まさしく怪人…いや、怪盗

「ルナアール!」

月下の大怪盗 ルナアール、それがエリス達の前に姿を現してマントを翻す 現れた、本当に怪盗が現れた!、こいつが ルナアール!

「おやおやお姫様、鎧なんて着て騎士の真似事かな?、頂けないな 姫が剣を握るなど、庇護される対象が武器を持つなんてあっていいことではない」

「む?……」

「うるさい!、王とは国を守る盾!姫とは民を導く光!、民から愛する物と希望を奪おうとすると悪魔を前にして 部屋の隅で震えるだけが私ではないのだ!」

ルナアールを前にした瞬間 今までの恥辱屈辱が蘇ったか、みるみるうちに顔を真っ赤にして腰の剣を手に取り構え…

「って!ちょっ!ヘレナさん落ち着いて!」

「今日こそ貴様を捕らえ…ええい!、叩きのめしてやる!」

なんで叫びながら剣片手にルナアールに切りかかるのだ、この人頭に血が上って忘れてないか?、今 ルナアールの狙いの品がどこにあるのかを!

「ふっ、甘いね…真似事の剣では煌きは生まれない、本物とはこう言うものさ」

迫る白刃を前にルナアールは優雅に宣いながら腰の細剣に手をかけ…

た 瞬間、襲い来る重圧 凄まじいプレッシャーが空間を圧倒する、ルナアールが戦闘態勢を取っただけでこれか、まさか この仮面の怪人…相当 いや凄まじく強いのでは

「ヘレナさん!退いて!」

「退くのはお前だ!エリス!」

「え?師匠…」

「もう遅いよ、怪盗剣技 四の項…」

刹那、師匠がエリスに声を飛ばす 退くのはお前だと、その言葉に従い咄嗟に籠手を前に出した瞬間、煌めく 本物の剣光が

「『幾条乱れ琴線』」

乱れ飛ぶ剣撃、まるで琴線の如ききめ細やかな光芒が部屋中に飛び 壁を 床を テーブルをソファを切り裂く、速い あまりにも速い剣技、振るう手がブレて見えることさえ無い 影さえも置き去りにする剣はエリスがこの旅で見てきたどの剣士よりも速い

アマルトさんには悪いけど、彼なんか目じゃ無いくらい速い、こうして籠手で事前に防いでいなければそもそも防ぐことさえできなかっただろう

師匠はまぁ言うまでも無く避けているが、問題はヘレナさんだ いや彼女だって魔女の弟子、日は浅くともこのくらいは

「ぎゃぶっ!?」

「ヘレナさん!?」

なんて思った瞬間 ルナアールの剣技にまるで対応出来ず剣の腹でぶん殴られゴロゴロと部屋の端まで転がっていく、い いやいくら日が浅くてもこれは…

「悪いね、姫君に乱暴な真似はしたくなかったんだが、騎士として剣を握ればこう言うこともある と言う教訓さ、これに懲りたら身の程に合わない役柄は求めないことだ」

そう笑うルナアールの手にはいつのまにかエリスの銀飾りが握られており それを指先でくるくると回しているでは無いか、何という早業だ さっきの剣技でエリス達の足を止めると同時にヘレナさんの首から掻っ攫ったのだ

「では、目的の物も頂いたし 私はそろそろ帰らせてもらうよ」

「行かせると思うか?、私が」

「おや魔女レグルス やる気だね、だけど逃げるよ 私は怪盗だからね!」

バッ!とマントを翻すと共に窓を突き破り外へと逃げていくルナアール、まずい…まずいぞ、本当にまずい このままじゃまんまと逃げられる、目の前まで迫ったというのに 触れることさえ出来ず!

「エリス!追うぞ!」

「はい!師匠!、ヘレナさんも」

「ふにゃ~、め 面目ないぃ~」

さっき転がった瞬間頭でも打ったのか 目をくるくる回している様子を見るに、これはもう動けなさそうだな…、この人 本当に魔女から指導を受けているのか?

「置いていけ!足手まといだ!」

「わ 分かりました、すみません ヘレナさん、必ず取り戻してきますから!」

ヘレナさんを置いてエリス達もまた窓から外へと飛び出しルナアールを追いかける、あの怪盗 ただの盗人かと思えばあの剣技だ、強いなんてレベルじゃない、これはただの泥棒退治気分からちゃんとした戦闘と意識を切り替えた方が良さそうだ

「『旋風圏跳』!」

師匠と共に風を纏い外へと躍り出れば既に月夜、それに降り始めた雪はもう街を白く染め上げており、未だ激しく振り続けている、そんな白の世界の中 屋根伝いに跳んでいく影が見える、ルナアールだ!…というか

「遠!めちゃくちゃ速くないですかアイツ!」

「油断するなよ、ただの怪盗と甘く見ると痛い目を見そうだ…」

と言いつつ凄まじい加速を見せる師匠に何とか追いつくためにエリスもまた強く風を捉え真っ直ぐ加速する、そして怪盗に追いつき追い越し、その進路上に降り立ち行く手を阻む

「おや、追ってきたかい 闖入者」

「盗人に言われる筋合いはないな」

「怪盗!、エリスの銀飾りを返してもらいます!、あれはレンブラントさんのもの!、それを勝手に持ち出すのは犯罪です!」

エリス達に道を塞がれれば怪盗は観念したのか足を止めて、再び剣を握る…相変わらず凄まじいプレッシャーだ、こんな強者が盗人なんてやってるなんて

「ふむ、私を捕まえようというのかな、だけど無駄だよ 私は絶対に捕まらない、怪盗は捕まらないものだからね」

「戯言を…」

「戯言を美に昇華したものが演劇さ、さて 体が冷えそうだ…軽く跳ね除けさせてもらうよ、まず…」

剣が煌めく 再び、さっきの剣技が……

「弱い方から仕留めよう」

「っ!飛べ!」

「へ…うぉおっ!?」

来た こっちに来た、弱い方から仕留めに来た!振るわれる剣技を前に叫び声をあげながら風で加速して後ろへ跳ぶが ルナアールは凄まじい速度で追いすがりエリスに剣を振るう

いやいや、速すぎるだろ幾ら何でも!、こっちは風に乗る魔術使ってんのに 向こうは魔術も使わず脚力だけで追ってくるんだ、しかも足場の悪い雪の積もった屋根の上でだ、人間業じゃない!

「私の剣を避けるとはなかなかやるね、君 名前は」

キラリと煌めいた瞬間には既に振るわれている剣、まさしく光速に近しい剣を感覚だけで回避しながらルナアールの周りを飛び回ると、奴は何とも余裕そうに名前を聞いてくるんだ

「え エリスはエリスです!孤独の魔女の弟子 エリスです!」

「エリス……!」

その瞬間 ルナアールの動きが止まる、ピタリと…何で止まった?いやもしかしてエリスの名前か?、こいつはエリス姫関連の物を集めている…けど名前にそんなに反応するか?

いや、今はいい!せっかくの隙だ!見逃す手は無い!

「隙有り!」

刹那のうちに風を纏い回転する、その場で十…いや百は回転しただろうか、加速と遠心力を足先に溜めての蹴り、学園でエリスが編み出した 疾風韋駄天の型を用いての回し蹴りを今 ルナアールの側頭へと叩き込み…

「やめろエリス!そいつには手を出すな!」

「ししょ…え」

とその言葉を最後まで口にすることはなかった、何せ エリスの蹴りをルナアールは片手で軽々と掴んで受け止めていたのだから…、そこでようやく…そう 遅すぎるくらいようやく、エリスは気がつく、ルナアールの口に目をやり 気がつく

「解釈違いだ…」

ルナアールの口から、白い息が出ていない、師匠やエリスを秒殺出来るというモースと同じ、絶対強者の証が こいつにも出て…

「がはぁっ…」

何をする時間もなかった、抵抗とか 防御とかは勿論、反応をするまでも無くルナアールの剣の柄がエリスの後頭部を勢いよく殴りつけ、その意識を簡単に奪い去る…

エリスは物の見事に敗北し、ルナアールの前に倒れ積もった雪の上に白目を剥いて気絶するのだ、完全敗北 言い訳のしようもない敗北を味わい、この寒空の中エリスは意識を失った

「とはいえ、私がエリス姫と同じ名前の人間を斬りつけるわけにも行かないからな…」

「エリスッッッ!!!」

「おっと」

弟子の敗北を受け黙っていられぬのが師匠レグルスだ、本当はすぐさま助けに入るつもりだった だが、ルナアールが一枚上手だった、エリスに攻撃を避けさせ巧みにレグルスから引き離し レグルスが駆けつけるよりも速くエリスを叩きのめしたのだ

レグルスは忸怩たる思いであった、弟子を守ることができなかった事実に、ルナアールがその気になっていればエリスは瞬く間に八つ裂きにされていた、なのにこの有様だ

油断していたか?いや、最初から油断していない ルナアールのあの剣技を見てからというもの、レグルスの中でこの怪盗の脅威レベルは未だかつて無いほどに上がっていた、だから旋風圏跳での飛び蹴りを容赦なくかましたのだ

だが、それさえもルナアールは剣で受け止める…

「魔女の一撃を受け止めるか!…やはり貴様、いや 何者だ!」

「私は怪盗ルナアール!、そう呼ばれている」

「本来の名を言えと言っている!」

ぶつかり合う、レグルスの神速の徒手空拳とルナアールの光速の剣撃が、およそ人類とは思えぬ速度での攻防の中で、レグルスは歯噛みする

ここでは全力が出せない、何せここは民家の屋根の上 こんなところで魔女が本気で力を発揮すれば足の下の無辜の民を殺すことになる、ルナアールはそれを理解していたからここで足を止めたのだ

ここならレグルスは全力を出せないと踏んでいたから

「流石に強いな、こちらも全力で行かねば怪しいか…!、怪盗剣技 二の項」

くるりと高速の攻防の中でルナアールか剣を逆手に持ち替え、その瞬間 ルナアールの足元の雪が消し飛ぶ、怪盗の踏み込み その衝撃波で雪が弾け飛んだのだ

「『逆巻昇り龍雲』!」

「くっ、やはり…貴様!」

瞬きの間にルナアールの体が数百回転する、剣刃の鎌鼬と化したルナアールを前にレグルスの手が止まる、その剣に脅威を覚えたから?違う…その剣技に見覚えがあったから

「何故…貴様がその技を使える…!」

「私の技だ、私が使ってもいいだろう」

「違う!それはスバルの…スバル・サクラの使った我流剣術だ!、お前の技では無い!」

スバル・サクラ…、それは悲恋の嘆き姫エリスの登場人物、ではなく 八千年前実在した剣士 いやこれでは言葉が足りないか

八千年前実在した『史上最強』の剣士 スバル・サクラがその天賦の才だけで編み出したオリジナルの剣技だ、奴の剣術の腕は魔女にさえ迫る程の物…、それを何故ルナアールが使っている、怪盗剣技なんて胡乱な名前をつけて…

そもそもスバルは弟子など持たなかったしその剣術が後年受け継がれたという話も聞かない、こいつのエリス姫への執着と言い 被るんだ、スバルと…奴と…

「………………」

しかし、ルナアールは答えない、あれほど饒舌に語っていたルナアールの口がピタリと止まり 何も言わなくなる、何者なのだ お前は そう視線で語るとルナアールは徐に剣を構えて

「…私は怪盗だ、怪盗ルナアール…このエトワールの夜空を舞う華麗なる羽、それが私だ」

「聞いてない、名前を答えろ」

「しかし、怪盗とはいずれ顔を暴かれ その名はいずれ白日の下に晒される…、そういうものなのだ そういう風に脚本は出来上がっているんだ、でもね」

ルナアールの魔力が大きく膨らむ、舞い上がる雪が煙のように周囲を飛び交い視界を奪う、そんな目くらまし レグルスには効かないが、それでも彼女は警戒する…

この怪盗と名乗る剣士が今 本気を出そうとしている…と

「デウス・エクス・マキナ…というのかい?突如として神の如き存在が介入し事件を丸ごと解決する、そういう展開は私は嫌いなんだ 物語とは正しい手順で終わらせなければならない…だからさ 魔女、君には一度舞台を降りてもらう、観客席で事の顛末を見ているんだ」

奴が本気を出した ならこちらも、いや だがこんな街中では被害が…、くそ 魔術も使えんこの状況はあまりに不利、そんな逡巡がレグルスの動きを刹那の刹那 瞬きの本の数千分の一の刻 停止させた

そのあるかないかも分からない隙を、怪盗は見逃さなかった

「裏怪盗剣技… 十の項」

「ッ……!!」

雪が切り裂かれる、ルナアールが飛んだ レグルスに向けて、ならば迎え撃つと構えを取るが、先程の刹那の隙が レグルスの行動を一手遅らせた、その間にルナアールはレグルスを通り越して その背後にて制止する…剣を 鞘に優雅に納めながら

「…古式魔術陣…『脆退寂静の陣』」

「なっ…」

パチンと剣が鞘に納められた瞬間、レグルスの体に異変が起こる…斬られたわけじゃない 斬撃ではない、これは…これは……

「き…さま、本当に…何者なんだ、これは…」

「悪いね、だが君はこの舞台に邪魔だ…さぁ 観客席に降りるんだ、闖入者よ」

「ま…て!…」

体が熱い 骨が軋む 魔力が失われ頭が上手く動かない、ビリビリと電撃の迸るレグルスはロクに動かない体で怪盗ルナアールに…否、レグルスの知る限りこれ以上ないくらいの剣と魔術を扱う謎の存在に対して手を伸ばす

しかし、もはや追っ手はいないとばかりにルナアールは飛び去り 闇へと消える、この状態では追うのは無理か、業腹だが 奴に一杯食わされた…私さえも

「チッ、…エリス」

ふと、雪の中沈む弟子の姿を見て思い至る、脆退寂静の陣を受けた私はもうすぐ動けなくなる、だから その前に…

「その前に、エリス…お前だけでも安全な場所に…」

このままでは凍死してしまう、その前にどこか暖かい場所に…、エリスの体を持ち上げ 移動しようとした瞬間…、レグルスの体に更に 変化が訪れる

「ぐっ!、もう…始まったか」

エリスを抱き上げる手から力が失われる、ダメだ…もう少し待て エリスだけでも…助けないと

「あ……」

ズルリと、いきなり雪が滑り レグルスの体をエリスごと屋根の下へと投げ出す、このままでは エリスが死ぬ…それはダメだ なんとしてでも守らないと、エリスだけでも… そう屋根から下へと落ちる最中 レグルスはエリスの体をギュッと抱きしめ体を丸め

そして


「………………」

落ちた、幸い 雪がクッションになって二人とも怪我をすることはなかったが、この雪降り積もる絶対零度の夜の中、エリスもレグルスも揃って気を失ってしまう、このままでは二人とも動けないまま雪に絡まれ やがてその命さえも凍りつき 死んでしまうだろう

「……………………」

しかし、助けは来ない もはや日付の変わった夜の街を出歩く存在はいない、倒れる二人の体に雪が降り積もり その命を徐々に奪っていく

「……………………」

しんしんと 降り続く雪、静かなる夜、動くもののいない暗闇の世界、凍りつくようなこの場から 二人を助ける存在はいない…いない

「はぁはぁ、今こっちの方から音が…」

筈だった…

「あ!、誰か倒れてる…って これ!、エリスさん!?それとこの子は…、大変だ!このままじゃ凍えて死んじゃう!、おーい!団長!だんちょー!」

「なんだなんだ どうしたー?」

「早く早く!命がかかってるんです!」

「なんだって!?、うぉ!こりゃヤバい!直ぐに宿に担ぎ込むぞ!、おい!誰か暖かいお湯を用意しろ!」

…氷み凍る雪の世界の中、慌ただしく二人を囲んでいく人影たち、怪盗と美と因縁と演劇…それが紡ぐエトワールでの戦いと冒険の幕は今 ゆっくりと開こうとしていた

………………………………………………




何が起こったんだろうか…、エリスは一人 何もない白い空間の中考える

月下の大怪盗ルナアール…、そんな胡乱な名前とは裏腹に奴は強かった、凄まじく強かった、カストリア大陸での旅を超えてエリスも強くなれたかと思ったけど

ポルデュークでの初戦でいきなりの負け、まぁ 元々負けも多い旅路だったけどこれはちょっと自信無くすなぁ。

しかし、何者なんだろう、アレ…ルナアール、怪盗として身を守る為 なんてレベルじゃない、アレは剣に人生を捧げて始めて手に入るレベルの剣技だ、あんな剣技を手にしてやることが盗み?ちょっと考え難い

負けたから相手を褒めるわけじゃないけどさ、ありゃいきなり戦うレベルじゃないよ…もしかしてポルデュークはみんなあのレベルなのかな

だとしたら、やっぱり エリスは強い!って慢心するのは良くないのかもな

…あーあ、負けたなぁ…あ そういえばエリス負けてそのまま気絶したんだった

あそこ雪降ってたよな、ってことは今エリスは雪の中凍りついて寝てるのか?、いやいや 師匠がなんとかしてくれただろう流石に

目が覚めたら、全部終わってて エリスはベッドの上なんだ…きっと



「ん…んん」

窓から差し込む朝日にムズムズと目が開かれる、徐々に覚醒する意識、まず伝わってくるのは体を包む暖かな感覚、これは毛布 そしてベッドの感触、ほらね?エリスは今師匠と一緒に寝てるんだぁ

「あ!気がつきましたか!」

「……え?」

ふと、想像していなかった声が響いて微睡みも吹き飛びパッと目を開け起き上がる、ここどこだ?

慌てて周りを見回す、宿だ 分かるよ流石にそれは、でもどこの宿だ?師匠の取った宿?いや分からん、師匠が何処の宿を取ったかなんて知らなかったし、というか

「貴方は…」

エリスのベッドの横に座るその人物に目が行く、さっきの声の主はその人だ、それはエリスの顔を見てキョトンとしている、いやキョトンとしていても相変わらず可愛いな

…そう、相変わらずだ、エリスはこの子を知っている、ちょうど 昨日出会ったばかりの子

「ナリアさん?」

「はい、エリスさん」

ナリアさんだ、昨日エリスが劇を台無しにしてしまった劇団の乙女役だった子だ、それがエリスの隣で心配そうに座っている…、何故?

「あの、すみません エリスは今とても混乱しています、何故 エリスはここに居て貴方がここにいるんでしょうか」

「何故って、エリスさん 昨日雪が降る中外で気絶してたんですよ、怪我もしてたし…このままじゃ凍えて死んでしまうと思って、僕 慌ててみんなに頼んでこの宿にエリスさんを担ぎ込んだんです」

「エリスが…」

気絶していた、それは完膚無きまでにルナアールに負けて そのまま雪空の下で気絶していたんだ…、けど 気絶したままだったのか?え?師匠は?

「あの、すみません エリスの師匠は何処にいるんでしょうか」

「師匠?」

「ああえっと、こう 黒い髪で背が高くてクールな感じの美人さんです」

「背の高いクールな感じ…、そんな人は側に居なかったなぁ」

ナリアさんはううーんと唸りながら首をかしげる、居なかった?どこに行ってしまったんだ師匠、もしかしてルナアールを追って?でも、こう言ってはなんだが 師匠は多分ルナアールを追うよりもエリスを助ける方に動くと思う

それをせず、消えてしまった というのは……、嫌な予感がする

「…あ!、すみませんナリアさん、お陰で助かりました、助けていただけなければエリス 氷漬けになって死んでました」

まぁ何はともあれ、今ここで外に飛び出しても状況が掴めないんだ、だからまずは命を助けて頂いた恩についてお礼を述べるべきだ、ナリアさんが偶然通りかかってエリスを保護してくれなければ エリスはあのまま死んでいた、命の恩人だ

「い いえいえ、そんな…エリスさん 素敵な方でしたし、昨日の一件もエリスさんが優しいからの事でしたし、そんな方が死んでしまうのはとても悲しいので」

「ナリアさん…」

優しい、この人は本当に優しすぎる…、本当に天使のようだ

「でも、命の恩は変わりません…何かお返しが出来れば…」

「大丈夫ですよ、僕も好きでやった事ですし…、あ ちょっと待ってください?、だんちょー!」

するとナリアさんはピョンと椅子から飛び降り、トテトテと廊下の方へ向かっていく…

しかしここどこなんだ、ナリアさんは宿だと言っていたけれど…、というか団長?なんの?、…ああ 師匠どこに行ったんだろう

中々纏まらない頭をボーッと揺らしていると、ナリアさんの声に反応して奥からトントンと足音がして…

「おお、目が覚めたか!」

そう言いながら入ってくるのだ、扉をあけて…そいつは…、ナリアさん同様 見たことのある顔をしていて、というか こいつ!!

「あ!昨日の悪漢!」

悪漢だ、昨日ナリアさんにナイフを向け金を奪おうとしていた悪漢、堀の深い目鼻と人相の
悪い顔つき、まるで鶏のトサカの如きモヒカンをした ザ・悪人!それが部屋に入ってきたもんだからエリスは慌てて立ち上がり構えを取ってしまう

「お おおう!、相変わらず物騒は姉ちゃんだな」

「エリスさん!この人は悪漢じゃなくて僕たちの劇団 、『クリストキント旅劇団』の団長でうちの悪役担当の役者さん、クンラート・ボスさんです!」

「おう、クンラートだ 、ボスって呼んでおくんな」

「ボス…?団長…あ!」

はたときがつく、そうだった ナリアさんが襲われたあの一幕が演劇ならそれに襲い掛かってたこの人もまた役者さんだ、ああ しかも見てみろあの強面の男の頬を、ガーゼが貼ってある…あそこは間違いなく エリスが蹴り飛ばしたところ…

「す すみません!、本当に!昨日は!」

頭を下げる、最敬礼を超えて長座体前屈の如き勢いで強面の男…否、旅劇団の団長 クンラートさんに向けて、命を助けていただいた人達にエリスはなんてことを…

「いやいや、いいっていいって、そりゃ最初蹴飛ばされた時は何事だとは思いはしたけどさ、アレは俺がナリアを襲ってると勘違いしたって事だろ?、俺の迫真の演技がマジだと勘違いさせちまうなんて、役者として褒められたも同然だろう?」

へへへ と顎を撫でながら笑うクンラートさん、エリスの蹴りは痛かっただろうに…、そうも割り切れるなんて、見た目とは裏腹にこの人はナリアさん同様 聖者の如き優しさを持っているのだろう

…本当に、染み渡るような優しさだ、有難い…

「それよか、大丈夫かい?あんな雪の夜に外で気絶してるなんて、何かあったんだろう?」

「ええ…まぁ、…色々と」

「そっか、色々とか…まぁいいさ、ここは俺達旅団が貸してもらってるボロ宿だ、傷と疲れが癒えるまでゆっくりしていきな」

有難い 本当に、でもあんまりゆっくりしている暇はない、この恩はなんとしてでも返したいが 今は師匠の安否が気になる、まさかルナアールに殺されてはないと思うが、師匠がいないということは何かしらの意味があるはずだ

なら、今すぐにでも師匠の元に向かわないと

「あ、そうだ エリスさんが目覚めたならそろそろ」

「おお、そう言えば向こうももう目を覚ましてたな」

「向こう?」

ふと、ナリアさんとクンラートさんが何やら話し合っている、向こうも とはなんだ?

「エリスさんと一緒に気絶していた人ですよ、そちらも危うく凍死寸前でしたが なんとか救出出来ました」

一緒に気絶していた人がいるというのだ、ん?それって師匠?いやでも知らないって言ってたし…

「あの、それが師匠では?」

「え?、でも背も高くないしクールでもないし、…妹さんですよ?エリスさんの」

いないよ妹なんて、弟ならいるけど…、じゃあ誰だよ 全く身に覚えがないぞ、でも一緒に気絶してたんだろう?まさかルナアール?いやいやまさか、アレを妹とか見間違えるわけがない

「じゃあ連れてきますね」

するとナリアさんはトテトテと隣の部屋へと向かっていく、いや…でも 多分知らない人ですよとは言えない、まぁ同じくナリアさん達に命を助けられた者同士仲良くしよう、うん

なんて思っていると 隣の部屋から何から声が聞こえてくる

『や やめろ!わたしを連れて行くな!』

『何言ってるんですか、お姉さんが目覚めましたよ?』

『エリスはわたしの姉ではないと何度言えば分かるんだ!ええい!、振り払えない!』

ジタバタ暴れる音とズルズル引きずる音、そして甲高い…そう 幼い少女の声が聞こえてくる、んん?なんだ今の声 聞き覚えがあるような 無いような、というか今 エリスの名を呼んでなかったか?、エリスのことを知ってるのか?

誰だ…、誰なんだ…そんな疑問と共にエリスは部屋の入り口を凝視する

そして


「すみませんエリスさん、連れてきましたよ、照れ屋なのか 暴れちゃって」

「うぅぅーー!!」

ナリアさんが現れる、廊下の向こうからひょっこり顔を出しながら 何かを隣の部屋からズルズルと引きずってくるんだ…、それはとても小さく 愛らしく 幼く…小さい 小さい、小さい影だ

「ほら、お姉さんですよ」

「だから違うと…何度言えば」

ナリアさんが連れてきたのは、幼い少女だった…そう それこそ5歳くらいの少女かな、それがナリアさんに力尽くで引っ張られ必死の抵抗をしながらも部屋に引きずり込まれる、…ただ 問題なのがその少女の見た目だ

黒い髪 紅色の瞳 ダボダボの黒いコートを羽織るその姿、その幼い顔立ちにはどこか面影を感じる、エリスの探してきた人物の面影、でも エリスの記憶にあるそれよりも何倍も若く というか 幼い、幼い過ぎる、でもでも間違いない この子この人は…

「レグルス師匠!?!?」

「み 見るなぁ、エリスぅ…!」

師匠だ、師匠が小さい少女の姿になって か弱いナリアさんに引っ張られながら涙目になっている

いや…いやいやいやいや!?、なんですか!なんでそんな姿に!?、若返ったにしても若返りすぎだろ!、これじゃあ『孤独の魔女レグルス様』というより 『こどくのまじょレグルスちゃん』だ!、かわいい!

「師匠!何があったんですか!、そんな…そんな愛らしい姿になって!」

「え?、この子が師匠なんですか?、雪の中で抱き合うように寝ていたから僕てっきり妹さんとばかり」

「だからずっと言っていただろう!わたしはエリスの師匠だ!、というか離せ!」

ナリアさんの手をジタバタと振り払うと小さなレグルス師匠はダボダボになった服の裾と袖をずりずり引きずりながらエリスのベッドの上に飛び乗ろう…として失敗し、仕方なくベッドの上によじ登る

「まぁ…なんだ、無事で良かった エリス」

「師匠は全然無事じゃなさそうですが…」

「まぁな、すまん あの怪盗を取り逃がしたばかりか、忌々しい戒めまで食らった…」

そう言いながら師匠は襟をずらして その首元を露わにする、すると そこには何やら模様が…いや、これ

「魔術陣ですか?」

「ああ、『脆退寂静の陣』だ」

師匠の首元には刃で切りつけたように 魔術陣が刻まれていた、…もしかしてそれのせいでこんなちんまい姿に?

「なんですか?それ」

「対象の力を大幅に制限する魔術陣だ、これを食らったお陰で わたしはその力の殆どを封じられてしまったのだ、魔力は全然操れんし 身体能力もご覧の有様、思考能力も100分の1にまで落ち込んで…このザマだ」

そんな魔術陣があるのか、謂わば封印のようなものか…、師匠が持ち得る魔女としての力 知恵 権能、その全てがこの小さな魔術陣によって封印されてしまっているんだ

「ても、なんでそんなに小さく?」

「これは副次作用だ、身体能力を封じる序でに体も幼くなる、弱体化と退化 双方の役割を持つのがこの魔術陣の厄介なところだ」

「元には…」

「戻れるのに好き好んでこんな姿でいると思うか?、魔力を封じられているからこの魔術陣の捕縛を抜け出せん、屈辱だ…!このわたしがこんな姿にされるとは!」

怒りにワナワナ 恥辱にプルプル震えるチビレグルス師匠を見ていると無性に愛おしく思えてくる、デティにも似たような感情を抱いたことがあるが…これは母性?可愛い

いや可愛いじゃないよ!、師匠の力が封じられた?なんだそれ、それはつまり ルナアールは魔女を封印できる力を持ってるってことじゃないか!

確かにルナアールは強かった、師匠やモースのような世界レベルの絶対強者の証…白い息を吐かないという点から見てエリスでは遠く及ばなくらい強いことはわかってる、けど 魔女にさえ 影響を与えられるほどの人間なんて…、いるのか そんなの…世界に

「そんな!自力で戻れないなら…どうやったら戻れるんですか!」

「…一度発動した魔術陣を崩すのは難しいと言ったな?、どうやら奴め 器用な事にこの魔術陣に防御の陣を引いているようで外側からは一切干渉が出来ないようになっている、…これはもう術者であるルナアール自身にこの魔術陣を崩させるしか方法がない」

「魔女の力を封じて…こんな姿にするなんて、…何者なんですか?」

「……実は見当がついている」

「え!本当ですか!」

「ああ…だが」

だが、というと師匠はゆっくりと コテンと小首を傾げて

「忘れちゃった…」

「えぇ…」

忘れちゃったって、そんな可愛く言ってもダメですよ、昨日の出来事でしょ…可愛いけど

「言ったろう?この姿になったせいで思考能力も大幅に落ち込んでいるんだ、アイツの正体に何か思い当たる節があったはずなんだが、上手く思い出せん…、ああ情けない デルセクトでは石にされ この国では子供にされるとは…師匠失格だ」

どうやら身体能力も思考能力も、この姿相応の物に封じられているようだ、…ふむ 師匠が奴の正体に思い当たる節がある と言うことは師匠でも知っている何かということだ

師匠は有象無象の事など気にしない、知っているのは八千年前から存続する者か 或いはモースのように世界的に危険な存在 そのどちらかだ、ということはやはりルナアールはとてつもない存在ということになるな

…がしかし、これでもうエリスはルナアール相手に逃げられなくなったと言ってもいい、奴に師匠にかけたこの術を解かせるまで エリスはルナアールを追い続けなければならない

エリスを殺さなかった事 師匠にこんな封印を仕込んだ事、どちらも意図を感じるが…さて 奴は何を考えているのやら

ともあれ、師匠はもう戦えない 少なくともルナアールの一件を解決するまでは、つまり エリスは奴と一人で戦わねばならないが…いけるか?、手も足も出なかったぞ…

「あぁ、こんな姿 アルクやスピカに見られたら向こう千年は笑われる…」

「まぁまぁレグルスちゃん、そんなに落ち込まないの」

するとベッドの上で膝を抱いてメソメソ落ち込むレグルス師匠の頭をナデナデと撫でるのはナリアさんだ、っておい!何やってんだよ!そんな…羨ましい!エリスだって遠慮してるのに!

「お前!撫でるな!さっきの話聞いていたか?、わたしは魔女レグルス!エリスの師匠なんだ!、ちゃん付けはやめろ!」

「はいはい、レグルスちゃんはレグルスさま」

「信じてないなー!お前ー!」

…どうやら、精神レベルも子供レベルに落ちているようだな…、これは相当弱体化していると見ていい、むぅ 参ったな…これじゃあ師匠から知恵も借りられないし、修行も出来るか怪しいところがある

いや、むしろ良いか、師匠と一緒だとエリスは師匠を頼りすぎる節がある、頼れないならそれでいい 頼らない、エリスはエリスの足で立って 師匠を守り助けよう

「まぁ何はともあれ、しばらくゆっくりしていきな、あんたら旅人だろ?、そんな小さな子を抱えて無理はできないだろ?」

「ああ、クンラートさん…本当にありがとうございます、このお礼はなんとして良いやら」

クンラートさんの言う通りだ、身体能力が子供並みに落ちている師匠を連れてこの雪国を強行軍は出来ない、ここはもうクンラートさんのお言葉に甘えてここでゆっくり休もう…、その間に移動の方法も考えなければ…

どうするか、ヘレナさんを頼るか?…いやしかし…ううむ、その前に出来ればナリアさん達への恩を返したい

エリスも師匠も、ナリアさん達に助けられなければ死んでいた…、ここで別れたらまた会えるかも怪しい、だから出来ればその前に

そう…エリスが顎に指を当てて考えていると、ふと 廊下の向こうから激しい足音が聞こえてくる、まるで 突っ込んでくるように…、そして足音は迷いなくエリス達のいる部屋に飛び込んできて

「団長!、やべえ!最悪だ!」

「ああ!?、喧しいぞ!、ここにゃ病み上がりの女の子達が休んでるって言っただろ!、体に障ったらどうする!」

「す すみません!」

飛び込んできたのはこれまた小汚い服装をした男で…、いや 団長って呼んでるからこの男の人もナリアさん達と同じクリストキント旅劇団の役者さんかな、というか 酷く焦っているように見える

まさに血相変えてって顔つきで部屋に入ってくる男はクンラートの叱責を受けとりあえずエリス達に謝る、いやいやそんなに気を使わなくても…というか クンラートさん、怒鳴るともう山賊にしか見えないな

「で?、どした?」

「実は…ジョセフが辞めた!」

「はぁ!?あんだと!、マジかよ!もう公演は目の前だってのに!、クソッ!アイツ何考えてんだよ!」

ジョセフ?、辞めたと言うと多分その人も旅劇団の一人なのだろうが、そんな彼が辞めた 言う知らせを受けクンラートさんの顔色が変わりギョッとする、そんなにまずい事なのかな…

「ナリアさん、ジョセフって誰ですか?」

「え?…う うん、実はジョセフさんはクリストキント旅劇団の花形役者でね?、よく主役とかをやってて、うちで一番の美形なんだ…」

「しゅ 主役!?主役が辞めたんですか!?、それ ヤバいんじゃ…」

「ヤバいなんてもんじゃねぇ、よりにもよってもう公演が目の前のこのタイミングで…、なんでだ!」

「実はマルフレッドに引き抜かれたみたいで…、アイツ いつももっと有名な劇団に属したいなんて言ってたから、多分マルフレッドに声かけられてホイホイついて行ったんだと思う」

「マルフレッドか…クソ!、アイツ 本気で俺達を潰すつもりかよ!」

また新しい名前が出てきた、潰すとか引き抜きとか 穏やかな話じゃないな、クンラートさんやナリアさん達にも何やら込み入った事情がありそうだ…

「ど どうしよう団長!、あの公演 みんなで必死に見つけた仕事なのに…、すっぽかしたり 失敗なんてことになったら、俺達いよいよ終わりだよ!」

「分かってる…分かってるよ、けど…代役を立てるか?、ああいや 今から代役たてたんじゃセリフを覚える暇もねぇ、どうすれば…」

「…今回の劇は、盛り上がり所に主役に長台詞があります …、今からそれを淀みなく覚えるのは、難しいですね…、代役を立てても 劇は多分、酷いものになると思います」

クンラートさんはさんは憔悴し ナリアさんは沈痛に顔を落とし 駆けつけた団員はどうしようどうしようと涙目になりながら頭を抱える

ナリアさんは昨日言っていた…僕達の劇団は貧乏だと、それにこのエトワールでは芸術家や劇団は需要に対してあまりに多い 故に競争も非常に激しい、だから芸術家達は寒い中外に出てアピールするほど

きっと昨日のナリアさん達の劇もその一環なんだろう、必死にとってきたやっとの仕事、それを今 潰されそうになっている

一度ついた不評とは如何ともしがたい、『あそこは頼んだ仕事をすっぽかした』『せっかく公演を任せたのに 劇一つロクに出来ない』、なんて悪評がついたら それこそ終わりだ…、まさしくクリストキント旅劇団の危機 と言ったところか

「…………」

ナリアさん達には命を助けられた、恩を返さなければならない、そして今 ナリアさん達は窮地にある、なら 丁度いいんじゃないか?、恩を返す 絶好の機会なんじゃないのか?

「あの、台本を覚えればいいんですよね」

と 言いながら小さく手をあげる、そんなエリスの声にキョトンとしながらクンラートさんや団員さん、そしてナリアさんもこちらを見る

「まさか代役を…?」

「はい、エリスで良ければ」

「い いやいや、気持ちはありがたいがな、覚えるっても 代役が必要なのは主役だ、一番台詞が多いし 立ち回りも多い、それに公演までもう一時間もない…こんな短時間じゃ どうやっても覚えるのは無理だぜ?」

「フッ、なら問題あるまい、ここにいるエリスに 『覚える時間』なんてものはいらん、いいから台本を寄越せ」

「いや流石にそんな…、付け焼き刃で覚えたって恥をかくだけ…」

「いいから!台本をください!、たとえ台本が辞典のように厚くても 秒で覚えてみせます」

「でも…」

エリスの言葉を信じられないとばかりに言い澱むクンラートさん、それはエリスを信じていないからと言うより エリスを巻き込みたくないと言う優しさからだろう、だが エリスだってその気持ちに応えたいんだ!

すると、そんな中一人 ナリアさんが立ち上がる

「エリスさんを信じてみましょう!団長!、確かにエリスさんは昨日 凄まじい記憶力を見せていました」

「え?、そうなのか?ナリア」

「はい!、団長!ここは エリスさんに任せてみるの…いいと思います!」

ナリアさんはそう言うなり走り出し タンスの中から冊子を取り出し エリスに手渡してくる、ふむ これが台本か…昨日ヘレナさんから渡された台本よりも分厚いが

そうか、こんなもんか

「えっと、これが台本でですね?、エリスさんのセリフは主役の…」

「いいです、全員分のセリフも一緒に覚えるので」

「え?…」

ナリアさんを制止しそのまま台本を開き パラパラと高速で捲りながらその中身を記憶していき、…うん、終わった 

「覚えました」

「え…ええぇぇぇぇぇ!?!?は 速すぎるよ!?速すぎだって!、だってそんな…台本軽くめくっただけじゃん」

「おほん…『姫、人の愛とはただ一人にのみ向けられるものであり、真の愛とはその者の生涯で唯一の者にしか与えられない…、貴方はそんな真なる寵愛を私に捧げようとしてくれている、その事実に私の魂は芯より喜びに打ち震えている、されど だからこそ受け取るわけにはいかないのです、貴方を愛するが故に 貴方を愛するわけにはいかないのです、死に行く私を愛するなど 資する人間を愛するなど、そのような悲劇を 貴方に味合わせたくないのです…故に、私はこの場を去り 貴方の元を去ることで、この愛を証明します …例え死すれども、喜びに打ち震えるこの魂は 天の上で貴方への愛を歌い続けることでしょう、永遠に…貴方のために』」

「そ それ…例の長台詞…、本当に覚えて…」

エリスがやや声を作って芝居掛かった物言いで台本の中の一番長いセリフをツラツラ言えば、ナリアさんは口をあんぐりと開け クンラートさんは驚愕に震える、いや 或いは気味悪く思ってるのか?

そりゃそうだ、エリス自身この記憶力はどうかと思ってる、何せエリスはさっき 台本を高速で捲った際 中身を読んだわけじゃないんだ

ただ台本に書かれた文字を図形として記憶し、それを頭の中で整理し思い出した、こうする方が普通に読むより早く済む

エリスの記憶力を持ってすれば 如何なる本もどんな厚い本も 読破し暗記するのに数秒とかからないんだ

「エリスは十年前の今日この時間何をしていたかも思い出せれば、一度食べた料理の味を記憶しコピーすることもできる、言っておくが我が弟子は凄いぞ?」

「凄いなんてもんじゃねぇ…、凄いなんてもんじゃねぇよ…」

「団長…、これは」

「ああ、いけるかもしれねぇ!」

クンラートさんがギヒリと笑うと絶望に染まりかけた全員の足が動き始める

「よしっ!、じゃあエリスちゃん!病み上がりで悪いが 今から舞台に立ってもらうがいいか!」

「エリスで良ければ」

「いいさいいさ!、演じるのは男役だが…エリスちゃんは目鼻立ちが凛々しいからな、男装させればいい具合に仕上がる、いや ともすればジョセフなんか足元にも及ばない美形役者が生まれるかもな!」

「お 俺!衣装と化粧道具持ってきます!」

「エリスさん!、僕が細かい舞台の動きをいうので 覚えてくれますか!」

「はい、ナリアさん お任せを」

クンラートさんが歓喜し 団員が慌てて道具を揃え ナリアさんがエリスの手を掴み舞台のレクチャーをし始める、うん これなら恩が取り敢えず返せそうだ、まぁ 舞台の成功はまた別の話だが、努力しなければなんともならない物を今から案じても意味がないからな

…しかし、成り行きでまた役者をやることになった、しかも今度はエウプロシュネの時とは違い自分の意思で ヘレナさんの時とは違い本物の役者として舞台に上がる

小さい頃 あんなに嫌った役者にだ、…分からない物だな、でもまぁいい ハーメアの生まれたこの地で エリスが役者をやる、そこに何か意味があるなら その意味を見定めようじゃないか

………………………………………………………………………………

フェロニエールの街 中央広場にあるやや大きな酒場がある、客入りは良く 控えめに見ても盛況と言わざるを得ない、フェロニエールの街にはマンフレッド商会の支部があるおかげか 他の街よりも良い酒が流れて来やすく、酒場に行けば当然飲める、良質な酒が

そしてこの酒場が盛況な理由が美味い酒の他にもう一つある、それが…

『お父様!、私は何を言われてもシェンバルを愛しています!』

『待て!フェリス!』

「だはははは!いいぞー!」

酒場の奥にある広場の上にて行われる劇を見て酒を片手に客達が笑う、酒場の奥で 劇が行われているのだ…
そう、この酒場が盛況な理由の一つ、それが酒のツマミに歌劇が観れるのだ、美を愛し 芸を尊ぶエトワール人にとっては最高の肴だ

と言ってもこの場にいる全員、ここで見られる歌劇にそこまで期待はしていない、酒場の店主さえ期待していない、というのも ここのメインはあくまで酒 劇は添え物

故に店主もここで劇をする劇団を探す時 大した劇団は呼びはしない、今回だって金欠に喘いでいたクリストキント旅劇団にお情けの意味も含めて呼んだだけだ…

『ああ…シェンバル、貴方に焦がれるこの心の炎を消せるのは、貴方の微笑みおいて他にありません』

エリスとレグルスの命を助けたナリア達クリストキント旅劇団、彼等がなんとしてでも成功させようとしていた公演とはこれだ、どこかの劇場で盛大に客を集めて ではなく、言ってしまえば場末の酒場の片隅を借りて劇を見せるだけ

貧乏劇団のクリストキント旅劇団にとってはこれが限界であり これも立派な仕事の一つ、寧ろ 今回の仕事は屋根があるところで劇をやらせてもらえるだけマシとも言える

「でもよぉ、普通やるか?酒場で恋愛劇なんてさ」

「確かになぁ、酒のツマミにするなら喜劇とか ド派手なアクションの方がいいよなぁ」

「酒が甘くなっちまう」

なんて酒を片手に愚痴を零す客達は クリストキント旅劇団の劇を見て眉を顰める

今回のクリストキント旅劇団の演目は『シェンバルとフェリス』、大国の王女フェリスと小国の王子シェンバルの恋を描いた所謂所の恋愛劇であり、一応クリストキント旅劇団の十八番とも言える劇だ

大国の姫フェリスと小国の王子シェンバルはお互い惹かれ合い 秘密の恋愛に発展するが、シェンバルの国が他国の戦いに巻き込まれ シェンバルは兵を率いて戦地に出て死んでしまう という内容なのだが

はっきり言おう、エトワールの誇る大悲劇 『悲恋の嘆き姫エリス』のパクリだ、丸パクリではないが構図はそっくりだ、が それを指摘する人間はいない、嘆き姫そっくりじゃん!と口にしないだけでない 誰もそんなこと気にしていないのだ

それもそのはず、古くから存在する『悲恋の嘆き姫エリス』の悲愛劇はもう有名を通り越して一種のジャンルになりつつある

驕り高ぶった権力者は零落するのが劇のお決まり、約束を違えたら悲劇が訪れるのが劇のお決まり、所謂テンプレートの一つに嘆き姫も数えられるのだ

身分違いの恋は実らない、男は死に女は悲しむ そういうお決まりを作った 或いは成ったのが嘆き姫、故にエトワールでは悲恋とは嘆き姫であり嘆き姫こそが悲恋なのだ

だからこういう風に意図的に少し寄せないと違和感を感じられてしまうところがある、逆にその辺を逆手に取る作家もいるが それは余程の馬鹿か大層な天才の二手に部類される

まぁ、そんな事情は別として、そんな悲恋モノが酒のツマミになるか と言われれば、些か怪しいところがある、こっちはせっかく陽気な気持ちになりに来てるのに なんで悲しい気持ちにされにゃならんのだと

「でも…」

「ああ、あの女優…結構いいな」

故に男達は劇ではなく 舞台上のフェリス役の演者…ドレスを着込んだナリアに目を向ける、あれはいい女優だ

顔がいい 声がいい 演技も他の役者とは群を抜いている、なんでこんな貧乏劇団にいるのか分からないレベルだ

「ってあれナリアじゃないか?」

「ナリア?…って誰だよ」

「知らないのかよ、ほれ あのルシエンテスの…」

「与太話だろそれ、ルシエンテス夫妻に娘がいたなんて聞いたことないぜ」

なんで、ナリアを見ながらコソコソ話す間にも舞台は進んでいく…、一人 愛する人への詩を紡ぐ、そして…

『姫よ…』

『ああ、シェンバル!』

舞台上に現れるは金髪の麗人、麗しきスーツに身を包んだ絵に描いたような王子 シェンバルが姫 フェリスの名を囁きながら現れたのだ…

「…なぁ、あんな役者いたか?」

ふと、クリストキント旅劇団を知る男の一人が訝しげに首を傾げる、いつも大通りで即興劇をやっている奴らだ くらいの印象だが、だからこそ主演の顔は覚えていた

確か名前はジョセフだったか、顔はいいが 顔の良さだけで主役を勝ち取っている典型的な美形役者で、演技の方はさしたるモノでもなかったが

「ナリアの方もいいが あっちの男役も結構いいな」

「なんだ?お前そっちの気があんのか?」

「バカ言え、役者としてだよ」


『ああ、シェンバル…会いに来てくれたんですね、私に』

『はい、暗雲立ち込める我が心に差し込む暖かな陽光よ、貴方の顔を見ている間だけが 私の燎原の如き心を癒してくれる』

やや言い回しがや言葉遣いが芝居臭いが、あのシェンバル役の演者…、相当な物を持っていると酒場の客のうち数名が目を光らせる

というのも この酒場は確かに酒がメイン 歌劇はサブ、故にロクな劇団が来ることはない、だが…偶にいるのだ、未だ若いながらも圧倒的才能を持っているスターの卵が

今この国でトップクラスと言われる俳優や世界最高の八人の演者 『エイトソーサラー』達も、始まりはこういう場末の酒場だった

そういうスターの卵を見つけるのが好きな目利き達はいつもより良い酒を頼む、今日はいいものを見れたかもしれないと

『愛しています…愛しているんです、シェンバル…私の愛は貴方のために』

『姫…しかし』

決して歓声は上がらない、確かに劇としての出来はいいが 、ここにいる全員もっといいものを見ているから、この国 エトワールにはこのレベルの劇は掃いて捨てるほどある

それでも、感じる者は確かに感じていた…、姫を演じるナリアと王子を演じる金髪の謎の麗人に、何かを…そう もう二十年近く前になろうあの日 王都で行われた 奇跡、その再来を


『姫、人の愛とはただ一人にのみ向けられるものであり、真の愛とはその者の生涯で唯一の者にしか与えられない…、貴方はそんな真なる寵愛を私に捧げようとしてくれている、その事実に私の魂は芯より喜びに打ち震えている、されど だからこそ受け取るわけにはいかないのです、貴方を愛するが故に 貴方を愛するわけにはいかないのです、死に行く私を愛するなど 資する人間を愛するなど、そのような悲劇を 貴方に味合わせたくないのです…故に、私はこの場を去り 貴方の元を去ることで、この愛を証明します …例え死すれども、喜びに打ち震えるこの魂は 天の上で貴方への愛を歌い続けることでしょう、永遠に…貴方のために』

テンプレート通りに進む話 お決まり通り王子は姫の元を去り、劇は終わりを迎えていく、姫の最後の言葉と共に

『シェンバル!、例え 貴方が死せども私が死せども!この愛は変わりません、永遠に愛し続けます 永遠に!』

ああそういう終わり方か それだけを見終え クリストキント旅劇団の演目は終了する、歓声は疎ら 喝采は喧騒にかき消されるが、それでも この舞台が失敗に終わったと見るものはいないだろう

なら、成功 と見てもいいんじゃないかとエリスは思います

………………………………………………………………

クリストキント旅劇団の演目 『シェンバルとフェリス』が終わり 夜も更け、酒場に残る客が全員立ち去り店仕舞いとなった酒場の中、未だテーブルを囲む一団がいる

「いやぁ、一時はどうなるかと思ったけど 無事終わってよかったぜ!、今日は店の店主の奢りだそうだ!、今宵の成功!酒と共に祝おう!」

ヒャッハー!とチンピラのような風貌の団長クンラート・ボスが木のジョッキを掲げてイェーイ!と叫び、総勢五十人はいよう大所帯達もまたジョッキを掲げる、そんな大騒ぎの片隅で エリスと小ちゃくなった師匠もまた椅子に座る

彼等が騒ぐ理由は一つ、予定していた演目が恙無く終わったからだ、観客達はスタンディングオベーションの大喝采街を挙げての大盛り上がりで大々成功…ってわけじゃない

そもそも客が乗り気じゃなかった、劇を見に来たというより酒を飲むついでに見てるって感じで、しかも劇の内容が酒の席とはミスマッチだった気もする、まぁ色々な要因もあり 盛り上がりもイマイチだったが 少なくともブーイングは飛んでこなかった

なら、成功だ、こうやって皆思うところなく終えられたなら それは成功なのだ、あそこがダメここがダメって反省は明日からすればいい、せっかく明日を勝ち取ったのだからね

「エリスさん!」

「ああ、ナリアさん」

「本当に、本当に本当に助かりました!」

ナリアさんは目の端に涙を浮かべながら嬉しそうに手を合わせてエリスにお礼を言いに来る、お礼なんてそんな…、むしろアレはエリスにとってのお礼なのだ 命を助けてくれたことに対するね

「少しでも恩返しになったのなら幸いです」

「少しでもなんでそんな!、すごく良かったですよ!」

良かったか…、エリスは舞台ではシェンバルと言う名の王子を演じることになっていた、セリフも立ち回りも急拵えで練習も無し、素人感丸出しだったが形にはなっていたと思う、…こうやってお礼を言われると やってよかったと思えてくる

するとナリアさんに続いてクンラートさんや他の役者達がゾロゾロとエリスの元に現れ

「いやぁいきなり代役なんて聞いたときは驚いたけど、アンタすごいなぁ、素人とは思えんよ」

「ホントホント、主役として前に出ても何にも違和感がなかった」

「おかげで助かったよぉ、顔ばっかりのジョセフよりか随分いいや」

「そんな…エリスなんか」

うう、褒め殺しだ…そんなにお礼を言われると照れてしまう、あんまり乗り気じゃなかったけど…、やっぱり お礼を言われるっていいなぁ

「いや本当に、素人とは思えなかった…エリスちゃん、舞台の経験があるのかい?」

そう聞いてくるのはクンラートさんだ、素人とは思えないと言われても素人は素人だ、ここにいる役者さん達の妙技には負ける、でも経験か…ヘレナさんの所の奴はまぁ数に入れないとして、…あるにはある 一応

「えっと、一度だけ…ディオスクロア大学園に所属している頃、エウプロシュネの黄金冠で主演を…」

「エウプロシュネで!?、あれって確か メチャクチャ歴史と格式ある舞台だよな…、それで主演って 大物じゃないか!」

「いえ!でもあれはこう…色々と事情がありまして」

あれはエリスの実力で選ばれたのではなく カリストさんの奸計のせいで無理矢理捻じ込まれたに等しい、もしカリストさんの一件がなければエリス達は舞台に上がることさえ無かったろう

「でも演じるには演じたんだろ?エウプロシュネを」

「はい…一応」

「じゃあ凄いことには変わりないだろう、やることやったんだ その過程がどうであれ評価はされるべきだ」

そう…なのかな、クンラートさんに言われるとそんな気がしてくる…、うん 練習もロクにできなかったけどエリスは懸命にエウプロシュネを演じた、エリスだけじゃない 大勢の人もだ…

なら、主演たるエリスが胸を張らねばあのエウプロシュネに関わった人たちに失礼か

「いやしかし、おかしな劇だったよな」

ふと、団員の一人が言うのだ、おかしな劇だったって おかしい?変だった?もしかしてエリスなんか変な事してましたか?と目で訴えると

「ああいや、エリスちゃんが変って事じゃないんだ、ただ 女のエリスちゃんが王子を演じてナリアが姫を演じる、性別があべこべだろ?だからおかしいなって」

「え?あべこべ?…」

……あべこべ?、まぁ確かにエリスは男装をしてましたが ナリアさんは性別そのままだろ、だってこの子は女で…、まるでその言い方じゃあ ナリアさんが…

と首を傾げていると、そんなエリスの顔を見て周囲の団員がピタリと止まり…

「………おいナリア、まさかお前 言ってないのか?」

「え?…あいや、別に言うほどのことじゃないと思って」

「バカ!、初見でお前の性別に気がつく奴なんかいるわけないだろ!」

「えぇ、別に性別とかどうでもいいじゃないですかぁ」

…なんの話をしているんだ、性別って ナリアさんの性別って、そんな その言い方だとまるでナリアさんの性別が…ま まさか

「ナリアさんってもしかして…」

「あー…はい、一応男です」

「男ぉぉぉぉおおお!?!?」

男!?男って!?え!?雄!?益荒男!?女ではない!?、い いやいやいや!こんな可愛らしい男がいてたまるか!、何かの間違いだろう!嘘ついてる!みんな嘘ついてエリスのこと騙そうとしてる!

わかった、これ 酒の席の冗談だ、エリスが本気にしたらみんなで笑うんだ きっと

「あ…あはは、まっさか~」

「本当ですよ、一応ついてます 見ますか?」

「ばかたれ!淑女になんてこと言ってんだナリア!」

「あぅ」

そんなバカなと思いつつ、合点が行く… それは昨日 ナリアさんを抱き上げたとき、その時感じた違和感だ、エリスはナリアさんを抱いた時 どうしようもない違和感を感じたんだ

その正体がこれだ、女の子だと思って抱き上げたのに 触った感触はやたら筋張ってゴツゴツしていて、そう あれは男の体つきだった

じゃあナリアさんって…もしかして…男の人だったの?、いや 可愛すぎるでしょこれは

「はぁ、ナリア 自己紹介しなさい、どうせお前のことだ 本名も言ってないんだろ?」

「ええ!、でも僕 あの名前好きじゃないんですよ、みんなから 似合わないって言われるし」

「いいから名乗れ、このままじゃエリスちゃん いやエリスさんが混乱するから」

「はぁい…、おほん では」

というとナリアさんは改めてと言わんばかりに姿勢を正し、胸に手を当てながらゆっくりと礼をして…

「どうも改めまして、僕の名前はサトゥルナリア・ルシエンテスと言います、このクリストキント旅劇団で俳優やってます」

「サトゥルナリアはこの見た目だからな、普通の男の役をやらせるとまぁ似合わないが、女優をやらせるとピカイチなんだ、今じゃうちの女連中全員差し置いて 主演級の女優やってんのさ」

ナリアさんの本名はサトゥルナリア…か、まぁ似合わないというか 屈強な男みたいな名前だから気にしてるのか、だからエリスに名前を聞かれた時やや恥ずかしそうに『さとぅ…ナリア』なんて名乗ったのか

ううむ、この見た目 声 仕草 言葉遣い そして『ナリア』なんてどっちでも取れる略称、確かにこれではパッと見でナリアさんの本来の性別を見抜くのは至難の技だ

まぁ、男だからって 何がどうこうなるわけじゃないですけどね

「フッ、改めて挨拶か 良いじゃないか、成功を祝した喜びの席らしいな、ではわたしも酒をもらおう ここのは良い酒だと聞いている、葡萄酒のいい奴をボトルでもらおうか」

と師匠はくつくつと笑いながら指をパチンと鳴らす…しかし

「何言ってるんですかレグルスちゃん、お酒は大人の飲み物ですよ、僕と一緒にグレープエードで我慢しましょう」

「な!?だから!わたしは大人だ!今は魔術でこんな姿にされているが本当は大人なんだって!」

「とは言っても…あ!」

すると激怒した師匠は子供扱いするな!と言わんばかりにテーブルの上のお酒を手に取り その小さな手を両方使ってチビっと赤ワインに口をつける…しかし

「ギャッ!に 苦い!?」

「だから言ったじゃないですかぁ、お酒は大人の飲み物 子供が飲んだら体に悪いですよ」

「な 何故だ、今まで水のように飲めたのに…まるで受け付けん」

「…師匠、多分 身体能力同様 体の構造も子供と同じになってるんじゃないんですか?、今の体でお酒を飲むのは危険ですよ」

師匠は体が縮んだのは弱体化の副次効果だという、しかし 体が子供同然になったのは事実、それ故に大人の時は飲めたお酒も 今は受け付けないんだろう

「そんな…わたし、ずっとこの国の酒を飲むの楽しみにしてたのに…、まだ一口も飲んでないのに…そんな…」

「まぁまぁ、レグルスちゃん 落ち着いて、僕と一緒にグレープエード飲みましょう?」

「くぅぅぅ!くそー!ルナアールめ!絶対に追い詰めて 絶対絶対この魔術解かせてやるからなー!くそー!」

そう言いながら師匠はナリアさんからグレープエードを受け取り美味しそうにクピクピ飲み始める…、少し可哀想だな

師匠はデルセクトからずっとこの国のお酒を待ち望んでいたのに、ここにきてお預けを食らうなんて…、それに いつまでもこのままでいいわけない、やはり エリス達はルナアールを追って 師匠の魔術を解かせる必要がありそうだ

しかし…どうやって追う?どうやってこの雪国を超えていく、今のままじゃ旅どころの話じゃないぞ

「ん?なんだい?エリスちゃん達 ルナアールを追ってるのかい?」

「え?、あ はい…どうしても奴にやってもらわなきゃならないことがありまして」

ふと、クンラートさんが目を丸くして聞いてくる、そうだ 追っている、だが追うにしてもどこにいるのかわからない以上、また奴が予告を出したところに居合わせなければならない、となるとこの国を縦横無尽に移動出来る そんな移動手段が必要だ

けど、今のところそんな手段に覚えはないのが現状だ

「ふむ……、なぁ 良かったらうちの劇団と一緒に来るかい?」

「え!?一緒にって…いいんですか!?」

「ああ、今回はなんとかなったが ジョセフが辞めた以上うちは主演晴れる男優がいない状態だ、だから もしうちの劇団の役者としてならどこにでも連れて行ける」

役者として エトワール中を回る、確かに 旅劇団のクリストキント旅劇団の皆さんと一緒なら十全に旅が出来る、何せ彼らはこの雪国エトワールでそもそも旅をしている人たちだ

雪国の歩き方について知識のないエリスでは知らないことも知っている、そんな人たちと旅が出来るなら願っても無い申し出だ、でもいいのかな 巻き込んでしまって

「いいんでしょうか…」

「エリス…」

ふと、師匠が口を開く、相変わらず子供同然の小さい姿だが、その目は 顔つきは今までの師匠と同じで…

「お前は助けを求め伸ばされる手は出来る限り握るだろう」

「はい…」

「なら同じように 助ける為に差し伸べられる手は握るべきだ、お前は今までそうやって旅をしてきたはずだ」

「それは、確かに」

エリスは今まで一人で旅をしてきたことはない、アジメクではデティ達と アルクカースではラグナ達と デルセクトではメルクさん達と コルスコルピではみんなと、なら このエトワールでも同じだ

それはどれだけ強くなっても変わらない

「…クンラートさん」

「なんだい?」

「エリスを 役者として同行させてください、ルナアールを捕まえる その日まで」

「ああ!、いいとも!、お前らもいいよな!エリスちゃん達と怪盗退治!乗ってくれるよな!」

「おー!、なんかすげー面白い話になってきたな!」

「これで私達が怪盗捕まえたら…貧乏劇団から一気にスターじゃない!?」

「弱小旅劇団が怪盗退治…、なんか 劇の中みたいだ!」

エリスが頭を下げれば クンラートさんや多くの団員達が気炎をあげる、エリスを旅に同行させてくれるばかりか 怪盗退治まで一緒に手伝ってくれるというのだ、有難い…旅先で協力者を見つける瞬間というのは いつも心が温かくなる

「ありがとうございます、皆さん」

「うん!、これからもよろしくね エリスさん」

するとナリアさんがエリスに歩み寄りその手を取る、元を言えば彼がエリスを助けてくれたから始まったんだ、どこまでも世話になってしまうが その分役者として、恩を返し続けよう

「はい、よろしくお願いします」

「うん!、…またエリスさんと共演出来るなんて 嬉しいなぁ」


こうして、エリスのエトワールでの旅が始まった、ナリアさんとクンラートさん達クリストキント旅劇団の皆さんと共に、怪盗ルナアールを追いかける旅路

それがどのようなものになるか分からないけれど、それでも今はただ 進む事しかできない、前へ前へ、いつものように


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