孤独の魔女と独りの少女

徒然ナルモ

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六章 探求の魔女アンタレス

131.孤独の魔女とエウプロシュネの黄金冠

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コルスコルピ 秋の収穫祭、その歴史を遡ると少なくとも八千年以上前から続いている祭りとして知られる、コルスコルピの前身 双宮国ディオスクロアの時代から続いているらしく、世界最古の祭として今なお続いている行事だ

この時期になると 中央都市では大々的に祝われ、この日ばかりは学園も丸一日休みとなる、故に生徒達は街に並ぶ露店や祭りに参加し 一日遊んで過ごす…というのが通例だ

「おう、焼き菓子一つくれや」

「あいよ!兄ちゃん!」

大通りに展開する露店群の一角で焼き菓子を購入する赤髪の青年 ラグナは、手持ち無沙汰に一人ブラブラ街を歩く、今日は一日 俺は一人で過ごすこととなる

「んん、…んめ」

サクサクした食感の棒状の麦菓子を食うながら考える、今俺は一人…ハブられたわけじゃないぞ?

というのもいつものメンバー エリス・デティ・メルクさんはこの収穫祭のメインイベントにしてフィナーレを飾る演劇 『エウプロシュネの黄金冠』への出演が決まっているからだ

まぁ、半ば事故みたいな形で決まったにせよ、もう言い逃れも出来ない状態だしね、三人とも本番の時間までみっちりレッスンだ、本番では各国の偉い人達が一堂に会するからな 下手な芝居は見せられないからな

「エウプロシュネの黄金冠は日が沈む頃…だったか、まだ時間があるな」

露店で焼き菓子を買いながらそれを頬張り 天を仰ぐ、まだ演劇の開始には時間がある…

当然ながら俺も演劇は見に行くつもりだ、エリス達が出ているから というより、各国の王族達には普通に招待状が出されている、そして俺もその王族の一人だ なので普通に出席義務がある

本当ならメルクさんもデティも呼ばれてしかる人間だが、生憎舞台に出る側だからな…

「しかし、俺一人とは寂しいなぁ」

本当ならみんなと祭りを楽しみたかったが、神聖なる演劇にはいくつも制約がある、なんでも その劇に出る人間はその日は演劇が終わるまで 劇に出ない無関係の人間と接触してはならないというものだ…、なので俺は一人寂しくこんな所で焼き菓子を食ってるわけだが…

思ってみりゃ俺、エリス達以外にこの学園に友達いないな…、もっと交友関係を広めておいた方が良さそうだな、こういう場での友人は一生の物と聞くし

なんて思いながら一人歩いていると、正面から見覚えのある顔が歩いてくる…あれは…

「おや!!!、ラグナくん!!!」

「ガニメデ…久しぶりだな」

ガニメデだ、ガニメデ・ニュートン 俺達と争いそして敗れ、食堂放火の云々により一時的に停学になっている男だ、それが平然と街を歩いている、まぁ 牢に入ってるわけじゃないしな、こういう祭りの日くらいは外に出るか それに火をつけたのはこいつ自身じゃないし

「今日は外出か?」

「いや!!、今日で停学が解除されたからね!!、勇んで学園行ったら休みだった!!はははは!!!」

そうか、もう停学は解除か…食堂一つ焼き飛ばした罪がほんの数ヶ月の停学、い彼自身は実行犯じゃないからだろうな

「これでまた学園で正義の味方ができるよ!!!!」

「程々にしろよ?、また前みたいに生徒に怯えられたら…」

「分かってる!!、…僕はこれから 一人で正義を成していく!、悪者を倒すためではなく弱者に手を差し伸べるため!!、どんな小さな物でも 助けるのが正義の味方だからね!!」

「そうか、そっちの方が俺は好きだよ」

あれから 俺の言った事をこいつなりに飲み込んで、また新しい正義の形を模索しているんだとしたら、それはそれでいいじゃないか…多分今のこいつなら、前みたいに暴力的な正義に出ることはあるまいよ

「しかし、一人で活動するんだな?、ジャスティスフォースは?」

「あれはもう解散したよ!!、今の僕はジャスティスフォースに非ず!…その名も」

というとガニメデは何処からかフルフェイスの兜をすっぽりと被り…、何処からか真っ赤なマフラーを風に乗せ、天来の斜光を表すようなカッコいい決めポーズを取り…

「謎の戦士!その名も『仮面ファイター』!!これなら僕がガニメデだとバレることはないからね!!、相手も萎縮しないと思う!!」

なるほど考えたな、自分の権力に頼らないために 自分の素性を隠して正義の活動をするか、…まぁ 謎って自分で言ってたり、何処からどうみてもガニメデであることには言及しないことにする

しかし…

「…かっこいいな」

思わず口を割る、煌めく兜 たなびく真紅のマフラー、謎の戦士感がかっこいい…俺も真似したいけど…、エリス達の微妙そうな顔が眼に浮かぶしなぁ 、彼女達に変人奇人扱いされるのは嫌だし やめておくか

「おや!ラグナ君もやりたいかい!?君ならいいよ!、是非とも仮面ファイター二号として僕のサポートを…」

「俺はやるなら一号がいいよ」

「……やはり相容れないね!僕達は!」

飽くまでやるならの話だが、俺は一という数字が好きだ 二号だとなんか後追いみたいだし、まぁ後追いなんだけどさ、やらないし

「では僕はいくよ!、この祭りの混雑だ!困ってる人がいるかもしれないからね!」

「おう、俺達も何か困ったら仮面ファイターを頼るよ」

「分かった!ではさらば!とうっ!」

というとガニメデはくるりと宙へ一回転して何処かへ消える、…相変わらず人生楽しそうなやつだな

ガニメデが去った後、俺はしばらくそちらの方を見て焼き菓子を貪る、…さてと 何するかね、せっかくの祭を呆然と過ごすのはもったいないし かと言って何をしようにも

普段遊びとは縁遠い生き方をしているせいで、こういう時何をしたらいいか全然わからない

「何すっかなぁ、せっかくの祭りなのに家に帰るのもなぁ…ん?」

すると、脇道に 人だかりができているのが見える、というか聞こえる その奥から こんな声が

「さぁさぁ!腕に覚えのある奴はよっといでー!、コルスコルピ秋の収穫祭名物喧嘩祭だ!、腕に覚えのある男はよっといで!学生だろうが大人だろうが関係なし!、優勝商品チャンピオンベルトとコルスコルピ最強の称号だ!、欲しい奴はよっていでー!」

喧嘩祭か、アルクカースじゃほぼ毎日行われているが…そうか、ここでやってるのか、へぇ~…

「んくっ…、面白れぇ」

残った焼き菓子を口の中に放り込み、拳を鳴らす 一丁暴れてくるか…

…………………………………………

「ええっと、この後はこう動いて…あそこでああして…」

「衣装の準備は出来てるの!?小道具の数が足りないんだけど!」

「すぐ持ってきます!」

「緊張してきたぁ~…」

あちこちから 喧騒が聞こえる、皆緊張を紛らわせるようにそして忙しそうに動き回る、コペルニクス城の一室、今日ここは丸一日 伝統ある演劇『エウプロシュネの黄金冠』に出演する役者や裏方達の準備室となっている

そんな部屋の片隅、エリスは椅子を置いて台本を眺める…もう全部覚えているけど、他にすることもないから、忙しそうにしている人を目の前にエリスも何かしなくてはと本を開いて誤魔化しているのだ

…気が重い、こんなに気が重いのはソレイユ村以来だ

「はぁ…」

役者か、やりたくないな…その気持ちはこの場に来ても変わらない、ハーメアという忌み嫌う存在と己が重なり 嫌でも意識してしまう、あの館での出来事を 捨てられた事実を ステュクスの顔を、出来るなら 一生こういう物には関わらず生きていきたかったけど、ままならない物だな…

「エリスちゃん…だよね」

「え?」

ふと、台本から視線を移すと、目の前には見覚えのある生徒…ピアノ担当のフォルテ先輩だ、三年連続でこの演劇の演奏担当に選ばれているからか、他の生徒と違って余裕だ

そんな彼女が、エリスの目の前に立ちながら やや困った風に笑う

「どうしたの?浮かない顔して…」

「いえ、ちょっと緊張していまして」

「嘘だよね、それ…緊張するっていうのはああいうのを言うんだよ?」

とフォルテ先輩は横を指差す、そこには青い顔して台本を読み込み 発声練習をしているメルクさんとデティがいる、二人ともエリスと共に演劇に関しては初心者 エリス的には二人の歌声も悪くないと思うが、それでも出来栄えと緊張の度合いは比例しない

「貴方の顔は緊張というより別の物に心を奪われてる顔かな…」

「分かるんですか?」

「まぁね、私 この学園に入る前からエトワールで劇団に所属していたから、本番前の役者の顔は見慣れてるの」

エトワール…芸術と美術の国、凡ゆる絵画と音楽 そして演劇の聖地とも言われる国で劇団に、なるほど だから生徒の中でも特出した演奏スキルを持つのか

エトワール…行ったことはないからどういう国かはわからないけど、聞く感じによるとアルクカースの戦争を美術芸術に置き換えたような国っぽい

「…貴方の歌声は とても澄んでいて…清らかで、それでいて芯がある けれど、どこか濁りを感じるのもまた事実、有り体に言うなら 楽しそうじゃないかな」

楽しそうじゃない…か、まぁ楽しくないな というより集中出来ない、ハーメアのこと 捨てられたこと その他諸々が嫌でも溢れてきて、エリスは嫌な人間になる、そんな気持ちが きっと歌声にも溢れてるのだ

ダメな事である意識はある 物凄く嫌な人間になっている自覚はある、エリスが外からその様子を見れば なんてみみっちい人間なんだと思うが、こればかりはどうにも割り切れない

「聞いた話じゃエリスちゃん…演劇好きじゃないんだって?」

「…はい、色々ありまして」

「まぁ人の好き嫌いは普通のことだから 責めたりしないよ、私にだって嫌いなものはあるしね、才能のあるものが好きとは限らないからね、でもさ」

するとフォルテ先輩はキッとエリスを睨み 指を指す、エリスが 気圧されるほどの凄みを見せ

「エリスちゃん自身が演劇を嫌うのはいい、けど…舞台に上がったら貴方はもうエリスじゃない、喜びの王妃エウプロシュネなの、エウプロシュネは演劇とか 好き嫌いとかそう言う感情は決して抱かない、万人に喜びの歌を届ける 一人の王妃として舞台という狭い世界を生きる存在になるの、…いくら演劇が嫌いでもその気持ちをエウプロシュネには引き渡さないで」

「っ…」

エリスは…エウプロシュネ、それは主演としての役割を果たせ という意味ではない

エウプロシュネは生きているんだ、舞台という世界で 演劇の中という世界で、確かに生きている それをエリスが表現するのではない エリスがエウプロシュネになりきるのではない、エリスがエウプロシュネに変わるんだ、演じるとはエウプロシュネになって生きるということなのだ

エウプロシュネにとっては それが劇とか役者とか言う意識はない、ただ 己の使命を果たすために歌うだけ、そこに母親との確執も何もないんだ…

エリスがどれだけ上手く歌っても、その感情という不純物が混じる限り エリスはエリスのままだ、エリスは…エウプロシュネという一人の女性に芯から変わらなければいけないんだ

「……」

「分かってもらえた?」

「…まだ、よくわかりません」

「まだね、…うん 分かった、なら本番までになんとかしておいてね、エリスちゃん」

エリスはもう一度台本を開く、覚えているから関係ない なんてことはないんだ、エウプロシュネの事を理解しなくてはいけない、役者は嫌いだけど 演技は嫌だけど、エウプロシュネになる以上 そんなこと言ってられない

熱心に台本を読むエリスを見て、フォルテさんは満足したのか 軽く微笑み立ち去っていく…

「エウプロシュネの…黄金冠」

エリスはもう一度 台本を読んで世界を思い描く

エウプロシュネの黄金冠の概要はこうだ

ある所に 美しい三人の王妃がいた、皆見目麗しい姿から 民から人から好かれており、三人の姫は仲睦まじく暮らしていた

エウプロシュネは美しく 見るものに喜びを与え

タレイアは愛くるしく 花さえ開かせ

アグライアは凛々しく 輝きを放っていた

三者三様の美しさを持つ三人、しかしある日…一人の村娘の問うた言葉が 争いの火種となる

『三人の中で一番綺麗なのは誰なの?』…と

最初は気にすることはなかった三人の王妃、しかし その言葉は次第に伝播し、国民や国王を巻き込み、三人の中で誰が一番美しいか相争うようになってしまう

タレイアもアグライアも、自らの国に誇りを持っている 故に支持してくれる者の為に自らの国の為に、他の二人よりも自らの方が美しい事を歌で訴えかける

その歌はやがて争いとなり ぶつかり合い、戦火が生まれ 大地は焼けていく、その様を見たエウプロシュネは酷く悲しみ 争う二人に 争う国に 争う人に、美しき歌を届け、争いなど無意味である事を 自らの為に争わないで欲しいことを涙ながらに歌い、その歌に心打たれた者達は皆 鎮り、エウプロシュネのお陰で不毛な戦いは幕を閉じる事となる

戦火を抑えた王妃エウプロシュネには 誰よりも美しき黄金の冠が与えられ、その見た目よりも美しい心を皆から歌で讃えられる

そんな内容だ…、ちなみにエウプロシュネ タレイア アグライアの三人は実在する人物として知られる、特にエウプロシュネは歴史の本を開けば名前が出てくるほど有名だ

本当の名を魔術導皇エウプロシュネ・クリサンセマム…つまりデティのご先祖様 遥古の魔術導皇なのだ、もしかしたらスピカ様あたりに聞いたらどんな人だったか教えてもらえるだろうが 

今はそんな事どうでもいい、肝心なのは史実の魔術導皇エウプロシュネがどんな人間だったかではなく…喜びの王妃エウプロシュネが何を思うかだ

きっと、エウプロシュネはタレイアとアグライアのことを真に友人として好いていたはずだ、でなければ彼女は友の為に歌わない…己の為に歌うはずだ

優しく友達思いで…エリスからすると些か人間離れした超然とした人間に思える、…それを表現するのではなく 彼女になる、エリスが…エウプロシュネに…

「ではー!最後に本番形式で通しの稽古をやるわよー!、みんな万全に準備は出来てないだろうけど 今あるもので最高のものを出すように頑張って!」

すると、指揮をとる教師の声が聞こえてくる…、最後の稽古 もう後には引けない、エリスは一人静かに台本を閉じ 立ち上がる

……………………………………………………………………

「コルスコルピ秋の喧嘩祭り優勝者!ラグナ・アルクカース!」

「コルスコルピ恒例 秋の腕相撲大会優勝者!ラグナ・アルクカース!」

「コルスコルピ秋の大レスリンググランプリ優勝者!ラグナ・アルクカース!」

「コルスコルピ秋の張り手我慢比べ優勝者!ラグナ・アルクカース!」

あちこちで行われる男の為の肉体祭り、女の祭りがエウプロシュネだとするなら男はこっち とでも言わんばかりの充実具合、例年様様な男達が挑むこの大会…されど今年は一人の人間により制圧される事となった

「へへへ、総ナメにしてやった」

八つのベルトを両肩にかけ 屋台で買った肉を頬張るラグナ、コルスコルピ八大大会 その全てを制覇し一日にしてコルスコルピの伝説に名を刻んだラグナは誇らしげに街を闊歩する

いやぁ、思ったよりも楽しい祭りだな 暇を持て余した男を誘い込むイベントがあっちこっちで開かれてる、お陰で退屈せずに時間を潰せた

祭りの主催者からも是非来年もと頼まれたのでチャンピオンとして来年も挑むつもりだ

「ふぃー、楽しかった…」

ふと空を見ればあれだけ青かった空ももう黄昏ている、そろそろエウプロシュネの公演時間も近いか?

なんて思っていると

「さぁさぁ皆さんお待ちかね!、コルスコルピ秋の収穫祭を彩る最後の大祭!、男の中の男を決める 男の祭典!、コルスコルピ秋の最強漢決定戦!受付終了はもうすぐだよ!!」

直ぐそばで何やら面白そうな祭りの受付をやっている、見れば屈強な男達が武器を抱えて群がっており…

なるほど エウプロシュネの黄金冠が優雅な貴族のフィナーレとするならあちらは街人たちによりフィナーレということか

昼の大会全てを制覇した俺としては是非参加してコルスコルピに名を残したいが…、今からあれに参加してたらエウプロシュネに間に合わないな、楽しそうだが仕方ない 今年は見送ろう、どうせ俺は三年間ここにいるんだ また来年参加すりゃいいや

そう心に決めて俺は踵を返し一旦家に向かう、屋敷の俺の部屋に戻りベルトを全て置き クローゼットの奥にしまってある王の装束を取り出す

「久しぶりにこれに袖を通すな…」

制服ではなく王の衣装に着替える、すなわち俺は今より学生ではなく 王としてコペルニクス 城に向かうこととなる、しかし 王の衣装がクローゼットに私服同然として置かれているとは、なんともシュールだ ベオセルク兄様に見られたら小言を言われそうだな

まぁいいや、ともあれとっとと城に向かおう、そのまま王の衣装で外に出て 一人大通りを歩く

「何あの人…」

「王様の格好してるよ」

「祭りだからって浮かれすぎじゃない?」

…ふと、周りからヒソヒソと声が聞こえる、俺の格好を見て奇異の視線が集っているのだ、…まぁそりゃそうか 王の格好をしたやつが一人で待ちながらうろついてんだ、嫌でも目立つか

俺を王であるとは誰も見てないようだ、祭りにかこつけて王の衣装をした変人…とでも見られてるのかな、それは俺に王としての威厳がないからだろう 悲しい事だ

護衛の一人でも連れてれば違うんだろうけど、生憎 今俺の護衛を務める王牙戦士団は国王の不在の穴はを埋める為 祖国に釘付けだ

なんて考えながらも足を進め、街の中心部…から少し横に逸れた地点 この国の王城 コペルニクス 城へと辿り着く、普通城ってのは街の中心に余るもんだがこの街は違う、学園の方がこの街この国では重要度が高いのだ

とは言え来賓を招くのは城の仕事だ、国外からも沢山の客がくる、故にこの手の格式高いパーティはこの城で執り行う 普通のことだ

そして、城の目の前に着く頃には俺の浮いた気配も消えていた、周りにいる人間が俺と同じ形式ある格好をしているからだ

エウプロシュネの黄金冠は一般市民も見ることが出来るが、基本的には来賓向けに行われる、貴族や王族 豪商や資産家 彼等は一応学園のスポンサーだからな、無下には出来ない 故に特別扱いだ


「お待ちしておりました、マリアニール殿 遠路遥々良くぞお越しくださいました」

ふと見てみれば城の入り口で一際大きく歓待を受ける女性がいる、その格好は王族達のような煌びやかなものではない 、無骨な鎧 無骨な剣 そして流麗な顔立ちの女騎士、ともすれば一兵卒に間違われそうな姿だが…その名を聞いて彼女をその辺の兵士と同格の扱いをする奴はいない

悲劇の騎士マリアニール、本名をマリアニール・トラゴーディア・モリディアーニ 長ったらしい名前だが、トラゴーディアとは悲劇の騎士に与えられる名のようなもので…ってそれはいいな

重要なのは彼女が魔女大国の一つ エトワールに於いて最強の騎士である ということ、つまり彼女は魔女大国の最高戦力ということ、この国のタリアテッレ デルセクトのグロリアーナ  アルクカースのデニーロと同じく 大国を守護する存在の一人ということ

マリアニールもこの学園の元生徒ということもあり、毎年エウプロシュネには顔を出しているようだ、彼女も騎士でありながら劇団を所有し また劇作家であり役者でもあるという色々てんこ盛りな人だ

しかしまぁ…こうして目の前にすると嫌でも伝わってくるな…、あの人の隙のなさ、すげぇ強いんだろうな 多分俺よりも強い

喧嘩ってみてぇ

「む、…お前は」

「あん?」

ふと、目の前で声をかけられ視線を移すと、目の前には豪奢な服を着込み 見るからに偉そうですって感じな格好の王子がいた、いや この国で王子と呼べるのは二人しかいないし 立派な奴は一人しかいない

「よう、イオ」

「随分 気楽に現れたものですね、ラグナ陛下」

イオだ、王子としての正装を着込み 俺の前でムッと嫌そうな顔をしている、なんでこいつが とは思いはしないさ、ここってばこいつの家だし、家に招くんだ 王子自ら歓待もするか

するとイオは嫌そうな顔をしながらも頭を下げ

「先日のカリストの暴走の件 収めて頂きありがとうございます、カリストのあの行動は私も予期しないものでした、お陰で 今年のエウプロシュネも恙無く開催出来そうです」

カリストの件か、やっぱあれイオも承知の事態じゃなかったのか、まぁイオは飽くまで学園の秩序を前提に動いている カリストのやり方は相容れないだろう、しかし礼を言ってくるとは …損害こいつ 柔軟な奴なのかな

「いやいいさ、俺も友達に手を出されたから相手したわけだし イオ殿下の為ってんじゃない」

「だとしてもです…、しかし それはそれ、貴方達がノーブルズへの対立姿勢を辞めぬ限りこちらも引く気はありません、いや 最早我らノーブルズは貴方達を打倒しなければ 失われた信頼を回復できぬところまで来ている」

「そうかい、俺も アマルトとは決着をつけたいし…お前らがかかってくるなら都合がいい」

「っ…、アマルトと?…そうか」

アマルトの名を出すとイオは意外そうな顔したり納得したような顔したり悲しそうな顔したりとコロコロ表情を変える、忙しいやつだ

「まぁ、学園では敵同士でも今は招く側と招かれた側、私は招いた身としての役目を果たしましょう、案内しますよ?ラグナ陛下」

「そりゃありがたい、友達が出るんだ 一番いい席へ頼むよ」

「承知した」

イオの案内を受けて城の中を歩く、コルスコルピ城 …壁はやや黒ずんだ石の壁 地面には時の流れを感じさせる褪せた赤絨毯、どちらも古臭いが やはりというかなんというかよく手入れされている、この国の人間はみんな物持ちがいいが ここはその最たるものか…

「いい絨毯ですね」

「私の高祖父の時代から使われている絨毯です、そして 私の玄孫まで使われる絨毯でもあります、コルスコルピは時の流れこそを美徳とする 他国の人間は我らコルスコルピ人を古ぼけた物をいつまでも大切にすると笑いますが、私からしてみれば 古い物はどんな高級品にも勝ります、時の流れは金では買えませんからね」

「確かにな、新しい物には新しい物の良さがあるように、古い物には古い物の良さがある、今まで大切に使われてきたって歴史は一朝一夕じゃ手に入らない、そこを重んじる心意気は 俺達も見習わないといけないな」

なんてあちこち見ながら適当に思ったことを口にしていると、場内を歩くイオの足が止まりくるりとこちらを向く、な なんだ?適当なこと言ったのバレたか?

「…ラグナ陛下」

「な なんだよ」

「私は今貴方と敵対していることを悔やんでいる、貴方は理解ある王だ」

「お…おう」

氷のような澄まし顔でそれだけ言うとまた前を向き歩き出す、…祖国の価値観を褒められて嬉しかったのか?、案外可愛いやつだな、こいつ…

「そう言えばピエールは何処にいるんだ?」

「彼奴は…、こう言う格式張ったところが嫌いなので」

つまり王族の役目をサボってると、頂けないねえ …何が頂けないって 兄貴にこんな気を遣わせるなんて弟失格だ、兄は大切にしたほうがいい 少なくとも俺はベオセルク兄様もラクレス兄様も大切にしているつもりだ、いつも苦労と心配をかけてばかりだけどさ

「さて、ラグナ陛下…こちらが特設の舞台になります」

そう言ってイオは金の装飾が施された真っ赤な扉の前に着き、その扉を無遠慮に開ける…

特設の舞台、というと 急拵えで建てられた即席の屋台骨丸出しの無骨な舞台が思い浮かぶが、俺がイオに案内されたそこは 立派な劇場だった、斜面に並べられた椅子と豪勢な大舞台 、城の中にいきなり劇場が現れたと言ってもいいくらい、そこには完璧な舞台が備えられていた

「こりゃ凄い…、俺はもっとこう 簡素なもんかと」

「毎年使うものですからね、各国から客を招く舞台を その都度建て直すより もう城の一角を丸々劇場にしてしまったほうが早いと、かれこれ4~500年前からこうなっているんですよ」

確かに、毎年使うもんな その都度建て直してたら面倒か、しかしすげぇ豪華さだ うちの国にゃこういう芸術鑑賞をする場がないから新鮮に感じる

へぇ~こういうところで劇見るんだぁ~へぇ~すげー

「ラグナ大王は最も良い席へどうぞ」

そう言いながらイオが通すのは豪華な観客席の更に区切られた一角、一番舞台上の声がよく聞こえるところだ

「いいのか?」

「別に好意からではない、ただ今日この場に現れる人間達の中で 貴方は一番身分が上だ」

なるほど、確かに小国の王とかと俺を一緒にされても困るわな、特にノーブルズを率いるイオにとっちゃ重要なことだ、何せ俺はこの国の王様 イオのとーちゃんと唯一どっこいの存在 魔女大国大王なのだから

んじゃ、ありがたく座らせて貰いますかね と軽く会釈をして案内された椅子にどかりと腰をかける、いい椅子だな 尻が沈み込むようだ…

しかし…と右を見て左を見る、どうやら俺は中心のようだ、観客席の中心というわけではない

この席の座り順はいい席にはいい身分の人間を という意思の元選ばれているらしい、なのでこの場で一番偉い俺は最も良い席へ、そして俺を中心に 外に行けば行くほど身分の低い人間 中であればあるほど地位の良い人間のようだ

現に壁側に座らされているのは一般参加の市民達だ、もしエリス達も加えたいつものメンバーで来たなら俺とメルクさんとデティは中心に、エリスだけ最も外側に座らされるだろう

エリスは魔女の弟子だが、社会的地位は皆無の旅人だからな

「隣 失礼する」

「え?、あ はい」

ふといきなり声をかけられ間抜けな返事が出てしまう、声の主は俺の隣に音もなく座り…、俺の隣?ってことは声の主は魔女大国の王たる俺と同格の…

「ふむ…やはり劇場の空気はいい」

まるで紫水晶のような美しい紫髪、涙のように溢れる目元のホクロ 無骨な鎧に身を包んだ悲劇の騎士、それが俺の隣に座り 満足げな顔で劇場を見つめていた

マリアニールだ、エトワール最強の騎士マリアニールが俺の隣に座っていた

「マリアニール殿?」

「む?…貴方は…?」

「ああ、これは失礼 申し遅れました、俺はアルクカースの王 ラグナ・アルクカースと言うもので…」

「おお、貴方が」

思えば この人は魔女大国で最高戦力を務める人間、謂わば魔女大国の代表だ、そんじょそこらの王なんか抑えて中心付近に座るに値する人物だろう

彼女は俺の顔を見るなり顔を綻ばせ…、胸に手を当てると小さく頭を下げ

「私はマリアニール・トラゴーディア・モリディアーニ…国王より悲劇の騎士の名を拝命せし騎士の端くれ、今宵 どうか王の隣にて劇を観覧する無礼をお許しください」

おお…めっちゃ騎士、アルクカースの戦士とはまた違う礼儀正しい雰囲気にこっちも思わずにやけてしまう、なんかいいなぁ 敬われてる感じがして

王を立てるのが上手い騎士だ、振る舞いも完璧 流石は役者も兼任してるってとこか

「しかし、ラグナ大王もこのような劇に興味があるとは…、やはり王たるもの 美や芸に関して教養があってしかるもの、と言うべきですかな?」

するとマリアニールは意外そうな顔を…ってそりゃそうか、彼女も多分アルクカースの人間と劇を見るのは初めてだろう、何せうちのアルクカース人は何かを見続けると言うことが滅法苦手だ

一時間も二時間も椅子に座ってらなれないからな、だからマリアニールも意外なのだ

「いえ、その 今日は俺の友人が劇に出るんです」

「ラグナ大王のご友人が?、…それは演技のご経験は?」

「いえ…無いはずですけど」

と答えると今度はマリアニールの顔が曇る、分かるぞ この顔は納得の言ってない顔だ、騎士でありながら劇団を保有し自らも役者であるマリアニールからすれば ロクに練習もせず苦労もせず舞台に立つことさえ頂けないんだろうな

うう、しかもみんなは殆ど練習が出来ていない…こりゃ文句を言われそうだな

「おや、そこにいるのはラグナ大王と…マリア?」

「ああ、アーナ!久し振りだ!会えて嬉しいよ!」

「アーナ?」

マリアニールが俺の後ろに立つ人間に向けて満面の笑みを浮かべる、アーナ?…誰だ?とこちらも続いて目を向ければ…、黒曜の如き黒長髪 キラキラと光を反射する黄金の鎧 ああ、一度お会いしたことがあるなこの人は

アーナ…いや、グロリアーナ・オブシディアン デルセクトの連合軍総司令官を務める人間にして、デルセクト最強の戦士…いや 悪いが俺の見立てじゃこのカストリア大陸最強までありえる人間だ

うちで最強のデニーロさんと違ってグロリアーナはまだ若い、そこ点も考慮すれば このグロリアーナという人物は間違いなくカストリア最強の人間と言える

彼女も劇場に劇を見に来たのか?、いや主人たるメルクさんが出演するからだろうか…いや それが決まったのは数日前だしそう言うの関係なしに見に来たのかな

「久し振りって、去年あったでしょう」

「だけど久し振りだ、会えて嬉しいな…」

「そんなに会いたければデルセクトに来れば良いでしょう、貴方なら歓迎します」

二人は手を取り合いやけに親しげだな…俺の頭の上で二人で鎧を鳴らしながら握手して、…居辛いんだけど

「おやぁん?、懐かしい顔が揃ってますねぇん、私ちゃんも混ぜてよぉ~アーにゃん ニールパイセン」

するとさらにもう一人 その再会の場に加わることとなる

「タリア…貴方、ここは貴方の職場でしょう なんですかそのいい加減な態度と物言いは」

「アーちゃん怖いぃぃ~」

タリアテッレさんだ、世界最強の剣士にしてこのコルスコルピの最高戦力、それが今日は身軽な鎧を身に纏って俺達の目の前の座椅子の背もたれにいつの間にか立っていた

…速い いつの間に、俺でさえ気がつけなかったぞ

「タリア!久し振りだね!、ああまた君の料理が食べたい」

「ニールパイセンならいいよ、作ったげる」

「今この場でする話ではありません、タリア 持ち場に戻りなさい」

「出来の悪いパンみたいに堅いなぁアーにゃんは」

俺を中心に俺を無視して話を進める三人、俺を挟まず会話してくれ 肩身がせまいったら無いよ

しかし、本当に仲がいいなこの三人は、確かマリアニールさんがこの中で一番年上で…グロリアーナさんとタリアテッレさんは一期違いで学園に入学している謂わば学園の先輩後輩の仲だった筈だ

行ってみりゃこの世界最強クラスの人間が一堂に会するこの場、俺でさえプレッシャーで押しつぶされそうになる…すげぇ、今この場で三人に戦い挑んだらどうなっちまうんだ ワクワクする

「おやぁ?、珍しい顔が出席なされたねぇ」

そして、タリアテッレさんが口を開く 最後の…四人目となる人物がこの場に現れたからだ、グロリアーナさんの顔が険しくなる マリアニールさんの顔が強張り タリアテッレさんでさえ真面目な雰囲気となる、その気配を感じ取って

コツコツと音を立ててこちらに歩いてくる影、黒だ 真っ黒な服 龍を模した鋼の胸当てとこの祝いの場でありながら身の丈を大きく上回る槍を背負い歩いてくる女がいる

見たことがない 会ったことがない、だが分かる 今現れたこの女…

(なんだこいつ、…すげぇ威圧だ 下手すりゃマリアニールやタリアテッレさんと同格…もしかしてこいつも魔女大国最高戦力の?、いやだがここにいる三人以外もう女性の最高戦力はこの世界にはいない筈)

淡い色の髪を襟元までで綺麗に切り揃えられた髪型を一つ見るだけで彼女が真面目な人間であることが分かるだろう、水底のように暗く青い瞳は何も写しておらず ただ静かに前を向く

魔女大国最強と言われるこの三人を目の前にしても全くたじろがないどころか、寧ろこちらを戦慄させる…

「ほう、珍しい…こう言う祝いの場に貴方が出席するのは初めて見ましたよ、アーデルトラウト殿」

(アーデルトラウト?…アーデルトラウト…アーデルトラウト!?あの!?)

目を見開きもう一度その人間を目にする、アーデルトラウト!グロリアーナさんは確かにう口にした、確かにこの人に会ったことはない だが知っている、俺たちアルクカース人なら誰もが知っている女

その名もアーデルトラウト・クエレブレ…世界最大の魔女大国 アガスティヤ帝国を統べる三人の将軍『帝国三将軍』が一人にして、世界最強の一角 それがアーデルトラウト

たった一人で 一国の軍を一日で滅ぼしたとの逸話を持つほどの実力者であり、アルクカースでも彼女を打倒しようと挑み 指一本触れることも出来ず倒れた人間を何人も知っている

しかもこれで『帝国内最強』ではないと言うのだから驚きだ、帝国三将軍…魔女大国最強クラスの人間が三人もいる国、それがアガスティヤ帝国 それが世界最強の国 アガスティヤ帝国なのだ

「滅多なことでは他国に赴かない貴方が何故このような場に…」

「………………、皇帝陛下の御意思だ 私の意思ではない」

それだけ冷徹に答えるとアーデルトラウトは槍を手に持ったまま椅子に座る、…皇帝陛下 確かアガスティヤ帝国は魔女カノープス自らが皇帝として国を治める魔女大国だったか、つまりここにアーデルトラウトを送り込んだのは魔女カノープスの意思?

一体何を考えてるんだ…

「アーデルトラウト殿 席に座る時は槍を置いたらどうだろうか、槍を立てていたら後ろの人に迷惑だよ」

「……それもそうだ」

アーデルトラウトはマリアニールの正論を受け槍を地面に起き…と思ったらその動作が見えなかった、アーデルトラウトが指を一本動かしたと思ったら 槍がいきなり地面に移動した、間にあるべき工程が丸々すっ飛んだかのような不可思議な光景に目を丸くする

なんだ?魔術を使ったのか?まるで分からん…、と言うかなんだこの状況

右にはエトワール最強のマリアニール 左にはデルセクト最強のグロリアーナ、正面にはコルスコルピ最強のタリアテッレ、そしてグロリアーナさんの隣には帝国三将軍の一角 アーデルトラウト

この世界最強クラスの女性陣が揃い踏みじゃないか、…肩身が狭い 年上の女の人に囲まれると流石に緊張する、うう 知り合いがいなさすぎる

と言うかアルクカースからは誰かきてないのか?、この流れならアルクカース最強のデニーロさんが来てそうだけど、もうあの人も歳で隠居間近だ 長旅はキツかろう、となると次点で強いのはベオセルク兄様だけど…あの人は今子供がいるし 何よりあの人がいなくなると国が成り立たない

つまり誰も来ない、我がアルクカースの層の薄さを感じるな、いや層が厚くとも来ないか、毎年やってるにも関わらず俺この劇知らなかったし

「皆様、大変長らくお待たせいたしました、 これよりこの華やかなる収穫祭のフィナーレを飾る 歴史ある歌劇『エウプロシュネの黄金冠』を開演させて頂きます」

何やら舞台袖から出てきたやたら声の通る女子が手を挙げ挨拶をしながらペコリと頭を下げる、…うん 挨拶は完璧だ、顔面蒼白で冷や汗を滝のように流してなければだが

「 今年の主演は誰になったのか、フォルテ嬢の演奏は今年も聞けるだろうか…楽しみだ」

ニマニマと全身から嬉しさと待ち遠しさを表し椅子に座るマリアニール、この人は本当に演劇というものが好きなんだな、頑なに演劇を嫌うエリスとは正反対だ

「…む、そう言えばメルクリウス様がいませんね…まさか」

ふと、俺の方を見たグロリアーナさんが何かに気がついたように口を開く

「じゃあ私ちゃん仕事に戻るね、流石に今日ばかりは仕事せんとクビになるわ」

寧ろなってないのが不思議なくらいのタリアテッレさんはひとっ飛びで何処かに消える、むぅ速い 俺の数倍は速いぞ、こりゃまだ魔女大国最強クラスとやっても勝てんか…しかし、ベオセルク兄様なら近いうちにこの領域に行けそうだな 俺も負けないようにしないと

「………………」

そんな中アーデルトラウトは静かに舞台を眺める いや睨みつける、あれはもう観覧ではない 監視だ、あんな怖い顔で見るもんじゃないと思うが

なんて、皆が皆それぞれの思惑と視点を持ちながら、観客席に集まった数百強の顔は全て 舞台の上へ 閉じられた幕へと注がれ…そして

「では、開演となります…」

始まった…、エウプロシュネの黄金冠が


舞台の上には綺麗な森が描かれ まるでそこに世界があるかのような美麗な情景が広がっている

村娘に扮した乙女達の語り口によって舞台は始まる、美しき三人の姫の噂から


輝きの王妃アグライアが如何に可愛らしく 愛くるしいかを乙女は語る

それと共に舞台の上に件の王妃アグライアが現れる…デティだ、小さな背丈に合うように元ある衣装を急ピッチで作り変えたお陰で 変にダボつく事はないが、あれじゃあ王妃というより お姫様だな、それもかなり幼い

『わたしは 輝ける王妃アグライア!、祖国を 愛しき民を、この輝きで照らすもの!』


「…………?」

デティははっきり言えばかなりまともに演技が出来ていた、昨日今日練習を始めたとは思えないほど声が通っており、あまりの巧さに恍惚とする…ほどじゃあないが、想定してた最低ラインを大きく上回るものだ

しかし、俺の隣のマリアニールさんは眉を顰める

続いて現れるは開花の王妃タレイア、凛々しく勇ましい王妃…メルクさんだ

スラットしたスレンダーなメルクさんは何を着ても似合うが やはりドレス姿は様になる、彼女が舞台に現れた瞬間 会場がどよめくほど美しい


『花は咲き 人は笑い 世を尊ぶ、この身に与えられし使命 そしてそれを叶え得る力への感謝を示す為、妾は民を慈しみましょう』

「メルクリウス様…」

俺の隣のグロリアーナさんも何やら満足そうに頷いている、事実メルクさんの演技は…まぁー うん、悪くはないと思う 良くはないが、やや緊張気味なのか声が硬い、しかしそこは同盟首長、セリフを間違えることも噛むこともなく自然と演じている 

俺は素晴らしいと思うんだが

「はぁ…」

マリアニールさんな失望のため息をつく、プロである彼女から見れば二人の演技 いや今舞台に上がっている全ての人間の演技が及第点にさえ及ばないのだろう

『ーーーーーっっ』

メルクさんは歌う、勇ましく されどマリアニールさんは眉を下げたままだ

『ーーーーっっ…』

デティは歌う、愛くるしく されどマリアニールさんはため息を止めない

皆が歌う 合唱する、俺から聞けば そのどれもがため息をつくようなものじゃない、が やはりプロの目は厳しいらしく、マリアニールさんの失望の顔は徐々に怒りを持ち始め

「なんだ…どうしたというのだ、今年のエウプロシュネは…まるでレベルが低い、子供のお遊戯を見ているようだ、何故あのレベルの子がタレイアやアグライアを演じているんだ…くそっ 指導したい…」

ギリギリと拳を握りこれが終わったら抗議しにこう、そんな言葉が体から溢れている…色々事情があったんですよ と説明したいが、そんなもん観客には関係ない 今出されてる物が全て、結果こそ全てなのだ

…分かっちゃあいたが、こうもあからさまに嫌な顔されると俺も傷つくよ

そして、皆の歌がひと段落したところで ようやく乙女の話はこの物語の主役 喜びの王妃エウプロシュネへと移る、その気品高さと心の優しさを歌うと共に

舞台の奥から現れる、エウプロシュネ…エリスが

「…エリス…」

思わず、息を飲む 美しいからではない、ああいや美しいには美しいんだよ?

照明を受け光沢を帯びる黄金の髪が彼女の一歩と共に揺れる、慈悲を感じさせる目はいつもの彼女のものとは違う、エリスは良くも悪くもあまり慈悲がない良いと思えば放置し悪いと思えば殴りかかる人間だ、だがあそこにいるのは…違う エリスではない

エウプロシュネが現れた、完全にエウプロシュネだ 成りきってるんじゃない 成っている、完全に

「すごいな…」

思わず呟いてしまう、顔見知りでもあるグロリアーナさんもどこか嬉しげだ、しかしあんなに演劇を嫌っていたのに…どうしたんだ?気合の入りようが昨日までとは別格だ、寧ろあの場で一番張り切ってるといってもいい

何があったのやら

…ふと、視線を隣に移す、マリアニールさんだ エリスの演技ならば及第点ではないか?、そう言いたげに彼女の顔を見ると

「……ぁ…ぉおお、そんな そんなバカな…あり得ない、そんな筈がない…彼女がここに 居るわけがない…おおお」

泣いて絶句していた、エリスの演技の凄さにって言うかエリスの顔を見てって感じだな、知り合いか?でもマリアニールはエトワールの人間、エリスまだエトワールには行ったことがない気がするが

「あり得ない…君は、死んだ筈だろう 死んだ筈だ、そうだろう ハーメア…ハーメア…」

と思ったら別人と勘違いしているようだった、誰だよハーメアって

『私は…皆が笑い喜び、今という時間に幸せを感じるのなら…それが私の喜びです』

嫋やか されど声は芯に震える、セリフは劇場内に木霊し心に響く、ある種の威圧 役者という人間の持つ一つの凄み、それを微かながらに感じる 俺は劇とか役とかそういうのはからっきしだからよくわからないけど 、うん凄いと思う 小並な感想しか出てこん

『ーーーーーッッッ!』

そして歌う、エリスの歌…最初聞いた時は『へぇ、エリスは歌も上手いのか なんでも出来るな』と思いもしたが、これは毛色が違う 多分エリスは…本来役者になる為に生まれてきた人間なのではないか、そんな言葉が浮かぶほどに 壇上で歌うエリスの姿は様になっている

「立派になりましたね、エリス」

その姿を見てグロリアーナさんは…微笑む

「間違いない、あれはハーメア…いやでも私の記憶にあるものより幼い…まさか…」

その姿を見てマリアニールさんはブツブツ何か呟いている

そして

「…………あれが、孤独の魔女の弟子…あれが、皇帝陛下の仰られた世界を割る鍵…」

帝国将軍アーデルトラウトは静かにエリスを見つめていた、一層 顔を険しくしながら

『ーーーーーッッッ……』

エリスの優しい歌声が劇場に響く、上手い下手ではない まるで布地に垂らした水のように 染み渡る心に、歌が…ああ なんかいいな劇場って、なんか涙出てきた ハンカチハンカチ

エリスやメルクさん、デティの歌乙女達の歌唱で劇は進んでいく 時に激しく 時に物悲しく、時におかしく 時に…、流れる歌が曲が観衆の心をその都度に揺さぶる

今まで演劇というものを見てこなかったが、劇とはこんなにも心が揺すぶられるものなのか、感動している 俺は今結構感動している

『かくして、三国の間で新たなる友情が生まれ その繋がりは強固なものとなり、三人の姫と黄金の冠の煌きは今なお人々を見守り続けるのです』

…狂言回しが舞台上で一礼し 話は締めくくられる、劇終 観客を引き込んでいた世界と現実世界の間に幕という固い門が閉じられ、我々は放り出されるように我に帰り手を叩く 拍手を

稚拙な劇だったろう、見るものが見れば眉をひそめため息をつくほどに 良い出来ではなかった、当たり前だ 事情があったとはいえ数日も練習に時間が取れなかった急造の劇だ、それで素晴らしい物が出来るなら 演技に命をかける者は居ない

だが、それでも伝わってきた 『なんとかこの場を凌ぎ切ろう』という浅ましい考えではなく『今あるもの、今出来ることで素晴らしいものを』という気概が 情熱が伝わってきたんだ

人は簡単な生き物で、情熱が感じられれば好意的に見てしまうもの、故に笑い指差し滑稽だと罵る物はいない、その努力にそして素晴らしい劇に賞賛を送る

これにてコルスコルピの特別な一日は終わる、皆見るものは見たと一頻り拍手をした後 劇場を後にする、この後何処かで食事でもするのか 或いは中にはコルスコルピ王と対談する者もいるだろうが、俺に特に予定はないので 席に座ったまま待つ

エリス達を待つ、今すぐ彼女達に労いの言葉を送りたいが 今はきっと幕の向こうで無事に劇が終わったことを喜びあってるだろう、呑気に遊んでいた俺はそこに参加する権利はない、なので待つ 大人しくな

ふと横をグロリアーナさんも席を立ち何処かへと消える、彼女もメルクさんと話したいだろうが、彼女だって遊びにきたわけじゃない まずは終わらせなければならない予定があるだろう

その隣のアーデルトラウトもいつのまにか居なくなっていた、なんだったのか…

ポツリポツリと劇場を去る観客たちを尻目に俺は一人エリス達の劇の余韻に浸る…

そして全ての観客が退去し誰もいなくなった劇場、広大な席には俺一人座っている、なんだか 変な寂しさを感じるな…

「…ん?」

すると、目の前の幕がちょっとだけ開けられ 手が伸びる、それと共にエリスの恥ずかしそうな顔が現れ ちょいちょいと招かれる、俺そっち行ってもいいの?まぁ主役たる彼女のお呼びだ、行かねばなるまい

席を立ち舞台に登り 分厚い幕をくぐる、なんか変な気分だな さっきまで見てた舞台に上がり幕をくぐる、背徳的というか いけないことをしてる気分だ

「お邪魔しま…す」

幕をくぐると中には舞台の上で抱き合い喜びあう女子 成功してよかったと涙を流す女子、そして出来の悪さに悔しさをにじませる女子…皆劇中の衣装のまま舞台上で大騒ぎをしていた

これは劇に参加したものの特権だな

「ラグナ、見ててくれましたか?」

「ん?、ああ 見てたよ 綺麗な歌声だった」

エリスはそんな中エウプロシュネの衣装のまま、やや恥ずかしそうに頬を赤らめ 綺麗でしたかそうですかと口をもごもごさせながら髪をいじってる、可愛い

「ラグナー!見てた見てたー!?私演技上手くなーい!?」

「はぁ、私は知ってる顔が観客席に見えて焦ったよ」

するとデティとメルクさんもドレスを着たまま現れる、昨日までの焦った顔つきではなく どこかやり遂げた 安堵の表情をしている、出来の云々ではなく無事やり抜けた事 それが重要なのだ

「デティ メルクさんも、いい演技だったよ 思わず引き込まれたっていうかさ」

「でしょでしょー!」

「そうか、…もう少し時間が取れたならと思いもしたが、そう映っていたなら良かったよ」

「エリスも、演技が嫌いだっていう割には 凄い演技だったな」

と言うとエリスは些か複雑そうに、それでいて嬉しそうに微笑むと

「まぁ、エリス個人の好み云々で頑張ってる皆さんに迷惑をかけるわけには行かないので、それに…エウプロシュネさんには罪はありません、彼女になり彼女の言葉を伝える事こそ 役者の役目だと…教えられたので」

教えられた?誰に…ああいや、劇に参加した誰かにか 

エリスの好き嫌いとエウプロシュネ自身は関係ないと割り切り、エウプロシュネ自身となり 演じ切った、それがあの気迫ある演技ということか、まぁ演技力云々に関しては飛び抜けてはいたがプロには及ばないだろう

だけど、心構えは一流だと俺は思うよ

「そっか、お疲れ みんな」

最初は半ば押し付けられた役目だったが、それでもやり抜いた達成感は得難いもの、みんなをそう労えばデティは胸を張り メルクさんは気を抜くように微笑み、エリスは 小さく笑う

これで、エウプロシュネの黄金冠 そしてカリスト云々の問題は全て解決だ、また明日から少しの間でも平穏な学園生活を送れれば少しは体が休まるが…

と 思考を学園に移した瞬間、俺の背後の幕が勢いよく開かれる

「エウプロシュネ役の金髪の子はいるか!!」

「え?」

「へ?」

背後を見れば紫の髪が…って マリアニールだ、マリアニールが舞台に乗り込み現れたのだ、お祝いムードは消し飛び いきなり現れた不審者にみんな身を寄せ合う 常識のないやつだなこの人、同じく舞台に乗り込んだ俺が言えることじゃないけどさ

「だ 誰ですかこの人…」

「この人はマリアニール、エトワール最強の騎士だよ」

「マリアニール…この人が」

なんでエリスに耳打ちするとエリスもマリアニールの何聞き覚えがあったのかああと頷く、その動作がマリアニールに見られたのか…見つかった エリスが、いや隠すつもりはなかったのだが

「君か!」

見つかった瞬間 とんでもない速度でエリスのところに走ってきた、俺でさえ止められない速度でエリスに肉薄すると共に その手をキュッと握りエリスの顔を凝視する

「………おお……まさしく…!!」

「な なんですか?何か用ですか?」

「君!、名前は!」

「え エリスですけど」

「エリスか…やはり私の知る友人とは別人か、当たり前の話だが」

そりゃそうだろ、マリアニールさんが何歳かは知らないが エリスはまだまだ学生マリアニールの友人とはまるで年齢が違うだろうに、そんなに似てるのか?その…えっと なんて名前だったか、さっきまでマリアニールが口にしていた名前…

「エリス君、君 姓はなんというのかな?」

「え?なんでそんなこと聞くんですか?」

「いいから!」

そういうと今度はエリスの姓を聞く、…そう言えばエリスの姓を聞いたことはなかったな、学園にも『エリス』としか登録されてないし、この世界の人間には大体姓がある

偶に姓を持たない部族もいる カロケリ族とかな、だが魔女大国の住人は大体持つ、エリスは自らをアジメク出身と言っていた事から姓を持つはずなのだが、…彼女は一切己の姓を名乗らない

気になるな俺も…と思い傾聴していると

「……ありません、エリスに姓は」

ムッとエリスはあからさまにマリアニールに嫌悪感を示しながら目を逸らす、無い?無いわけないだろ それとも言えない事情があるのか?、問い詰めるわけにもいかず エリスの態度に些かの疑問を抱いていると、マリアニールは言葉を続ける

「なら、ディスパテルという姓に聞き覚えは?」

「…………ッッ!?!?」

ディスパテル その姓を聞いた瞬間エリスの顔色が変わる、ディスパテル…?聞いたことのない姓だな、アジメクっぽい姓でもないが…エリスの様子がおかしい

まるでこの世で一番聞きたくない名前を聞いたかのような、目の前で汚物ぶちまけられたかのようなあからさまな嫌悪感を示し始める

「知りません、そんな姓は聞いたこともない」

知ってる顔だ、…何故惚ける 何故嘘をつく、デティに聞けば何か分かるんだろうか

「そうか、いやすまなかった…君があまりにも 今は亡き親友 ハーメア・ディスパテルにそっくりだったからね…、まるで生き写しだ」

「ハーメア…!?、が…貴方の友人?」

「ああ、彼女は演技と歌唱の天才だ 我がエトワールの誇る才人だったのだが、旅役者となって 盗賊に襲われ死んでしまってね」

ハーメア・ディスパテル…それが友人の名だと言う、マリアニールは聞いてもないのハーメアのことを語り出す

曰く、ハーメアと自分は幼馴染であること、ハーメアを守るため役者でありながら剣を学び騎士となり、騎士と劇作家と役者と劇団の座長という四足の草鞋を履くケンタロウロス状態になったこと

ハーメアと二人でエトワール史に残る伝説の名作 ヴァルゴの踊り子を作り上げたこと、国王より『悲劇の騎士』の座を任されたこと

そして、もうエトワールで演じる物は何もないとハーメアはカストリア大陸に旅立ってしまったこと

そして…風の噂でハーメアが盗賊に襲われ死んだと聞いたこと、その十数年後 ハーメアとそっくりな少女をこのカストリアで見かけ取り乱してしまったと

「………………」

エリスはそれを無表情で聞いていた、氷のような顔だ あんな顔出来たのかエリス

「すみませんでした、…親友とあまりに似ていたもので」

「そうですか、エリスはハーメアとか言う人とは全く関係ないので、すみません」

そして声音にも感情が宿ってない、表情もまるで貼り付けた仮面のようだ …今の話を聞いても何も思わなかったかのように、エリスは眉一つ動かさずそう言う…

「なぁ…エリス」

「すみません、エリスちょっと疲れてしまったので先に戻りますね、マリアニールさんもすみませんでした」

「い いえ、こちらも急に詰め寄って…」

俺の言葉も無視して マリアニールさんの声も最後まで聞かず踵を返して舞台袖へと去っていく、…どうしたんだ エリス

メルクさんもデティもエリスの態度に首を傾げる、彼女の様子はここ最近おかしい 特に演劇という言葉が出たあたりから

「…あの顔 あの声、そして歌唱と演技の才能…無関係とは思えないが、生まれ変わりか?…でも…いや、…みんな 舞台に乱入してすみませんでした」

マリアニールも訝しげに首を傾げながらも謝罪を混ぜつつ、幕を潜って消えていく

釈然としない と言った様子だ、エリスとハーメアなる人物の関連性をまだ怪しんでいるんだろう、…まぁ それは俺もだが

エリスはハーメア・ディスパテルなんて人物知りませんし関係ありません、な…わけねぇよな あの反応、知ってるし関係あるって顔だ それもちょっと関わった程度じゃない

だがどういう事だ?ハーメアは死んでるんじゃないのか?エリスとどういう関係が

「…ラグナ、どうしたの?」

「ん?…いやぁな」

ふと、デティが不安げに声をかけてくる、俺の内面を見ているのか?俺がエリスに疑心を持っていることもお見通しか、まぁ隠すつもりはないから言うけどさ

「何か…気になることでもあるの?」

「まぁな」

「エリスちゃんのこと?」

「ああ」

舞台袖に行ったエリスは帰ってこない、話すなら今のうちか、やめろデティ そんな目を向けるな、俺はエリスに対して疑心は抱けど不信は抱いていない、ただ 気になってるだけなんだ

「エリスのことで何か気になることがあるのか?ラグナ」

「うん、そう言えば俺達 エリスのこと何にも知らないと思ってな」

「何も…、確かに エリスは己のことをあまり語らないな、言い方は悪いが身分も何も分からない」

「確かに…私が最初会った時も『ムルク村にいきなり現れた女の子が盗賊を倒した』ってところからだから、レグルス様に弟子入りする前に 何をしてたかは、私も知らないな」

一番最初に出会ったデティも知らないか、ムルク村か…単なる村娘なのか?それとも、いやどれも憶測の域を出ないな

「さっきマリアニールが口にしたハーメア・ディスパテル…その名を聞いた瞬間 エリスの顔色が変わっただろう?、エリスはああ言ってるが俺は…関係あると思ってる」

「かもね、エリスちゃんの魔力…もうめっちゃくちゃに荒れてたし、ハーメアって人の名前を聞いただけでゾワゾワーってしてた、知ってるし関係あると思う」

「しかしエリスは何故嘘をつく、関係あるなら知らぬ存ぜぬを貫く必要はないだろう」

そこなんだよなぁ、言いたくない何がかあるのか…、なんだか黒いカーテンがかけられたように、彼女の奥深いところが見えてこない

彼女は何を隠してるんだ、彼女は一体何者なんだ

俺達にも…言えない事なのか?エリス

…………………………………………………………

拳を壁に叩きつける、一人舞台裏の待機室でドレス姿のまま押し黙り目を瞑る

エリスの姿はハーメアに似ている そっくりだと、マリアニールは語った、あのハーメアに…エリスを見捨てて逃げたハーメアに、エリスの気持ちを無視してあの地獄に置き去りにして 捨てたハーメアに、エリスを愛していたなんて言いながら他国で男を作り息子を作り…エリスの事なんか知らぬふりして幸せに生きていたハーメアに

エリスの姿が似ていると、…エリスは エリスを生んだ両親が嫌いだ、どちらも嫌いだ どちらもエリスを助けてくれなかった、エリスを邪魔な子供として扱った両親が嫌いだ

エリスを殴りつけたハルジオンは勿論、その男との子供であるエリスを愛するわけもなく見捨てたハーメアも嫌いだ 大嫌いなんだ

ハーメアの気持ちもわかるさ、エリスはハーメアにとって忌むべき記憶の権化 捨てられて当然だ、だが…それでもこうして嫌悪感を露わにしてしまうのは エリスが彼女の子供であることに変わりはないからだろう


再度拳を壁に叩きつける、物に当たるのではない ただ…今は痛みが欲しい、エリスはエリス自身を痛めつけたい、この体に…あわよくば 体から血を抜き去りたい、あの二人の血を


「ははは…もう気にしてないつもりだったんですが、やっぱり目の前で話されると 思い出してしまいますね、あの頃を」

怒りや恨みはマレウスのソレイユ村に置いてきたつもりだったんだが、そう簡単には割り切れないか、そうエリスは力なく笑う

目の前を見れば姿見がある、映るのは見目麗しいドレスを身に纏ったエリスの姿がある

自分で言うのもアレだけどさ、似合ってると思う 寧ろ似合いすぎている、まるで物事があるべき姿に戻ったかのように 逸れていたパズルのピースがパチリとハマるような、そんな錯覚さえ覚えるほどに似合っている

「……ふふふ」

ラグナが綺麗だと言ってくれたドレス姿、同時にエリスがハーメアの娘であることを証明するようなドレス姿、エリスはもうハーメアの子を名乗るつもりはない エリスはもうレグルス師匠の娘だからね

でも、やっぱり思い出す ハーメア ハルジオン そしてスティクス、エリスに取って苦い思い出の数々にずきりと頭が痛み そこを押さえる

「ここは…ハルジオンに燭台で殴られた所でしたね、…アレは痛かった」

ハーメアが逃げたと知れた夜 ハルジオンはエリスを金属製の燭台で殴りつけた、あの時は母が死んだと思い込んでいたから 痛かったし辛かったな

でも、それはハーメアがエリスを見捨てた事が原因だと知れてからは、その怒りはハーメアにも向いた

…普通の人間は過去なんて忘れれば済むだろう、だがエリスにとって過去とはどれだけ昔の事でも隣にある、殴られたことも ついさっきの事のように恐怖も怒りも思い出せる、…普通の人が聞けば ねちっこいとかしつこいとか思われるのかな

「はぁ…、エリスは過去に振り回されてばかりですね」

振り返ろうと思えばどれだけでも振り返れてしまう、過去はエリスに常に絡みつく 乗り越えたと思っても、次の瞬間には四肢に組みついてくる

そんな遣る瀬無さに椅子に座り込みため息を吐く

……いつになったら、エリスはハーメアの一件から逃げられるのかな…



………………………………………………………………

所代わり、街の郊外…人々の営みが灯りとなって大地の星々となる頃合い、町外れの森の木が 小さく揺れる

「………………」

背中には巨大な槍、夜風に髪を揺らす軍服の女 帝国三将軍の一人アーデルトラウトはそんな街を背に、一人歩き出す もう用は済んだとばかりに振り返ることなく……

と、その瞬間 振り返る、一瞬で槍を抜き放ち背後に向けて突き出す

「……何用だ」

アーデルトラウトは手に持った槍よりも尚鋭く目を尖らせるー背後に立つ人物に視線を向ける、答えによってはお前を殺すぞと だがそいつは恐れもせずに

「それはこちらのセリフだよ、お前ここに何しに来たんだよ」

タリアテッレだ、この国…いや 小癪ながらこの世界最強の剣士だ、さしものアーデルトラウトも魔術抜きではこの女には手も足も出ない、それ程までにこの女は強い

恐らく、一人 街を抜けるのをつけられたのか、不覚だがこの女ならば仕方あるまい、その気になればこいつは私の寝床にまでついてこれた

「何の用とは、言った通りだ 皇帝陛下のお言葉に私は従ったまでだ」

「皇帝陛下が態々海越えて街の劇場見てこいってぇ?、随分暇なんだなぁ ええ?皇帝の懐刀、あんたがエリスに鋭い視線送ってたのに私が気がつかないとでも思ったかい?」

目を細める、油断ならない女だ…見ていないようで全てを見て、何も知らないようでいて知っている、コルスコルピ最強は伊達ではないのだ ここでアーデルトラウトが解答を誤れば、即座に戦いになる

アーデルトラウトは槍を突きつけ タリアテッレは剣を腰に収め 手は組まれている、この状況でも 同時に動けばタリアテッレの方が早くアーデルトラウトを両断する

剣が届く間合いではタリアテッレは無敵だ、アーデルトラウトの戦法上 ちょっと相性が悪い、これで追ってきたのがグロリアーナかマリアニールなら戦闘になっても問題はなかったが

常人離れした身体能力を持つタイプとの戦闘は苦手だ、それはゴッドローブの仕事だからだ

「…皇帝陛下より 魔女の弟子エリスの観察を命じられた」

「へぇ?、それで?」

「これ以上言うつもりはない、他人に詳しく話して良いと皇帝陛下から許可が出てない」

「そっか…、まぁ それなら例え達磨にしても答えねぇか」

「ッ……!?」

刹那気がつくとタリアテッレがいつのまにか剣を抜いていた、いやそれだけじゃない、私の服…両肩と太ももの布地にいつのまにか切れ込みが入っている、その気になればいつでも切れるぞと 威嚇しているのだ

「……あんま、他国ナメんなよ?、ここはお前の庭じゃねぇ」

「…………」

槍を引く、ここで戦闘になれば 負けないまでも手傷を負う、こいつの戦闘は皇帝陛下から許可が降りていない…が

「お前も、あまり帝国をナメるな 我々は世界の秩序の為に動いている、それを邪魔するなら お前でも殺す」

「は?…お?」

すると タリアテッレの着ていた服のボタンが消失し 彼女の軍服がダラリと開かれる、…ボタンはどこへ消えたか?そう目だけで周囲を伺うタリアテッレに答えるように アーデルトラウトは握られた手をゆっくり開くと

…ジャラジャラと十数個はあるボタンが手から溢れる

「いつの間に…」

「いつも間も…私には要らぬ、私は帝国三将軍 世界最強の大国の、世界最強の将軍の一人なのだから」

フッ、とニヒルに笑うアーデルトラウトは 気がつかない、彼女の服の 懐から 何かが溢れそうになっていることを

「うん?、アーデルさん?なんか出てますよ?懐から」

「そうやって私の注意を引くつもりか?無駄だ、帝国三将軍に隙はない 完全無欠 完璧無敵超絶最強の将軍はそんな手に引っかからな…」

その瞬間身じろぎしたせいでアーデルトラウトの胸から それが零れ落ちた、ガツンと音を立ててそれなりの質量を持った音を響かせる、それは そう…結構な大きさ 人の頭くらいある

「人形?」

人形だった、しかも豪華に鉄でできた無骨なフィギュア 重装備の鎧を着込んだ無骨な戦士の人形が、コロリと地面に転がるのを見て タリアテッレは首を傾げる

…何これ?、なんでこんなものがアーデルトラウトの胸から と、それを聞こうとした瞬間アーデルトラウトは顔を真っ青にし

「ゴンザレス!…傷はないか?鎧は欠けてないか?」

なんて言いながら慌てて拾い上げるのだ、急いで土を早い 傷がないか 壊れてないかくるりくるりと回転させてあちこちを見ると、そのままホッと胸を撫で下ろす

「ゴンザレス?…」

「先程屋台で買った人形だ、カッコいいからな 私の家に連れて行くことにする」

「さっき買ったのにもう名前つけてるの?」

「ゴンザレス 37歳、ベテランの騎士で 娘がいる」

「聞いてないんだけど」

「最近部下との折り合いが悪くてストレスを感じている」

「私の話も聞いてない感じ?」

「禿げてきたのを妻に隠している」

「どうでもいい」

「前世はハツカネズミ」

「徳積んだんだね」

「………………」

「何さ…」

アーデルトラウトは騎士の人形…ゴンザレス?を抱きしめながらキッとこちらを睨みつける、なんか 気が抜けてしまった、これがもし油断させる作戦だと言うのなら大成功もいいところだろう、現にもうタリアテッレにはアーデルトラウトを疑う気持ちはない

「このことは誰にも言うな」

「言わんよ…」

「ルードヴィヒには特に」

「会ったこともないよ」

「そうか…なら…」

「ただし、それに一つ条件がある」

測らずして相手の弱みを握ったタリアテッレ、これを逃すまいと指を一本立てる

するとアーデルトラウトは『卑怯者め!』と抗議するような目…ではなく、鋼のように無機質な目に代わりタリアテッレを睨む、弱みを見せても世界最強の一人 ここで無理難題吹っかけられたら逆に殺しにかかってくるだろうとタリアテッレは笑う

まぁ、そんな無理難題を言うわけじゃない、ただ気になることがいる

「何故…『エリス』を監視に来たか聞かせな、ラグナでもメルクリウスでもデティフローアでもなく、エリス個人なんだ」

魔女の弟子を見に来たと言うのならわかる、だが魔女の弟子の中でもエリス個人だけを見に来たと言うのだから異質だ、あの子は確かに特別な子だが 他の魔女の弟子よりも特別かと言われれば別にそんなことはない

と…思っていたら、アーデルトラウトは…

「エリスは…厄災の引き金になりかねない」

「厄災?…エリスが?」

「カノープス様はそう語った、…そして厄災を起こす引き金であり、その命は世界を救う種にもなると」

「エリスちゃんが世界を救う?そんな勇者みたいな…」

「違う、『エリス』がではない『エリスの命』がだ…あの子の命は然るべき時が来れば我らが頂く、くれぐれも邪魔はしてくれるな、あと このことは誰にも言うな、ルードヴィヒには特に」

「は?ちょ ちょっと待て…」

「さらば…」

とだけ言うとアーデルトラウトは消えてしまう、高速移動ではない タリアテッレの目にも留まらぬ速度で動くなどあり得ない、まさしく 瞬時に消えてしまった…どんな魔術を使ったのやら

「エリスの命が…?」

タリアテッレは一人呟く、アーデルトラウトの言葉を鵜呑みにするなら

エリスが死ねば 世界は救われる、そう聞こえるが…はてさて、私の見えないところで何が進んでいるのやら

ただ一つ、言えることがあるとするならば

魔女の弟子は、想像よりも過酷な選択を迫られそうだな なんて、他人事のような思考なので会った
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