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五章 魔女亡き国マレウス
100.決戦 天狼の継承者エリス
しおりを挟む非魔女国家マレウス 、その平原のど真ん中に存在する古城の森は…今、地獄と化していた
天より降り注ぐ雷 地より吹き出す炎、燎原は未だ煙を燻らせ 森も城も、今はただ黒と白の灰と化し風に散る
そんな地獄の真っ只中、ぶつかり合う二つの影がある
「ぅがぁぁぁぁああああああ!!!」
銀の髪 赤い目となったエリスが、牙を剥きながら大地を蹴り上げ空を飛ぶ、完全に己の意思を見失い ただ暴虐と破壊の衝動に駆られ、見境なく暴れまわっているのだ
そんなエリスを止めるため、もう一つの影が迎え撃つ
「やめろエリス!、私の声が聞こえないのか!」
必死に呼びかけるレグルス、暴走した弟子を止めるため 必死にその身を呈してエリスと戦っている
否、それは戦いと呼べる者ではない、エリスが一方的にレグルスを攻撃しているのだ、反撃など出来ようはずもない、暴走しても あれはエリスなんだ、最愛の弟子を傷つけるなど 師である私には絶対に出来ない
「うぐぁっ!」
空中で身を翻し エリスが勢いのままレグルスを蹴りつける、速い 凄まじく速い、エリスは普段から体を鍛えており 並みの冒険者以上の身体能力は持ち合わせているが、今の状態はその比じゃない
レグルスがエリスを取り押さえることができないほどにはエリスの身体能力は強化されている、おそらく シリウスが手を回してエリスを強化しているんだろう
「っ…」
その蹴りを両手で防げば レグルスの体はざりざりと地面を削りながら後方まで押し出される、この私が防御しただけで腕が痺れる程に 今のエリスは強化されている
身体能力だけで言うなれば準魔女級だ…、ヴェルトやグロリアーナ以上といっても良いくらいだろう、…だが この力は恐らく無理矢理引き出されたもの
シリウスは相手のことを考えない、この無茶苦茶な強化にどんな代償があるか分からない上、その代償は全てエリスに擦りつけられるだろう、出来るなら直ぐにでも止めたいが…
「チッ、攻撃…出来ない」
反撃しようと思えど体が反射的に力を抜く、やっぱりどれだけ頭で取り押さえなければと思っても エリスをこの手で本気で打ち据えるなど出来ない、そう迷ううちにもエリスは私を痛めつける
「殺さなきゃ!殺さなきゃ!、師匠の敵は殺さないと!殺さないと!」
悲痛な叫び、エリスは今も私のために戦っているつもりなんだろう…
エリスの暴走は魔女達の暴走と似通っている、私が無力化した二人も 同じように心の弱みに付け込まれ暴走していた
アルクトゥルスはその持て余す闘争本能を
フォーマルハウトは責任感と私達への想いを利用されて
恐らくエリスもまた心の弱みを利用されているんだ、それはきっと…私の敵への敵意だ
ヤゴロウも指摘していたエリスという人物の空虚さ、エリスはここまで私の為だけに強くなってきた、私がただ闇雲に力だけを与えたからだ、エリスはいつしか力を持つ意味を私の敵を倒すことに意味を見出した為 その敵意だけが一人歩きしてしまった
心の空虚を敵意で埋めてしまっていたんだ、だからエリスは異様に魔女排斥組織に対して敵意を見せるし、何が何でも始末しようとする
その敵意をシリウスに利用され、全てに敵意を向ける存在へと変えられてしまった、その敵意を今 私に向けていることにさえ気がつかず…
「ぅがぁぁぁぁああああ!!!、みんな みんな死ね!みんなみんな!」
いや、それだけじゃない?、この敵意の強さ この周りへの敵愾心、それだけじゃない気がする、一体なんだ エリスはこんなにも周囲に対して敵意を持っていたのか
「ぐっ!?」
エリスの蹴りが私の顎を打ち抜き、思わず膝をつく…凄まじい敵意の乗った一撃、怨讐とでも言おうか そんなものがエリスの蹴りから感じられる
…思えば、エリスの内側 心の中のことを私は考えたことがなかった、 一体…エリスは私の知らぬ間に何を抱え込んでいたんだ
…………………………………………
「相変わらず哀れですね、レグルス」
エリスとレグルスのぶつかり合う戦場を遥か遠方で眺める影…灰色の髪を持つ女 ウルキはその様を見て、可笑しそうに愉快そうに笑いながら眺める
「やはり貴方は、甘くなって優しくなってそれでも根っこは変わらない、人の敵意に鈍感なままですね、エリスちゃんの抱える心の闇にさえ気がつかないなんて」
ウルキは眺め、誰に言うでもなくそう呟く
エリスの心の闇…ウルキはそれを一目見ただけで看破した、エリスは自分自身でも理解しないうちに多大な心の闇を抱えていたのだ
それはエリスの記憶能力の高さ…、エリスは一度受けた出来事を絶対に忘れない、一度受けた仕打ちは忘れない、悲劇を忘れられない
人はどんなに辛いことがあっても 忘れることで生きていけるが、エリスにはそれが出来ない、幼少期の悲惨な出来事を今も引きずっている 忘れられないから
それだけじゃない、旅先で受けた心の傷はエリスの中で永遠に残る続け、着々と積もり続けてきた、エリスという人格が形成される横で 山のように積み上げられた闇が 負の側面として完成しつつあったのだ
エリスもそこは薄々感じ取っていたのだろう、そしてその負の側面が唾棄すべき面であるということも、エリスは忘却することができない代わりにその負の側面を自分の奥底に封印し
切り離し切り離すようなった
おかげでエリスの性格は一時は安定したかもしれない、だが切り離したからと言って負の側面の肥大化は止まらない、マレウスに入ってからはそれが特に著しかったろう
母の件 弟の件 冒険者達の嫌な目つき 己の無力さの自覚…嫌なものは全て闇に葬り、負の側はますます巨大化 やがてエリス自身の人格さえ歪ませた
…魔女を否定する人間への過剰な攻撃姿勢、非魔女国家を見下した態度 全て歪みの兆候だ
シリウス様はそんなエリスの闇をほんの少しばかり表に出したに過ぎないのだ、そこさえ小突いてやればエリスの築き上げた人格はいとも容易く崩れ去り 、全てに敵意を向け全てを嫌う狂人の出来上がりだ
「忘れることができないからこそ 人の醜さが目に焼きつく、どれだけ良い人間に出会っても人の善性を信用できない、表っツラでは優しく振る舞えど 内心じゃあどっか見下す、歪んでるんですよエリスちゃんは最初から、誰が何をするまでもなくね」
記憶力が優れているということは何も優秀な証ではない、裏を返せば忘却を持たない欠落した人間でもある、そこに目を向けなかったんだ レグルスも他の人間もエリス自身でさえね
「その敵意を拭い去ることはできない、レグルス…例え師である貴方でもね…」
………………………………………………
「うぐあぁあぁぁぁああああ!!!」
苦しむような声をあげながらエリスは暴れる、その拳 その蹴りが私を打ち据える都度 エリスが苦悶の声を上げる、苦しいんだ エリスも…苦しんでいるんだ
己の悪意が前面に出て 己の意思に反して暴れている、苦しいよな…苦しいに決まってる
「頼む…エリス、少しでもいい 目を覚ましてくれ!」
その振るわれる拳を掴もうと手を伸ばすが エリスの動きは素早い、私が全霊を出せばきっと捕まえられるが、全霊を出せば エリスの体が持たないだろう
こうなったら封印魔術を使うか?、だが…ええい、今は気にしている場合ではない、今は少しでもエリスの負担を減らさねば
「ーーーーーッッ!!『六堅封牢閉陣』」
超高速で詠唱を終わらせ エリスの周りに不可視の壁を六面作り出し、その動きを封じる 壁の中にエリスを閉じ込め…どうする、やはり虚空魔術を使うか?だが魔女でない人間に使えばそれこそ…
そう、私が戸惑った一瞬に、エリスの動きが変わる
「うう…うぐぅぅ、みんな みんな…殺す!、不信!懈怠!放免!惛沈!掉挙!失念!不正知!散乱!、八の随惑を束ね深層は今世界をへ具現する!、第七識『熒惑染汚意燃憐』!」
「なっ…」
来た、使ってきた 私の教えていない魔術、今現在この世に現存するはずのない第六属性『識』を用いた魔術
ここに来る間 五感全てを奪われた人間を見た、凡ゆる感覚が奪われ動くことのできない人間がを見た
触覚と痛覚を入れ替えられ 苦痛に喘ぐ人間を見た…
あれは全て エリスの持つ『識』の属性を用いた魔術だ
「識…まさか本当にエリスが識の魔術を
エリスの周囲の空間が歪み 捻れ、空間そのものが燃えるように魔術そのものが燃えるように、エリスのうちから溢れる激怒が火炎に変わり私の封印魔術を燃やし散らす
あれが識だ、火属性の魔術ではなく 識属性の魔術
…そうだ、識とは属性なのだ…地水火風と同じ属性、今この世で提唱され信じられている『万物四大元素構成説』真っ向から否定する第六の元素だ
…今この時代において、この世界は四つの属性を持つ元素により形作られているとされている
この世を形成する大地の属性『地』
遍く全てに潤いを与える『水』
全てを焼いて浄化する『火』
凡ゆる物を養う聖浄なる『風』
これが通常の属性だ、教科書を開けば出てくるくらいには一般的な通説、そしてそのどれも魔術で操ることが出来る物…これ以外の元素は無いとされている、今は…な
我らの生きる八千年前は『四大元素』ではなく『六大元素』がこの世を作っていると考えられていた
上記の四つに加え、全てを包み込む『空』、つまり虚空 私の使う虚空魔術もこの属性を用いたものだ、所謂空間であり 世界とは即ち空である
そして、全ての被創造物の祖であり租 人類が誕生したことにより生み出された新たな属性 それが『識』…凡ゆる人類に付随する物 所謂『知識』の事だ、生命ある者 意識ある者全てが持ち合わせる人そのものとも言える第六元素
大地や海と同じく人間の被創造物もまたこの世の一部とみなした考え方だ、創り出した物そのものではなく 創り出すための知恵がなければ今の世は世足り得ないからな
八千年前の哲学者が『この世は目に見える物ばかりではないんだよ?私達の知らない物がたくさんあることを知るべきだ』、そう提唱した『万世六大元素構成説』の中で登場する…凡そ架空とみられる元素の一つ
後に『元素は全て魔術で操る事ができる』という後世の論説に搔き消され現代に残らなかった『空』と『識』
とどのつまり人間が感じる感覚と それによって付随する全てが識に当たる
認識が無ければものを見られない感じられない、それを操れば何も見えなくすることもできるし感じるもの全てを苦痛に変えることもできる
知識がなければ何も作られない、家も城も剣も盾も魔術さえも…知識の延長線上にある魔術さえも、識を操れば瞬く間に無効化できる、つまり知識を武器にする人間という種族である以上識を操る者…エリスには絶対に勝てないということだ
識は誰しもが持ち合わせる、されどそれを操れる人間など未だかつて…いや一人はいた、この八千年間で一人しかいなかった、あのシリウスでさえ識属性を操ることは叶わなかった
…つまり、エリスはこの八千年の歴史において二人目の識の使い手であり、エリスが識魔術を操る限り 彼女の前ではこの人類文明は全て 無いに等しい…
あの絶大な記憶能力も識魔術の才能の一端、『認識』の強化からくるものなんだろう…魔女の私がいうのもなんだが デタラメな力だ
「フゥーッ…フゥーッ…フゥーッ…」
魔女の魔術を真っ向から焼き尽くしたエリスは血走った目でこちらを見る、…やはり識魔術の使用は消耗が激しいか、しかしだからと言って彼女は止まらないだろう、いずれ魂さえも使い 私を撃滅しようとする
「…手加減をして、どうにかなる状態ではないか…こちらをも全霊を出して止めにかからねば、先にお前自身が死んでしまう」
「エリスは…エリスはもう痛いのは嫌なんです!頭の中にこびりつく痛みから解放されたいんですよ!エリスに痛みを与える存在も!エリスの大切なものに傷を加える者も!全て!全て消し去らないといけないんですよ!」
悪意の範囲が広がっている、このままじゃシリウスになる前に第二のシリウスになりかねない、という下手にその力を爆発させれば今現在地表を覆う文明が全て真っさらに消し去られかねない、裸一貫になった人間だけが平らな大地に放り出されれば それは即ち滅びと同義だ
なんとしてでも止めなければ、エリスにそんな咎を背負わせるわけにはいかない
「ふぅー、行くぞエリス…そんなに全てが憎いなら、それを私に全部ぶつけろ 私がそれを受け止め飲み込んでやる!、お前の師匠として!」
奴が識を使う以上こちらも空を使わざるを得ない、作り出す識と消し去る空…相反する力だが、悪いな 技量ではこちらが上だ
覚悟は決まった、大丈夫だエリス…必ず助ける
「塗り替える!痛みのない世界に 傷のない世界に!、作り変える!エリスにとっての悪のない世界に!、そうしないといけないんです!そうしないと!そうしろって!誰かが言うんです!エリスの頭の中で!」
頭を握りつぶさん勢いで掴み暴れ狂いながら魔力を隆起させる、否 魔力を吸い上げる 地面から、魔蝕が起こり始めているからか、大地からシリウスの魔力が漏れ出ているんだ、エリスの魔力だけでは到底足りぬ シリウスの手を借りてようやく発動する極大魔術が今
「塗り変えよ 我が意思で、作り変えよ 我が意志で!今ここに 新世を闢き打起こし 連綿と続く楔を切り落とし、今 世界は我が手足と化す!第七識!『太白波紋 極至末那識』
エリスの構えに合わせて大地が歪む、まるで湾曲した出来の悪いレンズで覗き見たように地面がくるりと蠢き、コーヒーに入れたミルクの如く奇妙な軌道を描いて形を変える、地面を操っているんじゃない 己の意識と世界を同調させているんだ…
エリスの意識が自衛を望めば世界は防ぎ、他人に敵愾心を持てば世界は…
「いなくなれ…いなくなれぇっ!」
虚ろな目のエリスは轟くような咆哮を響かせ怒りを 敵愾心を露わにすれば歪んだ大地がさらに湾曲 いやゼンマイのように回転し、槍のように尖りこちらに飛んでくる
問題なのはその速度だ、この大地の槍 物理的な速度で飛んでくるならまだ避けられる、しかし言ってしまえばあれはエリスの意識そのもの、凡そ思考と同程度の速度で飛んでくる
思考と同程度、それが意味するのは一つ
「っ…」
考えて避けていては絶対に避けられない、何せその考えると言う行動と同等の速度で飛ぶのだから、槍が出来たと理解するよりも早く飛ぶ 、空気を裂きながら飛び交う槍の雨 の中を全霊で駆ける
凄まじい速度 威力だが、エリス自身が暴走していることもありその狙いは浅い、だが…
「やり辛いな…」
普段ならあの程度の攻撃 避けるまでもないのだがな…、私には殆どの魔術が効かない 魔術を解く方法を知っているからな、だから魔術師に対して常に絶対的に優位な立ち位置で戦えるが、この槍は
「っと…」
余所事を考えていたせいで危うく避け損ね頬を槍が掠り、一筋の赤い線が走り 血が滴る
この魔術は無効化出来ない、私の魔術防御も全能ではない、知らない魔術は防げないんだ…一応この識魔術の使い手と戦ったことはあるが…この時も全く防げなかったからな
それに、魔術で防御もできない 何せ、魔術もまた知識の延長線上 識魔術は知識によって生まれたものでは防げない、盾も同じだ 『人が意図的に作った物』では全て効果がない
このまま虚空魔術を撃っても無効化されそうだな
なら、賭けに出るしかない…私とエリス 今までの時間に、賭ける 命を!
「エリス…お前の師として…私は責務を果たすことに命を賭ける、それが師の役目だ」
避けるため飛び回っていた足の向きを変える、つま先は真っ直ぐにエリスを捉える…このまま逃げ回っていてはどの道終わりだ、ならやるしかあるまい!
「ッッ……!!」
走る エリスに向けて、必然 降り注ぐ槍の数々 それを直感で避ける…と言っても当然避け切れる量ではない、避け損ねたものは当然の如く私の肩を足を 腹を穿ち 久しく忘れていた激痛を私に齎す
こうしていると 私も定命の者であることが理解できる、ただ老いないだけで 私とて死ぬのだ…、だが それでも良い 弟子の為に命を賭すならば、それで
「エリスは…エリスは…!」
「エリスっ!聞け!、私の声を!」
突き刺さった槍をそのままに更に進む、前へ進めば進むほど私の体の風穴は増えていくが 止まらない、ここで止まれない 声を届けるまでは止まれない、助け出すまでは止まれない
「何故…そこまで憎む…」
槍の雨を超え、エリスの元まで辿り着き…歪んだ世界の中 エリスの肩を掴む、反応はない 聞こえていないか、いや 通じるはずだ 、アルクトゥルスたちも暴走の最中似合って会話は出来た、なら エリスにもこの言葉は届くはず
「エリス、答えろ…何故 周りを憎む、何故そこまで人に敵対心を向ける」
「……エリスは…エリスは…」
声が届いたか、或いはただ単に次の攻撃行動に移っただけか 分からないが、岩の槍が消え去り、世界が更に歪み 周囲が暗くなる
「………………………、エリスは…苦しいのです…」
「エリス…!」
「頭の中に…ずっとこびりついた記憶、悲しみ 痛み…苦しみ怒り…それを忘れることができないんです…、人と話す最中でも 笑いながらも、頭の裏では常に悪い記憶がエリスに言うんです…『幸せなんてまやかしだ』と…」
エリスは語る、口に課されていた閂が崩れたように、口を割り言葉を紡ぐ
やはり、エリスは忘れていなかったんだ、ハルジオンの虐待を 誰も助けてくれなかった記憶を、それだけじゃない 旅の中味わった嫌な記憶、それがずっとエリスの中で積もり続けていたんだ
きっとそれを切り離し続けたせいで 嫌な記憶が一つにまとまり、エリスの中で闇を作り出していた、決して消えない闇を、それをシリウスに利用されたのだろう
「…師匠と…幸せに過ごしながらも、忘れられないんです …いつまたこの幸せが崩れ崩され、あの地獄にまた叩き落されるか…、毎夜夢に見ます 今までの全てが夢だったという夢を」
エリスは虚ろな目のまま譫言のように囁く、エリスは 過去の闇に囚われている、それがエリスに悪感情を常に抱かせる、その事に気付きながらも 何もできなかった己の不甲斐なさを呪う
「だから、エリスを不幸せにする全てを消すんです、ハーメアの時と同様 全てを壊し 全てと決別する、エリスの エリスだけが幸せになる世界を作るんです…それが出来ると、常に誰かが頭の中で叫ぶんです…だからエリスはそのように」
虚ろな目 正気ではあるまい、エリスはこんなことを言う子ではない
されど、この言葉が偽りだとは思わない、寧ろ本音とも言える…心のどこかでは思ってたのだろう、今までの旅で人間の綺麗なところ汚いところ 双方を見てきたエリスだからこそ、それが脳裏にこびりついて離れないエリスだからこそ、それらを消し去りたいと思いもするのだろう
だがな
「エリスよ、よく聞け…聞こえずとも聞け、嫌な記憶 忌まわしき記憶とは得てして脳裏に焼きつくものだ、時としてふと瞼の裏に蘇るり壮絶な後悔と嫌悪感を催させることもあろう、それを嫌うなとは言わん 厭うなとも言わない」
「………………」
「だがな、決して拒絶はするな 認めたくないこともかもしれんが、記憶は過去だ 決して消せないし変えられない、だからこそ もう同じ過ちを繰り返させない為に胸に刻むのだ」
「…だがら…エリスは…」
「違う!、どれだけ過去に絶望しても 未来に希望が持てずとも 今を生きなければならないのだ!、でなければ忌まわしき過去を乗り越えた自分を裏切ることになる、未来に待つ希望を捨てる事になる、悪い記憶も良い記憶も 同じ過去だ!超克しろとは言わない飲み込め!、背負うなとは言わない 力に変えろ…今すぐには無理でも、先は長い ゆっくり付き合っていけばいい」
私にはエリスのような記憶力はない、普通に忘れるし忘れるからこそ気楽でいられる部分はある、だが 人生を通して悔いる経験くらい私だってある、あの時の事はいつまでたっても鮮明に思い出せるし、それを思い出せば 気持ちだって暗くなる
だが、だからと言って過ぎ去った事に囚われて今を捨てるような真似をすれば、当時の私を 苦しんだ私を裏切る事になる、どれだけ辛くても歩み続けなければいけないんだ
生きる責任とは そこにある
「かつてがどれだけ辛くても 今がどれだけ辛くても、生き続けろ…歩み出した一歩を裏切らない為に、続く二歩目を信じるんだ…!」
「……辛くても」
声が届いた…間違いなく声が届いた、周囲の歪みが薄まり 魔力も閉じていく、…後は エリス お前の意思一つでシリウスの呪縛も抜けられるはずだ
虚空魔術を使えば暴走を収められるのは実証済みだが、あらゆる魔術を無効化できる今のエリスに効く保証はない、だが逆に言い換えれば シリウスの呪縛もまた魔術
如何にシリウスの魔術が強力で人智を超えていようとも、あの力もまた知識の延長線上にある、今のエリスが望めば シリウスの魔の手からでも逃れられるはずだ
…いや、それだけでは足りないならば…!
「エリス!」
抱きしめる、肩を引き寄せ エリスの体を強く抱きしめる
「それでも何も信じられないなら、まずは 私を信じろ…お前を信じてくれる者達を信じろ、お前は一人じゃない 一人じゃないなら、きっとその過去も記憶も呪縛さえも乗り越えられる、私がいる 永遠にお前と!」
「一人じゃ……」
「そうだ、お前は…誰だ」
「エリスは…」
「お前は何だ」
「エリスは…エリスは……」
………………………………………………………………
暗黒のヘドロ、絡みつき エリスの体を逃すまいと絡めとり、頭の中に嫌な記憶ばかり流し込む
人とは醜いものである、私欲に生きる者もいる 我欲により他者を傷つける者もいる、浮かぶ顔はどれも悍ましい…
理不尽な怒りでエリスを殴りつけるハルジオン
他者を騙し甘い汁を啜るレオナヒルド
狂気的な願望で全てを破壊しようとするラクレス
自己欲求の為に万人を地獄に送るソニア
怨恨から今の世界を否定するヘット
エリスを捨てたハーメア、そんなエリスを哀れむステュクス
エリスを殺そうとする者、傷つける者、尊厳を否定する者…こんなにも嫌な人間ばかりいる世の中で、優しく 慎ましく生きるなんて馬鹿馬鹿しい 阿呆らしい、ならエリスだって乱暴に生きてもいい そんな奴ら傷つけたっていい
そうだろうそうだろうと闇が囃し立てる、エリスの体はそんな闇に突き動かされ闇雲に暴れる、そんな暴れるエリス自身をエリスは心のどこかで感じている
このままでいいのか、いいだろう
師匠からもらった力なのに、力だからこそ振るうのだろう
こんなことしたくない、全てを壊したい
嫌だ、良い
相反する闇の中…混濁とする意識 昏迷自意識、もはや己さえ手放しかけたその時、ふと指先に触れる温もり、耳を擽る懐かしき声
信じられないなら…貴方を信じる…
なんだ…何を言ってるんだ、そんなもの…最初からエリスは…エリスは貴方を、師匠を…レグルス師匠を 誰よりも信じて…
「ッッ……!!」
目を見開く 意識が鮮明とする、黒いヘドロに塗れた己の体が見える、沈みかけた己の魂を感じる
このままでいいのか、いい訳がない
師匠からもらった力なのに、師匠からもらった力だからこそ大切にしなければならない
こんなことしたくない、ならしなければいい
嫌だ…嫌だ、嫌だ!エリスは嫌なものを多く見てきた だがそれと同じくらい尊ぶべき慈しむべきものも多く見てきた、嫌なことを忘れない だがそれもまた忘れない!
エリスを受け入れてくれたムルク村の子供達
共に語り合い笑いあったデティ
共に平和を目指し戦ったラグナ
闇の中でなお正義の輝きを示したメルクリウス
エリスを産んで育ててくれたハーメア、素性を知らずとも優しくしてくれたステュクス
エリスを助けてくれた人、守ってくれた人 守りたい人、尊重すべき人と物世界には良いも悪いも溢れている、だからこそ世界なのだ だからこそ人なのだ!、そんな世界だからこそ強く 強く生きなければいけないんだ!
『お前は誰だ』
「エリスは…エリスです!」
黒いヘドロを振り払う、踠き 抗い ヘドロを振り払い、その暖かな声を目指す、耳に馴染んだ 何よりも愛する声を目指し、己を確かめる
『お前は 何だ』
声が問う、お前は何だと 何者だと、決まっている 危うく見失いかけたそれを思い出すように、叫ぶように 己に言い聞かせるように 世界に轟かせる
「エリスは…エリスは!」
闇を突き破る エリスは…エリスは…!、声は残響す、エリスを包む闇はエリスの中へと戻っていく、これは記憶だ 過去の記憶だ、過去の出来事が、今を支配しようとするな 記憶がエリスを思うがままにしようと思うな、これを踏み越え 飲み込み 力に変えて、エリスは進むんだ!
「エリスはエリスです!、孤独の魔女レグルスの弟子!エリスです!」
「ほう…、儂の呪縛を破るか、それも識を操るが故の恩恵か…」
エリスを縛る闇のヘドロと鎖を打ち破る、目の前にはシリウス 景色は地獄、相変わらずここは現世ではないようだが、エリスはもうこいつの思い通りにはならない…エリスはエリスなんだ、魔蝕の子でもシリウスの器でもない、エリスはエリスなんだ!
「はぁ…はぁ、シリウス…貴方の思い通りにはさせません、なりません」
体は重く、拘束を逃れたとしても 自由に動きはしない、そんなエリスを見てシリウスは愉快そうに痛快そうにニタニタ笑っている
「ククク、思い通りにならん?させん?、阿呆が…この世の全ては成すように成り、在るがままに在る…故に儂は在るが故に成す、呪縛を逃れた程度で粋がるでないわ」
座る玉座を消し去り立ち上がるシリウス、その目は相変わらず曇っている…狂気に 闇に、悪意の根源を前に エリスもまた構えを取る、こいつの思い通りには絶対にさせない
道理を説く顔をしながら力で道理を捩じ伏せるこいつを、エリスは許容しない
「復活なんか、絶対にさせませんから」
「そうかそうか、しかし ここからどうやって逃れる、ここは現世ではない お前の力だけではここから出られん、何より…儂を前にして 貴様の言い分が通ると思うか」
シリウスが手を開く ただそれだけでこの地獄全体が鳴動する、死してなお 世界を多く程の魔力を持つシリウス、こいつにかかれば この意識世界さえも思うがままなのだろう、だがまた捕まるわけにはいかない
「エリスは 貴方の肉体でも器でも操り人形でもない!、エリスはエリスです!孤独の魔女の弟子エリスです!そして…」
そして…
「私の…弟子だ」
手が引かれる、シリウスの方ではなく 背後から伸ばされる光の手によって、後ろへと引っ張られ 抱き寄せられる、この声は シリウスのものでもエリスのものでもない新たなる第三者のもの
その声と声の主の顔を見て、エリスは笑い シリウスもまた笑う
「レグルス師匠!」
「ここにいたか、エリス 探したぞ」
抱き寄せるのは師匠の手、この意識世界に割り込むように入り込んだ師匠の手によってエリスは抱きしめられる、師匠…ここまで助けにきてくれたんですね
「やはりお前か、レグルス…」
「やはり貴様か、シリウス…!」
声を被せるように重ねるシリウスとレグルス師匠、互いの目は険しく 睨み合うように見つめ合う、八千年の因縁 或いは師弟或いは仇敵、その邂逅 再会
「良い目をするようになったな、レグルスよ」
「今更師匠ぶるな、貴様はもう私の敵だ」
「悲しいことを言ってくれるな、その力を与えてやったのは誰じゃ?、貴様を魔女と呼ばれるまでに育ててやったのは誰じゃ、恩義も忘れ 儂の道を阻むとは 教育が足らなんだか?」
「お前が世界を破滅させようとしなければ 私とてこんな風にはならなかったさ」
「別に破滅させることが目的ではない、結果として この世界が滅びるだけ!…、ただ愚然と種を残し ただ漠然と繁栄する生命がただ呆然と跋扈する世界など、残っていても意味などなかろう 」
「まだ諦めていないか…!」
「諦めんよ、永遠に永劫に永久に!真理を求めずして何が生か!何が存在か!何が個か!、それさえ理解できぬなら貴様は必要ないわ!」
ぶつかり合うレグルス師匠とシリウスの視線、今にも激突しそうな両者の気迫に思わずたじろぐ、これが八千年前ぶつかり合った二人の魔女、大いなる厄災とそれを打ち払った魔女の…
「ならもう一度言おう、お前の望みは叶えられない 世に人と意志がある限り、貴様の望みに永遠など存在しない!」
「フハハハハ!たわけ!、世に人と意志がある限り儂の命題終わらんわッ!、ちょうど良いわ!レグルス!貴様もちょっとこっち来い!」
シリウスが手を伸ばせば地面から無数の黒腕が伸びエリスとレグルス師匠を捕らえようと迫る、分かる エリスには分かる、あれはさっきエリスを捉えていた闇の手だ、あれに囚われれば己のうちにある闇に掴まれシリウスに操られる!
「生憎と我等は未だ生者なのだ、死者の誘いには乗れんよ」
「儂はまだ死んでないって!」
「いいや死んださ、地上にお前の居場所はない!」
師匠が腕を薙ぎ払えば闇の腕が搔き消え それとともに師匠は踵を返す、背後には光の扉、暖かな光だ…あの向こうはきっと、現世に繋がっているんだ
「ではなシリウス、もう二度と会わないことを願うよ」
「抜かせレグルス!、儂は終わらん!諦めん!潰えはせん!、何度でも何度でも現世に手を伸ばしてやろう!、我が手は遍く地平に届くことを忘れるなよ!」
「フンッ…なら、その手は私が払おう」
その言葉とともに師匠とエリスは光の扉へと姿を消す、亡者の怨嗟を奏でるシリウスをそこに置いて、エリスは 現世へと帰還する
ただその時、背後に立ち笑っていたシリウスの顔をエリスは忘れることはないだろう、その時感じた 長き戦いの予感もまた…、きっとこの因縁は未だ終わらない、むしろ始まりなのだ
エリスとシリウスの 新たなる因縁の
…………………………………………………………
「あれ?、どうなったんですかね?、シリウス様の魔力がぷっつりと消えちゃったんですけど、え?エリスちゃんの暴走治っちゃいました?」
ふと、遠方からことを観察していたウルキが驚いて立ち上がる、もはや完全に物見遊山で椅子まで用意してさぁこれからあの地獄を肴にクッキーでも食うかと準備を終えたところだったのに
先程まで滾っていたシリウス様の魔力がそれこそ糸でも切れたかのように消え失せたのだ、ありえないことだ レグルスの虚空魔術でもない限りあれの解除は出来ないはずなのに
「もしかしてあれですか?、みんなとの旅の記憶と絆が私を元に戻した的な興醒めなご都合展開ですかね、ああヤダヤダ 私そういう三文芝居的脚本嫌いなんですよね、現実までそんな都合よくことが運ぶとかまじ最悪ですよ」
「そんな都合のいいことがあるわけがないだろう?、君は意外にロマンチックな思考をしているんだね」
む、いきなり起こった不測の事態にただでさえ腹を立ててるのに、それに追い打ちでもかけるように現れる声、男の声だ …美声といっても良いこの声はかつて全世界を席巻しあのシリウス様さえ『むっちゃいい声じゃのう!性格は最悪じゃが!え?儂も?言うではないかー!ぬはっ!ぬははは!』と言ったほどだ、私は嫌いだが
ソレイユ村の時といい 毎度毎度神出鬼没にヌルリと声だけ現れるのだ、この男は
「というか、なんでいつも後ろから声かけるんですか?、私の背中とってさぞいい気分でしょうね」
「君が言ったんだろう?、私の顔が嫌いだから声かける時はそのツラ見せずに喋れと」
「……いつの話ですかそれ」
「八千年ほど前だね」
律儀なやつ、いや ただ馬鹿なだけか…
「じゃあこのまま顔見せないでください、相変わらず私はあなたの事が嫌いなので」
「ふふふ、分かったよ」
笑うなやクソ野郎が
「…で?、貴方はなぜエリスちゃんがその呪縛を逃れる事ができたか分かってるんですか?」
「まぁそのぐらいならね、エリス…やはり彼女もまた識の琴を奏でる事の出来る子だったらしいね、識を魔術として無意識に行使し シリウスの魔術を無効化したのさ」
「シリウス様の魔術を?出来るんですか?あの人の魔術は他のどの魔術より強力なんですよね?」
シリウス様はこの世に遍く存在する魔術を作った張本人だ、言ってみればこの世に存在する全ての魔術師はシリウス様の物真似芸人に過ぎないのだ、あの魔女でさえ…
物真似よりも本物の方が格が上なのは言うまでもない、同じ魔術をどれだけ強力に扱っても 絶対シリウス様には勝てない、シリウス様はその魔術を誰よりも理解し誰よりも正確に操る事ができるのだから
だがエリスちゃんはその魔術を使ってシリウス様の魔術を切り払った、ありえない話だ
「ありえない話だ、そう思っているね」
「チッ、…そりゃ事実でしょ」
「まぁね、同じ魔術ではシリウスには抗えない、だが識だけは別さ 如何にシリウスの魔術が強力でも知識の延長線上にある以上、シリウスの魔術も識である程度は無効化が可能なのさ」
信じられない話だが、事実目の前で実践された以上信じざるを得まい、こいつ曰く ある程度なので全ては無理らしいが、まあシリウス様は死んだまま使ってるし それなら識でも無効化は出来るか
「シリウスは知識の権化にして力の体現者、だからこそ識そのものを操る存在はある意味天敵とも言えるね、まぁ あの程度の識ではまだ彼女の天敵たり得ないがね」
「ふぅん、だから識を欲しがるんですか?確かシリウス様は識を魔術として操れないんですよね」
「ああ、識魔術だけは作りはしたもののシリウスには扱えなかった、…だが 彼女は欠けた物を補う為だけにただ躍起になったりはしないさ、彼女が求める物は一つだけ、そして その一つだけがシリウスが全てを犠牲にしてでも欲した物なのだから、世は皮肉なものだね」
「一つだけ…なるほど、識ですか…」
識…恐らくそれがあればシリウス様は面倒な手順を踏まずに一瞬で目的を達する事ができる、そういう意味ではエリスちゃんはシリウス様の現世の器以上の価値があると言えるな、なら この計画が終わった後もいつでも確保できるようにしておかねば…
彼女は世界を割る鍵なのだから
「それで?エリスは識魔術を使ったのだよね?」
「ん?ええ、使いましたよ あれは間違いなく識を操っての魔術でした」
「ふむ、…で?第何識まで行ったのかな?」
「…確か、第七識まで」
第七識 己の周辺の世界と自分の意識を同調させ武器として扱っていた、世界を操る魔術 空間を操る魔術は存在するが、それとは根本から違った…あの魔術はエリスちゃんの意識につられどこまでも凶暴化する、本気で相手を滅しようと思ったならば 世界ごと相手を消しされるはずだ、エリスという人物にそこまでの意識がなかったからそんなことにはならなかったが
「第七か…まだ少し足りないな」
「ふぅん、じゃあ貴方は 第何識まで操れるんですか?」
「ん?、私かい?…私は勿論 最終段階の第九識までさ、ただこの最終段階というのも人間の知識という物差しで測れる限度というだけで世の知識には未だ果ては無くそこから先の八元体に至るにはそもそも世界の…」
「ああ…もういいです、ええ もういいんです、聞きたくないので、嬉々として喋らないでください」
こういうことになると揚々と語り出す、…本当に面倒なやつだ、シリウス様が力の体現者ならばこいつはその対になる存在、知識の体現者なのだ その知識を真面目に受け止めようとすれば頭がパンクする、こうやって適当にあしらうのが一番だ
「適当にあしらうのが一番とは酷いね」
「あの、頭の中読まないでもらえます?」
「読んでないさ、ただ分かるだけだよ」
「なら口に出すな」
分かる、今こいつ肩を竦めている そういう余裕な態度が気にくわないんだよなぁ、まぁ こいつがワタワタ狼狽えてるところ見たら満足するかといえばそれも違う、だってきもいじゃん キモすぎてうっかり殺しちゃうかもしれない
まぁいいや、興醒めな上気分が悪いにもほどがあるが…収穫はあった、やはりエリスちゃんは必要な存在だ、この計画で万事うまく行くとも思ってなかったし、今回はただの実験だ
やはり魔蝕当日はシリウス様もある程度自由に出来る、この日を利用すれば良いということがわかっただけでも良しとしておく、今回はただの実験 次は十二年後…そこで勝負をかける
「ふぅ…」
よし、それでよし 準備は整っている…十二年後なら今度こそシリウス様を蘇らせることができるな、なら今回は撤退だ…が?その前に用意した焼き菓子に手を伸ばす
いい見世物が観れると思ってツマミに用意した焼き菓子…クッキーだ、八千年の間に人はここまで甘味を極めることができたかと褒め称えたいくらい最近のお菓子は美味しい、今日は奮発していいの買っちゃったもんね、高いやつ 朝から店の前に並んで買ったんだ
「…あれ?」
ふと、手元に置いておいたクッキーの包み紙がなくなっていることに気がつく、取られた?誰に?決まってる、後ろのクソ野郎だ、アイツが菓子を食うとは思えないが奴は意地汚いからな 私が大切にしていると知れば構わず取ってくるだろう
よし、オッケー 殺して欲しいんだな、望み通りブッ殺してやる
「ちょっと!クッキー取らないでくれます!?楽しみにしてたんですけど!」
「私は取ってないよ、彼が勝手に取ったのさ」
「彼?」
文句の一つでも言ってやると振り返ろうとした時、私の隣に一人の少年が立っているのが見える、白い髪…赤い目 シリウス様にそっくりな見た目をした少年、確かこの子は…
「くちゃくちゃ……」
「バシレウス?」
「ああ、悪いね 言ってなかったよ、彼にも一応今回の一件を見学させておこうと思ったのさ、後学になるかなとね」
バシレウスだ、バシレウス・ネビュラマキュラ…この国の王にしてエリスと同じ…いや 当代最強の魔蝕の子 その双璧のうちの一人だ、魔蝕の才能とは魔蝕の起こる当日に出生が近ければ近いほど強い才能を持つことが多い、彼はその魔蝕当日に生まれた人間…
しかしそれがくちゃくちゃと下品に音を立てながら私のクッキーを食べているのだ、こ…このガキ、貰うなら一言くらい断り入れろやおい
「ば…バシレウス、それ私の…」
「……エリスだ」
聞けよ!ってか全部食べてんじゃん!お前王族なんだからこのくらい毎日食えるだろ!、しかも無視!くっそ!めっちゃくちゃ腹立つ!、年上は敬えよな!
そんな私の怒りも無視してバシレウスは遠方を指差す、遠視の魔眼を使ってみる先はエリスちゃん、知り合いだったのか?知らなかったな
「エリスちゃんがどうかしましたか?」
「アイツは俺の嫁だ、婚約してるんだ」
「え、初耳…ってか婚約!?マジすか!、貴方が!?人と婚約!?え?好きになったんですか?どの辺が?貴方人を好きになるポイントとかあったんですね!」
バシレウスは人間離れした子だ、食べ物は血が滴るような生で食べるし ベッドでは無く床で寝る、服を着るようになったのも最近だ、よく言えば野生児 悪く言えば人で無し、そんな奴が 人を好きになって婚約?ペンギンが空飛ぶようなもんだ、吃驚
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「キモ…」
「ウルキ、言い過ぎだ…だが私も驚きだな、バシレウスはシリウスの生き写しの完成品、そんな彼が人に恋愛感情を抱くなんて想定外だ…面白いな、魔蝕の子同士は惹かれ合うのか?…いやそれでは説明がつかない、ふふふ 若いとはいいね、口説き文句でも教えようかな」
「バカなんですか貴方、エリスちゃんとバシレウスが結婚して我々に何の得があるんですか」
「結婚式に呼んでもらえるだろう?」
「くちゃくちゃ…呼ばねぇ」
「だってさウルキ、残念だね」
「バカなんですか貴方は、呼ばれないのは貴方の方ですよ」
呆れて物も言えない、そう思いながら用意した椅子に腰をかければ、ふと 太陽が目に入る…、地を照らす天の大光にまるで幕がかかるように徐々に大いなる影が重なっていく、始まる 魔蝕が…
「天に影がかかり始めましたね」
「ああ、…いよいよ始まるね、それで?この後はどうするんだい?何か計画があるんだろう?」
「ええ、まぁ…計画のオマケではありますがね」
天から地に視線を移す、そう…おまけもおまけ 態々魔蝕の魔力を集めさせたのは、シリウス様の復活のため だけではない、舞台だよエリスちゃん…貴方が主演の舞台、いや これは予行演習かな
さぁ、役者が舞台に上がるよ…、貴方はもっと強くならなくちゃあいけないんだから、次の魔蝕までの間に シリウス様が復活してから、存分に役に立って貰うために…その為にはまず、箱…開けといてね
………………………………………………
「エリス!エリス!、大丈夫か!エリス!」
「し…師匠、レグルス師匠…エリスは」
焼け焦げる燎原の最中、抱き合う二人の声が木霊する、全身に風穴を開け血を流すレグルスと朦朧としする意識の中師匠の手を握るエリス
もう暴走の気配はない、確かに己を取り戻し 静まる魔力の中 エリスはただ静かに師匠の温もり感じます
戻ってこられた、ここに…師匠の腕の中に
「よかった、元に戻ったんだな…」
「師匠…エリスは一体」
「暴走していた、いやシリウスに操られていたとでも言おうか…苦労したぞ、強くなったなエリス」
やはり暴走していたのか、周囲を見れば酷い有様だ…これをエリスがやったのか?、一体何をして…そう疑問に思った瞬間、エリスを抱く師匠の手から血が滴るのを感じ、ふその手を見ると…
「し 師匠!その怪我!ひ 酷い怪我…」
足や腕 腹や肩にいくつも風穴を開け 血を滝のように流す師匠の姿を見て血の気が引く、とんでもない怪我だ 出血もひどい、ま まさかこの怪我…エリスが
「エリスが師匠を…師匠!」
「安心しろ…、この程度 少しゆっくりすれば…治るからな、っと…すまん 気が抜けたら一緒に力も抜けて…」
エリスを抱きしめる腕からフッと消えるように力が失われる、倒れたのだ 師匠が、手足を投げ打つように…、如何に魔女といえ血を流し過ぎれば死ぬ 傷を受ければ死ぬ、不老なだけだ 不死ではない
「致命傷は…避けていたつもりだったんだがな」
「そ そんな、師匠…嫌だ 死なないでください…師匠!」
青く 白く、生気が抜けるように冷たくなっていく師匠の体を揺する、死ぬ…師匠が死んでしまう…、師匠は治癒魔術を使えない エリスも治癒魔術を使えない、回復ができない 傷を直せない 血を止められない
嫌だ…師匠を、この手で傷つけたばかりか…その命さえ奪ってしまうなんて…嫌だ、嫌だ!
「レグルス師匠ッッ!!」
「死なん!、何度も言うがこの程度では死なん!魔女の体は頑丈に出来ているんだ、鍛えているからな」
「でも…師匠は治癒を使えませんよ…」
「治癒魔術だけが回復の方法ではない、魔力を消費すれば自己回復を高めることはできる、ただまぁ今回は怪我が酷いからな、ちょっと寝る それで動けるようになったらポーション使ってまた寝る、そうすれば全快だ」
「死なないんですか?」
「何度も言わせるな、こんな弟子を残して死ねるか、まだシリウスのところへ行くわけにはいかんからな」
無理に手を動かして師匠はエリスの頭を撫でる、死なない…のか?、安心は出来ない …そうだ、宿にポーションがあったはずだ、それを持ってこよう!直ぐにでも
「師匠、待っててください ポーション持ってくるので」
「む、そうか…それはありがたい、じゃあ…私はここで少し寝てるよ………」
そう言うと師匠はゆっくりと目を閉じて……
「師匠!」
「だから死なないって!、休ませてくれ」
そっか、死なないのか…よかった、でも傷ついた師匠をこのままにも出来ない、早くポーションを持ってこよう、目を閉じ安らかに眠りについた師匠を見守り膝に手を乗せる
そう、立ち上がった瞬間、エリス達以外の足音が 耳をつく
「っ…!」
「随分、酷い有様だね」
揺れる紺の髪、聞き覚えのある声…この声を聞くのは三度目だ、一度目はアルフェラッツで…二度目は路地裏で、エリスを殺した声…
「運命のコフ…!」
コフだ、アルカナの幹部…No.10 運命のコフが瓦礫に押しつぶされた城からゆっくりと そして怒気に満ちた声色を纏わせ、こちらを睨んでいる
「まったく、…酷い貧乏くじだよ、まるで僕達は捨て駒だ…大勢の仲間を失い 多くを失い、本部もこの有様だ…、まったく 酷い話だよな」
「なぜ貴方がここに…?」
「やはり覚えていないか、その様子じゃ 前の君に戻ったみたいだね」
戻った?本部もこの有様?まさかここ アルカナの本部か!?エリス暴走しながらアルカナ本部潰しちゃったのか、エリスとしたことがまったく記憶にない、まぁ意識もなかったし…
「す すみません、エリス…全然意識がなくて」
「謝らなくていいさ、先に弓を引いたのは僕達だ、結果として この事態を招いたのもね、いや…もしかしたら それらも込み込みで事は進んでいたのか、僕には到底分からないよ」
はぁ とため息をつきながら空を仰ぐ、天に蓋が重なり始め…魔蝕が始まる空をただ仰ぐ
「…ただ、こんなことになってしまったけれど、僕達の目的は変わらない…分かるね」
「…師匠を殺すつもりですか」
「いや、君もだ…僕達にも仲間意識はあるし、この城にだって愛着はあった、それにちょうど魔女も瀕死の重傷だ、今なら…そう考えてもおかしくはあるまい?」
コフが 一歩、こちらに歩む…いや師匠に向けてだ、そうだ この人達は魔女を殺すのが目的なんだ、魔女を………
「させません、悪いですが 師匠はエリスが守ります」
ダメだ、死なせるわけにはいかない エリスは師匠を失いたくない、湧いてくるのは怒りではなく、義務感ではなく…ただ静かなる闘志
「だろうね、……はぁ 儘ならぬ世だよ、運命とは常に目の前に壁を置きたがるものだ」
すると彼は着込んでいたコートを脱ぎ捨て身軽になると
「疲れているところ悪いね、君たち師弟には死んでもらう、アルカナの仕事や義務感以上に、個人的な憤慨と怨恨を込めてね」
始まる魔蝕 始まる戦い、この国でのアルカナとの最後の戦いを前に、エリスもまた構えを取る
ポッケの中の魔響櫃が熱を持ち始めたことに気がつかずに
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