孤独の魔女と独りの少女

徒然ナルモ

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五章 魔女亡き国マレウス

97.孤独の魔女と終焉の始まり

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「じゃあ、今日は修行はなし…って事ですか?」

「ああ」

朝ごはんを食べ終わり、食器を片付け終わる頃 師匠より発された言葉を復唱してキョトンとする、いや いきなり今日の修行は無しだと言われればびっくりもする

いや、いきなりではないか 昨日エリスは原因不明の頭痛に悩まされ、その後医者にかかったのだ

医者からは疲労からくるものと言われ、特に何かしらの病の兆候があるわけではないと…、実際昨日はそのまま帰ってきてベッドでぐっすり寝て 頭痛に悩まされることはなかったし、そういう症状が出ることはなかった

しかし、師匠は大事をとって今日明日は修行をやめて休めというのだ、まぁ疲労からくるものなら無視する理由もないか…

「思えば今日まで休みもなくずっと修行してきたのだ、疲れない方がおかしい お前は一度旅の疲れで体を崩した事もある、ならその時同様 少し休むべきだ」

「でも、あの時は熱も出ましたが 今回はエリスピンピンしてますよ」

「ピンピンしててもだ」


「まぁまぁ、エリス殿 師が休めというのなら、それもまた修行の一環でござるよ、ここは大人しく休むでござるよ」

なははと笑いながら師匠の味方をするのはヤゴロウさんだ、ちなみに昨日ヤゴロウさんはどこか働き口でもないかと城に赴いたらしいが、結果はダメだったらしい

『今は大切な時期だから お前のような怪しい風体の奴を城に入れるわけにはいかん』だとさ、まぁ何も知らない人間から見ればヤゴロウさんは異世界人にも見えるほどに怪しい風体だろうから仕方ないだろう

結局 昨日は働き口を見つける事なく無職のまま戻ってきた、がしかし ヤゴロウさんもなんとか銭を稼げるようにならねばならぬと言っていたので 何かしらの職を見つけるつもりはあるらしい

きっと今日も街をぶらつくのだろう、街は広どこかに彼の腕を必要とする人もいるだろう、あれだけの卓越した技能だ 活かす場所は必ずある

「休むって言っても、何をしましょうか エリス特にしたいことありません」

「ならしたいことを探せ、修行以外のやりたいことを見つけるんだ」

なんか 前メルクリウスさんに言われたな、趣味は心の拠り所だからあった方が良いと、しかし趣味があったとしてもエリスは修行に打ち込みたいから 何かに没頭することは出来ない

そういえば昔は本を夢中になって読んでいた事があったな、本と言っても大衆娯楽の本ではなく歴史書、魔女のことについて書かれた本を読むのが子供の頃は好きだった

ならそれを探してみるか?、そういえば考古学者のウルキさんもこの街にいるんだったな、なら彼女を見つけて オススメの本でも聞いてみようかな

「分かりました、ではエリス しばらく休みます」

「私がいうのもなんだが、もう少し嬉しそうにしたらどうだ?休日だぞ?、アルク辺りは修行のない日はそりゃもう嬉しそうにしていたが」

「エリス的には師匠と修行してる方が楽しいので…でも、あんまり無理して体壊しても意味がないので、休日は本でも買ってじっくり読書でもしようかと思います」

「そうか、まぁ そうやってリラックス出来るならそれでいい」

食器の片付けを終わらせると 壁にかけてあるコートを羽織る、師匠と揃いのコートだ アジメクを出る時もらったものだが、当時はダボダボで袖を折って使っていたが 最近はもう丈が合いつつある

このままいけば師匠と同じ背丈になるのかな、いやでも師匠は普通の人から考えてもかなりの高身長だし、目線が合うことは一生なさそうだな

なんて考えながら金貨と銀貨を数枚袋に詰めポッケに突っ込み服のシワを伸ばす、よし 

「では本を買ってきますね」

「ん、好きな本を買ってこい 私は宿で待っているよ」

「あ、じゃあ拙者は今日も職探しに行ってくるでござる、実は昨日ちょいと良いところを見つけて声をかけられたのでござる、今日はそこに参るでござる」

席を立つヤゴロウさんと師匠に挨拶をし、エリスは一足早く宿を出る 

外に出れば太陽は斜め上に上がっており、街は眠りから目覚め 仕事に向かう者や外で遊ぶ子供達で賑わいつつある、平和な朝だ

若干の肌寒さを感じながらコートを羽織り直し、歩みを進める

…さて、本屋はどこにあったかな この街に来てからもう三日だ、とはいえあまり外出もしてないし、街の構造など把握していない、空高く舞い上がり遠視で確認すれば一発だが、そんなこと街中でできないしな

まぁ、これも散歩と割り切って歩き回るか、休むと言っても横になってゴロゴロするだけが休むではない、こうやってなんでもない時間を楽しむのもまた 『休む』なのだ

「しかし、修行がないと思うと、なんだか気が抜けてしまいますね」

夜のうちに雨でも降ったか、雫の乗った民家の窓をチラリと見れば、眠そうに目を目を垂れさせた自分の顔が写ってる、自分で言うのもなんだが エリスは目つきの厳しい方だと思う

それがこんな風に呑気な顔してんだ、さぞお気楽な心持ちなんだろう

「ん?」

ふと、自分の後ろを歩く人間の姿に気を取られ 窓から目を移し振り返る、道の真ん中を横切るように歩くのは黒い服を着込んだ男女5、6人…とてもこれからパーティに赴く顔じゃない、喪服か?葬式か?とも思ったが それにしては悲しんでいる様子もない

ただ目を伏せ粛々と人並びになって歩く、…いやまぁ黒い服といえばマレウス・マレフィカルムが思い浮かぶが、この人達の格好はあれとはデザインがまるで違う、言うなれば彼らは敬虔な…

「ああ、信徒ですか」

「おや、お嬢ちゃん どうかされたのですか?」

エリスの呟きに道を横切る黒服達 信徒達が目を開きズラッと此方を一斉に見る、しまった…邪魔してしまったか

しかし彼らは邪魔されたとか 奇異の視線で見られたとか、そんな怒りを露わにすることなく慈愛の顔でじーっとこちらを見ている、それはそれでちょっと嫌だが

「あ、すみません…エリス この国の外…魔女大国から来たので、皆さんの格好が珍しくて」

「なるほど、魔女大国から それなら我々のような敬虔なテシュタル教徒は見慣れないでしょう」

テシュタル教徒、なるほど この人達は以前ホーラックで出会ったアリアさんと同じテシュタル教徒なんだ

テシュタル教…星神王テシュタルなる存在を崇め奉る宗教であり、今現在この世で最も隆盛している宗教だ、とは言え魔女信仰とは比べるべくも無く 魔女大国では彼らテシュタル教はあまり見かけない

がしかし、ここは非魔女国家だ テシュタル教もここなら羽を伸ばして信仰に励めるのだろう

「どうですか 今から教会で朝のミサがありますが、よければご一緒しますか?」

「いえ、エリスはテシュタル教ではないので」

「存じてますよ、ですがテシュタル教しかテシュタル様の教えを守ってはならぬと言う決まりもありませんし 協会に赴いたからとテシュタル様を崇めなければならないと言う決まりもありません」
 
「へぇ、そうなんですね てっきりエリスはテシュタル教だけの集まりかと…」

「まぁ数えればテシュタル教徒の数は多いですが、教徒でもなんでも無い人も多くいますよ、教会は街の憩いの場ですからね 」

別に祈らなくても良い テシュタル様は祈る者祈らない者を区別したりはしない、ただテシュタル様に教会に集う人々の繁栄を見せるだけでテシュタル様はお喜びになる…とのことだ

魔女が国民を愛するようなものだろうか、エリスにはどうにも宗教というものが理解出来ない…だが存外悪いものでも無いのかもしれないな、多くの人が信じると言うことは それだけ多くの人の信頼を勝ち得ているという事だ
 
無論、沢山の人に信じられていればそれは無条件で正しいというわけでは無いが、少なくともエリスは今この人達に対する悪感情を抱いてはいない、つまりそういう事だ

「誘ってくれてありがとうございます、でもエリスはこれから本を買いに行こうかと思ってまして」

「本ですか、ならそこの角を曲がったところに良い本屋がありますよ、少し古いですが その分品揃えも豊富ですから」

「ありがとうございます、親切にしていただいて」

「いいのです、これもテシュタル様の教えですから」

道行く人に親切にする教えか 随分現実的で庶民的な教えを説いているんだな、そのテシュタルという存在は…

テシュタル教徒の人達に軽く一礼をしてお礼を言い、教えられた通り 曲がり角を曲がると、若干人通りの少ない道に出る

いや、人通りこそ少ないが 手提げをぶら下げた人間がチラホラ見えるし、大通りでは無いにせよ ある程度の商店はあるようだ…多分この通りに本屋もあるのかな

なんて考えながら道を行く、右を見て 左を見て、歩き慣れない街をただなんと無く歩く、一歩先には見たことのない世界、こういう街一つ一つの景色を楽しむ余裕は 今までのエリスの旅にはないものだったのかもしれないな

こうやって思うと、エリスは今まで惜しいことをしたのかもしれない、アジメクにせよ アルクカースにせよ デルセクトにせよ、その、国々によって街の景色はまるで違ってきた

旅が当たり前になって感じていなかったが、こういう新鮮な景色はただ見ているだけで楽しいものなんだな

「…良い景色です」

ただ、なんてことない街 

ただ、見たことのない街

そこを見歩くだけでエリスの心が安らぐのを感じる、思えば最近のエリスにあまり精神的余裕がなかったようにも感じる

何かにつけて怒ったり 焦ったり 落ち込んだり、魔女を否定だどうのとキレてみたり 遅々として進まない修行に悶々と焦ってみたり

…そうか、師匠やヤゴロウさんの言っていた心の強さとは こういう事なのかな、精神的に余裕を持って 目の前のことでは無く大らかに世界を感じる余裕を持つ

楽観とは違う心の強さ 視野の広さ、これが最近のエリスに足りてなかったのかな

だとすると今なら箱を開けられるかな、いや 分かった気になっただけじゃダメだ、どうやったら常にこのくらい安らいでいられるか…それを理解しないことには先には進めまい

なら今は箱のことなんか忘れよう、またこうやって歩いてたら ふといいアイデアが浮かぶかもだし

それより今は本屋だ、ええと…この店は違い この店も違う…

「ん…?」

ふと、エリスの鼻がピクリと動き 街の石畳を行く足が止まる

なんだ、今微かに嫌な臭いがした…生々しい鉄の匂い、いや 血臭か?

「…一体どこから」

慌てて周りをキョロキョロ見回すが、相変わらず閑散とした平和な街が広がっており、皆匂いに気がつかないのか 周りの人間は慌ただしく歩いたり 店の人間相手に値引き交渉したり、普通の 一般的な 極めてなんてことない風景が広がっている

だからこそ同時に異様に思う、今風に流れて飛んできたのは確かに血の匂いだ、嗅ぎ慣れているからこそわかる …だが、こんな平和な街の一体どこで

本屋を探すなんて目的は頭の隅へ追いやり、その臭いの元を探す…エリスが犬だったらすぐに見つけられたんだろうけど、んー?どこだ?少なくとも目に見える範囲には無いし

…キョロキョロ見回しながら歩き…ふと、建造物と建造物の間 所謂裏路地が目にとまる、もしかしてあそこか?

光の差さない細い裏路地をひょっこり覗く…んん、よく見えない …臭いもあんまりしないし、もっと奥に行かないとわからない

そう 目を細めながら裏路地に足を踏み入れると

「おっと…」

突如裏路地から飛び込んできた白い何かに驚いて足を止める、それはエリスの胸に飛び込んできて …押し倒されはしなかったが、思わずたたらを踏む なんだ?これ?、いや 人か?

「だ…だめです」

「え?」

ふと、飛び込んで来たそれが人であることに気がつく、エリスの胸に飛び込んで そこから先へ行かせまいとエリスをグイグイと押す少女、それは白い髪と赤い目をして 至る所に包帯を巻いた少女で…

ん?、見覚えがあるぞ、この子…確か昨日の…

「貴方、昨日の演説の場に居た子ですよね」

「え?…な なんでそれを知って…」

レナトゥスとバシレウスの演説の場…その後ろに控えていた子だ、まぁ普通なら見えないところにいた子だが、遠視を使っていたからエリスの目にはバッチリ入っていた

王子であるバシレウスと同じ髪色と目の色から兄妹…つまり、この子も王族と思っていたが…こんなところにいるということは違うのか?

「と ともかく、この先へ行ってはいけません」

「この先?この路地に何かあるんですか?」

「な 何もありません、何も」

エリスをこの路地から遠ざけたいのか、力の限り少女はエリスの体を押すが、そんな細腕ではエリスの体はビクともしない、もしこの路地の奥に何かあるとしたら そう…それこそ流血沙汰的な何かがあるなら、行って解決しなければなるまい

血が流れるということは ただそれだけで物騒なのだから

「安心してください、こう見えてもエリス強いので」

「そ そういう問題ではなく、この奥にはお兄様が…」

お兄様?、そう疑問に思うよりも前に…路地の闇からぬるりとそれは現れる

…くちゃくちゃという 嫌な咀嚼音、燃え尽きた灰のような白 燃え盛る炎のような赤…そして、まるで絵の中の怪物が 形を持って現れたかのような、幻想的で現実的な恐怖の具現

それが人の形をしているギャップになおのこと驚いてしまうくらい、悍ましい人間が闇から現れた

「くちゃくちゃ…」

そいつの顔は見たことがある、この国で何度か名を耳した 何度か顔を目にした、だがこうして会うのは初めてだ…

「バシレウス……」

「…くちゃくちゃ…んぁ?」

バシレウス・ネビュラマキュラ…この国と次期 いや もう国王を名乗っている人間が、今 エリスの前に現れたのだ

それは虚ろな目をギョロリと動かしエリスの顔をじっと見つめて…

「あ…お兄様、あの これは…」

「……ぺっ」

するとバシレウスはエリスの足元に何かを吐き出す、唾じゃない 口に入れていた何かだ、それは、白く 奴の唾液で濡れていて コツコツと音を立てて転がる…骨だ、何かの骨…いや これは鳥獣の骨か?

「…………」

「ち 違うんです!この方はたまたま近くを通りかかっただけで、お兄様に会いに来たわけでは…」

「レギナ…どけ」

「きゃっ…」

レギナと呼ばれた少女はバシレウスを止めようと前に立ち塞がるが、彼はそれすら意にも止めずレギナを押し飛ばすと ゆったりとした動きでエリスの前まで歩いてきて、この顔を…ジーッと嬲るように見つめる

「な、なんですか?何か言いたいことでも?、というかこんな路地で貴方は何をしてたんですか」

「………ピーチクうるせぇ口だな…」

ギラリと鋸のような歯の並ぶ口を開けると、一言だけ そう宣う、するとバシレウスはそのままエリスに顔を近づけ舌を出し……

「……へ?」

エリスの頬をベロリと舐めた

「な!?なななな!ななな 何をするんですか!いきなり!?」

慌てて距離を取り裾で頬を拭く、生暖かく気色の悪い感覚 アイツいきなりエリスのほっぺを舐めてきたぞ!、なんの許諾もなく!いや許可を取ってたらいいというわけじゃないが…ああ!とにかく最悪な気分だ!

「…じゅるり…、うるせぇ奴だが 柔けぇ頬だな、温かいし…顔もいい」

「いきなり人の顔舐めるって どうかしてるんじゃないんですか!、いきなりじゃなくてもおかしいですが!」

「それにいい味だ…」

こいつまるでエリスの話を聞いてない、エリスの後味を吟味するように舌なめずりし ひひひと笑っている

王族だから好き勝手している…とか、そんな可愛らしいものじゃない 断じてない、…コイツは 単純におかしい、頭がおかしい…狂人の類だ

「おい、もう一回舐めさせろ」

「だから、…許可を取ればいいというもんじゃないと言ったでしょう!」

再びユラユラと幽鬼のようにこちらに舌を出しながら近くバシレウスに、思わず拳を振るう 咄嗟の抵抗、コイツが王族とか そういう思考は全くなく、単純に嫌悪と忌避の感情から来る抵抗だった

しかし

「手も柔けぇのに、鍛えてある…」

「なっ…受け止め…」

いとも容易くその手は受け止められた、エリスだって そこそこに体術は鍛えてあるのに、まるで意にも介することなく一瞥すらせず片手で受け止め…ってかコイツ!力強ッ!?全然振り払えない!

「ぐっ、…は 離してください…」

「お前…名前は?…」

「な 何を…」

「名前…いいから言え」

「ぐぅっ!?」

掴んだ腕を締め上げられ思わず膝をつく、まるで万力にでもかけられたかのようにエリスの手はギリギリ締め上げられ、あまりの激痛に顔を歪める、メチャクチャな奴だがそれ以上に強さもメチャクチャだ!

「え…エリスです、エリスはエリスです」

「エリス…ねぇ…」

堪らず名乗れば、手を締め上げる力は緩み…安堵する、あのまま名乗らなければ 手を引き千切られてたんじゃないかってくらいメチャクチャだった…、バシレウスはエリスの名前を反復するように呟くと

「気に入った、惚れたぜお前」

「はぁ!?頭おかしいんじゃないですか貴方!」

そう仰られるのだ、嬉しくない 全然嬉しくない、むしろ恐怖しか湧かない 血の気が引くほどに、こんな奴に気に入られたなんて 、なんだこいつ急に 惚れる要素がどこにあったよ!

コイツが王族である云々以前にバシレウスという人間個人にエリスは不快感しかなく…ってひゃわっ!?

「な なんですか!いきなり手を引っ張らないでください!」

「お前を城に連れてく、首輪つけて飼ってやる」

「何言ってんですが本当に!」

狂人だ、狂ってる…似たような人にソニアさんという前例を知っているが、この人はそれ以上だ、ソニアさんは少なくとも大義名分という理由がなければ相手を弄ばない狡猾さを持っていたが、コイツにはそれがない 力で相手を玩ぼうとするからなおのことタチが悪い!

「いい加減にしないと、エリス怒りますよ」

「知らん、お前は俺と言うことだけ聞いていろ」

「ふざけないでください…!」

怒る 怒った 怒りましたよエリスは、そんな横暴許してなるものかと魔力を隆起させる、こんなに力が強いんだ 多少魔術でぶっ飛ばしても死にはしないだろう

「大いなる四大の一端よ、我が手の先に風の険しさを与えよ…!」

詠唱を唱える、風刻槍だ 本当は使いたくないが、相手が実力行使に出るならこっちも実力行使だ、魔力を爆裂させバシレウスを吹き飛ばそうとした瞬間

「チッ…」

その赤い目がこちらに向けられる、視線が 紅の目線が…エリスの目を射抜き……

「ッッ!?か…はっ……」

まるでエリスの体に電流が走ったが如く痺れ、体に力が入らなくなる、力を失ったエリスはその場にへたり込み バシレウスになされるがままに引き摺られて…

なんだこれ、なんなんだこれ…目で見られただけなのに、、体が動かなくなった…いや この感覚には覚えがある、フォーマルハウト様だ あの見ただけで石になるという魔眼、それを使われた時と同じ感覚

…こいつ、もしかして魔眼も使えるのか それもエリスの知らないような高度な魔眼を、エリスと同じ歳で 魔女の弟子でもなんでもないのに…

本物だ、こいつは本物の怪物だ…!

「大人しくなったな、最初からそうしてりゃいいのに」
 
「や…やめ……」

「やめてください!お兄様!」

動けないエリスを引きずろうとするバシレウスに 再び少女…名前はレギナだったか、彼女がバシレウスに抱きつき涙ながらに制止する

「お願いですお兄様、やめてください…お願いです…お兄様」

「………………」

「わ…私は…どうなってもいいので、これ以上無関係な人を傷つけるのだけは…どうか」

「……チッ」

ギロリと一瞬レギナを睨むバシレウス、だが直ぐに深いため息をつくとエリスの手を離し

「面白くない、すっかり冷めちまった…腹も減ったし 帰る」

そう言いながらエリスの体をポイっと捨てて壁に叩きつけるとそのまま適当に歩いていくのだ…と思いきや踵を返し、もう一度エリスを睨み付けると

「だが、お前は気に入った…いつかまた迎えに行くから、それまでに花嫁衣装用意しておけ」

「い 嫌です…」

「その時が来りゃ嫌じゃなくなる」

それは運命だ いや確定事項だと言わんばかりの口調でエリスの顔を覗き込むバシレウス、なんなんだこいつ…いきなり目の前に現れて惚れただの花嫁だのと

いや、こいつにとっては関係ないんだ、ただこいつがそうしたいからそうする その時そう思ったからそうする、たったそれだけの理由でこいつは他人の人生を我が物にしようとする

本当にただ興が乗っただけなんだ、そこに理屈も理論もない 本当に芯までメチャクチャな奴だ

バシレウスはエリスの目を見てそれだけ言うと ひとっ飛びで家屋を飛び越え城の方まで飛んでいく、魔術も使わず純粋な身体能力だけで…

身体能力では遥かにエリスを上回り 魔力も単純計算ならエリスの二倍以上、エリスでさえ使えない魔眼を容易く使う才能を持ち 天賦の豪運も持ち合わせている…レナトゥスがあそこまで意気揚々と彼を玉座に座りせたがる理由も分かる

人格以前に バシレウスは凄まじい人間なんだ、それこそ いずれ魔女の座まで届き得る程に

「大丈夫ですか?、あの…えっと…エリスさん?」

すると倒れるエリスを見下ろすように、心配そうな視線で見つめる少女レギナ…、あれ?バシレウスが去ったからかな、体が普通に動く、問題なく立ち上がれるぞ?さっきまでは指一本動かせなかったのに

「いえ、すみません 助かりました、貴方が居なければ本当にアイツと結婚させられるところでしたよ」

「…お兄様が、あんなに誰かに興味を持つなんて初めてです、それこそ花嫁にするなんて…いきなりの事で驚きました」

エリスもびっくりだよ、いきなりバシレウスに求婚されるとは思わなかった、が どうやらバシレウス 誰彼構わず求婚する人間ではなく、それどころか他人に興味を持つことさえ稀だというではないか…

…ならなんでエリスが……、王族の人達と仲良くすることはたくさんあったけれど あんな嫌な王に気に入られたのは初めてだ、ほんと…嫌になる

「…改めまして、本当にすみませんでした 私の兄が、急に乱暴なことして」

「私の兄 ということはやはり貴方は、バシレウスの妹なんですね」

「…はい、私の名はレギナ・ネビュラマキュラ…バシレウスお兄様は私の兄です」

「となると貴方も王族ですか」

「いいえ、私はお兄様が王を継ぐと決まった瞬間から王家の権利を剥奪されています、今は 兄の専属の使用人…ということになってます」

王族から一気に使用人、しかもあんな奴の使用人とは 本当に可哀想な子だ、逃げ出したくとも立場上逃げ出せない、ましてや逃げ出せばあのバシレウスがどんな手に出るか分からない、…同情してしまう この子の生い立ちに

「その包帯の傷も バシレウスにやられたんですね」

「ッ!、こ…これは…転んだだけです、階段で」

どんな転び方だよ、絶対殴られた跡じゃん…使用人になったとはいえ妹に手をあげるなんて、外道め…許せん 天誅を加えてやると言いたいが、奴はそれが罷り通る立場と力を持っている、悔しい話だが 咎める人間は誰もいないのだろう

「そ…そうですか、しかし バシレウスはこんなところで何をしてたんですか?」

「食事です」

「ここで?、ここ路地裏ですよ」

「…あれを」

そう言って路地裏の奥を指差すレギナ、…足を踏み入れて確認すれば 夥しい量の血がそこかしこに散乱していて、むせかえるような血臭と死臭が立ち込めているこれは…

「なんですかこれ」

なんですかこれ それしか言葉が出ない、バシレウス…アイツほんとに人間ですか?

路地裏に食い散らかされていたのは死骸だ、鼠や鳥と言った小型生物の死骸 、それがバクバクと食い千切られ切れ端だけが血の海に浮いていた、…これを食ったのか バシレウスは、食っていたのか

しかもこの血の具合と臭いから言って死んだものを食っていたのではなく 食い殺したのだろう、つまりバシレウスは鳥やネズミを捕まえて食ってたのだ、人間じゃないよアイツ

というか腹どうなってんだ、絶対体に悪いだろう 寄生虫とか悪い菌とか山ほどいるだろうに、…いやアイツそれすらも消化しそうだな

「これ、全部バシレウスの食い残しですか?」

「お お兄様は、ナマモノが好きなんです、血が滴るくらいのやつが好きなんです」

また生食か、この国に来てからよく聞くワードだ、だからこそ思う これは生食ではなくただの捕食だ、それも原始的な

「普通街中でネズミ捕まえて食べます?」

「酷い時はもっと凄い物を食べられるので…、お兄様は普通の人と ちょっと違うだけで…」

酷い時は何を食うんだ……も もしかして…いややめよう、これ以上考えるのは

しかし、これを見て理解した、アイツは異常だ 世間一般的に言われる狂人とか異常者とか、そんなのが可愛く見える程に奴はおかしい 、エリスはこの旅で ヤバい奴も悪い奴もヤバイくらい悪い奴も多く見てきた

だがバシレウスはその中でもまさしく別格だ、その強さも異常性も…まさしく魔王だ

「…レギナさん、悪いことは言いません すぐにバシレウスの側から離れたほうがいいですよ、逃げられないというなら エリスが手伝いますから」

「いいんです、私はお兄様の側を離れたくありません…私が離れたら、お兄様は本当にダメになってしまう、私だけでも…側にいてあげないと…」

素晴らしい兄妹愛だ、それが一方通行でなければな、自分がいなければ自分がいなければ そう自分に言い聞かせなければならない関係性は破綻していると言ってもいい

でも分かる、エリスにはレギナの気持ちがわかる…彼女はエリスだ、奴隷だった頃のエリスと同じで逃げるという発想が出てこない、そこが自分の世界の全てだと思っているんだ、きっと無理に連れ出しても彼女は自分の足でバシレウスの元へ戻るだろう

外の世界を教えてあげないといけない…だがそれはエリスの役目じゃない、エリスには彼女の世界を壊せない

「…お兄様が城に帰ったので 私も帰りますね、エリスさんも あまりこの街には長居しないほうがいいですよ、お兄様は欲しいものは何が何でも手に入れる方です…次もう一度邂逅すれば有無を言わさず貴方を自分のものにすると思うので」

「ありがとうございます、事実長居するつもりはないので、安心してください」

「そうですか…それでは……」

ペコリとレギナは一礼すると、トコトコと小走りでバシレウスの跡を追うように王城へと走っていく

その揺れる小さな背中を見て…思う、出来れば助けてやりたい だが本人が助けを望んでいない以上、エリスは何も出来ないんだ、彼女が救われる道があるとするならバシレウスの改心だが…あるんだろうか そんなこと

なんて、エリスはバシレウスのこともレギナのこともよく知らない、人を第一印象で決めつけてはいけない事はデルセクトで学んだ事だ、存外バシレウスにも人の心があるかもしれないからね

そう心の中で無理やり納得しながら魔術で血を洗い流しとりあえず路地裏を綺麗にしておく、これを放置したらご近所が謎の異臭に悩まされることになるからね

「よし、終わりっと」

水で血を洗い流し終わり、さて エリスも元の目的に戻ろう

「ええっと、本屋さんは…」

バシレウスとの邂逅という衝撃的な場面に出くわしても、エリスの目的の根本は変わらない、そもそも本を買いに外に出たわけだしね

この通りは人が少ないこともあって、さっきの一連の騒ぎを見ていた人間はいないようだ、まぁ居たとして自分から関わろうとする人間はいないか…

「しかし、とんでもない国ですね…これからはアレが玉座に座って政治をするんでしょうか、…いや?既に政治の大部分はレナトゥスが担当していると言っていましたし、あまり関係ないのか?じゃあバシレウスは何をするんだろう」

なんて呟いているとふと 目に入る、本棚と静謐な雰囲気 …あった 本屋だ、店構えはお世辞にも綺麗とは言えない、所々に汚いシミが見えるが 入り口から見える内装は些か綺麗だ、店主の真面目な気質が見て取れる

店先から本屋の本棚ほの背表紙を眺めるが、うん 店そのものは古いが品揃え自体は良さそうだな

「失礼しまーす」

眼鏡をかけた老店主に軽く挨拶をしながら足を踏み入れれば、香る 紙の匂い…こう この匂いを嗅ぐと ああ今本屋にいるんだなって気がしますよね、この香りが好きというのもあるんですがね

「…さて、どんな本を…あれ?」

天井まで伸びる本棚の背表紙を眺めていると、一つ 見たことのあるタイトルが目に入る…これは確か

「…『マジカルヒーローシリーズ』ですか」

魔女や神といった超常的な存在から力を授かった正義感の強い少年が悪を倒すという内容の本…だったか?、中身を読んだ事はないがエリスはこの本の事を知っている

戦車のヘット、奴がこれを愛読書だとか言ってたな…てっきりまた嘯いてるもんだと思ってたが、本当に存在してたんだなこの本

背表紙を手に取り中身をパラパラと読むが…うーん、子供っぽい内容だ …ヘットも最近の内容は子供臭い内容になってしまったと言ってたが、見た感じどうやら『マジカルヒーロー』という小説は沢山あるらしく だからこそ『シリーズ』なのだろう

大体一年に一冊新刊が出るようだ、少なくともヘットが子供の頃から出ているから このシリーズも息の長い物語なのだろう

まぁ、読まないが 

「おや、エリスちゃんじゃないですか、エリスちゃんも買い物ですか?」

「へ?」

マジカルヒーローの本を棚に戻そうとした瞬間 ふと、隣から声をかけられる、聞き覚えのある声、これは…

「ウルキさんじゃないですか、ウルキさんも買い物ですか?」

ウルキさんだ、灰色の髪を揺らしながらエリスと同じように棚の本を手に取っていた、彼女も買い物だろうか 、前もたまたま同じ店で顔を合わせたんだ そして彼女はいつも決まったようにこういう
 
「そうですよ、凄い偶然ですね」

本当に凄い偶然だ、運命を感じてしまうほどに、するとウルキさんはエリスの手に持っている本を見て目を細め

「それ、買うんですか?」

「え?、あ…いや ちょっと気になったので手に取っただけで、読む気は無いですね」

エリスの手のマジカルヒーローシリーズを見て首を傾げている、いや 手に取っておいてなんだが、エリスにはちょっと子供っぽいかな …いやしっかり読めば楽しめるんだろうけれど、今こういうのを読む気分では無いんだ

「なるほど、ただ気になっただけですか…マジカルヒーローシリーズ…、私それ嫌いなんですよね」

「嫌いなんですか?」

「はい、…突然上位存在から強い力を与えられた人間が、そんな都合良くその力を正義の為に使えますかね…、私はそうは思わないんですよね 、都合が良すぎるなと」

そういうとウルキさんはエリスの手からヒョイとマジカルヒーローの本を取り、ジッとその表紙を見つめている

「強い力を得た人間がやる事は二つ、悪事を成すか さらに強い力を欲するか、その二つだけです その力を振るった結果偶々いい方向に転がる事はあれど、正義なんてあやふやな事のために力を使うなんて 勿体無くないですか?」

「それは…ちょっと分かりません」

「この本に書かれている主人公は、その力の意味を理解していない…魔女のような存在から 絶大な力を与えられておきながら、その力の意味を…カケラも理解せず、正義の味方ぶって自己満足的に悪を虐げている、だから嫌いなんです この本」

「なら、どう使うのが正解なんですか?」

「……、目指すべきでした 、善とか悪とか立ち位置によって変わるような不確定な物に殉ずる事なく、力以上の領域を…力を与えてくれた存在に報い居る方法はそれだけなんです」

そういうとウルキさんは静かに棚にマジカルヒーローを戻す、…力を与えられた存在が都合良く正義の為に生きられない…か

エリスも別に自分こそが正義の使者だと思った事はない、ただこの力を悪事に使おうとも思わない、…ただ目指している 師匠に恥じない弟子を

…だが、…その力を求めた果てに何がある?力以上の領域とは何か、それこそ不確定で曖昧ではないか、別に口に出して否定したりはしないが エリスはウルキさんとは考え方が違うな

「しかし、やはりマレウスは本の品揃えがいいですね、エリスちゃんもそう思いません?」

「え?、…ああ 確かに、他の国よりもかなり品揃えがいいように感じますね」

確かにウルキさんの言うように、この本屋 というよりこの国は本の品揃えが非常に多いように感じる、アルクカースは別にして アジメクやデルセクトよりも色んな本が満遍なく置かれている印象だ

それはこの国が様々な文化を取り込む国という特徴を持つからだろう

「…昔は 本は非常に高価なものだったんですよ?」

「そうなんですか?、高価ってどのくらいですか?」

「小さなボロ家が買えるくらいです」

そ そんなに高かったのか!?、なんでそんなに高かったんだ…

「なんでそんなに高かったのか って思ってますね、そりゃそうですよ 昔は今程本を作る技術が発達してませんでしたからね、今みたいに大量の本が様々な国に行き渡る事はありませんでした」

「そうなんですね、確かに貴重ならそのくらい高くても頷けますか…」

「でも、それも今は変わった…このマレウスの隣国 学術国家コルスコルピ、それが一つの本を大量に作る技術 活版印刷術と髪を大量生産させる方法を確立せたからなんですよね、あの国本大好きですから」

「そうだったんですね」

「ええ、本大好きで本を大量に世界に排出している国が隣にある、その関係で この国にも沢山の本が流れてくるんですよね、まぁ コルスコルピはこの比じゃないですが」

なるほど、確かにあの国は学術を重んじていると聞いたことがあるし、確か世界一大きな図書館があるんだったかな、そういう都合もあって本をたくさん作る技術というのは重宝されるだろうし

何より本がたくさん出回れば それだけ学問が広がるという事だ、このディオスクロア文明圏の発達に コルスコルピは一役買っているということか

「でも、急になんでそんな話してくれんですか?」

「別にぃ、本が好きなら旅の途中コルスコルピに寄ったら、ヴェスペルティリオ大図書館に立ち寄られてはどうですか?、あそこもかなりの歴史を持つ図書館ですし、面白いものが見つかるかもしれませんよ」

「面白いもの?」

なんだろう、考古学者のウルキさんが面白いというなら やはり歴史関係の何かだろうか、まぁどの道もう直ぐコルスコルピに行くし、その時は寄ってみよう そのヴェスペルティリオ大図書館とやらに、長い名前だな…

…ん?、そういえばウルキさんに旅をしてることってエリス言ったことあったかな、言ってないよな…まぁあんな辺境の村なんて旅してないと立ち寄らないし、そこから推察したのかな

「あ!、そうだ!ウルキさん、エリス ここに歴史の本を探しに来たんですけれど、何かオススメの本ってありますか?」

「え?おすすめ?、んー…歴史と言っても沢山ありますからね、これとかどうですか?、以前読んだことありますけれど、良い本でしたよ」

そう言ってウルキさんは本棚から一冊の本を手に取る…タイトルは『孤独之魔女伝記』、一瞬お!師匠!と思ったが、そういえばこれ持ってるぞ

師匠がエリスに修行のご褒美としてムルク村で買ってくれた本だ、懐かしいな…あの本旅に出た時星惑いの森の家に置いてきてしまったんだよな

「歴史…とは違うかもしれませんが、はるか古の大いなる厄災の事も変に誤魔化さず考察と推察を以ってして書いてますしとても勉強になりますよ」

「ウルキさんはこの本好きなんですか?」

「え?、…いや…まぁ 本としては」

なんだその変な答えは、本以外にどんな価値があるんだ…まぁいいや、買おうこれ

別に持ってるし 内容知ってるけど、買おう 二冊目になるけど買おう、エリスこの本好きだし、今また読み返せばまた何か新たに気がつく事もあるだろう、一字一句違わず思い出せるわけじゃないしね

「ありがとうございます、じゃあこれ買いますね」

「そうですか、お役に立てたみたいで嬉しいです、じゃ 私はこれで」

そういうとウルキさんは特に本も買わずにいつものように手をヒラヒラ動かしながら立ち去っていく、本買わないのか 目当ての本がなかったのかな、まぁいいや…エリスもとっとと会計済ませて宿に帰ろう

孤独之魔女伝記を抱えたまま受付のおじさんに銀貨を支払い、店を出る

あの時は本をまともに買う金も持ってなかったのに、今では軽く買うことが出来る…いやまぁこの金もカジノで全財産溶かした後、師匠が賭博で取り返したくれた分だから 正式にエリスのお金と言えるかは怪しいが

それでも成長を感じる、この旅を通して エリスは成長できているんだな…

「さて、帰ろうかな…」

本屋を出て来た道を戻ろうと、一歩足を踏み出した瞬間……やはり、いや なんとなく予感していたが、やはり来た

「ッ…来た、…いたたた…」

ズキズキと痛む頭、ぐるぐる歪む視界 昨日味わった頭痛と同じ謎の痛み

いや、昨日より酷い 昨日のが鈍痛だとするなら今回のはまるで脳を刺されているかのような、激烈な痛み 内側から頭を張り裂いて何かが飛び出すんじゃないかと思うほどの激痛…痛い 痛い…っ!、やっぱりだ!ほら!誰かが何かを喋っている!

こいつが喋ると頭が痛くなるんだ!頭痛の原意はこいつだ!

「誰ですか!何処にいるんですか!」

顔を振り上げればポタポタと床をエリスの脂汗が滴る、気がつけばあまりの痛みに全身汗でビショビショだ

「っ…!いるのは分かってるんです!、出て来なさい!」

叫ぶ、されど誰も答えない …ああああ!、まだ喋っている!ここか…頭の中か、頭の中にいるのか!こいつがエリスを苦しめているのか!

『……ーーーッ……ッッーーー』

聞きたくない!喋るな!お前が喋ると苦しくて痛くて堪らないんだ!頼むから黙ってくれ!、日に日に強まる激痛 日に日に大きくなる頭の声、なんなんだ 病気でもなんでもないなら、これは一体…!

やはりウルキさんか?ウルキさんに何かされたのか?、いや何かされたならエリスだって気がつくし…昨日はウルキさんに会っていない、なんだ この頭痛のトリガーは一体…

「かはっ…あ…あぐ…!」

頭を抑え 本を取り落とし、苦痛に喘なんでもいい…誰でもいいから、この痛みを…誰か…抑えてくれ…

「…まさか、気がつかれているとはね」

「っ…!?」

ふと、声が響く


苦痛に歪む頭をなんとか動かし、前を見る…誰だ 何人かの人間が立っているとは分かるが、目が霞んでいてよく見えない…

「ずいぶん苦しそうだね、前会ったときはもう少し元気だったのに」

「前…あ…貴方は!」

紺色の髪 憂いを帯びた目、覚えがある…!こいつは

「運命のコフ…!」

マレウス・マレフィカルム 実働組織…大いなるアルカナの幹部の一人、エリスが戦った戦車のヘットを上回る実力を持つ男 No.10運命のコフ…!、それが後ろに仲間を引き連れて現れたのだ

こ こんな時に…!

「あーっはっはっ!、なんだいこれが孤独の魔女の弟子かい!、予想よりもチビだねぇー!、ねぇ?ダーリン?」

「その通りさハニー?、こんな小さな子供一人 踏み潰すのなんてわけないさぁ~」

太った女と太った男のコンビがエリスを見て笑う、こいつらもアルカナか?…エリスの経験上の話になるが、その辺の構成員は黒い制服を着て 幹部は結構ユニークな服を着る傾向にある、つまりこいつらもNo.を持った幹部である可能性が高い

「ふぅーん、見てくれはチビだけど ヘットが負けたってことは、そこそこやるってことでしょう?、油断してたら負けるわよ ダレット ツァディー」

「うるさいよザイン!あたし達夫婦は無敵さ!チビには負けやしないよ!、ねぇ?ダーリン?」

「その通りさハニー?、僕達よりNo.が上だからって自分の方が強いって勘違いしちゃってるなんて可哀想だねぇ~」

「チッ」

太った男と女のコンビ…恐らく男がツァディー 女がダレット、そしてそれに対して文句を言ってるあの女がザイン…か

「おい、孤独の魔女の弟子エリスは驚異的な記憶能力を有すると聞く、下手な情報も漏らすべきではない」

するとその奥から一層大柄な浅黒い肌の大男が現れる、真面目でお固そうな雰囲気だが、彼もまた幹部なのだろう…

ってちょっと待て!こいつら全員幹部か!?コフも合わせれば全部で五人は居るぞ!?、コフ一人相手でも勝てるか分からないのに…その上…ッ!頭痛がまだ止まない…最悪だ、最悪の状況だ…!

「いいじゃないかラメド、もう隠す必要はないよ…エリスはここで死ぬんだから」

やはり、命を狙って来たか…

コフが一歩前へ出れば、ツァディーやダレット ザインと大男もエリスを囲むように立つ、五対一…多勢に無勢、おまけに未だ鳴り響く頭痛激痛…コンディションは最悪と言ってもいい

しかもここにいる全員がアルカナの幹部、下手すりゃヘットより強い奴も混じっているかもしれないこの状況、…どう切り抜ける…

周りを見る、助けを呼べる雰囲気ではない、見れば通行人もいない おそらくこいつらが人払いをしているんだろう…参ったな

「エリスを殺す?、…白昼堂々物騒な人達ですね、寝言を言うには太陽が高すぎますよ」

「言うね、まぁ物騒なのは承知の上さ 僕だってこんな殺し屋みたいな真似はしたくない、けれど分かってくれ、僕達の目的の為には 君に死んでもらわないといけないんだ」

「目的って…魔女を殺すことですか」

「ちょっと違うな、魔女のいない世の中を作る それが僕達の目的…いや僕自身の願望かな、周りのみんなの中には魔女に恨みを持ってる人もいるからなんとも言えないけれど、だけど 僕達はただの殺し屋じゃない、夢見る世界があるから そこを目指して戦っているだけだ」

「聞き触りのいい言葉を…、誰かを排さねば実現しない世界に夢なんかありませんよ、血を礎にした時点で 内容はどうあれその世界は呪われるんですよ…」

「ははは、耳が痛いな…だがそれは魔女も言えることじゃないのかな?」

「それは……ッッ」

くそっ、頭が痛くて会話もままならない、…誰かを犠牲にした時点で世界は呪われる、確かにその理屈は魔女にも当てはまるだろう、だが だったらお前達もやってることは同じだろう、同じことをやっているくせに魔女を否定するなよ

ッ…ああ!、頭が痛い!大事な場面なんだから引っ込んでろよ!

「まぁそう言うことさ、君の血と命の責任は僕が背負うからさ、存分に恨んで死んでくれ」

「っ…ま…待ってください、少しだけ…待って…」

「無理だ、ここで死んでくれ…」

合図などない、よーいどんで始まる殺し合いなどこの世にはない、あるのは無音の嚆矢

刹那コフが拳を握る、それよりも早く飛ぶ 何をされる前にこの囲まれた状況をなんとかしなくてはならない、飛ぶのは後ろ 太った男のツァディーと太った女のダレットがいる大柄な夫婦がいる方向

さっきこいつらはザインという女に向けて 『僕達よりNo.が上』と言っていた、恐らくアルカナのナンバーは強い奴ほど上になる筈だ、つまりこの夫婦はコフとザインよりもNo.が低い筈だ

つまり個々の力はこの二人より低い筈!、正面にいるザインとコフを相手にするよりこちらの方が早く突破できる!

「おやおや!ダーリン!こっちに来るわ!」

「本当だねハニー?、僕達の方に来るなんて間抜けだねぇ~?」

するとエリスの動きを見てそのブヨブヨした体からは考えられないほど俊敏に二人は動くとエリスの前へ立ち塞がる、くそ…比較的弱いというだけでやはり強いか!

「大いなるアルカナ No.3女帝のダレットと!」

「大いなるアルカナ No.4皇帝のツァディーの力を味わないなよぉ~?、『Alchemic・Mirror』!」

「錬金術!?」

ダレットとツァディーが二人揃って立ち塞がると共に、太った男のツァディーが両手を開いて周囲に輝かしい光を放つ

というかこれ!錬金術か!、デルセクトで使われていた物質を別の物質へ変換する魔術、こいつは今さっき ミラーと言った…つまり、鏡か!

慌ててツァディーの体から乱射される光線を避ける、未だに激痛は止まないが このくらい避けるくらいわけない

「ほほう、避けるかい?まぁ避けられても問題ないんだなぁ~これが~、僕錬金術は触れた物を鏡へ変える魔術なのさぁ~?」

鏡へ変える魔術、彼のいう通りツァディーから発せられた光が着弾した部分はまるで絵の具でも零したかのように光を反射する鏡へ変わっている、あの魔術に当たっていたらエリスも鏡に変えられていたのだろうか、嫌だとしても なんで態々鏡に?

…なんて思ってる間に今度はダレットが動く

「あはははははは!、じゃあ次はあたしだね!ダーリンの愛があたしを強くする!行くよぉ!『クリムゾンレイ』!」

刹那、太った女のダレットの拳から 一筋の光が煌めく、まさしく一閃 目視ではとても避けられない速度、故に直感で避けるというか詠唱が来た時点で回避行動を取っておいて正解だった

今のはツァディーの錬金術は違う純粋な攻撃魔術、超光速の熱線だ 直撃していれば眉間を射抜かれ死んでいた…!

「おや、あたしのクリムゾンレイを避けるかい!やるじゃないのさ!、だけどこれならどうだい!、あたしとダーリンの愛の合体魔術!、行くよ!ダーリン?」

「勿論いいともさハニー?、僕達の力を見せてやろうよ?」

すると掛け声と共にツァディーそのでっぷりと太った体を高速で回転させながら己の体を鏡へ変えるのだ、高速回転をするその体はまさしくミラーボール…一体何を…

鏡?熱線…まさか!

「『ミラークリムゾンカーニバル』!」

「ッ…!」

まさしく乱反射、高速回転するミラーボールとなったツァディーの体にダレットが熱線を撃ちまくる、鏡となった体は熱線を反射し四方八方へと反射し 不規則な軌道でエリスへ襲いかかってくる

ダレットだけなら避けられる、あいつの動きは単調だ 動きを読めばあの熱線など容易く躱せる

ツァディーだけなら驚異ではない、鏡にする光線はさしたる速度ではない、万全でなくとも避けられる

だが、二人の力が合わさると対応出来ない、全く予想できない形で飛んでくる熱線、オマケに避けたと思っても 先程ツァディーが変えた床や壁の鏡が熱線を跳ね返し再びエリスの方へと飛んでくる

まさしく熱線の地獄、ありとあらゆる方向へありとあらゆる方向から飛んでくる熱線、…仕方ない 極限集中を開眼して

「…ぐっ!?」

いたっ…!、ぐぅっ頭が痛くて集中出来ない…!、いだだだだ!あ 頭が割れそうだ、このままじゃこいつらに殺される前に死ぬ…!、頭痛の都度痛みが酷くなっている…!

あ…やべ!

「『招来魔術陣・豪壊業腕の陣』」

突如壁にザインと名乗る女が壁に奇妙な模様を描いたかと思えば 、その円形の模様から巨木の如き野太い腕が飛び出し エリスを殴り飛ばし、この体が空を舞い民家の岩壁に叩きつけられる

「がぶふぅ…」

み…見たことのない魔術体系だ…魔術陣?なんだそれは…いや、こいつらは世界各地から集まっている構成員だ、エリスのまだ行ったことのない土地の見たことのない魔術を使ってもおかしくない…!

だ…ダメだ、今の一撃もあるが頭痛が酷すぎで上手く立てない…

「幼子よ…魔女に与した己が過ちを呪え…」

「な…何を…」

ラメド…そう呼ばれた黒い肌の大男がエリス?見下ろし立っている、ヤバい…早く立たないと、抵抗しないと…ぐっ!痛い…頭が…

「今正義の断罪を『ペインシンプトム』」

「…?…ッッ!!ぐっ…がぁっ!?」

痛い…痛い痛い痛い、なんだこれ ラメドが魔術使った瞬間エリスの体が淡く輝き、あちこちから血が吹き出し身体中に激痛が走り、口から血を拭きながら悶え苦しむ

なんだよこれどういう魔術なんだ!?どういう魔術体系なんだ、分からない 分からないけれど、こんなに身体中が痛いのにそれに勝る勢いで頭が痛い

「なんだか本調子じゃないみたいだね、ベートと戦った時はもっと強かっただろう?」

「こ…コフ…」

地面に這い蹲り、激痛に耐えながら声の主を睨む、ダメだ…彼のいう通り本調子じゃない、とても戦える状態にない、これでエリスがいつもの状態なら…それでもまだ善戦は出来ていたはずなのに…

「だけど、僕達も君と真剣勝負をしに来たわけじゃあない、本調子じゃないというなら好都合、ここで殺す…そのために来たんだからね」

コフの目は本気だ、その身から滾らせる魔力はヘットの倍以上ある…、ダメだ 今の状態じゃとてもじゃないけれど勝てない、逃げることもできない

こんな…こんなところで…こんな形で終わるのか…、エリスは…エリスは

「死ぬわけには…行かないんです…」

「そうか」

無感情に呟くとその手を軽く虚空にかざし

「じゃあね、恨んでくれて構わないから『アウステルエグゼキュート』…」

巻き起こる風 風だ、突風…いや颶風、自然の猛威とも呼ぶべき絶大な風がエリスを中心に渦巻く

エリスがいつも起こす風とは違う、邪悪で陰惨で殺意に満ちた風が吹き収束する、その力の強さはよく理解している その破壊力は理解している、それを攻撃に用いた時 相手がどんな風になるか…風を得意とするエリスは分かっている

まずい…この風の吹き方はまずい!、しかしエリスの体は動かない 逃げようともがくが死にかけの虫のように手足はジタバタするだけで、それは抵抗とも逃亡とも呼べぬ足掻き

そして

「…これが、君の運命さ」

不可視の刃がエリスを中心地乱れ飛ぶ、剣の莚に巻かれるが如く その全身は切り刻まれ空高く 打ち上げられる

エリスは どんな悲鳴をあげていただろうか、それさえもかき消すほどの強風は激しくエリスの体を打ち付け、切り刻む

腕を 足を 体を 頭を 喉を 手首足首指先顔…全て余すことなく切り刻まれ、血だるまになった頃 ようやく風は収まる、解放された?違う 終わっただけだ

「思ったより他愛なかったな」

コフのつぶやきとともにエリスの体は地面に打ち付けられ、一つ跳ねると そのままうつ伏せに倒れる、動かない 動けないのか?違う、もう動くことはないのだ

「ねぇコフ、死んだの?」

「ああ、息をしていない 魔力も漂っていないからね、間違いなく死んだよ」

白目を剥き 血みどろになる少女の死骸を前に、コフは冷たく呟く こんな小さな少女を手にかけたという事実に心痛めながらも、もはや彼の手はそんな甘ったれたことで止まることはないほどに汚れてしまっている

可哀想だが、これも魔女殺しのため…コフ達は仕事を遂行したのだ

「あーっはっはっはっ、何が魔女の弟子だい!なんてことないねぇ!」

「その通りさハニー?、僕達にかかればこんなもんだよぉ~」

「…流石にこれをそのままにすれば騒ぎになる、僕達はとっとと退散して これの始末は構成員に任せよう」

「バラバラにしないの?」

「魔女じゃないんだ、生き返ったりはしないよ、ああ…気分が悪い いつだって血を見るのは気分が悪い」

コフは青い顔をしながら口元を押さえてそそくさとその場を去る、人払いを命じている構成員達にエリスの死体の始末を命じ 姿を消す、これで魔女に味方をする弟子は消えた

後は無防備な魔女に対して計画を発動させるだけ

恙無く標的を始末した幹部達は各々が各々の方向へと消えていき、跡には 血みどろになり息絶えたエリスの遺体だけが 残るのであった




『……眠れ、眠るのだ、眠りにつくのだ、…今はただ…、大丈夫…儂が直ぐに直してやるからのう』

ただ、頭の中に声が響いた


………………………………………………

月が街を照らす宵刻、街の片隅 人気の無い路地の奥の奥…

そこに蠢く影がある、黒い服…大いなるアルカナの一般構成員達だ、それが二、三人で集まっ血に濡れた麻袋を抱えている

中身は言うまでもない、孤独の魔女の弟子 エリスだ

幹部達によって始末され息絶えたそれの始末を命じられているのだ、少女の死体を放置すれば騒ぎになる、大事な作戦の前にそんな騒ぎを起こしたくないと No.10運命のコフに命じられ その死体の秘匿を任されているんだ

「ふぅ、ここら辺でいいか」

一人の黒く服が仕切りように呟くと共に 黒服達は其処に死体の入った麻袋を投げ飛ばす

…投げた先はゴミの集積場、ゴミが集められ 燃やされるのを待つある種の墓場だ、ここにゴミに紛れ込ませておけば、いずれ燃やされ この死体も跡形もなく消えることになる

「ここに放っておけば、後は他のゴミ同様燃やされて消されるはずだ」

「まぁ、俺たちとしては計画が発動するまで騒ぎが起きなければいいだけだしな、明日になれば どうせ魔女も死ぬんだ、ここに隠しておくだけでいいだろう」

「そうですね、…ああ しかし酷い匂いだ、我々もとっとと帰りましょうか、あんまり長居して怪しまれてもなんですから」

「そうだな」

麻袋をゴミの山の中に放置して、黒服達は立ち去る 明日になれば弟子同様魔女も死ぬ そうなればこの死体の行方などどうでもよくなる

我々は魔女さえ殺すことができればそれで良いのだから、そう皆口にして 闇に溶けるように黒服達の姿はなくなる


跡に残るのはゴミの腐臭と血の異臭、月夜に照らされた其処に動くものはない

「……………………」

孤独の魔女エリスの命運は尽きた、其処に残るのはただの死体 命果てたただの肉塊でしかない

「………………」

死んだ以上 生き返ることはない、この世に死者蘇生は存在しない

「………………」

時を巻き戻す術もない

「………………」

死んだエリスを元に戻す術は、どこにもない

「……………………」

その旅路、その日々、その修行はここで終わりを告げた

残酷なようだが、こんなものだ、死とは普遍に そしてどこにも転がっている、遠いようでいて近く 他人事のように見えて隣にいる、人はそれを感知出来ないだけで いつだって人は死ぬ可能性を秘めている

死を忘れてはいけない、終わりから目を背けてはいけない

それはいつでも、どこにでも あるのだから

「……………………」

無音の空間、吐息はない 当たり前だ、死んだ者は息をしないし 鼓動など奏でない

「……本当に、死んでいるならね」

…ふと、声が響く ゴミの山の頂上、黄金に輝く月を背後に座るそれは 足を組み、血に濡れた麻袋を眺めながら呟く

「死者蘇生 時間遡行 そして世界破壊、魔術界では不可能と言われる魔術、事実魔女も使えず 私でさえ使えない、存在しない魔術と言われるモノ…」

誰に言うでもなく、灰の髪を揺らし 紫の目を輝かせ、悪星は揺蕩うように唄う

「その三つは誰にも実現できない、世界は壊れない 時間は戻らない 死者は生き返らない、…それは世の法則 覆すことは何人たりとも出来はしない、ただ一人を除いて」

まるで その声に呼応するようにゴミ山…否 大地から魔力が溢れる、緑色の 祝福の如き淡い光が大地を覆う

「エリスちゃん、貴方の旅はここでは終わらない…貴方はまだ死んでいない、今はただ息をせず鼓動を奏でず眠っているだけ、いえもしかしたらずーっと 生まれてからこの瞬間までただ眠り続けていただけ…、そしてそれももう終わり 目覚めの時が来ましたよ」

光り輝く大地を見て、淡く笑う悪星…ウルキは両手を掲げ月を背後に立ち上がる、燃える炎のように 流れる血のように赤く染まった月を背後に、ウルキは…

「ずっと …ずっとこの時を待っていました、さぁ 覚醒しなさい、この世を割る鍵 …異界の写し鏡…現世の羅睺大悪星、さぁ 黄泉還りの時は来た」

淡い光はやがて麻袋の中に吸い込まれ …

鼓動のような…地鳴りのような…重音が響く、動くはずのない麻袋が動く 蠢き踠き、中の物を抑えきれなくなった袋はやがて音を立てて破れる、それはまるで 卵を割るような 繭を裂くような、孵化の瞬間 羽化の瞬間を表しているようだ

血みどろの袋から、それは立ち上がり…大きく息を吐く

「ふふ…あははは、待ってましたよ 待っていましたよ、漸く…漸く!」

袋の中から現れたそれは 果たしてエリスと呼べるのだろうか、かつてはエリスだったと呼ぶべきだろうか

月の光も届かぬ闇の中 それはむくりと体を起こし、目を開く 月よりもなおも紅き双眸が闇の中、ただ輝く

「漸く復活なされた…、エリスちゃん やはり貴方は私の思った通り、資格を持っていたようですね、…現世のシリウスとしての資格を」

袋から立ち上がったそれを、ウルキはシリウスと呼ぶ 、…シリウスと呼ばれたそれはぎこちない動きで振り向き ウルキを目に捉えると

ただ、笑った

「さぁ、此方へ…我が主人よ 、贄の用意は出来ております」



深き闇 深く夜、異様にして奇怪な光景は 黒へと消える

『一度目』の魔蝕は ついに明日に迫った、訪れるは変化か或いは…終焉か

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