孤独の魔女と独りの少女

徒然ナルモ

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二章 友愛の魔女スピカ

17.孤独の魔女と友愛グルメ

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「これが、スピカ様よりレグルス様への 城下町での活動資金となります、不足であればまたお渡ししますので、なんなりとお申し付けください」

 
スピカと別れ友愛の間を去り、そそくさと白亜の城を出ようとしたところで執事服を見にまとった老執事に呼び止められた、まぁ立派な服装や只ならぬ身のこなしの良さ 恐らくこの白亜の城の従者陣の代表 魔女と導皇に使える執事長と言ったところだろう
 
「こんなにくれるのか?…」

呼び止められた理由は単純、城下町を歩く時 使う金だ

スピカも私に気を回してくれているのか、或いはその財力を私に見せつけたいのか 街で飯を食うと言ったら普通に金を用意してくれた、が 問題はその額…小さな小袋に詰められているのはキンキラキンの金貨金貨…数にして二十数枚と言ったところか

魔女銀貨の凡そ百枚分の価値がある魔女金貨…通貨としては最高クラスの価値を誇る、ムルク村での農民の一ヶ月の収入が凡そ銀貨三五枚から五十枚と言われており、金貨は少し上層階級の連中が使う通貨 と言ったイメージのもの、文字通り高価な貨幣…殆ど商人が大規模な取引をする時とか貴族とかが使うような代物だ

ムルク村で銀貨十五枚を大切に使っていた私達からすれば、大金もいいところ…というか大金過ぎだ、何を食えというのか

「金貨をこんなに持たされて…どうしろと?」

「ししょー 皇都で家でも買うんですか?」

「いえ、魔女様が手元に持つ額としては少な過ぎます、魔女様は我が国における最上級の来賓ですので 本来は対価として代金を頂くなど不敬極まるところですが、今現在魔女レグルス様の存在は伏せられていますので ご容赦ください」

だそうだ、この小袋の中だけで ムルク村なら2~30年は遊んで暮らせそうだ、いや皇都の物価がどうかは知らないからなんとも言えんが…普通に金貨で取引してるところはないと思うが

「大丈夫か?財政圧迫しない?」

「問題ありません、アジメクは世界に名だたる列強国です、その上医薬品の製造販売で我が国の右に出る者はいませんので、この程度出費のうちにも入りません」

なるほど、確かにアジメクは医療の総本山と言われるほどに医療技術が発達した国でポーションや通常の薬も含め世界中と取引しているのだという

アジメク製の薬 というだけで信頼度は抜群で、それを欲する病人怪我人は世界中にいる それ故に取引相手も世界中にいるというわけだ…はっきり言えばすごい儲けているのだ

「ならいい、ありがたく使わせてもらうよ」

「エリス 金貨初めて見ました」

「私もだよ、ではいってくる スピカによろしく言っておいてくれ」

「かしこまりました、夕食には魔女スピカ様が晩餐を用意してお待ちしておりますので それまでにはどうかこの城に戻られるようお願いいたします」

夕食か、スピカと一緒に ということはスピカ専属の料理人が腕によりをかけた至上の料理が並ぶ事だろう、それは 馬車旅の道中私達の精神安定の一躍を買ってくれた、騎士団専属の料理人、彼を上回る王宮…いやアジメク一の魔女専属料理人が腕によりをかけるという事…

それは楽しみだな、是非それまでには戻るようにしよう

「今日はデティと晩御飯を食べる という事ですね、楽しみです」

「ああ…夕食迄には戻る」


………………………………

なんて、老執事に軽く挨拶をし街に降りたんだが…これが結構歩かされた

中央皇都アジメクという都は 世界有数の大国の中心部に存在するだけあり馬鹿みたいに広い、下手な小国並みに広いんじゃないかという街は……
広い とにかく広い、チラッと白亜の城から街並みを眺めて見たが、街並みが遥か彼方まで続いていた…

まず、白亜の城を中心にぐるっと一周回るように貴族や大商人のような所謂上層階級の連中が住まう区画が存在し、そこを更にぐるっと一周騎士達の住む区画が存在しその周りに商業や一般区画が存在し バームクーヘンのように何重にも毛色の違う街が重なっているのだ


しかしそういう街の構造を知らぬ私達は気が付かなかった、白亜の城から私たちが用がある商業区画まで凄い距離がある事に…

本来は馬車などで移動するのが普通らしいのだが そんなこと知らない私たちは、まだお店とか見えてこないね不思議だねなんて言いながらアジメクをうろちょろうろちょろ…

そしてやっとこさ商業区画に着いた時にはもうクタクタだった…

「ししょー…エリスもう疲れました」

「奇遇だな、私もだ…だが夕方にはスピカの所に戻らなければならんからな、適当に飯を食おう…腹が減ってこのままでは死んでしまう」

気持ち的には餓死寸前だ、朝から何も食ってないからな…だがここまで来てしまえば後はこちらのもの

「ししょー、でもご飯ってどこで食べるんですか?」

「ふふふ、抜かりはないさ…こんなこともあろうかと家からアジメクの観光ガイドを持ってきておいた、これで既に店に目星はつけてある」

そう言いながら取り出したるは小さな冊子、旅人がアジメクに来た時迷わないようにとある程度簡単に商業区画の説明がなされた本があるのだ、まぁその本質は何も知らない旅人に金を落とさせ街を潤わせる食虫植物地味た発想からくるものなのだろうが

幸いこちらには金がある、多少ボッタクられても痛くも痒くも無い、なんなら店ごと買ったってお釣りが来そうだ

「おぉー!、さすがししょー!どこで食べるんですか!どういう所なんですか!」

「落ち着け、うむ店名は猫柳亭と言い、なんでもアジメク名物料理の鍋を専門に扱う店だそうでな、観光に来た時にはまず立ち寄るべしと書いてある…なら立ち寄るしかないだろう」

「鍋!ししょーの得意料理ですね!エリス大好きです!」

いや私鍋が得意料理なんて言ったことないんだけど、とは言うが 思えば私 鍋で何かを煮ただけの料理とかよく出してたな、魚煮た鍋とか きのこ煮た鍋とか豆を煮た鍋とか…そっか そんな風に思われてたんだ、ま …まぁいい

「と ともあれ!場所は分かっている、急いで行くぞ」

「あ はいししょー!、鍋っ!鍋っ!」

エリスの手を握れば嬉しそうに歌いながらスキップをしだす、そんなに楽しみか いや私も頑張って調べた甲斐があったよ、この本 本棚の奥の方に押し込まれてて探すのに苦労したんだよ、いつ読んだのか記憶もなかったし…というか、この本買ったのいつだっけ






「ししょー…もしかしてここが猫柳亭ですか」

「その筈なんだが…」

本を頼りに歩くことおよそ5分、アジメク商業区画大通り、数多くの店が軒を連ねるこの道の片隅に、我々のお目当の猫柳亭が ある筈だったんだが、我々の目の前に広がるその店はどう見ても…

「どう見ても潰れてませんか?ししょー…」

「あ あれぇ、地図の見方間違えたかなぁ!?」

いやどう見てもここだ、この廃墟が猫柳亭ということになっている、え?潰れた?でもこの本には人気店だって書いてあるから早々潰れないだろうし、それについ最近潰れたというよりはかなり前から空き家になっているような気配が…

「あんたたちどうしたんだい?迷子か?」

我々が途方にくれているのを見かねたのか、空き家の隣に店を構える店主が声をかけてくれる、ありがたい 

「す すまない、我々は猫柳亭という店を探しているんだが…ここじゃ無いのか?、それとも別の場所に店を移して…」

「はぇ、あんた達随分古い店知ってるんだね 、猫柳亭は40年前に潰れたよ 店主が急にポックリ逝っちまってね」

ギョッと目をかっぴらき その旅冊子の巻末に目を向ける、待て待て待てこの本いつの本だ!?、いや行商人から買ったのはそんな前ではないはず と思ったが、これを買った当時はエドヴィンが生まれてすらいなかった筈だ、つまりこの本は…

「この本100年前の本だ…」

「えっ、ししょー…それじゃあ」

「すまん、ここからノープランだ」

何故そこに気がつかなかったのか、私の家の本棚の奥に突っ込まれてる時点で古の遺物であることはすぐに分かりそうなものを、もう この本は役に立たんだろうな 100年前から残り続けている店などほんの一握りだろうし、残っててもここに書かれた場所で続けているかも分からん

「そんな、…だ 大丈夫です エリスまだ歩けますから、ししょー ご飯食べるところ一緒に探しましょう」

なんてエリスは健気にも言ってくれるが、もう顔に書いているよ 『鍋が食べたかった』『お腹が空いて一歩も歩けない』と、ごめんね至らない師匠で 間抜けな師匠でごめんね

「おや、あんた達アジメクの薬膳鍋探してんのかい?、そりゃあちょうどいい 俺もそれ作ってるんだよ、これでも猫柳亭の店主の息子とは共通の友人をもってたんだよ、うちに寄ってきな」

「おお、君も同じものを作ってるのか それは僥倖だ、ぜひご馳走になろうかな エリス?君もこの店でいいかな」

「はい、エリスも是非食べてみたいです」

「よっしゃ決まりだ、すぐ隣だから入ってくれよ」

なんと言う巡り合わせの良さか、それともアジメクではメジャーな食べ物だったからか、もはやなんでもいい 、今から食べる店を探していてはスピカとの約束の時間に間に合わん

目の前の男が我々の探している料理と同じものを出せると言うのなら 最早食べる店などどこでもいい、と彼が暖簾を構える隣の店へと誘われる…なんか暖簾が汚い気がするのはそれだけ年季が入っているからだろう

「そらそら、2名様ご案内ぃ~ その辺の椅子に座っててくだいさな」

「はい、エリスご案内されます」

彼の掲げる店 『鳥兜亭』の暖簾を潜り適当にその辺のテーブルに腰をかける、私達以外に客がいないのはもうお昼時が過ぎてるからだろう

「よしよし、今日初めての客だから気合い入れるぞぅ!」

あれも何かの聞き間違いだろう、というかよくよく考えてみたら猫柳亭の店主の息子と共通の友人を持つ男ってほぼ別人 というのも何かの間違いだろう、もうめんどくさくなって我々はその辺の店に決めた結果やばい店に入ってしまったわけではないのだろう

…大丈夫か、椅子に腰をかけて周囲を見渡す、店の中はそれほど広いわけではないのだが それが広く感じる程人がいない、というか私達しかいない…壁に掛けているあれは恐らくこの店のメニューなのだろうが 汚れてきて読めない、あれを指摘する客はいないのか?…いやそもそも客がそこまで入っていないのでは

「お客さん達二人とも薬膳鍋でいいかい?」

「あ ああ、いいとも…よろしく頼む」

しかし、彼に悪意は感じない 本当に善意で 良かれと思って路頭に迷う我々を誘ってくれたのだろう、そんな彼に『なんか店の雰囲気がヤバイ感じだから帰ります』とは言えん

というか、既に椅子に座って楽しそうに足を揺らしているエリスを見てみろ、やっとご飯にありつけると満面の笑みだ、これを引っ張って外に出れる師匠がいるなら紹介してほしい

「ししょーししょー、薬膳鍋ってなんですか?」

「ん?、ああ…薬膳鍋ってのはアジメクの名物さ、医療治癒の総本山たるアジメクは食事にも気を使っていてね、薬食同源の思想の元に食べることで病気を予防し疲労も回復する健康の為の食事…まぁつまり、美味しくて体にもいい食事だね、薬膳鍋はそんなアジメクの医薬食同源を表した食事の一つと言える」

「成る程、食べると元気になるんですか?エリス楽しみです」

我が家では作らんが 一応、ムルク村でも食べられており アジメクでは割とポピュラーな料理らしい、聞いた話では辛い物や豆を漉した煮汁を加えた物など沢山あるというが…なんでもいい一度食べてみたかったんだよ、それに薬膳鍋は基本的に疲労回復効果もバッチリと聞く 、長い馬車旅の疲れを癒そうじゃないか エリス


ワクワクと微笑むエリスを眺めていると、出来上がったのか さっきの男…鳥兜亭の亭主が二つの鍋を抱えてテーブルまでやってくる、というか えらく早いな…

「へいおまち、冷めると美味しくないんで 熱々のうちに食っちゃってください」

「ああ、ありがと…う …?」

そう言って私達の前に置かれたそれは、なんだろう 薬膳鍋? 一応小ぶりの鍋の中でグツグツと音を立て泡を弾けさせるそれは、鍋 というか なんか緑のヘドロが並々と入っているだけなんだが?

え?これにスプーン添えられてるけど、これ食うの?いや臭っ!?臭ーっ!

「おい!亭主!これなんだ!」

「何言ってんですか、アジメク名物薬膳鍋じゃないですか、薬として使われる薬草を鍋で煮続けて原型がなくなるくらいとろとろにしたもので、その辺の薬膳鍋よりもずっと体に効きますよ」

「その作り方はもう薬じゃないか!、薬食同源はどうした!完全に食を捨て去っているぞ!」

ぐぅっ、アジメクの薬膳鍋はみんなこんな風じゃないと信じたいが…いや思い出した、ここはスピカの国であることを

スピカは我々八人がまだ持ち回りで食事当番をしていた頃、平気で薬草オンリーの飯とか出してきたからな、味もへったくれもない薬草料理…あれを思い出す、そうだ 油断した…このアジメクはスピカが一から作った国 ならその料理体系もまたスピカの影響を受けて然るべきだ

「まぁまぁ、文句なら後で聞きますから まずは食っちまってください」

「食えって…これをか?、具も何も入ってないだろう…飲めと?」

「ししょー、エリスから食べてみますね 」

なんて言いながらスプーンを持ち緑のヘドロを口へ運ぶエリス、それは恐れを知らないからか それとも限界を超えた空腹からくるものか、迷うことなくそれを口に含むと…

「…大人な味ですね、ししょー」

みるみるうちにエリスの眉は下がっていき、もう八の字で苦笑いしている いやそれマズいって事では、しかし弟子が食ったのだ 師匠が食わないわけにはいかない、というか私は常日頃からエリスには食卓に並べられたものは残さず食べなさいと躾けてきている、その私が皿を返すなど 出来るわけがないだろう

「ッー!、食ってやるさ!このくらい!」

スプーンを突っ込み引きあげれば緑の泥が糸を引いて持ち上がる、くそっ 食べたくない…が、ままよ と口に突っ込む ど道 の食べないという選択肢はないのだ!

「…っぷ…」

迸る激烈な苦味、舌の上に乗せた瞬間脳内に鳴り響く警報、ああ私の本能が叫ぶ 口に入れるな 咀嚼するな 嚥下するなと、寧ろ見事と言うほか無いだろう、食感も味も全てここまで酷く出来るのはある意味奇跡だ

全力で止める心の中の私を振り払い口を動かし歯ですりつぶし飲み込む…、最悪だ ある程度粘度もあるから歯で噛むとネトネトと糸を引く、その上 喉越しは最悪…汚い川辺の藻を食った気分だ

「ぅう…くそう」

なんとか一口飲み込んだ瞬間ふつふつと怒りが湧く、いや不味い事はこの際いい 、美味い料理がある以上不味い料理もまた一定数存在する、だがな 私が許せないのは…何故それを鍋いっぱいに作った、完食できた人間いたのかこれ

「ししょー、あの その…か 体に良さそうですよね」

あはは と苦笑いするエリスは私を気遣っていると言うのがビンビン伝わってくる、偉いなぁエリス お前は偉いよ、普通の子供ならこんな苦いの食べずに放り出すだろうに、私に付き合って黙々と食べている…私は 弟子に恵まれたよ、涙が出てくる

「どうですか?お二人さん 美味しいですか?」

「この反応を見て何故そこまで自信満々で聞けるのか、それが一番不可解だよ」

頼むから黙っててくれと亭主を無視し、この地獄の坩堝と向き合う …よし、エリス見てろ 私はやるぞ!師匠の勇姿を見ておけ!、取っ手を掴み鍋持ち上げ傾ける、向かう先は我が口 全て流し込んで一気に飲みきってやる!






「ぐぇぇぇ……」

「ししょー、大丈夫ですか」

あれから一時間 、悪戦苦闘の末なんとかあの薬膳鍋と名乗る何かを完食して机に突っ伏す私、ダメだ あのまま鍋を傾け一気飲みしてから少しの間意識がなかった、この孤独の魔女を卒倒させるとはやるな亭主 

「おお!、完食されましたか!いやぁこの店初めて以来初めてですよ 、完食される方」

「だろうよ、エリス 大丈夫か?」

「エリスは大丈夫です、寧ろ健康になった気がします」

んなわけあるか、あんなもん体に害しか生まんだろ ほぼ毒だ、実際鍋を完食したエリスの顔は真っ青で先程から小刻みに震えている、不健康極まりないじゃないか

「いやはや、毎度ありで えーっとお二人合わせて銀貨16枚ほどになりますが」

「分かってるよ、釣りはいらん 一刻も早く立ち去りたいからな」

ついに終わったか、もういい この空間にいるだけで胃袋が暴れ出す 一刻も早く帰りたい…、震えるエリスを抱え 小袋から金貨を一枚取り出し叩きつける

「おっとと、お客さん銀貨一枚じゃ足りないよ!後じゅうご…え?こ これ金貨!?なんで お客さんあんた何者で…」

呼び止める亭主の声を無視し、とっとと暖簾掻き分け外へ転がり込む…酷い目にあった



「エリス大丈夫か?、無理そうなら吐いてもいいぞ?」

「大丈夫です、エリス ししょーと食べられるならなんでも美味しく頂けますから」

鳥兜亭の目の前でエリスの背中を撫で労わる、ごめんよ私が不甲斐なかったから…今度からはちゃんと店を見て決めよう、流石に全部が全部このレベルだと思いたくはない、もしみんなこのレベルの物を有難がって食べてるような国なら私 即刻出てく

「…すんすん、ししょー 何だかいい匂いがします」

「は?いい匂い?…」

急に鼻を鳴らし 匂いがどうとか言い出すエリス、私的にはさっきの鍋が口の中に残ってて息をするのも嫌なのだが、…あいや 本当だいい匂いがする、香ばしく小麦が焼ける匂い 

これはパンを焼いている匂いだ、いやそれに若干花のような匂いも混じっているか?何にしろ非常にいい匂いだ、 うっとりしてしまう

「パンの匂いだな、見に行くか?美味そうなら口直しも兼ねて食べてみるのもいいだろう」

「え?…あ、はい…でもこの匂い…」

妙に歯切れが悪いな、だがまぁ付いてきてはくれるようだし構わないか、ぶっちゃけて仕舞えば この口直し云々は完全に私のワガママだ、もうパンでもなんでもいい この口の中に居座り続けるネトネトを何か食って洗い流したいのだ

別に私は特段鼻が効く訳ではないが、幸い この匂いの出所は分かる程に匂いの流れが濃い、恐らく店も宣伝のつもりで外にパンの香ばしい匂いを流しているのだろうが、効果覿面だ 今も一人、匂いに魅了された人間がウロウロと店の方へと招かれているのだから


えっと、…そんなに遠くはないと思うがと、歩き回ればそれはすぐに見つかった、人の良さそうな小太りのおばちゃんが清潔な白い服を纏いせっせと働くベーカリー、いやいい 実にいい 店が清潔なのはきっと食べ物も美味しい証拠だ

「すんすん、このパンの匂い…やっぱり」

「エリス、…さっきからどうした?何か気になることでもあるのかい?」

しかし、目当てのパン屋が見つかったというのに エリスの顔色は優れない、寧ろより一層険しくなる、パンが嫌い な訳がない、だとすると別の理由がある筈だ、しかし不甲斐ない事に私はその理由に心当たりがない…


「あらあら綺麗なお方だことで、ウチのパンが如何しましたか?」

なんて、店の前でぬぼーっと立っているところを見られたのか、中で働くおばちゃんに声をかけられる、ちょうど今焼き終わりました と言った頃合いなのか、体からはより濃厚な小麦と花の匂いが鼻につく

「いや、焼きたての芳しい匂いにつられてしまってね、ここまで香りの良いパンは初めて見るよ」

「おやまぁ、そう言ってくれると嬉しいねぇ、ウチのパンは匂いにこだわっててね、独自の配合で作り出した花のエキスも混ぜてるから パンというよりは果物のような新鮮な味が売りなのさ、この匂いは世界中どこ探してもウチだけさ」

流れるように宣伝文句が出てきたな、このおばちゃん 人の良さそうな見た目に反して案外図太い人なのかもしれん、まぁ 図太かろうが繊細だろうがこの際どっちでいい パンが上手ければそれでな

「そうか、ならその自慢のパン 二つばかり貰おうかな」

「ああ、いや ごめんよぉ 今から貴族様のところへパンの配達に行かなきゃならないんだよ、貴族領は遠い上に数を注文してくるからね、今日はもう 店を閉めようかと思ってね 」

「なぁっ!?そ…そうか、なら仕方ないな」

そりゃあそうだろうというのが率直なところ、本当に美味しい物は貴族や特権階級が独占していて然るべきだろう、くそう上層階級めと恨むことはない 寧ろ彼らが落とす金でアジメクの商業は回っているのだから

でもそっか、ないのか…そこは普通にショック

「ごめんねぇ、また明日来てねぇ?それじゃあ私 パンを運び出さないといけないから、またね」

「あ ああ、また立ち寄らせてもらうよ…はぁ、悉く食べたいものが食べられなかった…」

ガックリと肩を落としボヤく、せっかくのアジメク旅行だと気を入れてみれば 思えば散々だった 、おかしいなぁ八千年前 八人で世界を歩いた時はもっとこうスムーズに歩けていたんだがなぁ、旅の勘が鈍ったか?

「すんすん…」

「エリス はしたないぞ、あまり匂いばかり嗅ぐな」

「あ…すみません、あのでもこの匂い エリス嗅いだ事がある気がして…」

「何?」

嗅いだ事がある、とは言うがアジメクに来たのは今日が初めて、似たような匂いがあるかと言えば違うと答えられる、そもそも私とエリスは出会ってからずっと一緒に居たんだ、エリスが嗅いだ事あるなら私だって…いや違う、ずっと一緒にいたわけじゃない つまりこの匂いを嗅いだのは

「この匂い、エリス ご主人様の館で嗅いだ事がある気がします…こんな匂いのパンを 、ご主人様が食べてた気がします」

「ご主人様が?」

エリスの記憶力は異常そのものだ 恐らく記憶違いということはない、アジメクにしかこのパンはないと言う、つまり エリスはかつて…少なくともこの皇都アジメクに居た と言うことになる、この街のどこかに エリスの産まれた場所があるのか

「…ちょっと 昔のことを思い出してしまって」

昔を懐かしんだわけではない、寧ろ逆 未だにエリスを苛む暗い奴隷時代を思い出し、心細くなったのだろう、いつも以上に私に引っ付き体を寄せるエリスを、優しく抱きとめる…、エリスは記憶力がいい 、だがそれはいつもプラスに働くわけではない

忘れたい悲劇や惨劇も、エリスの頭は克明に記録してしまう、忘れて前を向く と言うのがエリスには出来ないのだ

「…ちょうどいい時間だ、そろそろ戻る エリス、こっちに来なさい」

「はいししょー」

硬く手を繋ぎエリスの手を引く、…別に エリスにここまで怖い思いをさせた館の連中に、今更言ってやりたいことなど一つない、エリスはもう うちの子だ…怖い思いをしたのならそれ以上に楽しい思いは私がさせてやればいい、だから 過去のことはもういいのだ

だが、私にはエリスを育てる者としての義務がある、エリスがどこで産まれ どこで育ち どこから来たのか、知る義務が…しばらく皇都でやる事が出来たな…


エリスと手を繋ぎ歩きながら 密かに決意する、この街にエリスの秘密があるのなら それを必ず見つけ出さねばと

 

………………………………………………



「おかえりなさいませ、孤独の魔女レグルス そのお弟子様」

「あ ああ…ただいま」

あれから白亜の城に帰った我々を待ち受けていたのは、これまた豪勢な歓待だった

いや、最初の時みたいにみんな揃ってお出迎えというわけではないが、なんかメイドや城の従者一同で列を作って出迎えてくれた、いや嬉しいが帰ってくる都度これやられるのは逆に鬱陶しいな

「晩餐のご用意が出来ております、奥で友愛の魔女スピカ様 魔術導皇デティフローア様もお待ちです」

「デティが!今日はデティと一緒にご飯ですね ししょー!」

「ああ、でも相手はこの国で一番偉い子だ 失礼はないようにな?」

「はい!」

ほほう、デティに会えるのがそんなに嬉しいか、私的にはライバルとして競い合って欲しかったが、しかしこんな関係も悪くないだろうと思えてきた

デティは魔術導皇としてこれからどんどん魔術を極めていくだろう、それは確実にエリスに魔術師としていい影響を与える筈だしな、それに友達はいないよりいる方がいい 特に気が合う友などなかなか出来ないし 大切にすればよい

まぁ、結論を言えば 同年代の子と仲良くするに越したことは無いだろう というもの


ウキウキと笑っているエリスを連れ立って白亜の城をカツカツと歩く、目の前には昼間私に金貨を寄越した老執事が背筋を曲げず流麗な動きで歩いている、私が言うのもなんだが魔女の道案内を任され平然としているとは この老人やるな

「どうぞこちらへ、孤独の魔女レグルス様の歓待のため 我がアジメクの粋を凝らした至上の料理の数々を揃えております」

「それは楽しみだ、が…そのメニューの中に薬膳鍋はあるか?」

「ええ、最高のものをご用意しております」

そうか、あれもあるのか…いや言うまい、客である私がメニューにあれこれ言うのはホストであるスピカに失礼だろう、無論出されたならなんでも食う 当然の話だ…けどなぁ、出来るならもう食いたくないな

「こちらになります、この先のお部屋にて スピカ様とデティフローア様がお待ちしております」

そうこうしてる間に 私とエリスが招かれたのは、白亜の城の一角 恐らく普段は中央皇都の貴族達を招いて会食を行う場であろうホールの入り口、優雅な彫刻が為された扉は既にかぐわしい香りを漂わせており、その先にあるであろう料理の数々を想起させる

「ごくり…」

そうエリスの喉音が響く、下品 と嗜める事はできない…何せ今日口にしたのはあのヘドロだけだ、空腹は極限状態 …そんな状況下でこのような香りを嗅がされたら、そりゃあヨダレだって出るさ 、いや私は出してない 魔女はヨダレを垂らさない

「スピカ様  デティフローア様 、只今レグルス様 エリス様が到着致しました」

我々を案内した老執事が扉の前で恭しく頭を下げ、扉に言葉を投げかける、すると

「エリスちゃんがッ!?エリスちゃーん!!」

「ごほんっ!デティ?落ち着きなさい、…ハーマンですね?入れなさい」

…何やら扉の向こう側が騒がしいな 、ああそうか 彼女達も私達を待って食事を前にお預け食らってたのだろう、だとしたら私達以上に酷な思いをさせたかもしれん、だとするならば謝らねばなるまい

「ではレグルス様 エリス様、どうぞ お楽しみを」

「ああ、ありがとう…すまなかったなスピカ、待たせてしまって」

ハーマンと呼ばれた老執事が扉を開ければ 一層匂いが濃くなり、ホールのど真ん中 広げられた円卓の前でに座りこちらを見るスピカの姿が…

「いえ別に待ってませんよ」

…もちゃもちゃと膨らんだ頬袋を揺らすスピカの姿がある、いや私を待てよとは言わんが もう少し威厳ある姿で待てよ 、めっちゃ口元に食べカスついてるし

「…んくっ、すみません早めに食べてました、レグルスさんのことですし もう少し遅れるかと思いまして、八千年くらい」

「嫌味にも程があるだろうお前」


「エリスちゃーん!こっちこっち!隣に席を用意してあるからこっち来てきてーっ!」

「はい、デティ …うわぁ、すごいご馳走ですね」

天蓋には絢爛なシャンデリアが黄金の壁を 床を照らし、まるで部屋全体を宝石箱のように輝かせる、いや中でも際立つのは中央に設置された白銀の円卓そしてその上にぐるりと並べられたるは肉々々に菜々々の酒々々 …炊金饌玉の山海珍味で大盤振舞い

豪華な食事を見慣れないレグルスもエリスも直ぐに理解するだろう、それはこの国で用意し得る…いや?この世界と言い換えてもいいか、それはこの世界最高級の食事であると

「ふふふ、ささやかなものですが 我が友との再会を祝した宴のつもりです、さぁ レグルス?席は用意してありますよ?遠慮なくかけてください」

「言われんでも座る」

スピカの隣にはまた随分と値が張りそうな空席が置かれている、む?よく見れば新品じゃないか マメな奴め昼間のうちに取り寄せたか?、ったく と腰をかければ目の前の食事が目につく

スピカの国だから、てっきりゲテモノご飯が並べられるかと思えば…香草で蒸された肉や 薬草で彩られたサラダと色合いも湯気立つ香りも極上の物、酒も良い香りだ 薬草を浸した薬酒か?どれも豪華極まりない上に全て薬としての効果を持つ体に良い物ばかりだ

あ、それに…これは!

「おい、これ薬膳鍋か?」

私の前でくつくつと泡を立てるのは鍋…、これは干した薬草や種を煮て作られたツユに味付けを加えた正真正銘の薬膳鍋、数多くの漢方が含まれている為 ただそれだけでも体に良いが、辛めに味つけられたそれは発汗を誘い 新陳代謝を整える、鼻の奥がひりつくこの辛味と旨味溢れる匂い …これだよこれ、私が食べたかったのはこれだ

「ええ、そうですよ?アジメクの名物と呼ばれることもありますね…えっと、これがどうかしましたか?」

「いや、実は商業地区でアジメクの名物料理として薬膳鍋を食おうかと思ったんだがな、それがひどい味で…うっ、思い出しただけで 吐き気がするよ」

「ははぁん、ハズレを引きましたね」

なんだその訳知り顔は、そうだよ きっとハズレもハズレ 大ハズレだろうよ

「商業地区ではアジメクの名物を偽り適当な料理を食べさせる店がよくあるんですよ、有名店の店長と知り合いで~とかなんとか嘘をついて無知な観光客引っ張ってね?、アジメクの薬食は奥が深いんです、適当な人間が簡単に作れるものではありませんよ」

アイツ!猫柳亭のナンタラと知り合いってのも嘘だったのかよ!だとするならアイツ何者だったんだよ!私達何食わさたんだよ!、急に怖くなってきたわ!

「あはははは、あの魔女レグルスが悪質な店に騙され一杯食わされ ゲキまず鍋も一杯食べさせられたと!あはは傑作!」

「うるさい!、あの手の大きな街に行くのは久しぶりなんだ!仕方ないだろう!」

「まぁ、それはそれとして我が友にゲキまず料理を食べさせるとは許せません、場所を教えてください 潰しときますんで」

「いや、いいよそんなことしなくて」

なに真顔で怖いこと言ってるんだお前は、別にぶっ潰してやろうとか考える程恨んじゃないよ、もう口直しだと 手元のパンをひっ掴み貪り食う…ってこの香り、昼間のパン屋のパンじゃないか、…買い占めてたのスピカだったのか 、こいつのせいで食い損ねたかと思うとなんか無性に腹立ってきたな…まぁ巡り巡って私のところに来てるわけなんだが



「エリスちゃんエリスちゃん、これ美味しいよ!あ!これも美味しいよ!食べて食べて!」

「はい、十分頂いていますよ、こんなに美味しい料理は初めて食べました」

「ぁえへへぇ、嬉しいなぁ 友達と食べるご飯っておいしいねぇ!」

エリスとデティも並んでご飯を食べて幸せそうだ、いやデティは幸せのあまりに気がついていない、エリスが怒涛の勢いで皿を空けて行っている事に、そりゃあそうだ 殆ど今日初めての食事みたいなもんなんだから

「デティ はい…半分こしましょう?」

「え?いいの?」

「はい、たくさんありますし、エリスはデティと味わう方が楽しいです、あ 口元に食べかすが付いてますよ

「あわぁ…ご ごめんね」

そう言いながらデティの口元の食べかすを拭い食べる、共に味わう方が…か、おそらく私と出会う前まで孤独の食事をとっていたエリスだからこそ出る言葉だろう、しかしエリスよ…それはどうなんだ まるで口説き落としているみたいだぞ、さっきからデティもエリスの甘い言葉に振り回されているように見える

いや悪いわけではないが、…うむ 昼間から思っていたことなんだが エリスはやはり人と距離を測るのが苦手みたいだ、他の人間に興味がなければ絶対に距離を縮めないが、逆に興味がある人間にはもうグイグイ行くようだ、エリスのこの性質がオープンな性格をしているデティと相性がいいんだろうが

「共に頂きましょう、デティ?」

「あ!うん!エリスちゃん!」

…仲良いなぁ、私達八人の魔女も仲は良かった …が、最初からではなくその友情は時間経過によって培われたもの、最初の頃は酷いものだったし 、ここにいるスピカと本気の喧嘩をしたのだって一度や二度じゃない…まぁ色々乗り越えて我々の友情は深いものになったのだが

エリスとデティの友情はこれからどうなるのか、なんとなく気になる…私としては 一生ああやって仲良くしていてほしいな、立場云々関係なく 仲のよかった友人と反目する未来など、想像したくないからな

「むぐむぐ、デティはいつも こんなに豪華な食事を取っているのですか?」

「ううん、いつもはお部屋で一人で食べてるんだ 、先生も普段はいつご飯を食べてるかの分からないし…だからこうやって誰かと食べるのが楽しくて…」


普段はスピカと一緒に食べてないのか、いや師弟だからいつも一緒にとはいかんだろうが 、食事とは団欒の場でもある 、食い物を口に含みながらでなければ出ない話題もある

というかスピカは、なんだかデティに冷たい気がする…私の前だから、というよりあれはいつもあんな感じっぽいし、抱きついてきたデティを突き放すような事を言ったり、その態度にあまり愛を感じられない

「なぁスピカ、昼間からずっと聞きたかったんだが お前弟子のデティフローアに対する態度が少々きつくないか?」

「…普通です、あなたが甘すぎるんです」

むっ、まぁ私が甘いのは否定はせんが…しかしスピカの目が鋭くなるのを感じる、どうやらこれはなんとなくで冷たく接しているわけではなさそうだな

「だとしても、デティフローアが導皇の座を継承していると言うことは両親は他界していると言うことだろう、今のデティフローアは孤独だ それを師たるお前が親代わりになって受け止めてやらんでどうする」

「私があの子の親代わり?くだらないことを言わないでくださいレグルスさん、私にそんな資格はありませんよ」

ふむふむ、スピカの痛々しい表情を見るにあまり明るい話題ではなさそうだな、幸いここは酒の席 話を聞いてみるとしようか、既にグラスに注がれていた薬酒を仰ぎ スピカの方へ体を向ける

「…スピカ、詳しい話を聞かせてくれるか?、嫌ならば言わなくとも良いが」

「別に隠し立てする程の内容ではありませんよ、私がデティを弟子に取ったのは ご存知の通り 両親を早くにして無くしたからです 、親の教育無くして立派な魔術導皇は育ちませんから それを代わりに行うために…ただ、デティフローアの両親を見殺しにした私には 『親の代わり』になる資格がない と言っているのです」

「見殺しか これはまた物騒だな…」

「ええ、物騒です…私はデティの両親を助けられませんでした その力がありながら」

そう語るスピカもまた酒を仰ぐ、魔女の体は特別だ あらゆる毒素を分解し無効化してしまうが故に我々は酔えない 、だが酒を飲めば落ち着くことに変わりはないし、酒が作り出す場 というのは口を軽くすることにもまた変わりはない

現に、スピカの口は堰を切ったように それを話し始め

「デティの母親は一年と少し前の 大雨によって招かれた洪水の際亡くなりました…、郊外の村々を魔術で救う為 回っていたとき 橋の崩落に巻き込まれてね、私が到着した時には既に事切れており…精々その遺骸を綺麗に整えてあげるくらいしか出来ませんでした」

「そうか、居た堪れないな」

洪水…エリスと出会ったあの日の大雨のことだな、あれはアジメク全土に5日以上も降り注いだらしい、アニクス山の方はそれ程被害を負わなかったが酷いところは未だに復興作業が続いていると聞く…恐らくはその雨でデティは母を失ったのだろう

魔女と言えど 橋の崩落を事前に防ぐ事は出来ないし、超遠隔から治癒魔術をかけて助けることなども出来ない、雨雲を散らす事はできるが 下手に雨を散らすと今度はかえって旱魃を生むから おいそれと雨も消せない…いや、こんな事が起きるとわかっていたならスピカだってすぐに雨雲を消し飛ばしていただろうし、何よりそれが出来たから後悔しているわけだしな

「…そして、デティの父は 幼い頃から不治の大病を患っていました、当然魔術を用いて治療し続けてましたが時間稼ぎにしかならず、最期は我が力及ばず 彼は力尽きました、…なんて あれは完全に見殺しです、死ぬと分かっていて 治療を打ち止めだのですから」

「ん?何故治療をやめた、例え完治出来ずとも生きる事が出来たならそれで…」

「あれ以上は無理でした、死に至る病と無理に生かそうとする治癒魔術が体内でぶつかり続ける、その苦痛は想像を絶するものでしょう…このまま続ければ、そのシワ寄せは彼の精神へ向かう、 …ですから 治療を止めました」

いやスピカ 肝心なことを言っていないぞ、お前が一人でそんな決断するわけがない 恐らくはその、デティの父と話し 納得の上だったのではないか?、いや スピカ自身はその決断に納得していないから、こうやって罪悪感を感じているのか

「両親を見殺しにした私を、デティが恨んでいないわけがないでしょう?、私にはデティを抱きしめる資格も親の代わりとして愛する資格もないのですよ」

いやスピカは悪くない!…と言うのは簡単だが、それはあまりに友人として無責任だ、スピカはデティの両親の死を背負おうとしている、それを耳障りのいい軽い言葉で茶化す事など出来ん

「そうだな、まぁ、その気持ちは分からんでもない」

私もエリスの親として振舞う事は憚られる、だってエリスの親は別にいるんだ ただ拾っただけの私が、親を名乗ることなどできんだろう?、それと同じだ

だがな、それで言わせてもらう

「スピカ、お前はデティフローアを立派な魔術導皇にしたいのだろう?」

「ええ、そうです それは我が使命です、デティを立派に育てる事は 私が助けられなかった二人にしてあげられる、唯一の懺悔なのですから」

「なら愛せ、親の代わりでなくとも良いから愛してやれ、あんな冷たく当たるな」

スピカの目が更に険しくなる、だが言わせてもらう あの態度では良好な師弟関係は築けん、師弟とは信頼関係からなる関係だ、片方が罪悪感から片方を直視しなければいずれ すれ違う、それに

「愛されない人間は 愛を知る事が出来ない、このままお前があの態度を取り続ければ デティはいずれ愛無き人間になってしまうぞ」

「魔術導皇に愛は必要ありません」

「必要だ、魔術導皇とは魔術界における法典、愛無き法と情無き裁定で世の秩序など保てん、人の上に立つ者が愛を持たない事の恐ろしさを知らないお前じゃあるまい」

「……レグルスさん」

「愛とは与えられて始めて生まれる物、それを教えず与えずして何が師か 、笑わせるな」

「…………」

うっ スピカが顔を背けた、流石に言い過ぎたかも知れん…確かに私達の師弟関係が理想の物とは言わん、だが 両親を亡くし育ての親からも愛を受けられないデティが不憫でならんから私も少々出しゃ張り過ぎた

「私に このアジメクの大主たる友愛の魔女スピカに、そうやって厳しい言葉をかけるなんて 不敬ですね…普段なら打ち首ですが、友達だから許しましょう」

「それはありがたい」

「さて、この話はここで終わりです…さぁ、食べましょう」

口が過ぎたか、話を聞くと言っておきながらあんなに叱りつければこの反応は当たり前か、まぁ スピカもデティの関係も、これから変わり続け お互い丁度いい距離感を見つけるだろう、そこにまで口を出すのは流石に失礼というもの

さてさて、お話が終わりだというのなら 私も食事に集中しよう、鍋だ 鍋を食おう…うはは、美味そうじゃないか 匂いを嗅いでいるだけで腹が鳴る、どれどれ一口…っー!美味い美味い 口を刺す痛みにも似た辛味は程よく体を温めてくれる

エリスやデティのような子供には刺激が強いかも知れんが、私的には満点の味だ  止まらん、食べるのが止まらん 、別に辛いのは好きじゃなかったんだが …うぅっ、美味い 今日初めての飯だからか

「…空きっ腹でよくそんな辛いの食べられますねレグルスさん、お腹壊しますよ」

「魔女は腹など下さない」

「ふふふ、そうですか 魔女でも下すと思いますがね、私下しますし」

スピカの顔色的にあんまり怒ってないみたいだな、いやよかったよかった…私とスピカはあれで関係性が悪くなるような仲ではないが、それはそれとして本気でスピカを怒らせてしまったなら全力で謝るつもりだったしな

「…レグルスさん」

「ん?、なんだ?」

 酒を呑み一息ついていると スピカの声色が変わるのを感じる…、っておいなんだ 目に涙まで溜めて、な 泣くのか?泣くのかスピカ、どうしようやっぱ言い過ぎたのか…今からでも謝るかと椅子を立とうとした瞬間 その裾をスピカに掴まれる

「しばらく私の側にいてくださいレグルスさん、…永遠に でなくとも構いません、しばらくアジメクに住んで私の側にいてください」

その姿は、かつてのように弱々しく 涙を溜めるスピカを想起させる

今この国でスピカは 孤独だ いや孤高というべきか、周りに人はいるのだが 対等となる相手が一人としていない、誰からも畏れられ 理解されず 完璧を求められ続ける生活を凡そ八千年、その苦痛は如何程のものか

この世界の秩序の為 永遠にその身を捧げる、その覚悟の上で魔女達は国を治めている…が それでも辛い時は辛いだろう

こうやって友が寂しがっているなら、やることは 出来ることは一つ

「ああ、そのつもりだよ 私で君の助けになるなら、しばらくアジメクに滞在しよう…それに、ちょうどこの街でやりたいことも出来たからね」

「やりたいこと?」

そうだ、やりたいこと…もしこの街がエリスの故郷だと言うのなら、エリスの素性を調べておきたい、それでもし エリスの母の墓の一つでも見つかったなら、挨拶くらいしておくべきだしな

「まぁいいでしょう、おほん ではレグルスさんのお部屋はこの白亜の城に用意しておきますのでそこの部屋を自由に」

「いやいいよ、街で宿とるから」

「えっ!?」

がーんと効果音でもつきそうなレベルで驚愕するスピカだが、なんだ?私がこの城で寝泊まりすると思ってたのか?、勘弁してくれ こんな豪華な城で生活してたら息がつまる…毎日執事メイドに気を遣われるのは、それはそれで慣れないうちは体力を使うものだ

故に、このもらった金貨で商業地区の宿をしばらく借りることにした、そこから馬車でも走らせるなりなんなりして城への移動を行う、当然 馬車の手配云々はスピカに頼まなければならないがな

「まぁ…貴方がこの城に住まうのが嫌だというのならそれで良いです、思えば昔から貴方は質素極まる生活を続けていました、森に住むのが好きですものね」

「別に私が好きだったわけでは…いやそうだな、人が少なく落ち着ける場所が好きだ、故に城に住む気にはなれん すまないな」

別に構わん と言いたげに微笑むと目の前の料理を軽く摘み始めるスピカ、究極的に言えば魔力で生きている魔女に食事は必要ないのだが、私に合わせて食事をとってくれているのだろう

しかし友との食事とはいいものだ、いずれ また八人揃って盛大に飯でも食いたいものだ

………………………………………………


そして、レグルス達のアジメクでの最初の1日は終わり 月が天高く登り始める


それと同時刻、アジメクの国境付近…公式な船乗り場など存在しない沿岸部、所謂不法入国を斡旋する裏港に薄汚いい一団が到着していた

「しかし、よかったのか?山猿」

「ん?何がでやしょう?山猩々の兄貴」

彼らはアニクス領 隠れの砦の大捕物から逃げ延びた一行、偽の魔女レグルスの配下として働いていた山賊達、その一部が 裏港の酒場に屯し酒を仰いでいた

そんな中 不満げに呟くのは巨漢 山猩々だ、不覚にも小さな子供相手に敗北し、地下で気絶しているところを 今の目の前で下卑た顔で笑う山猿に助けられていたのだ

山猿曰くもはやこの盗賊団は沈み行く船、貰えるもの貰ってトンズラしようと提案してきたのだ、ここにいる十数人の盗賊たちはその誘いに乗った者達…最初は仲間を裏切った罪悪感に苛まれるものも居たが、その直ぐ後 あの砦に残っていた山賊全員、騎士によって捕縛されたと聞いて やはり自分の選択は間違いではなかったと安堵の息を漏らしたのだ

「あの魔女様を置いてきちまってよかったのか、って聞いてんだよ 一応俺たちのボスだろう」

ただ、山猩々が不満なのは 自分達の事実上のリーダーである魔女レグルスに、山猿が声をかけていなかったという事実、これは明確な裏切り 謀反だ、彼女には甘い汁をたくさん吸わせてもらった、山賊にだって恩義はあるし情もある

「いいんでやすよ、あれはあの小娘が煽てられて勝手にやらかしただけなんだから、そんなのに付き合う必要はない、それに偽物に協力してたとあれば刑罰も重くなるしぃ?」

そもそも、盗賊達だってバカじゃない あれが偽物だということ自体は、早々に気がついていた

もし本物のレグルスなら盗賊みたいな真似しなくてもいい暮らしなんて出来るだろう、大方あの偽物は再就職に失敗した元宮廷魔術師とかだろう、バカだが実力はあったから利用価値もまたあった…

そして当然、利用価値がなくなったら切り捨てる 当たり前の話だ

「これが気に食わないなら 山猩々の兄貴だって、今からでも自首して他の仲間やあの偽物と一緒に心中してくれたって構わないんでやすよ」

「ふんっ…」

山猩々はまたも不満げに鼻を鳴らす、山猿 こいつは腕っ節はないが弁は立つし悪知恵も働く、何より野心に溢れている そこは山猩々も評価している…こいつに従うつもりはないが、こいつについていけば俺はまだまだ強くなれるしまだまだ再起出来る 、なんて 考えていることが手に取るようにわかる

「さてと、ここで一服したら出発しやすよ、あの盗賊団が捕まった以上 俺たちもこの国の騎士団に目をつけられてる可能性がありやすから、とっとと国外へ逃げやすよ」

そう言って抱える鞄にはあのバカな村から分捕った財産とあの偽物が奴隷市場建設の為に溜め込んでいた資金が詰め込まれている、全部合わせりゃそこそこの額になるそれを山賊達で分担して運ぶ

この金を使って遊び倒す なんて意見も山賊達の中から上がったが、手元にある金で娯楽に走るのは二流のする事、俺たちはこの金を使ってさらに上へ行く

「行き先は国外 いや大陸外、カストリア大陸を出て ポルデューク大陸へ出て山魔ベヒーリアに会いに行き傘下に加わりやす、その時この金を献上して認められれば あんな辺境の場末でチマチマ山賊やるより余程盛大に暴れられるような、いい立場につけるはずでやすからねぇ」

山魔ベヒーリア…その名は山猩々も聞いたことがある、というか山賊なら誰しも聞いたことがある伝説の存在にして あの最強の海賊 『海魔』と対を成すとまで言われた最強の山賊、そいつに取り入れば 確かにあの偽物につく以上にいい思いは出来そうだ
 
「しかし大丈夫なのかよ、ポルデュークって言えば例のアガスティヤ帝国の縄張りじゃねぇか、もし例の帝国に目つけられたら太刀打ちできねぇぞ」

「んまぁ、確かに…帝国兵に見つかれば ウチらみたいな場末の雑魚 一瞬でやしょうね」

ポルデューク大陸に態々行きたがる山賊は確かに少ない 何せ彼処はカストリアに比べて格段に治安がいいからだ 

ポルデューク全域の治安維持を取り仕切っているアガスティヤ帝国ってのがこれまたヤバいところで、なんでも帝国軍に所属する人間全員が無双の魔女の教えを受けているらしく べらぼうに強い、巡回している帝国兵一人だって今のこの一団じゃあ手に余る

あんなところで山賊活動出来るのはそれこそ山魔くらいだろう、恐ろしい人ですぜほんと、魔女の教えを受けてる軍を蹴散らしちまうんでやすから

「大丈夫でやすよ、ちゃんとルートは考えてありやすから、…この船で乗り込むのはポルデュークに存在するもう一つの魔女大国 教国オライオン、彼処も一応魔女大国だから アガスティヤだってそうそう乗り込んできたりはせんし 、国民は全員痩せぎすの清らかなテシュタル信徒ばっか 襲われる心配そのものだってありゃしやせん」

魔女大国にはお互い余り強く干渉しないようにするという協定があるらしい、なら別の魔女大国へ潜り込めば 楽にポルデュークへ乗り込み移動出来る

国民全員がテシュタル教の信徒のオライオンは特に動きやすいだろう、何せ全員の目が神に向いているのだ、後ろで多少悪事を働いたって誰も気づかないし 、何よりアガスティヤ程兵が屈強じゃない 、見つかっても山猩々がいれば乗り切れる

「信徒ねぇ…彼奴ら最近妙に薄気味悪いから手ェ出したくないんだよなぁ」

「あのねぇ山猩々の兄貴、あれも不満これも不満じゃあ何も出来やせんぜ、今俺達ぁ生きるか死ぬかの瀬戸際、成り上がるにゃ文句言ってらんない状況でやすぜ?」

「分かった分かった、ただし山魔の所に行ったら手ぇ切るからな、俺は俺の好きにやらせてもらうぜ」

ったく、めんどくせぇや…例の金髪のガキに負けてから昔やってた喧嘩屋の気質を思いだしちしまったようでストイックにトレーニングまで始めちまって、やり辛いったらねぇ…手を切る?こっちから願い下げだよ

「分かりやしたよ山猩々の兄貴、じゃあそれまでは仲良く旅でもしやしょうか?、さ 楽しい楽しい密航の時間でやすよ」 

荷物をまとめて酒場を後にする、これでカストリアとも友愛の魔女ともおさらばだ、…偽物の魔女の背後にいたアイツ、狼のエンブレムを俺達に寄越してきやがったアイツ

…あれの目的は終ぞ分からなかったが、俺の山賊としての勘が告げている あれ以上アイツに関わってたロクな目に合わねぇだろうし とっとと大陸外にズラかるとしよう
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