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第三譚:憎悪爆散の魔人譚

魔人爆散

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「よし、そのくらいでいいだろう。」
 クロムの言葉と同時にアゼルはすぐさまルシアから唇を引き離した。


「あら、もう少し余韻があったっていいのに。」


「ふざけるな馬鹿聖剣、もう二度とこんなことはせんぞ。」


「ははは、何言われたって気にならないわ。今の私気分がいいもの。」
 何故かただ状況を観察しているだけだったアミスアテナは実に上機嫌である。


「う、」
 アゼルが離れて数秒の後、魔人ルシアはうっすらと目を覚まし、そして左手を握り続けていたイリアに気付く。

「!?」
 驚いたルシアは手を払って跳び起き、イリアから距離を取った。


「大丈夫ですか? まだどこか痛いところはありませんか?」
 イリアはとくに気を悪くした様子はなく魔人の容体を窺う。


「身体が、軽い。……お前が、オレの治療をしたのか?」
 イリアが握り続けていた左手を見つめるルシア。


「はい、私だけじゃなくみんなに協力してもらいましたが。」

 そんなイリアの返事を聞いているのかいないのか、ルシアは未だ感触の残る唇に左手を当て、同時にイリアの瑞々しい唇を見つめる。


「そうか、お前が助けてくれたのか。」


「? いえ、私だけではなく、貴方を復活させてくれたのはむしろアゼ……」


「そうだ! この女がお前を助けたのだ! 感謝してやれ。俺は何もしていないからな。俺のことは一切気にするな。」
 あからさまにわざとらしい口調でアゼルはまくしたてる。


「? 何だ魔王、何故お前が偉そうなんだ。」


「あ、この魔王。自分の人工呼吸の件をなかったことにするつもりね。」


「その調子ならどうやら後遺症もなさそうだな。小僧、これを持っておけ。」
 クロムは小瓶を数本ルシアに投げ渡す。


「何だ、これは?」
 

「浄水ってやつだ。それを定期的に口にしておけ。それで中毒症状は抑えられる。ただし飲みすぎるなよ。そいつはたいていの街の教会で買える。これからは真っ当に稼いで、その水くらいは買えるようにしておくんだな。」


「……お前は何だ? 何故そんなことを教える?」
 クロムの厚意に、ルシアは戸惑いを隠せない。


「まあ、お前の同類、人生の先輩って奴だ。生き方が分からないってんならウチに顔を出せ。日銭の稼ぎ方くらいは教えてやる。」
 言うことは言ったと、クロムは再び森の中へと足を踏み込んでいく。


「おい、帰るのかよ。」


「当たり前だ。まだ帰ってやることがあるんだよ。誰かさんの依頼でな。」
 アゼルの問いかけを振り向かずに受け止め、クロムは森の闇へ消えていった。


「やることやったら行っちゃったわね。何がそんなに忙しいのかしら?」
 アミスアテナはアゼルに向けて探りを入れる。

「……知らねぇよ。」
 それに対しアゼルはそっぽを向いて無関心を装うのだった。



「おいお前。」
 魔人ルシアがイリアに声をかける。


「え? 私ですか?」


「まだ礼を言ってなかったな。あ、ありが、とう。」
 ぎこちなく、ルシアはイリアに礼を告げる。
 もしかしたら、誰かに感謝を告げるのは初めてだったのかもしれない。


「いえ、どういたしまして。それにお礼なら私だけでなく……」

「いい、いいんだイリア。あいつを助けたのはお前。それでいいな。」
 真剣な表情でアゼルはイリアに詰め寄った。

「え、あ、はい。アゼルがそれでいいなら。」
 イリアは意味が分からないもののとりあえず頷く。


「お前、名前は?」


「私ですか? 私はイリア。イリア・キャンバスです。」


「そうか、イリア。イリア・キャンバス。……良い名だ。オレはルシア。」


「はい、ルシア。貴方の名前も素敵ですよ。」
 ルシアの言葉に花のような笑顔でイリアは応える。

 夜の闇に紛れていたが、ルシアの頬が少し赤く染まったようだった。


「ん?」
 わずかなの空気の変化に違和感を感じ取るアゼル。


「イリア、一つ聞きたい。どうしてオレを助けた? 憐れみか? 同情か?」

「─────いえ、どちらでもありません。助けたいと感じたから助けようとしました。」
 毅然とした表情でイリアは答える。その姿、その言葉はこれまで孤独の中を生きてきたルシアにとって、まるで聖女のように見えたことだろう。


「ん??」
 一層強くなるアゼルの違和感。いや、悪寒というのが正しいだろうか。
 これから起こりうる何かに、アゼルの危機感知能力が警鐘を鳴らしている。


「こんなオレでも、お前は助けてくれるというのか?」


「ええ、どんな貴方であったとしても、私はきっと助けます。」

 イリアの言葉を噛み締めるようにルシアはうつむき、

「誰かに、優しくされたのはこれが初めて、だ。」


「……そう、だったんですね。」
 ルシアのこれまでの境遇を想い、イリアは俯く。


 そして、


「だからこんな気持ちも初めてだ。イリア、これからはオレと一緒にいてくれないか? オレの女になってくれ!」
 感情のこもった、ルシアの突然の告白。


「………………」
 それをアゼルは気まずい気持ちで眺めていた。

(あ~、やっぱりなー。優しくされて、惚れてしまったか。これはベタ惚れっぽいしなー。イリアはどう答えるかなー。魔人伝説とかに憧れてたし小僧にも少しは可能性あるかな……?)

 アゼルはルシアの告白の行方をヒヤヒヤしながら見守る。


 そしてイリアはほんの一瞬の考えるそぶりもなく、

「え? 何を言ってるんですか? ムリですよ。」
 イリアは聖女のような微笑みを一切崩さず、彼の告白を一刀両断した。


(うわっちゃ~、即答かよ、この女。……あのガキは大丈夫か? ペキッ? あ、アイツの剣が勝手に折れた。 なるほど、使い手の心の方が折れるとああなるのか。)

 ルシアの魔聖剣オルタグラムは使い手の心象を表すかのように、見事に真っ二つに折れていた。


「第一、優しくされたから好きになるってどうなんですか。普通よほどの極悪人でもなければ誰にだって優しくはしますよ。それにオレの女になれって、女の人は物じゃありません。そういった考えの人とはお付き合いできません。」


 ピシピシピシピシッ

(おいおい、アイツの剣がものすごい勢いで罅割れていくぞ。)


「だいたい助けられてすぐ告白っていうのもどうかと思いますよ。これまでたくさん街の人たちにも迷惑をおかけしたんだから、まずはその辺りに……」


「おい、その辺でやめろイリア。このままじゃアイツの心が修復不能になる!」


「え、あ! ごめんなさい。つい気が動転しちゃって。」

 イリアに盛大に切り捨てられたルシアは、下を向いてショボ~ンとしている。
 今立っていられるのが奇蹟と呼べるほどに。


(気が動転して無自覚でこれとか、コイツやっぱり恐いな。)


「ルシアごめんね。とにかく私は勇者だから、誰かとお付き合いするとか考えていないの。」


「クッ、いや、大丈夫だ。イリアの気持ちは分かった。つまり今のオレじゃダメってことだな。鍛えて出直して直してくるぞ。」


(あ~、こいつも大概メンタルが強いな。数秒で立て直したか。俺ならあんな振られ方したら、3年は城に引き籠るぞ。)

 ルシアは悔しさをこらえて森の中に消えようとして、

「そうだ、魔王。お前はジェロアという魔族の科学者を知っているか?」


「?? ジェロア? 聞いたことがあるようなないような。そもそも科学って何だ?」


「そこからか。とにかく何でも実験したがるヤツのことだ。」


「あ~、そう言えば昔そんな奴がいたな。効率的に人間を殺す兵器がどうのこうのとか言っていたが。俺がそういった実験への許可を出さなかったから、いつの頃からか見かけなくなったが。」


「チッ、その口ぶりだとお前は無関係か。ま、薄々気付いていたが。」


「オイ、気付いていたのに俺に喧嘩を吹っかけてたのかよ。」
 ピキリとアゼルに青筋が立つ。


「終わったことだ、気にするな。…………オレも、ただ死ぬくらいなら、世界に君臨する魔王に消えない傷を残して死にたかっただけだ。」


「ふざけんな、俺は旅行先の記念碑じゃねえんだよ。」


「まあオレももう少しは生きていられるみたいだし、自力でそいつを探し出すさ。そしてイリア、今度会う時は絶対にオレに振り向かせてやるからな。」

 そう言い残してルシアは森の闇の中に消えていく。


「──────────はあ、ドッと疲れたぞ。完全にあいつに振り回されたな。」


「そう? 私はそれなりに楽しめたからOKよ。」


「アミスアテナって昔からそういう男女間のイザコザとか好きだよね。趣味が悪いよ。」


「さ、これであの魔人が襲ってくることもないんだし、あんた達も力を封印しなさいな。」


「あ~、もう反論する気力もない。イリア、さっさと済ませるぞ。」


「あ、今日は随分素直なんですね、アゼル。」


「男とキスするよりはずっとマシなんじゃじゃない? クフフ。」


「うるさい。」

 よほど疲れていたのか、アゼルは自らイリアに迫る。

「あ、待ってくださいアゼル。前から思ってたんですけど、キスする時に目が合うのなんか気恥ずかしいです。なので目を閉じてもらえませんか?」


「はぁ? なんでそんな面倒くさいことを、どうせ儀式みたいなもんなんだから、恥ずかしいならお前が目を閉じろよ。」


「言われてみたらそれもそうですね。ん、どうぞ。」

 イリアは目を閉じ、アゼルの接吻を待ち構える形となる。

(ん? これはこれで何かそれっぽくなってしまったな。あ~あ、こういうのもし誰かに見られたら恋人同士にでも見られるんだろうな。)

 そんなことを思いながら、仕方なしにアゼルはイリアの唇にくちづける。


 その時、

「くそっ、オルタグラムを忘れてしまった。カッコ悪いな……、あ!?」
 魔聖剣を置きっぱなしにしていた魔人ルシアが再び現れた。


「!!」
 驚くアゼル、
「ん?」
 イリアも異変に気づき目を開き、二人はキスをしたままの状態でルシアと視線が合う。


「お、お前ら。」
 
 ビシ、ビシビシビシビシッ
 ルシアの魔聖剣はこれでもかというくらい粉々に砕け散っていく。

 同時にルシアの瞳からハイライトが消えた。


 魔聖剣の状態が彼の心を表すなら、今ルシアは一体どんな気持ちなのだろうか。


「──────────」
 ルシアは無言で砕けた魔聖剣オルタグラムをかき集め、


「魔王! 今度会った時はお前を殺す!!!」
 見事な捨て台詞を残して駆け去っていった。

 その振り向きざまに涙が散って見えたのは、決して幻ではないだろう。


 そんなルシアをくちづけを続けたまま見送るアゼルとイリア。

「あんた達、せめていったん唇は離しなさいよ。」
 呆れるアミスアテナだったが、同時に封印の光が二人を包み肉体が変化していく。

 光が晴れると封印により弱体化された、勇者と魔王の姿があらわになる。


「仕方ないだろ、中断したらまたやり直しになるんだから。あ~あ、あれは誤解されたな。」


「あ、そうだったんですね。てっきり見せつけているのかと。」


「……その発想ができるお前も怖いな。──ん?」


 封印の光が収まって出てきたアゼルは、いつもの妖精のような姿ではなく幼い男の子の容姿だった。


「あれっ? アゼルどうしたんですかその姿。」


「俺にも分からん。どうなってんだアミスアテナ。」


「あああああぁぁぁ!! ついにやっちゃった。ううぅ~…………」
 よほどのショックだったのか、アミスアテナが取り乱す。


「おい、それじゃわからん。結局どうなったんだ?」


「緩んじゃったのよ、封印が。あんた達が何度も封印を解除したりするからぁ。」
 半分泣き声が混じりながらアミスアテナは答える。


「何だ? つまりは封印が弱まって俺は子供の状態になったってことか? ん~、まあ確かに扱える魔素の量は妖精の頃よりは上がっているが、逆に飛び回れなくなった分これは不便かもな。」
 今のアゼルは5,6歳程度の男児といったところだろう。

 黒く大きい瞳がクリッと輝き、夜よりもなお深い黒髪がツンっとはねている。


「ア、アゼル!」
 幼い容姿になったアゼルに対してイリアは瞳を輝かせていた。
 かくいう彼女もいつもの封印された容姿よりも1,2歳成長しており、二人の対比はまるで姉と弟のようだった。


「な、何だイリア。」
 普段より若干成長した姿のイリアに不穏な気配を感じるアゼル。


「カッッワイイィィィ!!!」
 そんなアゼルを逃がさないように、思いっきりイリアはアゼルを抱きしめる。


「グェッ、やめろイリア苦しい。」
 イリアはアゼルの言葉を聞かずに頬をスリスリと擦り合わせている。


「あぁ、そう言えばイリアって村にいた頃は年下の子たちを猫可愛がりしてたっけ。諦めなさい魔王。その姿になった以上、イリアが飽きるまではその調子だから。はぁ~。」

 アミスアテナはアミスアテナで封印が緩んでしまったことに気落ちした様子である。


「あ~可愛い!! アゼル、今後から私のこと、お姉ちゃんって呼んでみて?」


「誰が姉だ。ふざけるな、離せ。お前がくっつくとビリビリと痛いんだよ~!」

 しかし、体格差もありアゼルはイリアを振り切れない。


 夜明けも近い森の中、幼い少年の悲鳴がこだましていた。
 
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