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第十三章 ひとりぼっちの温泉旅行

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「……沖田総一朗……」

 部屋で横になってくつろいではいたが女将の言った名前が気になり、頭の中まではくつろげていなかった。

「どっかで聞いたような気がするけど、全く関係ないとこで聞いたのだろうか、漫画とか……?」

 痒い所に手が届きそうで届かない様なもどかしさを感じながら天井を眺めていた。

 何かを見たり読んだりする時は集中できるのに頭を使って集中するとつい余計な事が思い浮かんでくるものだ。

 折角の無料招待でくつろぎ、温泉と料理まで頂いているのに心が晴れずにいた。明日からもずっとこんなのんびりした生活が待っているというのにだ。

 イヤイヤ、それってニートじゃん。忘れはいけないし気持ちの切り替えをしなければならないのだが、まだ傷心は癒えてなく現実逃避をしたい気分だった。当然連結して思い出されるのが詩織さんの涙……。

 全くの無縁と思っていた人との距離が急加速で近づいてあと一歩で手が届く権利を得たと思った矢先の出来事。こんなことなら最初から無縁であった方が幾らか気が楽なものだと後の祭り的に思う。これが人生というものなのだろうが、やはり辛いものは辛く大人になっていくと言う事は、傷心に耐性ができるのではなく無関心になっていくのではないかとさえ思ってしまう。

 何度傷付いても愛しい人を手に入れるより、傷付きたくないから愛しい人を諦める。だったら最初から愛しい人を作らなければ良いのではと間違った認識が正しいと判断してしまう。

 理性もあり、子孫を残すという性欲的本能さえも無関心に落とし入れる。それほど失恋という傷は、人そのものを生きたまま破壊する可能性があるということだ。

「俺は破壊されたのか……?  もしくは自ら破壊を招いたのだろうか……」

 怒りの感情に任せて招いた結果、仕事も恋も同時に失ってしまう。タイミング的な問題で雪実も……。

 天井を見ていた俺は目を閉じた。

 仕事は他を探してやり直せばいい。

 詩織さんのことは一生の想い出として心の奥に閉まっておけばいつか時間が緩和してくれるかもしれない……。その寂しさを雪実で紛らわそうとする自己嫌悪に呆れ果てる。ただ、その感情も雪実が去ってしまったから思うことなのだろうか。

 人は失ってから大切さを感じる傾向にある。

 俺も例に漏れないということか……。

       ※

 ───朝、部屋の露天風呂で朝靄の中、陽はまた昇るという当たり前のことを有り難く思っていた。

 当たり前でなくなった時、それはこの世が終わる時であろう。

 仕事と恋を同時に無くし、世界で一番不幸とか思ってしまいがちだが、客観的に見るとこの世の中は随分平和なんだと思うだろう。

 本当の不幸は当たり前の陽が昇らないことのように、終焉を迎えることだ。まだ陽が昇るのなら新しい仕事を見つけ新しい人生を進んでいく。

 美味しい物を食べて気持ち良いお風呂で嫌な事を洗い流す。

 ポジティブな思考は良い運気を運んで来ると信じて。

 嫌な事はなるべく考えないようにして湯船に酔いしれる。

 静かな時間を過ごしていると微かにかけ声が耳に障る。眼下に広がる木々の間を何やら行列が進んでいるのか。およそあやかしであろうと想像がつく。昨夜から多く現れているあやかしの数からして間違いないだろうが、やけに多いのは気になる所だ。このかけ声も近くにくるようなら退治しなければならないが今は湯船の快楽を最優先する。

 朝食後は散歩ついでにあやかし退治をと思い、着替えてから食堂に向かった。

 食堂には女将とトメさんが厨房で準備をしていた。客は俺だけでしかも無料招待だと思うと少々気兼ねしてしまうが。

「たのもう!」

 適当な、と言いつつ昨夜と同じ席に座ると玄関口から大きな声が聞こえてきた。わりかし玄関口から距離のあるここまで聞こえるとはかなり大きな声だとわかる。

 女将がせわしなく玄関口へ消えていった。

「ご苦労様です」

「お客さんは気兼ねしないでいいよ」

 手持ちぶさたでカウンターに寄りトメさんに声をかける。手を止めずこちらも見ないで返事をしてきた。

「毎日同じ事をしてきたのに、止めるのは寂しいものだね」

 働く事が億劫ではなく生きる為。この世代の人から学ぶ事の一つである。

「───どうでもいい!」

 玄関口からあまり芳しくない台詞が聞こえてきたので足を向けた。

 お客様は神様と商売してる人は思うかもしれないが、それを振りかざして好き勝手して良い事ではない。女将がそんなお客には慣れているとしても閑散とした旅館にトメさんと二人では幾らか心細いのではないかと勝手に解釈し、微力ながら男手を貸そうという気になる。

 ひょっとしたらとは思っていたか、玄関口に着くと何やら大勢の者が騒がしくして女将を困り顔にさせていた。どいつもこいつも愚かな妖気を放出しながら。

       ※
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