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人間に憧れる②
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「朝といえば大切な儀式がなかったか、ハチ」
「朝食だったらサンは終わってますよね」
笑われるような会話をしたつもりはないのに普段はクールなニイが壁を叩いて苦しそうに呼吸する。
「ハチも大切な儀式をしないといけないんだから、そこを通らせてくれない」
分かったよとニイに返事をしたサンが複雑そうな顔つきでわたしの鼻をつまむ。
「今更だけど、おはよう。ハチ」
顔を近づけて耳元で囁くとサンはどこかに行ってしまった。
「サンに挨拶するのを忘れてました」
「本当ね、わたしもうっかりしていたわ」
サンなら許してくれるから気にしない、とニイがわたしの背中を押す。彼女が壁を叩くほど笑っていた理由だったのかな。
「ニイの笑いのツボは挨拶だったんですね」
「あらら、ハチには隠し事ができないわね」
普段通りのニイに戻ってしまったようで今の台詞は作り物ぽかった。
ニイに背中を押された状態で食堂の扉を抜けて、窓際の席に彼女と向かい合わせに座る。
ヘッドホンをしたシイも壁とにらめっこしながらホットドッグを食べていた。歌詞を口ずさんでいてか彼女の唇が動いている。
「シイはぴりついているみたいからできるだけ静かに食べることにしましょう」
声をひそめるニイに向かって首を縦に振った。
食堂の窓の下にボタンがありそれぞれに押すと。草木や海の風景、人間が歩き回っている都会、人工的な夢世界などを映してくれるが。
これまで同じ映像を見たことがないので一期一会なんだろう。
「ハチは見たい映像とかある」
窓の横の消音ボタンを押したニイが聞いてきた。
「シイをぴりつかせるなにかを消してくれるような映像があれば」
「なさそうだから海の映像にするわね」
イルカとか呼ばれる存在が食堂の窓の中で跳ぶ。ぬめぬめの肉体を空中で曲げ、こちらに語りかけているような動作をした。
「イルカは食べられるんですか」
「クジラと大きさ以外に違いはないみたいだから、イルカもいけるんじゃない」
美味しいかは聞かないでおこう。頬が落ちちゃうレベルだったらイルカショーができなくなった個体を食べてしまいかねない。
「ハチはなにを食べるの、イルカのソテーとか」
「水族館が経営できなくなるのでカツ丼にします」
テーブルに埋めこまれたホワイトボードに付属の黒いペンでカツ丼と書く。
「ハチさま。カツ丼の量はどうしますか」
ホワイトボードのスピーカーから声がする。量も書かないといけないんだった。
口頭で大盛りと注文をするとオーダーが完了したようでホワイトボードに書いた文字が消える。
「今日もハチは水で良いのかしら」
頷き、各テーブルの上に置かれた透明なコップをひっくり返した瞬間から水が溢れて。八分目ぐらいで止まってくれた。
原理は分からないが着席したアンドロイドと連動をしているんだと思う。
ニイはいつもと同じように野菜ジュース作りに、食堂の奥にあるドリンクコーナーのミキサーを。
「おはよう、ハチ」
壁際の席にいたシイがヘッドホンを外して向かいのニイの座っていた椅子に移動する。
「おはようございます」
「相変わらず言葉が丁寧だな。失礼な表現になったとしても誰も怒ったりなんかしないぞ」
「失礼という言葉を把握できてないのでそうしようがないだけかと」
「わたしがメンテナンスしてあげようか」
「ナナと運命的な出会いをしたいので、別の機会にお願いします」
ニイに聞かれたくない話題なのか、ドリンクコーナーにシイがにやつきながら視線を向ける。
「わたしと内緒話をしたいんですか」
「ハチは聡くて助かる。ニイは嫌いじゃないんだがどうにも四角四面すぎてね」
空気を読んでか、特製の野菜ジュースが完成しているのにニイはこちらに戻ってこようとしない。
「シイの過大評価なのでは」
「わたしの判断基準では高得点というほうがハチは納得しやすいかな」
道徳的ではなく自分にとっての正しい道を選ぶかどうかってイメージとシイが続ける。
「道徳とはなんでしょう」
「人間がやっても許されるルールみたいな言葉だ」
「それは変ですね。わたしたちはアンドロイドなんですから人間の基準に捉われなくても良いはず」
「まさにそこだよ。ハチの言う通りなのに、ニイは人間の考え方を模倣しているから個人的には相性が悪いのさ」
健康志向もニイが人間の考え方に影響された結果ということかな。
「それよりも二週間ぐらい前に伝えられた、この館のアンドロイドの一人だけが人間になれるって話。本当だとしたらどうする」
シイが観察するような目つきでわたしを見る。
「わたしはどうもしません。人間とこの館のアンドロイドに違いはほとんどなさそうですし」
考えられる、ご飯を食べられる、眠れる、怪我をしにくい点なんかは人間よりも優れているし。
心臓のネジが外れてお腹の中で暴れることはないだろうけど、人間に憧れる理由はないと思う。
「ハチを破壊してでも人間になりたいと、わたしが言ったら」
「シイが幸せになれるのなら喜んで受け入れます」
テーブルのホワイトボードからカツ丼が出てきたのと同時にシイが立ち上がった。
「自分以外の幸福を願えるハチも人間に興味が湧いたらいつでも聞きに来いよ」
ニイも悪かったな、なんて言うように手を振ってからシイは食堂を出る。
「シイとなんの話をしていたの」
戻ってきたニイが唇を尖らせていた。
「幸せについて語り合っていました」
「個人的には言葉にできないほどの至福を体験してみたいものね」
人間が食事をする前の儀式と同じように、ニイもエッグベネディクトに手を合わせる。
「この館に神様はいますか」
「いないと思うわ」
ニイは不思議そうにしていたが、存在しない神様に祈るほうが個人的には違和感があった。
「朝食だったらサンは終わってますよね」
笑われるような会話をしたつもりはないのに普段はクールなニイが壁を叩いて苦しそうに呼吸する。
「ハチも大切な儀式をしないといけないんだから、そこを通らせてくれない」
分かったよとニイに返事をしたサンが複雑そうな顔つきでわたしの鼻をつまむ。
「今更だけど、おはよう。ハチ」
顔を近づけて耳元で囁くとサンはどこかに行ってしまった。
「サンに挨拶するのを忘れてました」
「本当ね、わたしもうっかりしていたわ」
サンなら許してくれるから気にしない、とニイがわたしの背中を押す。彼女が壁を叩くほど笑っていた理由だったのかな。
「ニイの笑いのツボは挨拶だったんですね」
「あらら、ハチには隠し事ができないわね」
普段通りのニイに戻ってしまったようで今の台詞は作り物ぽかった。
ニイに背中を押された状態で食堂の扉を抜けて、窓際の席に彼女と向かい合わせに座る。
ヘッドホンをしたシイも壁とにらめっこしながらホットドッグを食べていた。歌詞を口ずさんでいてか彼女の唇が動いている。
「シイはぴりついているみたいからできるだけ静かに食べることにしましょう」
声をひそめるニイに向かって首を縦に振った。
食堂の窓の下にボタンがありそれぞれに押すと。草木や海の風景、人間が歩き回っている都会、人工的な夢世界などを映してくれるが。
これまで同じ映像を見たことがないので一期一会なんだろう。
「ハチは見たい映像とかある」
窓の横の消音ボタンを押したニイが聞いてきた。
「シイをぴりつかせるなにかを消してくれるような映像があれば」
「なさそうだから海の映像にするわね」
イルカとか呼ばれる存在が食堂の窓の中で跳ぶ。ぬめぬめの肉体を空中で曲げ、こちらに語りかけているような動作をした。
「イルカは食べられるんですか」
「クジラと大きさ以外に違いはないみたいだから、イルカもいけるんじゃない」
美味しいかは聞かないでおこう。頬が落ちちゃうレベルだったらイルカショーができなくなった個体を食べてしまいかねない。
「ハチはなにを食べるの、イルカのソテーとか」
「水族館が経営できなくなるのでカツ丼にします」
テーブルに埋めこまれたホワイトボードに付属の黒いペンでカツ丼と書く。
「ハチさま。カツ丼の量はどうしますか」
ホワイトボードのスピーカーから声がする。量も書かないといけないんだった。
口頭で大盛りと注文をするとオーダーが完了したようでホワイトボードに書いた文字が消える。
「今日もハチは水で良いのかしら」
頷き、各テーブルの上に置かれた透明なコップをひっくり返した瞬間から水が溢れて。八分目ぐらいで止まってくれた。
原理は分からないが着席したアンドロイドと連動をしているんだと思う。
ニイはいつもと同じように野菜ジュース作りに、食堂の奥にあるドリンクコーナーのミキサーを。
「おはよう、ハチ」
壁際の席にいたシイがヘッドホンを外して向かいのニイの座っていた椅子に移動する。
「おはようございます」
「相変わらず言葉が丁寧だな。失礼な表現になったとしても誰も怒ったりなんかしないぞ」
「失礼という言葉を把握できてないのでそうしようがないだけかと」
「わたしがメンテナンスしてあげようか」
「ナナと運命的な出会いをしたいので、別の機会にお願いします」
ニイに聞かれたくない話題なのか、ドリンクコーナーにシイがにやつきながら視線を向ける。
「わたしと内緒話をしたいんですか」
「ハチは聡くて助かる。ニイは嫌いじゃないんだがどうにも四角四面すぎてね」
空気を読んでか、特製の野菜ジュースが完成しているのにニイはこちらに戻ってこようとしない。
「シイの過大評価なのでは」
「わたしの判断基準では高得点というほうがハチは納得しやすいかな」
道徳的ではなく自分にとっての正しい道を選ぶかどうかってイメージとシイが続ける。
「道徳とはなんでしょう」
「人間がやっても許されるルールみたいな言葉だ」
「それは変ですね。わたしたちはアンドロイドなんですから人間の基準に捉われなくても良いはず」
「まさにそこだよ。ハチの言う通りなのに、ニイは人間の考え方を模倣しているから個人的には相性が悪いのさ」
健康志向もニイが人間の考え方に影響された結果ということかな。
「それよりも二週間ぐらい前に伝えられた、この館のアンドロイドの一人だけが人間になれるって話。本当だとしたらどうする」
シイが観察するような目つきでわたしを見る。
「わたしはどうもしません。人間とこの館のアンドロイドに違いはほとんどなさそうですし」
考えられる、ご飯を食べられる、眠れる、怪我をしにくい点なんかは人間よりも優れているし。
心臓のネジが外れてお腹の中で暴れることはないだろうけど、人間に憧れる理由はないと思う。
「ハチを破壊してでも人間になりたいと、わたしが言ったら」
「シイが幸せになれるのなら喜んで受け入れます」
テーブルのホワイトボードからカツ丼が出てきたのと同時にシイが立ち上がった。
「自分以外の幸福を願えるハチも人間に興味が湧いたらいつでも聞きに来いよ」
ニイも悪かったな、なんて言うように手を振ってからシイは食堂を出る。
「シイとなんの話をしていたの」
戻ってきたニイが唇を尖らせていた。
「幸せについて語り合っていました」
「個人的には言葉にできないほどの至福を体験してみたいものね」
人間が食事をする前の儀式と同じように、ニイもエッグベネディクトに手を合わせる。
「この館に神様はいますか」
「いないと思うわ」
ニイは不思議そうにしていたが、存在しない神様に祈るほうが個人的には違和感があった。
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