こどくな患者達

赤衣 桃

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人間に憧れる

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 三階にある博士の部屋からはなれて朝食をとっておこうと二階に向かっていると、食堂からでてきたであろうゴウと南の階段で遭遇をした。
「おはようございます。ゴウ」
 踊り場で立ち止まったゴウを見上げ、黒いチョーカーに視線を向けながら挨拶を。
「ま、まじか」
 バイクに乗っている人間が着ているタイプの革ジャンを身につけているゴウが、右手で赤い唇を覆い隠して目を潤ませている。
「あのハチが挨拶をしてくるなんてな」
 わたしに対してどんなイメージをしていたのかはさておき、ゴウ的にはとてもうれしいことだったようで両肩を叩いてきていた。
「自分で考えたのか? いや、誰かに挨拶をするように言われたとしてもそれをやろうとするのは良いんだがよ」
「一応、自分でやろうと思いました」
 そう答えるとゴウは短く口笛を吹き。
「やるじゃん、ハチ。頭を撫でてやる」
 イチのように、頭に手の平をくっつけたりはなしたりするやりかたではなく少し乱暴に撫でられた。身体の部品が耳から出てきそうな感じがする。
「えっと、ありがとうございます」
「今は感謝の言葉はいらねーよ、ハチの思考に感動してるんだからな。にしても、本当に朝っぱらから良い気分だ。これであのじじいのメンテナンスがなかったら今の三倍は晴れやかだったのによ」
 じじい、と呼ばれるほどの見た目でもなかったはずだけど。多分、博士のことを言っているんだろう。
「ゴウは博士が嫌いなんですか?」
「あー、好きか嫌いかで言えば好きなほうになるが。メンテナンスが苦手なんだよ、この首にあるファスナーを開け閉めしなきゃいけないし。なにより服を脱ぐのがな」
「服の着脱が面倒?」
「違うね。自分が女のアンドロイドだ、って自覚をさせられるのが。まあ、今のハチにはまだ理解しにくいかもしれないな」
「そうですか」
「ハチはすなおだな、ロクもそんな感じだったら可愛げが。ってわたしもどうこう言えた性格じゃないけど双子ならよ、もう少し考えかたが似てても良さそうだと思わないか?」
 頭を撫でるのをやめて愚痴をこぼしていると思うゴウが、左右の頬を両手でそれぞれに引っぱったりしている。
 またロクとなにかあったのかな? 詳しく聞きたいがこの前のサンみたいに下手なことを言っちゃうと、手足が取れてしまうほどのケンカになる可能性もあるし……どんな風に答えたものやら。
「双子でも他人ですからね」
 確かナナに似たようなことが起こりそうな予感がしたらこう言えば良い、とアドバイスされていたような記憶がある。
「やわらかい頬をしているのによ、なかなかドライなことを言うな。ハチ」
「そうですかね?」
 わたしの頬を撫でるように触りながらゴウがゆっくりと顔を近づけてきた。
「なんにしてもケンカは良くないです」
「なるほど、今のが本音か。それならさっきのはナナから聞かされていたアドバイスってところか。ありがとうな」
 なんでナナからのアドバイスだと分かったのかはおいといて、少なくともロクとケンカはしなさそうなので良しとしておこう。
「お礼にキスをしてやる」
「キス?」
 ゴウが今にも眠ってしまいそうな目つきをしながら、お互いの唇を重ねようと。
「ゴウ……ハチはわたしと朝食をとる約束をしているの。そろそろ食堂のほうに行かせてもらえない?」
 お互いの唇がくっつきそうになったところでニイの声が聞こえてきた。目の前のゴウに隠れているが多分そうなんだと思う。
「そうなのか? ハチ」
 ニイとそんな約束をした記憶はないけど、本人がそう言っているんだからわたしのほうが間違っているのか。
「はい。うっかり忘れてましたが、そうなんだと思います」
「ふーん。じじいだったらうそをついている可能性も考えないといけないが。ニイと約束をしていたんだろうな、忘れていただけで」
 邪魔をして悪かったな、ニイ。そうゴウは軽く謝ってから、またわたしの頭を少し乱暴に撫でている。
「忘れっぽい機能、次の月曜日にでもじじいになおしてもらえるよう頼んでおいてやろうか?」
「廊下で転んで、心臓が取れてしまった時のことを忘れたいので。このままで良いかな、と思っていたりします」
「そうかい。次は階段から落っこちないように気をつけろよ」
 ゴウは注意とジョークをごちゃまぜにしたような言葉をわたしに聞かせるとニイの横を通り抜けて三階のほうに移動していった。
 ナナに関することで、ゴウに質問があったような? わたしの気のせいかな。
「あっ。おはようございます、ニイ」
「おはよう。そう、ハチも自分から挨拶することを覚えたようね」
 一瞬、ニイが抱きしめてきそうな気がしたのだが勘違いだったようで、うなり声を上げながら顔を左右に動かして青い髪を揺らしていた。
「ほらっ、ハチ。きれいな黒髪がぼさぼさになっているわ、ちゃんとしないと」
 自分で髪をととのえようと思っていたのにニイが頭を触ってきた。彼女とは同じぐらいの身長なので目が合ってしまう。
「びっくりしているの?」
 多分、わたしが視線を逸らしたからニイにそう思われたのかな。珍しく、彼女に寝癖があったから見てしまっただけなのに。
「まあ。はい、そうですね」
 基本的にクールなニイに寝癖があるのは、それなりにびっくりすることだろうしな。
 ニイに寝癖のことを伝えたほうが良いのは分かっているが。オブラートに包むやりかたも覚えるべきだね、と博士に言われた記憶がある。
「その、わたしもやってみたいです」
「うん? ああ、自分以外の髪をととのえることね。良いわよ、やってごらん」
 ニイから許可をもらい、その青い髪に指を通していく。寝癖はもっとがんこなものだと考えていたのにすぐになおってしまった。
「どう?」
「さらさらしてます」
「そうね。そんな髪もやわらかい特殊な金属でできているのよ」
「そうなんだ」
 そんな金属の髪の毛なのに寝癖がついたりするのは少し不思議な感じがするけど。そのことをニイに聞いたら、勘が良いのでばれてしまいそうだしな。
 結局ニイに金属の髪の毛についての質問はできないままで一緒に食堂に行くことに。
「おっ。ニイ、ハチ、仲良く朝飯か?」
 いくつもの窓から射しこんできている紫色の光に照らされた廊下を歩き、ニイが食堂の扉を開けようとすると中からスウェット姿のサンがでてきた。
 ふくらんでいるお腹を触りながら、サンが幸せそうに息をはきだしている。
「そうね。ハチと仲良く朝食をとるつもり」
 なにかを期待しているのか隣に立っているニイが輝かせている瞳をわたしのほうに向けていた。
 それを見たからか分からないがサンも同じ種類の目でこちらを見つめている。
「ニイ。まだ朝だよな?」
「そうね。窓から射しこんできている光が紫だから、まだ朝よ」
 そういえば窓から射しこんでくる光の色が紫、赤、青の順番で変化をしていたっけな。
「館の窓の外には三色に変化をするライトがあったりするんですか?」
「ライトというより太陽って存在が見え隠れするせいで紫や赤や青に変化しているように感じてしまう、かな?」
 なんて説明をしてくれているニイが、サンとアイコンタクトをとっている気がした。
 興味が窓の外のほうにいってしまったようだな。という感じの表情をサンがしている、多分だけど。
「感じる?」
「もう少し正確に言えば、感じるよりもそう見える機能にされている。色素認識レベルが低いせいで細かい判別ができない、とかなんとか博士が言っていたわね」
 ニイのむずかしい話はおいといて紫は朝、赤は昼、青は夜って覚えておけば良いって話だな……とサンが簡単にまとめていた。
「そうだそうだ。朝といえばさ、大切な儀式がなかったっけな?」
「朝食だったらサンは終わってますよね」
「あー、うん。そうだな。終わっている」
 笑わせるような会話をサンとしたつもりはないのに、普段はクールなニイが壁を叩いて苦しそうに呼吸をしている。
「はあー、ほら。ハチも大切な儀式をしないといけないんだからさ、そこを通らせてくれない。サン」
「分かったよ」
 サンがなんだか複雑そうな顔つきでわたしの鼻を指先で軽くつまんできた。
「今さらだけど、おはよう。ハチ」
 顔を近づけてきて、耳もとでそんな台詞を口にしてからサンはわたしの鼻をつまむのをやめて、どこかに行ってしまった。
「あ。サンに挨拶するのを忘れてました」
「そうね。わたしも忘れていたわ」
 サンの性格ならさらっと許してくれるから気にしないでおきましょう、とニイがわたしの背中を押しながらそう続けている。
 もしかしたらニイが壁を叩くほどに笑っていたのはそれが理由だったのかな。
「ニイの笑いのつぼは挨拶だったんですね」
「そうね」
「こんにちは」
「ふふっ、ハチは面白いわね」
 普段通りのクールなニイに戻ってしまったようで、その笑い声はつくりものぽかった。
 ニイに背中を押されながら食堂の扉を通り抜けていき窓際の席に向かい合わせに座る。
 ニイとわたし以外にヘッドホンをしているシイが壁とにらめっこをしつつ朝食をとっていたけど、なにか考えごとをしているようで独り言を口にしていた。
「今のシイはぴりついているからできるだけ静かに食べることにしましょう」
 声をひそめているニイに見えるていどに、わたしは首を縦に振った。
 食堂の窓の下には小さなボタンがあり……それぞれに押すと。草木や海の風景、人間が歩き回っている都会、人工的な夢世界などを映してくれる。
 今まで同じ映像を見たことがないので一期一会って感じなんだと思う、食堂の窓は。
「ハチは見たい映像とかある?」
 窓の下にある消音ボタンを押してからニイが聞いてきた。
「シイをぴりつかせている、なにかを消してくれるような映像が」
「それはないから海の映像にするわね」
 確か、イルカとか呼ばれている存在が食堂の窓の中で跳んでいた。ぬめぬめとしてそうな身体を空中でおり曲げ、こちらに向かって語りかけているように見える。
「イルカって食べられるんですか?」
「クジラも食べられるんだからイルカもいけるんじゃない、大きさ以外に違いはないって話みたいだし」
 美味しいかどうかについては、聞かないでおこう。頬が落ちてしまうレベルだったら、イルカショーができなくなったやつを食べてみたくなっちゃうかもしれないし。
「ハチはなにを食べるの、イルカ?」
「お肉は食べたい気分ですがイルカじゃなくカツ丼にしておきます」
「朝からヘビーなものを食べるわね」
 目の前のテーブルに埋めこまれているホワイトボードに付属している黒いペンでカツ丼と書いていく。
「ハチさま。カツ丼の量はどうしますか?」
 ホワイトボードにくっついている、スピーカーからそんな声が聞こえてきた。
 量も書かないといけないんだったっけ。
「大盛りで」
「了解しました。では文字を消しますね」
 オーダーが完了したようでホワイトボードに書いたカツ丼って文字が消えてしまった。
「ハチ。飲みものはどうするの?」
「わたしは水で良いです」
 テーブルの上に置かれている透明なコップをひっくり返すと、ポットで注いでないのに勝手にあふれていく。
 頭の中でこぼれてしまいそうだなと考えていると、水がとまってくれた。どんな原理かは分からないけど椅子に座っているアンドロイドとなにかしら連動をしているんだろう。うん、冷たくて美味しい。
「そう」
 アンドロイドが健康志向というのも少し変だがニイは普段と同じように野菜ジュースを取りに行っている。
 食堂の奥まったところにあるドリンクコーナーのミキサーで特製の野菜ジュースをつくっているニイをなんとなく見つめていると。
「おはよう、ハチ」
 壁際の席にいたシイが、ヘッドホンを外しながら向かいにあるニイの座っていた椅子に移動をしてきた。
「おはようございます。シイ」
「まだまだ言葉がかたいね、ハチ。別に良いんだよ、多少は失礼な言いかたになっても」
「そもそも、まだ失礼な言葉がどんなものか把握をできてないのでそうしようがないだけかと」
「その辺り、わたしがメンテナンスしてあげようか?」
「今日はナナに聞きたいことがあるのでまた別の機会にでも、お願いします」
 そうかい。と今の話題が本命ではなかったようでシイは不満そうな顔をしてない。
 ニイには聞かれたくないらしく、しきりにドリンクコーナーのほうにシイが目を向けている。
「秘密の話ですか?」
「ハチは聡いね、その通りだ。ニイのことは嫌いじゃないんだけど、どうにも頭のかたいところが苦手でな」
 ニイも空気を読んでいるのか……とっくに特製の野菜ジュースは完成しているのに壁にもたれかかり、こちらに身体を向けていた。
「わたしも頭はかたいですよ」
「いんや。ハチの考えかたはやわらかいほうさ。言いかたを変えれば、なんにでも染まりやすいって感じ」
 道徳的に間違っていても……自分にとって正しい道を選ぶかどうかってイメージだな、とシイが言葉を続けている。
「道徳とは?」
「あー、そうだな。人間がやっても許されるていどのルールって意味だ。簡単に説明すると」
「それは変ですね。わたし達はアンドロイドなんですから人間じゃないような?」
「そうそう。そんなところがニイとは違うと言っているんだよ」
 人間が守っているルールはアンドロイドのわたし達には適用されないのにニイはそれを忠実にやっているのさ。そう、シイが続けていた。
 アンドロイドが健康志向になる必要がないのに野菜ジュースを飲んでいるところもその影響ってことかな。
「だからさ、わたしとニイは話が合わない。嫌いじゃないが相性は悪いんだよ」
「ほう」
「今のハチには退屈だったか、それなら興味のある話に変えてあげようかね」
 二週間ほど前に教えられた、この館にいるアンドロイドの一人だけが人間になれるって話さ。本当だとしたらどうする?
 シイが嫌な種類の笑みを浮かべていた。
「わたしはどうもしません。そもそも人間とこの館のアンドロイドに違いはそんなにないですし」
 考えられる。ご飯を食べられる。眠れる。ケガをしにくいところなんかは、むしろ人間よりも優れているとも言える。
 心臓のネジが外れて、お腹の中で暴れ回るようなことはないだろうけどそれでも人間に憧れる理由はなさそうに思う。
「それは違うよ、ハチ。人間のほうが遥かに優れている。少なくとも、だからこそニイはその存在の真似をしているんだしな」
「そうなんですね」
 テーブルにくっついているホワイトボードからカツ丼が出てきたのを確認するとシイはゆっくりと立ち上がっている。
「邪魔をしたな。ま、人間について知りたくなったら聞きにこいよ」
「忘れてなければそうします」
「あはは、ハチは本当にすなおだよな」
 ニイも悪かったな、とでも言っているように視線を向けてからシイは食堂を出ていってしまった。
「なんの話?」
 目の前に戻ってきたニイが、少しだけ不満そうに頬をふくらませている。
「えっと、忘れました」
「便利な機能ね、忘れっぽいのって」
 人間が食事をする前の儀式と同じように、ニイもホワイトボードの上のエッグベネディクトに対して手を合わせていた。
「この館に神さまはいますか?」
「いないと思うわ」
 ニイは不思議そうに答えていたが、わたし的には神さまもいないのに祈るほうが変だと思っていたりする。
 だけどカツ丼は神さまに祈りたくなるほど美味しかった。
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