愛が欲しい人魚姫

黒鉦サクヤ

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愛が欲しい人魚姫

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 人魚は愛が欲しい生きものなの。
 私の一番初めの人間の旦那様は、私を捕らえた馬鹿な人。
 人魚は人を食らうというのに、私に一目惚れをしたんですって。そう言って、何度も私に会いに来た。

 一度目は、声が聞こえたけど無視をした。
 二度目は、顔だけを水面から出して、遠くから彼の顔を眺めたわ。
 三度目は、仕方がないから彼の手を取って歌ってあげたの。

 そうしたら彼は泣いて喜んで、私を家に連れていきたいって言った。
 私は陸では生きられない。
 それでもぜひにと彼が用意したのは、私が自由に泳げるくらいのガラス張りの容器だった。
 水槽と言うのだと彼が教えてくれた。底には岩場もあって、腰掛けることもできる。
 だけど、この水槽には天井があって、愛していると言ったくせに彼と触れ合うことはできないの。
 水槽の四分の三ほど水が入れられ、水面と天井の隙間はさほどなかった。岩場も水槽の半分くらいまでしかないから、私はゆったりと腰掛けて歌うこともできない。私の歌が好きだって言ったのに、これはどういうことなの。
 ガラス越しに彼は私を観察していて、私はただの実験体みたい。愛でられている感覚もなく、ただ毎日観察されている。
 私の食事にと魚をたくさんくれるけれど、これだけじゃぜんぜん足りないわ。
 人魚の食事は新鮮な食材と愛情なの。両方ないと満足できない。
 私は愛情もたくさん欲しいの。恋をしないと生きられない。彼が愛をくれると言ったからついてきたのに、愛が足りない。
 口だけでも言ってくれれば少しは満たされるのに、愚かな旦那様は私を水槽に捕らえて満足してしまったの。
 ダメよ、ダメ。
 私は知っている。この水槽は海の近くにあるって事を。水槽の水を入れ替えるのは大変だものね。この水槽を壊してしまえば私は海へ帰ることができる。でも、私は愛が欲しいから、ただ帰るわけにはいかないの。
 ねえ、旦那様。私に、どんな愛をくれるのかしら。

 次の日、私は旦那様がくれる食事をすべて無視して、ただじっと岩に座ったまま悲しい表情で見つめたの。悩ましい表情を浮かべながら溜息を吐いたら、口から漏れた空気が球状になって水面へと上っていく。それを目でぼんやりと追って、悲しげに瞳を伏せた。
 私はとても悲しんでいるのよ。この気持ちに気付いたかしら。
 その翌日は、岩場にぐったりと横になりながら、ひれをゆらりと動かして目だけを旦那様に向けてみた。狼狽した旦那様は水槽越しに声をかけてくるけれど、私の欲しい言葉はどこなのかしら。
 何故弱ってるんだ、何が気に入らないんだ、なんて分かりきったことを言わないで。旦那様の愛が足りないからよ。
 そんな言葉は愛ではないの。
 私の欲しい言葉をくれたなら、もう少し我慢してここにいても良いと思えたのに。
 三日目には、私は死んだ魚のように水面に浮かんでいた。旦那様の愛を感じたいのに、あの人は私を水槽に閉じ込めてからひとつも愛をくれなかった。酷い人。私が一口も魚を口にしなくなったのが原因だと思ったのね。
 ようやく旦那様が私の近くにやってきたの。さあ、口を開けてあげるわ。私の口に愛を放って。
 世話の焼けるヤツだ、なんて本当に酷い人。

 魚を手にした旦那様を、私は細い腕で抱きしめ水中へと潜る。私に抱きしめられて悲鳴を上げるだなんて、おかしな人。
 潜るときに水面をひれで叩いたら、水滴が飛び散って煌めいた。旦那様の吐く息が水中でキラキラと輝いて、私は笑顔になる。
 そうね、旦那様にはもっと私と一緒に居てもらわないと。私に愛をくれると言ったのを本当のことにしなければならないわ。
 私は自分の腕の肉を噛み千切り、旦那様にそのまま口づける。そして口の奥に私の肉を押し込んで、無理矢理飲み込ませた。
 人魚の肉は不老不死になる薬なんですって。
 これで旦那様はずっと私と一緒に居られるわ。だって、死ねないんですもの。水の中でだって死ぬことは許されない。息苦しくて死にそうになっても死ねないの。ずっとずっと苦しみ続けるけれど、仕方がないわよね。だって、私に愛をくれるって嘘をついたんだから。
 藻掻いている旦那様の唇に吸い付いた私は、そのまま舌を食いちぎる。ごくんと飲み込めば、お腹の辺りが温かくなった。これが旦那様のくれる愛。口づけて、再び生えてきている舌をもう一度食いちぎる。これが二つ目の旦那様の愛。
 美味しい、とても美味しいわ。
 もう二度と愛を口にしてくれなくても良いの。嘘を言う舌なんて私が何度でも飲み干してあげる。
 旦那様の肉が私への愛の証。
 三度目の舌を飲み込んで、私はにっこりと微笑む。
 旦那様が逃げようと藻掻くけれど、そんなことは許さない。
 思い切り水槽をひれで叩けば、それだけで水槽に罅が入る。もう一度叩いて水槽を割ると、私は広い海へと戻ることができた。手には愛しい旦那様を抱いて、私は自分の家へと帰る。
 今度は私が旦那様を捕らえて離さないの。海藻の手錠で旦那様を縛って、私は旦那様の愛を貪る。
 旦那様の愛はいくら食べても減らないわ。だって、旦那様は死ねないんですもの。
 私が愛を消費した先から、新しい愛が生まれるの。なんて素敵なんでしょう。
 これからは旦那様にたくさん歌を歌ってあげる。愛を囁いてあげる。
 だから私に、旦那様の愛と肉をくださいな。
 旦那様で満たされる私は、きっと今までよりも美しく輝くから。
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