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耳がない者
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蒸気が常に噴き上がる『セラフィ』には、金属を叩き、組み合わせるような工事の音が絶えず響いている。王都の隣に位置し、カーシュ公爵家が治める地の一つだ。
セラフィのあるクユシュタリア王国には、耳と尻尾を持つ者が暮らしていた。この国では耳と尻尾があることが重要視される。
この国における奴隷は、主に耳のない者が担う。耳のない子が生まれると、恐ろしいと人々は何も罪のない子をすぐ売りに出すのだ。なにがそんなに怖がられているのかといえば、耳なしは性別に関わらず子を産むことができるからだった。自然の理から外れたものとして忌み嫌われ、捨てられた。
そして、私も本来なら奴隷になっていたはずの耳なしだ。両親が耳を持たずに生まれてきたことをすぐさま隠蔽し、今までこうして何不自由なく育ててくれた。家族には感謝しかない。私のせいで危険な道を歩ませてしまったことが、申し訳なくて悔しくてたまらないけれど。
私の性別は男だったけれど、万が一、子を産んだとしても不審がられないように性別を女とし、公爵令嬢として育てられ今に至る。
耳がなくても声や音も聞こえるので不自由はなかったし、偽物の耳をつけてごまかしていた。他の人みたいに耳が感情に合わせて動かないから、何があっても感情がぶれない子って思われているらしい。お母様譲りの銀色でフサフサの狼の尻尾をよく見ていればそんなことないって分かると思うのだけれど、気付かれないならそのほうがいい。
ちなみにこの国で生まれてくる子は、男が母親の種を引き継ぎ、女が父親の種を引き継ぐのだけれど、我が家は両親とも狼だったから助かった。もしお父様が狼でなかったら性別を偽ることは難しかったから。
十六歳になるまで、この耳なしという秘密が家の者以外にもれなかったことが不思議でならなかったけれど、たまたま運が良かったのだろう。
性別を偽ったことはそれほど大きな罪に問われないだろうけど、今後耳がないことがばれてしまったら、私はやっぱり奴隷になるのだろうか。人々を謀った罪で牢獄行きかもしれない。
クユシュタリアは近隣諸国が奴隷制を廃止している中、未だ奴隷制度が残っていて、王自らが奴隷制を撤廃しようとしていた。私達家族もそれに賛成し王を支持しているけれど、それをよく思わない派閥が、なんとか残す方向へと働きかけているのが現状だ。
仕事の手を止め物思いに耽っていると、遠くで汽笛が鳴るのが聞こえ、今日は駅まで迎えに行かなければならない人物がいたことを思い出す。
クユシュタリアにおける動力は蒸気機関と魔力だ。だいたいの機械はその両方を兼ね備えており、使う人物の能力にあわせて切り替えが行われる。魔力が少ない者は燃料を使用し動かし、魔力で動かせるものはそちらを使うといった具合だ。便利なものである。
蒸気機関車は国中を走り、人々を繋ぐ。飛行船もあるが、庶民でも気軽に使えるのは蒸気機関車だった。
また、街中で使用されている動力源も蒸気によるものが多い。そこら中から蒸気が噴き上がり、その音は生活の一部になっているため、うるさくて眠れなくなるような者はこの街にはいない。
今、私がいるのは建設途中のそこそこ高くなってきた塔の上で、下を眺めても噴き上がる蒸気で覆い隠されており、塔の半分より下の様子は窺えなかった。けれど、見慣れた光景で特に不安になることもない。
早く終わらせなくちゃ、と私は設計図と手元の材料を眺めつつ、作りたい形を思い浮かべて軽く指を鳴らす。何種類か混ぜ合わせた粉は、その一瞬で一つの歯車へと姿を変えた。
これが私の最近の仕事。工事現場に赴き、使用する部品を錬金術で作って回っているのだ。ただし、私のやり方は錬金術としては異質なため、他の錬金術師に邪道扱いされている。
「ラスティ、今日の分はこれでいいかしら」
近くで作業していた初老のラスティに声をかけ、作り終えた部品を手渡す。手元にあった材料をすべて使い切ってしまっていたし、頼まれていた分は作り終えたはずだ。
「はい、お預かりします。さすがシルヴィア様、歪みひとつない。シルヴィア様の部品を使った後は、他の部品を使うのが億劫になっちまうんですよ。手直しがいらない部品なんてシルヴィア様のもの以外ありませんし」
「ふふっ、ありがとう。でもあまり褒めないで」
ラスティはいつも恥ずかしくなるくらい褒めてくれるけれど、身内贔屓じゃないかと思う。私が彼を雇用している公爵家の娘だということと、あとは彼の優しさと思いやり。ラスティには私くらいの孫がいるから、それも関係しているかもしれない。
「では私は帰りますね。あとのことはよろしくお願いします」
「かしこまりました。お気をつけて」
ごきげんよう、と軽く手を振りながら、私は高い塔の上から躊躇うことなく飛び降りた。はしたないけれど、私にはこれが一番安全で早い降り方だった。現場の者たちも見慣れているので、落ちていく私に驚くことはない。今でこそ律儀に挨拶をしてくれるけれど、初めての時の阿鼻叫喚ぶりはすごかったので、一生忘れる事はできないだろう。
数メートル落下しては途中で指を鳴らして足場を作り、飛び降りる瞬間にその足場を崩して次の足場の材料にする。それを繰り返すことで、高い塔からの移動を楽に行うことができるのだ。指を鳴らすだけで錬成と解体を行なうことができる私だけの階段だ。
さすがにいつものボリュームのあるドレスでは作業にも移動にも向かないため、長いプラチナブロンドを結い上げ、ゆったりめのサルエルを履いている。この姿を見て、一目でカーシュ公爵家の令嬢だと気づく者はいないだろう。
しかし、私が現場に出ていることは街中の者が知っているので、変装しているわけではない。あくまでも動きやすさを重視しているだけだ。私は公爵令嬢でもあり、国から正式に任命された錬金術師でもあるので、多少お転婆なことをしていようとも仕事中だと言い張れば問題はない。問題はないけれど、いいことではないことも分かっているので気をつけたい。
錬金術師は素質のある限られた者しかなることができないため希少価値が高く、ケチをつけたくても機嫌を損ねては大変だとなかなか本人に言えないらしい。それに私の場合は婚約者が素敵な身分ということと、私の能力が貴重なため余計に言いにくいのだと思う。
国から錬金術師と任命されてからは研究に没頭する者が大半で、私のように現場で働く者はいない。私は研究も好きだけれど、我が家に携わる者たちが頑張って働く姿を見るのも好きで、ついつい現場に顔を出してしまう。それに私の能力は研究より現場向きだ。精霊が手伝ってくれるおかげで、私は疲れることなく部品を量産できる。
私にはいくつか秘密があるけれど、差別することなく大切にしてくれる両親や兄妹に少しでも恩返しがしたい。だから、家のためや大好きな人たちのために、その人たちが大事にしているこの土地の人々に、私ができることは率先してやりたいと思っている。
軽快な音を立てながら無事に着地した私に、下で待っていた従者からの冷たい視線が突き刺さる。
頭の上にある長く黒い二本の耳を震わせた従者のレントンから、心を抉るような小言が飛んできた。まだ三十路になったばかりなのに眉間に刻まれた皺が深いのは私のせい……ではないと思いたい。でも私を心配して諫めてくれる数少ない優しい人。だから、本当は心配させたくなかったけれど、今日は急いでいたので大目に見てほしい。
「シルヴィア様、何度危険だと申し上げてもやめる気はないのですね。シルヴィア様の力を信じておりますが、万が一ということも。このまま続けられるようでしたら旦那様にこのことをご報告し、現場への出入りに制限かけてもらうのも良いと思っておりますが……」
私は頭を抱えながら延々と続きそうな小言を途中で遮り、駅に向かわねばならないことを告げる。その言葉でレントンは私が急いでいることに気づいたのか、姿勢を正すと待たせていた車の扉を開けた。
「いつも心配かけてごめんなさい。気をつけます」
レントンは一礼して扉を閉めてくれる。
私は急いでサルエルを脱ぎ、中に詰め込んでいたスカートを広げた。ゆとりのあるサルエルを履いていたのはこのためでもある。本当はコルセットで締め上げて、ボリュームのあるドレスを着たかったけれど、今日の仕事には不向きで諦めた。それに今から会う相手は、私の格好が多少公爵令嬢として劣っていても、文句を言うような人ではない。
なんといっても、秘密の一つである私が男だということを知っても、そのままでいいと言ってくれる人なのだ。
私は編んでいた髪を解く。軽く梳けば緩くウェーブのかかった状態で豊かに広がった。
再度、服装におかしいところはないかを確認し、私は車の窓を叩いて合図を送る。車は滑らかに動き出し、駅へと向かったのだった。
セラフィのあるクユシュタリア王国には、耳と尻尾を持つ者が暮らしていた。この国では耳と尻尾があることが重要視される。
この国における奴隷は、主に耳のない者が担う。耳のない子が生まれると、恐ろしいと人々は何も罪のない子をすぐ売りに出すのだ。なにがそんなに怖がられているのかといえば、耳なしは性別に関わらず子を産むことができるからだった。自然の理から外れたものとして忌み嫌われ、捨てられた。
そして、私も本来なら奴隷になっていたはずの耳なしだ。両親が耳を持たずに生まれてきたことをすぐさま隠蔽し、今までこうして何不自由なく育ててくれた。家族には感謝しかない。私のせいで危険な道を歩ませてしまったことが、申し訳なくて悔しくてたまらないけれど。
私の性別は男だったけれど、万が一、子を産んだとしても不審がられないように性別を女とし、公爵令嬢として育てられ今に至る。
耳がなくても声や音も聞こえるので不自由はなかったし、偽物の耳をつけてごまかしていた。他の人みたいに耳が感情に合わせて動かないから、何があっても感情がぶれない子って思われているらしい。お母様譲りの銀色でフサフサの狼の尻尾をよく見ていればそんなことないって分かると思うのだけれど、気付かれないならそのほうがいい。
ちなみにこの国で生まれてくる子は、男が母親の種を引き継ぎ、女が父親の種を引き継ぐのだけれど、我が家は両親とも狼だったから助かった。もしお父様が狼でなかったら性別を偽ることは難しかったから。
十六歳になるまで、この耳なしという秘密が家の者以外にもれなかったことが不思議でならなかったけれど、たまたま運が良かったのだろう。
性別を偽ったことはそれほど大きな罪に問われないだろうけど、今後耳がないことがばれてしまったら、私はやっぱり奴隷になるのだろうか。人々を謀った罪で牢獄行きかもしれない。
クユシュタリアは近隣諸国が奴隷制を廃止している中、未だ奴隷制度が残っていて、王自らが奴隷制を撤廃しようとしていた。私達家族もそれに賛成し王を支持しているけれど、それをよく思わない派閥が、なんとか残す方向へと働きかけているのが現状だ。
仕事の手を止め物思いに耽っていると、遠くで汽笛が鳴るのが聞こえ、今日は駅まで迎えに行かなければならない人物がいたことを思い出す。
クユシュタリアにおける動力は蒸気機関と魔力だ。だいたいの機械はその両方を兼ね備えており、使う人物の能力にあわせて切り替えが行われる。魔力が少ない者は燃料を使用し動かし、魔力で動かせるものはそちらを使うといった具合だ。便利なものである。
蒸気機関車は国中を走り、人々を繋ぐ。飛行船もあるが、庶民でも気軽に使えるのは蒸気機関車だった。
また、街中で使用されている動力源も蒸気によるものが多い。そこら中から蒸気が噴き上がり、その音は生活の一部になっているため、うるさくて眠れなくなるような者はこの街にはいない。
今、私がいるのは建設途中のそこそこ高くなってきた塔の上で、下を眺めても噴き上がる蒸気で覆い隠されており、塔の半分より下の様子は窺えなかった。けれど、見慣れた光景で特に不安になることもない。
早く終わらせなくちゃ、と私は設計図と手元の材料を眺めつつ、作りたい形を思い浮かべて軽く指を鳴らす。何種類か混ぜ合わせた粉は、その一瞬で一つの歯車へと姿を変えた。
これが私の最近の仕事。工事現場に赴き、使用する部品を錬金術で作って回っているのだ。ただし、私のやり方は錬金術としては異質なため、他の錬金術師に邪道扱いされている。
「ラスティ、今日の分はこれでいいかしら」
近くで作業していた初老のラスティに声をかけ、作り終えた部品を手渡す。手元にあった材料をすべて使い切ってしまっていたし、頼まれていた分は作り終えたはずだ。
「はい、お預かりします。さすがシルヴィア様、歪みひとつない。シルヴィア様の部品を使った後は、他の部品を使うのが億劫になっちまうんですよ。手直しがいらない部品なんてシルヴィア様のもの以外ありませんし」
「ふふっ、ありがとう。でもあまり褒めないで」
ラスティはいつも恥ずかしくなるくらい褒めてくれるけれど、身内贔屓じゃないかと思う。私が彼を雇用している公爵家の娘だということと、あとは彼の優しさと思いやり。ラスティには私くらいの孫がいるから、それも関係しているかもしれない。
「では私は帰りますね。あとのことはよろしくお願いします」
「かしこまりました。お気をつけて」
ごきげんよう、と軽く手を振りながら、私は高い塔の上から躊躇うことなく飛び降りた。はしたないけれど、私にはこれが一番安全で早い降り方だった。現場の者たちも見慣れているので、落ちていく私に驚くことはない。今でこそ律儀に挨拶をしてくれるけれど、初めての時の阿鼻叫喚ぶりはすごかったので、一生忘れる事はできないだろう。
数メートル落下しては途中で指を鳴らして足場を作り、飛び降りる瞬間にその足場を崩して次の足場の材料にする。それを繰り返すことで、高い塔からの移動を楽に行うことができるのだ。指を鳴らすだけで錬成と解体を行なうことができる私だけの階段だ。
さすがにいつものボリュームのあるドレスでは作業にも移動にも向かないため、長いプラチナブロンドを結い上げ、ゆったりめのサルエルを履いている。この姿を見て、一目でカーシュ公爵家の令嬢だと気づく者はいないだろう。
しかし、私が現場に出ていることは街中の者が知っているので、変装しているわけではない。あくまでも動きやすさを重視しているだけだ。私は公爵令嬢でもあり、国から正式に任命された錬金術師でもあるので、多少お転婆なことをしていようとも仕事中だと言い張れば問題はない。問題はないけれど、いいことではないことも分かっているので気をつけたい。
錬金術師は素質のある限られた者しかなることができないため希少価値が高く、ケチをつけたくても機嫌を損ねては大変だとなかなか本人に言えないらしい。それに私の場合は婚約者が素敵な身分ということと、私の能力が貴重なため余計に言いにくいのだと思う。
国から錬金術師と任命されてからは研究に没頭する者が大半で、私のように現場で働く者はいない。私は研究も好きだけれど、我が家に携わる者たちが頑張って働く姿を見るのも好きで、ついつい現場に顔を出してしまう。それに私の能力は研究より現場向きだ。精霊が手伝ってくれるおかげで、私は疲れることなく部品を量産できる。
私にはいくつか秘密があるけれど、差別することなく大切にしてくれる両親や兄妹に少しでも恩返しがしたい。だから、家のためや大好きな人たちのために、その人たちが大事にしているこの土地の人々に、私ができることは率先してやりたいと思っている。
軽快な音を立てながら無事に着地した私に、下で待っていた従者からの冷たい視線が突き刺さる。
頭の上にある長く黒い二本の耳を震わせた従者のレントンから、心を抉るような小言が飛んできた。まだ三十路になったばかりなのに眉間に刻まれた皺が深いのは私のせい……ではないと思いたい。でも私を心配して諫めてくれる数少ない優しい人。だから、本当は心配させたくなかったけれど、今日は急いでいたので大目に見てほしい。
「シルヴィア様、何度危険だと申し上げてもやめる気はないのですね。シルヴィア様の力を信じておりますが、万が一ということも。このまま続けられるようでしたら旦那様にこのことをご報告し、現場への出入りに制限かけてもらうのも良いと思っておりますが……」
私は頭を抱えながら延々と続きそうな小言を途中で遮り、駅に向かわねばならないことを告げる。その言葉でレントンは私が急いでいることに気づいたのか、姿勢を正すと待たせていた車の扉を開けた。
「いつも心配かけてごめんなさい。気をつけます」
レントンは一礼して扉を閉めてくれる。
私は急いでサルエルを脱ぎ、中に詰め込んでいたスカートを広げた。ゆとりのあるサルエルを履いていたのはこのためでもある。本当はコルセットで締め上げて、ボリュームのあるドレスを着たかったけれど、今日の仕事には不向きで諦めた。それに今から会う相手は、私の格好が多少公爵令嬢として劣っていても、文句を言うような人ではない。
なんといっても、秘密の一つである私が男だということを知っても、そのままでいいと言ってくれる人なのだ。
私は編んでいた髪を解く。軽く梳けば緩くウェーブのかかった状態で豊かに広がった。
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