キューピッドは料理動画

雪玉 円記

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menu.5 心癒やすコンソメスープ(9)

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 翌日。神谷が車で2人を昨晩の病院に送迎してくれることになっていた。
 曰く、「被害者と善意の協力者の身の安全を確保するため」とのことだった。
 そう言われれば断る理由もなかったので2人は素直に車に乗り込む。
 そうして、午前中いっぱいを検査に費やした結果、奏太には腹部打撲、内臓損傷見られず、という診断結果がついた。
 そのことに安心はしたが、青あざが完全に引くには2ヶ月ほどはかかるだろうと言われ、奏太は呻いた。
「そうですかぁ~……」
「何か訊いておきたいことはありますか?」
 天井を仰いだ奏太に、医師はそう告げる。
 すると彼は至極真面目な顔をして訊ねる。
「いつセックスしても大丈夫になりますか?」
 ……医師と看護師、外来クラーク、そして付き添いの神谷と修一が凍り付いた。
 その中で一番始めに気を取り直したのは医師だった。わざとらしい咳払いをしてから答える。
「……一応、内臓も大事にしてほしいので、打撲が治ってからにした方がいいのでは?」
「そうですか~。分かりました、ありがとうございます」
 そう締めくくった奏太に、何を訊いているのかと頭を抱える2人だった。



 診察代と追加処方された湿布代を支払ったあと、何故か今度は神谷は何も言わず2人をまっすぐ奏太のマンションに送り届けた。
 その道中の会話で、紫苑とパートナーの身柄は無事だという話を聞かされ、修一は一つ胸を撫で下ろす。
 彼女は【prism-Butterfly】の営業を続けることを選択した、と聞いたときはその豪胆さに奏太すらも目を見張るほどだった。
 そうしてマンションに送り届けられエントランスに入ったとき、そのマンションの共用部分に男が2人待っているのが見えた。
「……」
 瞬時に修一の目が鋭くなり、無意識に奏太を庇う位置に移る。その様子を見て、2人のうち年嵩の方は若干悲しそうな顔をした。
「おいおい……。修坊、そんな顔しないでおくれよ。おいちゃん悲しいじゃねえか」
「黙ってください。警官のくせに一般人の奏太を死地に送ったあなたが、悲しいなどと口にする資格などない」
 普段よりも一段低い声で修一は相手に吐き捨てる。
 それを聞いて奏太は、修一の前に出ながら彼を説得するように言った。
「だから! それは俺が志願したんだって! 警察の人たちには何度も止められたよ!」
 すると、修一は警官に向けていた目をそのまま奏太に向ける。
 奏太は初めて修一から、怒気の籠もった目で直視されたことになる。思わず驚愕した。
「……奏汰、お前は自分の価値を何も分かっていない。お前はいずれ動画クリエイターという枠から飛び出して活躍していく料理研究家だと、リスナーも他のクリエイターも認めている。そんなお前がヤクザのいざこざに巻き込まれて死んだ、ましてや死因までもが明らかになったとしたら、警察は大炎上だな。巻き込んだ原因の俺にも大バッシングがくるだろうし、俺の両親にもそれは及ぶかもしれない。……まあ、そうなった場合、その頃の俺は精神的に完全に壊れているだろうから、バッシングがあったとしても認知できるかどうか分からんが」
「いや……、修一くん……」
「怒りに暴走した群集心理をなめない方がいい。今の俺がこの人たちに持っている怒りの度合いなど押し潰していく勢いがあるだろうな。もし俺が〝春川修一〟ではなく別のお前のリスナーの誰かだとしたら、お前の死因を目にしたら警察と〝春川修一〟に何をするか分からん」
「……修坊、一つだけ勘違いしてやしねえか」
 怒りどころか狂気に染まりつつあった目をしていた修一に、年嵩の刑事が言う。
「仮に佐々木さんがこの作戦で死んだところで、一番悪いのはお前を長年監禁していた青木剛とその一派だ。そこだけははき違えるな」
「……民衆は攻撃しやすい方を狙いますよ。その中で一番狙いやすいのは俺だ」
「お前、死にたかったのか? 俺らが警察倫理を曲げてまでお前を助けたっていうのに……」
 そこで、修一の目が一層険しくなった。
 修一は奏太と初めて会った日、彼の家に行った。それから説明責任も果たさずにただただ彼を避けた。
 それがダブルスタンダードだということは、冷静に考えれば分かる。だが、奏太と会ってしまった。憧れの料理を生み出す本人が目の前にいて、その料理を手ずから振る舞ってくれると言ってきた。
 その記憶と日々の配信さえあれば、絶望しか見えない未来でも生きていけると思っていたのだ。
 井上と奏太は、そんな修一の決意を馬鹿らしいと一笑に伏したに等しい。彼の決意をも上回る、青木への怒りと修一救出への執着心を持っていたということだろう。
 奏太は、今にも年嵩の刑事の首を絞めかねない様子の修一を見て、それから刑事たちに向き直った。
「……井上さん、今日は多分修一くんダメです。事情聴取は神谷さんとかを回してください。多分修一くん、今井上さんのこと俺の仇か何かに見えてますよ」
「……みたいですねえ」
 年嵩の刑事――井上は深いため息をついた。その顔には隠しきれない悲嘆が見える。
「……おう、今日のところは戻るぞ大塚」
「はい」
 井上刑事の後ろに控えていた、高身長の刑事が返答する。
 2人でエントランスの出入り口に向かう。すれ違うとき、井上が修一に告げた。
「……俺のこと『おじちゃん』って会うたびに追い回してきた可愛らしい坊主はどこにいったのかねえ……」
 すると、強面の大塚も思わず早足に離脱するほどの殺気を、修一はダイレクトに井上に叩き付けた。
「ガキの頃と今回の件については話が別だ!!」
 帰れ!! と修一は井上に吠える。
 奏太は思わず身を竦ませるが、井上は飄々と肩を竦めながら「おお怖いこって」と言いながらマンションを出て行った。
 修一は肩を振るわせながら、刑事たちが出て行った方向を睨んでいる。その手を、奏太はそっと握った。
「……修一くん、落ち着けるところに行こう。ね?」
 そう声をかけると一瞬、修一の表情から一切の感情が抜け落ちる。だがそれを奏太に悟られないようにか、うっすら笑ってみせた。
「……奏太」
「なあに?」
「菓子は作れるか?」
 どこかわくわくしたような声音で修一が訊ねる。腹を空かせて帰ってきた子供が親におやつのありかを訊ねるようなそれに近かった。
 奏太はいわゆるドヤ顔を浮かべる。
「ちょっとちょっとちょっとちょっと修一く~ん? 俺のこと誰だと思ってんの~? ある材料の範疇でならなんでもイケるに決まってんでしょうがぁ~」
 エレベーターのボタンを押しつつ奏太は言う。料理歴15年越えをなめないでほしかった。
 ドアがすぐに開いたので二人は乗り込む。箱の中で修一は言った。
「クレープが食いたい」
「クレープね、オッケー。あ、ついでにまっちゃんとゆーごも呼んでいい? 二人に修一くんのこと紹介しとかないと」
 まっちゃんはキレやすいからさぁ……とぼやく奏太に、修一は頷く。
 彼は『奏汰のcookin'ちゃんねる』メインメンバー勢揃いか……と密かに思案し、わくわくしていた。
 修一は『奏汰のcookin'ちゃんねる』では、メイン出演を務めている奏汰のファンではあるが、毎回調理中のアシスタントや画角外でのガヤで出演している二人のファンではないというわけでもないのだ。
 むしろ、まっちゃんの男メシ回やゆーごの栄養学講座回も楽しみに見ている。
 ただ、ファンとして向ける熱意の九割九分九厘が奏汰と彼の料理に向いているだけだ。
 エレベーターを降りると、奏太は自室の鍵を開けてから修一に言付ける。
「二人とも隣の部屋に住んでるから、ちょっと行ってくるね。話がいい方についたら連れてくるから~」
 ひらひらと手を振った後、無遠慮に隣の部屋のインターホンを連打し始める。
 すると5秒もしないうちに部屋のドアが乱暴に開き、引きずり込まれる。
 ドアが完全に閉まりきる瞬間、男性の怒鳴り声がしたような気がしたが、気のせいということにして修一は奏太が開けてくれた彼の部屋のドアをくぐった。









続く




┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

今回で5話の終了です。
実を言えば初期どころか2稿目のプロットとも違う話になってきています。
本来はもう少しこの辺りはあっさり進んでいました。
ですが私の中で、「いくら相手のことを無意識では好きでキスまでしていても、助けられたその日に体を許すほど修一の心の傷は浅いものなのか?」と囁いてきたナニかがいまして……。
結果、奏太の周辺人物との交流会を挟むことになりそうです。

因みに、井上のおじちゃんが修一に心をまた開いてもらえる日が来るかは今のところ未定です。

次章は、奏太の動画出演メンバー込みの鍋会から始まります。



BL小説大賞ポイントを振り込んでくださった方々へ、この場を借りてお礼申し上げます。
ありがとうございます。
のんびりと完結を目指して書き続けていきたいと思います!
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