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menu.3 急展開のペペロンチーノ(4)
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「……そういやアンタ。カナタに持ち帰られた後、なにもなかった?」
ぴく、と一瞬だけ手が止まる。しかし何事もないように巻き取りを再開させる。
「……何か、とは?」
「いや……、カナタってタイプの男はみんな食い散らかしてくことで有名になってたから」
言外に、“ベッドを共にするような事態にはなっていないか”と訊かれたのだろう。
修一はその夜の記憶を引っ張り出す。
奏太の料理を食す幸運を得た。
酒に何かしらの薬物は混入された。
翌朝の体調を考えると、特に何もされてはいないと結論づけた。
脳内でそうフローチャートを構築し、頭を横に振る。
「何もなかった」
「そ……。ならいいんだけど。もしあの日の段階で一線越えちゃったら、もうカナタはとっくに消されちゃってたでしょうからね。それはアンタの望むところじゃないんでしょ?」
「ああ……」
ふっ、と修一の目に影が宿った。
絶望を与えられ続けた果てに、心や感情がぴくりとも動かなくなってしまった人間特有の目だった。
「……あれは、一時の夢だ。ファンならば誰もが切望する本人の料理が食えるなどという機会、一生に一度とてないだろうからな……」
「……」
修一が、自分の命をどうでもいい無価値なものと断じているのを知っているからこそ、紫苑は眉を潜める。
「だから、その夢に釣られたってこと?」
「ああ」
青木に囲われている以上、普通に働き、余暇を好きなことをして過ごし、意中の相手を作り、ということは叶わないと分かっている。積極的に自殺をする気はないが、積極的に生を謳歌する気にはどうしてもなれなかった。
そんな灰色の人生の中に、色鮮やかな料理で飛び込んできたのが『奏汰のcookin'ちゃんねる』だった。
奏汰の料理の数々、時折顔出しで出演する仲間たちとのやりとり、それら全てがキラキラしたものに見えて仕方がなかった。それと同時に、どんなに渇望しても自分はもうこんな日々を取り戻すことなど出来ないのだと思った。それを自覚しても涙の一滴も出なかったのをよく覚えている。
あの日このバーで奏汰と出会ったことは、修一にとっては一種の夢物語に等しかった。彼の家で彼の料理を振る舞われてなお、そんな感覚が抜けない。
だから修一にとっては、あの夜のことは、翌朝のことも含めて全て夢なのだと思うことにした。
たとえ奏太の側にやましい思いがあったとしても、帰宅際にキスされたとしても、全ては夢なのだ。
その証拠に、今も奏汰の動画は更新が続いている。もしあれが夢でないのなら、今頃『奏汰のcookin'ちゃんねる』は何かしらの異変がとっくに起こっていてもおかしくない。
「……奏汰は、今でも動画の更新を続けているだろう。何も起こってない証拠だ。だから、俺が都合よく見たいい夢だったのさ、あの日のことは」
そう言い、修一はパスタを口に運ぶ。
紫苑はため息をついた。その日の深夜、彼女は青木に詰められ精神的に大変な思いをしたのだ。忘れようと思っても忘れられるものではない。
夢であってたまるか。そう断じてしまいたかったが、それは出来そうになかった。
今よりももっと、絶望に心を破砕された頃の彼を知っているからだ。夢だと断じて心の均衡をとっている彼に、とてもではないが現実だと言う気にはなれなかった。
とりあえずは話を合わせることにする。
「……で、その夢はどうだったの?」
「……美味かった」
「そう」
「……不思議なことに、奏汰本人に友人になってくれと言われたが」
本当はそれ以上の関係になることを望むことをほのめかされているが、彼の命がつながっていることを認識した瞬間、修一の記憶からはぼやけて消えかけている。
「友人? 返事したの?」
「いや、これ以上関わるのは奏汰のキャリアに障るだろうと思って、返事はしていない」
フルネームは教えてしまったが、明確に「はい」とも「いいえ」とも言っていないはずだ、と修一は頼りにならない記憶を巡らせる。
「……そうね、はぐらかしとくのが正解かもしれないわ」
本当はもう関わらない方がいいかもしれないけど、と紫苑はカウンター席に一番近いボックス席をちらりと見やる。
そこで、どこからどう見てもカタギでなはい青年が4人、大人しく飲んでいる。
例のガキども――修一の身辺警護あるいは近づいてくる者の監視を命じられている――である、青木の子分たちだ。
当然彼らの存在は修一も気づいている。
彼らは修一の部屋の隣を拠点として与えられていて、常に修一の行く場所についてまわっている。さすがにずっと気づかないというのは無理がある。
修一が奏太の家に行った夜も、当然後を付けようとしたがタクシーを見失ってしまい、青木直々の制裁を受けている。そんなこともあるため、監視の手を今度は緩めまいと必死になって動いている若者たちだ。
ぴく、と一瞬だけ手が止まる。しかし何事もないように巻き取りを再開させる。
「……何か、とは?」
「いや……、カナタってタイプの男はみんな食い散らかしてくことで有名になってたから」
言外に、“ベッドを共にするような事態にはなっていないか”と訊かれたのだろう。
修一はその夜の記憶を引っ張り出す。
奏太の料理を食す幸運を得た。
酒に何かしらの薬物は混入された。
翌朝の体調を考えると、特に何もされてはいないと結論づけた。
脳内でそうフローチャートを構築し、頭を横に振る。
「何もなかった」
「そ……。ならいいんだけど。もしあの日の段階で一線越えちゃったら、もうカナタはとっくに消されちゃってたでしょうからね。それはアンタの望むところじゃないんでしょ?」
「ああ……」
ふっ、と修一の目に影が宿った。
絶望を与えられ続けた果てに、心や感情がぴくりとも動かなくなってしまった人間特有の目だった。
「……あれは、一時の夢だ。ファンならば誰もが切望する本人の料理が食えるなどという機会、一生に一度とてないだろうからな……」
「……」
修一が、自分の命をどうでもいい無価値なものと断じているのを知っているからこそ、紫苑は眉を潜める。
「だから、その夢に釣られたってこと?」
「ああ」
青木に囲われている以上、普通に働き、余暇を好きなことをして過ごし、意中の相手を作り、ということは叶わないと分かっている。積極的に自殺をする気はないが、積極的に生を謳歌する気にはどうしてもなれなかった。
そんな灰色の人生の中に、色鮮やかな料理で飛び込んできたのが『奏汰のcookin'ちゃんねる』だった。
奏汰の料理の数々、時折顔出しで出演する仲間たちとのやりとり、それら全てがキラキラしたものに見えて仕方がなかった。それと同時に、どんなに渇望しても自分はもうこんな日々を取り戻すことなど出来ないのだと思った。それを自覚しても涙の一滴も出なかったのをよく覚えている。
あの日このバーで奏汰と出会ったことは、修一にとっては一種の夢物語に等しかった。彼の家で彼の料理を振る舞われてなお、そんな感覚が抜けない。
だから修一にとっては、あの夜のことは、翌朝のことも含めて全て夢なのだと思うことにした。
たとえ奏太の側にやましい思いがあったとしても、帰宅際にキスされたとしても、全ては夢なのだ。
その証拠に、今も奏汰の動画は更新が続いている。もしあれが夢でないのなら、今頃『奏汰のcookin'ちゃんねる』は何かしらの異変がとっくに起こっていてもおかしくない。
「……奏汰は、今でも動画の更新を続けているだろう。何も起こってない証拠だ。だから、俺が都合よく見たいい夢だったのさ、あの日のことは」
そう言い、修一はパスタを口に運ぶ。
紫苑はため息をついた。その日の深夜、彼女は青木に詰められ精神的に大変な思いをしたのだ。忘れようと思っても忘れられるものではない。
夢であってたまるか。そう断じてしまいたかったが、それは出来そうになかった。
今よりももっと、絶望に心を破砕された頃の彼を知っているからだ。夢だと断じて心の均衡をとっている彼に、とてもではないが現実だと言う気にはなれなかった。
とりあえずは話を合わせることにする。
「……で、その夢はどうだったの?」
「……美味かった」
「そう」
「……不思議なことに、奏汰本人に友人になってくれと言われたが」
本当はそれ以上の関係になることを望むことをほのめかされているが、彼の命がつながっていることを認識した瞬間、修一の記憶からはぼやけて消えかけている。
「友人? 返事したの?」
「いや、これ以上関わるのは奏汰のキャリアに障るだろうと思って、返事はしていない」
フルネームは教えてしまったが、明確に「はい」とも「いいえ」とも言っていないはずだ、と修一は頼りにならない記憶を巡らせる。
「……そうね、はぐらかしとくのが正解かもしれないわ」
本当はもう関わらない方がいいかもしれないけど、と紫苑はカウンター席に一番近いボックス席をちらりと見やる。
そこで、どこからどう見てもカタギでなはい青年が4人、大人しく飲んでいる。
例のガキども――修一の身辺警護あるいは近づいてくる者の監視を命じられている――である、青木の子分たちだ。
当然彼らの存在は修一も気づいている。
彼らは修一の部屋の隣を拠点として与えられていて、常に修一の行く場所についてまわっている。さすがにずっと気づかないというのは無理がある。
修一が奏太の家に行った夜も、当然後を付けようとしたがタクシーを見失ってしまい、青木直々の制裁を受けている。そんなこともあるため、監視の手を今度は緩めまいと必死になって動いている若者たちだ。
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