キューピッドは料理動画

雪玉 円記

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menu.1 憧れのだし巻き卵(3)

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 ぱちん、とスイッチの入る音とともに、マンションの室内が明るく点灯する。LEDのシーリングライトがリビングダイニングを照らした光だ。
「さ、入って入ってー」
 にこにこと案内する奏汰に続き、修一もリビングに足を踏み入れた。
「失礼する……」
 歌舞伎町から吉祥寺の高級マンションまでタクシーで約1時間弱。電車の駅にも徒歩圏内の場所だった。最上階の角部屋という、なかなかの好条件の部屋でもある。
 ぐるりと修一は内部を見回す。
 壁紙はベージュがかったホワイト、閉められているカーテンの色は淡いブラウン。おそらくベランダに続くのであろう窓の近くには鉢植えの観葉植物が置かれている。
 リビングダイニングのリビング部分には、50インチの4Kテレビが壁掛けで備え付けられており、その前には3人掛けのソファーと一人掛けソファー2台でガラスのローテーブルを囲んでいる。
 ダイニング部分には、6人掛けのダイニングテーブルが設置してある。ブラウンのウォールナットカラーのテーブルには何も置かれていないが、これは動画内での試食や実食をこのテーブルで行うため、無駄なものを廃しているのだろうと修一は考えた。
 ダイニングの奥は、動画でのメインとなるキッチンだ。アイランドキッチンであり、リビングダイニングとの仕切にもなるカウンターの隅に、背の低い観葉植物のポットと共にチャンネル登録者数が一定の数を超えた証である記念盾が置かれている。カウンターの裏はシンクと調理台、コンロが並んでいる。調理台にはまな板と調味料が整列しており、コンロは三口のガスタイプだ。奥の一口にミルクパンが乗っている。
 カウンターの反対方向は最新型のAI型冷蔵庫が置かれ、作り付けの壁面収納がある。ブラウンの扉は閉じられているが、収納の中には食器や乾物、調理家電がしまわれているのを修一は動画で何度も目にしてきた。
 視線を様々巡らせながら修一は、あの奏汰のキッチンをこの目にする事が出来ているのだという感動に浸っている。その様子を、奏汰は可愛いなあと思いながら、キッチンの電気をつけた。
「その辺テキトーに座っててー。パソコンはいろいろデータが詰まってるから見ちゃイヤよん」
 おどけるように言うと、修一は眉間の皺を濃くさせた。
「プライバシーと動画データの侵害はしない。……まあ、この行動も一ファンの行動から大きく逸脱していることに代わりはないのだろうがな」
「いいんだって、俺のトモダチとして、ってことで。よっし、夜も遅くなってきたし軽めのメニューにしよっかなぁ」
 修一の懸念をそう笑い飛ばし、奏汰は冷蔵庫を開ける。はじめからある程度献立を立てていたのか、淀みない手つきで食材やタッパーを取り出していく。
 その様子を見ていたいと、修一はカウンターの側に立って見ることにした。
 本人は自覚していないのだろうが、どこか退廃的な色気を持つ美貌の持ち主に、自身の身長より上から見下ろされるという状況はさすがに奏汰は始めてであり、やりづらいなぁとも思う。
 しかし、その目が輝いているのを確認してしまうとどうにも、ちょっと離れてて、とも言えなかった。
 今晩の酒の肴は大体を作り置きで選ぶ。まず作り置きとして切っておいたキュウリとなすの粕漬けをタッパーから小皿に移す。小鉢にきんぴらをふんわりと盛り、一旦カウンターに避けておく。
 その動きを逐一視線で追っていた修一が、皿をダイニングに持って行った。ご相伴に預かるのだからこれぐらいは、という気持ちだった。
 対して奏汰は、親の手伝いをする子供か、お預けされて辛抱している子犬に見えてしまい思わず笑みを浮かべた。実家の弟がああだったなあ、と懐かしさに浸りつつも、冷蔵庫から卵を3つ取り出しボウルに割り、白だしを適量と砂糖をひとつまみ分投入する。
 卵焼き用の角フライパンを中火で暖めながら卵を菜箸で混ぜ、卵液になったところで食用油を小皿に取り、折り畳んだキッチンペーパーに染み込ませた後でフライパンにキッチンペーパーで油を塗っていく。
 修一は思わず感嘆の声を漏らしていた。何度も作り方動画は見たが、やはりその目で直接見るのは大違いだった。実物という立体物、コンロから発せられる熱、食材の匂い、それらを五感で感じられるのは素晴らしい。
 油を塗り終わったところで、卵液が投入される。じゅわわ……、という音が立ち、いい香りが立ち上り始めた。
 半熟状態の卵を巻いていき、卵液を足しては巻き、を繰り返すと、黄金色の綺麗なだし巻き卵が出来ていた。きっと何百回何千回と練習したのだろうな、と修一は吐息を漏らす。菜箸だけできれいな卵焼きなど、自分はどれだけ練習しても作れるか分からない、と自嘲しつつ。
「卵の完成、っと」
 奏汰はそう呟きながら、用意しておいた巻き簀でぐるりと巻き、形を整える。そのままあら熱を取っている間に、電気ケトルに水を汲み湯を沸かす。
 椀を二つ取り出し、その中に冷凍保存しておいた味噌玉を入れる。具は油揚げと小ネギ、出汁は鰹節だ。
「……」
 うまく修一の視界がだし巻き卵に釘付けになっていることを確認してから、奏汰はジーンズのポケットの中に入れっぱなしになっていたポリプロピレン製点眼容器を取り出す。口八丁の段階では靡いてくれなかった相手をホテルに連れ込むため使っていた睡眠薬を、今日も持ってきていたのだ。
 素早く蓋をねじ開け、薬剤を片方の椀の中に数滴落とす。
 確かに奏汰は修一の人となりに関心を持ったことは事実だ。だがそれはそれとしてチャンスがあれば一発ヤってみたいという俗なことを思っていたのも事実だった。
 我ながらうかつな上に最低だな、と素早く点眼容器をカトラリー棚に押し込みながら奏汰は自嘲する。気を取り直して、味噌玉入りの椀を調理台に持って行く。
 箸を二膳用意し、修一にダイニングテーブルに持って行ってもらう。その間に、だし巻き卵を6切れに切り分け、それも3切れずつ小皿に移す。修一がテーブルに持って行った。
 ほのかに湯気を立てている黄金色。思わず修一は片方のだし巻き卵の皿を揺らしていた。ふるる、と揺れるのを見て、いい物を見つけた少年のような息を吐いた。
 やっぱり自分にとって、“奏汰”は特別なのだ。何故なら、このテーブルに並んでいる品たちは皿の模様一つに至るまで輝いて見える。
(――普段俺が目にしている景色とは大違いだ)
 そう独りごち、大人しくだし巻き卵の皿から手を離した。
 修一がだし巻き卵に魅了されている頃、奏汰は湯が沸くのを待つ時間で洗い物を進めておく。まな板と包丁を洗い終わると、ケトルのスイッチがバチンと鳴った。ケトルから湯を注ぎ、即席の味噌汁の完成だ。
 味噌汁の椀を持って行きながら、これで全部ね、と宣言した。
「ほとんど作り置きで、暖めたり適当に作ったやつばかりだけど」
 奏汰の言葉に、修一はゆるゆると首を振りながら言う。その表情は先ほどから緩みっぱなしだ。バーで見ていた鉄面皮はどこに行ったのか分からない。
「いや、ファン交流イベントでもないのに、君の料理を口に出来るんだ。例え昆虫食を出されたとしても、ありがたくいただける」
「いや、さすがに虫はちょっと僕が……。さ、召し上がれ」
 700ml日本酒のボトルと小さめの青い切り子グラスを出しながら、修一の発言後半部に慄く奏汰。だが気を取り直してテーブルにつき、コップを片方修一の側に置き、日本酒を注いでいく。
 そのボトルをみた瞬間、修一のテンションがまた上がった。
「そ、その日本酒は!」
「ん?」
「3ヶ月ほど前にコラボレーションした《キミジマお兄やん》から動画中で渡されていた……!!」
「あ、そうそう。それそれー」
 修一側のグラスに注ぎ終わり、自身のグラスに酒を注ぎつつ奏汰は軽く答える。
 実際コラボ相手の動画クリエイターやファンからのプレゼント、企業案件のサンプルをもらうことは結構あるので、貰い物は奏汰にとっては日常のことだった。
 注ぎ終わったコップを掲げ、奏汰はグラスを修一に向けた。
「はい、じゃー乾杯しよ! この出会いにかんぱーい!」
「か、乾杯」
 戸惑いがちに修一もグラスを傾けてきた。カチン、とグラスが鳴る。
 それから互いに一口酒を飲む。すっきりとした味わいが爽やかに通り抜けていった。
 向かいで奏汰がもぎゅもぎゅときんぴらを咀嚼しているのを見て、修一もきんぴらに箸を伸ばした。
 控えめに開いた口の中に、きんぴらとそれを摘んでいる箸が消えていく。それを奏汰はつい凝視してしまった。すぐにすっと箸が出て行く。
 伏し目がちな表情も相まって、一連の光景は艶めかしく奏汰には映る。ぼり、という根菜が噛み砕かれる音で我に帰った。
 瞬間、修一の目が軽く見開かれる。咀嚼の動きも止まった。
(――美味い……!!)
 数年ぶりに、本当に美味いと手放しで賞賛出来るものに出会った気がする。
 ママの前で言うとまず間違いなく「ダーリンの料理のどこが不満だ」とヘッドロックをかけてきそうなので口にはしないが、【prism-butterfly】で出してもらう料理も、普段口にするカロリーバーも、無理矢理連れ出されて食べる高級な料理も、奏汰の料理の前ではすべて同列にしか感じられなかった。
 気づけば、もぐもぐと咀嚼を繰り返しながら、修一はうっすら微笑んでいた。
 しつけに厳しい家庭で育ったので、食べ物を口に含んでいる間は絶対に口を開けないし、昔の関係で早食いも出来る。だが、奏汰の料理は時間をかけてでも、ゆっくりじっくりと味わわなければ勿体ないとすら思った。
 この奇跡のような時間を、少しでも、ほんの一秒だけでもいいから、遅く終わらせたかった。
 きんぴらから程良い甘辛味がしなくなってきたのを自覚して、修一は名残惜しく思いながら飲み下す。
 すると、向かいで微笑みながら奏汰が訊いてきた。
「おいしい?」
 その問いかけに、修一はほんの少しだけ身を乗り出しながら答えた。
「とても」
 実際、久々に味がするものを食べた気がしたのだ。調味料と栄養素が血液の中に直接溶けだしたようにも感じた。
 満たされた、ような気がした。
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