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7日目
船員たちの夜
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「ゆーう♪」
ババーンと効果音がつくような扉の開け方に、パッと夕は顔を上げた。
「わ!……びっくりした~」
あまり驚いたふうには見えなかったが、いつものことなので丁寧な男はそのまま続ける。
「お待たせしてすみません。マムもそれで良いとの仰せでした」
「本当?」
「えぇ。今は鐘久様と報酬の話をしておいでです」
「……そっか」
夕の顔がほっと緩む。商品のために用意していた紅茶はとっくに冷めており、丁寧な男はそれを頂きますね、と言って勝手にカップに注ぎ始めた。
「寂しくなりますねぇ。若い子がいるとうちが活気付いて楽しかったのですが」
夕の分までカップを用意すると、夕の座っている席にお茶とお茶菓子を手早く並べ直す。
「どうぞ」
「……それ、商品のなんですけどね」
「もし帰ってきたら新しいものを用意するでしょう?」
「それはそうなんだけど」
人の部屋で勝手にクルーが寛いでいると知れたら事だろ、と心の中で突っ込む。
「昔はこうやって内緒でお茶会をするのも喜んでくれたのですがねぇ」
椅子は商品のための一脚しかない。丁寧な男は立ったまま、片手はテーブルにもたれさせて音もなく紅茶をあおる。
船での主なサービスを全て自然にやってのけるようになるのは何年もかかった。客の見ていないところで、偶にこうやって使えなくなったお茶や客の食べ残しを使ってサービスしてくれたのも、今では作法を見て学ぶためだと理解している。丁寧な男に限らず、荒い男ですら客に対しての基本的な所作は美しかった。
夕はしっかりとその流線的な動きを観察しながら、出されたカップをそっと摘んで口をつけた。
ゆっくり飲むほど熱くない上に、そもそも今日淹れたものは香りでリラックスしてもらう目的のダージリンだ。香りのなくなったものをじっくり味わうほど好きでもないため、形だけ綺麗な姿勢でさっさと飲み干す。
「……商品は、」
丁寧な男が続ける。
「マムとのお話の後はあのまま寝てしまうでしょうから、片付けてしまって構いません」
カップがソーサーに置かれ、チ、とほんの少し音を立てた。
「飲ませるんですか?」
所作には出さないが声に動揺が出た夕に、丁寧な男はウインクした。
「どのみち必要のない部分まで踏み込みそうでしたから、半錠を」
「勝手に処分されたのかと思った……」
ハー、と息を吐く夕を見て、ふふ、と穏やかに笑いが返される。
「あの夕にこれだけ心配して貰えるなんて、私嫉妬してしまいそうです」
「揶揄わないでくださいよ。あくまで世話を任された係として、上手く先導できなかった尻拭いのために降りるんです」
夕の顔が膨らむ。丁寧な男がはいはいと適当にいなしてやれば、ぷぅ、と音が聞こえそうな程一層膨らんだ。最後になるかも知れないひとときでも気を抜いてくれない青年を、丁寧な男はぐりぐり撫でた。
「ともかく、ここはもう使いませんので、片付けて締めてしまっていいですよ。商品はマムが朝まで預かるそうです」
どうやらしっかり報酬がもらえるかどうか、実感が湧かないらしくてですね、と報告してから、夕の頭を自分の胸に抱き寄せた。
「なので、残りの時間は貴方の気持ちの整理に使いなさい」
「オレは別に思い残しとかないんで」
「んもう、そういうところがまだ若いんですよねぇ」
「気持ち悪いです。くっつくな」
「私が寂しいんですよぉ~!」
結局ぐりぐりと別れを惜しむ男に夕は呆れつつも、二人で部屋の清掃を行なった。
「……離れていても家族ですからね」
リネン類を大量に抱えて部屋を出る前に、丁寧な男は空いた手を自らの腰に当てトントンと指で叩いた。夕もはいはい、と生返事がてら、自分の左の脇腹当たりを同じく叩く。
今更どうこう思うことはない。しかし男が出ていった後、ふと先ほど商品に襲われた時のことを思い出した。
「……見えてたと思うんだけどな」
やや硬さを持つそこをさすりながら、鐘久が言及しなかったことを少しだけ不思議に思った。
***
夜が明けた。何やら客たちが騒々しい。
どこからの情報なのか、予定にないはずの余興がショーケースで行われると聞き、連日ショーケース目的で乗船していた客たちがそぞろにいつもの場所へ集まってきていた。退室の準備をクルーに任せて、朝食をつまみながらその時を心待ちにしている。
やがてカラカラとワゴンを押して大柄のクルーが現れた。いつもショーケースの中でしか見ることのできない男優に、おお、と関心が注がれる。衣装ではなく、クルーとしてきちんとした格好をしていると、海の男としてのかっこよさが際立っていた。
ワゴンの上には大きなケースがあるようだが、布で隠されていて中は見えない。
後からもう一人、同じほどの体格をしたクルーが現れた。こちらも同じくいつもショーで見ることのできる優男だ。明るく物腰柔らかな態度で器用な調教に人気があった。二人のクルーはワゴンから一定の距離の場所に進入を制限するポールを並べていく。
「最終日に急な催しとなりましたが、早くもお集まりいただき光栄です」
丁寧な男がマイクの電源を入れて話し始めると、観客らから静かに拍手で歓迎された。音響でさらに気づき始めた客もちらほらと集まってくる。
「昨日盛大にフィナーレを迎えさせていただきました調教ショーでございますが、その後商品たっての希望で『皆様に感謝を伝えたい』とのことで、このような場を設けさせていただきました」
おぉ、とざわつく観客たち。
「お客様からいただいた要望を叶えるうちに、かつての反抗心は見る影もなくなり、今や身も心もすっかり『洗浄』され……とても清々しい心持ちでおいでです。どうぞご本人様からの感謝をこのショーでお受け取りください!」
バサリ、とワゴンにかけられた布が払われる。その透明なケースの中に、これまで散々な目に遭わされてきた青年があられもない体勢で美しく飾られていた。緊張した面持ちでぴくぴくと震えていたようだったが、客がうおおぉ!と一際大きく盛り上がると、ふにゃりと微笑んだ。
ババーンと効果音がつくような扉の開け方に、パッと夕は顔を上げた。
「わ!……びっくりした~」
あまり驚いたふうには見えなかったが、いつものことなので丁寧な男はそのまま続ける。
「お待たせしてすみません。マムもそれで良いとの仰せでした」
「本当?」
「えぇ。今は鐘久様と報酬の話をしておいでです」
「……そっか」
夕の顔がほっと緩む。商品のために用意していた紅茶はとっくに冷めており、丁寧な男はそれを頂きますね、と言って勝手にカップに注ぎ始めた。
「寂しくなりますねぇ。若い子がいるとうちが活気付いて楽しかったのですが」
夕の分までカップを用意すると、夕の座っている席にお茶とお茶菓子を手早く並べ直す。
「どうぞ」
「……それ、商品のなんですけどね」
「もし帰ってきたら新しいものを用意するでしょう?」
「それはそうなんだけど」
人の部屋で勝手にクルーが寛いでいると知れたら事だろ、と心の中で突っ込む。
「昔はこうやって内緒でお茶会をするのも喜んでくれたのですがねぇ」
椅子は商品のための一脚しかない。丁寧な男は立ったまま、片手はテーブルにもたれさせて音もなく紅茶をあおる。
船での主なサービスを全て自然にやってのけるようになるのは何年もかかった。客の見ていないところで、偶にこうやって使えなくなったお茶や客の食べ残しを使ってサービスしてくれたのも、今では作法を見て学ぶためだと理解している。丁寧な男に限らず、荒い男ですら客に対しての基本的な所作は美しかった。
夕はしっかりとその流線的な動きを観察しながら、出されたカップをそっと摘んで口をつけた。
ゆっくり飲むほど熱くない上に、そもそも今日淹れたものは香りでリラックスしてもらう目的のダージリンだ。香りのなくなったものをじっくり味わうほど好きでもないため、形だけ綺麗な姿勢でさっさと飲み干す。
「……商品は、」
丁寧な男が続ける。
「マムとのお話の後はあのまま寝てしまうでしょうから、片付けてしまって構いません」
カップがソーサーに置かれ、チ、とほんの少し音を立てた。
「飲ませるんですか?」
所作には出さないが声に動揺が出た夕に、丁寧な男はウインクした。
「どのみち必要のない部分まで踏み込みそうでしたから、半錠を」
「勝手に処分されたのかと思った……」
ハー、と息を吐く夕を見て、ふふ、と穏やかに笑いが返される。
「あの夕にこれだけ心配して貰えるなんて、私嫉妬してしまいそうです」
「揶揄わないでくださいよ。あくまで世話を任された係として、上手く先導できなかった尻拭いのために降りるんです」
夕の顔が膨らむ。丁寧な男がはいはいと適当にいなしてやれば、ぷぅ、と音が聞こえそうな程一層膨らんだ。最後になるかも知れないひとときでも気を抜いてくれない青年を、丁寧な男はぐりぐり撫でた。
「ともかく、ここはもう使いませんので、片付けて締めてしまっていいですよ。商品はマムが朝まで預かるそうです」
どうやらしっかり報酬がもらえるかどうか、実感が湧かないらしくてですね、と報告してから、夕の頭を自分の胸に抱き寄せた。
「なので、残りの時間は貴方の気持ちの整理に使いなさい」
「オレは別に思い残しとかないんで」
「んもう、そういうところがまだ若いんですよねぇ」
「気持ち悪いです。くっつくな」
「私が寂しいんですよぉ~!」
結局ぐりぐりと別れを惜しむ男に夕は呆れつつも、二人で部屋の清掃を行なった。
「……離れていても家族ですからね」
リネン類を大量に抱えて部屋を出る前に、丁寧な男は空いた手を自らの腰に当てトントンと指で叩いた。夕もはいはい、と生返事がてら、自分の左の脇腹当たりを同じく叩く。
今更どうこう思うことはない。しかし男が出ていった後、ふと先ほど商品に襲われた時のことを思い出した。
「……見えてたと思うんだけどな」
やや硬さを持つそこをさすりながら、鐘久が言及しなかったことを少しだけ不思議に思った。
***
夜が明けた。何やら客たちが騒々しい。
どこからの情報なのか、予定にないはずの余興がショーケースで行われると聞き、連日ショーケース目的で乗船していた客たちがそぞろにいつもの場所へ集まってきていた。退室の準備をクルーに任せて、朝食をつまみながらその時を心待ちにしている。
やがてカラカラとワゴンを押して大柄のクルーが現れた。いつもショーケースの中でしか見ることのできない男優に、おお、と関心が注がれる。衣装ではなく、クルーとしてきちんとした格好をしていると、海の男としてのかっこよさが際立っていた。
ワゴンの上には大きなケースがあるようだが、布で隠されていて中は見えない。
後からもう一人、同じほどの体格をしたクルーが現れた。こちらも同じくいつもショーで見ることのできる優男だ。明るく物腰柔らかな態度で器用な調教に人気があった。二人のクルーはワゴンから一定の距離の場所に進入を制限するポールを並べていく。
「最終日に急な催しとなりましたが、早くもお集まりいただき光栄です」
丁寧な男がマイクの電源を入れて話し始めると、観客らから静かに拍手で歓迎された。音響でさらに気づき始めた客もちらほらと集まってくる。
「昨日盛大にフィナーレを迎えさせていただきました調教ショーでございますが、その後商品たっての希望で『皆様に感謝を伝えたい』とのことで、このような場を設けさせていただきました」
おぉ、とざわつく観客たち。
「お客様からいただいた要望を叶えるうちに、かつての反抗心は見る影もなくなり、今や身も心もすっかり『洗浄』され……とても清々しい心持ちでおいでです。どうぞご本人様からの感謝をこのショーでお受け取りください!」
バサリ、とワゴンにかけられた布が払われる。その透明なケースの中に、これまで散々な目に遭わされてきた青年があられもない体勢で美しく飾られていた。緊張した面持ちでぴくぴくと震えていたようだったが、客がうおおぉ!と一際大きく盛り上がると、ふにゃりと微笑んだ。
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