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猫の国の動乱

動乱と新しい流れ

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首都ニーチア

ペルシャ猫のような髪の女性がロシアでよく見られる防寒用の帽子をかぶって歩いていた。
通りには兵士の姿も見え厳戒態勢が敷かれるなかパンの入った袋を持ってその女性は歩き続ける。
彼女はミャウシア社会主義共和国連邦政府元書記長のゥーニャ・エカチェリーニだった。
失脚以降、首都を脱出せず潜伏を続けていた。

「あの封鎖線を抜けるのは厳しいわね」

郊外に設けられた検問が多く抜け出すのは容易ではないのが首都に残った理由だった。
定期的に抜け穴を探すが今回も成果がないのである。
悩みながら歩いていたゥーニャはあるものが目に入りそそくさと店に入った。
それは憲兵隊だった。
自分はラジオや新聞で死んだと公表されているがおそらくまだ探していると思われるので安易に見られるわけには行かなかったのだ。

入った店は酒屋のバーだった。
ゥーニャは外を見ながら彷徨いている憲兵隊がいなくなるまでそこで時間を潰すことにした。
そしてバーの席に座ると店主に酒を注文する。
クーデター以降ゥーニャは酒を飲む量が一気に増えていて、どうせならと昼間から酒を飲もうと開き直ったのだ。

ゥーニャは現状を悲観していた。
こうなるともうどうにもならない。
協力者がいないことはないが少しばかり逃亡資金を工面してくれそうなのが幾人かいるだけだった。
この状況をどうにかするだけの力は残されていなかった。
そしてそんなに好きでもない酒を一気飲みし始める。
酒を飲むとネガティブな気分が紛れるから酒にどっぷり浸かるのである。

だがその酔いは一気に冷めた。
隣の席にまさかの憲兵隊の指揮官と思われる兵士が座ったのだ。
ゥーニャは背筋が凍り懐の拳銃をすぐ取り出せるように身構える。
しかし幸いにもその兵士は自分を気にも止めずに店主に酒を頼み飲み始めたのだ。
気づかれないうちにずらかろうとゥーニャは考えたが少し様子が変なのでそのまま座り続けその兵士の様子を見続けた。 

兵士は国内で苛烈に迫害される少数民族のものでしかも相当階級も高いようなのでかなり訳有と見える。
そのうえに酒の飲み方が明らかにおかしかった。
自分同様に酒を楽しむのではなく酒で酔いたいのかがぶがぶ飲むのだ。

その兵士はフニャンだった。
流石にじろじろ見すぎたのかこっちを眠そうとも不機嫌ともとれる表情でジロ見する。
慌ててグラスに継がれた酒を飲み、またつぎ直して知らんぷりする。
フニャンはじーと見たあとまた飲み始める。
お互い次々グラスの酒を飲み干していくが不自然過ぎる飲み方と気まずさに手が止まる。

そして話しかけたのはゥーニャだった。

「兵隊さん、何か嫌なことでもあったの?」

フニャンは黙ったまま頬が赤くなった無表情で手で揺らすグラスを見続けた。
何も答えないので返事を諦めて酒をつごうとした時返事が帰る。

「粛清...」

ゥーニャは肝が冷えるが話は続く。

「今日は部下に3人射殺させた」

そのセリフに店内の客や店主もフニャンを見る。

「一昨日は私が2人撃ち殺した...」

「後何人死ぬと人刈りが終わるのかなって...」

フニャンは少々病んでいた。
敵兵を殺すのは割り切れるものの無垢の市民を手に掛け続けて精神がすり減り始めていた。

「足抜けしてみては?」

「それだと粛清される。私はよくても部下にはそうはさせない」

ゥーニャはやりたくてやっているわけではないという状況を全く考えていなかった。

「あなたは今回の件で何かあったの?」

フニャンがゥーニャを見つめて言う。

「色々と失いました」

「...返す言葉もない」

「でもあなたのせいじゃない。悪いのは...」

「でも、こんな地獄を作ったのは私で...」

ゥーニャがフニャンを見る。

「だとしてもあなたの意思ではないんですよね?」

「...」

「...」

沈黙の後、フニャンが顔をあげる。

「そこのボトル2本頂戴。これで足りるはずだから、お釣りはいらない」

フニャンは店主にそう言うとそそくさと会計を済ませる。

「色々話せてよかった。幸運を祈ってる」

フニャンはそう言って店を出ると周辺にいた兵士を集めて離れていった。
ゥーニャはそれをただただ見ていた。


<<ミャウシア陸軍駐屯地>>

「全軍移動開始!」

各地のミャウシア陸軍駐屯地から大規模な兵力の移動が始まった。
それは空前絶後の規模の出兵だった。
総兵力300万を超える大軍で停滞した遠征計画を完遂するという大義名分があったが、実際のところはタルル将軍の出身民族以外の民族を主力として国外に出して反乱をさせないというのが目的であった。
士気は相当低下していたが国外に出ざるを得ず出たからには周りの国はみんな目の敵にしているので逃げ場がなく大抵の兵士は脱走することもできなかった。

「俺達これからどうなるんだろうな?」

「あたしにわかる訳無いだろ」

「なんでもタルルのやつニャーガ族だけの親衛隊を作って軍を統括するらしいぜ」

「新兵も皆ニャーガ族ばかりになるっていう話なのに?あたしらは自分で自分を監視する軍隊を養わないといけなくなるの?そんなディストピアあたしは嫌だよ」

兵士たちの殆どはいやいや従わされていた。
皆フニャンと同じ立場に立たされていたのだ。


<<ミャウシア兵捕虜収容キャンプ>>

ミャウシアでの大規模な戦闘が収束してからしばらくたったヨーロッパでは前線付近に設営された膨大な数のミャウシア軍兵士の捕虜が問題視されていた。
18万人もの捕虜の食い扶持が重くのしかかるのだ。
しかしミャウシアでクーデターが起きてから欧州とミャウシア双方のやり取りがまた途絶えてしまったので捕虜返還交渉に全く手を付けられず時間だけが過ぎた。
しかもミャウシア兵捕虜たちにクーデター詳細が伝わると途端に帰国を拒否する捕虜が続出した。
捕虜の間でも亡命談義が行われる。

「タルルが陸軍と党の全権を掌握したってホントなの?」

「らしいわよ。書記長は死亡したって言うし、軍高官も軒並み消されたって」

「敗残兵打ち首論者のタルルの天下ならあたしらなんて戻ったら処刑されるの?」

「処刑はないだろうけど鉱山送りになったりとか...?」

「どの道死ぬじゃん!」

「ならさ、いっそのことここまで捕虜に高待遇なあいつらの国に亡命したほうがいいんじゃないの?」

「でも言葉どうすんのさ?今更覚えるなんてかったりーよ。それに地球人の言葉って舌が回んない発音あってキツイ」

「じゃあ帰って死ねば?」

「そもそも亡命認めるの?」

「知らない」

アッテリア人社会は女尊男卑なせいかミャウシア人女性はかわいらしい見た目の割にボーイッシュな人が多くけっこう粗野な話をしたりもする。
そのころ収容キャンプの医療施設ではヒトの女性医師がミャウシア人女性兵士を診察していた。

「間違いありません。彼女らの話では月経はヒトと周期が同じです。ですからもう排卵を迎えているはずですが期間はとうに過ぎました。ですからヒトと生理機構がほぼ同一であるならば検査キットの陽性反応は結果通りの可能性が十分あります」

「ではこの子は妊娠している可能性が高いということだね?」

「はい」

診察を受けていたミャウシア人女性は投降後、NATO軍兵士にレイプを受けた被害者だった。
容疑者は既に拘束され、取り調べを受けている。

「まさか、ここまで容姿が違うのに交配可能だったとは...」

「問題が大きくなりそうです」

憲兵などの捜査当局員達は事件絡みで重要な情報を入手することとなった。


<<欧州首脳会議>>

「そういうことでありますからミャウシアに関してはやはり向こうがボールを拾わないことには交渉が始まりません」

「わかりました。では引き続きは和平を働きかけていくことでいいですね。次ですがミャウシア軍捕虜の扱いですが亡命を希望しているもの多数出ているということで全員に対してアンケートを取ったところ6割が政治亡命を希望したとのことです。これについて議論したいと思います」

「アラブ系移民とは全く性質が違うだけになんとも言い難いですね」

「そもそもヒトかという定義の話から初めなければならなかったのが懐かしいですな」

「中東からの移民はかなりの軋轢を生じたが今回も同様の問題を懸念します」

「彼らの道徳、モラル、社会性は我々と同じなのですか?」

「それについては概ね同じなようです。身体的差異から来る大きな違いもありますがそれは我々にとっても十分理解ができる範囲です」

「我が国の国民は中東移民のこともあって複雑なようですがマスコミがこの亡命問題を取り上げて以降、受け入れ賛成派が優勢になっています。真剣に議論してもいいと考えますが」

「例のクーデターを起こした軍部を怖がっての政治亡命なら政権が続く限り帰れない可能性も...」

各国の首脳や外相などは異種族なだけに難民として受け入れていいものか混乱した。
ただ中東難民の前例はあったものの各国国内の極右政党は第三次世界大戦前に中道右派に票を吸収されていたため大した力はなく大きな反発はあまりなく受け入れの方向で捕虜問題は暫定措置が取られることとなった。
最終的に帰国を望んだのは4万人、亡命を望んだのは14万人だった。
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