桜稜学園野球部記

神崎洸一

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県大会決勝。
秋と春にも訪れていた場面ではあるがその何れもは南が投げていたし、そもそも今は夏なのだ。そんなものと比べても比較にすらなりやしないのだ。
春の県大会決勝と同じ対戦相手、小田原城東を相手取るマウンドに田村は向かうのだ。 

もはやお馴染みの右投手、日下部とやり合うのはこれが最後である。
さあ、開幕だ。

試合はいきなり動いた。
初回の守備、釣に先頭打者ホームランを浴びたのだ。
塹江、押上と封じて完全復活の時田。
結果は被弾。逃げるスライダーを捕捉されたのだ。
早くも2点のハンディキャップを生み出し、ここからどうするのか、注目である。

回を追うごとに期待の声援は増していく。
それはつまり桜稜学園が攻めあぐねていることの裏返しでもある。



3点ビハインドで8回、両チーム1番からの好打順。
ツーアウトから橋本が繋いで4番中之島。
桜稜学園で安定して長打の期待できる数少ないバッターが彼である。
中之島の打球は確認の一瞬の後に歓声になる。
悲鳴の渦中の一角である右翼ウィング席中段に飛び込む超長距離のホームランとなった。
鶴岡は凡退してチェンジ。

8回裏、意地でも追加点の欲しい小田原城東サイドである。しかし━━━

「これは財前良いところに守っていた!ワンナウト!」
「マウンド後方のフライ橋本が捕りにいく」
「押上空振り三振!良いように扱われてしまった!」

━━━現実は非情なり。
2-3と緊迫した場面でいよいよ最後の1イニング。
一挙手一投足が全てに関わるピリついた空気が漂い、その全てを汚染する。甲子園の魔物の所業にも見えるような、あの黒土と芝からなる聖地の気配。
ただ単なる緊張もこの場面においてはそんな詩的美的な表現も許されるような気がしたのだ。

「江島も続いた!無死一塁二塁!」
8番、神崎洸一。
(やって、やるさ…)
「送りバント!日下部捕った三塁は無理か江島は既に二塁に居る一塁アウトバント成功!」

打者は田村ではない。
代打だ、代打には背番号1の南龍一が立つ。
日下部と時田のバッテリーは攻めの姿勢で初球を放り込む。内角へのストレート。

途端、彼らの顔面は蒼白になる。まさしく、絶望。
「フェンス直撃!同点!もうひとり返ってきた!」



9回のウラ、南は守護神としてそこに立っていた。
時田、三和と抑えて最後のひとりになるのかという場面で6番、セカンドの沖。
多種多様な応援が飛び交うこの横浜スタジアムで、強豪の意地と誇りにかけて、凡退するわけにはいかない━━━

━━━何がなんでも、打つ。


その覚悟は無残にも机上の空論として塵芥になり消えていった。
沖はそこで、悔しさと共に彼らを虚ろな瞳で眺めていた。マウンドに集まる桜稜学園野球部17人を。

日下部の、時田の、小田原城東の夏が、3年生たちの高校野球が、ここで終わったのだ。
最後の最後で。
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