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Ⅸ もう後悔なんてしない

130. どうしてこうなった

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 確かによろしくとは言った。けれど、これについてお願いしていたわけじゃない。

 まさかこんなことになるなんて。
 私は集まった顔ぶれを見て、血の気をなくした。

 場所は宿の食堂。時刻は営業終了後の――時計があったら、たぶん夜の八時とか九時くらい。

 先に足を踏み入れた奥様は、食堂の異様な雰囲気も物ともせずに進み、普段通りの微笑みを浮かべたまま、中ほどにあった椅子に腰を下ろした。
 一緒にここまで来た私は入り口に立ち尽くす。どうして入れようか。この顔ぶれの中に。

「マリ、どうしたの? 早くいらっしゃい」

 いや、無理だ。呼ばれても同じ空間には立てない。
 なぜならそこには、肉屋に八百屋にパン屋に古着屋――いずれも私が頻繁にかっぱらいをしていた店だ――の店主が一堂に会していたからだ。
 向けられる視線が痛かった。私は顔をうつむけて、数歩、辛うじて同じ部屋にいると認識できるくらいの位置まで進んで足を止める。

「もっと近くに――もう、仕方のない子ね」

 奥様は自分のところまで来させたかったのだろう。けれど私の強固な拒絶を感じ取ったのか、それ以上はおっしゃらなかった。
 代わりに、集めた人々へと視線を移し、話を始める。

「みなさま、呼び出すような形になってしまってごめんなさいね。お店に伺って仕事の邪魔をしてしまうのもどうかと思いましたの」

 ふふふ、と笑う奥様は、どう見ても場違いだった。店主たちは一様に険しい顔をしていて、顔に迷惑だと書いてある。

「それでご夫人。御用とは一体? いくら閉店後の時間とはいえ、仕事がないわけではないのですよ、庶民は」

 代表して肉屋の店主が口火を切る。棘のある言葉をぶつけられても、奥様はやはり動じなかった。

「そうでしたわね。では早速。実は――この子があなたたちに償いをしたいと言ってるの」

 私はぎょっとした。そんな話、私はしていない。というか、こんな話をするなど聞いてもなかった。
 いや、償いをしたくないというわけではないけれど、今、そんなことをしている余裕はないのだ。お金のない私にできる償いなどたかが知れていて――大の男に殴るだ蹴るだされて、すぐに動けるはずなどないのだから。

「そいつに弁償できるとは思えねーけど? それともご夫人が代わりに払ってくれんの?」

 私と同じことを考えたのだろう、肉屋が奥様に尋ねた。

「いいえ。それに弁償とは言っておりませんわ」
「はあ? じゃあ、なんだ? そいつで鬱憤を晴らしていいってか? お貴族様の考えることはこえーなぁ」
「それが暴力を指しているのでしたら違いましてよ」
「じゃあ、なんだよ」
「――そもそも、この子に何を盗られて、いくらの損害が出たか、証明できるものはお持ち?」
「あるわけねーだろ。もう三年も前だぜ?」
「でしたら、弁償するもなにもありませんわよね?」

 まるで火に油を注ぐかのような発言だ。私はこの後の展開を想像してぞっとする。
 けれど、すぐにでも掴みかかってくるかと思っていた店主たちは意外にも冷静で、奥様を睨みつけるに留まっていた。

「ふふ、そうお怒りにならないでくださいな。全部なかったことにしようとは申しておりませんわ。ただ……この子のために、多少、目をつむっていただければと思ったの。生まれ育った故郷を堂々と歩けないのでは可哀想ではなくて?」
「昼間追っかけたことを言ってんのか」
「それも一つですわね。この子にとっては、恐ろしかったようですから」
「お、奥様!?」

 私は思わず声を上げた。そんなことは言っていない。恐ろしくなかったといえば嘘になるけれど、迷惑をかけた当人である私が言っていい言葉ではないのだ。私にそんなことを言う資格はなかった。
 店主たちの視線が私に向けられる。私はびくりと肩を揺らした。

「で、じゃあ、償いってのはなんだ? 謝罪か?」

 肉屋はすぐに、私の声を無視するように視線を戻し、奥様に話の続きを促した。

「そうね、それも必要ですわね。ただ――」

 謝罪でいいならいくらでもする。けれど、そんなことで許されるわけがない。私は何年も何年も盗みを続けていたのだから。

「わたくしが考えていたのは、この子に、みなさまのお店のお手伝いをさせることですわ」
「――無理です、奥様」

 思わず口を挟んでしまう。さすがにそれは無理だと思った。

「あらどうして?」
「いつ盗むかもわからない相手を、店におけるわけないでしょう。無理に入れても、目が離せないんですから邪魔にしかなりません」
「でも、もう盗まないでしょう?」
「それは、そう、ですが……」

 寝る場所も、食べるものも、着るものも、今はすべて奥様が用意してくれている。もともと好きで盗んでいたわけではないから、こんな恵まれた状況下で、盗もうなど思うはずなかった。
 けれど店主たちは違う。彼らは盗みを働く私しか知らないのだ。到底、信用などできないだろう。

「私の意識がどうであれ、相手が信用できなければ無意味です。私は、自分が信用されるとは思っていません」

 奥様の考えがわからなかった。私は焦っているのに、こんなことをしている場合ではないのに、伝わっていなかっただろうか。状況を理解してくれない奥様に対し、私は苛立ちを抑えられなかった。

 
 
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