一条家の箱庭

友浦乙歌@『雨の庭』続編執筆中

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ケース3 一条椋谷×健康診断

ケース3 一条椋谷×健康診断(1/8)

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 いよいよ盆の法要が明日に迫ってきた。
 遠方からの親族が集結し、宿泊での滞在に一条家使用人は奔走。普段ははなれに住まいを構えて一条家のための裏方業務に徹している矢取家の人間もたくさん動員され、遠方からわざわざ顔を出しに来てくれた親族たちを、高級ホテルのようにもてなす。これが毎年のことだという。
 情緒不安定な状態の勝己は現在病気療養中として針間精神科診療所の特別室に移された。針間の診療所はごく小規模の入院施設のみ有しているため、居場所が外に漏れることはなく、人目を気にせず静養できる。
 だが、次期当主不在の盆の行事というのは、異例の事態だった。春からここに勤務する白夜には、今年が初めての盆の行事だったが、そのことでぴりぴりした空気が伝わってきていた。
「これよりリハーサルを開始します」
 大食堂に集まるのは瑠璃仁と椋谷、伊桜、そしてリハーサル司会進行の暁。白夜は春馬と裏手からこっそり覗く。
「では椋谷さん、――いいえ、一条椋谷様。亭主勝己様の代役について当日の流れをご説明いたします」
 司会席マイクスタンドの前に立つ暁が少し眉をひそめながら「様」を付けて、椋谷を呼んでいる。
「いや、それはさすがにダメだろ」
 椋谷は居心地悪そうに椅子から立ち上がって、隣に座る瑠璃仁を指さした。
「庶子の俺がメインじゃ、誰も納得しないって……その役、瑠璃仁でいーじゃん」
 庶子、とは本妻以外の女性から生まれた子のことを言うのだと、白夜はここに勤めるようになってから覚えた。椋谷の場合は、正式な以外の男性・・との間にもうけた子供となるが、同じように「庶子」と呼ぶことにしているらしい。
「僕も出るけど、椋谷くんがいるのに僕じゃ順位がおかしいよ。たとえ形式上でも」
 十九歳の瑠璃仁は椋谷より年下だが、正己の後妻、瑛璃奈の嫡出子である。
「じゃー俺、欠席するからさ」
 椋谷が提案すると、末席の伊桜が、だんっとテーブルを引っ叩く。
「やだ! だめ! それならいおも欠席する!」
 小さな体から放たれる断固とした拒否の意に、
「……困ったね」
 一同は沈黙。
 さすがに四人中三人が欠席などしようものなら、今以上の大騒ぎになることは避けられない。
 揉めているのは単に座る場所の話ではない。順位に従って親戚の挨拶回りから、法要の立ち回りなど、いろいろ役割が絡んでくる。現当主はもちろんだが、一条本家長男は子息代表として大役を務める。毎年勝己がその役目を負っていたが、今年は他の誰かが代わりを務めなくてはならなかった。
「勝己兄さん不在の盆なんてね……大丈夫かな」
 瑠璃仁はそう言いながらもどこか我関せずといったように、持ち込んだ医学専門書をぱらぱら眺めている。「真ん中っ子」らしいマイペース全開の弟に椋谷はため息をついて呼びかける。
「なあ、俺、別に継承権とかないしさ、瑠璃仁がやってくれって。俺は伊桜の横に、子守り役として居るだけにするから」
 瑠璃仁は面倒くさそうにちらっと椋谷を見ると、
「まあ、それが一番現実的なのかな。僕、ちょっと気が重いけど……」
「俺だと、気が重いじゃ済まないからな」
「はいはい」
 どの道そうなるだろうとわかっていたように、ぱたりと本を閉じ、瑠璃仁は上座を見る。
「父さんと母さんはなんて言ってるの?」
 その問いにはすかさず暁が答える。
「お二人は、まだ勝己様を引っ張り出されるおつもりです……が、ドクターストップがかかっています。それを無視して勝己様を連れ出されても、おそらく例年通りにはいかないかと」
「勝己兄さんはいつも、二代目に「憑依」してもらって乗り切っていたからね。統合するんだって? うーん、どうなるんだろう……」
 瑠璃仁が読んでいるのは「解離症」についての専門書だと白夜は今更ながら気が付いた。医学部在籍の瑠璃仁はおそらく勝己の人格交代が「憑依」などではなく「解離」による多重人格だと元々自分で気づいていたのだろう。
「でも、内情はどうあれ本来は椋谷兄さん・・・・・が僕より上座なのに、そこを捻じ曲げて、いいの? 筋違いなんじゃない?」
「その当人に使用人やらせておきながら?」
 ジョークに笑って応えるように椋谷は尋ねる。彼は今も燕尾服のままだ。先ほどまで白夜と一緒にバックヤードで大量の皿洗いをしていた。宿泊客のせいで、洗っても洗っても終わらない。
「だってそれは椋谷くんが自主的にやってることになってるんでしょ」
「そうだけど……」
 言葉に窮する椋谷をもう見ることもなく、瑠璃仁は本に視線を落としている。
「戸籍上は亡き正妻と現当主との子ってことで認知されてるんだから、それを逆手にとって好き勝手振る舞えばいいのに……」
 瑠璃仁の提案の意味を、白夜は頭の中で考えた。
 関係図を整理するとこうだ。
 一条家の子供は全部で四人。勝己、椋谷、瑠璃仁、伊桜。七代目現当主である一条正己は二度結婚しており、一度目の結婚相手であるゆかりとの間に勝己と椋谷を、二度目の結婚相手の瑛梨奈との間に瑠璃仁と伊桜をもうけていた。が、ゆかりの産んだ椋谷は、実は他の男との不義密通の子であった。椋谷はそのことを秘匿されたまま勝己と同等に一条家で育てられていたのだが、
「それが……もう少し隠されていれば、なー」
 椋谷が頭をぽりぽりと掻きながら言う。
 ゆかりの亡き後、後妻の瑛梨奈が入ってきてからは、状況が一転した。
 椋谷が一条家を追い出された。
 元々、ゆかりが不貞行為を働いていたことは、矢取家をはじめとする関係者が水面下で暴いており、一条家の血が入っていない椋谷に仕えることを、ほとんどの人は良く思っていなかったという。その鬱憤に着火するように、瑛梨奈が椋谷を追い立てて、椋谷が家出までする騒動に発展した。
「ここまで公になっているにもかかわらず、俺を嫡子として扱おうとする一条の根性はなんなんだろうな」
 椋谷は肘をついてまるで他人ごとのように言っている。
 しかし、椋谷は完全には追い出されなかったのだ。
「そりゃ亡き正妻が不倫してたとしたら問題になるからでしょ」
「してたんだからしゃーないだろ」
「それを認めたらゆかりさんの名が穢れるよ?」
 瑠璃仁も相変わらず我関せず。
「……してたんだからしゃーないだろ」
 椋谷はどこか苦虫を噛み潰したような顔で付け加える。「無理やり結婚させた一条側も相当悪いんだけどな」
「うん。父さんの方だろうねそれを認めたがらないのは。だから、椋谷くんにそのしわ寄せがきてるんだって」
「それって、ひでー話だよな?」
「ひどい話だってば。だから、椋谷兄さんは好き勝手振る舞えばいいのにって言ってるの、僕は。悪いのは一条なんだから」
 瑠璃仁は再び本のページをめくり、優雅にお茶まで飲んでいる。
 白夜はバックヤードから耳を澄ませてずっと聞いていたが、瑠璃仁の「好き勝手に振る舞えばいい」と言う提案がなかなか良手に思えてならなかった。
 つまり、白夜と同じ使用人仲間である椋谷は、実は一条家次男坊としての権利を正式に有したままなのだ。
 だが椋谷は席を入れ替わるべく、立ち上がると言う。
「ま、俺の「好き勝手」は、こうやって暮らすことなんだよ、瑠璃仁坊ちゃま」
 燕尾服を翻し、瑠璃仁の空いたカップを下げて、そのまま立ち去ろうとする。
「椋谷くんがそれでいいなら僕はいいけどね」
 自ら、使用人として働く身分でいいと椋谷は言う。
 不思議な話である。
 一条家の使用人としての仕事はそんなに易しいものではないし、理不尽なことも多い。何より、本来仕えられるはずの人達の中に混じって同じように働き、対等だったはずの兄弟にまで仕えなくてはならないのは普通に考えたら惨めなのではないだろうか。
 体よく出ていこうとする椋谷を見咎めた暁が、まだリハーサル終わっていませんよ! と激怒する中、春馬が進み出て、代わりに受け取りに行く。渋々、席に戻る椋谷に、瑠璃仁はさらに一歩進んだ現実的な話を向ける。
「でも、椋谷くんが僕より下手しもてに座るって、なんらかの理由付けがいるんじゃないの?」
「実は傍系の息子ですので、とか」
「それ、そんな簡単に明かせる?」
「知らねー。でも、そろそろ言っちゃっても良くないか? みんな分かってるんだし。俺はいいよ、別に」
「父さんがダメっていうよ」
 瑠璃仁はまだ椋谷に大役を押し付ける希望を捨てていないらしい。
「じゃー欠席するよ俺」
「いおも!」
「伊桜はダメー」
 はははは、と朗らかに笑い合えるのは、一体なぜなのだろう。
 白夜はここ数日、宿泊客のひそひそ声や無遠慮な視線の先に、椋谷がいることに気付いていた。椋谷は慣れているのか、澄まし顔を崩さなかった。
「美穂子さんが庭で靴が汚れてしまったんですって。綺麗にしてあげてくれる?」
「かしこまりました」
 靴を預けて自分の部屋で裸足で待てばいいものを、椋谷をその場で跪かせて磨かせる人。
「ねえ、私のもやっておいて」
「かしこまりました奥様。少々お待ちを」
 別段汚れてなどいない。そんな様子を見て、婦人たちは困ったように顔を見合わせて苦笑を漏らす。
「なんか、悪いわね」
 そこに進み出るのは、瑠璃仁と伊桜の実母である、一条瑛梨奈だ。椋谷の代わりに首を振る。
「いいえー。この子の仕事ですし、どんどん言いつけてやってくださいな」
 単に椋谷をいびるためにやっているパフォーマンスだ。
「でも、この方一条本家の椋谷さんでしょ? 宴会にも出るんだって……」
「当日は参加させますけど、今はただの召使ですから」
「普段からそうなの?」
「ええ。住む場所も使用人の方に移してあるの」
「まあ……それは……」
 なんと返したらいいか悩むように首を傾ける。
「たしかに椋谷は一条の次男ですけれどね。でも、本人たっての希望で。ね?」
「……はい。そうです」
 足元から淡々とした口調が返された。
「あ、あらー、なんて殊勝なのかしらね?」
「えらいわねー」
 口々に言い合う婦人達に、瑛璃奈は声高に説明を加える。
「使用人としてここに住む方が気が楽だって本人が言うものですから。長男じゃないってだけでも気楽だとは思うんですけど、そんな調子では、先祖代々一条本家をお世話してくださっている矢取家の方々にも申し訳ないですし、そこまで言うなら地下で他の使用人たちと暮らすように、と」
 白々しい言い訳に、
「厳格な教育方針で素晴らしいわ」
「生き方は人それぞれよね」
「仕事ぶりも板についてるわ」
 誰も異議を唱えたりはしない。
「良かったわね椋谷、似合ってるって。ほら、お礼を言わないと、椋谷」
「……ありがとうございます」
 椋谷は地べたに這いつくばり、言われるがままに靴を磨き続けている。
 親族が集まる場では、椋谷の立ち位置はそんな感じだった。瑛璃奈がいる時には示し合わせたようにその場にいる者全員が一緒になって椋谷を苛め、それ以外では腫れ物に触るように挨拶だけ交わすか、もしくは何も知らないフリをして通り過ぎるか。
 一条本家から引きずり降ろそうとされるよりは、自分から降りた方が楽だったってだけだ、と椋谷は語る。実際には「次男」からは降りられないから、籍は置きつつも使用人として生活するような形に落ち着いたらしい。嫌がらせは続いているが、これでもかなり楽になった方だそうだ。
「ま、外野のことは気にしなきゃいいだけの話だ。どーでもいい、ってな」
 今は亡き前妻の不倫で生まれ、しかも途中までは勝己と兄弟として育てられてきたにもかかわらず、後妻がまるでシンデレラを突き落とすように、椋谷を今の立場に落とした。
 今も昔も、椋谷はずっと虐げられていて、それなのに。
 何か心に闇を抱えている気がしてならないのに。
 でも、どんなに目を凝らしてみても彼は明るく朗らかなままだった。
 それは――なぜなのだろう。
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