一条家の箱庭

友浦乙歌@『雨の庭』続編執筆中

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ケース2 一条勝己×解離性同一性障害

ケース2 一条勝己×解離性同一性障害(5/8)

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「針間先生の助手を優先してください」

「え、いいんですか?」
 暁に事情を話すと、思いのほか簡単に了承が得られた。

「……白夜さんに盆の業務をお願いした理由は、勝己様の周りに起こる問題に対処していただきたかったからなんです」

 勝己の「憑依」には、猫の手も借りたいほどに毎年かなり参っているらしい。

 精神医療でそれを治療できるかもしれないとあっては、優先して取り組んでほしいと、暁も頭を下げるほど。

 晴れて白夜を自由に使い倒せることとなった針間があれこれ命じてくることには、まずは交代人格の把握だった。やれやれ困った盆休みになったなと白夜は思いつつも、既に頭の中では効率よく情報を集めるための計算がカチカチと始まっていた。

 白夜は盆の間、勝己に同行することを承知してもらった。

「なんか、変な感じだなあ」
 勝己が苦々しく言う。
「暁だけじゃなく、白夜くんまで俺の後を付いてくるって」

 基本的に勝己の傍には二十四時間三百六十五日、暁がくっついている。盆の間ももちろんだ。勝己に「憑依」した際に真っ先に触れるのは暁なのだろう。たしか、白夜が初めて「武己」と出くわした時も、暁は泣いていた気がする。

 勝己について回るようになって、白夜が一番困ったのは現当主正己の前に出なければならない機会が増したことだった。普段はもっと上位の使用人や会社の従業員が相手をしているため、年若く看護師という特殊な立場の白夜はあまり顔を合わせることがなかった。正己の歳は五十五で、体格は男性の平均身長ほどで細身。白髪交じりの髪はメイドが毎朝セットしているのか、横に流すように整えられている以外の形を見たことがない。高級ブランドスーツを着用していて、毎朝いつも忙しそうにどこかへ出ていくか、邸で勝己と何か話しているか――くらいしか白夜はこれまで彼の存在を知らなかった。だが勝己は正己自身に跡取りとして厳しく育てられているため、当然だが呼びつけられて赴くことが多く、白夜も覚悟を決めて後に続いた。毎回必ずと言っていいほど異様な緊張を強いられ、実際、対面する前と後で暁に振る舞いを厳しく正された。勝己は正己の前で「憑依」状態に陥ることもあったが、そんなとき正己は「暁、なんとかしろ」と言い捨てて相手にすることなく中断し、その場を立ち去る。どうやら正己は息子の乱心を「憑依」だと信じてはいないようだ。そういった情報を、白夜は紙カルテにもれなく記入していく。

 一日を終え、夜も更けてきたころ自分の部屋に戻ってきた勝己がげんなりしたようにソファにうずくまる。

「ああもう疲れた疲れた。盆休みくらい休みたいよ……なんでもうこんな時間なんだ……」

 暁の出した茶を勝己はぐっと飲みほす。正己からの指導が終わったと思ったら、盆のために集まり始めた親族の挨拶回り。それが長かった。さすがの白夜も同情を禁じ得ないほどに過密な一日だ。しかし暁はもう慣れたように跪いて勝己のふくらはぎをマッサージしている。いつものことなのだろう。

 本日の勝己の様子を見守り続けた白夜は、机と椅子を借りて看護記録を記入していた。一日三回の報告を針間に義務付けられているのだ。針間は客室にこもったままで、人格交代などの際にはすぐ呼ぶように言われているが、基本的には溜まっている仕事をこなしているそうだ。

「あー椋谷呼んでくれる? もう伊桜が寝てたら、カジノ準備して~って」
 ふと、勝己がそんな要望を暁に投げた。

 暁は「はい」と手を止めずに白夜を振り向くと、「白夜さん、携帯で椋谷さんに連絡してもらえますか? 今手が離せず――すみませんが」と頼んできた。
 一階にある遊技場のことだろう。白夜は言われた通りにする。先日急性ニコチン中毒で倒れた椋谷は、今やもうすっかり回復して仕事にも復帰していた。

「椋谷さん、カジノの準備をしておくそうです」
 電話を切った白夜が報告すると、マッサージを受けながら勝己が、
「白夜くんもいいだろう?」
と誘ってきた。

「は、はい。カジノ、ですか?」
「うん。ブラックジャックにしようか~と思っていたけど、ポーカーにしようか~」
「ルールわかるかな……」
 白夜はどちらもやったことがなかった。興味はないこともないが――。

 俯せ状態の勝己の背中をほぐしながら暁が提案する。
「では、マッサージはもう少し続きますので、白夜さんは先に遊技場へ行って椋谷さんにレクチャーを受けて待っていてもらうのはどうでしょう? もちろん、看護に支障をきたさないならばですが」

 それくらいなら持ち場を離れても構わないだろう。白夜もさすがに少し疲れていた。水でも飲んでから行こう。それと、この間に針間に報告をしてこようか。

「では、針間先生に会ってから行こうと思いますので、どうぞゆっくり来てください」
 そう言い残し、白夜は勝己の部屋を後にした。
 

「針間先生も来るんですか?」
 白夜が針間の部屋を訪れた際、これからカジノに参加してくると報告すると針間も行くと言い出した。

「当然だろうが。行かないでどうすんだよ」
 白衣を羽織ったまま、鞄を下げて客室を共に出ようとする。

 なるほど、ゲームで遊んでいるときこそ、解離性同一性障害の交代人格が出るのだろう。勝った負けたで目まぐるしく感情に波が立つゲームの最中には、医者も同席するだけの価値がある。白夜は頷いた。

「では、案内しますね。僕は勝己様にゲームに誘われてしまったので、その方が助かります。実際に先生にその場にいてもらえば、報告書にまとめなくて済みますし」
「いや、だめだ」
 だが針間はその甘えを一蹴。

「そうですか……」
 却下されてしまっては仕方がない。少々面倒だが、自分の番が回ってこない間に看護観察とメモを取ろう。

「俺だって金持ちをカモりたいからな」
 思い出したように白衣を脱いで、部屋に放り捨てて出る針間。

 ……違った。
「それってただの遊びですよね!?」

「ああ。毎回誘えよー」
 私服姿の、完全にただの悪徳客となった針間は、すたすたと先に歩いて行ってしまう。白夜はため息をつきながら追いかけた。

 一階にある薄暗いBAR、その半分の空間が撞球ビリヤード・賭博場となっている。間接照明が落ち着いた夜の空間を演出し、濃い緑のビリヤード台が鮮やかだ。同じくグリーンのゲームテーブルには、赤白黒といったトランプカラーデザインのカジノ用チップが高く積まれている。椋谷が既に準備を終えて待っていて、美しい姿勢で一礼して出迎えてくれた。

「マックスとミニマムベットいくらだ~?」
 針間は嬉々としてなにやら詳細確認をしている。

「すみません、なんか針間先生まで来ちゃって」
 事情を話した白夜がルール説明を受けている間、針間はキューを手にビリヤード台に載って一人で玉突き遊びに興じていた。

 しばらくして勝己、暁と役者が揃い、ポーカーやらバカラやらブラックジャックやらが始まった。初めはたどたどしかった白夜も、次第にコツを掴んだ。研ぎ澄まされていく集中力と、大金が動くことによるひりつくようなスリル。背筋が凍るように冷たい汗、血管の中をどくどくと勢いよく駆け巡る熱い血――数学的思考をフル稼働させ、白夜は結局その夜を存分に楽しんでしまっていた。

「みんな強いなあ、すごいよ」
 針間の強引なコールドブラフ最弱手ハッタリに見事に引っかかって降りた勝己は、手札を明かされると酔いつぶれたように、テーブルに突っ伏した。

「いや、勝己が弱すぎると思うぞ」
 呆れ顔で言う椋谷は基本的にディーラーを受け持っていたが、時折暁と交代してプレイヤー側に回る。なかなかの腕前だった。暁はプレイもディーラーもそんなにうまくはなく、本人もそんなに好きではないようで、見学かもしくは飲み物を給仕して回っている方が多い。よって、白夜がルールを覚えた後は勝己一人だけひたすらに負けっぱなしだった。針間はそんな勝己を追い回すように狙い撃ちし、えげつないほどに荒稼ぎしていた。

「いや~何連敗? 俺、やっぱ才能ないなぁー」
 勝己だけ負けが目立つが、自分の所持金がかかっているので、誰も彼もわざと負けてやるようなことはできない。瑠璃仁が加わる日にはさらに負けが込むそうだ。こうなると勝己もカジノ自体を嫌になってしまうのではないかと思うのだが、一日の終わりによく開催するのは勝己自身だという。酒を愉しみながらもう一度、もう一度と賭けに興じる姿は、ちょっと意外なほどだった。

 そんな状況が一変したのは、深夜一時頃。
 すっと背筋を伸ばしたまま口数が少なくなった勝己が、露骨な誘いに乗らなくなったどころか、逆に勝ちを重ね始める。

「いいのかよ? そんな強気で」
 針間はよほど強い手札なのだろう。
 白夜も椋谷も降りたが、勝己はまだ攻めるらしい。違和感を覚えながら明かされた勝己の手を見てみると、はっと目が覚めた。

 ロイヤルストレートフラッシュ最強手

 してやられた針間が感情任せに、だんっとテーブルを叩く。

 ――長い沈黙ののち、
「てめぇ、交代してんな?」
 正面の勝己を睨み据える目には、医師としての冷静さがあった。

「はは、バレました? ……見てられなくて、ね」
 白夜は驚いて勝己の顔を見る。眼鏡でもかけていそうな、理知的で澄ました表情。見たことのない雰囲気だ。
「僕は二代目の、一条知己ともきですよ」

 そこからは勝己、いや二代目「知己」の圧勝だった。開き直ったような、通常あり得ないバカヅキ。いや天文学的にあり得ない。おそらくだが、イカサマを駆使して勝っている。だが、いつどうやって何をしているのか見抜けない。

 それから数分で、「知己」は勝己の負け分をきっちり取り戻してしまった。そしてさらに数分後、全員のハコが空になった。

(完全に別人だ)

「あれ? あれ!?」
 ふっと我に返るように、勝己が笑いながら声を上げた。

「どうしたの、みんな俺にチップ積んでさ。新手の嫌がらせ??」
 人格が「勝己」に戻っていた。


 一人の人間の脳を、何人もの人格が使用している。

 主人格の勝己の他には――

 最初に会ったのは性格が荒々しい三代目の武己、
 それから女性性らしく妙に色っぽい五代目の愛唯、
 そして非常に知能が高く狡猾な二代目の知己。
 

 針間は黙ったまま、じっと考え込んでいた。
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