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『霞の庭』第一章 国会議員 末松律歌

5・日楽城にて安楽城社長との挨拶

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 敷地の奥へとさらに車は進んでいく。見上げるほど大きな洋館が見えてきた。もちろんホログラム装飾なのだろうが、思わず「あれは?」と尋ねてしまった。
「日楽城です。あの辺り一帯がSランクの住むエリアとなっております」
「日楽城?」
 たしかに、そのまんま“お城”といった感じだ。中世の西洋にありそうな尖塔がいくつも突き出ている。そしてSランクというのはおそらく、この案内役部長の属するAランクのさらに上の階級なのだろう。
「弊社社長があちらでお待ちです」
「お城に住んでいるというわけね」
 三、四十分ほどかけて到着したと思ったら、そこからさらに十分かけて広大な庭園を車移動。待機していた二人のドアマン(階級はCランクだった)に正面大扉をわざわざ開けられて入ってみれば、内装もしっかり中世ヨーロッパの上流階級といった雰囲気だった。時代錯誤だが、ホログラムが発達して、こういった装飾も気軽に行われるようになってきた。築き上げた者は歴史上の王を真似たくなるのかもしれない。庭園で庭師が五名ほど働いていたのを見ると、生け垣などところどころ本物を使用している様子もある。
「応接室へどうぞ」
 玄関ホールをまっすぐ進むと、さらに天井の高い集会所のような広間に案内された。正面奥に壇があり、そこに向けて赤絨毯も一本敷かれていて、これはもう玉座が据え置かれていてもおかしくないと律歌は思った。応接室というより謁見の間みたいだ。中央に長テーブルが置かれていて、律歌は壇を背にして上座に案内される。その脇に支倉が座り、傍らには川橋が立つ。
 背後、壇上の端から一人の人物が現れた。上等そうなスーツを着ているが、それより調理人服が似合いそうなマトリョーシカのような体形の男。にこにことしながらこちらに歩みを進めてくる。頭上には堂々のS5ランクが輝いている。
「安楽城啓作です。いや~国会議員の先生をお呼びするのに壇上から出てきて申し訳ないです。奥に私室があるもので」
「いえいえそんなお気遣いなく」
 律歌も支倉も立ち上がり、丁寧にお辞儀する。この人が世界的な食品メーカー日楽食品の社長だ。
「いつもはここに玉座もあるんですが、今日はさすがに非表示にいたしましたのですよ。わはは」
 やっぱりあるんだ……。この調子だと普段は王様のローブを着用しているのかもしれない。
 差し出された手と手を固く結んで記念撮影。厚生労働委員会からは「形だけ調査に来ましたよ」という体で連絡が行っているのだろう。余裕の笑みだ。
「いやぁ、わざわざ国会議員の先生が、気にかけてくださってねえ。おや、厚生労働省のお役人さんも」
 安楽城は、官僚も揃って挨拶に来たことを満足気に頷きながら、長テーブルの向かい席に着く。傍付きの者が椅子を丁寧に差し入れていた。気が付くと律歌も支倉も同じようにされた。
「ようこそ日楽へ」
「企業自治法が可決されて大忙しの中、お邪魔してしまい恐縮です。どうぞ、私共のことはお気になさらずに」
 それからは、企業自治法可決後に確認する事項として厚生労働省が定めた形ばかりのチェックシートを律歌が一つずつ読み上げ、安楽城社長の横に立つ尾畑部長が「はい」やら「いいえ」やら「検討中です」やらと答えるのを社長にうんうんと頷いてもらう。尾畑部長からの難しい質問返しにはすべて官僚支倉が答え、律歌はうんうんと頷くだけだ。それが済んだら朗らかに雑談。
「というわけで、弊社はどうにかやっとります。おわかりいただけたかと」
「はい。ありがとうございます」
 話し合いは締め括りに向かっていた。ここに来た目的はそもそも社長と挨拶を交わすことではない。日楽食品で何か良からぬことが行われていないか調査するためだ。ここで、失踪者や人口数の話題を出して様子を窺うことも考えたが、先にしっぽを掴んでからでないと警戒されたり証拠を消される恐れもある。言い出すのは止めて、さっさと調査へ向かおう。律歌が決めて「それでは……」と席を立つことを伝えようとした時だった。
「低ランク者も締め出さず、生きてってもらわにゃ、いけませんからね。うちは、誰をも受け入れていますよ。受け皿なんですわ。食品会社だけにね、がっはっは」
「それは……」
 牽制するような目線をどうにか受け止める。ブラック企業として有名でも、それが成り立つには理由もあるのだ。この国を、生活保護さえ機能不全に陥らせてしまっている国会議員には、耳の痛い指摘だった。
「素晴らしいことです」
 笑顔で頷く律歌に、ハッハッハ、結構結構、と安良城社長は大きな腹を叩いて笑ってみせる。だが今は退いても、諸々の問題をそのままにして終わるわけにはいかない。
「じゃ尾畑部長、よろしくね」
「はい」
 安楽城社長に促されるまま、尾畑部長と共に車に戻ると、既に経路が決まっているのか自動的に発進した。
 勝負はここから。律歌は隣に座る川橋に「どうしたらいいかな」と耳打ちする。すると、
「お任せを」
 と、反対に座る支倉が小声で裾を引っ張ってきた。すべてお見通しのような笑みだ。
「柳町一丁目駐車場に向かっていただきたいのですが」
 支倉は快活に声をかけた。正面に座る尾畑部長は驚いたように、
「このまま関の出口までご案内しますよ」
「いえ、柳町一丁目駐車場に車を呼んでありますので」
 支倉は川橋に目配せしている。タクシーを呼べと言うことだろう。支倉が「本日はお忙しい中お時間を賜り」云々と気をそらしているうちに川橋がアプリで配車手続きを済ませる。
 有無を言わせぬまま柳町一丁目駐車場に到着すると、そそくさと車から出た。今度は律歌が官僚の支倉と視線を交わす。
「ここまでご案内いただき、感謝します。これより先は、私共で」
「それでは、お供を」
「いいえ、私達だけでこのまま自由にぶらついてみたいんです」
 尾畑部長はさっと表情を曇らせる。
「それでは、限られた時間内に効率よく回ることが難しいかと」
「そのために、厚生労働省の者を連れてきております。ご心配には及びません」
「さようでございますか……し、しかし……」
 傍らに立つ官僚が一歩進み出る。
 日楽食品に到着した際、支倉に耳打ちされた。挨拶が済んだらまずは大人しく見て回るふりをして案内役にどこを回るかを聞いて、情報を掴んだところで、挙がった場所以外のところへ、それもできるだけ遠くへいきましょう、案内する予定の一帯にはおそらく息のかかった社員しかいませんから、と。
 支倉は問答無用で無人タクシーに近づくと、扉を開けて一礼し律歌を招く仕草をした。律歌は呆然ぼうぜんとする経営陣を無視して車に乗り込んだ。
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