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第七章 高校時代 上

4・秘密基地

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 律歌は約束を守ってくれた。添田の日常は少しだけ変わった。放課後にクラスメートと駄弁りながら、律歌から連絡が入ったら待ち合わせして問題を解決してやるようになった。無味乾燥な砂漠でカラカラに枯れるところだったが、正直命拾いしたのも事実だった。
 指示通りの経路で、時間差でやってきた律歌を、添田は体育館横にある地下に続く倉庫へ案内する。
「ここって、呪われてるって噂の心霊スポットでしょう……?」
 律歌は辺りを見回しながら眉をしかめている。地下のため窓もなく、湿ったような空気が漂っている。
「ああ。だから人が寄り付かない」
 壊れた人体模型が壁にもたれかかっていた。古いスポーツ用品がぎゅうぎゅう詰めに押し込められている。
「スマートフォンの電源は切って来てくれたか?」
「あ……そうだったわね。切るわ。けど……どうして?」
 律歌はポケットに手を伸ばす。
「GPSの位置情報は残したくないんだ」
「そこまでしなくてもいいでしょう?」
「せめてGPSだけでも切ってほしい」
 律歌のスマートフォンがオフになったのを確かめた添田は、倒れかかったマットや床に転がった割れたカラーコーンなどを押しのけ奥に進むと、古びた跳び箱に手をかけた。十段重ねの、立派なやつだ。六段目あたりから持ち上げると添田は言う。
「入ってくれるかな」
「は?」
 跳び箱を持つ手が、重さにぷるぷる震える。
「ここでやろう」
「この中で!?」
 添田は頷いて説明する。
「この中なら、万が一人が来てもやり過ごせると思ったんだ」
「ああっ、そうね……!」律歌は戸惑いを隠せない様子で、えーとえーとと視線を彷徨わせては、「跳び箱を開ける人はいないけど、心霊スポットとはいえたまには人も来るだろうし、そしたらびっくりさせちゃうものね! こんな場所に男女二人でいるところを見られて、教育指導とか入ったら面倒よね!」と納得してくれる。
「ああ……それもそうだな。それにクラスの立ち位置的にもな」
 十段の跳び箱は二人が並んで入るくらいのスペースはある。
「とにかく……ロボットのためと思いましょ」
 意を決したように律歌は頷く。
 それからというもの、頻繁にここでプログラミングに取り組むことになった。
「電卓!」
 律歌は跳び箱を開けながらそう叫ぶ。
「なんだよ、そのあだ名は……」
 添田卓也、略して電卓だと笑いながら。
「みんなの前では絶対に呼ばないでね、いいかい?」
「はいはい、いいわよ」
 律歌は慣れたようによじ登って中へ入る。
 授業後は早めに連絡してくれないと既に帰っているかもしれないからな、と言っておいたものの、何かと理由をつけて帰らずに待っていたりしている自分に呆れる。
「で、これからどうしたらいいのかしら……? 特許庁のサイトからビッグデータは手に入ることがわかったけど、そこから自動的に解決案を生み出すAIを作らないといけないわ」
 授業中でも構わずに開いてカチャカチャやっているノートパソコンを添田に見せてくる。
 「機械化する機械」であるウキえもんを実現させるために律歌がやろうとしていることはかなり難易度の高いものだった。まず、「機械化」の限界として、繰り返し繰り返し「同じ行動を」とっていなければならない。毎回違う行動を求められる仕事は機械化するのが難しいためだ。そして、目の前で起こっていることが「趣味」ではなく「労働」であることも、ウキえもんに認識させねばならなかった。同じ行動をとっていても、例えばコーヒーを豆を挽くところから淹れるのが趣味な人もいる。至福の最中にウキえもんがコーヒーメーカーの提案をするのは水を差す行為でしかない。そこで、「つまらなさそうに」していることを条件に入れた。そのためには、人物動作推定AIと、感情推定AIを組み合わせなければならなかった。そして目の前で行われているのが同じ動作を多く含む労働だということがわかったら、そこからどうやって機械化していくのかを考え出すAIを開発する。これには特許情報のビッグデータを用いることになった。
「そうだな。んん……ウキえもんはまず、目の前の状況から学習モデルを作って、数百回シミュレートして最適解を導き出すようにするのはどうだ? 最初から特許庁のサイトから探し始めるのではなく、試行回数を重ねるときに特許からも引っ張ってくる、って感じに」
「学習モデル?」
「つまり、ウキえもんが今いるところ……工作室なら工作室をウキえもんが脳内でモデリングして、広さや奥行き、机の数、椅子の数、人の数、置いてある道具の種類や使い方をまず認識する。それらを使って、たとえば机を濡れ布巾で拭くという掃除仕事を毎日嫌そうにしている人を見つけたら、どうしたらその仕事が機械化できるかを、作り上げたモデル内で何百回と脳内シミュレートを行うわけだ。そういう繰り返し作業は、機械が得意だろう。人間にはできない。それで、そのときに特許庁のサイトを参考にして織り交ぜながら使う」
「なるほど! 特許から何かを作り上げるのではなくて、シミュレーションの中で特許を使っていくのね」
「そういうことだな」
「あなたって……あなたってすごいのね!!」
 大きな歓声と共に、いきなり律歌が身を乗り出してこちらを向く。
「ありがとう! これでウキえもんが実現するわ!!」
 律歌の目はキラキラしていた。
 添田は一瞬、時が止まったように惚けた。
「ねえ、もうさ、隠れてないで工作室でやりましょうよ!」
 初めてできたリアルの、しかも同じクラスメートのコンピュータ仲間に、添田は彩りを感じ始めていた。末松との高校生活はなんだか、多勢に無理して合わせる以上の「本物の輝ける青春」がありそうで、つい、さらにもう一歩進もうか、どうしようかと揺らいでいる自分がいた。
「現場で機械学習と試験を重ねていくことになるわけでしょう。現場にいてくれないと頼れないわ」
「プログラムができたら……そうなるけど」
「自走や首の動きもずいぶんなめらかになったのよ。それだってあなたに見せたいし」
 趣味がバレたら厄介なことになる。スクールカースト上位の連中から離れることになる気がする。毎日上位陣と一緒にいるにはいるが、強固な絆があるわけでもない。自分の本来の陰キャ気質が漏れているのか、若干面倒くさがられている気もするのだ。名実ともに正真正銘の陰キャオタクだとバレたら……。
「工作室ってことは、他の人もいるってことだよね……」
「いるけど、あなたの代わりになるような人はいないわ。みんなきっと、あなたが来たら驚いて喜ぶと思う。私だってそうよ。あなたを紹介できる日を心待ちにしていたもの。だってあなたって、私達にとってヒーローよ」
 悪くない。が、あくまでロボット研究会という狭い枠組みの中でのヒーローなわけだし……。
 添田が迷っていると、律歌は我慢できないというように叫ぶ。
「こんなに狭いところで満足していていいの? 外に出ましょう! 現場に来てみなさいよ。もっともっと面白いことが待ってるんだから!」
 たしかに、狭さで言えばこっちの方が狭いけど。だけど、教室での立ち位置が……。
 わかっている。行けば間違いなく面白いということも。
「早くしないと、原田くんがC言語でどんどん勝手に進めてくのよ」
「うう~ん……」
 俺の繊細優美なコードがあいつに崩される……それはいやだ。
 一度だけ、様子を見に行ってみるか?
「来てくれる?」
 腹をくくって、添田は小さく頷いた。
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