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最終章 孵化
3・メッセージ、テレパシー、ミステリーサークル
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律歌は、部屋を出て家の外へ飛び出していった。
本物の理想を手に入れるために、楽園を出よう。たとえその道が地獄であったとしても。
太陽は輝いていた。風は凪いでいた。青空の下、息を胸いっぱいに吸い込む。そして天高くへ向かって叫んだ。
「電卓ー! ここから出してーっ!!」
両手を広げて、しばし待つ。残響が微かに耳に聞こえた。そのまま、目を閉じてみる。
何も起こらない。
(電卓! 聞こえてるんでしょ! 出して!)
強く念じテレパシーを送ってみる。
……しかし、一向にログアウトの気配はない。
まあ、思考が読み取れるなんて機能、あるとは言っていなかった。
律歌は、それならばと次に、北寺の菜園からクワを勝手に借りてきた。そして見つけた広い草むらに分け入ると、草を踏み倒し土を掘り返しながらでかでかと「出せ」の二文字を書きつけてみる。
「よし、これで……。電卓がサムネイルみたいな画面表示でここをモニタリングしてるとしても、私の意志を確認できるでしょ」
最後におまけで、
「電卓! 出して! 出しなさーい!!」
だいぶ傾き始めた太陽に向かって叫んでおく。ひとしきり声を上げ、そろそろ一旦家に帰るかと振り返ると、少し後ろに北寺が立ってじーっとこちらを見ていた。
「りっか、急に元気になって、うれしいけど……どうしちゃったの、かな?」
気まずい沈黙が流れた。北寺は水筒から冷たい麦茶を注いで、コップを差し出してくれた。その時の、ぎこちない微笑と緊張感漂う視線が痛かったが、焼けたのどはたしかに水分を求めていた。律歌はそれを受取ると、気恥ずかしさも併せて冷ますように、ぐっと一気に飲み干す。記憶を取り戻してから長い間部屋に引きこもっていたわけだし、出てきたと思ったら何かを叫び続けている……って、とうとう気が狂ってしまったかと思われたかもしれない。
「違うの。あのね、私は正気なのよ……」
どう説明したものか。律歌が考えていると、吸い寄せられるように北寺が興味津々に草むらを覗いている。
「ん!? 地面に何か描いてあるけど……ミステリーサークル?」
律歌はつま先立ちをして北寺の視界に割り込んで言った。
「いいえ、私が書いたの」
「え?」
また行動が理解できないといったように、北寺は聞き返してくる。
「ねえ……ここから出たいの! 北寺さん、協力して。お願い」
真摯に頼み込む。疑問符だらけだろうに、しかし北寺はようやくいつものように一つ頷いてくれた。
「わかった。まずは帰ろうか」
北寺は律歌をソファに座らせると、辛抱強く寄り添うように問いかけてくる。「それで、一体なにがあったの」
「私は現実世界で、やらなきゃいけないことがある、って。やっぱり、そう思ったの」
それを口にした瞬間、律歌は全身が総毛立つような恐怖感に襲われ、立ちすくんだ。また嘔吐感が胸から込み上げ、気付いたら両手で口元を押さえていた。
「……っ、大丈夫。平気だから」
「い、いや、平気なわけがないよ!」
北寺は律歌の正面に回り、その手を握る。そして、噛んで含めるように言う。
「りっかはここにいていいんだ。おれも傍にいるよ。ほら、ベッドに行こう。ずっとあんな状態でいたんだ……消耗してるはず。おかゆ作ってあげる。それ食べて、まずはお腹を満たしてさ、ぐっすりよく寝て。ずっと傍についててあげるから。元気になってから、好きなことしてまた遊ぼうよ。ね?」
優しい言葉に、甘い誘惑。
「嫌なことを思い出したんだよね……。そうなんだろう、りっか? 辛かっただろ。愚痴でもなんでも聞くよ。りっかは頑張り屋だから、きっと大変だったんだろうと思うよ。だから、もっとここで休んで――」
何度その温かさに救われ、守られてきたことか。と思う。
そして、そのぬるさに惑わされ、引きずられ、依存していく危機感も。
律歌は立ち上がり、北寺の手を振り払う。
「もう、甘やか、さないで――」
跳ねのけるようなその拒絶に、はっと固まるようにして動かない北寺に、律歌は首を横に振る。
「……ううん、感謝してる。北寺さんには。ありがとう、今まで……。おかげで、私は、今、現実にちゃんと立ち向かえているの。あなたのおかげよ。本当に、感謝してるの」
しかし意を決した律歌は、言葉を紡ぐ。
「でも、聞いてほしいんだけど……私は電卓と――」
今まで律歌と電卓が過ごしてきた、高校、大学、そしてプロジェクトに携わった社会人時代の生き様を、北寺は口を挟むことなく黙って聞いてくれた。律歌は話しているうちに、だんだんと電卓との思い出の中に没入していった。
「私には生きる理由がある。なりたい自分があるのよ。ここでぬるま湯にいつまでも浸かっていちゃいけないわ。とても心地よかったわよ……けれど、だからってふやけて腑抜けになりたいわけじゃない」
自分が、理想の自分でい続けるために、
「だから電卓が必要なの。私の夢をかなえるためには、電卓と一緒にいないといけないの」
彼の傍にいたいのだと。
北寺は、身じろぎ一つせず聞いていた。そうして聞き終わって、ただ、一言だけ、ため息交じりに、独り言のようにつぶやいた。
「……はぁ、そっか。やっぱり添田さんに遠慮なんてするんじゃなかったな~」
自嘲の笑みを浮かべながら。
「え……?」
そこで律歌は自分のこれまでの人生を思い出してからあまりに心がいっぱいいっぱいで、考えが回っていないことがまだ色々あるのを思い出した。たとえば、そう。北寺は、自分と電卓の関係を知った上で今まで一緒にいたんだな、とか。
「いや、いいんだ。おれだって人に見られながらイチャつく趣味はないし」
しかしいつの間にか、北寺の表情はいつものようににこやかなものに戻っていた。
律歌は彼の優しさに結局また助けられているのを自覚しつつ、感謝しつつ、しかし意志をもって自分勝手に続けた。
「歩き出したい。私のなりたかった、「私」に、なりたい。私の求めた世界を、実現させるの。ここにいたって、それは叶わないから。だから……」
そして、ふらつく足を踏ん張り、北寺の両眼を見据えて頼み込む。
「だからお願い。協力して。北寺さん!」
本物の理想を手に入れるために、楽園を出よう。たとえその道が地獄であったとしても。
太陽は輝いていた。風は凪いでいた。青空の下、息を胸いっぱいに吸い込む。そして天高くへ向かって叫んだ。
「電卓ー! ここから出してーっ!!」
両手を広げて、しばし待つ。残響が微かに耳に聞こえた。そのまま、目を閉じてみる。
何も起こらない。
(電卓! 聞こえてるんでしょ! 出して!)
強く念じテレパシーを送ってみる。
……しかし、一向にログアウトの気配はない。
まあ、思考が読み取れるなんて機能、あるとは言っていなかった。
律歌は、それならばと次に、北寺の菜園からクワを勝手に借りてきた。そして見つけた広い草むらに分け入ると、草を踏み倒し土を掘り返しながらでかでかと「出せ」の二文字を書きつけてみる。
「よし、これで……。電卓がサムネイルみたいな画面表示でここをモニタリングしてるとしても、私の意志を確認できるでしょ」
最後におまけで、
「電卓! 出して! 出しなさーい!!」
だいぶ傾き始めた太陽に向かって叫んでおく。ひとしきり声を上げ、そろそろ一旦家に帰るかと振り返ると、少し後ろに北寺が立ってじーっとこちらを見ていた。
「りっか、急に元気になって、うれしいけど……どうしちゃったの、かな?」
気まずい沈黙が流れた。北寺は水筒から冷たい麦茶を注いで、コップを差し出してくれた。その時の、ぎこちない微笑と緊張感漂う視線が痛かったが、焼けたのどはたしかに水分を求めていた。律歌はそれを受取ると、気恥ずかしさも併せて冷ますように、ぐっと一気に飲み干す。記憶を取り戻してから長い間部屋に引きこもっていたわけだし、出てきたと思ったら何かを叫び続けている……って、とうとう気が狂ってしまったかと思われたかもしれない。
「違うの。あのね、私は正気なのよ……」
どう説明したものか。律歌が考えていると、吸い寄せられるように北寺が興味津々に草むらを覗いている。
「ん!? 地面に何か描いてあるけど……ミステリーサークル?」
律歌はつま先立ちをして北寺の視界に割り込んで言った。
「いいえ、私が書いたの」
「え?」
また行動が理解できないといったように、北寺は聞き返してくる。
「ねえ……ここから出たいの! 北寺さん、協力して。お願い」
真摯に頼み込む。疑問符だらけだろうに、しかし北寺はようやくいつものように一つ頷いてくれた。
「わかった。まずは帰ろうか」
北寺は律歌をソファに座らせると、辛抱強く寄り添うように問いかけてくる。「それで、一体なにがあったの」
「私は現実世界で、やらなきゃいけないことがある、って。やっぱり、そう思ったの」
それを口にした瞬間、律歌は全身が総毛立つような恐怖感に襲われ、立ちすくんだ。また嘔吐感が胸から込み上げ、気付いたら両手で口元を押さえていた。
「……っ、大丈夫。平気だから」
「い、いや、平気なわけがないよ!」
北寺は律歌の正面に回り、その手を握る。そして、噛んで含めるように言う。
「りっかはここにいていいんだ。おれも傍にいるよ。ほら、ベッドに行こう。ずっとあんな状態でいたんだ……消耗してるはず。おかゆ作ってあげる。それ食べて、まずはお腹を満たしてさ、ぐっすりよく寝て。ずっと傍についててあげるから。元気になってから、好きなことしてまた遊ぼうよ。ね?」
優しい言葉に、甘い誘惑。
「嫌なことを思い出したんだよね……。そうなんだろう、りっか? 辛かっただろ。愚痴でもなんでも聞くよ。りっかは頑張り屋だから、きっと大変だったんだろうと思うよ。だから、もっとここで休んで――」
何度その温かさに救われ、守られてきたことか。と思う。
そして、そのぬるさに惑わされ、引きずられ、依存していく危機感も。
律歌は立ち上がり、北寺の手を振り払う。
「もう、甘やか、さないで――」
跳ねのけるようなその拒絶に、はっと固まるようにして動かない北寺に、律歌は首を横に振る。
「……ううん、感謝してる。北寺さんには。ありがとう、今まで……。おかげで、私は、今、現実にちゃんと立ち向かえているの。あなたのおかげよ。本当に、感謝してるの」
しかし意を決した律歌は、言葉を紡ぐ。
「でも、聞いてほしいんだけど……私は電卓と――」
今まで律歌と電卓が過ごしてきた、高校、大学、そしてプロジェクトに携わった社会人時代の生き様を、北寺は口を挟むことなく黙って聞いてくれた。律歌は話しているうちに、だんだんと電卓との思い出の中に没入していった。
「私には生きる理由がある。なりたい自分があるのよ。ここでぬるま湯にいつまでも浸かっていちゃいけないわ。とても心地よかったわよ……けれど、だからってふやけて腑抜けになりたいわけじゃない」
自分が、理想の自分でい続けるために、
「だから電卓が必要なの。私の夢をかなえるためには、電卓と一緒にいないといけないの」
彼の傍にいたいのだと。
北寺は、身じろぎ一つせず聞いていた。そうして聞き終わって、ただ、一言だけ、ため息交じりに、独り言のようにつぶやいた。
「……はぁ、そっか。やっぱり添田さんに遠慮なんてするんじゃなかったな~」
自嘲の笑みを浮かべながら。
「え……?」
そこで律歌は自分のこれまでの人生を思い出してからあまりに心がいっぱいいっぱいで、考えが回っていないことがまだ色々あるのを思い出した。たとえば、そう。北寺は、自分と電卓の関係を知った上で今まで一緒にいたんだな、とか。
「いや、いいんだ。おれだって人に見られながらイチャつく趣味はないし」
しかしいつの間にか、北寺の表情はいつものようににこやかなものに戻っていた。
律歌は彼の優しさに結局また助けられているのを自覚しつつ、感謝しつつ、しかし意志をもって自分勝手に続けた。
「歩き出したい。私のなりたかった、「私」に、なりたい。私の求めた世界を、実現させるの。ここにいたって、それは叶わないから。だから……」
そして、ふらつく足を踏ん張り、北寺の両眼を見据えて頼み込む。
「だからお願い。協力して。北寺さん!」
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