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第二章 まずは行けるところまで
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律歌達は見晴らしのいい丘に上がって遅めの昼食を取った。丘には大きな木々が五、六本固まって生えていて、その間にハンモックがかかっていた。誰かが吊るしたのだろう。律歌は勝手に乗ってゆらゆら揺れながらしばし昼寝を楽しんだ。つい寝すぎてしまった。北寺も芝の上で寝ていたらしく、律歌が体を起こす音で起きた。一面に広がる黄色い菜の花畑を見ながら二人は自然とそこからは無言のまま、疲れてきた体に鞭打ってひたすら北へまっすぐにただただ走り続けた。このままどこまでいけるのだろうという好奇心だけが、それぞれのペダルを動かしていた。
その足が止まったのは、
「この先、山だね」
川を越え、木々が多くなり、遠くに見えていた山が近くなってきて、ついにそのふもとに到達したときだった。
「どうする、りっか。登る?」
久々にしゃべるような感覚で律歌も口を開く。「時間は?」疲労感はあったが、まだ走れる。だが帰り道の分の体力も考えなくてはいけない。いざとなってもタクシーを呼ぶことはできないのだ。
「りっかがまだ大丈夫なら、もう少しだけなら進んでもいい。でも、山を完全に登ることは無理かもね」
「途中で引き返すことになる?」
「そうだね、たぶん」
律歌はなんとなく出鼻をくじかれたような気分で自転車を降り、疲労した筋肉を伸ばすようにして山のふもとをぶらついた。途中で時間切れになるとわかって山を登るのは精神的にしんどいものがある。
「ここまで……かな」
地図は昨日より埋まりはしたが、依然としてここがどこなのかわからないままだ。
「車って本当に、天蔵に売ってないの?」
「売ってないよ。見てみる?」
スマートフォンを起動し、天蔵のサイトに接続する。検索欄に「自動車」と入力してぽちっ。
おもちゃのミニカーとか模型、ラジコンだとか、車に関する書籍は山ほど出てくるが、乗り物としての自動車はどんなにスクロールしても見つからない。
「ないね」
北寺も最後のページの方から検索しているらしい。
律歌はふと、いつもなら気にしないような下部のリンクに目が行く。
「あ、これ、問い合わせができるみたいよ。メール……電話も!」
「電話!?」
以前電話が使えるか律歌と北寺で試したところ、消防や警察の緊急通報も繋がらなかった。互いの電話番号にかけてみても、鳴らなかった。でも、天蔵にはネットが唯一通じるのだ。電話だって通じるかもしれない。
律歌は0120から始まる天蔵の電話番号をコピーして貼り付けて、通話マークを押した。呼び出し音が続いた後のこと。
「はい。天蔵カスタマーサービス、添田です」
繋がった!! 録音音声というわけでもない。きちっとした若い男の声が聞こえた。謎のベールに包まれている天蔵関係者との直接通話に、緊張が走る。
「ここはどこなの?」
車のことなどすっかり忘れて、律歌は切羽詰まってそう問いかけた。一呼吸置いて、カスタマーサービスの添田は応えた。「どこと言われましても。いかがいたしました?」
「えっと、えっと……! あなた達は誰なの!?」
しかし、感触はシロネコアマトの配達員と同じようなものだった。
「こちらは天蔵カスタマーサービスでございます」
「そういうことじゃなくって……っ」
やっぱり話が通じない。同じ日本語を話しているけど、別の世界の人みたいだ。初めてシロネコアマトが荷物を運んできた時に、律歌がさんざん繰り返した問答とまるで変わらない。
ここは、違う世界なのだろうか? そんなことまで考えてしまうそうになる。
いったい、このサービスはどんな形で成り立っているのだろう。誰を相手にしているのだろう。律歌達のようなここに迷い込んだ住民が本当に本来の客なのか?
一番求めている回答は得られなかったが、ここで切るにはまだ早い。電話するきっかけになった用件がある。
「車はどうして売っていないの?」
「申し訳ございません。現在取り扱っておりません」
「どうしてって聞いているのよ」
「どこかへお出かけでしょうか? お買い物のご用命でしたら、天蔵にどうぞ」
「買い物に行きたいわけじゃないの。山に登りたいのよ」
「はあ、山ですか。ハイキングでしたらアウトドア用品のページに――」
「ちがうのちがうの! 私たち、ここがどこなのか知りたくて、それで遠くまで行こうとしているのよ!」
「どこなのか知りたい、ですか」
「そう! 今、変な場所にいるの。伝票の住所欄には番号しか書かれていないし。ここ、どこだかわかる? 何県何市?」
「すみません、ちょっと……質問の意図がわかりかねます」
やっかいな顧客に捕まってしまったと思われていそうだ。
「まあいいわ。なんでもいいから乗り物、売ってくれないかしら」
「そういったものは、現在取り扱っておりません。申し訳ありません」
「これから扱う予定は?」
「入荷の目途は立っておりません。申し訳ありません」
「車、きっとすごく売れると思うわよ!」
「そうでしょうか」
あの手この手で問いかける律歌に対し淡々と、事務的な返事。
「そうよ! 参考にしてよね!」
「ありがとうございます。ただ……失礼ながら、お客様は天蔵の通販で生活に必要なものはまかなえていらっしゃるのですよね」
「そうだけど?」
「でしたら、これからも引き続き、天蔵サービスをお役立ていただけたらと思います」
「え、ええ、まあ」
「車なんてなくても、生活できますでしょう?」
「生活は、できるけど……」
「それは何よりです」
律歌は言い返す言葉を探した。
「他に何かご質問はございますか?」
「えっと――」
「それでは私、天蔵カスタマーサービスセンター、添田が承りました。失礼します」
ガチャ。
「あっ」
切られた。
ツーツーツーと電子音が続く。
「あーもう! なんなのよ、あのカスタマーサービスはっ。車なんてなくても生活できるだろですって! 無駄なことはするなと言わんばかりに!」
文句を言わず、天蔵サービスをただ享受していろと言われているようにも取れる。
「むっかつくわ! よし、もう一度かけてみようかしら!!」
「ちょっと待ってりっか」
北寺は少し考えて言った。
「天蔵に頼むのはあきらめよう」
「どうしてよ」
「なんか、引っかかるんだ」
空が急に暗くなってきた。なんだか雲行きが怪しい。太陽が引っ込んで、厚い雨雲が空を覆っている。
「車なんてなくても、生活できるでしょう、って……裏を返せば、生活に必要なものは、天蔵が支給している、ってことになるよね」
「……?」
遠くで雷の音が聞こえたような気がした。
「言われて、よく考えるとさ、おれたちは一応、生活に必要なものをいただいている立場なんだよ」
そう言って北寺は、薄暗い天を見上げた。
「わからないけど、彼らには逆らわない方がいいんじゃないかな」
「う」
それは想像するのもぞっとする話だった。
天蔵から何も売ってもらえなくなったら、どうする?
そうしたらそれこそ、こんな場所でどうやって生きていくんだ?
律歌は肌寒さを感じリュックサックからカーディガンを取り出して羽織った。
「天蔵に目をつけられるようなことは……避けた方が無難だ」
カスタマーサービスの担当者は物腰低い丁寧な接客だったが、こちらは客であるどころか、よく考えたら対等でさえない。高圧的な言葉こそ言われていないものの、冷静に考えたら一方的に助けられ生かされているのはこちらの方。
「触らぬ神に祟りなし」
北寺は畏怖したように素早くそう言うと、首をすくめた。
律歌は闇に溶け込み始めた山一帯を睨みつける。
強風にあおられて森がざわめいた。まるで山が啼いているようだった。風は木々の黒い狭間に向かって吹いていた。山は大きく呼吸をしながら、律歌達を呑み込もうと待っているようだった。北寺はそんな息吹から律歌を守るようにその前に立ちふさがり、「嫌な天気だね。降ってきそうだ。やっぱり戻ろう、りっか」と、言って律歌をもと来た方へ向かせる。長身の北寺の肩越しに、律歌は再度、高くそびえたつ山を睨みつけた。ごおっと風が吹いて、律歌のカーディガンをばたつかせる。北寺が「寒い、寒い」と言って、律歌を抱えるように背を丸める。そうして律歌の薄手のカーディガンを背中から手を回して押さえながら、ボタンを一つ一つ、上から順番に留めていった。律歌は風に逆らうように瞬きもせず沈黙したまま立っていた。
その足が止まったのは、
「この先、山だね」
川を越え、木々が多くなり、遠くに見えていた山が近くなってきて、ついにそのふもとに到達したときだった。
「どうする、りっか。登る?」
久々にしゃべるような感覚で律歌も口を開く。「時間は?」疲労感はあったが、まだ走れる。だが帰り道の分の体力も考えなくてはいけない。いざとなってもタクシーを呼ぶことはできないのだ。
「りっかがまだ大丈夫なら、もう少しだけなら進んでもいい。でも、山を完全に登ることは無理かもね」
「途中で引き返すことになる?」
「そうだね、たぶん」
律歌はなんとなく出鼻をくじかれたような気分で自転車を降り、疲労した筋肉を伸ばすようにして山のふもとをぶらついた。途中で時間切れになるとわかって山を登るのは精神的にしんどいものがある。
「ここまで……かな」
地図は昨日より埋まりはしたが、依然としてここがどこなのかわからないままだ。
「車って本当に、天蔵に売ってないの?」
「売ってないよ。見てみる?」
スマートフォンを起動し、天蔵のサイトに接続する。検索欄に「自動車」と入力してぽちっ。
おもちゃのミニカーとか模型、ラジコンだとか、車に関する書籍は山ほど出てくるが、乗り物としての自動車はどんなにスクロールしても見つからない。
「ないね」
北寺も最後のページの方から検索しているらしい。
律歌はふと、いつもなら気にしないような下部のリンクに目が行く。
「あ、これ、問い合わせができるみたいよ。メール……電話も!」
「電話!?」
以前電話が使えるか律歌と北寺で試したところ、消防や警察の緊急通報も繋がらなかった。互いの電話番号にかけてみても、鳴らなかった。でも、天蔵にはネットが唯一通じるのだ。電話だって通じるかもしれない。
律歌は0120から始まる天蔵の電話番号をコピーして貼り付けて、通話マークを押した。呼び出し音が続いた後のこと。
「はい。天蔵カスタマーサービス、添田です」
繋がった!! 録音音声というわけでもない。きちっとした若い男の声が聞こえた。謎のベールに包まれている天蔵関係者との直接通話に、緊張が走る。
「ここはどこなの?」
車のことなどすっかり忘れて、律歌は切羽詰まってそう問いかけた。一呼吸置いて、カスタマーサービスの添田は応えた。「どこと言われましても。いかがいたしました?」
「えっと、えっと……! あなた達は誰なの!?」
しかし、感触はシロネコアマトの配達員と同じようなものだった。
「こちらは天蔵カスタマーサービスでございます」
「そういうことじゃなくって……っ」
やっぱり話が通じない。同じ日本語を話しているけど、別の世界の人みたいだ。初めてシロネコアマトが荷物を運んできた時に、律歌がさんざん繰り返した問答とまるで変わらない。
ここは、違う世界なのだろうか? そんなことまで考えてしまうそうになる。
いったい、このサービスはどんな形で成り立っているのだろう。誰を相手にしているのだろう。律歌達のようなここに迷い込んだ住民が本当に本来の客なのか?
一番求めている回答は得られなかったが、ここで切るにはまだ早い。電話するきっかけになった用件がある。
「車はどうして売っていないの?」
「申し訳ございません。現在取り扱っておりません」
「どうしてって聞いているのよ」
「どこかへお出かけでしょうか? お買い物のご用命でしたら、天蔵にどうぞ」
「買い物に行きたいわけじゃないの。山に登りたいのよ」
「はあ、山ですか。ハイキングでしたらアウトドア用品のページに――」
「ちがうのちがうの! 私たち、ここがどこなのか知りたくて、それで遠くまで行こうとしているのよ!」
「どこなのか知りたい、ですか」
「そう! 今、変な場所にいるの。伝票の住所欄には番号しか書かれていないし。ここ、どこだかわかる? 何県何市?」
「すみません、ちょっと……質問の意図がわかりかねます」
やっかいな顧客に捕まってしまったと思われていそうだ。
「まあいいわ。なんでもいいから乗り物、売ってくれないかしら」
「そういったものは、現在取り扱っておりません。申し訳ありません」
「これから扱う予定は?」
「入荷の目途は立っておりません。申し訳ありません」
「車、きっとすごく売れると思うわよ!」
「そうでしょうか」
あの手この手で問いかける律歌に対し淡々と、事務的な返事。
「そうよ! 参考にしてよね!」
「ありがとうございます。ただ……失礼ながら、お客様は天蔵の通販で生活に必要なものはまかなえていらっしゃるのですよね」
「そうだけど?」
「でしたら、これからも引き続き、天蔵サービスをお役立ていただけたらと思います」
「え、ええ、まあ」
「車なんてなくても、生活できますでしょう?」
「生活は、できるけど……」
「それは何よりです」
律歌は言い返す言葉を探した。
「他に何かご質問はございますか?」
「えっと――」
「それでは私、天蔵カスタマーサービスセンター、添田が承りました。失礼します」
ガチャ。
「あっ」
切られた。
ツーツーツーと電子音が続く。
「あーもう! なんなのよ、あのカスタマーサービスはっ。車なんてなくても生活できるだろですって! 無駄なことはするなと言わんばかりに!」
文句を言わず、天蔵サービスをただ享受していろと言われているようにも取れる。
「むっかつくわ! よし、もう一度かけてみようかしら!!」
「ちょっと待ってりっか」
北寺は少し考えて言った。
「天蔵に頼むのはあきらめよう」
「どうしてよ」
「なんか、引っかかるんだ」
空が急に暗くなってきた。なんだか雲行きが怪しい。太陽が引っ込んで、厚い雨雲が空を覆っている。
「車なんてなくても、生活できるでしょう、って……裏を返せば、生活に必要なものは、天蔵が支給している、ってことになるよね」
「……?」
遠くで雷の音が聞こえたような気がした。
「言われて、よく考えるとさ、おれたちは一応、生活に必要なものをいただいている立場なんだよ」
そう言って北寺は、薄暗い天を見上げた。
「わからないけど、彼らには逆らわない方がいいんじゃないかな」
「う」
それは想像するのもぞっとする話だった。
天蔵から何も売ってもらえなくなったら、どうする?
そうしたらそれこそ、こんな場所でどうやって生きていくんだ?
律歌は肌寒さを感じリュックサックからカーディガンを取り出して羽織った。
「天蔵に目をつけられるようなことは……避けた方が無難だ」
カスタマーサービスの担当者は物腰低い丁寧な接客だったが、こちらは客であるどころか、よく考えたら対等でさえない。高圧的な言葉こそ言われていないものの、冷静に考えたら一方的に助けられ生かされているのはこちらの方。
「触らぬ神に祟りなし」
北寺は畏怖したように素早くそう言うと、首をすくめた。
律歌は闇に溶け込み始めた山一帯を睨みつける。
強風にあおられて森がざわめいた。まるで山が啼いているようだった。風は木々の黒い狭間に向かって吹いていた。山は大きく呼吸をしながら、律歌達を呑み込もうと待っているようだった。北寺はそんな息吹から律歌を守るようにその前に立ちふさがり、「嫌な天気だね。降ってきそうだ。やっぱり戻ろう、りっか」と、言って律歌をもと来た方へ向かせる。長身の北寺の肩越しに、律歌は再度、高くそびえたつ山を睨みつけた。ごおっと風が吹いて、律歌のカーディガンをばたつかせる。北寺が「寒い、寒い」と言って、律歌を抱えるように背を丸める。そうして律歌の薄手のカーディガンを背中から手を回して押さえながら、ボタンを一つ一つ、上から順番に留めていった。律歌は風に逆らうように瞬きもせず沈黙したまま立っていた。
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