RAISE

sakaki

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四話

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―――RAISE第四話―――


■Let's go to school

学術院の入学式の日。
この日のために仕立てられた取って置きの余所行きの服に身をつつみ、これからの生活に胸を躍らせて校門の前に立って校舎を見上げた。
一緒に来た母親は同じく新入生の保護者と長いおしゃべりに興じていたので、退屈になって飛び出したのだ。
暫くぼんやりとしていると、不意に後ろから靴音が聞こえた。振り返って見ると、お人形さんが立っていた。
くるくるに巻かれた髪にリボンを付けて、フリフリの洋服にもまた大きなリボンが付いている。ガラス玉のように輝く大きな瞳と、上も下も瞬きするとパサパサと音がしそうなほど長い睫毛は、真っ白な顔の中でくっきりと目立っていた。
それは女の子たちがこぞって持ちたがる着せ替え人形にそっくりな、いや、それよりもずっと綺麗で愛らしい姿だった。
思わず見とれていると、お人形さんはその形の良い眉を思い切り顰めてピンク色の桜の花のような唇を歪ませた。
『じゃまだからボサッと立ってんなよ。お前みたいなのを“うどのたいぼく”って言うんだ』
『うぇ!?』
まさかの言い草に自分の耳を疑う。だが残念なことにそれは幻聴でもなんでもなく、可愛らしいお人形さんはこちらを睨みつけてスタスタと門をくぐって行った。

イール7歳、ミオン7歳。これが二人の初対面の瞬間である。

そしてそれから12年余り。

「おれそんなこと言ったっけ? ってか、会ったっけ?」
イールの解説にイマイチ納得がいかずミオンは首を傾げる。
「会ったよ! 言ったよ! オレ覚えてるもん!!」
イールは拳を握って力説している。
ミオンの記憶にある入学式の思い出といえば、母親にこれでもかというほど着飾らされた所為で何度も何度も色んな人に“可愛い女の子ね”と言われて不機嫌極まりなかったことくらいだ。
「まぁイールにしてみればなかなかの衝撃だっただろうから忘れられないよね」
二人の話を聞いていたグレイがクスクスと笑う。イールは“その通り!”と鼻息荒く同意している。
「ふん、覚えてないんだから仕方ないだろ。もう先行くぞ」
ミオンは眉を顰めてすたすたと歩き始めた。12年前と同じくイールを追い越して学術院の門をくぐる。

ミオンとイールに課せられた6つ目の依頼は『プロムの監修』
そのため卒業以来となるこの学術院へとやって来た訳だ。
ちなみにこの学術院のプロムは、単なるダンスパーティではない。男女ペアになることには変わりはないが、各々が自分の出来る最高のパフォーマンスを発揮する、いわば卒業制作を兼ねたようなものなのだ。
多くの場合、召喚術を使って精霊を呼び出したり、使い魔に芸をさせたり、魔法でデモンストレーションをしたりなどである。キングとクイーンに選ばれることは優秀な魔導士の証明にもなる。
ちなみに昨年卒業したミオンとイールだが、二人共誘う女子がおらず見学のみに終わった。情けないことだが。

「お待ちしておりました」
校舎の入り口の前に立っていた男女が、こちらに気付いて歩み寄って来る。
確か資料に書かれていたリヨンとアイリスという生徒だ。キングとクイーンに選ばれるのは十中八九彼らだろうと言われているらしい。逆に言えば、彼らが選ばれなければそれはミオンとイールの落ち度だとしか言いようがないわけだ。
「今期ナンバーワンのアイリス嬢とナンバーツーのリヨン氏だね。なるほど、二人とも良い魔力の色をしてる」
ミオンの後についてきたグレイが二人を見定めるようにして満足そうに頷く。
“魔力の色”とやらはミオンにはよく分からないが、なかなかの手練れであることは見て取れた。
「お、女の子・・・」
同じく後に続いてやって来たイールはアイリスを見るなりガチガチに緊張している。あらかじめ資料を見て知っていたはずなのになぜこうなるのか、ミオンとしては呆れずにはいられない。
「アイリスと申しまーす。現役のハンターさんに指導していただける何で光栄です」
アイリスは縦ロールになった髪の毛を指先で弄りながら甘えを含んだような声で言った。
短いスカートから覗く足はスラリと長く、化粧など施されていないであろうその顔は無垢ながら人を引き付ける魅力に満ちている。一般的に、男が放っておかないタイプの女の子だと言えるだろう。これでこの学術院でトップを張っているのだというから見かけによらない。
「リヨンです。まだまだ若輩者のため至らない点もあるとは思いますが、どうぞよろしくお願いします」
真っ直ぐに背筋を伸ばし、握手を求めてきたのはリヨンだ。
グレイほどではないがなかなかの長身で、その真面目そうな仕草や表情からは如何にも“優等生”という言葉が浮かぶ。細い身体からはおよそ強そうな印象は受けないが、それでも二番手ということはこちらも見かけによらず腕は立つのだろう。
プロムクイーンとキングの筆頭候補と言われるくらいなのだから、ミオンやイールとは違って肉弾戦ではなく魔法を駆使した戦い方をするのかもしれない。
そんな彼らに自分たちが果たして偉そうに教えることなどあるのだろうかと、ミオンは少し不安になった。

「さぁ、準備した部屋にご案内します」
アイリスがミオンの手を取って笑みを向ける。だがそれをリヨンが制止した。
「アイリス、まずは神父様のところにお連れしよう」
「えー、荷物を置いた後でもいいじゃない。三人ともお疲れでしょうし」
アイリスは不服そうに唇を尖らせるが、リヨンは頑として譲らない。放っておくと言い合いになりそうだったので、ミオンが口を挟んだ。
「いいよいいよ、先に挨拶に行こう」
「うん、オレら全然疲れてねーし」
イールもミオンに同意する。リヨンは明らかにホッとした顔をして、アイリスはそれならと体の向きを変えて進行方向を示した。
「ではこちらへどーぞ」
ウインクをして案内役を買って出る。リヨンも同じく道を手で示しながら歩き始めた。
ミオンとイールは大人しく彼らに続き、グレイもそれに倣って歩き出す。
「神父様か・・・」
溜息と共にポツリと呟いたグレイをミオンは振り返った。
「どうかしたのかよ?」
尋ねてみるが、案の定のニッコリ笑顔で“なんでもないよ”と誤魔化された。


■Beautiful clergyman

学術院校舎とは別の離れに小さな教会を模した建物がある。
そこは礼拝堂と神父の宿舎を兼ねており、ミサの時や懺悔室の利用する時、あとは生徒達が怪我をした時に回復魔法を求めてやってくる。

「俺らの頃はじーちゃんだったよな?   よぼよぼの」
当時を思い返しながらイールが尋ねる。昔から何をするにも危なっかしく生傷の絶えなかったイールは頻繁に神父様のお世話になっていたはずだ。さらにそれだけならまだしも、くだらない悪戯をしては教師を怒らせて懺悔室送りにされていたような覚えもある。神父様とはさぞかし顔なじみだったことだろう。
「ローラン神父はもう引退してるだろ。確かおれたちの卒業と同時に隠居するって言ってたはずだ」
ミオンもイールに倣って年老いた神父の顔を思いだそうと試みる。だがイールとは違って真面目な優等生を自負していたミオンにはそれほど関わる機会もなかったせいもあり、今となってはぼんやりとしか思い出せなかった。
「って事は新しい神父様かぁ。またよぼよぼじーさんかなぁ?」
後任の神父は一体どんな人物なのか、イールは早速好奇心に目を輝かせている。
ミオンにしてみれば気に留める必要のないような事であっても、イールは何かと面白みを見つけてはしゃぎ始める。こういうところは昔から全く変わりがない。いや、進歩がないと言うべきか。
「なんでよぼよぼかどうかを期待してんだよ、アホ」
ミオンは呆れ声で呟き、眉を顰めてイールを横目に見た。
「面白い方なのね、イール様って」
2人のやりとりに、アイリスが堪えきれないという風にクスクスと笑う。
「え?いや、あの、あはは」
上目遣いで見つめられれば、イールはたちまち真っ赤になってのぼせ上がった。
それは勿論アイリスの魅力によるところもあるのだろうが、一番の要因はイールの特殊とも言える女性への免疫のなさだろう。男兄弟で育った所為なのだと前に聞かされたことがあるが、それにしたってあんまりだ。
「デレデレするなよ、見っともない」
「べ、別にしてねぇし!」
嗜めるためにミオンが小突くとイールはムキになって言い返す。唾が飛んできたのでミオンはますます顔を顰めた。
それを見たアイリスはまた楽しそうに笑っている。
「残念ながら高齢の神父様ではありませんが、とても美しく聡明な素晴らしいお方ですよ」
見兼ねたリヨンが苦笑しながら神父の人物像を語ったところで、ようやく教会の前に辿り着いた。
「とても美しくて聡明な素晴らしいお方、か。それはそれは楽しみだね」
リヨンの言葉を捉えて溜息交じりに呟いたのは、四人よりも少し後ろを歩いていたグレイだ。
何処か嫌味を含んだような物言いにミオンとイールは“?”を浮かべたが、リヨンとアイリスは気に留める事もなく教会の扉に手を掛けた。
「こんにちは~」
「シア様、講師の方々がお着きになられました」
扉を開くなり、アイリスは愛想良く手を振って見せ、リヨンは深々と頭を下げる。“講師“という耳慣れない言葉にミオンとイールはこそばゆい心地がした。
「中へどうぞ」
神父らしき声に促され、2人が中に入ったのに続いてミオン達も教会の中へ歩み入った。
「皆様、こちらがシアソフィー神父です」
リヨンが弾みのある声で部屋の奥の人物を示す。何処か恍惚とした表情にも見えるのは、神父への敬愛によるものだろうか。

(若・・・)
まずミオンは驚いた。
それはイールも同じのようで、“全然じーちゃんじゃない“などと声なき声で呟いている。ミオン達の想像していた神父像とはあまりにもかけ離れていたのだ。
「御三方、長旅ご苦労様でした」
シアソフィー神父は恭しく頭を下げてから、ゆっくりとした足取りでこちらに向かって歩き始めた。
三つ編みにしてある金糸の髪は腰よりも長く、歩みを進める度に揺れてキラキラと輝いている。
「短い間ですがどうぞよろしく。私のことは気軽にシアとお呼びくださいね」
ミオンの目の前までやって来て、にっこり笑顔とともに握手を求めて手を差し出した。
(緑色だ・・・)
翡翠のような瞳に思わず見惚れる。鳥肌の立つほどの美貌だ。
握った手は争いなどとは全くの無縁だというようにか細く、少しでも力を込めれば折れてしまいそうだ。普段女性に間違えられてばかりのミオンもかなり華奢な部類ではあるが、シアはそれ以上に線が細い。
「なんか、魂抜かれるかと思った・・・」
ミオンに次いでシアと握手を交わしたイールが緊張した面持ちで自分の胸元を抑えながらため息と共に呟く。いつもならば“何を馬鹿なことを“とでも呆れて見せるところだが、今回はミオンにもわかるような気がした。それほどまでに現実離れした美しさなのだ。
「この度は私共学術院にギルドのお力添えを賜り、心より感謝いたします」
最後にと、シアがグレイに向かって祈るような仕草をする。グレイに、というよりもギルドの代表者に、と言った方がいいかもしれない。
「・・・天使に見まごうばかりの見目麗しい神父様がいらっしゃるとの噂を耳にしていたが、君の事だったか。シア」
グレイはふっと微笑んでシアを見つめ返す。
てっきりいつもの慇懃無礼な態度で返答するのかと思っていたミオンとイールは少しばかり意外に感じた。
「それはそれは、期待を裏切ってしまったようで申し訳ないな。グレイ」
シアもやんわりと微笑んで、負けじと言葉を返す。先程までとは違った聊か砕けた口調に、ミオンとイールだけでなくアイリスとリヨンも驚いた顔をしている。
「ひょっとして知り合い、とか?」
真っ先に尋ねたのはイールだ。
「単なる同級生だよ」
グレイがあっさりと答える。
「噂では聞いていたけど、まさか本当にグレイが評定員をしているなんて思わなかったな」
シアは戸惑いがちに言い、苦笑を浮かべた。
「俺も、まさかこんな所で君に会うことになるとは思わなかったよ」
グレイは肩を竦めて溜息を漏らすと、さっさと背を向けて教会を出て行ってしまう。理事長に挨拶をしに行くからと理由付けてはいたが、この場から逃げ出したようにしか見えない。
(・・・なんか・・・これは・・・)
2人の空気感にミオンは戸惑う。
旧友との再会にしては妙にぎこちなく、2人ともあまり目を合わせようとしなかったのは気のせいではないだろう。
「仲悪いのかな・・・もしかして」
「あぁ・・・かもな」
ヒソヒソ声で尋ねるイールに、ミオンも素直に同意した。



■first meeting

プロム本番までの間寝泊まりさせてもらう学生宿舎に案内された後、夕食を取るべく全員で食堂へやって来た。
楽しく食事をして親睦を深める、というのも勿論目的ではあるが、実際はファーストミーティングも兼ねている。
何せ本番までは僅か一週間。ミオン達にゆっくりしている暇はないのだ。

「会場を花びらでいっぱいにするつもりなの」
プロムで行うパフォーマンスについて、アイリスは瞳を輝かせて語った。
「僕たちは召喚術を得意としているので、花の精霊と春風の精霊とを呼び出して花吹雪のようなものを起こせないかと考えているんです」
アイリスに補足するようにリヨンが説明する。
「召喚術が得意なんてすげぇなぁ。オレなんて実技テストいっつも赤点だったのに」
3人分の定食を平らげたイールが感心仕切りという風に言った。食べ終えた食器を戻しに行っていたのだとばかり思っていたが、その手には更に次の2人分の定食が抱えられている。もしや食堂の定食メニューを制覇するつもりなのだろうか。
「けど、召喚術なら準備が必要だろ?  会場の床に魔法陣なんて書かせてもらえるの?」
ミオンは怪訝そうな顔をして問いかける。別に文句があってそんな顔になっている訳ではない。単に焼き魚の骨が歯に挟まって心地が悪いだけだ。
ちなみにミオンはイールのように赤点を取ることは無いが、魔法の実技テストはかなり苦手だった。召喚術についてもテストの2週間前から何度も何度も繰り返し特訓したものだ。
「・・・実はそこが問題なの」
ミオンの問いを受け、アイリスが肩を竦めた。
「魔法陣を書く許可は得られなくて、何か他の方法を取るしかないのですが・・・」
リヨンもまた思い詰めたような表情で深いため息をつく。
「床に書けないのなら他のものに魔法陣を書くか、別の召喚魔法を使うかのいずれかだろうけど、難易度は高くなるね。精霊召喚がそれ程難しい魔法で無いと言われるのは、あくまで固定された場所に魔法陣を準備するからこそ、だ」
アイリスとリヨン双方の苦慮する理由を代弁するようにグレイが解説を加える。食後のコーヒーを一口飲み、その後すぐに何処からともなく別のコーヒーを出現させて優雅な仕草で口に運んだ。どうやら食堂のインスタントコーヒーではお気に召さなかったようだ。
「そうなの。ドレスに書いたらどうかと思って布で試してみたけど、結果は失敗」
「魔法陣が歪んでしまったことで精霊ではなく魔獣を呼び出してしまう所でした」
アイリスにリヨンが深々とため息を漏らす。
確かに、万が一本番で魔獣を召喚してしまうような事が大惨事だろう。如何にその場にいる全員が魔法を学んでいる精鋭達だったとしても、経験不足の生徒達ではどうなることか分からない。
「そういうことを見越しての“監修“だから、もしもの時は君達の出番ということだね」
食べ散らかしているイールの口元を拭いてやりながら、グレイが事もなげに言う。
「そんなもしもの事態なんで起きない方がいいに決まってるだろ」
ミオンはグレイを睨みながらパスタの最後の一口を頬張った。
「じゃあ、魔法陣以外の召喚術ってヤツか?」
本日5杯目となる味噌汁を飲み終えたイールが尋ねる。そうこうしている間にもグレイがテキパキと空になった皿やトレーを重ねて片付けをしている。もはや毎日のことなのでツッコミも入れないが、どう見ても保育園児と先生、もしくは子供と保護者だ。
「それも実はお手上げなのよね」
アイリスが再び肩を竦めた。
「長時間の詠唱が必要なものを試してみたのです」
実際には一時間以上ずっと唱え続けなければならないためこれも現実的な方法ではないが、と前置きをした上でリヨンが続く。
「僕らでは魔力が足りず、召喚には至りませんでした」
渋い顔をして、ガックリと項垂れた。
「まだまだ模索が必要ということだね」
グレイがにっこりと微笑む。この男のこういう時の笑顔は、優しさというよりもこちらが困っているのを楽しんでいるような、サディズム溢れるもののように感じてしまうのは、ミオンが歪んだ目で見ているせいだろうか。
「何か良い方法ないのかしら・・・。あ、シア様~」
暫し皿の上のブロッコリーを弄りながら思い悩むような顔をしていたアイリスは、視線の先にシアを見つけるなりパッと明るい眼差しに一転した。大きく手を振り、こちらへ来るようにと促している。
「私はお邪魔なんじゃないかな・・・?」
シアは一応歩み寄っては来たものの、少し困惑したような顔で他の面々の様子を伺う。
とはいえリヨンは大歓迎という風貌だし、ミオンやイールもシアと食卓を共にすることに異論はない。シアが気にしているのはお手製コーヒーを嗜んでいるこの男だけだろう。
「そちらへどうぞ、神父様」
グレイは手を触れないままで自分の目の前の席の椅子を引き、シアに座るようにと促す。その様子にミオンとイールは胸を撫で下ろし、シアは変わらぬ困惑顔で言われるままに席についた。シアの持って来たトレイにはライ麦パンが一つとサラダ、あとはコーヒーがのっているだけだった。細い見た目そのままに、シアは少食らしい。
「早速プロムの打ち合わせをしていたのかい?」
パンを一口大に千切りながら、シアが微笑みかける。
真っ先にうなづいて見せたのはアイリスだった。
「なかなか良い方法がないものだって嘆いていたところなのよ。シア様の頃はどんな出し物をしたの?」
眉を顰めてお手上げのポーズを取って見たかと思えば、すぐに好奇心に満ちた瞳をキラキラと輝かせる。表情のくるくると変わるアイリスはやはり魅力的な女の子だ。
「参考にならなくて申し訳ないけど、私はプロムには出なかったんだ。ペアを組んでくれる相手がいなくてね」
シアは悪戯っぽく微笑む。自分達との意外な共通点に、ミオンとイールは少しばかり嬉しくなって顔を見合わせた。だが、実際のところはミオン達とは事情が違っていたらしい。グレイがすぐに補足した。
「みんな引き立て役になりたくなかったんだよ。シアと並べば、どんなに着飾ったとしても女の子の方が見劣りするからね」
ミオンもイールも、それには確かにと納得せざるを得ない。
「そういうグレイはどうだったんだ?   」
デザートのプリンを一口で飲み終えたイールが問い掛ける。今も昔も自他共に認めるモテっぷりのグレイだ。プロムのペアを組みたがる女子生徒など、群がるように居たことだろう。
だがグレイは意外にも首を横に振った。
「俺もプロムには出てないんだ」
これにはアイリスもリヨンも驚いている。
「そ、それはなんでなんだ?  」
またいつぞやの女難ぶりが影響しているのだろうかと、聊かハラハラしながらミオンが訳を問う。
グレイはふっと微笑み、残り一口だったコーヒーを飲み干してから答えた。
「プロムよりも大切な用があったから、かな」
わざと含みを持たせた言い方をして、そうかと思えばテキパキと片付けをして立ち上がる。
「じゃあお先に」
ヒラヒラと手を振って立ち去ってしまう。
「くっそー、妙に気になるような言い方しやがって」
「いつものことだろ、気にするだけ損だ」
地団駄を踏むイールに、ミオンはグレイの後ろ姿を睨みつけながら深々と溜息をつく。
「きっと恋人とのデートだったんだわ」
「プロムの夜に秘密の逢瀬という訳ですね」
アイリスとリヨンは様々なロマンチックな憶測をしては楽しそうに笑い合っている。
シアはそんな4人を苦笑交じりに見つめていた。


■bath time

ミオンとイールは図書館にいた。
召喚術についての資料を集めるためだ。当然リヨンやアイリスだってとっくに調べ尽くしてはいるのだろうが、監修をするという以上はミオン達だってできる限りの事はしたい。
とはいえ、こういった頭脳労働は専門外であるイールは専ら本の出し入れ持ち運びを手伝うのみ。実質的にはミオンの頑張りにかかっている。もはや首席卒業の意地だという気構えで、血走った目で資料を読み込んだ。
「お二人共、お疲れ様です」
入り口のところで礼儀正しく頭を下げてから、リヨンが歩み寄ってきた。鍵を持っていることから、そろそろ閉館時間なのだろう。
ひとまず数冊を貸し出しをさせてもらうことにして、リヨンにも手伝って貰いながら自室へと本を運んだ。

「宜しければ、大浴場にご案内致しましょう。グレイ様も先に向かわれましたし」
リヨンの申し出に、ミオンもイールも勿論賛成した。自分達が通っていた頃にも利用していた学術院自慢の大浴場が再び利用出来るのは素直に嬉しい。それも当時は学年によって利用出来る時間が決まっていたこともあり、とてもじゃないがゆっくり堪能することなどできなかったのだ。けれど今は、生徒達とは時間をずらしての入浴のため、少人数で広々と好きなように使えるのだ。当時から考えればまさに夢のような状況だ。
「もしかすると教職員くらいはいるかもしれませんが・・・」
本来ならば貸切にすべきところなのに、とリヨンが申し訳なさそうに言う。そんな気遣いにミオンもイールも逆に恐縮しつつ、全く気にするなと背中を叩いた。
「ふわ~、やっぱ広いな~」
脱衣場に入るなり、イールが感嘆の声を漏らす。
記憶にあるのはすし詰め状態でひしめき合って服の脱ぎ着をしていた光景なのだ。こんなにも広かったのだと実感したのは初めてかもしれない。
「こりゃ風呂も楽しみだな、ミオン」
「まぁな」
言いながら我先にと服を脱ぎ始めるイールに苦笑しつつも、ミオンも素直に同意した。
イールとは違って一枚一枚を畳みながら脱いでいく。てっきりリヨンも隣で脱いでいるだろうと思ったのだが、斜め下を見たままで硬直しているようだった。
「どうかしたのか?」
既にタオル一枚になっているイールが尋ねる。
ミオンがリヨンの視線の先を辿ると誰かの衣服が畳まれて入っている籠があった。どうやら先客がいたらしい。
「あ、あ、あの、僕は、やっぱり風呂は遠慮さし、させていただだ、いただきます」
「「はぁ?」」
リヨンの明らかな動揺ぶりに驚かされる。リヨンは普段の冷静沈着な様子が嘘のように、真っ赤な顔をしてぎこちない動作で逃げて行った。右手と右足が同時に出ているし、おもちゃの兵隊が壊れたような歩き方だ。
「どうしたんだろうな、アイツ」
「さぁ・・・」
2人して首を傾げながらも大浴場への扉を開ける。そしてすぐに、リヨンの動揺の理由に気付いた。
「やぁ、2人とも」
ただっ広い湯船に一人、佇むようにしてシアがこちらへ手を振っている。
(・・・そりゃあんな顔になるよな)
リヨンの赤面ぷりを思い返し、密かになるほどと頷くミオン。
隣にいるイールも今にも鼻血を吹き出しそうな顔をしているし、かく言うミオンも何だかどきまぎしてしまって直視出来ない。
「シアってマジでおんなじ男だと思えねぇんだけど・・・」
イールが視線を泳がせながら呟く。ミオンも全くの同意見だった。

「グレイが先に来てるって言ってたんだけど、居ねーんだな」
シアに促されたため緊張しながらも湯船に浸かり、未だにキョロキョロと視線が定まらないでいたイールは誤魔化すように言った。
ミオンも言われてみればそうだと辺りを見回してみる。そんな2人の様子を見ながら、シアは申し訳なさそうに苦笑した。
「きっと私がいることに気付いて引き返したんだろう。嫌われたものだな」
溜息を漏らし、細い指先で湯船に浮かぶ髪の先を弄る。
物憂げな仕草には妙な艶っぽさが感じられ、ミオンとイールはまたもやドギマギさせられてしまった。
「な、なんで、2人はそんなに仲悪いんだ?」
「おい、そんなことはっきり聞くなよ」
突如思い切ったことを尋ね始めたイールにミオンは焦る。なんてデリカシーがないのだと呆れたが、シアはさほど気に留める様子もなく再び苦笑を浮かべながら答えた。
「大喧嘩したんだ。もうずいぶん昔のことだけどね」
「大喧嘩・・・」
目の前のシアにも、いつも温厚な笑顔を浮かべているグレイにも随分と不似合いな言葉だと思った。
当然その理由が気になったが、流石にそこまで踏み込むことは出来ない。遠慮のないイールもそれは同じようだった。
「そんなことより、プロムの件は何かいいアイデアは浮かんだ?」
シアがやんわりと微笑んで話を逸らす。
少しのぼせてしまったのか、お湯から出て浴槽の端に腰掛けた。長い髪が濡れた身体に纏わり付いている。
「図書館で色々調べてみたんだけど、なかなか・・・」
イールがシアから視線を逸らしながら答える。いや、どうやら視線を逸らしている訳ではなく、鼻血が出ているのを誤魔化すために上を向いたようだ。
「お前は調べたんじゃなくて荷物運び手伝っただけだろ」
ぼやくように言って、持っていたタオルをイールの顔に投げ付ける。これで鼻を押さえるようにとジェスチャーで伝えた。
「だってオレが本読んだってどうせ分かんねぇんだもん」
イールは首の後ろを叩きながら不服そうに呟いた。タオルのせいで聞き取りづらい。
「まぁまぁ、お互いが出来ることを分担してやるのは能率的でとても良い事だと思うよ」
シアがフォローするように言い、長い髪を器用にひとまとめにしてから立ち上がった。
「プロムまでまだ少し時間はあるし、2人とも頑張ってね」
花のような笑みを浮かべて立ち去る。去り際に見えたシアの背中の紋様にミオンは大きく目を見開いた。
「サクファスの花だ」
声にならない声で呟く。
言いようのない興奮に、ミオンは全身に鳥肌が立った。
「何だよそれ?」
ミオンの様子にイールは首を傾げる。だがミオンはそれを無視して、シアの去った扉の方をずっと見つめ続けていた。


■The chosen one


ミオンとイールが自室に戻ると、そこには寛いだ様子のグレイがいた。いつもながらグレイだけは部屋は別なのに一体何をしているのかと聞きたいところではあったが、今はそれより何より確かめたいことがあった。
自分の鞄の中を探り出す間も惜しいので、一気にひっくり返して中身をぶちまける。どちらかといえば几帳面なミオンがそんなことをするのは実に珍しいため、イールもグレイも一体何事かと寄って来た。
「やっぱりこれだ・・・」
小さめではあるがかなり分厚さのある本を乱雑にめくり、目的のページを見つけてうわ言のように呟く。改めて挿絵を見て、手が震えた。
「あ、これシアの背中にあったやつだ」
ミオンの手元を覗き込んでいたイールが合点がいったという風に顔を上げる。
ミオンはゆっくりと頷き、鼻息荒くグレイに向き直った。
「シアさんの背中の紋様、あれって本物のサクファスの花だよな!?」
「だーかーらー、サクファスの花ってなんなんだよー?」
イールが剥れながら問いかける。大浴場にいた時から何度も同じ質問をしているのにミオンが答えてくれないのが不服らしい。
「教科書にだって載ってただろ!?   なんで知らないんだよバカ!!」
鬱陶しくなり、力一杯持っていた本をイールの顔に投げつける。自分で読んで理解しろ、という意味だ。
「いってぇなぁ・・・ミオンはすぐ殴る」
鼻を摩りながらボヤきつつ、それでも素直に示された説明書きに目を通す。
「あ、サクファスの花って“選ばれし者の証“のことか」
学術院時代の授業内容などほとんど覚えて居ないであろうイールだが、流石にこれは少し読んだだけで思い出すことができたようだ。
「魔力の強さだけでなく、知性と教養、人格に至るまで全てにおいて優れていると判断され、コマンドに仕える事を許される。そしてその証は選ばれし者の背に花の紋章を映し出す。なぁ、シアさんは選ばれし者ってことだろ?  どうせお前なら知ってんだろ!」
本に書かれている通りに読み上げて、グレイを問い詰める。
一説では実在しないとすら言われているサクファスの花を目の当たりにして、ミオンの知的好奇心は膨大に膨らんでいた。
「実際はそこに“絶対的美貌“っていうのも入るんだろうけどね。まぁ、ミオンの言う通りだよ」
気怠そうに脚を組み換えてからようやくグレイが頷く。確信が得られ、ミオンの興奮はより一層高まった。
「本物のサクファスの花を見られるなんて思わなかった!  選ばれし者がこんなに近くにいたなんて、すごいことじゃないか!」
鼻息荒く身振り手振りでグレイとイールに熱弁する。
イールはミオンにつられて感動している様子だが、グレイはさしたる反応もなく黙ったままだ。
「シアってそんなにすごかったんだなぁ・・・」
イールがポツリと呟く。シアをよく思っていないのであろうグレイの前で、どこまでリアクションを取っていいのか推し量っているようにも見える。普段あまり空気の読めないイールにしてはなかなかの気遣いだ。
だが逆に、普段しっかり者のミオンは興奮で我を忘れていた。
「なぁグレイ!  シアさんってやっぱり優秀だったのか?  ああ見えて強いんだろう?」
掴みかからんばかりの勢いでグレイに問う。学術院での生活を共にしていたグレイならシアの実力を目の当たりにしているはず、そう考えたのだ。
「あぁ。彼はとても優秀だったよ」
ミオンの様子に苦笑しながら、グレイはようやく口を開いた。けれどすぐに目を伏せ、何処か苦々しくも感じられる口調で言った。
「選ばれたのがなぜシアなのかと、とても口惜しく思ったけどね」
「・・・え・・」
ミオンもイールも戸惑いを覚える。
グレイがすぐにいつもの笑顔に変わったので、聞き間違いかと思った程だ。
グレイはシアがサクファスの花を賜ったことを疎んじているのだろうか?  
いつも全てにおいて完璧なこの男でも、そんな風に思うことがあるのかと、ミオンは少し意外に思った。
(もしかして、シアさんが言ってた喧嘩の理由って、サクファスの花が原因なのか・・・?)
にこやかに本を片付けているグレイを探るように見つめる。相変わらずの余裕顔を決め込んでいるその様子からは何も読み取ることが出来なかった。
「ってか、何やってんだよ?」
今一度グレイの手元を見てハッとする。
グレイがせっせと部屋の隅に片付けているのは、ミオンとイールが図書館から借り出してきた資料達ではないか。
「これから読むのに何で片してんだよ」
イールも不服そうに言ってグレイから本を取り上げようとする。これから読むのはミオンの方なのだが、今はとりあえずつっこまないでおく。
「これ全部目を通して見たけど、役に立ちそうなものはなかったよ。代わりに探して来たのがあるから、読むならこっちの方がいい」
グレイはさも当然のように言って、何処からともなく2冊の本を取り出した。
「これ全部、もう読んだのか?」
「オレ達が風呂に行ってる間に?」
差し出された本をそれぞれに受け取りながら、ミオンとイールは唖然とした。
全部読み込むために徹夜すら覚悟していたほどの量なのだ。それをものの30分足らずで既に読み終えたというのか。
「俺に不可能はないんだよ」
グレイは煌びやかな笑顔を浮かべる。
そしておもむろに腰を上げると、定例報告の時間だからとお決まりの理由を付けて部屋を出て行った。渡した本をしっかり読み込んでおくようにと言い残して。
「何の本なんだろーな?」
今までグレイのいた場所に今度はイールが腰かけて、難しい顔をして本と睨めっこをする。
ミオンもそれにに倣ってまずは表紙を眺めた。
「増強魔法・・・?」
「こっちもだ。召喚術について調べるんじゃないのか・・・?」
イールもミオンも不可解な表情を浮かべ、互いの顔を見合わせる。
けれど何だかんだと言いながら甘やかし主義のグレイのことだ、きっと無駄なヒントは出さないに違いない。そう思い、二人は肩を並べて本を熟読することに決めた。



■Shall We Dance?


カツカツカツ
赤いハイヒールが鳴る。新品なのか、エナメルの生地が周りの景色を映さんばかりに光っている。
こんな踵の高い靴、よくもまともに立っていられるものだと思わず感心してしまうが、本人は至って問題なしという風にスムーズな歩みでやって来た。
コツコツコツ
赤いハイヒールに続くのは、こちらもおろしたてのようで、まだまだ硬い革が窮屈そうな黒い革靴だ。
「お待たせしました」
革靴の音がミオン達の前で止まる。
「御指導よろしくお願いします」
リヨンは礼儀正しく腰を折った。
「一応本番用の靴で来たわよ。これで良いの?」
アイリスは片足を上げて自身の赤い靴を示すようにして尋ねる。

アイリスとリヨンに、プロム本番で履く予定の靴を履いて来るようにと言っておいたのはミオンだ。
シアに頼んで教会の一室を借り、これからプロムに向けての特訓をするのだ。
単なる練習ならば、なにも本番と同じ靴でなくても良いのではないかとも思ったが、少しでも失敗のリスクを減らすためにも本番と同じ条件にした方がいいだろうとグレイに助言された。何せ本番まで時間がないのだ。

「今からこれを練習をする」
魔道書を開き、リヨンとアイリスに示す。この魔道書を夜通し読み込んだせいでミオンの目の下にはクマがくっきりと出ている。
「ルーンステップね。でも、練習するのは召喚魔法じゃないの?」
アイリスが顎に手をやり、値踏みするような視線で魔道書を見やった。
疑問に思ったのはリヨンもまた同じようで、目を細めて念入りに本の文字を追っている。

ルーンステップとは、足運びや歩幅、足音のリズムなどによって魔法を使う一つの手法だ。
グレイのように何もせずとも手品の如く魔法を操る方法もあるようだが、そんなものは例外中の例外。魔法を使うには形式が必要とされる。
魔法使いや魔道士と呼ばれる者たちの多くは呪文や魔法陣を用いるが、中にはそれらとルーンステップとを組み合わせて使う者もいる。
ミオン達が目を付けたのはそこだ。

「召喚魔法は魔法陣を使ってやる。魔法陣を書く場所はここだ」
ミオンが自分の掌を示して言う。
「とっても小さな魔法陣になるじゃない。それじゃあ下級精霊だって呼び出せないわ」
アイリスが眉を八の字にして肩を竦めた。なんでも以前に試して失敗に終わったことがあるのだと言う。
「勿論こんな小さな魔法陣じゃ魔力が足りない。だから増幅魔法と組み合わせるんだ」
ミオンは再び本のページを示した。
リヨンが顎に手をやり、合点がいったと言う風に頷く。
「それでルーンステップと言うわけですね。ステップさえ身体に叩き込んでおけば、召喚魔法の方に意識も集中できる。素晴らしいアイデアです」
「あぁ、まぁな・・・」
素直に褒められると若干バツの悪いような心地がする。何せ自分たちだけで考えついたことではないのだ。グレイに多大なヒントを与えられなければ何一つとして思い浮かばなかった。
「じゃあまずはおれたちが見本を見せるから」
イールに目配せをして横並びになる。そして“せーの“の掛け声から、規則性のある足運びを始めた。・・・が、
「ちょっと待って。これって二人で組んでワルツを踊るようにはできないかしら?  プロムはダンスパーティーだもの。せっかくドレスアップするのに、こんなにバタバタとは動けないわ」
アイリスからそんな物言いがついた。
「えぇ!?」
「えーっと、あの・・・」
一夜漬けでステップを覚える事で精一杯だったイールとミオンは戸惑う。
「とりあえず、組んでやってみるか?」
おずおずと手を差し伸べて、そんな提案をしたのはイールだ。
何が悲しくて男同士で社交ダンスをしなければならないのか・・・そうも思ったが、アイリスとリヨンと期待に満ちた目を見ると、こんなところでゴネるわけにもいかない。
「じ、じゃあおれがステップ逆に向きするから、お前は練習の通りやれよ」
イールと組んで、自分が女の子役に回る。不本意だが身長差もあるし、そうすることの方が自然だ。
「なんなら音源もあるよ」
楽しそうに目を細め、グレイが何処からともなくオーディオセットを取り出す。スイッチを押せば、実に優雅なワルツが流れ始めた。
「「せーのっ」」
ミオンとイールは互いの足元を見ながら掛け声をかけた。頭と身体にに叩き込んだステップを黙々とこなしていく。
・・・が、
「なんか、ダンスって感じじゃないわね」
必死に足を動かす2人を見て、アイリスが笑顔を引きつらせる。
「ぎこちない組手のようですね」
リヨンも困ったような顔をしている。ミオンとイールはそんな2人の感想を聞き入れる余裕もなく尚も険しい顔でロボットのような動きを繰り返している。あと少しで終わりだ。

「やはりダンスにするには難しいのでしょうか?」
リヨンがグレイに尋ねる。
ミオンとイールはといえば、ようやく一曲が終わってぐったりと座り込んでいた。運動量がある動きではないのだが、慣れないことに集中力を使い過ぎて疲れたのだ。
「うーん・・・難しくはないと思うけどなぁ。この2人にリズム感が無いだけさ。それも壊滅的にね」
グレイはまた楽しそうに笑う。
「「悪かったな!!」」
努力の結果を笑い飛ばされたミオンとイールはの声を揃えて怒鳴った。
「神父様、お手伝い願えますか?」
2人の怒号に素知らぬ顔をしながら、グレイは部屋の隅で見学していたシアに歩み寄る。
話を振られるとは思っていなかったシアはひどくキョトンとした顔をしている。
「増幅魔法・・・カルディーヌのルーンステップは知っているだろう?」
グレイが尋ね、ゆっくりと手を差し伸べる。
「あぁ・・・実践したことはないが」
シアは戸惑いながらも頷いた。差し出された手とグレイとを交互に見つめる。
「それで十分だ」
グレイは満足そうに言うと、少しばかり強引にシアの手を取り、部屋の中央までいざなった。そしてミオンとイールがしたような、ホールドの姿勢になる。
「曲をかけてもらえるかな」
「あ、は、はい」
指示されたリヨンが困惑しながらもスイッチを入れると、先ほどと同じワルツが流れた。
ただただ困惑していたシアも覚悟を決めたのか、小さな溜息をついてからスッと背筋を伸ばした。
間も無くして、掛け声もなしに2人はゆったりと動き出す。
足元を見れば確かに少しも違うことなくルーンステップを踏んでいる。けれどその足運びは優雅なもので、何よりワルツのメロディに合っていた。
「素敵・・・」
思わず、という風にアイリスが呟く。リヨンは黙っているが、シアに見惚れているのは明らかだった。
触れ合う指先も動きに合わせて揺れる髪にさえ隙がないように見える。まるでそこだけが切り取られた異世界のように、神々しく麗しい、けれど穏やかなゆったりとした時間が流れた。

「なんか・・・オレらと全然違うな」
イールが照れ臭そうに笑う。こんな見事なダンスを見せつけられれば、自分達の実力不足とセンスのなさを認めざるをえないだろう。
「すごいわ!私たちもこんな風にできるように頑張りましょう!!」
アイリスが感動しきりにリヨンの手を握る。
「早速特訓しましょう!」
夢見心地のようになっていたリヨンもハッとしてアイリスに向き直った。

「オレらの徹夜の努力って、もしかして無駄だった・・・?」
イールがポツリと呟く。ヘラヘラと笑っているが、落胆は明らかだ。
「いつものことだろ・・・」
ミオンは苦々しく吐き捨てた。ミオンとイールが必死に頑張らなければ出来ないことを、いとも簡単にやってのけるのがグレイなのだ。
(だからアイツ嫌いだ)
非難を込めて睨んで見たが、グレイはいつものことごとくニッコリ笑って手を振ってきた。



◼Divine   beauty

一先ず1日目の練習を終えた四人は、夕食を取るため食堂へ来ていた。
シアは食事の前に風呂に向かうからと同行を遠慮し、グレイに至っては練習の後半あたりから姿が見えなくなっていたのでこの場には居ない。
ちなみにメニューは全員カレーだ。イールが10人分の量はあるというチャレンジメニュー“びっくりカレー“を注文したせいで、香しい匂いに惹かれてしまった。言わずもがなイール以外は通常メニューのカレーだが。

「やっぱ2人ともやるよな。あっという間にものにしてんじゃん」
ルーと米とをぐちゃぐちゃに混ぜながら、イールがアイリスとリヨンを賛美する。チャレンジメニューはスプーンも特別製らしく、おたまくらいの大きさだ。食べ辛そうに見えるが、イールは全く意に介さずにパクりと口に運んだ。
「お二人の教え方が上手だからよ。とっても分かり易いわ。ねぇ?」
アイリスがウインクして見せ、リヨンにも同意を求める。リヨンも深く頷いた。
「理論や構成なども教えていただけて本当に勉強になります。一夜漬けだったなんて信じられません」
「頭には叩き込んだからな。身体は思ってたようには動かないけど」
尊敬の眼差しを向けられ、ミオンは照れ臭さを誤魔化すために自虐する。とは言え、
「何せオレら“リズム感が壊滅的にない“から・・・イテッ」
イールに言われるのは腹が立つので思い切り足を踏んでやった。
「確かに、おれたちと違って2人はちゃんとダンスの形にもなってたよな」
イールが非難がましくこちらを睨んでいるのを見て見ぬ振りし、ミオンは改めてアイリスとリヨンを褒める。
リヨンは謙遜して首を振り、アイリスはほうっと溜息を洩らした。
「そりゃ、あんな凄いお手本見せられたら何がなんでもできるようになりたいって思うわよ」
“凄いお手本”とは、勿論ミオンとイールではなくシアとグレイのことだ。
「練習もなしに一発目でアレだもんなぁ・・・」
思い返しているのか、イールにしては珍しく食べる手を止めて思案する。
自分たちの努力が無に思えるのは悲しい事だが、二人のダンスが見惚れるほどに素晴らしかったのは認めざるを得ない事実だ。
ともあれグレイを褒め称えるのは癪に障るし、今更何をどれほど完璧にこなそうが驚きはしない。賞賛すべきは、咄嗟に振られたにもかかわらずグレイと同等に渡り合ったシアである。
「シアさんってやっぱり凄いんだな・・・」
流石は選ばれし者だと、ミオンは内心で沸き立った興奮に再び震えた。
「はい! シア様はとても素晴らしい方です!」
瞳を輝かせ、大仰にミオンに同意したのはリヨンだ。密かに困惑を覚えたが、リヨンはすっかり周りが見えなくなってしまったように、ありとあらゆる言葉でシアを賛美した。
昨夜の風呂での狼狽えぶりもそうだが、シアが絡むとリヨンは人が変わったようになる。普段大人しい彼がこんなにも鼻息荒くして熱弁を振るうなんてかなりの驚きだ。
「リヨンってホントにシアのこと好きなんだなぁ~」
イールがニヤニヤ笑いながら言う。からかい口調ではあるが、本気で感心しているようにも見えた。
「そ、そういう浮ついた感情ではありません。私はシア様を心より尊敬しているだけで・・・」
真っ赤な顔で視線を泳がせ、誤魔化すようにカレーをパクパクと口に押し込む。あまりに急ピッチに押し込んだので咽せて涙目になってしまった。
「と、とにかくシア様は尊いお方ですから! 私ごときが浅ましい想いを抱くなど許されないのです!」
呆れ顔のアイリスに渡された水を一気に飲み干し、リヨンは力強く言い放った。
「高嶺の花なのよね。何て言ってもシア様は“選ばれし者”だもの」
「!」
アイリスが溜息混じりに呟く。まさかそれが周知の事なのだとは思っていなかったミオンは驚いた。
「シア様がここにいられるのはサクファスの花が満開になって召し上げられるまでの限られた間だけ。そう聞かされているわ。寂しいわよね」
悲しげに瞳を揺らす。リヨンのような敬愛とは違うが、アイリスもまたシアを慕っているのだろう。
「高嶺の花って・・・まぁそうかもしんねーけどさ、告白くらいしてみりゃいいじゃん」
2人が暗い表情になってしまったことに焦ったのか、イールがわざとらしいほど明るい声を出す。
イールに肘でつつかれたリヨンは苦笑して首を振った。
「そんなおこがましい事は出来ません。それに・・・」
「絶対的不可侵条約があるのよね~」
今度はアイリスがからかうような口調で言った。
耳慣れない言葉になんだそれはと眉を顰めるミオンだったが、すぐにリヨンが解説してくれた。
「サクファスの花に選ばれし者は清廉を保たなければならない・・・そのため、万が一のことがないようにと、私たちはシア様に決して邪な感情を抱いてはならない決まりなのです」
生徒であっても教師であっても、何びとたりともサクファスの花を穢すような真似は許されない。そう忠告するためにも、シアが選ばれし者であるということを周知させているのだという。
「うぅ・・・切ないなー、リヨン」
イールがガックリと肩を落とす。リヨンは仕方のない事だからと達観しているようだが、深々とため息をついたのはアイリスの方だった。
「誰よりも切ないのはシア様よ」
「え?」
「シア?」
アイリスの意図するところが分からず、ミオンとイールは顔を見合わせる。鈍い男たちに呆れるように、アイリスはまた大きく息をついた。
「自由に恋も出来ないなんて、そんなの絶対辛いに決まってるわ」



シアは浴場から教会へと戻る途中だった。
生徒や教師たちと鉢合わせにならないようにして入浴するのは、実のところかなり気疲れする。
これから自室で髪を乾かしてその後で食堂に向かうのはなんだか面倒だ。夕食は抜いてしまおうか、そんな考えを巡らせていると、目の前から歩いてくるグレイに気付いた。
「やぁ、神父様。随分お早いバスタイムだね」
グレイが口元だけで笑う。紫色の瞳に正面から見据えられると、反射的に身構えてしまった。
「昨夜のように、わざわざ避けられるのも申し訳ないからな。時間をずらしたんだ」
嫌味を含んだ言い方になったことを少しばかり後悔しつつも、おとなしくグレイの反応を待つ。
グレイは一瞬だけ目を見開いて、それからそっと溜息を漏らした。
「バレてたか」
シアを避けたことを認める。誤魔化したり体裁を繕うことは得意なくせに・・・シアは眉を顰めてグレイを見つめた。
「まだ・・・許してはくれないのか?  」
真摯な問いに、グレイは目を伏せ、それからゆっくりと微笑んだ。
「意外と根に持つタイプなんだよ。君に“身の程知らずの愚か者”と罵られたことは決して忘れない」
肩を竦めて戯けたように言う。かつての自分の発した暴言に、シアは思わず赤面した。
「い、言い過ぎたのは謝る。だが、お前だって・・・」
大人げなく食い下がる。我ながら神父様と呼ばれる威厳など微塵もなくなっているだろうことに気付いたが、グレイのからかいを含んだ笑みを見ているとついつい昔の自分に戻ってしまっていた。

「なぁ、シア」
不意に穏やかな声で名を呼ばれる。
「教会の2階のバルコニー。あそこにあるのは君の部屋かい?」
咄嗟に身構えてしまったが、グレイの口から出たのはそんな問いだった。
「あ、あぁ。そうだ」
シアは困惑しながらも頷いた。突然思いがけないところに話が飛んだものだ。この男は昔から何を考えているのかなかなか掴めない。
グレイはまたも微笑む。真意を探ろうと見つめてみても、やはり何も読み取れなかった。
「実に素敵だ。まるで、ロミオとジュリエットの劇中に出てきた逢瀬場所のようで、ね」
そんなことを言い残し、グレイはシアの傍らを通り過ぎて行く。
「・・・?」
シアは首を傾げた。


■promenade

初日の練習から、アイリスとリヨンは日々着実にルーンステップを身に付けていった。加えてダンスとしての完成度も上がって行ったように見える。
形ができれば後は実際に魔力を乗せ、召喚術と組み合わせれば良いだけだ。
幾度となく本番さながらの練習を重ね、そして、あっという間に本番当日がやって来た。


オーガンジーを幾重にも重ねた裾広がりの見事なドレス。淡いピンク色に身を包んだその姿はさながら童話に出てくるお姫様だ。
「とてもお似合いです」
燕尾服姿のリヨンが感嘆の声を上げる。その隣にいたイールも口を開けたまま呆けて見惚れている。せっかく畏まった恰好をしているのにだらしない顔はいつものままだ。
「とっても可愛らしくて素敵だよ」
グレイもまた満足げに微笑む。彼も正装をしてはいるが、リヨンやイールのような礼服ではない。目立ちたくないのか裏方に徹するつもりのようで、以前料理を振る舞ってくれた時と同じくギャルソンエプロンまでつけている。
「でしょ? どこからどう見ても女の子だわ」
えっへん、と胸を張るのは赤いドレスのアイリスだ。ともすればピンクのドレスを着ている・・・否、着せられているのは、
「ぜんっぜん嬉しくない」
顔中に怒りマークを浮かべているミオンである。
アイリスに頼み込まれ、言いくるめられ、最後は半ば騙されるような形でこんな恰好をする羽目になった。
「近くに居なきゃフォローが出来ないんだ。仕方ないさ」
グレイが心底楽しんでいるような笑顔で囁く。ミオンは歯ぎしりをした。
そう、ミオンが嫌々ながらにドレスアップしているのは二人をバックアップするためなのだ。イールと共に二人と同じダンス・・・つまり増幅魔法のルーンステップを踏んで、召喚術を手助けするのだ。
「私達の未熟さの所為であなた方のお手を煩わせることになってしまって・・・」
リヨンが肩を落として不機嫌オーラ前回のミオンに詫びる。
練習中、何度試してみてもリヨンとアイリスだけで召喚魔法を成功させることは終ぞなかった。如何にルーンステップで増幅させたとしても、手のひらに描く小さな小さな魔法陣ではやはり魔力が足りなかったのだ。
けれど、もはや時間の無い中で他の方法を模索することもできず。
そこで出た苦肉の策が、魔力の要員を増やすこと。同じ場所で同じ条件でルーンステップを踏み、魔力を高める。そしてそれを二人に供給するのがミオンとイールの役割だ。
魔法を使う事は苦手なミオンとイールでもそのくらいの役には立てるのだと、グレイのアドバイスによって決まった。
「本当にすみません・・・」
「い、いいってもう・・・」
殊勝な態度を取られると流石に怒りを持続させるわけにもいかず、ミオンはバツの悪そうに頭を掻いた。
「面倒かけたからには成功させて見せるわ。絶対にプロムクイーンとキングになるんだから」
今度はアイリスがミオンの手を取って言う。自信満々の口調とは裏腹に、緊張のためか指先は冷たくなっていた。
「あんた達をキングとクイーンにするのが今回のおれ達の“仕事”なんだ。そのためならなんだってやってやるよ」
アイリスの手を力強く握り返し、不遜に言い放つ。身を隠すようにして曲げていた背を伸ばし、堂々と胸を張った。
「よっし、皆で頑張ろうな!」
イールが気合十分という風にミオンの手の上から握り込む。
「練習の成果を見せましょう」
リヨンもそっとイールの手の上に自身のそれを重ね、しっかりと頷いた。
「ファイト―、オー」
「なんで体育会系なんだよ!」
イールの先導にミオンがケチを付け、アイリスとリヨンは楽しそうな声を上げる。
「うーん・・・青春って感じだね」
グレイは少し呆れつつ、けれど何処か満足そうに笑った。


“なんだってやってやる”・・・そうは言ったが、ホールに立ってみると緊張が押し寄せてきた。
それはイールも、そして当人であるアイリスやリヨンも同じようで少しばかり強張った顔になっている。
壁際には見学に来たらしいシアが立っていた。いつもの神父服とは少し違う、礼拝の時のような恰好だ。優しく微笑みかけて、そっと手を振る。何処か間の抜けたようにも見えるその仕草に、肩の力が抜けた気がした。
グレイはシアとは反対側の壁際に居る。やけに忙しそうにしていると思ったら、女子生徒達が自分のペアをそっちのけでグレイと記念撮影をしようと列をなしているようだ。いつもとは違い少し引きつっているような営業スマイルに、“いい気味だ”などと思っていたらこれまた緊張はすっかり消え失せていた。

ゆったりとワルツが流れる。
イールと視線を酌み交わし、自然と微笑む。あとはもう、身体が勝手に動いていた。

四人のルーンステップによって魔力が高まる。
ターンをするタイミングでアイリスとミオンが入れ替わり、ミオンはリヨンの手を、イールはアイリスの手を取った。
タイミングを合わせ、アイリスとリヨンが魔法陣の書かれた手のひらを掲げる。
「花の精霊リアディーネ!」
「春風の精霊プルベーラ!」
名を呼べば、次の瞬間精霊たちの神々しい姿がそこに現れた。
会場中に満開の花々が咲き乱れ、心地よいそよ風が花びらを舞わせる。おとぎ話のような、ユートピアのような、現実離れした空間へと一瞬にして変わったのだ。
周りから歓声が上がる。
「大成功だな!」
「あぁ!」
ミオンとイールも思わず手を握り合った。
キングとクイーンの発表を待つまでもない。こんなにも優美で完璧な召喚魔法を見たのは、きっとここに居た全員が初めてのはずだ。
(mission clear、だろ!?)
ミオンは壁際に目をやる。
グレイのコマンドコールが気になったからだ。
(・・・あれ・・?)
だがそこにいたはずのグレイの姿はない。
彼を追い回していた女子生徒達は今はリヨンとアイリスに拍手喝采している。隙を見て逃げ出したのだろうか?
「ミオン、どしたんだ?」
会場を見回しているミオンを不審に思ったのか、イールが再びミオンの手を握った。
「あ、いや・・・グレイ・・・っていうかコマンドコールがどうなったかな、って」
グレイを探していたように思われては癪だと、わざわざ言い直しをしてみる。
「そんなのどうせ成功に決まってんだからいいじゃんか」
イールは笑い飛ばしてミオンの肩を叩いた。力任せに叩かれた所為でミオンは前に転びそうになった。
「痛いっつの、馬鹿力!」
「そう言うミオンも痛ぇよ!」
仕返し、とばかりにイールのふくらはぎを蹴る。イールは蹴られた足をさすり、けんけんをしながら抗議した。
「ホント面白い方たちね」
「えぇ、まったくです」
二人を見やり、アイリスとリヨンは声を上げて笑った。


■On that night

シアは濡れた髪を拭きながら自室へと戻った。
プロムが終わり、生徒達にせがまれるままに打ち上げまで付き合っていたらすっかり入浴時間を逃してしまい、結局生徒や教師たち全員が就寝する頃を見計らって大浴場に向かった。そうして戻ってこられたのがようやく今、草木も寝静まった頃という訳だ
贅沢を言える立場ではないが、やはり自室にもシャワーくらいつけておいてほしかったと今日ばかりは恨みがましく思った。
「ふぅ・・・」
ベッドに腰かけ、深い溜息を洩らす。
何だか今日は妙に疲れたような気がする。やはり緊張していたのだろうか。プロムの当事者ではないが、アイリスやリヨン、それにイールやミオンの努力を知っているからこそ、ハラハラして、ドキドキして、一喜一憂してしまった。
(大成功だったな。プロムも、きっと彼らの依頼も・・・)
手に手を取り合って喜んでいた四人の姿を思い出し、シアは顔を綻ばせる。目の前の目標に向かって無我夢中になれる彼らを少しばかり羨ましくも思った。

――――コツン。
不意に、窓の方で音がする。
――――コツン。
微かな音なので気のせいかとも思ったが、もう一度同じ音がした。空耳ではないし、風の音などとも違っている。
カーテンで閉ざされた窓の方を見やると、ふとあの男の言葉が思い出された。
『あそこにあるのは君の部屋かい? 』
考えの読めないグレイの笑み。
もしかして、と思い立つと途端に胸が騒いだ。恐る恐る窓際へ歩み寄り、カーテンの隙間から外の様子を伺う。
覗いてみると、案の定バルコニーに佇むグレイがゆったりと煙草を吹かしていた。闇に紛れた黒髪が月明かりに照らされている。
「やあ。月の綺麗な夜だね」
目線だけをこちらに写し、シアに語り掛ける。
「そこで何をしているんだ・・・?」
シアはカーテンを開き、呆れたようにグレイを見つめた。一体いつからそうしていたのか、何をしに来たのか、全く予想もつかない。どんな顔で彼に向き合っていればいいのかも分からなかった。
ともかく窓を開けようと、錠に手を伸ばす。けれど鍵を開けたところで、グレイがそれを制した。
「開けなくていい。このまま聞いてくれ」
笑みを消した何処か冷たくも感じる視線に射抜かれて、シアは所在なく手を下ろす。そして目の前の男の言うままに、ただ次の言葉を待った。
「シア、君の背中の呪いの進行状況はどうなってる?」
硬い声で問われ、シアは目を見開く。そして改めてグレイを睨んだ。
「いい加減、呪いなどという言い方はよせ。サクファスの花はとても名誉なことだと言ったはずだ」
思わず強い口調になってしまう。
何年か前にも、これと全く同じ言い合いをしたことがあった。最初で最後の大喧嘩だった。当時の情景が目の前に過り、胸の奥が熱くなる。
けれどグレイはあの時とは違い、顔色一つ変えず、ほんの少し眉を顰めただけだった。
「君と今更そんな価値観の違いを議論するつもりはない。爺さん達の監視が解かれるのは僅かな時間しかないんだ。質問に答えてくれ」
左腕のコマンドコールを示し、真摯な瞳でシアを見つめる。
シアは息を飲んだ。“監視”という言葉に聊かの怯えを感じ、それを取り払う様に一瞬だけ目を閉じる。
再び紫色の瞳と対峙し、掠れそうになる声で何とか言葉を紡いだ。
「八分咲き・・・くらいだ。おそらく、アイリスたちの卒業を待つことなく召されるだろうな・・・」
サクファスの花は、初めは蕾の形で出現し、その後だんだんと花が開いて行く。花が開き切れば、全てを捧げてコマンドに仕える身となり、俗世からも離れることとなる。
“名誉なこと”・・・そう言い切っておきながら、シアの指先は震えていた。そのことに気付き、思わず自嘲する。
「・・・シア」
グレイの手がほんの少し窓ガラスに触れ、それからまるで自重するように、すぐに下ろされた。
そして紫色の瞳は再び真っ直ぐにシアを捉えた。
「俺は、今回の仕事が終わったらコマンドになる」
「・・・な・・?」
グレイの言葉に耳を疑う。閉口しているシアを後目に、グレイは瞬きもせずに続けた。
「勿論単なる推測でもないし、爺さん達との口約束でもない。誓約書・・・ジファーズの印も押させた。紛れもない決定事項だ」
形の良い唇が弧を描き、ゆっくりと紫煙を吐き出す。
不敵な笑みを湛えたグレイの瞳は、まだ粗く削られただけの鉱石のように鈍く光っているように見えた。
「言っただろ? 俺は根に持つタイプだから、ちゃんと覚えてるんだ。あの時君に言われた言葉も、俺自身が言った言葉も、決して忘れはしない」
また一瞬にして、あの時の記憶がフラッシュバックする。グレイの言った言葉も、はっきりと脳裏に焼き付いていた。
「お前は何を考えてるんだっ!? 」
堪らず怒鳴り、力任せに窓を開ける。掴み掛ってやりたかったが、グレイの姿はもはやそこにはなかった。一瞬にして姿を消したのだ。
グレイの吸っていた煙草だけが、火が付いたままでその場に落ちている。彼らしからぬことだ。
「グレイ・・・」
冷たい夜の空気に、煙草の匂いが漂っている。昔と同じ、懐かしい香りだ。昼間会った時には煙草の匂いなど微塵もさせていなかったくせに。
「馬鹿者・・・」
煙草を拾おうとして、そのまま力なく膝をつく。
いつの間にか視界は涙で歪んでいた。


■Time left

プロム翌朝。
今回の依頼はクリアだったという報告と共に、早くも次の依頼が届いているとグレイに言われ、ミオンたちは早々に旅立つこととなった。
「もう行ってしまうのですね」
「寂しいわ。もっと色んな事を教わりたかったのに」
見送りに来てくれたのはアイリスとリヨンだ。二人とも朝一の授業を抜け出してきたらしい。
「私、卒業したらハンターになるつもりなの。早く二人のライバルになれるように頑張るわ」
アイリスは悪戯っぽく微笑み、イールの腕にしがみつく。イールはたちまち茹蛸のようになったため、呆れたミオンが後ろから蹴とばしてやった。
「おわぁっ! 何すんだよ!?」
べシャッと情けない音を立ててイールは転ぶ。それに巻き込まれないようにタイミング良くひらりと身を交わしたアイリスを見て、もしもライバルになったらなかなか手ごわそうだとミオンは思った。
「シア様も、皆様によろしくと仰っていました。道中の無事を祈っている、と」
リヨンが愛しそうにシアの言伝を告げる。礼拝堂で祈りを捧げるシアの嫋やかな姿を想像すると、これまた溜息が出るほど美しかった。
「けどせっかくだから、もう一回顔見たかったな・・・」
ぼそりとイールが呟く。
「あら、イール様もいつの間にかシア様のファンになっちゃったの?」
「え、いや、あの、ぅお・・・・」
アイリスが面白がって頬をつつくと、アイリスの所為なのかシアの所為なのか、イールはまた殊更に真っ赤になり、遂には蒸気すら出し始めた。
「どーせ風呂場での色気にやられたんだろ、単純バカ」
ミオンは苦々しく吐き捨てる。
「う、う、うっさいなぁ! そんなんじゃねーって!」
狼狽えるイールが必死に否定する。それを見ていたリヨンの目がキラリと光った。
「いくらイール様でも、シア様を邪な目で見ることは許されませんよ!」
「だから違うっての!」
殺気立ったリヨンに、イールは更に大仰に首を振って見せた。
その様子をアイリスがからかい、イールはまた動揺し、リヨンがさらに責め立てている。
「お前は良かったのかよ? シアさんに挨拶しないで」
騒いでいる三人を後目に、ミオンは校門に寄りかかっていたグレイに尋ねた。
グレイはふっと微笑み、一瞬だけ視線を教会に移した後で首を振った。
「神父様には昨夜挨拶を済ませたから十分だよ。それに、別に手に手を取って別れを惜しむほど仲睦まじい訳じゃないしね」
肩を竦めて軽口を叩く。紫暗の瞳には氷のような冷たさが滲んでいて、ミオンはなぜか違和感を覚えた。
一見すれば単に仲の悪い二人だ。昔の喧嘩が原因なのだとシアだって言っていた。
けれど、それだけでは片づけられない何かがあるような、そんな気がした。

アイリスたちと改めて別れを告げ、校門をくぐる。
何となく思い立って振り返ると、アイリスとリヨンがまだ手を振ってくれていた。その遥か後ろには教会が見える。
「あと四件だね」
グレイが徐に言った。彼もまた、振り返って教会を見ていた。
「おう、この調子でサクッとクリアしていこうぜ! なぁミオン!」
「あぁ、勿論だ! 先を急ごうぜ」
意気揚々とイールが拳を掲げ、ミオンもそれに同意する。
「・・・もうあまり時間がないからね」
元気よく駆けだした二人には、グレイの声にならない呟きは耳に届かなかった。



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佐治尚実
BL
高校生の朝好にとって卒業までの二年間は奇跡に満ちていた。クラスで目立たず、一人の時間を大事にする日々。そんな朝好に、クラスの頂点に君臨する修司の視線が絡んでくるのが不思議でならなかった。人気者の彼の一方的で執拗な気配に朝好の気持ちは高ぶり、ついには卒業式の日に修司を呼び止める所までいく。それも修司に無神経な言葉をぶつけられてショックを受ける。彼への思いを知った朝好は成人式で修司との再会を望んだ。 高校時代の初恋をこじらせた二人が、成人式で再会する話です。珍しく攻めがツンツンしています。 ※以前投稿した『初恋はおしまい』を大幅に加筆修正して再投稿しました。現在非公開の『初恋はおしまい』にお気に入りや♡をくださりありがとうございました!こちらを読んでいただけると幸いです。 今作は個人サイト、各投稿サイトにて掲載しています。

美人に告白されたがまたいつもの嫌がらせかと思ったので適当にOKした

亜桜黄身
BL
俺の学校では俺に付き合ってほしいと言う罰ゲームが流行ってる。 カースト底辺の卑屈くんがカースト頂点の強気ド美人敬語攻めと付き合う話。 (悪役モブ♀が出てきます) (他サイトに2021年〜掲載済)

手作りが食べられない男の子の話

こじらせた処女
BL
昔料理に媚薬を仕込まれ犯された経験から、コンビニ弁当などの封のしてあるご飯しか食べられなくなった高校生の話

彼者誰時に溺れる

あこ
BL
外れない指輪。消えない所有印。買われた一生。 けれどもそのかわり、彼は男の唯一無二の愛を手に入れた。 ✔︎ 四十路手前×ちょっと我儘未成年愛人 ✔︎ 振り回され気味攻と実は健気な受 ✔︎ 職業反社会的な攻めですが、BL作品で見かける?ようなヤクザです。(私はそう思って書いています) ✔︎ 攻めは個人サイトの読者様に『ツンギレ』と言われました。 ✔︎ タグの『溺愛』や『甘々』はこの攻めを思えば『受けをとっても溺愛して甘々』という意味で、人によっては「え?溺愛?これ甘々?」かもしれません。 🔺ATTENTION🔺 攻めは女性に対する扱いが酷いキャラクターです。そうしたキャラクターに対して、不快になる可能性がある場合はご遠慮ください。 暴力的表現(いじめ描写も)が作中に登場しますが、それを推奨しているわけでは決してありません。しかし設定上所々にそうした描写がありますので、苦手な方はご留意ください。 性描写は匂わせる程度や触れ合っている程度です。いたしちゃったシーン(苦笑)はありません。 タイトル前に『!』がある場合、アルファポリスさんの『投稿ガイドライン』に当てはまるR指定(暴力/性表現)描写や、程度に関わらずイジメ描写が入ります。ご注意ください。 ➡︎ 作品や章タイトルの頭に『★』があるものは、個人サイトでリクエストしていただいたものです。こちらではリクエスト内容やお礼などの後書きを省略させていただいています。 ➡︎ 作品は『時系列順』ではなく『更新した順番』で並んでいます。

どうせ全部、知ってるくせに。

楽川楽
BL
【腹黒美形×単純平凡】 親友と、飲み会の悪ふざけでキスをした。単なる罰ゲームだったのに、どうしてもあのキスが忘れられない…。 飲み会のノリでしたキスで、親友を意識し始めてしまった単純な受けが、まんまと腹黒攻めに捕まるお話。 ※fujossyさんの属性コンテスト『ノンケ受け』部門にて優秀賞をいただいた作品です。

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