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花散らしの雨
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花散らしの雨
ハズレくじ引いたなぁと、間島豊一(ましま とよいち)は思った。
物の例えではない。豊一の手には、確かにハズレを意味する赤い印の付いた付箋がある。赤い印が×ではなく○なのは、くじを作ったヒロタカが誰かがこれを引いたときに「あったりー」と叫びたかったからというだけに違いない。
ゼミの仲間で行う花見の場所取り要員・・・そんな面倒な役回りを選ぶためのくじなのだから、当たったらそれはやっぱりハズレだろう。
(しかもよりによって・・・)
隣りをチラリと見やり、さらに重い気持ちになった。
トイレ休憩や食事休憩を鑑みて、場所取り要員は2名必要だという事に決まった。なのでハズレくじは2枚作られ、一発目でそのうちの一枚を引き当てたある種強運な豊一と、もう一人は最後にくじを引くことになって残り物には福が無かった比賀治彦(ひが はるひこ)だ。
豊一は比賀のことが苦手である。というより、ゼミ内でも誰かが比賀と仲が良いという話は聞いたことがない。教授からの信頼は厚いし、快くノートも貸してくれるので悪い奴ではないのだろうが、いつもぽつんと一人でいる。食堂でも誰かと連むことはなく、一人で端の方に座って本を読み、さして美味くもなさそうに素うどんなんかを食べている。かくいう今も、比賀は木の枝から吊り下げている懐中電灯の明かりを頼りに黙って本を読んでいた。
(この沈黙がなんともなぁ・・)
誰かと一緒にいるのに無言のままという状況を、豊一は好まない。くだらない話をして、それなりに盛り上がって、ふざけあう・・・それが極一般的な大学生男子ではないだろうか。
無表情で口数も少ない比賀は、豊一のもっとも苦手とするタイプなのだ。
ハズレくじを手の内で丸め、足下に置いていたビニール袋に入れる。袋の中身はウーロン茶と小腹が空いた時のためのスナック菓子が入っている。もう少し遅い時間になったら、ちゃんとした晩飯になるような弁当かなにかを買いに行くつもりだ。比賀の方も同じように自分の飲み物などを用意しているようだった。豊一とは違い、ビニール袋ではなくエコバッグだが。
(一晩中この調子なのかなぁ・・・)
スマホの画面に目をやると、時刻はまだ21時を過ぎたところだった。
花見の場所取りは夜通し行う。交代で仮眠を取るかもしれないが、ほとんど徹夜だ。前日からの場所取りを禁止しているところもあるらしいが、この公園はそんな決まりもないので穴場なのだと、花見を企画したコウジが言っていた。しかし、見たところ前日から場所取りをしようなんて輩は自分たちだけのようで、徹夜で見張る必要が果たしてあるのだろうかと疑問に感じるところではある。
しかも、
(あいつら・・)
スマホがブルッと震えたと思えば、「居酒屋で飲んでまーす」という内容の、何とも嫌味なLINEが来た。コウジたちだ。豊一は憤慨しながら怒りに燃えているイラストのスタンプを送った。
「間島、帰っても良いよ」
「へ?」
スマホを睨んでいる豊一に、比賀が突然話しかけてきた。
「思ったよりライバルもいないみたいだから、トイレ行ってる間に場所取られる、なんて心配もなさそうだし。俺一人いれば大丈夫だと思うから」
抑揚のない声で、相変わらずの無表情で、文庫本から視線だけをこちらに向けた比賀が言う。つい今し方、豊一も同じようなことを思っていたところだったので、心を読まれたのだろうかなどとあり得ない考えが一瞬だけ過ぎった。
「あー・・えっと・・」
そうは言われても、素直に帰ってしまうのはどうなのだろうと豊一は迷う。いの一番にハズレを引いたのは自分なのに、比賀一人に押しつけてしまって良いものか、と。
だが、タイミング良くまたスマホが震えた。今度はヒロタカから、美味そうな唐揚げの写真だ。どうやらいつもの居酒屋にいるらしい。ここからそう遠くもない、居酒屋なのに名物はホットドックのおかしな店だ。
「じゃあ・・悪いけど」
豊一は結局、比賀に甘えることにした。
「うん。また明日」
比賀は軽く頷いて、またすぐに本へと視線を戻した。
「あれ、トヨなにやってんの?」
「おいおい、場所取り任務はどうした~?」
居酒屋に行くと、思った通りの顔ぶれがいた。コウジとヒロタカ、それにヒロタカの彼女のひよりも一緒だ。
「はい、かけつけ一杯」
「おー、ありがとう。ひよりちゃん」
ひよりが癒し系の笑顔でコップを渡してくれる。
一気に煽ってみたら酒ではなく水だったので、豊一はすぐにタッチパネルで生ビールを注文した。
「なんか全っ然人いなくてさー、徹夜組なんか俺達くらいなもんだったよ」
コウジの前の皿から焼き鳥を一本拝借しつつ、比賀に任せて来た経緯を説明する。面倒事を人に押しつけてきた嫌な奴、と思われるのは本意ではなかったので、比賀が気を遣ってくれた、比賀は良い奴だ、と殊更にアピールした。
てっきり、「良かったな」とか「ラッキーだったな」と言って乾杯してくれるとか、もしくは「悪い奴だなぁ」と冗談交じりに責められるとか、そういった反応を予想していたのだが、そうはならなかった。
「大丈夫かなぁ・・」
ひよりが思いがけず真剣な声でポツリと言う。豊一は即座に場所取りの心配しているのだろうと見当をつけたが、どうやら違うらしい。
「あの公園・・夜中とか結構危ないんだよ。酔っぱらいくらいなら、まだマシなんだけど・・・なぁ?」
ひよりと同じく深刻な面持ちのコウジが、あとは察してくれと言わんばかりに言葉を濁す。
「なんだよ、殺人鬼でも出るっての? あ、まさか幽霊とか?」
比賀をあっさり置いてきてしまった後ろ暗さもあって、豊一はわざと茶化したように尋ねた。
「変質者っつーか・・・なんか・・レイプされそうになったりとか・・・結構あるらしいんだよな。・・・まぁ、噂だけど」
ひよりに視線で促され、ひどく言いづらそうに答えたのはヒロタカだ。
三人があまりにも真っ青な顔で話すので、豊一も自然と背筋が冷たくなった。
けれど、すぐに考え直す。比賀は大の男ではないか。女の子一人置いてきたならともかく、何が起きる訳でもないだろう。
しかし・・・
「いや・・最近は男でも危ないよ」
コウジがひきつった笑顔で呟く。ヒロタカもうんうんと頷いている。更にひよりが続けた。
「比賀くんって男の人にしては美人さんだし、力尽くで来られたら勝てなさそうだし、絶対危ないよ。戻ってあげた方が良いと思う。もし比賀くんになにかあったら・・・トヨくん責任取れる?」
懇々と説き伏せられ、豊一も徐々に危機感を覚え始める。比賀が美人かどうかは知らないが、確かに見るからにヒョロッとしていて力は無さそうだ。豊一とて腕っ節に自信があるわけではないものの、比賀一人よりは随分とマシだろう。
結局、豊一は頼んだビールを一口も飲むことなく、店を出ることにした。
(どうせ何もないに決まってるっての! あいつら大げさ過ぎんだよ!)
そう高を括ってはいるものの、何だかんだと豊一は全力疾走で元の公園へ向かった。「襲われたらきっと一生のトラウマになる」、「お前は一生恨まれる」・・・等と、散々言われたのが効いている。もしかしたら、もしも本当に襲われていたら、もしも手遅れだったりしたら・・・最悪の光景が頭に浮かんでは消え、それを振り切るように豊一は走った。
「・・・戻ってきたの?」
足がもつれそうになりながら、肩で息をしながら再び現れた豊一に、比賀は表情を変えぬまま首を傾げた。
(ほーら、やっぱり無事じゃねぇか!)
呼吸が整わず声が出ないので比賀の問いに無言で頷きながら、豊一は心の中でまだ飲んでいるのであろう三人に毒づいた。比賀は先ほどまでと全く変わらない様子で、全く同じ場所に体育座りをして、全く同じように本を読んでいるではないか。・・・と思ったのだが、
(あれ・・・? なんか服が・・)
違和感に気付く。比賀はいつもきっちり几帳面にシャツのボタンを一番上まで留めている。それなのに今は、2つ目・・いや、3つ目まで開けている。
(違う・・)
ハッとして、慌てて比賀に駆け寄った。
「お前、それ、シャツ! どうしたんだよ!? 」
シャツのボタンは、外されているのではなく千切れていた。よく見れば、毛玉一つなかったベストも引っ張られたような後が付いている。
「間島、靴」
比賀は答えるよりも先に、豊一が靴のままシートに上がってしまったことを指摘した。
「そんなんいいから答えろって」
豊一は苛立ちながら靴を脱いでシートの外側に放り投げた。
「これはちょっと・・・酔っぱらいみたいなのに絡まれただけだよ」
比賀が淡々と答える。動揺する様子が微塵もない比賀に反して、豊一は真っ青になっていた。
「絡まれた!? ど、どんな、あの、だ、大丈夫だ、だ、だったのかよ!?」
貞操は守れたのか、と聞くわけにもいかず、オロオロしながら安否を問う。
比賀はあっさりと頷いた。
「これ鳴らしたら、すぐ逃げて行ったから」
ポケットからキーホルダーのようなものを取り出して見せる。防犯ブザーだ。豊一の小学3年生の妹が、ランドセルにつけている物と同じなのですぐに分かった。
「お前っていつもそんなの持ち歩いてんの?」
安堵と拍子抜けした心地が相まって、脱力したように比賀の隣に座り込む。
「別にいつもじゃないけど、あまり治安の良くない公園で夜を明かすなら必要かと思って用意しといた」
比賀は事も無げに言って、防犯ブザーを元通りに仕舞った。どうやら比賀もこの公園の噂は知っていたらしい。
「って訳だから・・間島、心配して戻ってきてくれたんなら大丈夫だよ」
また視線を本に移して無表情のままに言う。そうは言われても、流石に今度はすんなりと「はい喜んで」とは帰れない。
「いや、けど・・」
異を唱えようとする豊一の頬に、ポツリと冷たい感触が当たる。パタ、パタとビニールシートに雨粒のぶつかる音がしたと思えば、次の瞬間には悲鳴を上げたくなるような土砂降りの雨が襲ってきた。
「なんじゃこりゃあ!」
「ゲリラ豪雨」
慌てる豊一をよそに比賀はやはり落ち着いていて、荷物の仲から折り畳み傘を出した。
「男二人じゃ狭いけど」
「え、あ、どうも」
一緒に入っても良いということらしいので、豊一は素直に比賀ににじりよって小さな折り畳み傘の中に収まった。比賀も豊一も片方の肩はずぶ濡れだが、それでも無いよりは幾分にもマシだろう。
「こんなんだと明日ダメなんじゃねぇの・・」
桜の花を容赦なく打ち付ける雨に肩を落とす。
「ゲリラ豪雨だからすぐ止む。明日の天気予報、晴れだし」
言いながら、比賀はスマホ画面の太陽マークを示した。
「そっか・・そんなら良いけど」
豊一が頷くと比賀はスマホを仕舞ってまた本を開く。片手では不自由そうだったので、折り畳み傘は豊一が持つと申し出た。
(やっぱ無言か・・・)
比賀が本を読み始めると、当然だがまた豊一の苦手な沈黙の時間が始まった。雨の音ばかりが響く。耳障りだが、しんと静まりかえっているよりは良い。それに、雨のおかげで帰らない理由が出来たことにも少しホッとしていた。
ただ傘を持っているだけでは退屈で、豊一は比賀を見ることにした。何気なく目をやった比賀の襟足が、クルンと丸まっていることに気付いたのがきっかけとなった。普段は直毛の印象が強いが、よく見るといつもよりボリュームもでている気がするし、うねっている。きっと湿気の所為なのだろう。
(比賀は実は天パ)
どうでもいいことを知ったものだと思いつつ、豊一は比賀の観察を続けた。
銀縁の眼鏡がダサい。せめて流行の型を選べばいいのに、冴えない中年親父がかけていそうな眼鏡だ。綺麗に磨いているようだけど、フレームが少しだけ曲がっているようにも見える。もしかしたら、つい先ほど酔っぱらいに絡まれた時に曲がってしまったのかもしれない。
(ピアスは一個も開いてない・・・って、そりゃそうか。比賀だし)
薄い耳たぶは真っ更で綺麗なものだった。ちなみに豊一は、何となくノリで開けてみたはいいが、面倒でピアスはつけていないので無駄な穴が右に2つ左に1つ開いている。
(睫毛なっげ)
ひよりが比賀のことを男にしては美人だと言っていたのを思い出す。比賀の顔と言えば眼鏡くらいしか見ていなかったが、こうしてみると確かに整った顔をしている。少し荒れ気味だが、厚みのある唇は、リップグロスでも塗ればそこらの女子よりもよっぽど色っぽくなるだろう。
(いやいや、なに考えてんだ俺)
一瞬過ぎった妄想を振り切るように視線をずらす。すると、痛々しくボタンを千切られたシャツが目に入った。剥き出しになった首筋や胸元の肌の色がいやに白いのは、きっと普段は常に隠れているから焼けていないのだろう。
豊一は自分のシャツを脱ぎ、比賀にの肩に掛けた。
「なに? 俺、別に寒くないけど・・」
突然のことに驚いたのか、比賀は少しだけ目を見開いて豊一を見つめている。
「いや、ボタン千切れてるし、なんか・・」
如何にも襲われましたという風貌が居たたまれなくなったのだが、バカ正直に伝える訳にもいかずに言いよどむ。だが比賀には通じたらしい。
「女子じゃないんだから平気だよ。間島だって、いつもこのくらいボタン開けてない? 」
またいつもの無表情に戻ってそう言った。それはそうなのだが、ファッションでボタンを留めていないのとは訳が違うと思う。
「いいから。着て、一番上まで留めとけ」
豊一はわざとぶっきらぼうな口調で言い、おまけにフンッと鼻を鳴らした。女子に向けるような気遣いを、自然と比賀にしてしまったことが照れくさかったからだ。
「・・・実は、今日に限って裁縫道具忘れちゃったんだよね」
比賀が素直に豊一のシャツに袖を通しながらポツリと言った。
「え、普段はいっつも持ち歩いてるってこと?」
防犯ブザーもそうだが、男子学生の持ち物としてはあまり一般的ではない。驚く豊一に、比賀は自分の鞄を持ってその中身を示した。
「備えあれば憂いなし、が座右の銘だから」
その言葉通り、鞄の中には、ゼリー飲料などの飲食物から数種類の市販薬や充電器など、多岐に渡る品々が入っている。
「なんか、比賀って結構面白いヤツなんだな」
豊一は思わず吹き出した。今までろくに関わることもなく、勝手に苦手意識を感じていたものだが、こうして話してみるとなんということはないではないか。
比賀はなぜ笑われているのかわからないというような表情を浮かべて、それからまもなく再び本を開いた。そして活字に視線を這わせる前にポツリと言った。
「戻ってきてくれて、ありがとう。実は結構心細かったから、助かった」
それは思いがけない言葉で、豊一はぽかんと口を開けたまま比賀を見つめた。比賀はもういつもの無表情で本の世界に入っているように見えたが、ほんの少し耳が赤くなっていた。
(あれ・・・なんか・・・)
なぜだか豊一も顔が熱くなってきた。更にそれに伴って、心臓の音が大きくなっているような気もする。
(俺、ときめいちゃってます・・みたいな?)
自分で自分に驚きを隠せない。
「間島、もう雨止んでるよ」
「え? あ! あぁ! うん!!」
豊一は慌てて比賀から離れて傘を閉じた。比賀に指摘されるまで、あんなにうるさかった雨音が消えている事にも気付かなかった。今はひたすら、自分の心臓の音がうるさい。
結局豊一は、一晩中ずっと落ち着かないまま過ごすこととなるのだった。
ハズレくじ引いたなぁと、間島豊一(ましま とよいち)は思った。
物の例えではない。豊一の手には、確かにハズレを意味する赤い印の付いた付箋がある。赤い印が×ではなく○なのは、くじを作ったヒロタカが誰かがこれを引いたときに「あったりー」と叫びたかったからというだけに違いない。
ゼミの仲間で行う花見の場所取り要員・・・そんな面倒な役回りを選ぶためのくじなのだから、当たったらそれはやっぱりハズレだろう。
(しかもよりによって・・・)
隣りをチラリと見やり、さらに重い気持ちになった。
トイレ休憩や食事休憩を鑑みて、場所取り要員は2名必要だという事に決まった。なのでハズレくじは2枚作られ、一発目でそのうちの一枚を引き当てたある種強運な豊一と、もう一人は最後にくじを引くことになって残り物には福が無かった比賀治彦(ひが はるひこ)だ。
豊一は比賀のことが苦手である。というより、ゼミ内でも誰かが比賀と仲が良いという話は聞いたことがない。教授からの信頼は厚いし、快くノートも貸してくれるので悪い奴ではないのだろうが、いつもぽつんと一人でいる。食堂でも誰かと連むことはなく、一人で端の方に座って本を読み、さして美味くもなさそうに素うどんなんかを食べている。かくいう今も、比賀は木の枝から吊り下げている懐中電灯の明かりを頼りに黙って本を読んでいた。
(この沈黙がなんともなぁ・・)
誰かと一緒にいるのに無言のままという状況を、豊一は好まない。くだらない話をして、それなりに盛り上がって、ふざけあう・・・それが極一般的な大学生男子ではないだろうか。
無表情で口数も少ない比賀は、豊一のもっとも苦手とするタイプなのだ。
ハズレくじを手の内で丸め、足下に置いていたビニール袋に入れる。袋の中身はウーロン茶と小腹が空いた時のためのスナック菓子が入っている。もう少し遅い時間になったら、ちゃんとした晩飯になるような弁当かなにかを買いに行くつもりだ。比賀の方も同じように自分の飲み物などを用意しているようだった。豊一とは違い、ビニール袋ではなくエコバッグだが。
(一晩中この調子なのかなぁ・・・)
スマホの画面に目をやると、時刻はまだ21時を過ぎたところだった。
花見の場所取りは夜通し行う。交代で仮眠を取るかもしれないが、ほとんど徹夜だ。前日からの場所取りを禁止しているところもあるらしいが、この公園はそんな決まりもないので穴場なのだと、花見を企画したコウジが言っていた。しかし、見たところ前日から場所取りをしようなんて輩は自分たちだけのようで、徹夜で見張る必要が果たしてあるのだろうかと疑問に感じるところではある。
しかも、
(あいつら・・)
スマホがブルッと震えたと思えば、「居酒屋で飲んでまーす」という内容の、何とも嫌味なLINEが来た。コウジたちだ。豊一は憤慨しながら怒りに燃えているイラストのスタンプを送った。
「間島、帰っても良いよ」
「へ?」
スマホを睨んでいる豊一に、比賀が突然話しかけてきた。
「思ったよりライバルもいないみたいだから、トイレ行ってる間に場所取られる、なんて心配もなさそうだし。俺一人いれば大丈夫だと思うから」
抑揚のない声で、相変わらずの無表情で、文庫本から視線だけをこちらに向けた比賀が言う。つい今し方、豊一も同じようなことを思っていたところだったので、心を読まれたのだろうかなどとあり得ない考えが一瞬だけ過ぎった。
「あー・・えっと・・」
そうは言われても、素直に帰ってしまうのはどうなのだろうと豊一は迷う。いの一番にハズレを引いたのは自分なのに、比賀一人に押しつけてしまって良いものか、と。
だが、タイミング良くまたスマホが震えた。今度はヒロタカから、美味そうな唐揚げの写真だ。どうやらいつもの居酒屋にいるらしい。ここからそう遠くもない、居酒屋なのに名物はホットドックのおかしな店だ。
「じゃあ・・悪いけど」
豊一は結局、比賀に甘えることにした。
「うん。また明日」
比賀は軽く頷いて、またすぐに本へと視線を戻した。
「あれ、トヨなにやってんの?」
「おいおい、場所取り任務はどうした~?」
居酒屋に行くと、思った通りの顔ぶれがいた。コウジとヒロタカ、それにヒロタカの彼女のひよりも一緒だ。
「はい、かけつけ一杯」
「おー、ありがとう。ひよりちゃん」
ひよりが癒し系の笑顔でコップを渡してくれる。
一気に煽ってみたら酒ではなく水だったので、豊一はすぐにタッチパネルで生ビールを注文した。
「なんか全っ然人いなくてさー、徹夜組なんか俺達くらいなもんだったよ」
コウジの前の皿から焼き鳥を一本拝借しつつ、比賀に任せて来た経緯を説明する。面倒事を人に押しつけてきた嫌な奴、と思われるのは本意ではなかったので、比賀が気を遣ってくれた、比賀は良い奴だ、と殊更にアピールした。
てっきり、「良かったな」とか「ラッキーだったな」と言って乾杯してくれるとか、もしくは「悪い奴だなぁ」と冗談交じりに責められるとか、そういった反応を予想していたのだが、そうはならなかった。
「大丈夫かなぁ・・」
ひよりが思いがけず真剣な声でポツリと言う。豊一は即座に場所取りの心配しているのだろうと見当をつけたが、どうやら違うらしい。
「あの公園・・夜中とか結構危ないんだよ。酔っぱらいくらいなら、まだマシなんだけど・・・なぁ?」
ひよりと同じく深刻な面持ちのコウジが、あとは察してくれと言わんばかりに言葉を濁す。
「なんだよ、殺人鬼でも出るっての? あ、まさか幽霊とか?」
比賀をあっさり置いてきてしまった後ろ暗さもあって、豊一はわざと茶化したように尋ねた。
「変質者っつーか・・・なんか・・レイプされそうになったりとか・・・結構あるらしいんだよな。・・・まぁ、噂だけど」
ひよりに視線で促され、ひどく言いづらそうに答えたのはヒロタカだ。
三人があまりにも真っ青な顔で話すので、豊一も自然と背筋が冷たくなった。
けれど、すぐに考え直す。比賀は大の男ではないか。女の子一人置いてきたならともかく、何が起きる訳でもないだろう。
しかし・・・
「いや・・最近は男でも危ないよ」
コウジがひきつった笑顔で呟く。ヒロタカもうんうんと頷いている。更にひよりが続けた。
「比賀くんって男の人にしては美人さんだし、力尽くで来られたら勝てなさそうだし、絶対危ないよ。戻ってあげた方が良いと思う。もし比賀くんになにかあったら・・・トヨくん責任取れる?」
懇々と説き伏せられ、豊一も徐々に危機感を覚え始める。比賀が美人かどうかは知らないが、確かに見るからにヒョロッとしていて力は無さそうだ。豊一とて腕っ節に自信があるわけではないものの、比賀一人よりは随分とマシだろう。
結局、豊一は頼んだビールを一口も飲むことなく、店を出ることにした。
(どうせ何もないに決まってるっての! あいつら大げさ過ぎんだよ!)
そう高を括ってはいるものの、何だかんだと豊一は全力疾走で元の公園へ向かった。「襲われたらきっと一生のトラウマになる」、「お前は一生恨まれる」・・・等と、散々言われたのが効いている。もしかしたら、もしも本当に襲われていたら、もしも手遅れだったりしたら・・・最悪の光景が頭に浮かんでは消え、それを振り切るように豊一は走った。
「・・・戻ってきたの?」
足がもつれそうになりながら、肩で息をしながら再び現れた豊一に、比賀は表情を変えぬまま首を傾げた。
(ほーら、やっぱり無事じゃねぇか!)
呼吸が整わず声が出ないので比賀の問いに無言で頷きながら、豊一は心の中でまだ飲んでいるのであろう三人に毒づいた。比賀は先ほどまでと全く変わらない様子で、全く同じ場所に体育座りをして、全く同じように本を読んでいるではないか。・・・と思ったのだが、
(あれ・・・? なんか服が・・)
違和感に気付く。比賀はいつもきっちり几帳面にシャツのボタンを一番上まで留めている。それなのに今は、2つ目・・いや、3つ目まで開けている。
(違う・・)
ハッとして、慌てて比賀に駆け寄った。
「お前、それ、シャツ! どうしたんだよ!? 」
シャツのボタンは、外されているのではなく千切れていた。よく見れば、毛玉一つなかったベストも引っ張られたような後が付いている。
「間島、靴」
比賀は答えるよりも先に、豊一が靴のままシートに上がってしまったことを指摘した。
「そんなんいいから答えろって」
豊一は苛立ちながら靴を脱いでシートの外側に放り投げた。
「これはちょっと・・・酔っぱらいみたいなのに絡まれただけだよ」
比賀が淡々と答える。動揺する様子が微塵もない比賀に反して、豊一は真っ青になっていた。
「絡まれた!? ど、どんな、あの、だ、大丈夫だ、だ、だったのかよ!?」
貞操は守れたのか、と聞くわけにもいかず、オロオロしながら安否を問う。
比賀はあっさりと頷いた。
「これ鳴らしたら、すぐ逃げて行ったから」
ポケットからキーホルダーのようなものを取り出して見せる。防犯ブザーだ。豊一の小学3年生の妹が、ランドセルにつけている物と同じなのですぐに分かった。
「お前っていつもそんなの持ち歩いてんの?」
安堵と拍子抜けした心地が相まって、脱力したように比賀の隣に座り込む。
「別にいつもじゃないけど、あまり治安の良くない公園で夜を明かすなら必要かと思って用意しといた」
比賀は事も無げに言って、防犯ブザーを元通りに仕舞った。どうやら比賀もこの公園の噂は知っていたらしい。
「って訳だから・・間島、心配して戻ってきてくれたんなら大丈夫だよ」
また視線を本に移して無表情のままに言う。そうは言われても、流石に今度はすんなりと「はい喜んで」とは帰れない。
「いや、けど・・」
異を唱えようとする豊一の頬に、ポツリと冷たい感触が当たる。パタ、パタとビニールシートに雨粒のぶつかる音がしたと思えば、次の瞬間には悲鳴を上げたくなるような土砂降りの雨が襲ってきた。
「なんじゃこりゃあ!」
「ゲリラ豪雨」
慌てる豊一をよそに比賀はやはり落ち着いていて、荷物の仲から折り畳み傘を出した。
「男二人じゃ狭いけど」
「え、あ、どうも」
一緒に入っても良いということらしいので、豊一は素直に比賀ににじりよって小さな折り畳み傘の中に収まった。比賀も豊一も片方の肩はずぶ濡れだが、それでも無いよりは幾分にもマシだろう。
「こんなんだと明日ダメなんじゃねぇの・・」
桜の花を容赦なく打ち付ける雨に肩を落とす。
「ゲリラ豪雨だからすぐ止む。明日の天気予報、晴れだし」
言いながら、比賀はスマホ画面の太陽マークを示した。
「そっか・・そんなら良いけど」
豊一が頷くと比賀はスマホを仕舞ってまた本を開く。片手では不自由そうだったので、折り畳み傘は豊一が持つと申し出た。
(やっぱ無言か・・・)
比賀が本を読み始めると、当然だがまた豊一の苦手な沈黙の時間が始まった。雨の音ばかりが響く。耳障りだが、しんと静まりかえっているよりは良い。それに、雨のおかげで帰らない理由が出来たことにも少しホッとしていた。
ただ傘を持っているだけでは退屈で、豊一は比賀を見ることにした。何気なく目をやった比賀の襟足が、クルンと丸まっていることに気付いたのがきっかけとなった。普段は直毛の印象が強いが、よく見るといつもよりボリュームもでている気がするし、うねっている。きっと湿気の所為なのだろう。
(比賀は実は天パ)
どうでもいいことを知ったものだと思いつつ、豊一は比賀の観察を続けた。
銀縁の眼鏡がダサい。せめて流行の型を選べばいいのに、冴えない中年親父がかけていそうな眼鏡だ。綺麗に磨いているようだけど、フレームが少しだけ曲がっているようにも見える。もしかしたら、つい先ほど酔っぱらいに絡まれた時に曲がってしまったのかもしれない。
(ピアスは一個も開いてない・・・って、そりゃそうか。比賀だし)
薄い耳たぶは真っ更で綺麗なものだった。ちなみに豊一は、何となくノリで開けてみたはいいが、面倒でピアスはつけていないので無駄な穴が右に2つ左に1つ開いている。
(睫毛なっげ)
ひよりが比賀のことを男にしては美人だと言っていたのを思い出す。比賀の顔と言えば眼鏡くらいしか見ていなかったが、こうしてみると確かに整った顔をしている。少し荒れ気味だが、厚みのある唇は、リップグロスでも塗ればそこらの女子よりもよっぽど色っぽくなるだろう。
(いやいや、なに考えてんだ俺)
一瞬過ぎった妄想を振り切るように視線をずらす。すると、痛々しくボタンを千切られたシャツが目に入った。剥き出しになった首筋や胸元の肌の色がいやに白いのは、きっと普段は常に隠れているから焼けていないのだろう。
豊一は自分のシャツを脱ぎ、比賀にの肩に掛けた。
「なに? 俺、別に寒くないけど・・」
突然のことに驚いたのか、比賀は少しだけ目を見開いて豊一を見つめている。
「いや、ボタン千切れてるし、なんか・・」
如何にも襲われましたという風貌が居たたまれなくなったのだが、バカ正直に伝える訳にもいかずに言いよどむ。だが比賀には通じたらしい。
「女子じゃないんだから平気だよ。間島だって、いつもこのくらいボタン開けてない? 」
またいつもの無表情に戻ってそう言った。それはそうなのだが、ファッションでボタンを留めていないのとは訳が違うと思う。
「いいから。着て、一番上まで留めとけ」
豊一はわざとぶっきらぼうな口調で言い、おまけにフンッと鼻を鳴らした。女子に向けるような気遣いを、自然と比賀にしてしまったことが照れくさかったからだ。
「・・・実は、今日に限って裁縫道具忘れちゃったんだよね」
比賀が素直に豊一のシャツに袖を通しながらポツリと言った。
「え、普段はいっつも持ち歩いてるってこと?」
防犯ブザーもそうだが、男子学生の持ち物としてはあまり一般的ではない。驚く豊一に、比賀は自分の鞄を持ってその中身を示した。
「備えあれば憂いなし、が座右の銘だから」
その言葉通り、鞄の中には、ゼリー飲料などの飲食物から数種類の市販薬や充電器など、多岐に渡る品々が入っている。
「なんか、比賀って結構面白いヤツなんだな」
豊一は思わず吹き出した。今までろくに関わることもなく、勝手に苦手意識を感じていたものだが、こうして話してみるとなんということはないではないか。
比賀はなぜ笑われているのかわからないというような表情を浮かべて、それからまもなく再び本を開いた。そして活字に視線を這わせる前にポツリと言った。
「戻ってきてくれて、ありがとう。実は結構心細かったから、助かった」
それは思いがけない言葉で、豊一はぽかんと口を開けたまま比賀を見つめた。比賀はもういつもの無表情で本の世界に入っているように見えたが、ほんの少し耳が赤くなっていた。
(あれ・・・なんか・・・)
なぜだか豊一も顔が熱くなってきた。更にそれに伴って、心臓の音が大きくなっているような気もする。
(俺、ときめいちゃってます・・みたいな?)
自分で自分に驚きを隠せない。
「間島、もう雨止んでるよ」
「え? あ! あぁ! うん!!」
豊一は慌てて比賀から離れて傘を閉じた。比賀に指摘されるまで、あんなにうるさかった雨音が消えている事にも気付かなかった。今はひたすら、自分の心臓の音がうるさい。
結局豊一は、一晩中ずっと落ち着かないまま過ごすこととなるのだった。
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しんどいことを訴えると仕事に行けないとヒステリックを起こされ怒られていたため、次第に我慢して学校に行くようになった。
「風邪をひくことは悪いこと」
社会人になって1人暮らしを始めてもその認識は治らないまま。多少の熱や頭痛があっても怒られることを危惧して出勤している。
とある日、いつものように会社に行って業務をこなしていた時。午前では無視できていただるけが無視できないものになっていた。
それでも、自己管理がなっていない、日頃ちゃんと体調管理が出来てない、そう怒られるのが怖くて、言えずにいると…?
こっそりバウムクーヘンエンド小説を投稿したら相手に見つかって押し倒されてた件
神崎 ルナ
BL
バウムクーヘンエンド――片想いの相手の結婚式に招待されて引き出物のバウムクーヘンを手に失恋に浸るという、所謂アンハッピーエンド。
僕の幼なじみは天然が入ったぽんやりしたタイプでずっと目が離せなかった。
だけどその笑顔を見ていると自然と僕も口角が上がり。
子供の頃に勢いに任せて『光くん、好きっ!!』と言ってしまったのは黒歴史だが、そのすぐ後に白詰草の指輪を持って来て『うん、およめさんになってね』と来たのは反則だろう。
ぽやぽやした光のことだから、きっとよく意味が分かってなかったに違いない。
指輪も、僕の左手の中指に収めていたし。
あれから10年近く。
ずっと仲が良い幼なじみの範疇に留まる僕たちの関係は決して崩してはならない。
だけど想いを隠すのは苦しくて――。
こっそりとある小説サイトに想いを吐露してそれで何とか未練を断ち切ろうと思った。
なのにどうして――。
『ねぇ、この小説って海斗が書いたんだよね?』
えっ!?どうしてバレたっ!?というより何故この僕が押し倒されてるんだっ!?(※注 サブ垢にて公開済みの『バウムクーヘンエンド』をご覧になるとより一層楽しめるかもしれません)
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