食わず嫌いはダメ

sakaki

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食わず嫌いはダメ~前編~

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***



キッチンスタジオICHIYOU、本日のレッスンは『残り物アレンジでイタリアン』

かなり人気のため、手を変え品を変えで回数を重ねている講座なのだが、頭を捻る側としては中々大変でもある。

だがその分やりがいがあるのもまた事実だ。

(今回も大盛況だったよなぁ)

本日の出来に満足しつつ、仁後恭平は鼻歌交じりで更衣室へ入った。

(戸締りして帰んなきゃなー・・・めんどっちい)

いつもと違ってガランとしている光景に少しだけ溜息。今日は恭平が最後になってしまったらしい。

他の講師や事務員たちも既に帰宅しているし、いつもならば恭平と共に遅くまで残っていることの多い若狭拓真もさっさと帰ってしまった。きっと香耶とデートの約束でもしているのだろう。

(俺もさっさと帰るかねぇ。一人暮らしの侘しい家に)

着替えを終えて事務室へ向かうついでに窓の外を見やる。天気が良くないのか、真っ暗な空には星もろくに見えなかった。



(・・・ん?)

戸締り確認を済ませて最後に向かった事務室の、扉の前に誰かいることに気付く。

明かりはついているが誰もいない室内を落ち着かない様子で覗き込んでいる様子は、少しばかり不審だ。

「どうかしましたー?」

恭平は呑気な声で話しかける。不審人物相手に警戒心ゼロなのは、相手がミニスカート姿の見目麗しい女の子だからだ。

「うちに何か用事ですか? あ、入会希望とか? 」

満面の営業スマイルを浮かべて歩み寄る。

入会者の顔は全て記憶していると自負しているため、入会や見学の申し込みだろうかと検討を付けた。

「あ、いえ・・そうじゃなくて・・」

可愛らしい女の子は首を横に振る。ウェーブがかったショートボブの髪がふわふわと揺れた。

(可愛いなぁ、この子。かなり好みかも)

気取られないように気を付けながら値踏みするように上から下までジロジロと見つめる。

いっそナンパでもしてしまおうかと企んでいた恭平だったが、彼女は実に聞き捨てならない台詞を口にした。

「姉に・・・あ、沢口に、用があって来たんですけど・・・いないんでしょうか?」

一瞬固まり、耳に入ってきた単語を一つずつ整理する。そして尋ねた。

「姉・・って、じゃあ沢口さんの?」

「はい。沢口伊織(さわぐち いおり)と言います。姉がいつもお世話になってます」

よもやまさか、という風に尋ねてみるが、あっさりと肯定。100点満点の笑顔でぺこりとお辞儀をした。

「あ、いえいえ。こちらこそ」

つられるように恭平も頭を下げる。あまりの驚きに、笑顔は若干引きつってしまった。

(全っっっ然、似てねぇな! 妹めっっっちゃくちゃ可愛いじゃん!!)

改めて目の前の可愛い子ちゃんを見て、沢口一葉の見慣れた顔を重ねてみる・・・が、やはりいまいち重ならない。

(危ねー・・・。口説いたりしなくて良かった・・・)

沢口の妹に手を出すなどと、そんなことをしようものなら殴られるどころでは済まないだろう。恭平は滲んだ冷や汗をそっと拭った。





「鍵を忘れて出てきちゃってたみたいで、今日は誰もいないので家に入れなくなっちゃったんです」

事務室に通してやると、伊織は恥ずかしそうに沢口を訪ねてきた事情を説明した。

「携帯がつながらなかったからまだ仕事中なのかと思って来てみたんですけど・・・」

壁に掛けられているホワイトボードを見やり、しょんぼりと肩を落とす。

ホワイトボードの沢口の欄には“出張、直帰”と書かれていた。

(おっかしーな・・・。出張って、俺なんも聞いてねーんだけど)

ポリポリと口許を掻きながら思案する。

恭平は普段から、誰がいつ出張や有休で不在になるのか、きちんと把握しているつもりだ。それによってどこにフォローが必要かを常に考える必要があるからだ。

なのだが、今日沢口が出張だというのは初耳だった。一体何処にいつまで行っているのか、聞いた記憶は全く無い。

それに数日に及ぶ遠出ならば、伊織にだって伝えているはずだろう。

「うーん・・・ちょっと待ってて。知ってそうな奴に聞いてみるわ」

落胆してしまった様子の伊織の肩をポンポンと叩き、ポケットから携帯を取り出す。

そして着信履歴から若狭の名前を選んだ。

―――プルル、プルル。

『・・・・・はい。どうした? 』

相変わらず反応が早い。若狭はすぐに電話に出てくれた。

「よぉ。いきなりなんだけど、沢口さんの出張って何か知ってるか? デートなのに邪魔して悪いな」

単刀直入に要件を述べる。心なしか若狭の第一声が不機嫌そうな気がしたため、詫びを入れるのも忘れない。

若狭は少し考えてから苦笑交じりに言った。

『出張って・・・アレだろ? どっかの料理教室でお見合いパーティ。今度うちでも似たような企画やりたいから視察だって理由付けしてたけどさ』

「マジで・・・?」

あんまりな答えにげんなりしてしまう。なるほど、沢口と連絡が付かなかったのはお見合いパーティーの真っ最中だからだったという訳だ。

『時間的にはもうすぐ終わる頃じゃないかと思うけど、もし上手くいってたら分からないしな。何か急ぎの用だったのか?』

「あぁ・・・まぁ・・・なぁ・・」

曖昧に頷く。ちらりと伊織の様子を伺うと、しきりに不安そうな顔をしてこちらを見つめていた。

「取りあえず分かった。ありがと。香耶ちゃんにも邪魔してごめんっつっといて。じゃーな、おつかれー」

伊織を安心させるため、引きつりそうになる顔を笑顔に変えてヘラヘラしながら電話を終える。

しかし問題はここからだ。

(どうしよう・・・)

あの沢口に限ってお見合いパーティーで良い男性と巡り合ってなおかつ上手く行く、などと言う奇跡は起こらないとは思うが、万が一と言うこともある。本当に本当の万が一だが、朝まで連絡が付かない可能性だってなくはないだろう。

(このままここに居させるってのもなぁ・・・ねぇだろ)

思考を巡らせながら長い髪をかき上げる。

そして迷いつつも、伊織の向かい側に腰かけた。

「あのさ、伊織ちゃん。沢口さんはちょっと・・・出張・・・で、遠出してるらしくって、連絡つくまで時間が掛かるかもしれない・・みたい」

正直に“お見合いパーティ”と言うべきなのかとも思ったが、沢口にもプライドはあるだろうと気遣って出張で通すことにする。

「だからさ、連絡つくまでの間俺んちで待ってるってのはどう? ここでずーっと待っとくのもきついしさ」

(っつーか俺が帰りたいんだけどね)

伊織を事務室の堅い椅子に座らせたまま待たせるというのも気が引けるし、それに付き合って自分もここに居るのは御免被りたい。腹も減ってきたことだし。

(手なんか出さねぇから安心してOKしてくれよ~~)

もはや懇願する。

恭平が精一杯に人の好さそうな笑みを浮かべているのが効いたのか、伊織もなんとか頷いてくれた。

「じゃあ、お願いします。仁後さんの迷惑じゃなければ・・・」

ふわりと微笑まれ、思わずドキリとさせられる。

「あれ・・俺、名前言ったっけ?」

そういえば名乗らせるだけ名乗らせておいて自己紹介をしていないことに気付いた。

それなのになぜ名前を知っているのかと首を傾げると、伊織は今度は悪戯っぽく笑った。

「仁後さんと若狭さんはICHIYOUのツートップ人気講師だもん、知ってるよ。 お姉ちゃんにもいつも色々話聞いてるし」

少し緊張が解けたのか、先ほどよりは気安い口調で表情も柔らかくなっている。その所為かよりいっそう伊織が魅力的に見えた。

(マジで、沢口さんに全然似てねぇ)

沢口が煙草を吹かしながら毒づいている姿を思い出し、改めて似ても似つかない姉妹だと痛感する。

「どんな話されてんのか怖ぇーなぁ・・・」

苦笑交じりで呟くと、伊織はクスクスと笑った。







***



恭平の自宅は、キッチンスタジオICHIYOUから車で5分程度のところにあるアパートだ。

通勤に便利、ということは勿論だが、“如何に女の子を連れ込みやすいか”を念頭に置いて選んだ物件のため、一人暮らしの割にはそこそこの広さがある。

カウンターになっている対面式のキッチンもまた、この家を選んだ理由の一つだ。



「伊織ちゃん腹減ってる? 俺パスタ作るけど、良かったら一緒に食わない?」

リビングの赤い二人掛けのソファに座っている伊織に声をかける。伊織は落ち着かないらしく、しきりに携帯を見たり壁に掛けられた時計を見たりを繰り返していた。

「仁後さんのパスタ? 食べたい!」

ぴょこんと立ち上がると、満面の笑みで片手を上げて見せる。

その無邪気な仕草に思わず顔を緩ませながら、恭平は慣れた手つきで料理の下ごしらえに取り掛かった。

(ベーコンと・・・お、キノコ結構揃ってんな。舞茸、ぶなしめじ、エリンギ・・・)

冷蔵庫を開けて材料と対峙する。粗方決めて振り返ると、伊織がすぐそばまで近寄ってきていた。

「ねぇ、お料理するところ見てても良い?」

カウンター越しに手元を覗き込みながら言う。好奇心でいっぱい、という表情をしている。

「もちろん。そちらの席へどうぞ」

恭平はわざとかしこまった口調で言い、伊織をカウンターチェアに座るように促した。

「伊織ちゃんって料理好きなの?」

慣れた手つきで材料の下ごしらえをしながら問いかける。

伊織はパッと花の咲いたような笑顔で頷いた。

「大好きだよ。でも自分で作るのは和食ばっかりだから、仁後さんの料理見て勉強させてもらっちゃおうかなーなんて。あ、お姉ちゃんに“ちゃんとレッスン料払え”って怒られるかな? 」

瞳を輝かせて言い、悪戯っぽく舌を出す。

「んー・・・まぁ、身内割引ってことで良いんじゃない?」

恭平も負けじと言えば、伊織はまた楽しそうに笑う。

(クソ可愛いな、畜生・・・)

見れば見るほど、話せば話すほど、伊織はきっちりばっちり恭平の好みに掛かっていると改めて感じる。

(こんな美味そうなのに食えないって、切な過ぎ)

黙々と手を動かしながらも、心密かに肩を落とした。







食事をする間も沢口から連絡が来ることはなかった。勿論こちらから電話をかけても繋がらない。どうやら携帯の電源を切っているらしい。

仕方がないので伊織からも恭平からもメールを送って再び連絡を待つこととなった。

伊織が後片付けくらいは自分にさせてほしいと申し出てくれたため、恭平はシャワーを浴びるべくバスルームに向かう。

可愛らしさに加えて素直でしかも殊勝な振る舞いもできるとは、これはかなり男にモテるだろう。そんなところも沢口とは真逆だ。



(女の子家に連れ込んでんのに何もしねーのなんて初めてかもな)

深い溜息をつき、シャワーの蛇口を捻る。一先ず頭を冷やそうと、温度低めのお湯を被った。

(っつーか、普通に手出しちゃってもいい感じの流れじゃね? のこのこ家までくっついて来て、シャワー浴びてくるっつっても何も警戒しねーんだからオッケーってことじゃねーの・・・)

そんな考えばかり浮かんでくるあたり、まだまだ頭は冷えてくれてはいないようだ。

だが、

(けどなー・・・沢口さんに殴られんのも怖ぇし・・っつーか、最悪クビにされそうだしなぁ・・・)

血走った眼で首に血管を浮きだたせて怒る沢口を想像すると、必然的に背筋が冷たくなる。

思わずぶるりと震え、燻ぶっていた欲望もすっかり身を潜めた。

(ま、いくら何でもそろそろ連絡来んだろーしな)

風呂場の時計を見て、すでに夜も更けた時間であることを確認する。

シャワーを浴び終え、手早く身支度を整えてバスルームを出た。



(おぉ、カンペキじゃん)

頭にタオルをかけたままリビングに向かうと、まずきちんと片づけられたキッチンが目に入った。

ステンレスの水回りは顔が映りそうなほどにピカピカに磨かれ、調理器具や食器も新品のように綺麗に洗ってある。

少しの水滴も飛んでいないのは感嘆するばかりだ。

(やべー・・・超理想なんだけど、伊織ちゃん)

よりいっそう伊織の評価を高める。

感謝の意を伝えようと、ソファに座っている伊織のもとへ歩み寄った。

「伊織ちゃ・・・」

声をかけようとして、思いとどまる。

伊織はソファで膝を抱えるような格好で横たえ、すやすやと眠っていた。

(どんだけ警戒心無いんだよ・・・)

短いスカートでそんな姿勢をとれば、当然ながら柔らかそうな太股は露わになり、さらに

(ピンクのレース・・・)

スカートの奥の下着まで見えている。

(ここまで来ると、もう“ご自由にお召し上がり下さい”って言ってるようなもんだろ・・・)

伊織のあまりにも無防備な姿に、恭平は溜息を漏らした。

ほとんど吸い寄せられるように伊織の足に触れ、ゆっくりと体勢を変えさせる。

伊織の体が仰向けになったところでソファに乗り上げて覆い被さった。

“沢口に殴られる”などという考えは既にホワイトアウトしている。

ただ目の前にある、このどうしようもなく美味しそうなご馳走にかぶりつくだけだ。

「仁後・・・さん?」

首筋に口づけると、流石に伊織も目を覚ました。

起き抜けで少しぼんやりしているようだが、この状況に戸惑っているのは明らかだ。

それでも、嫌がる素振りや抵抗する様子はなく、ほんの少し身を捩っただけだった。

「伊織ちゃん・・・・」

耳元で名前を囁き、今度は伊織の唇を求めて顔を寄せる。

「・・・ん・・」

伊織も目を閉じて恭平の口付けを受け入れた。

その時、

~~~~~~♪♪♪

恭平の携帯が鳴った。

流れたメロディはゴジラのテーマ。人別に着信音を変えてあるため電話の主はすぐに分かる。沢口だ。

(やべぇ、沢口さんに殺される!)

我に返ったように慌てて飛び退き、大急ぎで携帯を手に取る。

「はいはい、もしもし、沢口さんお疲れで~す」

声が裏返りそうになったが、なんとか平静を装った。

『悪かったわね、仁後君。今メールに気付いたのよ。伊織は? そっちにいるの? 』

沢口はどこか疲れ切ったような声で尋ねる。

テンションの低さからして、やはりお見合いパーティーは不発に終わったのだろう。

「あぁ、うん。ICHIYOUで待ってるのも可哀想かと思って、家に来てもらってる」

沢口のお見合いについてはつっこまずに、質問にのみ答える。

こちらを見ていた伊織と目が合い、何となく気まずい心地がして互いに目を逸らした。

『すぐ迎えに行くわ。ごめんなさいね、弟が迷惑かけて』

「いやいや、全然気にしないで。沢口さんにはいつも多大なご迷惑をお掛けしてお世話になってますから」

珍しく素直に謝罪する沢口に、軽口を返す恭平。

だが、ふと気付く。今沢口は何と言ったのだろう・・・

「・・・弟? 」

沢口の台詞を反芻し、目の前の伊織を改めて見つめる。

『えぇ、そんなナリしてるけど、伊織は弟よ』

キッパリと沢口に断言され、恭平は硬直した。







***



キッチンスタジオICHIYOUから10分程度歩いたところにあるオフィス街の一角に停まっているのは、コーヒーカラーのMRワゴン。

両サイドにはしなやかな白い猫シルエットとともに“Sawa”というロゴ、そして“お弁当注文承ります”という文字が書かれている。

簡易的なテーブルには弁当が積み上げられ、その前には近隣の会社員であろう人々が列をなしていた。

(へぇ、結構繁盛してんだな)

列の後ろに並び、恭平は感心したように頷く。

売り切れてしまっては困るからと早めに出て来たはずなのだが、この列を見たところ完全に出遅れてしまったようだ。

「いつもありがとうございます。またお願いします」

慣れた様子でテキパキと客をさばいているのは、フリルのついたエプロンとピンク色の三角巾をつけた可愛い女の子・・・にみえる男の子。今日も眩しいミニスカ姿の伊織だ。

「あ、仁後さん! 来てくれたんだ」

ようやく恭平まで順番が周ると、伊織は満面の笑みで迎えてくれた。

「沢口さんにパシられたんだよ。弁当3つね」

沢口と拓真と自分の分だ。

運の良いことに、弁当は丁度最後の3つだった。

「ちょっと待っててね」

伊織は本日終了の札を立てると、恭平に断りを入れてから後ろに並んでいた客たちに売り切れたことを伝えに行った。

意外にも文句を言う客はおらず、口々に“またくるよ”“明日こそは”などと残念そうに言うのみだ。中には実際に明日の分の予約を入れている人々もいる。

(ファンが多いってことか)

デレデレと鼻の下をのばしているサラリーマン達はおそらく皆伊織目当てで通っているのだろう。

「あの人ら、伊織ちゃんが男の子だって知ったら卒倒すんじゃない?」

人だかりがなくなってから、恭平は冗談混じりに耳打ちをする。

伊織も苦笑しつつ、フリルのエプロンを広げて見せた。

「やっぱり売り子は女の子の方がいいんだろうね。女装するようになってから売り上げ5倍だもん」

“男って単純だよね~”と小悪魔な笑みを浮かべる。恭平としては苦笑するしかなかった。



なんでも、開店した当初は普通の服装・・・つまり女装はせずに売っていたが、売れ行きがいまいち延びなかったらしい。

それでも場所を転々としながら細々と営業を続けていたところ、ある日初めて弁当完売を果たした。その一日を振り返って見れば、服装が紛らわしかったのか、何度も女の子に間違えられていた。

そこで“もしかして”と半信半疑ながらも女の子らしい恰好をするように意識してみたところ連日完売。

いよいよ本格的に女装をし始め、その完成度が増すに連れて売り上げも鰻登りになったのだという。



「だからって下着まで徹底しなくてもいいじゃんよ・・・」

見えそうで見えないすれすれ丈のスカートに視線を移しながら思わず呟く。

伊織はまたも悪戯っぽく微笑んだ。

「だって、見えちゃったときに下着だけ男物だったら萎えるでしょ?」

「・・・・フツーは見えちゃわないように短パンとか履いてるもんでしょーよ」

伊織の言い分に項垂れる恭平。

この完璧すぎる女装にうっかり惑わされてしまったのだから何とも言い訳のしようがない。

ちなみに、あの晩のニアミスについては敢えて触れないようにしている。

沢口にも何も言われないところを見ると、伊織の方も黙ってくれているらしい。

(ま、男同士なんだし。チューくらい、酔っ払って冗談とかでもすることあるし)

大したことではない、そう思って流してしまうのが得策だ。

男に惑わされて手を出そうとしたなど、恭平としては有るまじき失態なのだから。



「ねぇ、仁後さん。今日って何か予定ある?」

弁当とサービスの味噌汁を袋に入れ終えたところで、伊織が不意に尋ねる。

恭平が何もないことを伝えると、今度はおねだりをするような上目遣いに変わった。

「こないだのパスタ、自分なりに作ってみたんだけどね、なんか一味足りなくって・・・。だから、もし良かったらアドバイスしてもらえないかなーなんて」

瞳がキラキラと輝いている。恭平が料理している時、興味深そうに眺めていたあの表情と同じだ。

料理が大好き、その気持ちが滲み出ているような、そんな顔。

(まぁ・・・断る理由もないし)

拓真や沢口から度々“お人好し”の称号を与えられている恭平なのだ。基本的に頼まれれば断らない。

それも、こんなおねだり上手に頼まれたともなれば尚更。

恭平は弁当を受け取りながら頷いた。

「いいよ。じゃあまた家で作ろっか」

「ホント? 良かった~」

恭平の返事を聞くなり、伊織は満面の笑みを浮かべた。

「じゃあ材料買って仁後さんのお家行くね」

“約束”と言って小指を繋ぐ。

(子供みてぇだな・・)

伊織の無邪気な仕草に、恭平は自然と頬を緩ませた。





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