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第四章 聖女が辺境にやってきた!

第一話 平穏是又日常也#2

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 その日、ギルドハウスはいつになく緊張した空気に包まれていた。
 なにしろ訪れた客人が、政治的にも歴史的にも今まではあり得ない人物であったからだ。
 ギルド一階は普段と変わらぬ喧騒に包まれていたものの二階以降は緊張した表情の職員達が職務に励み、ギルドマスター執務室の前はギルドガードによって厳重に警備されていた。


「つまり、なに……『ザラニド』はその建国から国是としてきた鎖国体制を緩めようってワケ?」
 目前の客に、ギルドマスター・クリフがこめかみを指で揉みながら口を開く。
「そして、そんな重大事項がなぜギルドの窓口に持ち込まれているのかしら?」
 目の前に立っている一人のオーク、ゼムキャッセルド・ジェンナーナームに半ば睨みつけるような視線を向けるが、当の本人はどこ吹く風。
「それなり以上の地位にあるオークが人族と接触するなんて、その頑迷さは比類する者無きと言われる『賢人会議』がよく許可を出したわねぇ」
 人族と違い、オークの社会には二つの政治勢力がある。
 一つは人族と同じく王族。国王や女王を頂点とし、貴族や軍士達によって構成される支配者層。
 そしてもう一つは『賢人会議』。数百年の時を生きたという古老オーク十三人の賢人によって構成される議会。
 国王の求めに応じて助言を行う諮問機関ということになっている――建前では。実際には全ての政策が彼らによって立案され、実施される。
 最終的な決定権は国王にあると法は定めているが、現実問題として『賢人会議』の助言を拒否することはできない。仮に拒否したところで『不幸な出来事』が起き、新たな国王が誕生するだけだ。
 そして現状維持こそを至高とし一切の例外を拒否する『賢人会議』が、鎖国体制を揺るがすような方針を立てる筈がない。
「流石はギルドマスター。我らが『ザラ二ド』の内部事情にも詳しいようで」
 憂鬱そうなクリフとは逆に、なんとも楽しそうな表情で言葉を続けるゼム。
「ご安心を……『ザラニド』が方針を変えたり国是である鎖国を解除しようという話ではありません。あくまでもちょっとした協力のお願いです」
「協力、ねぇ……『賢人会議』が方針を変更しないというのなら、そもそも話として成り立たないのだけど?」
「つまりこれは『ザラ二ド』の意思ではありません──少なくとも現時点では。陛下と私だけの決断です」
 あっさりと会話の爆弾を放り込んでくるゼム。これには流石のクリフも目を白黒させるしかない。
「『賢人会議』は一切関与していませんから、問題にはなりませんよ」
 それが一番の問題なんだけど! と、叫びたかったクリフだった。
「『ザラニド』の偉大なる先達の努力で、私達オーク族はその国是である『神々に命ぜられた使命』を半ば達成しつつあります」
「『原初の人』……エンゲルス・リンカーの追討……」
 なんとも胸糞の悪い話だ。いかなる理由があるにせよ、一つの種族を丸々絶滅させようとは。それも、わざわざそれ専用の種族を創造してまで。
 彼の者達と神々の間になにがあったのかは知らないが、神話レベルの非常識と言わざるを得ない。
「ご存知であるなら、話は早いですね」
 胸の中で毒づいてるクリフにゼムが話を続けた。
「神々の定めに従い、私達は全力を尽くして彼らを追い、その殆どを討ち果たしました」
「まぁ……それはご苦労さま?」
 他になんと言えばよいのだろう? 随分と長い時間を経験しているクリフも他に言うべき言葉が思いつかない。
「えぇ、まぁ。苦労の甲斐はありましたが」
 クリフの言葉にゼムは苦笑いを浮かべる。
「ただその過程で、私を含む一部のオークは気付いてしまったのですよ」
「気付いた?」
「このまま戦い続け、エンゲルス・リンカーを狩り尽くしてしまったら。私達は一体どうなってしまうのだろうと」
「………」
 ゼムの言葉にクリフは言葉を失う。
 それは……確かにそうだ。
 オーク族はエンゲルス・リンカーを滅ぼす。そのために生まれた種族だと伝えられている。

 では、その使命が達成されたら?

「神が存在しないこの世界で、一体私達は何を目的に存在すれば良いのか? それどころか、目的を達成した瞬間何が起きるのかすらわからないのです」
 深い深い溜息をもらすゼム。
「最悪を想定するなら、最後のエンゲルス・リンカーが死んだ瞬間に役目は終わりとばかりに私達オーク族も一緒に消滅してしまう可能性もあります」
「いや、流石にそれは、どうかしら? いくらなんでもそんな乱暴な……」
 クリフの言葉に、ゼムは軽く肩をすくめる。
「私達を産み出した『神』が存在しない今、どのような終末を用意していたのか確認する方法はありません。何が起きるのか想像だにできないのが実際です」
 『神』というのは全てにおいて超越した存在だ。その思考はオーク族も人族も及びもつかない高みにあるだろう。その真意を知ることなど到底無理だ。
「残念ながら『賢人会議』は、敢えてそのことを考えないようにしているようですがね。彼らは『神』からの使命を守り続けること以外に興味は無いようですから」
 ゼムの言葉には『賢人会議』に対する敬意のかけらも感じられない。それどころか侮蔑の感情さえ伺える。
「まぁ、私達オークの事情をさておくとしても、まだ不安は残ります」
「……あぁ、なるほど」
 そこまで言われれば、その先は容易に想像がつく。
「えぇ。追いつめられたエンゲルス・リンカーが、一体どのような行動を取るか全く予想つかないということです」
「窮鼠猫を噛む、ってことね」
 エンゲルス・リンカーが大人しくやられっぱなしでいるとは限らない。当たり前のことだ。
「えぇ。長年に渡る私達の攻撃から生き残れたエンゲルス・リンカーは、自然と実力者に限定されます。弱者が消えることで強者だけの集団となった彼らが、この先どうでるのか……」
 オーク族がエンゲルス・リンカーの全滅を狙っているのに、彼らが大人しくやられっぱなしでいる筈はない。
「充分な時間もありましたし、彼らが最後まで狩られるネズミの立場に甘んじていると考えるのは、楽観主義にもほどがあるというものですから」
「まったく迷惑な話ねぇ」
 そしてエンゲルス・リンカーが逆襲を始めた時、人族が無関係でいられる保証はない。
「巻き添えになる方のことも、少しは考えて欲しいモノだわ」
 人族とエンゲルス・リンカーの間に確執は存在しないし、そもそも大半はその存在すらロクに知らない。
 オーク族とエンゲルス・リンカーが争うのは好きにすれば良いが、そこに巻き込まれるのは絶対にゴメンだ。
「実際、今回の彼らの動きは今までに無いものでした」
 クリフの心配をゼムはさらりと補強する。
「常に影に潜み密かに行動するエンゲルス・リンカーが、これほどはっきり自分たちの痕跡を残したのは初めてのことです」
 人族の間で『原初の人』エンゲルス・リンカーが伝説上の存在だと思われているのは、その存在を示す物が文献と遺跡しか存在しないからだ。
 しかもそれらの文献に残されている記録は、人族から見ればお伽噺としか思えない荒唐無稽なものばかり。
 『教会』に至っては、エンゲルス・リンカーの存在そのものすら認めていない。
「これがエンゲルス・リンカー全体の意思かどうかはわかりませんが、痕跡を発見されても構わないと考える者が確実に現れたワケですよ」
 実在が疑われるほど、今までエンゲルス・リンカーは歴史上に姿を見せようとはしなかった。
 にも関わらず、今になってその姿を見せようとする理由。どう考えてもあまり愉快な話にはならないだろう。
 頭痛が痛い──今のクリフの心境は、そんなところだ。
「私達としましては」
 しかめっ面を浮かべこめかみを抑えるクリフに、ここからが重要な話だとばかりゼムが居ずまいを正す。
「様々な点を勘定した結果、今回の騒動を表向きは『ザラニド』を追放されたならず者オーク共の仕業ということにしたいと考えています」
 僅かにゼムの表情が歪むのをクリフは見逃さない。
 オーク族は神々によって明確な意図を持って生み出された唯一の種族だ。それだけに自尊心は高い。
 その彼らが敢えて泥を被るというのだから、これはまた……。
「あなた方人族としても、そちらの方が都合が良いのでは?」
「ま、それはそうだけどね」
 ブラニットの報告書によれば、今回の一件は『何者かの研究・実験生物』によるモノだったという。その何者かがエンゲルス・リンカーなのは、想像に難くない。
「でも、アテクシ達は単なる仕事斡旋組合よ。ちょこっと、お門違いというか手に負えないというか……」
 言いたいことはわかるが、ことはギルドの領分を大きく超えている。ギルドはあくまでも探索者に仕事を仲介し、多少の手助けを行うだけの組織だ。
 こんな話は政務官達とするべき話であって、もしこのことが領主館に露見すれば面倒な確執を生むことにしかならない。そうなれば今までの努力がすべて水の泡だ。
「本件を解決したのは、ギルド所属の探索者であるアイカ殿御一行ではないですか。その成果は、間違いなく貴女の手にあります」
 そのとおりだ。実際に問題を解決したのは領主館の騎士隊でも調査隊でもない。
 アイカを始めとする探索者達とギルドガード・ブラニットだ。
 レンという名の領主館の騎士も混じっているが、彼女は飽くまでも独断で行動したのであり、領主の意向とは無関係だと言っている。
「言葉は悪いですが、それをどう活用するかはギルドの心内一つかと」
「まるでギルドと領主の対立を煽っているみたいに聞こえるのだけど?」
「いえいえ。滅相もない。わざわざ人族の混乱を焚き付けたところで、私達にメリットなど何一つありません」
 クリフの嫌味にしれっと答えるゼム。
「もちろん私達も、一度は辺境伯殿と話し合うことも考えました。ただ、残念ながら私は『ザラ二ド』より全権を委託されているわけではありません。そうである以上、正式な国交となる領主殿との交渉は困難であると申し上げるしかないでしょう」
 つまりオーク側は辺境伯に対して何も約束できないし、なにも譲歩できない。なるほど、これでは交渉にすらならないだろう。辺境伯から見てみれば、一体何をしに来たという話だ。
「しかも、今は次期領主候補を決めようと競ってられる時期。タイミングが悪いと申し上げるしかありません。今回の件が原因となって、不要な混乱を招かないとも限りません」
 ゼムの指摘は鋭い。どうやってかはわからないが、このオークは辺境領の政治的状況を確実に把握している。
(不要な混乱なんてレベルの話ですめばイイ方よねぇ……)
 継承権を争う二人の公子は、騎士団と揉めた事による失点を取り返すため使えるものはなんでも使おうとするだろう。長男はともかく次男の方は、間違いなくそれが何をもたらすかなど考えはしない。
「貴方がたもオーク族とエンゲルス・リンカーの因縁に巻き込まれたいとは思わないでしょう?」
「考えたくもないわね」
 ため息を漏らすクリフ。
 神にも等しい力を持つと言われるエンゲルス・リンカー。それを追うオーク族の力もまた、同等だ。その両者の衝突ともなれば……。
「アテクシ達人族はひ弱なの。怪獣大決戦に巻き込まれるのは御免こうむるわ」
 せっかく魔族とのいざこざが片付いて平和になったというのに、新しい厄介事を好き好んで抱え込みたいとは思わない。
「そういうわけで、是非ともギルドにご協力願いたいのです」
「はぁ……選択肢なんてあってなきがごとしね」
 要望を断るのは簡単だ。ゼムも無理強いはしないだろう。だが、それがもたらす結果は?
 こちらが要求を飲まない以上、ゼムもこの先の行動で遠慮も配慮もしないだろう。
「それで、泥を被ってまでこちらに協力――要求したいことってなんなのかしら? 単なる善意だっていうのなら、それでも構わないけど?」
「要求だなんて、とんでもない……ただ、ちょっとしたお願いがあるだけですよ」
 さも心外そうな表情を浮かべてゼムが続ける。
「そんな難しい話ではありません。私をギルドの探索者として登録して頂きたいだけです」
「は?」
 確かに難しい話ではない。もともとギルドの探索者に種族や性別の資格は定められていない。
 少数ではあるが魔族やエルフ族の探索者もいるし、更に少数だがオークの探索者も存在するのだから。
 にしても、流石にオークヒーローなどという大物が探索者になった例など今まで無かった。
「ただまぁ……最下位から始めたのでは、ギルドの規定もありますし行動の自由に差し支えもでるでしょう」
 困惑するクリフをそっちのけで言葉を続けるゼム。
「そこは申し訳ないのですが、ある程度は配慮して頂きたい。余計な恨みを買うのは面倒なので、それ以上の優遇は望みません……決して無理は話ではないと思いますが?」
「えっと……それだけ? つまりはゼムキャッセルド殿を――」
「ゼムです。ギルドマスター殿」
「……ゼム殿を探索者の一人として迎え入れる――つまり、オーク族の重要人物を、一山幾らの有象無象として扱えと?」
「人族の社会では、私の知名度など無いようなものでしょう」
 オークヒーローであるゼムは特例とするに充分な資格を持っているが、ほとんどの人族はオークについて詳しいわけではない。精々変わり者のオークが一人増えたか程度の認識だ。
 だがギルドは探索者の素性を問わない代わりに、実績のない優遇もしない。それが決まりだ。
「それに『ザラニド』は鎖国状態なので、私の肩書を顕示するワケにもゆきませんし。他オークのように好奇心と冒険心に溢れた変わり者ということにしておいた方が、お互いのためというものでしょう」
「………」
 探索者達にとって無名のオークを特別扱いなどすれば、多くの探索者が不満を持つだろう。
 それなりとはいえ探索者がギルドに従っているのは、仕事と成果に対して平等であるからだ。その原則が崩れれば、ギルドの存在が根本が揺るぎかねない。
 例外もあるにはあるが、それは『勇者』や『賢者』といった認知度の高いケースに限られ、早々に成果を上げることが求められる。
「こちらの事情に最大限の配慮を頂けて、涙がでてきちゃいそうヨ」
「私の目的は、飽くまでもエンゲルス・リンカーの目的を探ること。それを調べるには現場近くに居たほうが異変を感知しやすいですし対応も迅速にできますからね」
「はぁ~。オッケー、オッケー。とりあえず登録の件は了解したわ。といか、そもそもギルドは来るもの拒まずだしね……とりあえず『鉄』クラス探索者として登録するワ。商隊護衛の経歴でもでっち上げておけば、なんとかなるででしょ……というか、そもそも殆どの探索者はオーク族の見分けなんてできないから問題ないわネ」
 『鉄』クラスの探索者は『銅』クラスについで数の多いランクだ。そんな中、わざわざオークに注意を払う物好きは多くないし、わざわざ絡もうとする者はもっと少ない。
「感謝します、ギルドマスター……いえ」
 腰を曲げ、お腹のあたりに右手を添えた洒落ポーズで感謝の意を示すゼム。
「月光たる永命の錬金術師、偉大なる女史。クールニア・リーフロッテ・フェルディア殿」
 その名前が空中へと発音された瞬間、クリフの姿が僅かに『ぶれた』。
「……その名で呼ばれたのも、随分とまぁ久しぶりですね」
 ゼムの言葉に、クリフの目がすっと細められる。
「ハハハ。どのようにお姿を変えられようと、その御威光は隠せませんからね」
 いつもクネクネした動きで曲がっている背筋がピンと延ばされ、普段のクリフからは想像できない鋭い視線がゼムへと向けられた。
「流石はオークヒーロー、ということですか……」
 クリフは腹ただしそうに言葉を紡ぐ。その言葉さえ普段とは違うものに変わっている。
「色々なことを、よくご存知だと言いたいところですが」
 目の前にいるのは永劫とも言われる時を生きるオークだ。であれば余計なことを知っていても不思議はない。
 そう。余計なことだ。
「今の私はギルドマスターのアルケミー・クリフ。それ以上でもそれ以下でもありません」
 余計なことは迂闊に口にするべきではない。情報において優位にあることを見せつけたいのであれば、それは悪手だと知るべきだ。
「ギルドと良い関係を続けたいと思うのでしたら、その名は二度と口になさらぬよう忠告します」
「これは失礼」
 クリフの意図を、ゼムは正確に察する。ただ強いだけでは『ヒーロー』の肩書を得ることはできない。
「感謝の意を示すには、こちらの手の内を隠さずにいるのが誠意だと思っただけです。気分を損ねましたのなら謝罪します」
「アテクシ、物分りの良いイケメンは嫌いじゃなくてよ」
 ゼムの謝罪に、いつもの調子に戻ったクリフが答える。
「これから長い付き合い……にはしたくないけど、ギルドは貴方を歓迎するわよ。ゼムキャッセルド・ジェンナーナーム殿」
 まったくもって本意ではないし、とんだ巻き添え事故をもらったような物だ。
(フン……こうなったら、とことん利用させてもらうわよ!)
 毒食わば皿までとは言うが、その毒は自分の意思ではなく相手に無理矢理皿ごと口に突っ込まれたモノ。
 こうなったらその腕まで食いちぎる勢いで飲み込んでやる、そうでもしないと、とても割に合わない。
 それに利益だけではなく苦労をも分かち合えてこそ、協力者と言えるのだから。


   *   *   *


 三人が拠点にしている屋敷。昼下がりのリビング。
 紅茶の香りを楽しみつつゆったりとティータイムをとっていたアイカの元を、幾分か硬い表情を作ったレティシアが訪れた。
「アイカさん。今、お時間宜しいでしょうか?」
「ん? 茶を飲んでいるだけだ。特に問題はないぞ」
 レティシアの言葉に、行儀悪く椅子の上で足を組んだ格好でカップを傾けていたアイカが鷹揚に頷く。
「では少しお話したいことが……」
 そう言いつつちらりとライラの方に視線を向ける。
「……ライラ、あとは自分達でやる故、下がって良い」
 テーブルの横で控えていたライラに、アイカが言葉を掛けた。
「用ができればこちらから呼ぶ故、他の者にも休むように伝えておくがよい」
「承知いたしました」
 アイカの言葉に一礼したあと、ライラはティーセットを運んだ空のワゴンを押して部屋を退出する。
「それで、改めて何の話をしたいのだ?」
 ライラの姿が消えたのを確認してから、アイカがレティシアに先を促す。
「私、思ったのですが……あの辺境の森でエリザさんが致命傷を負った時……アイカさん、貴女は助ける手段を実は持っていたのではありませんか?」
 カップを口元に運んでいたアイカの手が止まる。
「あの時はレンさんがエリクサーを使ってくれたことで事なきを得ましたが、そうでない場合、エリザさんは致命傷を負って再起不能……それどころか死んでいても不思議はない状況でした」
「………」
「ですが、アイカさんの行動はどうにも不可解なものでした。慌てるわけでもなく取り乱すでもなく、まるで経過を観察でもしているかのような」
 無言のアイカを突き刺すようなレティシアの視線。
「怪我を負ったのが私やクリスさんなどなら、まだわかります。ですが、相手はエリザさんです。アイカさんの反応が不可解に見えても仕方ないのでは?」
「ここで誤魔化すのは簡単であるが……お主、それでは納得しないであろう」
 はぁっと大きくため息を漏らすアイカ。
「あの局面でエリザを助ける方法を、確かに余は『持って』いた」
「なら――」
「だが、余が手を出さずともエリザが助かることを、余は『知って』いた」
 レティシアの言葉を片手で遮りつつ、アイカは言葉を続ける。
「わかっておるのに余計な干渉をしたのでは、助かった筈の未来が狂ってしまう恐れがある。故に余は傍観するしか無かったのだ」
「えーっと……」
 他になんと言ってよいのかわからないという表情を浮かべつつ、レティシアは尋ねた。
「アイカさんは予言者の素質をお持ちなので?」
「予言者などという仰々しいモノではないが、まぁ……近いといえば近いのやも知れぬ」
 ふむ。とソーサーにカップを置き、胸の前で腕を組むアイカ。
「出奔前の余は魔王なぞやっておったが、本来はユリヅキ様――お主らが言うところの『神』に仕える巫女であってな」
「巫女、ですか? アイカさんが?」
 衝撃的な単語を耳にし、驚愕の表情を浮かべるレティシア。
 それが魔族における女性聖職者の肩書だという事は知っている。ただ世の東西を問わず、その手の仕事には(実態はともかく)清楚で慎ましい女性が選ばれるものでは?
「お主が何を言いたいのか後でじっくりと追求するとして、ともかく話をすすめるぞ」
 レティシアにジト目を向けながら、アイカは言葉を続けた。
「巫女が持つ能力の一つに『夢見』というものがある」
「『夢見』?」
「まぁ、簡単に言えば限定的な未来視みたいなものだ……見える時期を決めることは出来ないし、そもそも意図して見ることもできぬ」
 うまく説明するのが難しいと漏らしつつ、アイカはソーサーに置いたカップを取り上げる。中に半分ほど残ったお茶は冷めていたが、喉を湿らすには丁度よい。
「その上、見たとしても漠然としたイメージであることが大半だという極めて不便なものではあるが……」
「それはいつか起きるであろう未来を、偶然的に覗き見ることができると?」
 驚きと呆れが半ばする表情を浮かべるレティシア。
「概ねそれであっておる。ついでに言うと余はそちらの方面にもそれなりに才能があったようでな……他の巫女よりはっきりと具体的に『見る』ことができる」
 それはいかなる魔法を使っても不可能な技で、アーティファクトですら可能だとは聞いたことが無い。
 いや『聖女』だけはお告げという形でそれが可能だと聞いたことはあるが……。
「つまり、エリザさんが重症を負い助けられるのは決まっていた未来。だから、アイカさんは敢えて何もしなかったと」
「そう捉えれてくれれば良い」
「その……なんと言いますか、アイカさんはエリザさんをとても愛でてますよね?」
 ともかく頭を切り替える。今大事なのは、そのことではない。
「理屈としては理解しますが、そこまで割り切れるモノなのです?」
「まぁ、お主の言いたいことはわからんでもない」
 些か温度の下がったレティシアの視線を真正面から受け止めつつ、アイカは言葉を続ける。
「確かに余はエリザを気に入っておるし、好いてもおるが……だからといってあそこで形振り構わずエリザを救おうとした場合、未来が変化してどのような影響がでるかわからぬ。助かるはずだったのに助からなかったという結果にすらなりかねない」
 未来に干渉した結果がどうなるのか? それは誰にもわからない。
 言えることは、それが良い結果をもたらすとは限らないということだけだ。
「未来を知るということは、一種のズルだ」
 将来が見えるというのは、かなりのアドバンテージだ。それは誰よりも優位に立てる決定的な情報。
 殆どの人にとってそれは絶対に真似できないイカサマみたいなもの。
「であるからこそ、余が知り得た未来を利用するのは許されぬ行為であろう。一つ一つは些細であったとしても、積もり積もれば蝶の羽ばたきが竜巻を呼んでしまうやもしれぬからな」
「……元魔王なんて経歴から言えば当然なのかも知れませんが、随分と合理的な判断をなさるんですね」
「ふん。余の振る舞いは、エリザに対する愛が足りぬとでも申すか?」
 レティシアの言葉に、アイカが唇を歪める。
「余とて葛藤が無いわけではない。だが、愛とは免罪符ではない――たとえ世界の中心で愛を叫んでみても、現実はその身勝手には応えぬぞ」
「はぁ……まぁ、いいです」
 降参だとばかりに両手を上げてひらひらさせるレティシア。
「とりあえず、アイカさんの考えはわかりました。言いたいことはありますけど、価値観の違いがある以上は平行線ですし。ともかくエリザさんを大事にしてくれるのなら、それでいいです」
「物分りの良い者は嫌いではないぞ」
 クックックッと喉で低く笑うアイカ。
「褒美に一つ面白いことを教えてやろう」
 片手を振ったアイカの手に、なにもない空間から一本の刀――『焔月』が出現する。
「これが魔王の刀……」
 レティシアの喉がゴクリと音を立てる。そこにあるだけで圧倒的な存在感を放つ刀。魔王が持ち、数々の勇者と激戦を繰り広げた一本。
「よく勘違いされているのだが、魔王刀の呼び名は『魔王が持つ刀』という意味ではない」
 レティシアの呟きにアイカが言葉を続ける。
「歴代魔王の大半がこの刀を持っていたのは事実であるが、この刀を持っていたから魔王となったワケではない。余は魔王となる以前から『焔月』の使い手であったしな」
 実際、代々の魔王の中には魔術に特化した杖や鏡を得物とした者がいる。中には素手格闘に特化した者さえも。
「この『焔月』は、刀自身が初代魔王本人であり、自ら所有者を選ぶが故に魔王刀と呼ばれておる」
「はい?」
 一瞬アイカが何を言ったのか理解できず、呆けた表情を浮かべるレティシア。
「初代魔王、本人?」
「うむ。文字通り、肉体を変質させ自分の身を刀身へと?化させたのだ。永遠に魔族を導く者として、自らを一本の刀という無機物にな」
 自分自身を刀と変化させる。その方法もさることながら、覚悟も尋常ではない。
 いや、一体どれほどの覚悟があれば、そのような発想に至り、実現に至るのだろうか?
「クククッ。初代様は魔族の民を心から愛し、永遠に魔族の守護者足らんとしたのだ。常人には計り知れぬ深き愛よの……余には狂人の執着だとしか思えぬが」
「それは……えっと」
 なんと答えて良いのか分からずレティシアは頭を振る。
 それが大きな愛であることは否定できない。だが、これはそれ以上の狂気だ。
 人は愛に狂うことがあるとは知っている。だが、これはその限度を超えているとしか言えない。
「愛も突き詰めれば狂気に至る。その実例がこの『焔月』だ――その使い手に選ばれたということは、余も同類だと認定されたようなモノだが……まったく、迷惑な話よな」
 もう一度手を振ると同時に『焔月』が空中に消える。
「誰かが誰かを好きになる――その素晴らしさを否定するつもりは無いが、それは自制心も伴ってこそよ。お主なら理解できよう?」
「………」
 レティシアに反論できる言葉は無かった。

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