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引きこもり貴族様の裏事情
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気がつくと、部屋の中は静まり返っていた。
耳を澄ますと、建物のあちこちで引き起こされる音や声がはっきり聞き取れるほど。
時折、窓の付近で本の頁を捲る音が聞こえる。
そういえば、ロイさんて何の仕事しているんだろう?
ジルさんは、なんか書類を読んだり書いたり時に会議をして指示を出し、結構忙しい。
ついこの間までは三日に一度の出勤だったけど、今じゃ毎日出勤+時々徹夜だもん。
ラザールさんも、いかにも軍服って感じのかしこまった制服着てジルさんのところに報告に来たり、指示を仰いだりしているのに。
ロイさんは、会議の時に顔出すくらいで、今だってこうしてただ本を読んでいるようにしか思えない。
着ているものも日中ほぼ、トーガのようなばかでかい布を躯に巻きつけたような、楽だけどいかにも動きにくそうなもの。
お仕事しているにしても読書をしているにしても、邪魔しちゃ申し訳ないから、暫くは大人しくしていよっと。
椅子の下で丸くなりなおした。
本当はさっきの召還済みの件、ロイさんに相談してみたいんだけど。
とにかく、言葉がネックだわ。
溜息をついていると、遠慮がちにドアがノックされる。
「ロイロット殿下、妃殿下からのお届け物です」
お仕着せを着た見知らぬ人が背丈ほどもある大きな額縁を持って現れた。
え? このお部屋って誰も来ないって話じゃなかったっけ?
慌ててベッドの下にもぐりこむと、その位置から部屋の様子を覗き見た。
「また? 」
読んでいた本から顔をあげたロイさんが思い切り嫌そうな顔をした。
「いいよ、持って帰って」
覆いの掛かった額縁の中身を見ようともしないで言う。
「ですが、まだ他にもありますが」
お仕着せを着ているから多分、従者か使用人なんだろうけど、明らかに困惑気味な顔をしてドアの向こうを振り返った。
部屋の主に遠慮して、廊下で待っているらしい人間の息遣いが聞こえる。
そりゃそうだよね、誰かからのお使いで来ているんだと思うんだけど、ロイさんの態度あまりにそっけない。
「持って帰れ」なんて言われても、今度は言付かってきた主人になんと言えばいいんだろうか?
とか、言う感じ?
「母上には、後で僕から言っておくから。
とにかく、全部片付けて。
それから、次に何か持ってきても同じだからと、伝えておいてくれるかな? 」
少しだけ、ロイさんが怒ったような口調になっている。
それを目にお使いにきた人はすごすごと帰っていった。
「ごめんね、マリーちゃん。
びっくりさせちゃったみたいだね」
暫くして、ロイさんがベッドの下を覗き込んできた。
「普段はめったに誰も来ないんだけど、間が悪かったかな。
おいで、食事にしようか? 」
小さなお皿にクッキーを並べて、別のお皿にミルクを入れて出してくれる。
これこれ。
ジルさんのところだと、いつでもクッキーはミルクに浸してあるんだけど、この別々のさくさくクッキー食べたかったのよね。
食べ物に釣られて、あっさりベッドの下から這い出してくると、すかさず抱き上げられた。
「ごめん、マリーちゃん。
ちょっと、こうさせてもらえるかな」
前足を肩に掛けて担ぐように抱くと、ロイさんは背中に頬を寄せた。
ロイさんは、ロイさんなりにいろいろあるんだろうなぁ。
伝わってくる体温に、何か淋しいものを感じた。
ロイさんのお部屋でお留守番をはじめて数日。
日に一度か二度、ジルさんの所にいた補佐官さんが何か書類を持って顔を出す。
それとは別に、毎日のように届く物がある。
白い封筒の添えられた肖像画の数々。
掌大の物から、等身大の物まで。
確か、今後こういうもの持って来なくていいって、ロイさん言ってたはずなのに、相手も懲りない。
ロイさんは、それらに見向きもしなければ封筒の封も開けようとはしない。
そのルーティーンに慣れた頃だった。
「なぁに? 猫なんて飼ったの、ロイロット?
いやぁねぇ、最近流行っているのかしら? 」
何の先触れもなく、現れた貴婦人がベッドの下に逃げ遅れたわたしにちらりと視線を向けると、軽く眉を顰めた。
多少年齢はいってるけど、美人さんの上、落ち着いた色合いの豪華なドレスを来たご婦人。どことなく目元とかがロイさんに似ている。
ま、男性達が揃いも揃ってイケメンさんだから、女性だって美人さんじゃなければおかしいんだろうけど。
「違うよ、この猫はジルの飼い猫。
留守の間預かったんだ。
使用人には預けられないからって」
「そうなの? まぁ、どっちでもいいけど」
それでも貴婦人は興味がないのか、それ以上わたしに関わろうとはしなかった。
「それより、ロイロット、どういう風の吹き回しなのかしら? 」
お部屋の中を軽く見渡して、ロイさんに視線を向けると、貴婦人は軽く首を傾げた。
「どういうというと? 」
言われたことに心当たりがないのだろう。
ロイさんもまた、聞き返す。
「あなたなら、どんないいお家のお嬢さんも選び放題なのに、わたくしの紹介したお嬢さんは送られて来た肖像画を見もしないで、よりによって成金男爵の娘なんかと…… 」
貴婦人は扇を広げて顔の前にかざすと、その影であからさまに溜息をこぼす。
「何の話です? 母上」
い? 母上って事は、ロイさんのお母さん?
どうりで顔がどことなく似ているわけ。
でもって、この間から時々来ていた肖像画って、ロイさんのお見合い写真(みたいなもの)だったって事?
「あなた、モルニー男爵のご令嬢にエンゲージ・ジュエリーを贈ったんですって? 」
「いいえ、全く記憶がありませんが? 」
「でも、そう言って今、男爵親子がご挨拶にって見えているのよ。
あなたから何も聞いていなかったから、驚いてしまったわ。
とにかく、隣の部屋に待たせてあるから、いらっしゃいな」
貴婦人はそう言ってロイさんを促す。
「行かなければいけませんか? 」
「当たり前です。
あなたがそのつもりならそれなりの話をしなければいけませんし、そうでないなら誤解を解かなければ。
第一、どうしてその気がないのに、ご令嬢にジュエリーなど贈ったのですか?
それも、わたくしがあなたに子供の頃贈ったあのブローチなど。
あれにはあなたの意匠が彫ってあります、同じ物は二つとない品ですよ」
「ですから、贈った記憶はありません。
あのブローチは先日壊れてしまって、今修理に出していますが? 」
貴婦人の言葉が全く身に憶えがないらしく、ロイさんは何度も瞬きを繰り返す。
「いいから、いらっしゃい。
話をしなければいけませんから」
つと、ロイさんに歩み寄ると、貴婦人はその手を意外にもがしっと掴み、強引に引き立てていった。
……なんだかよくわからないけど、ロイさんの知らないところで面倒なことが起こったって感じかな?
椅子の下に置かれたクッションの上で『ごろん』てして、ロイさんの来るのを待つことにしよう。
それにしても静かだよね。
同じ建物だけど、ジルさんの居た棟はそこかしこの部屋から人の気配、ドアの開け閉めの音や、人の歩く音、話声なんかが広がって静まりかえっていたって事はないんだけど。
こっちの棟は、ある一定時間、朝と夕方人の出入りがあるだけで、日中はほとんど人の気配って言うものがない。
クッションに頭を乗せたまま、ボーっとしていると、珍しくどこか近くの部屋から人の話声がするのが耳に入った。
人間だったら話の内容まではわからない程の小さな音なんだけど、猫の耳はそれもしっかり拾えるんだよね。
「……いかがでしょう、間違いないと思いますが? 」
太い男の人の声が訊いている。
「確かに、この子が子供の頃わたくしが贈ったものですわ」
あ、この声はさっきのロイさんのお母さんのだ。
なんだか少し困惑していそう。
「では、ご了承いただけますな。
娘はもう、殿下からの贈り物のことを周囲に話してしまっておりましてな、今更間違いだなんて言われては、娘は大恥をかいてしまいます。
恥をかくだけで済めばいいのですが、婚約破棄されたなどとなれば、今後の嫁入りにも差し障ります」
さっきの男の人の声。
「待ってください、申し訳ありませんが、僕には全く心当たりがないのですが。
そもそも、そちらのお嬢さんのお名前も知りませんよ。
失礼ですが、誰かとお間違いでは? 」
慌ててその話をロイさんが遮る。
随分閉口しているらしいのはその口調からでもひとわかりだ。
「そんなっ!
酷いわっ。
あの日の夜会で、これをわたくしに下さって言ってくれたじゃないの。
『身分の差は関係ない』って。
ご家族は、自分が説得するから任せておけと。
アレは、嘘でしたの? 」
芝居掛かった声をはりあげる若い女の声は次いでどっと泣き出した。
「……ロイロット、今更ながら、往生際が悪いですよ。
こんな純真なお嬢さんを口説いておいて、気が変わったから知らぬことにするというのですか? 」
「いえ、ですから、母上。
僕には全くその記憶はないんですよ」
「でしたら、何故あなたのブローチがこのご令嬢の手にあるの?
わたくしにもわかるように説明なさい」
「ですから、それは先日落しまして…… 」
「落したですって、こんな大事なものを?
それであなたは、そのまま放っておいたって言うの?
我が家の家紋の入ったあなたの誕生石をあしらったジュエリーですよ。
どういう意味を持っているか、あなただって知らない訳がありませんよね? 」
親子でのやり取りが続き、婦人が呆れたような声をあげる。
「話の続きを聞いてください。
これは先日、落してしまいましたが、直ぐに届けていただいたんですよ。
ただ、どこかに引っ掛けでもしたのか、留め金が破損していて今修理に出しているはずなんです」
「では、これは何だと仰るの?
殿下がわたくしの手に直接握らせて下さったものなのに…… 」
しゃくりあげながら、ご令嬢が訴える。
……なんか、言った言わないって、泥沼だなぁ。
でも、わたしの目からするとロイさん、そんなことする人には見えないんだけど。
そもそも、夜会ひとつ出るのにもパートナーのジルさんが行かなきゃいかないってごねるくらいなのに?
わたしは首を傾げる。
「そういえば、ロイロット、あなた先日クララック卿ではなくて、見慣れないお嬢さんをエスコートして夜会に出ていたって言うじゃないの?
このお嬢さんのことではないの? 」
いえ、それ、多分わたしなんだけど。
どこで、そのご令嬢と入れ替わったんだろ?
「それは、ですね…… 」
ロイさんが口篭もる。
そりゃそうだよね。
違うって言えば、じゃそのお嬢さんを連れて来いってことになる。
シャンタルさんがこの場にいればともかく、今猫のままだし。
「……暫くお待ちいただけるかしら? 」
婦人の声と、誰かが立ち上がる音がする。
次いで二つの足音が響いたと思ったら、ドアが開いて閉まった。
耳を澄ますと、建物のあちこちで引き起こされる音や声がはっきり聞き取れるほど。
時折、窓の付近で本の頁を捲る音が聞こえる。
そういえば、ロイさんて何の仕事しているんだろう?
ジルさんは、なんか書類を読んだり書いたり時に会議をして指示を出し、結構忙しい。
ついこの間までは三日に一度の出勤だったけど、今じゃ毎日出勤+時々徹夜だもん。
ラザールさんも、いかにも軍服って感じのかしこまった制服着てジルさんのところに報告に来たり、指示を仰いだりしているのに。
ロイさんは、会議の時に顔出すくらいで、今だってこうしてただ本を読んでいるようにしか思えない。
着ているものも日中ほぼ、トーガのようなばかでかい布を躯に巻きつけたような、楽だけどいかにも動きにくそうなもの。
お仕事しているにしても読書をしているにしても、邪魔しちゃ申し訳ないから、暫くは大人しくしていよっと。
椅子の下で丸くなりなおした。
本当はさっきの召還済みの件、ロイさんに相談してみたいんだけど。
とにかく、言葉がネックだわ。
溜息をついていると、遠慮がちにドアがノックされる。
「ロイロット殿下、妃殿下からのお届け物です」
お仕着せを着た見知らぬ人が背丈ほどもある大きな額縁を持って現れた。
え? このお部屋って誰も来ないって話じゃなかったっけ?
慌ててベッドの下にもぐりこむと、その位置から部屋の様子を覗き見た。
「また? 」
読んでいた本から顔をあげたロイさんが思い切り嫌そうな顔をした。
「いいよ、持って帰って」
覆いの掛かった額縁の中身を見ようともしないで言う。
「ですが、まだ他にもありますが」
お仕着せを着ているから多分、従者か使用人なんだろうけど、明らかに困惑気味な顔をしてドアの向こうを振り返った。
部屋の主に遠慮して、廊下で待っているらしい人間の息遣いが聞こえる。
そりゃそうだよね、誰かからのお使いで来ているんだと思うんだけど、ロイさんの態度あまりにそっけない。
「持って帰れ」なんて言われても、今度は言付かってきた主人になんと言えばいいんだろうか?
とか、言う感じ?
「母上には、後で僕から言っておくから。
とにかく、全部片付けて。
それから、次に何か持ってきても同じだからと、伝えておいてくれるかな? 」
少しだけ、ロイさんが怒ったような口調になっている。
それを目にお使いにきた人はすごすごと帰っていった。
「ごめんね、マリーちゃん。
びっくりさせちゃったみたいだね」
暫くして、ロイさんがベッドの下を覗き込んできた。
「普段はめったに誰も来ないんだけど、間が悪かったかな。
おいで、食事にしようか? 」
小さなお皿にクッキーを並べて、別のお皿にミルクを入れて出してくれる。
これこれ。
ジルさんのところだと、いつでもクッキーはミルクに浸してあるんだけど、この別々のさくさくクッキー食べたかったのよね。
食べ物に釣られて、あっさりベッドの下から這い出してくると、すかさず抱き上げられた。
「ごめん、マリーちゃん。
ちょっと、こうさせてもらえるかな」
前足を肩に掛けて担ぐように抱くと、ロイさんは背中に頬を寄せた。
ロイさんは、ロイさんなりにいろいろあるんだろうなぁ。
伝わってくる体温に、何か淋しいものを感じた。
ロイさんのお部屋でお留守番をはじめて数日。
日に一度か二度、ジルさんの所にいた補佐官さんが何か書類を持って顔を出す。
それとは別に、毎日のように届く物がある。
白い封筒の添えられた肖像画の数々。
掌大の物から、等身大の物まで。
確か、今後こういうもの持って来なくていいって、ロイさん言ってたはずなのに、相手も懲りない。
ロイさんは、それらに見向きもしなければ封筒の封も開けようとはしない。
そのルーティーンに慣れた頃だった。
「なぁに? 猫なんて飼ったの、ロイロット?
いやぁねぇ、最近流行っているのかしら? 」
何の先触れもなく、現れた貴婦人がベッドの下に逃げ遅れたわたしにちらりと視線を向けると、軽く眉を顰めた。
多少年齢はいってるけど、美人さんの上、落ち着いた色合いの豪華なドレスを来たご婦人。どことなく目元とかがロイさんに似ている。
ま、男性達が揃いも揃ってイケメンさんだから、女性だって美人さんじゃなければおかしいんだろうけど。
「違うよ、この猫はジルの飼い猫。
留守の間預かったんだ。
使用人には預けられないからって」
「そうなの? まぁ、どっちでもいいけど」
それでも貴婦人は興味がないのか、それ以上わたしに関わろうとはしなかった。
「それより、ロイロット、どういう風の吹き回しなのかしら? 」
お部屋の中を軽く見渡して、ロイさんに視線を向けると、貴婦人は軽く首を傾げた。
「どういうというと? 」
言われたことに心当たりがないのだろう。
ロイさんもまた、聞き返す。
「あなたなら、どんないいお家のお嬢さんも選び放題なのに、わたくしの紹介したお嬢さんは送られて来た肖像画を見もしないで、よりによって成金男爵の娘なんかと…… 」
貴婦人は扇を広げて顔の前にかざすと、その影であからさまに溜息をこぼす。
「何の話です? 母上」
い? 母上って事は、ロイさんのお母さん?
どうりで顔がどことなく似ているわけ。
でもって、この間から時々来ていた肖像画って、ロイさんのお見合い写真(みたいなもの)だったって事?
「あなた、モルニー男爵のご令嬢にエンゲージ・ジュエリーを贈ったんですって? 」
「いいえ、全く記憶がありませんが? 」
「でも、そう言って今、男爵親子がご挨拶にって見えているのよ。
あなたから何も聞いていなかったから、驚いてしまったわ。
とにかく、隣の部屋に待たせてあるから、いらっしゃいな」
貴婦人はそう言ってロイさんを促す。
「行かなければいけませんか? 」
「当たり前です。
あなたがそのつもりならそれなりの話をしなければいけませんし、そうでないなら誤解を解かなければ。
第一、どうしてその気がないのに、ご令嬢にジュエリーなど贈ったのですか?
それも、わたくしがあなたに子供の頃贈ったあのブローチなど。
あれにはあなたの意匠が彫ってあります、同じ物は二つとない品ですよ」
「ですから、贈った記憶はありません。
あのブローチは先日壊れてしまって、今修理に出していますが? 」
貴婦人の言葉が全く身に憶えがないらしく、ロイさんは何度も瞬きを繰り返す。
「いいから、いらっしゃい。
話をしなければいけませんから」
つと、ロイさんに歩み寄ると、貴婦人はその手を意外にもがしっと掴み、強引に引き立てていった。
……なんだかよくわからないけど、ロイさんの知らないところで面倒なことが起こったって感じかな?
椅子の下に置かれたクッションの上で『ごろん』てして、ロイさんの来るのを待つことにしよう。
それにしても静かだよね。
同じ建物だけど、ジルさんの居た棟はそこかしこの部屋から人の気配、ドアの開け閉めの音や、人の歩く音、話声なんかが広がって静まりかえっていたって事はないんだけど。
こっちの棟は、ある一定時間、朝と夕方人の出入りがあるだけで、日中はほとんど人の気配って言うものがない。
クッションに頭を乗せたまま、ボーっとしていると、珍しくどこか近くの部屋から人の話声がするのが耳に入った。
人間だったら話の内容まではわからない程の小さな音なんだけど、猫の耳はそれもしっかり拾えるんだよね。
「……いかがでしょう、間違いないと思いますが? 」
太い男の人の声が訊いている。
「確かに、この子が子供の頃わたくしが贈ったものですわ」
あ、この声はさっきのロイさんのお母さんのだ。
なんだか少し困惑していそう。
「では、ご了承いただけますな。
娘はもう、殿下からの贈り物のことを周囲に話してしまっておりましてな、今更間違いだなんて言われては、娘は大恥をかいてしまいます。
恥をかくだけで済めばいいのですが、婚約破棄されたなどとなれば、今後の嫁入りにも差し障ります」
さっきの男の人の声。
「待ってください、申し訳ありませんが、僕には全く心当たりがないのですが。
そもそも、そちらのお嬢さんのお名前も知りませんよ。
失礼ですが、誰かとお間違いでは? 」
慌ててその話をロイさんが遮る。
随分閉口しているらしいのはその口調からでもひとわかりだ。
「そんなっ!
酷いわっ。
あの日の夜会で、これをわたくしに下さって言ってくれたじゃないの。
『身分の差は関係ない』って。
ご家族は、自分が説得するから任せておけと。
アレは、嘘でしたの? 」
芝居掛かった声をはりあげる若い女の声は次いでどっと泣き出した。
「……ロイロット、今更ながら、往生際が悪いですよ。
こんな純真なお嬢さんを口説いておいて、気が変わったから知らぬことにするというのですか? 」
「いえ、ですから、母上。
僕には全くその記憶はないんですよ」
「でしたら、何故あなたのブローチがこのご令嬢の手にあるの?
わたくしにもわかるように説明なさい」
「ですから、それは先日落しまして…… 」
「落したですって、こんな大事なものを?
それであなたは、そのまま放っておいたって言うの?
我が家の家紋の入ったあなたの誕生石をあしらったジュエリーですよ。
どういう意味を持っているか、あなただって知らない訳がありませんよね? 」
親子でのやり取りが続き、婦人が呆れたような声をあげる。
「話の続きを聞いてください。
これは先日、落してしまいましたが、直ぐに届けていただいたんですよ。
ただ、どこかに引っ掛けでもしたのか、留め金が破損していて今修理に出しているはずなんです」
「では、これは何だと仰るの?
殿下がわたくしの手に直接握らせて下さったものなのに…… 」
しゃくりあげながら、ご令嬢が訴える。
……なんか、言った言わないって、泥沼だなぁ。
でも、わたしの目からするとロイさん、そんなことする人には見えないんだけど。
そもそも、夜会ひとつ出るのにもパートナーのジルさんが行かなきゃいかないってごねるくらいなのに?
わたしは首を傾げる。
「そういえば、ロイロット、あなた先日クララック卿ではなくて、見慣れないお嬢さんをエスコートして夜会に出ていたって言うじゃないの?
このお嬢さんのことではないの? 」
いえ、それ、多分わたしなんだけど。
どこで、そのご令嬢と入れ替わったんだろ?
「それは、ですね…… 」
ロイさんが口篭もる。
そりゃそうだよね。
違うって言えば、じゃそのお嬢さんを連れて来いってことになる。
シャンタルさんがこの場にいればともかく、今猫のままだし。
「……暫くお待ちいただけるかしら? 」
婦人の声と、誰かが立ち上がる音がする。
次いで二つの足音が響いたと思ったら、ドアが開いて閉まった。
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