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猫には猫のできること

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「なぅ(コゼットさん、今日は)」
 
 そんなことを思いながらベッドの下から這い出して、コゼットさんの足元へ行く。
 
「なっ! 猫? 
 何故こんなところにっ! 」
 
 案の定コゼットさんを案内して来てくれた人はぎょっとして、慌てふためく。
 
「ああ、この子はジルのペットだから。
 片時も放さずに側に置いていた子だからね、側にいるほうがジルも安心して休めるんじゃないかと思って僕が連れて来た。
 構わないよね」
 
 高位の人ににっこりと、笑みを浮かべて言われて、その人はそれ以上何も言えなくなったみたい。
 
「とにかく治療をお願いします。
 魔力補充のお手伝いだけなら、わたくしどもでもできますので、お申し付けくだされば、手のあいた人間を何人か手配いたします」
 
 それだけ言うとその人は、猫と同じ部屋の空気など一呼吸も吸いたくないといった様子で、そそくさと部屋を出て行ってしまった。
 
「あー! もー! 
 どうしたらいい? 」
 
 その背中を見送りドアが閉まるとコゼットさんが自棄になったような声をあげた。
 
「確かにわたし、将来の就職に有利になるかと、治癒魔法の大家、ギュスターヴ・ルドー・ジョシュア猊下に師事しましたけど。
 さっきも言うように、産まれ持った魔法の属性が治癒魔法を発動させる属性と正反対だったものですから、満足に使いこなせないと言うのが事実なんです。
 その…… 
 確かに、教授には誉めていただきましたけど。
『高等治癒魔法を発動させるための魔方陣の構築だけは抜きん出ている』って。
 魔力のない方はご存知ないかも知れませんが、『魔方陣の構築』と『魔力の発動』は別物なんです。
 二つが揃わないと、魔法は成り立たないんです」
 
 懇切丁寧にコゼットさんは説明している。
 しかも、治せと言われた怪我人が「王政筆頭執行官」なんて偉い肩書きを持った人となると、治せませんでしたじゃすまないことを承知していると見えて、最後の方は涙目になっていた。
 
「なるほど、そう言うことでしたか。」
 
 コゼットさんの話を一通り聞き終わると、ロイさんが納得したように呟いて、立ち上がる。
 
「あの…… 
 ですから、わたしっ! 」
 
「要は木属性の魔法を使える人間をある程度の人数集めれば言いということですよね? 」
 
 軽く首を傾げて確認している。
 
「は? 」
 
「魔女コゼット、あなたに治癒魔法を教授したのは、ギュスターブ・ルドー教授だと言ってましたよね? 
 あれほどの人があなたの力量を見誤るとか、この重要な局面で無理難題を押し付けるなんてありえないんです。
 つまりは、あなたならできると踏んで指名をなさったはず。
 他人の魔力を借りて使う術は? 」
 
「あ、それなら心得ています」
 
「なら、何人か木属性の魔力の多い人間を手配して…… 
 術式が完璧なら…… 」
 
「やっぱりわたしがやるんですか? 
 人の魔力で? 
 無理ですって…… 」
 
「ふっ…… 
 ……うん」
 
 ロイさんとコゼットさんがお部屋の片隅で何かの打ち合わせをはじめた声とは別の声が、ベッドの上からかすかに聞えた。
 
「なぁ(ジルさん! )」
 
 何が起こったのかと、ベッドの上に掛けあがる。
 
「あら、マリー。 
 どうしたの? 」
 
 ジルさんが呟きながら、ゆっくりと躯を起こすと、睫を瞬かせた。
 
「ジル! 
 ダメだよ、寝ていないと! 」
 
 その姿にロイさんが慌てて掛けてくる。
 
「ありがとう、でも平気みたいよ? 
 痛みもないし、呼吸も楽だし、熱もあったみたいだけど下がったようよ。
 案外、騒ぎの割に大した傷じゃなかったんでしょう」
 
「そんな訳ないよ。
 傷が思っていた以上に深くて、医師が、手の施しようがないと言ったんだよ? 
 あとは高等治癒魔法でもないと無理だって」
 
 ロイさんが眉を潜める。
 
「そうおぅ? 」
 
 ジルさんは首を傾げながらそっとわき腹の後ろ辺りへ手を添え、確認するように手を動かして、次いで衣服の裾を捲りあげた。
 
「ね? 血も止っているでしょう? 」
 
 言いながら腹部に巻かれていた包帯を解いてみせ、訊いてくる。
 
 確かにあの位置、自分じゃ見えない場所だけど。
 
 そう思って、その場所へ目を向けると。
 
「 ! 」
「 ! 」
「 ! 」
 
 自分の目を疑って、言葉をなくしたのは部屋の中にいるほかの二人も一緒だった。
 
「嘘、だろう? 
 血が止らなくて、酷い騒ぎだったんだ」
 
 ロイさんが乾いた声で言う言葉が嘘ではない証拠に、綺麗に整えられたお部屋のベッドの枠やシーツには不自然にかなりの血痕が飛んでいる。
 特に、シーツは傷のあった辺りに丸く染みを作っているのに。
 きっと、止血をしても止めきれなかった血液がコゼットさんの到着を待つ一晩の間に染み出したものだと思うんだけど。
 
 肝心のジルさんのわき腹には、傷口どころか、かさぶたも痣も何一つない。
 まるで人が入れ替わってしまったか、最初から芝居でもしていたのかってよう。
 
「なぁに? 
 どうかした? 」
 
 ロイさんの呆然とした様子にジルさんが首を傾げた。
 
「傷が、治っている…… 」
 
「そうぉ? 
 よかったわぁ。
 結構痛かったから、死ぬかと思ったんだけど。
 案外大したことなかったのねぇ。
 あたしも大げさね」
 
「いや、そうじゃなくてね、治ったというか、最初からなかったみたいに綺麗に消えているんだ、痕跡さえ残っていない」
 
「嘘でしょう? 
 かなり痛かったのよ? 油汗は出るし足に力が入らなくて動けなくなるし…… 」
 
 確かにそうだったはず。
 わたしだって見てはいなかったけど、馬車の中に広がる血液の匂いはしっかり感じていた。
 あんなに匂うんじゃ、きっと相当多量だったと思う。
 
「魔女コゼット、あなたが治してくれたの? 」
 
 次いでジルさんはコゼットさんに視線を向ける。
 
「いえ、何も! 全然、全く、これっぽっちも、指先ひとつ触ってません! 」
 
 コゼットさんが大仰に首を横に振る。
 
「そんなわけ、ないんだ。
 確かに刺された傷があるのは僕も見ていた。
 医師が魔術師の手配を指示して、出て行ってから誰もジルには触れていないはずなんだよ。
 この部屋自体に誰も近づかないように人払いしていたからね」
 
 ロイさんが言う。
 
 そうだよね。
 国の政治を動かす一番偉い人(だと思う)がいきなり職務履行不能なんてことが世間に知れたら、大パニックを引き起こす。
 だから緘口令を敷いていたんだろう。
 
「でも、わたしじゃありません。
 そもそも、詠唱抜きにしてどうやって魔力を使えって言うんですか? 
 わたし、さっきここへ来てから一度も詠唱してませんよね。
 ね? マリーちゃん」
 
 確かに、このお部屋にコゼットさんが入ってから、ジルさんに近寄ってもいなければ、呪文も唱えていないけど。
 猫のわたしに振られてもなぁ。
 
「にゃ(うん)」
 
 とりあえずお返事するけど。
 ジルさん達、自分達に猫語がわからないから、コゼットさんがいいように解釈したって思われちゃうかも。
 
「えっとぉ、説明するより早いから、実演してみますね」
 
 コゼットさんは、急に窓に歩み寄り、カーテンを閉める。
 
 高級そうな分厚いカーテンのせいで部屋の中は一気に暗くなった。
 
 それからコゼットさんはベッドの脇に置いてある洗面ボールの中にピチャーの水を注ぐ。
 そして皆に見えるように部屋の中央付近に置かれたテーブルにそれを移し、皆を呼び寄せた。
 
 ジルさんも釣られるようにして、ベッドを降りる。
 本当に、痛みなんてまるでないような感じでここまで普通に歩いて来る。
 
「今から、このボールのお水凍らせますけど、よく見ていてくださいね。
 特にわたしの手元を…… 」
 
 言い置いてコゼットさんは軽く息を吸い、すっと目を細める。
 
「**********+%***」
 
 猫でも理解不能な音がその口からこぼれだす。
 
 あれ? 
 
 じっと見つめているとコゼットさんの口から出た音が光の文字になって、暗闇の中にぼんやりと浮かび上がった。
 
 文字はコゼットさんの掌に一度集約され、どこかで見たことのある複数の円と理解不能な文字のようなもので構成された魔方陣みたいなものを形作る。
 その手をコゼットさんがゆっくりとボールの上に傾けると、掌から外れた光の模様はボールの上に落ちてゆく。
 
 ぴしん! 
 
 ガラスの砕けるような繊細な音がしたと思ったら、ボールの中の水が凍っていた。
 
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