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呆れてばかりはいられない

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 それから三日。
 
 ジルさんは戻ってこなかった。
 それどころか、今日も帰ってくる気配がないな。
 
 書斎の暖炉の前でうとうとしていると、パンの焼ける香ばしい匂いが漂ってきた。
 お決まりのように少し焦げ臭さが混じる。
 
 無理もないんだけどね。
 ジルさんの方針でこの家はメイドちゃん一人で家事全部こなしている。
 タイマーのついていない薪オーブンでパンを焼きながらスープや煮物の準備をしているんだから、手が回らなくても仕方がない。
 
 きっとまた、パンが焼けたのにも気が付かないで、スープの下ごしらえでもしてるんだろう。
 
 仕方ない。
 ジルさんもメイドちゃんも焦げたパンなんか食べたくないだろうから、教えにいくか。
 
 起き上がると書斎を出る。
 
「な(あれ? )」
 
 キッチンに顔を出すけど、メイドちゃんの姿はない。
 裏口のドアが少しだけ開いていた。
 
「あ、その小麦粉は裏の倉庫に運んでくれる? お砂糖はここでもらうわ」
 
 ドアの影からメイドちゃんの声がする。
 
 食材を配達にきてくれた食料品店の人の相手をしているみたい。
 
「なぉん、うなー(ねぇ、パン焦げてるわよ)」
 
 ドアの隙間から顔を出して声を掛ける。
 
「あら、あんた起きて来たの? 」
 
 わたしの声にメイドちゃんが振り返る。
 
「食事なら、ない…… 」
 
 つっけんどんに言いかけたメイドちゃんの口元がなんだか緩んだ。
 
 キッチンへ戻ると戸棚の中から、グリルしたチキンを取り出した。
 それを厚めにたっぷりと切る。
 
 そういえばお腹空いたな。
 チキンを見ているだけで、空腹感が首をもたげてきた。

「ね、今日は外で食事にしようか? 」
 
 グリルチキンの乗ったお皿を手にメイドちゃんがわたしを外に誘った。
 
「さぁ、どうぞ。召し上がれ」
 
 出口の側に置かれた台の上にお皿を置いて、誘う。
 
 嬉しい! 
 久し振りのお肉だぁ! 
 
 その、お世話になっていて文句を言える立場じゃないんだけどさ、 昨日も、一昨日も、その前も、ジルさん出かけてからもらえるのはお皿にちょっぴりのミルクを一日一回。
 
 ま、まぁ? 
 ご主人様の留守の時くらい手抜きしたいよね。
 
 わかるんだけど、ちょっと酷いな。
 なんて思いながら、我慢してたんだもん。
 
「ほら、早く食べちゃいなさいよ。
 お皿片付けるんだから」
 
 促されて、台の上に乗ってチキンを頬張る。
 
 バタン! 
 
 同時に背後でドアが閉まるような大きな音がして、視界が真っ暗になった。
 
 なに、なになに、なに? 
 
 びっくりして食事を中断し、顔をあげてあたりを見回す。
 
 目が慣れてくると、いくつかの木箱や穀物の入っているらしい布袋なんかが重なっている、箱の中。
 さっき昇ってきた場所は木の扉はがっちりと閉まっていた。
 
「うなん(よいしょっと)」
 
 軽く手で小突いて、頭で思いっきり押してみるけど、扉は動かなかった。
 
 こりゃ、閉じ込められたよね。完全に。
 
「閉めてくれたのか? ありがとな。
 じゃぁな、次の配達はまた来週だよ」
 
「ええ、ありがとう」
 
 なんて考えていたら、そんな会話が聞えてきて突然箱が揺れ出した。
 
 ……ぺたぺたぺた。
 ……ガラガラガラガラ。
 
 揺れるリズムと同じリズムでティラノもどきの足音と馬車の車輪が回る音が響いてくる。
 
 積んである荷物と、この揺れや音から考えるに、ここきっとコンテナ型の荷車の荷台だ。
 
 でもって、この荷車は今、ジルさんのお家を離れて何処かに行こうとしている。
 
 これが幌つきの荷車だったら幌の隙間から這い出て飛び降りればいいんだけど、閉められた扉はがっちりと閂がかかったみたいでびくともしない。
 
「なぉおおん(すみませぇん)」
 
 声をあげてみるけど車の立てる音に隠れて御者さんには聞えないみたい。
 ここは、開けてくれるのを待つしかないか。
 
 仕方なく木箱の陰で香箱を組んで座りなおす。
 
 荷車は何処かへ向かっていく。
 窓がないから、どこを走っているのかどこに向かっているのか全くわからないけど。
 とにかく車はひたすらに走り続けた。
 
 飽きるほど、飽きるほど、飽きるほど…… 
 そうしていて。
 
 ガタン! 
 
 突然した大きな音と衝撃に目を覚ます。
 
 いけないいけない。
 知らないうちに眠っていたみたい。
 
 本当に猫の身体ってどこでも寝られるようにできているんだね。
 
 感心していると、扉の閂を外す音がする。
 
 開けているのが誰だかわからないけど、猫じゃいい顔しないよね。
 ここは逃げるに限るだろう。
 
 ぎぃー 
 
 軽くきしんだ音がして扉が開く。
 
 その隙間が猫の通れる大きさになったのを見越して、一気に箱の中を飛びだした。
 
「うわぁ! 」
 
 突然猫が飛び出してきて、よっぽどびっくりしたんだろう。
 扉を開けた人物は驚いて後ろにひっくり返る。
 
 背後でしりもちを付いたように少し地面が揺れたけど、見返しているヒマなんてなかった。
 
 とりあえず目についた物影に滑り込む。
 
「なぁに? どうしたの? 」
「多分、猫。
 猫が飛び出してきたんだよ! 」
 
 既に慣れっこになっている言葉が耳に届いた。
 
「何処からか乗り込んでやがったんだ」
「いやぁねぇ。家に入ってきたらどうしましょう。
 牛のミルクの出が悪くなるわ」
「犬でも放して置け。
 犬がいたら猫もそこらへんをうろつかねぇだろう」
 
 なんて会話が飛び込んできた。
 
 なんかもう、本当に扱いが酷いんだよね。
 犬をけしかけるとか、帰ってこられないように荷馬車に押し込んで遠くへ連れて行くとか。
 そんなことしたら、却って呪われるような気がするんだけどな。
 この世界の猫って、よく犬に追いまわされてばかりで大人しくしてるよね。
 
 なんて思っているうちに、会話のとおり本当に犬の匂いがしてきた。
 
 やばっつ! 
 
 こんなところにいたら本当に犬に追いまわされちゃう。
 犬は猫よりよっぽど鼻がいいんだから、すぐに見つかっちゃうよね。
 
 とにかく急いでその場を離れた。

 少し離れた場所に来て足を止め背後を振り返る。
 とりあえずは追いかけてこないみたいだけど、何時までもここに長居するのは無謀かな? 
 また、犬なんかけしかけられちゃたまったもんじゃない。
 
 そそっとその場を離れ、更にその先の木陰に移動する。
 更にその先の植え込みの中へダイブ! 
 
 でもって、まだ安心できないからその先の木に登った。
 
 これからどうしようか? 
 
 追っ手がこないことを確認して、一息つく。
 
 いきなり消えたりしたから、きっとジルさんに心配かけちゃうだろうな。
 
 それに、このまま、お礼も言わないっで消えちゃうって言うのはなんかなぁ。
 
 なんてのは建前で、正直ジルさんに保護してもらわなかったら、わたしこの世界で生きていける自信がない。
 
 人頼りしてたんじゃいけないってのはわかっているんだけど、猫がこんなに毛嫌いされてちゃどうしようもない。
 
「にゃ!(よっし、帰ろう! )」
 
 そう決めて慎重に木から下りる。
 
 
 ……とは言ったものの。
 
「なぁお(ジルさんのお家どこ? )」
 
 ずっと外の見えない箱の中に閉じ込められて運ばれてきたから、ここが何処かも、どっちへ行けば帰れるのかも、全くわからない。
 
 まいいか。
 猫にだって帰省本能があるって言うし、勘のままに歩いていけばきっと帰り着けるでしょう。
 
 まずは右! じゃなくて左か。
 
 よくわからないけど、何となくそんな気がする。
 それこそあてずっぽうで歩きだした。
 
 
 
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