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呆れてばかりはいられない

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 それからの毎日といったら、平穏そのもの。
 昼は日向に用意してもらったソファの上、夜は暖炉の前に置かれたクッションで毎日ぐーたら。
 ぐーたらしてても、一日二食きちんとおいしいご飯は出てくるし、ジルさんがブラッシングもしてくれる。
 まるでお姫様にでもなったような気分。
 もうさ、ホントに、このまま猫でもいいや。とか思ってしまう。
 
 ……約一名の塩対応を除けば。
 
「ほら! 餌よ。
 早いところ食べて、どいてくれない? 
 あんたがそこで寝ていると、お掃除もできないじゃない」
 
 よっぽど猫が苦手なんだろう。
 どん! と乱暴にミルクの入ったお皿を置いて、いかにも迷惑そうな口調。
 ジルさんの留守に、メイドちゃんは大概この扱いをする。
 
 ま、それでも主人の言いつけに従って、きちんと食事は用意してくれるし寝ている時に耳や尻尾を引っ張ったり髭を切られたりしないだけはいいことにしておこう。
 
 多分、今でもわたしに出て行って欲しいって思っているんだろうな。
 
 わかってる。
 何時までも甘えていないで、自分で何とかしなくちゃいけないってこと。
 
 だけど、何日経っても、猫以外の何者にもなれないのよ。
 
 最初のうちはさ、そのうちに元の世界に戻れるんじゃないかな? って安易に考えていたんだけど。
 元の世界にどころか、人間にも戻れそうにない。
 
 もぉ、何がどうなっているんだか。
 
 きっと何もしないでただ待っているだけじゃダメってことなんだよね。
 
 とは、いっても…… 
 
 戸外を歩くだけで追い立てられ犬をけしかけられるんだから、“お土産”ももらえなかった無力な猫としては、どうしたらいいのかわからない。

 人間だった時も無力だったけど、猫のわたしはそれ以上に無力だ。
 そう思うだけで耳が下がる。
 
「どうしたの? マリー? 
 元気がないわね。
 お腹でも痛い? 」
 
 しょぼくれていたら、頭上からジルさんの柔らかな声が降ってきた。
 
「にゃん(ううん、なんでもない)」
 
 顔をあげちょこんと座りなおして答える。
 
「うん、元気そうね。良かった。
 今日はね、いいものがあるのよ」
 
 そう言ってわたしの首に両手を回す。
 
 喉の下でしゃらんと金属の揺れる音がした。
 
「はい、できた」
 
 首の後ろで留め金を止める音がしてジルさんの手が離れる。
 
「どう? あなたの瞳の色に合わせたのよ。
 やっぱり、よく似合うわぁ」
 
 満足そうに言って鏡を立てかけてくれた。
 
 鏡に映る茶トラ猫の首には見るからに高価そうな緑色の宝石が下がった金の首輪。
 首輪ってところが残念だけど、それは置いといて。
 いくらなんでも猫に宝石って贅沢すぎません? 

「にゃにゃにゃ(いただけません、こんな高価な物)」
 
 慌てて首を横に振る。
 
「気に入らなかったのかしら? やっぱりルビーの方が良かった? 」
 
 ジルさんが眉根を寄せる。
 
 いや、そうじゃなくて。
「猫に小判」、「豚に真珠」ってことわざ知らないの? 
 
「気に入らないのでなければ、もらってくれると嬉しいわ。
 先日大切な書類を見つけてくれたお礼、よ」
 
 ジルさんはそう言って立ち上がると、書き物机に座る。
 そして机の上に大量の書類を広げて、黙々と目を通し始めた。
 
 なんだかよくわからないんだけど、ジルさんはこうして毎日書類とにらめっこしている。
 そして二日に一回半日ほど定期的に外出している。
 たぶん、それが仕事なんだろうけど、今はまだ具体的なことは全くわからない。
 
 猫へのお礼なんて鰹節か猫缶で充分なのに。
 むしろ、本家本元の猫だったら、そのほうが最高に嬉しい、と、思う。
 
 あの書類よっぽど重要なものだったってことだよね。
 
「にゃぁおん(ありがとう、じゃとりあえずいただきます)」
 
 座りなおして頭を下げた。
 
 
 ジルさんがお仕事をはじめてしまったので、いつものように陽だまりに置かれたクッションで丸くなる。
 お仕事の邪魔しちゃ悪いし、ほかにすることもないしね。
 
 ぽかぽかのお日様の温もりを堪能しながらお庭の小鳥の囀りを聞いているとだんだん眠くなってくる。
 
「ちぃ、ちちちち(あの赤い石なくなってしまったのですって? )
「ちちちちちち、ちー(そうなんだよ。せっかくカラスに見つからないように奥に隠しておいたのにさ)」
「ぴぴっつ、ぴぴぴ(カラス達、今宝物集めに躍起になっているものね)」
「ぴーぴぴち(どうしてさ? )」
「ちち(知らないの? )」
「ぴ(何を? )」
「ちちぴぴぴぴ。ぴぴーぴ、ち(鳳の王が目覚めそうなのよ)」
「ちちち(それ本当? )」
「ぴぴち、ぴぴぴちちち、ぴぴぴちちぴよ-(だからカラスたちは貢物集めに躍起になっているのよ)」
「ちちちちちー」
 
 ふふ…… 何の赤い石の行方以外は何のことかわからないけど、面白い会話してるなぁ。
 普段、小鳥のさえずりなんて聞いても、ただ鳴いているだけだと思ってたんだよね。こんなに意味のある会話しているなんて予想もしなかったなぁ…… 
 
 いや小鳥がこんなに饒舌に喋っているとは思えないから、これは夢かな? 
 
 
「ご主人様、お客様ですよ」
 
 うとうとしながら、なんて思ったところを、メイドちゃんの声で起こされた。
 
「来客? 誰よ? 」
 
 仕事を中断させられたことが気に入らないのか、ジルさんはあからさまに不機嫌な声で言いながら顔をあげる。
 
「俺だよ、俺」
 
 ドアを潜ってきたのはジルさんよりまだ背の高い人影。
 
 見咎められて、追い出されたりしたら大変! 
 
 何しろ、この世界の人間ジルさん以外誰一人信用できないもん。
 
 クッションを降りると、そそっとチェストの下にもぐりこんだ。
 
「あら、ラザール。珍しいわね、どうしたの? 」
 
 それでもジルさんにしてみれば嬉しい来客だったみたいで、さっきとは変わって声が弾んでいる。
 
「お前、猫を連れこんだんだって? 
 職場を変えてくれってロッタが泣き付いてきたんだよ」
 
 お客さんは馴れた様子でソファにどっかと座り込んで、書き物机の前に座るジルさんに視線を向ける。
 チェストの下にもぐりこんだまま、そっとお客さんの様子を探る。
 筋骨隆々とした大きな体躯に、真っ黒な髪の印象的な二十歳過ぎのイケメンさんだぁ。
 
「あの子ったら、おしゃべりね」
 
「どういうつもりなんだよ? 
 猫なんか連れこんだりして、呪われたって知らないぞ」
 
「仕方がないでしょう。
 うちの庭に迷い込んできて、行き倒れ寸前だったんだもの。
 むしろ放置してそのまま死なれたほうがもっと呪われると思わない? 」
 
「助けるのは構わないけどな。
 そのまま飼おうって神経がわからないんだよ。
 よりによって、猫だぞ」
 
「だって、この子が来てからいいこと尽くめなのよ。
 消えた書類が出てきたり、なくしたと思ったブローチを探し出してくれたり。
 そうそう、ロッタの焼くパンだって焼き加減が上手になってきているんだから。
 あの子、他のお料理は上手なんだけど、何故かパンを焼くのだけは下手で一日おきに焦げたパンを食べさせられていたんだから。
 ね、マリー。
 あら、どこに行ったのかしら? 
 隠れてないででてらっしゃい。
 この人なら大丈夫だから」
 
 なこと言われたって、ただでさえ大きな男の人怖いのに、この人さっき明らかに「猫は呪う」って言ってたじゃない。信用できないよぉ。
 
 にじっと、更にチェストの奥へもぐりこむ。
 
「ほら、怖がらせちゃったじゃないの」
 
 ジルさんがむくれる。
 
「別に猫に嫌われてもいいけどな。
 呪われるのは俺じゃないし。
 それより、どうするんだよ、お前。
 今時炊事洗濯ハウスクリーニングから庭掃除までこなせるメイド、そう簡単に手配できないんだぞ。
 お前がどうしても使用人は最低限しか置きたくないって言うから、ようやく探した子なんだからな」
 
「仕方がないでしょう。
 あたしが扱うのは、人の目に触れると困るものがほとんどなんだから。
 人が頻繁に出入りする場所でなんか広げられないのよ」
 
「それでも、なくしたんだろう? 」
 
「あの時には肝を冷やしたわぁ。
 どこを探しても見つからないんですもの。
 でもね、マリーったらその日のうちに見つけてくれたのよぉ」
 
「偶然だろう、そんなの。
 大体猫に書類の重要性なんかわかるのかよ? 」
 
 ……確かにそうですね。
 正直チェストの下に押し込まれた紙切れがそんなに重要なものだなんて全く知らなかったもの。
 ただ、紙が気になったから引っ張り出しただけ。
 
「そこがマリーのすごいところなんじゃない」
 
「そんなに言うなら、伯母上が先日なくしたって言うピアス探せるのか? 」
 
 客人は意地悪そうに眉根を寄せた。
 
「ああ、あの気に入っていたって言う、守り石のフェニックスオパールのピアスのこと? 」
 
「それ。
 先日外出先から帰ってきたら、何処かに落したらしいって残念がっていたからな。
 そのピアス、そいつに見つけられるのか? 」
 
 外出先で知らないうちに落したものなんて、普通絶望的じゃないのかな? 
 意地悪そうな顔をするわけだわ。
 ジルさんのブローチだって、小鳥のおしゃべりが聞えたから場所がわかったってだけで、単なる偶然だし。
 あ、でもメイドちゃんの焼くパンが焦げなくなったのだけは、わたしのおかげかも知れない。
 猫の嗅覚をもってすれば焦げる寸前にその匂いがわかるから、そのたびに教えてあげてるもの。
 だけど、ピアスの行方はねぇ…… 
 わかるわけないじゃん。
 
「そんなの、マリーの気分次第よ。
 だいたいマリーは伯母上に会ったこともないんだから、探せるなんて言い切れないわ」
 
 無理難題を言いつけられたらどうしようって考えていたら、ジルさんが応えた。
 おおっ、ジルさん、考えたわね。
 見知らぬ他人の物は探せないってことにしておけば、見つからなくても言い訳が立つ。
 
「とにかく、早いところ、その猫何とかしてやれよ。
 でないとお前、最低五人は使用人を置く目にあうぞ」
 
 脅しのように言って、お客さんはソファから立ち上がる。
 
「その時には自分でやるわよ。
 マリーだって居るし、不便はないわよ」
 
 売り言葉に買い言葉なんだろうけど、ジルさん、全く申し訳ないんだけどこの猫の手じゃスープを作ることもパン種を捏ねることもままならないんですけど。
 
「ま、困るのは俺じゃないし。
 せいぜい頑張ってくれよ」
 
 捨て台詞を残してお客さんは部屋を出て行く。
 
 普通なら玄関までお見送りなんだろうけど、ジルさんそう言った仕事はしないみたいで、お客さんの後を追おうともしない。
 
 ま、いいや。
 
 邪魔者が居なくなったところで、ようやくチェストの下から這い出した。
 
「あら、マリーそんなところに隠れていたの? 
 もう、ヘンなところにもぐりこむから埃だらけじゃないの」
 
 笑顔を浮べながらジルさんはわたしの髭先や背中についた埃を払ってくれる。
 
「あら? これって…… 」
 
 埃を払いきらないうちにジルさんは尻尾の先に付いていたゴミというか埃の塊を摘み上げた。
 
「マリー! お手柄よ。
 もぉ、あなたってば、なんていい子なのかしら! 」
 
 表情を輝かせて、ジルさんはわたしを抱き上げるとエントランスへお客さんを追って飛び出していく。
 
「あったわよ。ラザール! 
 伯母上のピアス」
 
 わたしを片腕に抱いたまま、さっき尻尾についてきたくもの巣だらけの何かをお客さんに突きつける。
 
「嘘だろう、おい」
 
「これ、伯母上の物で間違いないわよね。
 ドロップカットのフェニックスオパール。細工は伯母上の好きなアゲハチョウのフィリグリー。特注品だから同じ物は二つとないはずよね? 
 きっと二週間ほど前お茶に来たときに落していったんだわ」
 
 さすがに実物を突きつけられてそこまで言われると、お客さんもそれ以上何も言えなかったらしい。
 
「……これは、俺から伯母上に渡しておくから」
 
 ばつが悪そうに言って、ポケットからハンカチを取り出して、ジルさんからのピアスを蜘蛛の巣がついたまま挟み込んで戻す。
 
 わたしがピアスを見つけた(らしい)ことがよっぽど気に入らなかったみたいで、お客さんは渋い顔のまま帰っていった。
 
「もぅ、マリーこんなにいい子なのに、どうしてあんなに毛嫌いするのかしら? 」
 
 わたしを抱いたまま、書斎に戻りながらジルさんは呟いた。
 
「なぅん(それ、わたしも聞きたいな)」
 
 どうしてこの世界の人って、猫をこんなに忌み嫌うんだろう。
 元の世界じゃ、猫って鼠を駆除してくれるし、もふもふが可愛いからペットの代表格だったのに。
 一部目つきが嫌とか、毛嫌いする人もいたけどね。
 この国の人たちみたいに雁首そろえて「呪われる」なんて言わなかったんだけどな。
 何か猫を嫌う意味があるんだよね。
 
 
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